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2006年03月30日
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"アフリカなどで皆既日食を観測"
ASAHI-COM(2006年03月29日)

アフリカからトルコ、ロシアにかけて日本時間の29日夜、皆既日食が見られた。
リビアやエジプトなどでは太陽が約4分間、月に隠れた。
皆既の始まりと終わりには、
太陽の一部が指輪のように輝いてみえる「ダイヤモンドリング」が見られたほか、真っ白なコロナを噴き出しているのが観測された。

リビア南部の都市ワウアナムスに設けられたテント村「エクリプス(日食)・シティー」には、
日本の団体客約60人のほか世界各国から約2000人が訪れた。

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("香炉峰"下、新たに山居を卜し草堂初めて成り、偶々東壁に題す)

writen by (白居易)



日高睡足猶慵起  日高く睡り足りて猶起くるに慵(ものう)し
小閣重衾不怕寒  小閣衾重ねて寒さを怕(おそ)れず
遺愛寺鐘欹枕聴  遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き
香炉峰雪撥簾看  香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看る
匡盧便是逃名地  匡盧は便(すなわ)ち是れ名を逃るるの地
司馬仍為送老官  司馬は仍(な)お老いを送るの官為(な)り
心泰身寧是帰処  心泰く身寧(やす)きは是れ帰する処
故郷何独在長安  故郷何ぞ独り長安にのみ在(あ)らんや


太陽はもう高くまで昇ったようだ、
私はもう充分、眠ったはずだが、まだ起きるのは億劫な気分だ。

こんな廃屋に住んではいるが、
布団を重ねていれば、なんとか寒さなどは我慢できる。

"遺愛寺"の鐘は、枕に身体を凭(もた)れかからせて聴くのがよい、


ここ"匡盧"の地は、名声から逃れるには都合のよい棲家であり、
"司馬"という官職は、やはり老後を送るのに、うってつけだ。

心が安らかで、この身が安寧でいられるのなら、
そこが私の帰りたいところだ。

故郷が長安でなければならない理由(わけ)なぞ、
断じて、あるはずもない。

※
"遺愛寺"(ゐあい-じ)
中国江西省"廬山"香炉峰の北方にある寺。
白居易の詩句
「遺愛寺の鐘は枕を(そばた)てて聴き....」で知られる。

AND

"香炉峰"(かうろ-ほう)
中国、江西省廬山(ろざん)の山中の山名。
南北の二峰がある。
雲気の立ち上る様が香炉に似るという。
白居易が「香炉峰の雪は簾(すだれ)をかかげてみる」と詩に詠じたのは、"北"香炉峰。



薀蓄(うんちく)


ABOUT"盧山"(ろざん)

江西省の北端にある。
北に長江、東にハ陽湖を臨む。
山筋は北東から南西に走り、長さ25キロ、幅10キロ。
最高峰は漢陽峰で海抜1474メートル。
その他、五老山、香炉峰などの峰がある。

古くは匡山、或いは"匡盧"(く-りょ)と言う。
伝説では、殷周時代、匡と姓の兄弟がここに盧を結んだことからその名が付いたという。

古来、景勝の地として知られ、「匡盧の奇秀、天下に甲たり」などと称えられ、我が国にも平安時代より、白楽天の詩などを通じてその名を知られていた。

白楽天は、江州(今の九江)に"司馬"(しば)として赴任してくる。

左遷である。

817年のこと。
彼は無聊を紛らわすために盧山の香爐峰の麓に草堂をつくり、
こんな詩を壁に書いたのでした。



AND...

「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集りさぶらふに、
『少納言よ、香炉峰の雪いかならん』と仰せらるれば、
御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば、わらわせたまふ」

"枕草子"(299)


『枕草子』の中の「雪のいと高う降りたるを」と始まる一文は、この詩を題材にしています。

中宮の「香爐峰の雪は?」との問いかけに対し、
清少納言が、すかさず簾をまきあげて人々を驚かせたというお話。

白居易の詩がいかに読まれていたか、
そして、「香爐峰の雪」が当時の貴族の常識中の常識であったことが知れます。

景勝地としてのみならず、宗教の修行の道場としても盧山は中国の人に尊ばれてきました。
東林寺は中国浄土宗の発祥の地であり、道教八仙人のひとり呂洞賓が修行し悟りを開いたとつたえられる仙人洞も盧山、山中にあります。

また、近世以降は長江沿いの九江から遠くないこと、夏も涼しいことなどから外国人により多くの別荘が建てられてきました。

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以下『源氏物語』(紫式部)yori
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第二段 
二月十日、薫物合せ
"The comparison of incense is done at Feb.10"

二月の十日、雨すこし降りて、御前近き紅梅盛りに、色も香も似るものなきほどに、 兵部卿宮渡りたまへり。

御いそぎの今日明日になりにけることども、訪らひきこえたまふ。
昔より取り分きたる御仲なれば、隔(heda)てなく、そのこと かのこと、
と聞こえあはせたまひて、花をめでつつおはするほどに、
前斎院よりとて、散り過ぎたる梅の枝につけたる御文持て参れり。
宮、 聞こしめすこともあれば、
「いかなる御消息のすすみ参れるにか」とて、をかしと思したれば、
ほほ笑みて、
「いと馴れ馴れしきこと聞こえつけたりしを、まめやかに急ぎものしたまへるなめり」とて、御文は引き隠したまひつ。

