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これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和を築くための 【世田谷平和美術展】 私たち日本人は、8月に限らず、いつも先の戦争について思いを巡らすべきだと思うのです。そのよすがとなる時節はたくさんあります。12月の開戦の日、3月の東京大空襲の日、5月の沖縄占領の日、硫黄島玉砕、南方戦線壊滅、そしてそれぞれの地域の空襲の日── ただし、日本が敗戦した8月15日にとくに戦争について考えることは、決して無益なことではないでしょう。 実は私はまだ、みのりに「戦争」という事実があること自体を教えていません。 みのりが幼稚園の頃、まだ幼いうちに戦争の事実を伝えようと、沖縄の南部戦跡に向かおうとして──車を運転していたオットの方が、ある一定の地域に入った途端に「うわ。ここからは…よう行かれん」という事態にみまわれ、あえなく断念、という事件があってからというもの、子供に戦争を伝える機会を逃してしまっていたのです。 「ちいちゃんの影おくり」や「ガラスのうさぎ」「うしろの正面だあれ」など、子供向けの戦争の本もありますが、戦争に関してだけは、やはり絵本を読むだけでは理解が及ばないと思うのです。子供の心の中には「戦争」という概念すらないからです。 「戦争を知らない」ということは素晴らしいことですが、私たち戦争を知らない子供が身近なおじいちゃんおばあちゃんから「日本が戦争をした」ことを知ったように、わが子の世代もいつか「太平洋戦争」について知ることになるでしょう。ですが、その時には実際に戦争を体験した「おじいちゃん、おばあちゃん」から事実を聞くことのできる子供は、さらに少なくなっているはずです。「戦争を知らない子供たち」が、さらに「戦争をしらない子供たち」に事実を伝えていく難しさを、私たちは身をもって知ることになる世代に当たっているのだと思います。 こうした中で、私のチーフこと青葵さんが大きなきっかけを下さることになりました。 8月10日(火)から15日(日)まで世田谷美術館区民ギャラリーA室で開催されております「世田谷平和美術展」に青葵さんの連鶴の作品が出品されることになりました。 青葵さんによりますと、この美術展に出展することになったきっかけは、まさに「ご縁」そのものだったそうなのです。 青葵さんは今年の1月9日にご結婚されました。披露宴のお席にあった連鶴を、私は今でも大切に飾っているのですが、その会場には青葵さんお手作りのさらに大きな連鶴がテーブルに飾られていました。桃色の布の上に飾られてあったのですが、その布は、青葵さんが前日までいろいろと悩んだ結果、最終的に「これ!」と思って選んだものだったそうです。青葵さんのお母様の知り合いの織作家さんのもの、ということもあり、結婚式の日に更に暖かさをそえてくれるのでは、とお考えになってのことと伺っております。 そして、式の後、青葵さんのお母様がその織作家さんに、当日の写真をお送りしてお礼を申し上げたところ、その方が、鶴にとても興味を持ってくださったそうなのです。 和田薫子さんという方なのですが、その方は毎年この「世田谷平和美術展」に出展なさっていて、たまたま今年の事務局打ち合わせの時にその写真を持っていき、事務の方に見せたところ、「今年は、同時開催で『サダコと折り鶴』ポスター展もあるので、鶴も展示してはどうか」と事務局の方が話し合って下さったそうなのです。 そして、最初は、和田さんの織りの展示の一部にちょっとだけ置かせていただく、という予定だったのですが、和田さんから「お一人で一つコーナーをお持ちになってはいかが?」とご提案いただき、今回の出展の運びとなったと伺いました。 青葵さんはこの一連の出来事に、心底からご縁をお感じになっていらっしゃいます。 結婚式の時に、和田さんの布を使わなかったら。 今年の平和美術展の同時開催が『サダコと折り鶴』の企画ではなかったら──でも実際は、青葵さんは和田さんの布を選ばれ、平和美術展の企画は「折鶴」に関連したものでした。 きっと「原爆の子」のモデルとなった佐々木禎子さんが、どんなにか平和を皆様に祈ってもらいたいと思い、引き寄せたご縁だったのでしょう。 「原爆の子の像」といえば、こちらの日記のどこかに書いたかもしれませんが、聖マグダレナ女子学院の修学旅行先が広島と津和野だったため、行きの新幹線の中で沈黙しながらみんなで千羽鶴を折ったことがありました。出来上がった千羽鶴は、広島の原爆の子の像の前に捧げられました。禎子ちゃんの物語は小学生の頃に読んでいました。一緒に目を通していた私の母が「禎子さんとママは、同い年なんだわ」と言ったことが心に残っています。