山口小夜の不思議遊戯

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2005年12月16日
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 静はゆったりと肘掛け椅子に上体をもたせかけながら、血も凍るような伝承を兄弟たちに語り始めた。

 ──誓約を交わすときはお神酒じゃなくて、血の酒を酌み交わすというよ。それはとりもなおさず【うろ様】の血族だということを、きちんと証明するいうことにほかならない。しかも、それを必要とされるのは二十八年に一度。それも、たったのひとり・・・・・・。ならば、それをひとりの勝手で拒んだとき、【うろ様】はどうするかな。

 そう言葉を切り、静は兄弟ひとりひとりの顔を見据え、それから、ことさらゆっくりとそれを口にした。

 ──直系といったって、守宿(すく)以外、男は結局役立たずなわけだ。濃すぎる血を持て余した男たちを・・・・・【うろ様】は間引くだろうな。見せしめとして、守宿が立たないかぎりは、それ以外の男たちをひとりずつ。

 しばしの沈黙があった。

 豊といえば、静のやつ、医者というよりどこかの教祖さまでもやれそうだな──とは思ったが、枷でも嵌められたかのように、その口から憎まれ言葉が出なくなる。
 どうやら、こいつとの相性の悪さはとことんらしい。

 豊はこの兄に、物心ついた折りから徹底的に勉学を仕込まれた。

 長じれば英語や漢文の原典購読は当たり前。学ぶことは嫌いではなかったが、居丈高な兄に頭ごなしに叱りつけられて頭に血が昇り、鼻血を出したことも一度や二度ではない。
 そんな時でも、この兄は眉ひとつ動かさずに、拭け、とだけ一言おいて学習を続けさせた。幼い豊も指の間から血を滴らせながら、ただの意地だけで帳面に向かった。目の前の白い紙の上に、瞬く間にぽたぽたと血が落ちて、いくつもの真紅の染みを作っていった。その異様な光景は、茶菓子を持って入った母が心配するほどだったという。

 おかげで豊は、その学校教育の半分は寝て過ごしてもなんら支障のない学力が備わったのだ。実際、彼はありがたくそれを実行してはばからなかった。静が家を出ている今となっては、その意地の張り合いも懐かしい思い出だと思っていたのだが・・・・・。

 ──【うろ様】に捧げるのは、混じりけのない、濃くて精練な血であればあるほど最高の貢ぎ物になるそうだ。守宿が代替わりする年は、山も殺気だってくる。だから《御魂鎮》の神事が必要なんだ。そのために、直系の清童の血肉でもって、【うろ様】を鎮めてもらわねばならん。そうでなければ、不二一族の男たちすべての命運に関わる。

 静の真摯な訴えとも聞き取れる言葉が途切れる。
 だが、豊は屈託ないふうを装って、それ笑い飛ばした。

 ──おもしろいっちゃ。なら、なんしてなかごさま(彼らの曾祖母で先々代の守宿)は守宿だった? あの人は男ではない・・・・・・女だが。

 ──だから・・・・・・男を間引いて、女が血を残すこともするんだってば。男の守宿が立つ時は、女性である【うろ様】に種を捧げる。女の守宿が立つ時は、【うろ様】を直接に守宿に‘降ろす’。女の守宿が立つと、【うろ様】の嫉妬に遭って次世の守宿以外、彼女が関わってきた男は全員淘汰──つまり間引かれるというよ。百年近く前のなかごさまのときがそうだった。

 ひくり、と思わず息を呑んだのは、そこに居合わせた全員であった。
 静は片眉を吊り上げて末弟を見つめ、豊は双眸を凝視させたまま次の言葉をつかのま、呑んだ。

 だが、彼が次に訊ねてきた問いに、静は思わずそれまでの調子を崩して椅子の背にのけぞりそうになった。


 ──当たり前だ、ばか! おまえ、何年この家で暮らしている。

 ──うろ様は、女・・・・・・。
 豊は次兄の驚愕に満ちた怒声には気を向けず、ゆっくりとくり返した。

 ふだんはとらえどころのないようにも感じられる、柔和に過ぎるその顔に、内側からふっ・・・・・と賢い思慮深さがにじみ、まだ遠くない記憶をじっと辿るように、そしてそこによみがえってくる映像をいぶかしむように、視線が虚空をあてどなく彷徨った。

 末弟のあまりの不甲斐なさに無意識に額に手をやってうつむいているようだった静が、実は落ちてきた前髪を透かして、その表情の変化をじっと見守っている。



 だが、その場ではそれ以上の話は続かなかった。
 あまり知られていないことだが・・・・・呪師は我を忘れるほどに気が急いているときなど、自らそうとは知らず使い魔を遣っていることがある。たとえば、車のキーなどは不二屋敷のなかをよく飛んでいるということだ。

 それだけの力を持つ若者たちが、気の昂ぶるままに舌戦を繰り広げるとき、そのエネルギーが様々な‘モノ’を呼び寄せてしまうことになる。
 今もはや、屋敷のあちこちで家鳴りがし、あまつさえはるか高みの梁から、一同の頭上に大量の埃が落ちかかってくる。
 これはもう、階下での出来事を鎮静化する頃合いであろうことは間違いない。

 こういうときは・・・・、

 ──つまり、ゆたには今までの家事全般トンヅラのツケを身体で払ってもらうってことっちゃな!

