山口小夜の不思議遊戯

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2006年01月20日
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 めっかちは六校時の理科の時間に、橋本先生から受けた「固体・液体・気体」の質問に、なにを勘違いしているのか、返答に困り果てていた。

 ──なんも、難しく考えることではないが。めっかち、雪が溶けると何になるっちゃ。

 いくら先生に訊かれてもどうにも考えが浮かばないので、めっかちはとうとう隣で六年生の理科を静かに自習していた豊に援けを求めた。

 ──なぁなぁ兄さ、雪が溶けると何になるん?
 ──春やろ。

 これには先生も参ってしまって、教室はしばし笑いの渦となった。
 言った豊の目が少し翳っているように見えたのはめっかちの気のせいか。
 そしてもうひとり、みんなの笑いに和せないでいる子がいた。みくまりだった。



 しかし、大人たちは別れを告げる者の気持ちを尊重して、子供たちには決して口外しなかった。大人同士の別れの宴も、小夜の家で内密に催されていた。みくまりも小夜のきつい口止めを、裏切ることはできなかった。

 小夜は見事な引き際を見せた喜平じぃを思い出していた。
 そして、今は何よりも村の平和を重んじる気持ちが先行していた。

 去年の冬は、喜平じぃへの弔意を込めて、相生の里は布団にくるまったままの冬だった。
 ときおり子供たちが外にくり出す以外、里人たちはめったに自分たちの屋敷から出ようとしなかった。人々は火のまわりで長い時間を過ごし、その季節はやがて‘たくさんの火の冬’という名で知られるようになった。

 誰もが力ある春が来るのを待ちかね、そして最初の氷が砕けるころ、彼らはまた日々のなりわいに精出し始めた。

 その年は、田の神(←水霊)の援けもあって、新しい田んぼが里から遠く離れた場所に開墾された。たくさんの水と家畜の食べる草にも恵まれた、よい場所が見つかったのだ。
 野の獣が数えきれないほど繁殖して、狩りはうまくいき、その折りに傷を負った者はほとんどいなかった。夏の終わりには、たくさんの子供が大方の者の記憶にないほどの数で生まれてきた。

 彼らは外界の人の通る路から遠く離れて過ごし、里に属さぬ者にはひとりも会わず、わずかな数の市政の人を見かけただけだった。思いわずらうべきことはほとんどなく、人々はしあわせだった。

 自分たちの移動のために、この穏やかな相生を喧騒にまきこむことはしたくない。

 また、小夜は送別会などをすることによって、仲間たちに区切りをつけられてしまうのが怖かった。すでに幼稚園と小学校で二度の転校を経験している小夜は、そんな哀しい知恵をつけていたのだった。


 小夜の下校を待って、一家を乗せたトラックは、一路横浜を目指して出発する。

 これでよいのだ、と小夜は思った。たとえわがままな選択であるとしても。

 小夜は教室の中にあって、ひとりずつに心の中でお別れを始めた。
 明日からは、もう彼らとは会えない。そしてもう二度と一緒に遊ぶこともないだろう。

 小夜はまず、朝からうつむいたままでいるみくまりに語りかけた。



 次に小夜の目に、時の大将田中綾一郎の姿が映った。
 彼はたくましい中にも、どこか都会的な雰囲気のある少年だった。小夜は綾一郎の格好のよさがあれば、大きくなって市街に出ることがあっても、充分溶け込むことができるだろうとふんでいた。彼がそれを望むかどうかは別としても。

 ──大将、大将のことだから、黙って行ったことを知ったらば、烈火のごとくお怒りになるっちゃな。
 ──あかえ兄、来年の大将の勇姿、見たかった。
 ──てつ兄、喜平じぃのこと、語り継いでください。
 ──いはれ、横浜にもこれまで通り、情報伝えてな。
 ──ますら、兄さを見習って、強い大将になりんさいよ。
 ──めっかち、あんたはまだこまいけど、いつかは大将ね。

 ──いしきな、ににぎ。皆生、己生、神生の大将たち、お世話になりました。

 そこまで思い浮かべて、小夜はこれ以上の物思いを自ら律した。

 そうして想い続けていれば、思い出はいつまでも色褪せることがないというのか。
 小夜は知っていた──否。
 あの兄さは言った。胸に想うのは、いつでも一番ではなくてよいことを。

 想い描くいちばんの人は、消えてしまう。
 離れてしまう。遠くへ。

 今日、自分が手放すものが何なのかを、小夜はもうわかっていた。
 くり返される出会いに、その面影は薄れるだろう。
 それでも最後にそれを選び取ればいいのなら──。
 この別れの日にも、なにをおそれることがある?