高校三年生でこの像を目の当たりにして、禎子ちゃんが生きていれば、ちょうど私たちくらいに成長した娘がいて、しあわせに暮らしていたはずなのだと胸がいっぱいになってしまいました。 青葵さんはおっしゃいます。 「これはなにか、平和への祈りを、私の小さな手の中から少しでも広げていきなさい、というお告げなのかしら、と思っております。この展示会は事務局の皆さまも本当にボランティアでやっていらして、新参の私としては、皆さまの平和に向ける思いにただ頭が下がるばかりです。そういう皆さまの展示に、多くの方に触れていただけたら、小さな動きでもまた少しずつ平和への願いが広がっていくことでしょう」 青葵さんは私の大学の同級生で、同じサークルで活躍なさった方です。そして、みのりの大先輩でもいらっしゃいます。大手広告会社のキャリアでありながら、ビーズ細工、書道、折り紙のプロであり、おせち料理もすべて手作りなさるというスーパーウーマンでいらっしゃいます。青葵さんのHNは家紋からお取りになっていらっしゃることからもわかるように、伝統の美をそのお姿からかもし出されている方です。 青葵さんの作品に触れるだけでも、私たちは心が洗われたような心地になることでしょう。 青葵さんの祈りを、禎子ちゃんの願いを、私たちもしっかりと受け止める夏にしたいです。 平和について、難しく考える必要はありません。マザーテレサも言っています。「平和はあなたがたの家庭からはじまる」と。 そして善き家庭に育まれた私たちの次の世代が、いつの世にあっても核兵器の前に折鶴を掲げて立ちはだかることができるように── 最後に、これはチャンピの体験なのですが、ぜひ皆様にご紹介したいお話です。 戦争と平和に関する番組で、チャンピがある特攻隊員の声を当てることになりました。知覧から飛び立つ前日に、若い父親が一歳になる娘に宛てた手紙を読む、というものです。 「素子へ 素子は御父様の顔を見てようく笑いましたよ。父の腕の中で眠りもしました。お父様はおうちを出るとき、素子の大好きなお人形をひとつ、戴いてきました。明日は御父様の乗る飛行機に、そのお人形も乗せていきます。ですから、素子と御父様はこれからもいつも一緒、ということです」 この手紙をOKが出るまで読み上げる作業は、頭がおかしくなるかと思うくらいつらいものだったと言っていました。収録が終わってしばらくしても、この手紙のことが頭から離れないでいると、ある不思議な出会いに恵まれたと言います。 それからしばらく経ったある日、チャンピが田舎の旧家を訪ねる用事があって赴くと、その家のご主人は学徒出陣で硫黄島にぎりぎりまでとどまった方だったのです。しかも、その碁仇として紹介された段々畑でじゃがいもを作っていたおじいさんはなんと、終戦の折、知覧の海軍の特攻隊にいたというのです。 「じゃ、じゃあ、植村眞久さんを知ってますか」 「知ってるもなんも。植村隊長だろ。だがあちらは帝大出身の将校さん、話しかけるなんてとてもとても。終戦直前、二十五歳の若さで部隊を率先して出撃されて…そういえばあんた、植村隊長に年格好が似てるの。とくに声がそっくりだ。隊長のことを切り出すくらいだから、親戚かなにかか」 「親戚とかではないんですけど…ちょっとご縁があって…」 「それより兄さん、その声でわしをモリモトと呼んでくれんかな」 チャンピが「久しぶりだな、モリモト」と声をかけると、おじいさんは両手で顔をおおってむせび泣きました。嗚咽の下から「隊長、御苦労様でございました」という言葉が何度も漏れました。 そのおじいさんとの会話は、それからずっと続きました。夏の初め、なんだか不思議な一日だったと、チャンピは言います。でも家に帰ったとき、なにかに癒されたかのように気持ちが持ち直っていたそうです。ご縁を結んでくれた植村隊長に感謝をしていると言っていました。 終戦のとき一歳ならば、植村隊長の一人娘の素子さんは、やはりチャンピや私の母と同い年です。その後幸せにお暮らしでしょうか── ◆応援ありがとうございます! 次回更新は9月1日(水)です。ひえー、もう学校が始まってまう~(←英弁) ◆フリーページに【Pi:e:ta】第14節をアップしております。
2010年08月14日
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7月20日、家族で健診に行きましたv 【小夜子による保健体育の時間^^】 興味ない方には世界で一番興味ないであろう「胎児」についての話題です。 実は私も自分の子供が生まれる前までは、「妊娠」やら「育児」のカテゴリーについては、まったく無関心でした。とくに妊娠に関しては、大人になってからしばらく経っても、「危険日」とは「セイリの最後の日から数えて14日目前後」だとばかり思っていたわけで、なにかの折にみんなで(まじめに)そういう話をしていたら、ヒロに「えっ! 危険日ってセイリが始まった日から数えて14日目あたりのことをいうんだよ!」