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あまりテレビじゃやりませんけど、実際に提供してよかった、とか、ぜひ提供して他のところで生きていてほしい、と考える方たちもいるわけです。少数でも、そういう方の善意が多く生かされるようになればな~、と思わずにはいられません。移植を待つ人々は、誰かの死を待っている、と悪く言われがちですが、そんなこと決してないと思います。誰かが脳死になって、それを提供したいと思う人がいて始めて、じゃあ、その善意をありがたくちょうだいします、とこの順番だと思います。私も家族が脳死になって、いざその立場になったら提供するかどうかなんて今はわかりませんが、やはり、実際提供してもいいという人がいる限り、その善意を無にするのは本当に口惜しい気がします。私的には、マスコミには、もっとドナー家族のことを取材してほしいんですけどね。ドナー家族だって、みんながそこに目を向けてくれれば、「ああ、提供してよかった」ってより深く思えると思います。ドナー家族が前面に出てこないのには理由があります。自分の家族の臓器を提供したことに関して、悪く言う人が結構多いようです。親戚から「金銭の授受があったのではないか」とか「自分の家族の臓器を人にやるなんてありえない」とか。そういう心ない人々が実際にいるそうです。いいことをしたはずのに、悪く言われるなんてひどすぎます。金銭の授受はあったとしたら大問題ですし、臓器を提供するかどうかは人にあれこれ言われることではありません。臓器をもらった方は大変感謝しているとは思いますが、誰があげて誰がもらったかは明かされないので、直接お礼の言葉も聞けません。結局、孤独のまま批判だけを受けることになってしまいます。こういう悲惨な事態を招かないよう、国民一人一人が臓器提供することに対して正しい認識を持たなくてはいけないと思います。海外では国をあげてドナーに感謝の意を表したりするそうです。日本はドナーに対して無関心すぎるんですよね(>_
2009年06月22日
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お久しぶりですこの度、臓器移植法、A案が可決されたとのこと、移植経験者である私としてもとても関心があります。まず、移植経験者の私は当然といえば当然かもしれませんが、A案を支持しています。でもやはり「脳死=人の死」とするのはなかなか難しいところはあると思います。そこで、A案のそれぞれの立場での要点をまとめてみました●今現在脳死の子を持つ家族 →精神的な問題はあるが現状は変わらない。 そのまま治療を続けられる。●今後脳死になる子を持つ家族 →脳死判定をしなければそれは死ではない。 臓器提供しないのであればそのまま治療を続けられる。●臓器提供を希望する家族 →今までできなかったことができるようになる。●臓器提供を待つ家族 →日本で脳死臓器移植できるようになる。15歳以下の子供を持つ親にしたアンケートでは 約30%の親が「子供が脳死になったら提供する」 と回答しています。 「その時にならないとわからない」 という親も半数近くいるので、 その時になって提供を決める親もいるかもしれません。 今までは提供したい人もできない法律でした。 そういう方々の意思も尊重されるべきだと思います。何かを変える時には大きな反対にあうものです。今回の問題は個人個人の価値観に大きく左右されるものなので、それを一律にしようという方が間違っているのかもしれませんしかし、今回の法律が通っても、脳死の人の家族は、提供する、しないの選択肢があります。脳死判定を拒否すれば、それは「死」でもありません。待つ側はこの法律が通らなければ選択肢は「死」のひとつしかありません。海外での受け入れはこの先難しいのが現状です。移植は誰にでも不意に起こりうる話です。今後、日本で脳死移植できる体制にしておくのがゆくゆくは国民全員のため、自分のためにもなると思います。個人的な意見でした。意に反するところがございましたら、どうかお聞き流しくださいませm(_ _)m ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2009年06月19日
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またまたご無沙汰しておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?私の方は、夏ごろから週に2,3回の受付事務のバイトを始めまして、ぼちぼち元気にやっておりますしかし、当然ながらそれまでのぐーたら生活とは生活リズムが違い、移植して以来のまともな仕事に、なかなかリズムを整えるのに時間がかかっておりますまた、以前よりブログの内容について自分の中で再構築しようと思いつつ、それもはかどらないままずるずると来てしまいましたそんなこんなでここでいったんキリをつけて少しお休み宣言しようかな~、と思っておりますいつもブログを楽しみにしてくださっている皆様には大変申し訳ないのですが、必ず再開したいとは思っております。年明けにはまた始められるといいのですがその時はまたこちらでご報告しますのでぜひぜひまたお立ち寄りくださいねこれからどんどん寒くなって参りますが、皆様、どうぞお体に気をつけてお過ごしください2008年10月24日ふうこ※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2008年10月24日