 分校はとうとう下校の時間を迎えた。

 そのころには、すでに遠つ国への移動の波が、里の子供たちには見えも聞こえもしない潮流が、小夜の仮寝の屋敷のほうで湧き起こっていた。

 それはまもなく、小夜を押し流すだろう。
 その秋は彼女が過ごした、よい時代の最後の季節となるだろう。
 彼女の時は相生の里から失われ、そして永遠に戻ることはない。

 そして、豊は・・・・・。







 おそらくは本日の日記もこれで最後です。

 まだまだ‘知られざるやまとことば’シリーズも、お話し申し上げたいことが有り余っておりますが、いちおうのキリということで今回の語句でシメとさせていただきます。

 以前、 こちら でご指摘があったのを拝読させていただきました。確かに実験的な企画ではありましたが、皆さまにはこれまでにご支持をいただき、ありがとうございました。

 【いのる】祈・祷

 心に祈念することが「いのる」ことなのでしょうか。

 漢字の「祈」は軍事に関係し勝利をいのり、「祷」は農耕の豊作をいのる意が原義です。
 では、日本語の「いのる」にはどんな意味があったのでしょう。

 一般に祈るといえば、神仏に対し、ことばに出して幸福を願うことをいいます。反対に「呪(のろ)う」といえば、不幸になるように呪詛することをいいます。

 「イ」はイミ(斎・忌)のイと同じく、神聖なるものの意です。ノリはノリ(法)・ノリ(告)などと同根です。みだりに口に出すべきでないことばを口に出す意、というわけです。また、類義語のノロヒとは呪(まじない)をして禍を招くように祈る意です。トナヘは呪文を口にする意。ネガヒは、神を慰め、その心を安らかにして、自分の望みをかなえてくれるような取り計らいを期待する意です。

 つまり、神聖な忌むべきことばを以て、神に申し願うことをいうのです。
 また、「のる」(宣・告)ということばは、本来上から下へ上意下達、命令を含んでいます。神の言葉、尊い貴人のことばであるがゆえに規範(法)となりました。こう考えていくと、「神に祈る」といった場合、神々に幸福を強要することになるわけです。

 日本の民俗行事の中には、このような神々に強要・強迫し祈願を成就することがあります。
 例えば、お正月の「成り木責め」。柿の木などに鉈をあて、「なるか、ならぬか」責め、秋の実りを確実なものにするのです。このような点に注目して、「イ罵(の)り」から「祈り」へと言葉が変化したという説もあります。

 いのる、という語のこのような強迫的な用法・意味からすれば、神を祭る神職の敬意に満ちた祈願の言葉を「ノリト」というのは不可解なことに思われますが、呪術というものの原義はここにあるのであり、呪術の段階におけるノリトは、命令的・宣告的であって、同時に祈願的なものでもあるのです。

 ここで、【のりと】祝詞についても触れておきます。

 祝詞はなぜ大和言葉を使うのでしょうか。
 神祀りのときに神職が神に祈って奏上するのが祝詞です。独特な抑揚で語尾は長く引きます。難しい言葉がたくさんありますが、耳をすましてよく聞いていると意味がわかります。すべてが大和言葉であるからです。もっとも、最近は大和言葉に言い換えのできない外来語もあって、神職の方は祝詞作文に四苦八苦しているようですが。

 日本では古来より、ことばには言霊があて、よい言葉はよい結果を生じ、悪い言葉は凶事(まがごと)を生ずると信じられてきました。ですから、できるだけ美しい言葉で、まごころから発する言葉が大切にされました。もちろん、日本古来の神々であるから、大和言葉でなくては、ほんとうの対話ができないと単純に考えられていたのでしょう。

 「のりと」の語源については、ノリは宣の意、トはコトド(絶妻之誓)のドと同じで呪言(じゅげん)の意です。すなわち、神々の徳をほめたたえ、神に種々のものを奉り供えることを申し述べて、神のめぐみ(生活の安穏、多収穫、罪の祓え)を得たい旨をねがう神聖な言葉と解説されます。

 コトドとは、イザナギとイザナミの神話に出てくる言葉で、死にゆく妻神と夫が最後の言葉を交わすことを「絶妻之誓」(『日本書紀』)と表記して「ことど」と読ませ、『古事記』にも「ことどをわたす」ことが記されています。(注:妻に対する絶縁状ではありません!)。
 また、詛戸(とこいど)といえば、呪詛のことばや呪物をさすので、これも「のりと」の「と」と同じ言葉であることが考えられます。

 かくして、祝詞は神に宣る言葉となるのですが、神に申し上げる言葉であるから、大切な上にも大切にされ、祝詞を書くためにわざわざ「宣命(せんみょう)書き」という表記法をとります。宣命とは和文体の詔勅のことで、神に申し上げる言葉を読み誤らないようにする工夫であるともいえます。

 宣命書きは『古事記』や『日本書紀』の原文のように、すべて漢字を用いますが、原則として「日本語の語順に従い、主として名詞・代名詞や動詞・形容詞の語幹などが正訓字で大きく書かれ、助詞・助動詞や用言の活用語尾などが万葉仮名で小さく書かれてあるのです。

 以上、神様たちのお喋りのヒミツを書き連ねて参りました。


 明日は最終章の最終節●豊、豊、豊●です。
 さよなら豊さん。
 ──‘さっちゃん’のうたのように、君はぼくのことを忘れてしまうんだろ、と言った人。
 タイムスリップして、さっちゃんとゆたさんのお別れの場に、皆さまも一緒にいてくださいな。


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最終更新日  2006年01月20日 03時26分09秒
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