と指摘されて、「えええーっ!!! そんな大事なコト早く言えよーっ!!!」とヒロの胸ぐらをつかんでしまったことがありました。ヒロにとっては、とんだとばっちりだったわけですが(笑)。そういえば、以前どこかで松丸が「中坊のとき、たっちゃんが危険日について聞きまわっているとなりで、ヒロはかなりの知識人だった」みたいなことを書いていましたっけ^^ 「危険日」のお話はともかくとして、「妊娠」「育児」については、皆様の将来にご自分の身やパートナーの身に高い確率で起こり得る出来事といえるでしょう。そこで、私のささやかな体験をこの場を借りてお話しさせていただければ、とても嬉しいです☆ また、これからご紹介させていただく出生の過程は、実は私たち誰もが通ってきた姿でもあります。私たちの最期の時の姿は、それぞれ皆違っていることでしょう。けれども、発生の時の姿は誰もが等しく同じです。私たちは皆、1mmの受精卵から発生し、一週間かけて卵管を通って子宮に着床し、8mmになり、2cmになり──10ヶ月後には50cmにもなって生まれてきたのです。 さて、はじめに、もしかして妊娠!?と思ったら、なぜ早めに産科を受診したほうがいいのでしょうか。今は簡単に調べられる妊娠検査薬が薬局で売られています。検査の結果、陽性の場合は100%妊娠していると確定できます。けれども、子宮に着床せずに卵管で着床してしまう子宮外妊娠の場合や、受精はしたけれど受精卵が育たなくて流産をしている場合も、同様に検査薬のみの判定では陽性として出てきてしまいます。子宮外妊娠も流産も、時間が経てば経つほど母体に大きなダメージを与えることになってしまうので、検査薬で陽性が出た場合はすぐにでも産科に行ったほうがいいのです。 さて、妊娠週数は最終月経の開始日を0週0日として数え、0~3週が妊娠一ヶ月、4~7週が妊娠二ヶ月です。最終月経初日から約二週間目に排卵、受精が起こり、この時にはすでに妊娠二週と考えます。ゆえに、妊娠0週と妊娠一週は妊娠していない期間なのです。妊娠二週目の受精後、さらに一週間をかけて受精卵は無事に子宮内膜に着床し、妊娠が成立します。これが妊娠三週目ということになります。つまり、予定月経が一週間ほど来なくて、妊娠に気づいたときには早くて妊娠5週、妊娠二ヶ月になっています。受精から266日の期間を経て、赤ちゃんは誕生します。今、私は8月1日現在で11週0日となっているので、妊娠三ヶ月の最終週を迎えたことになります。来週は12週になり、四ヶ月目に入ります。 これは6月29日、初診の際の画面です。妊娠6週2日目の様子です。 子宮に2cmほどの穴があいています。これが受精卵を包んでいる袋(胎嚢)です。これが映像で見えれば子宮外妊娠の心配はありません。赤ちゃんの原型である胎芽も、よく見るとうっすら映っているのがわかります。胎芽はまだ8mmほどの大きさしかありませんが、この影が見えることで流産の危険も回避されていることがわかります。胎嚢は見えても、胎芽がいつまでたっても見えないことがあります。そのときは、赤ちゃんの姿が見えるまで少し心配ということになります。 これは一週間後の7月6日の映像です。7週1日目です。 胎嚢もひとまわり大きくなり、胎芽もはっきりと写るようになりました。頭と胴体が離れているようにも見えますが、上の小さな○は卵黄嚢といって、いわゆる「たまごの黄身」に当たるものです。俗に「天使の輪」とも呼ばれています。そして下に写っている落花生のようなかたちが、胎芽ちゃんです。胎芽は胎盤やへその緒から栄養を受けるまでは、この卵黄嚢から栄養をもらいます。 胎芽は2cmに成長しています。一週間で二倍になったのです。 超音波検査では、落花生のくびれのような部分が、うっすらとパコパコしているのがわかります。心臓の拍動です。拍動が見えれば、また一安心ということになります。拍動が確認されれば、検診は一週間に一度から、二週に一度のペースになります。 4~7週では、脳や脊髄の神経細胞のおよそ80%がこの時期に作られ、目や耳の視神経、聴神経、脳が急速に発達します。心臓、肝臓、腎臓、胃などの臓器の分化も始まります。4~7週は器官形成期といい、最も重要な時期なのです。 子宮はふだんの鶏卵大からレモン大の大きさになりますが、外見上、おなかの大きさに変化はありません。胎児の爆発的な成長エネルギーによるものなのか、7週頃から「つわり」が始まります。12週以降、胎盤の完成とともに、次第につわりの状態はおさまっていきます。 そして、冒頭にもあげたこちらの映像は7月20日のものです。9週1日になりました。 妊娠8週から、いよいよ「胎児」と呼ばれるようになります。妊娠7週目までに人間としての姿を整え、大半の体の機能を整えた赤ちゃんの様子です。たった二週間で、手から足から生やしてきたのが見て取れます。これからの毎日は、8ヶ月後に母体から離れてひとりで生きていくための訓練期間です。 