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大変ご無沙汰しておりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか私は7月末に夏風邪をひき、「やっぱり免疫抑制剤を飲んでいるとなかなか治らないな~」なんて思いながら、最近やっと治ったところです私より数日遅く夏風邪をひいた友達は、たった3日であっという間に治ったと言っておりましたそんなこんなですが、長期入院後に迎えた夏とは違い断然体力もついて、当時死にそうだった夏の暑さもそんなに苦だとは感じなくなりました皆様も今夏の暑さには気をつけてお過ごしください * * *(前回からの続き)「もう何もしなくていいよ~」と半泣きで騒いでいる私を尻目に、先生は、本当にただの文房具のホッチキスが大きくなっただけのおばけホッチキスを開いた状態で、私の胸下の傷口の、逆Tの字の線が交わった中心の辺りを「バッチン!」とやってしまった。泣くタイミングを失って、私はしばし茫然としてしまった。痛みはなかった。その後、その先生は関連病院に異動になり、私にホッチキスを刺すだけ刺して去っていった。私はいつまでも「刺し逃げだ~」と根に持っていた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2008年08月13日
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お久しぶりです私がぼけぼけしている間に、バナーを貼っていた「純平君を支える会」の純平君が6月17日、心臓移植を受けるため無事海外に渡航したそうですまだ22歳という前途ある青年ですが、赤ちゃんの海外移植と違ってなかなか募金が集まらず苦労していたようです。日本で人工心臓をつけながら待ち続け、募金が集まる前にどうかなってしまったら…と私も心配でHPを見ていたのですが、なんとかこの日を迎えられてよかったです。まだまだ待機の日々が続くと思いますが、どうか無事日本に帰って来られますように※詳しくはコチラで * * *(前回からの続き)ある日、班の一人の先生がつかつかと部屋に入ってきた。傷口を見せると、「ちょうど真ん中のところがふさがってないな」と言って、側にいた看護師さんに「ホッチキス持って来て」と指示した。「ホッチキス!?」 私はびっくりして聞いた。「そうだよ。ふうこさんの傷は全部ホッチキスで止めてあるんだよ」私は自分の傷を見るのが怖かったので、まだ一度も見たことがなく、ホッチキスで止めてあることも知らなかった。(だからなんかつっぱる気がしてたのか・・・)しかし、そんなことに感心している場合ではない。問題はその場でホッチキスを刺すかどうかということだった。「麻酔もなしで!?もう痛いのやだよ~。」「これくらい大丈夫だよ。だって傷がきれいにふさがった方がいいでしょ?」「傷なんかきれいじゃなくていい!もうほっといて~!」あれこれされた恐怖がよみがえってきて、私はもう何もされたくなかった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。※フリーページ内「お知らせ」UPしました。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2008年06月27日
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GWにかまけてだいぶサボってしまいました…久々のブログです、ゴメンナサイ * * *やっと回復してきたと自分でも思っていたのに、腹水のせいでまた元に戻った気分だった。胃がお腹の水に浮いてしまっているのか、あまり入らない上に消化も悪くなった気がした。そのせいなのかわからないが、食欲増進するはずのステロイドを飲んでいるにもかかわらずちっともお腹が空かなかった。その悪循環で、3度の食事が地獄のように思えた。食事が終わると疲れきってしまって、また以前のようにすぐ横になりたくなった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年05月23日
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毎度のことなのだが、人が多く集まる場所では疎外感を感じることがある。同年代や年上の人たちは一人前にキャリアを積んでいる。私は…ナイみんながキャリアを積んでいる間、私は病院にいた。私にとって、闘病生活は勲章でも、みんなにとっては「かわいそう」なことでしかない。みんなの集まる場所では、病気の話は「タブー」。みんながキャリアについて自慢げに語る場所で、私の病気のキャリアは話せない。話すと場がシラケるし、話したってわかってもらえない。だから何も話すことがない。私のこの数年間はいったい…?自分では自分は頑張ったと思ってる。それをわかってくれる人もいる。傷つきたくないからみんなの集まる場を避けるようになってしまった。「これからだ」ってわかってはいるんだけど、ね「病気の話はタブーじゃないんだよもっと聞いて、もっと私のことや移植のこと、知って欲しいんだよ~」昔からの友達、私の病気のこと調べてくれて、私に色々聞いてくれて、心から心配してくれてありがとう * * *(前回からの続き)個室では、看護師さんが毎回薬を一式持って来てくれることになっていた。