山口小夜の不思議遊戯

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2005年09月30日
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 喜平じぃは並ならぬ人物であった。

 この集落のうちで、最も長命を得てきた喜平じぃは、年を重ねるごとに、驚くべき量の物語をたくわえていった。
 目はかすんでいたが、そのおぼろげな視界の中で、彼は誰にもかなわない明晰さでものを見ていた。耳も遠くなっていたが、なにか重要な事柄がその耳に届かないことはなかった。

 そして最近、もっとも並はずれたことが起こり始めていた。

 いまは衰えつつある五感に頼ることなく、喜平じぃは生きとし生けるもののすべてを感じはじめていたのだ。
 少年のころから、彼には特別な賢明さがそなわっていたが、これと比べれば問題にならなかった。自分は年老いた、疲れたという気分を感じるどころか、喜平じぃは自分のなかに生まれたこの奇妙で謎めいた力に、おおいに勇気づけられていた。

 しかし、長い時間の果てに訪れたこの力を、喜平じぃはある徴(しるし)ではないかと考えはじめた。

 今日、豊と語り合っているときもそれは訪れた。

 あれは啓示だったのかもしれない。

 喜平じぃは彼自身の人生を終わりにする合図だと思いはじめていた。
 そして彼はこの考えをすっかり受け入れると、彼の妻として、ずっと長い間連れそってきた老女に優しく声をかけた。

 ──もう、眠るとしよう。

 それから、ある不思議なことが起こった。
 喜平じぃはふと外から幼い頃の呼び名で呼ばれたような気がして、ひとりで縁側に立った。
 あたりは誰の姿もなかった。
 雪の音が聞こえる、と喜平じぃは思った。雪片のひとつひとつが、大地に落ちる音が聞こえてくると思った。
 この世のものならぬ響きに包まれて、喜平じぃは冷気の中に立ちつくした。


 ──わが名をよびてたまはれ。

  いとけなき日のよび名もて わが名をよびてたまはれ

  あはれいまひとたびわがいとけなき日の名を

  よびてたまはれ

  風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ

  庭のかたへに茶の花のさきのこる日の



  よびてたまはれ

  わが名をよびてたまはれ


 喜平じぃは詩(うた)を唱えはじめた。
 ちょうどその時だった。

 喜平じぃの大いなる叡智は、相生の民に向かって崩れ落ちた。
 人生の終焉にあって、喜平じぃは生命のある頂点に達し、そのまま肉には戻らなかった。
 彼は鳥取の大地そのものとなったのだった。

 次の朝、無限のやすらぎが喜平じぃの命の糸を引っ張ったのを、じぃの愛してやまなかった家族が見つけた。
 陽の光が縁側にこぼれおちて、喜平じぃの身体の上に大きく暖かな輪を作っている、うららかな早春の日のことだった。


 鳥取物語 三年生編・完

 本日の日記---------------------------------------------------------

 今日で三年生編と四年生編に分かれる鳥取物語の、前半が完結したことになります。
 八月下旬より、皆さまの温かい応援のおかげさまで、毎日更新がかない、今日という日を迎えることができました。ほんとうにありがとうございました。皆さまに心からの感謝を申し上げたいと思います。

 当時、鳥取の小学校では、なによりも毎日の日記を重視していました。
 私は今、母が数々の引越しにもめげずに執念でとっておいてくれた自分の大量の日記を前にしています。日記をつけることを教育の念頭においていた、鳥取の橋本先生に感謝いたします。

 明日より番外編●呪の子●が始まります。小夜が越して来るずっと前の、ある出来事にまつわる秘密めいたお話です。相生の民が隠す秘密を、探しにきなんせ。





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最終更新日  2005年09月30日 07時30分38秒
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