2020.07.04
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カテゴリ: 京の見どころ
 前記事に続いて明治の人物のご紹介です、昨年11月に記事にさせて頂いた坂本龍馬、その折に近くでUPしますと記したまま今日になりました、桂小五郎の京都でのエピソード写真と共にご覧下さい  (当時の写真は、幕末維新を見るから頂いています)
(記事 長編小説???です、お時間の許す折に見てください、ただ最後にご挨拶していますのでチラッと見て下さい)

維新三傑の一人
木戸孝允 (桂小五郎)と常に傍にあり支えた 幾松 (松子)の京都での足跡

 維新三傑は、大久保利通・西郷隆盛そして木戸孝允(タカヨシ・桂小五郎)、明治維新への改革にそれぞれ指導的な役割を果たした三人を云います
 桂小五郎(維新までの武人時代はこの名です)、長州藩藩校明倫館で山鹿流兵学教授であった吉田松陰に師事し、兵学を学びその才能を磨き藩の許可を得て江戸へ留学、剣術道場練兵館でその塾頭になるまでの厳しい修行の傍ら多くの志士たちと交流、長州藩の尊攘派のリーダーへと成長します

↓木戸旧邸 茶室として使われていた部屋の障子壁 (旧邸一番後になります)




 ←上京区三本木界隈(御所の東) 吉田屋跡
 桂小五郎
1861年長州藩の尊皇攘夷派と共に京都に入る、ここにあった「吉田屋」で芸妓だった幾松と出会います、京都取締り役の新選組の夜襲に出会い、幾松の機転で難を逃れ二人の仲が始まります


 ↑同じく幾松

 ↑当時の桂小五郎

 1863年長州藩が下関を通る外国船を砲撃、その過激な攘夷行動に幕府が激怒し、「八月十八日の政変」とされる過激な尊皇攘夷派を京都から追放する事件が起きます、長州藩も同じく京都から追い出されることとなります

 1864年6月幕府に対峙 決起を目指し、尊皇攘夷派の長州・土佐の志士達が三条小橋の旅館・池田屋に集結して謀議していたところ、新撰組が襲撃多くの死傷者が出た所謂「池田屋事件」が起こります 小五郎は一足早く池田屋に出向いたが未だ同士が集まっていなかった為、近くの対馬藩邸を訪れた後で難を免れます

 ↑現在の「三条小橋」この西です

 ↑維新史跡・池田屋騒動址の石碑


 同年7月池田屋事件と前年の八月十八日の政変で追放された長州藩が反発し、京都での復権を目指し大挙上京 幕府側の会津・薩摩両藩と蛤御門前で市街戦を繰り広げた所謂「禁門の変」(蛤御門の変)死者双方で300人を超す戦闘が繰り広げられました

 ↓「蛤御門」京都御苑西側に面し、御苑九門ある内の一つです


 戦闘は、徳川幕府 孝明天皇の力も借り、全国各諸藩に出兵を要請して力の差が歴然とし長州勢の敗北で終わります

 ↑御門門柱に残る弾痕跡

 ↑蛤御門石柱


 禁門の変(蛤御門の変)の後、あちこちに身を隠していた小五郎、三条大橋下で乞食同然の姿で潜んでいたとき、幾松が橋の上から握り飯を落とし助けていたとされています(注・場所が二条大橋だとの説もありますが)

 ↓昔の三条大橋

 ↓現在の三条大橋


 ↓「長州藩邸跡」藩邸があったのは河原町御池北東角から木屋町通一之船入までの広い場所です、その跡に立つ石塔です いま京都ホテルオークラが建ちます


 藩邸は禁門の変で、会津藩と当時これに同調していた薩摩藩を中心とする朝廷・幕府側に破れた長州藩は、自らこの屋敷に火を放ち京都を逃れますが邸内の火は京都市内に延焼、数日間燃え続け約3万戸が焼失する大火(元治の大火・どんどん焼けと称されます)となりました

 ↓「桂小五郎像」 京都ホテル西側前 河原町通に面し建てられています 
小五郎、凛々しい姿で建ちます


 ↑建物前の提灯

 ↑小五郎と幾松閑居址石塔
 ↓長州藩邸の東側に藩の隠れ屋敷として建てられた建物があります、ここで小五郎・幾松身を隠し居を共にします  現在京料理・幾松として営業中の場所です 
(私一度伺って建物内部の様子の説明を受けましたが写真は当時頭になく、内部の写真は幾松さんのHP・しおりから頂いたものです 拝観は特注です)