しかし、食事前は看護師さんも何かと忙しいらしく、なかなか薬を持って来てくれなかった。私としては、ただでさえ食事を見るのが嫌で、食事の時間がかなりのストレスになっていたので、自分の思い通りにならないことにとてもイライラした。術後間もないころは、かいがいしくお世話してくれて、こまめに個室に来てくれた看護師さん達も、この頃には私ばかりに構っているわけにもいかないのか、だんだん来る回数が減っていた。なのでちっとも看護師さんが来てくれない時は、何度もナースコールを押して「早く薬持って来てください」と催促した。また、持って来てくれた看護師さんに「食事後だとお腹が苦しくて飲めないから先に薬を飲みたいんです」と説明しても、うまく引き継ぎが行われていないのか、次の日にはまた持って来るのが遅くなったりしてまたイライラするはめになった。「早く薬持って来てよ!」とかんしゃくを起こすこともあった。ただでさえ食事の時間は苦痛だったので、イライラはつのる一方だった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年05月01日
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最近、友人の出産ラッシュです私は今、胎児に影響が出ると言われる薬を何種類か飲んでいるので今すぐに子供を作る、というわけにはいきませんまあ、今のところ特に願望もないのでいいんですが。。。旦那の周りも出産ラッシュなのでちょっと旦那に申し訳ない気がします健康な人なら「結婚→子供」というのは当たり前のことなんでしょうが、普通の人生を歩いてきた旦那が私のせいで「普通」じゃなくなるとは…。今後、肝機能が落ち着いてうまく安全な薬に変更できれば私も先のことを考えられるんですが。いまだ肝機能が落ち着かないのでまだまだ先のことになりそうです移植すればそれで万事OKってことにはならないんですよね * * *それなのに、個室はなぜか大部屋より料理が一品多いらしかった。お金があって好きで個室に入っている人ならともかく、私は感染予防の為にやむを得ず入っているのだ。それだけ病状が悪いということなのに、普通に考えて大部屋の人より食欲があるわけはない。一品増やすより、むしろ一品減らしてその分の食事代を安くしてほしかった。そんな感じだったので、食事の後に、とても両手一杯の大量の薬が入る余地はなかった。食事の後でその大量の薬を見ると、それだけで吐き気がした。しかし、薬はどうしても飲まなければならない。そこで私は、とりあえず食前に薬を飲んで、それからお腹に入るだけ食べることにした。そうすると薬のプレッシャーから逃れられ、ゆっくり食事に専念することができた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年04月19日
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皆様、お久しぶりです大変ご無沙汰してしまいましたが、ふうこは元気です学生でもないのに長い春休みを取ってしまいました。。。最近は何をしていたかというと、お花見三昧の日々でした春はいいですね~。70歳台の骨を強化するためにも散歩は最適ですしかし、桜の写真を撮ろうと思って川にデジカメを落としてしまいましたデジカメを水の中に落とすのはこれで2度目ですまあ、自分が落ちなかっただけよしとしましょう * * *(前回からの続き)しかし、相変わらずの両手一杯の薬とお腹の腹水。腹水に胃が圧迫されて食欲はがくんと落ちていた。1日3回の食事が地獄のように感じて、やっと食べ終わったと思ったらもう次がやってきてうんざりした。食事を楽しむというよりも、義務で食べている感じだった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年04月11日
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いつの間にか、暦ははもう10月に入っていた。9月中には退院、なんて自分では言っていたが、その時のその状態からするとあまりにも無謀だったことに気づいた。それでも、10月中には退院したい、という気持ちでいた。10月に入って間もない頃、先生に薬を変更すると言われた。例の「大事なお薬」がもっと小さな飲みやすいカプセルに変更になったのだ。それはプログラフと呼ばれる薬で、前のネオーラルという薬と同じ免疫抑制剤だった。どうして変更になったのかはよくわからなかったが、あの虫のサナギみたいな白い大きな薬より数段飲みやすかったので少しうれしかった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年03月25日
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ポータブルトイレを行き来するという、そんなスパルタ療法を行っていたおかげで、足の筋肉も少しずつついてきた。まだ一人で歩くのは無理だったが、誰かの肩につかまりながらならよろよろ歩くことはできるようになった。それで、看護師さんに頼んで歩行器を個室に持ってきてもらった。歩行器は4輪で、つかまる部分が輪のようになっていてもたれかかっても危なくないような設計になっていた。歩行器なるものを見たのは初めてだったが、これは歩く練習にちょうどいいや、と思って俄然やる気になった。早速狭い個室の中を歩行器で歩き回った。ドアの外へと続く短い廊下のようなスペースを何度も往復した。初めて窓の外を覗くこともができた。窓の外には空だけでなく、別の棟の建物があることもわかった。それは、小さな感動だった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年03月14日