沈の筥(hako)に、瑠璃(ruri)の坏(tsuki)二つ据ゑて、
大きにまろがしつつ入れたまへり。
心(kokoro)葉、紺瑠璃(kon-ruri)には五葉(goyou)の枝、
白きには梅を選りて、同じくひき結びたる糸のさまも、なよびやかになまめかしうぞしたまへる。

「艶(En)あるもののさまかな」とて、御目止めたまへるに、

「花の香(ka)は散りにし枝にとまらねど うつらむ袖に浅くしまめや」

ほのかなるを御覧じつけて、宮はことことしう誦(zyu)じたまふ。

宰相中将、御使尋ねとどめさせたまひて、いたう酔はしたまふ。
紅梅襲の唐の細長添へたる女の装束かづけたまふ。
御返りもその色の紙にて、 御前の花を折らせてつけさせたまふ。

宮(Miya)、
「うちのこと思ひやらるる御文かな。何ごとの隠ろへあるにか、深く隠したまふ」と恨みて、いとゆかしと思したり。

「何ごとかはべらむ。隈々(Kuma-guma)しく思したるこそ、苦しけれ」
とて、御硯のついでに、

「花の枝にいとど心をしむるかな人のとがめむ香(ka)をばつつめど」

とやありつらむ。

「まめやかには、好き好きしきやうなれど、またもなかめる人の上にて、これこそはことわりのいとなみなめれと、思ひたまへなしてなむ。
いと醜(miniku)ければ、疎(uto)き人はかたはらいたさに、中宮まかでさせたてまつりてと 思ひたまふる。
親しきほどに馴れきこえかよへど、恥づかしきところの深うおはする宮なれば、何ごとも世の常(tune)にて見せたてまつらむ、かたじけなくてなむ」
など、聞こえたまふ。

「あえものも、げに、かならず思し寄るべきことなりけり」
と、ことわり申したまふ。

(cont.)
***********************
ABOUT "紫式部"(むらさき-しきぶ)
(973頃-1014頃)

平安中期の女流作家・歌人。
藤原為時の女(むすめ)。
はじめ藤式部と呼ばれる。
藤原宣孝と結婚、大弐三位を生むがまもなく夫と死別。
その後、源氏物語の執筆を始める。

才媛のほまれ高く、一条天皇中宮彰子(上東門院)に仕え、「白氏文集」を進講。
藤原道長や藤原公任らとの交流もあった。
ほかに「紫式部日記」「紫式部集」などの著がある。

AND"慮山寺"(rosan-ji)

正式名を慮山天台講寺というこの寺は、天慶元年(938年)に元三大師(慈恵大師)によって船岡山に創建された。
元亀二年(1571年)に織田信長の焼き打ちをまぬがれ、現在地に移された。
また、皇室の帰依(kie)が厚く、皇室関係の陵墓も多くある。

本堂の尊牌殿は、光格天皇の勅命により、仙洞御所から移築されたもの。
また、この地は"紫式部"の邸宅跡として知られ「源氏物語」をはじめ、ほとんどの著書がこの邸宅で執筆されたといわれている。

本堂前の「源氏の庭」は白砂を敷き、苔を配して、そこに紫式部にちなんでキキョウが植えられていている。
ちなみに、紫式部は日本で唯一フランスのユネスコ本部に
「世界の五大偉人」(世界最古の偉人並文豪)として登録された。

2月の節分に大師堂で行われる「鬼の法楽」は、赤・青・黒の鬼が踊りまわり、その鬼に紅白の豆と餅をなげて悪霊退散を祈願するユニークな行事。

※市バス府立医大病院前から徒歩3分
境内拝観自由
拝観時間:午前9時~午後4時/拝観料:400円

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"編集手帳"(3月30日付)

メディア論の学者マーシャル・マクルーハンが好んで語ったという言葉がある。

「誰が水を発見したのか分からないが、魚ではないだろう」

そこに棲(す)み、いつも目にし、接している魚は案外、水に気づかないものだ、と。
湖を見つけた鳥が舞い降り、湖面に差すその影を見て、水という不思議なものを知る、そういう魚がいたかも知れない

かつて、東京五輪でアントン・ヘーシンク選手の圧倒的な強さに触れ、柔道の魅力を教えられた日本人もいただろう。
いま、発祥の“聖地”でイチロー選手の華麗なプレーに触れ、野球の面白さを教えられた米国の少年もいるだろう

あるときは鳥になって海を渡り、
あるときは魚になって遠来の鳥を迎える。
スポーツの国際化とはそういうことであるらしい。
モンゴル出身、大相撲の白鵬関が大関に昇進した。
21歳、若い鳥である

26日に幕を閉じた春場所も、外国人力士の活躍が目立った。
モンゴル対決となった優勝決定戦を横綱朝青龍関が制し、三賞はモンゴル勢が独占し、十両ではエストニア出身の把瑠都(ばると)関が全勝優勝している

鳥の群れから、相撲という水の魅力を教わる小さな魚たちが増えてくれることを。
新大関の口上にあった「全身全霊」という言葉を借り、日本人の関取衆も…と、のど元まで出かかるのを抑えて、そう思う。

(2006年3月30日読売新聞)



Could you try it for "全身全霊"

(*^鵬^*)





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最終更新日  2006年03月30日 19時53分35秒
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