胎児ちゃんの下方から、細い線状のものが上がってきているのがご覧になれますでしょうか。 これがへその緒になる血管束です。 血液循環が始まり、心臓の拍動はかなりしっかりしてきて、超音波に乗せると一分間に140回もドックドックと打っているのが聞こえます。 子宮は握りこぶしくらい、オレンジ大になっています。下腹部に手を当てると、なんとなくふっくらと感じるようになります。胎児ちゃんの身長は二週間前の二倍、4cmになりました。映像では、ちょこちょこ身体を動かしている元気な様子が見えました。 8月6日の画像です。11週4日になりました。 画像の左端に規則正しく並ぶ白い点々の目印は、ひと目盛りごとが1cmを表しています。これによって、だいたいの胎児の大きさが測れるというわけです。胎児もだいぶ大きくなって、肩ができてきたのが見えます。こんなに小さいのに、肩まで揃えているのですね。身長は三週間前のおよそ倍。8センチになりました。 胎児の成長に問題はないにしろ、今回の健診で少し不安な指摘が。 前回の血液検査の結果によると、ちょうど三週間前に「風疹」に再感染した可能性があるとのこと。私は鳥取時代の小学三年生の折に風疹の感染歴があることと、中学時代にさらに予防接種をした履歴が残っていることを言うと、「感染したことがあるならば問題ないでしょう」という太鼓判を押していただきました。 風疹の感染で胎児に生涯の発生する率が問題となるのは、妊娠20週までの間です。この時期に母体が風疹に罹患した場合、胎児にもウイルスが感染し、心臓奇形などの先天性風疹症候群という障害を持った赤ちゃんが生まれてくることがあります。妊娠8週ごろでは50%に重度の異常が出るというデータもあります。私の風疹抗体価が「High」の数値に上がったのは9週目なので、ちょっとひやっとしましたが、小さい頃に罹患していることと、予防接種も済んでいるということで、たまたま巷にある風疹のウイルスと接触することがあって、それで抗体価だけが上がったのだろうという見解になりました。 私の身に思いがけず心配ごとが持ち上がったこともあり、妊娠中の感染症については、また別の日記で詳しく書かせていただければと思います。妊娠を控える女性にとって、とてもとても大切なことだからです。 さて、妊娠21週までに、なんらかの理由で妊娠が中断してしまうことを流産といいます。そのほとんどは妊娠初期といわれる12週くらいまでに起こっています。また、胎盤が完成する15週を過ぎると、流産の可能性はぐっと少なくなります。私の場合、15週を通過するまでには、あと一ヶ月以上あります。日常生活に臆病になることはありませんが、この時期はちょっと慎重に過ごした方がいいのかもしれません。 ちなみに、母子手帳は担当の先生から「もらってきてください」との指令が出てから、各自治体の出張所などに受け取りに行きます。ハンコも身分証明書も要らないので、手軽にもらえます。しかも、妊婦自身がもらいに行かなくても大丈夫なのです。我が家は一家をあげてもらいに行きましたが(笑)。母子手帳は各自治体でデザインが違うので、それもとても楽しみ^^ みのりの時はキャラクターではない図柄でしたが、今回いただいた母子手帳はミッフィーの表紙でした☆ 嬉しい♪ ご心配をおかけしている「ザ・つわり」ですが── つわりは妊娠に気づく頃から大半のママが経験し、胎盤が完成した後の妊娠16週前後まで続くといわれています。私にとってはあと一ヶ月も先のことになるけれど…いま最も自分の感情としっくりくる平原綾香の「Jupiter」をBGMに頑張っています!(透子さん☆ まねっこさせてください^^) 今はとにかくおいしいものをおいしく食べたい。そんなつわり明けの日を夢見て、毎日毎日、TVでお料理番組ばかり見て過ごしています(笑)。料理番組の特集がないと、3分間クッキングでもいいから料理の映像を見たい!と思ってしまうくらいにハマってます^^ みのりの時は「スプラッタ映画」だったんです; もうあんな映像、二度と見る気もありませんが…こんなおどろおどろしいモノ見たがるなんて、いったいどんな子が生まれてくるのだろうと思っていましたが、生まれてきたのはとってもおっとりとした、おとなしい気質の女の子でした(笑)。「つわり」って不思議ですね;; 皆様の応援が胸にしみます。きっと元気な子を産んで、ご恩に報いたいと思います。 いつかヒロのように「武勇伝」としてこの状況を綴れる日がくるのだろうか(笑)。 ◆応援ありがとうございます! 次回更新は8月15日(日)です。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第13節をアップしております。
2010年08月01日
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