 空気を読めないことで一族にその名を轟かす円が、にこにこしながら、その場を〆にかかる。

 こんな時ばかりは、そこにいる誰もが円のことを拝みたくなるのだ。
 大切な一日、兄弟げんかで屋敷を軒並みぶっ壊しているわけにはいかないし。

 ──よーし! 一族の命運に関わるっちゅうことなら、なんとしてでもゆたに行ってもらわにゃならん。用意にも力が入るでぇ!
 円は大きくのびをしながら、会議は収まったとばかりに土間を出ていってしまう。

 ──夕立が来そうだから、お支度は早めに仕上げななぁ。
 双子の姉たちも真顔に返り、あわてたように連れ立って行ってしまった。

 両手で顔を覆ったまま、ずるずると壁にもたれかかる豊を、静が無表情な顔で見下ろしてくる。






 静さん、ごめんなして。
 今日はちょっとだけ備考を付け加えさせてくださいな。

 【飛鳥と鳥取】──安守宿について──

 古代の渡来人たちは、難波津へ着くと、大和川を遡行しながら、なおも前方に二上山の姿を見守り続けて曳航しました。

 やがて大和川は生駒山脈の尽きる西南麓の柏原で大きく迂回して、生駒・葛城両山脈の切れ目の峡谷をなす亀が瀬へと遡っていきますが、支流の石川はそのまま柏原から葛城・金剛山脈の西麓へと遡っていきます。

 遠い古代に、多くの渡来人たちが遼かに来たものだと安堵と深い物思いで遠望したであろう二上山は、じつはこの石川に羽曳野の古市の手前で合流している河内の飛鳥川渓谷の上流にあります。

 この飛鳥川のほとりの河内の飛鳥は、私たちに馴染みの深い大和の飛鳥が<遠つ飛鳥>と呼ばれているのに対して、同じように<近つ飛鳥>と呼称されています。

 この一対の呼び名は、早くも『古事記』の履中天皇の即位前の条に見られます。この近つ飛鳥からは、悲劇の皇子である大津皇子が眠るニ上山の北を越えて大和の遠つ飛鳥へ出ることができます。

 ちなみに、「飛鳥」という地名は、<飛ぶ鳥の明日香>と『万葉集』にも歌われているように、明日香の枕詞の「飛ぶ鳥」に由来していることはよく知られていることですが、アスカの語源については諸説があって定説を見ません。

 河内の<近つ飛鳥>についてですが、同地域が奈良時代に河内国安守宿郡(かわちのくにあすかべのこおり)と記載されていることから推して、また人名にも河内国安守宿郡の住人として、百済安守宿公などと記されていることからも、アスカは当時の百済語の安守宿に由来しているという説に、私も加担しています。余談ではありますが、これらの地に点在する、‘駒’の名は<高麗>がその語源であると明記してさしつかえありません。

 アスカとは、渡来人にとっての、安住の地の意であるのです。もっとも渡来人の多かった大和・河内・山城の各地に、飛鳥の地名が多いといいます。むべなるかなです。

 なお、明日香が飛鳥と表記されるようになるのは、おそらく天武朝の末年の元号である朱鳥(あかみとり)を契機にしているとされています。

 ところで、もともと大和の明日香のいわば発祥の地は、倭漢(やまとあや)の始祖とされている阿知使主(あちのおみ)を祀った於美阿志(おみあし)神社とされています。漢・魏・晋にわたった漢人たちの慰留文化の栄えた朝鮮半島の楽浪・帯方の地から、あるいは江南から、戦禍を逃れて漢人の亡命者が一族郎党を率いて大挙──彼らにとっては春秋・戦国・秦漢以来の憧憬の地である<蓬莱島>ないしは<扶桑国>(いずれも日本のこと)をめざして来日し、この高度な知識と技術とによって、倭朝の文明開化に一役も二役もかって出たのです。

 大和安守宿の民は、やがて歴史からその名を隠すにあたり、どうして同じく‘鳥’の字を戴く土地に移り住まなかったことがあるでしょうか。

 鳥取の地に今も継承される‘守宿’(すく)の守る隠れ里は、遠つ国より渡りし鳥(渡来人)が羽根を休めた安住の地。

 外来の民が地神に居住を希(こひねがう)とき、一族を率いる守宿の若者こそが、神と人とを結ぶ、真幸(まさき)の手立てであったとすれば──。

 飛鳥は安守宿。
 安守宿はすなわち、守宿のまします安き土地。

 豊さん、聞こえますか。

 きみよ。
 きみは聞かずや古のまれびとの里に吹きわたる、遥かなる日に飛び来たる鳥の翼の風切る声を。


 明日は●両親●です。
 実は豊は母と、ある秘密を共有しているようなのです。
 その彼が、とうとう出立の準備にかかります。
 けれども、その禊から髪梳きから、自分の手で支度してはいけない決まり事があるようなのです。
 タイムスリップして、不二屋敷の浴室に集まりなんせ(←本人は嫌がるだろうなぁ)。



◆番外編登場人物のご紹介は こちら へジャンプ。
◆備考として、番外編の 「呪の子」 を読み返していただければさいわいです。


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最終更新日  2005年12月16日 11時12分08秒 コメント(6) | コメントを書く


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