 ↓現在の京料理「幾松」の木屋町の入口です


 ↓当時、小五郎と幾松が使っていた部屋、そのまま残され国の有形文化財とされています



 ↑隣の長持が置かれた部屋
 小五郎を探し新選組・近藤勇が乗り込んだ時建物中を家探しても見つからず、最後にこの長持を開けろと迫った時、幾松は開けて何もなかったら切腹して貰いますよと迫り、諦めさせ入っていた小五郎の窮地を救ったとされています
(近藤勇 気付いていたが幾松の意を決した訴えに見逃したとの説もあります)
隠し廊下 河原への抜け道となります


 その後、但馬・出石に身を隠していた小五郎は1865年長州藩主・毛利敬親の命で木戸孝允(タカヨシ)と名を替えます(キドコウインと呼ばれる事もあります)、1868年維新を機に幾松と正式に結婚します

 孝允は、坂本龍馬の働きに合わせ薩長同盟にまで漕ぎ着け表舞台に復帰し、新政府誕生への提言を通じてその要職を務める事になり、1869年より幾松ともども江戸(東京)に住まいする
新政府では、総裁(三条実美)局の専任顧問(いまの幹事長役)、政府参議(〃大臣役)となり版籍奉還・廃藩置県・五箇条の御誓文・憲法制定と三権分立などの重要政策確立に尽力する
 のち、岩倉使節団の副使として欧米を歴訪するなど活躍しますが、大久保利通による独裁的な運営が際立ち、心労も重なり政権中枢から距離をおくようになります

 ↓木戸孝允旧跡石塔 (旧跡は特別公開時にのみ見られます)


 ↓いま旅館・石長松菊園の奥にあります 松菊 は孝允の雅号を貰ったものです 


 ↓今残る旧邸の全景です 1875年木戸孝允が近衛家の下屋敷を譲り受けたものです 別に本館があったと記録されていますが今はありません


 ↓一階の部屋 茶室として使われていた様です


 ↓部屋から見える庭 この先は賀茂川が流れます


 ↓庭園にはきれいに剪定された当時の松の木残されています


 ↓二階の部屋からは遠く東山を望みます 


 孝允、1877年体調を崩し京都に戻ります



 ←明治天皇行幸碑 

天皇が私人をお見舞いの為に行幸されたのは極めて異例ですが、
明治天皇 1877年(明治10年)5月19日木戸孝允の病気見舞いのためここ木戸旧邸を訪れられましたが、日を置かず5月26日に死去します 享年44歳
 孝允、西郷隆盛が最後まで戦っている西南戦争の行方を心配して、死ぬ前に「西郷もう大抵にせんか」と発した言葉は史実に残ります

 幾松は、孝允死後剃髪し養子 忠太郎の成長を見守り余生を送り、明治19年4月孝允と同じ44歳で亡くなっています

 木戸孝允、桂小五郎時代から剣の腕前は師範となるほどの技を持っていましたが、どの史実を見ても剣を振り回した場面は登場しません、それどころか「逃げの小五郎」と揶揄されるほどこれはという場面では早々に姿を隠しました、機を見るに敏に長けた判断力と性格の持ち主だったのでしょう
 二人の墓は坂本龍馬・高杉晋作を始め維新の志士たち1,300余柱が眠る東山・霊山護国神社の霊山墓地に並び葬られています
 ↓霊山墓地 です 一番上部(橙色線)に祀られています 下部黄色線は坂本龍馬・中岡慎太郎の墓です


 ↑正二位木戸孝允妻岡部氏松子墓



 ↓木戸孝允(右)と幾松(松子・左)の墓 

(幾松(松子)は木戸孝允との婚姻を前に長州藩士岡部藤吉の養女となっています)

 志士としても、長州藩のリーダーとして時代の先端に立ち、明治新政府に於いてもトップの一人として、近代国家 日本の建設に大きな役割を果たした木戸孝允、京都での横顔でした

あとがき、
過去ずっとどうしてもお伝えしたかった明治の偉人の記事と写真、前記事の新島襄と今回の木戸孝允をご紹介して、今まで抱えてきた重荷を降ろしました。
 しばらく休養とさせて頂きます
と言っても調子の良い時に出かけられ撮った写真は又UPさせて頂きたいと思っていますが、年もゆき身体の不自由さは変わらずで全くの不定期となります、ご容赦頂きますように・・・。
 いつも、ご覧いただき又コメント賜り有難うございました、御礼申し上げます。



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最終更新日  2020.07.04 21:14:10
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