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それを機に、ベッド脇のトイレで用を足すことにも慣れてきた。大きい方も、ベッドに寝たままより出やすいんじゃないかと看護師さんに言われ、もう潅腸されるのも嫌だったので頑張って毎回トイレで粘っていた。30分くらい粘ることもあった。途中で先生が処置をしにきて、急に個室のドアが開くこともあった。そんな時は「先生、今トイレ中!」と叫んで先生を追い返すこともあった。それだけ粘っても、お腹の傷が気になってなかなか力めないので、出て来るのはころころの固いのがほんの少しだった。ポータブルトイレで用を足すことができるようになると、尿をバケツに貯めることができるので、出た量を測るということでバケツごと看護師さんが持っていった。便も先生が状態を見るということで持っていった。何度も言うようだが、普段汚いものとして扱われているものが、ここでは重要な資料なのだ。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年03月13日
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いよいよ利尿剤が点滴の中に注入された。来るかな、来るかな、と待ち構えていたが、すぐにはその効果がでるものではなかった。しかし、それは突然やってきた。「お母さん、トイレに行きたい!」お母さんに手伝ってもらって、気持ちとはうらはらにのそのそと移動し、なんとか用を足した。やれやれ、と思ってベッドに戻ると、すぐにまたトイレに行きたくなった。「もう一回行く!」トイレに行っては戻り、すぐさままたトイレに行く。そんなことを数回繰り返し、少し間隔が長くなってきたところで薬の効果はきれた。腹水も少しは減ったように感じたが、そんなことよりもトイレの往復でぐったり疲れてしまった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年03月12日
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管が取れて、せっかく歩く練習をしようと思った矢先にこれだ。ウエスト80センチで体重40キロ。なんと不恰好な体型だろう。そんなにやせている割にはお腹が重くて、逆に動きにくくなってしまった。そのうち腹水が減ってくると言われたのに、腹水はいっこうに減らなかった。それで利尿剤を使うことになった。点滴に利尿剤を注入すると、15分くらいたってから尿意をもよおしてきて、それがしばらく何回も続くという。ベッド上でのトイレを卒業して簡易ポータブルトイレで用を足す練習をしていた私は、それを聞いて、こりゃスパルタ療法だ、と思った。いったんベッドを降りて便座に座るだけでもひと苦労なのに、それが短時間に何度も続くのだ。考えただけで疲れそうだった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年03月11日
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長らくご無沙汰してしまってスミマセン先月の診察でちょっと微妙な気分になってしまって…先月、主治医に「慢性拒絶」のお話を伺いました。移植した肝臓が慢性拒絶におちいると、だいたいは悪化して再移植となってしまう、ということでした。私は以前から肝機能がすっきりしないので、その「慢性拒絶」ではないかと言われていました。移植して数年、一度も正常値になったことがありません(普通は数年もたてば健康な人と変わらない数値になります)しかしながら、悪くなるわけでもなく、良くなるわけでもなく、低空飛行状態です。移植した人の中でも数年たっているわりにはかなりの量の薬を飲んでいます。その薬を徐々に減らしていきたいのですが、減らすと肝機能が悪化し、どうにも身動きが取れない状態です。薬を減らさないと子供を産めません。特に今のところ子供願望はないのですが、年齢的なことを考えると数年内には、というところです。慢性拒絶にきくと言われている、国内未承認薬の薬があるらしいのですが、「じゃあ、それを使えば?」と提案すると、「ふうこさんははっきり慢性拒絶といえないから今のところ考えていない」と言われました。明らかに慢性拒絶だったらだんだん悪化していくはずなのに、ふうこさんはそういうわけでもないし元気に旅行とかも行けているから…、ということでした。自分でも慢性拒絶だと思っていたのに、そうではないかもしれない。慢性拒絶はイヤだけど、でもだったら何なんだ?と思ってしまいました<前回の数値>GOT 58GPT 61γ-GTP 219<免疫抑制剤(1日分)>プレドニン(ステロイド) 5mgセルセプト 2000mg(4カプセル1000mg×2)プログラフ 4.4mg(2.2mg×2)他、免疫抑制剤以外の薬色々。今までも薬の減量にトライしたことはありましたが、その度にお約束のように数値が悪くなりました。このまま低空飛行のまま、元気だけど子供は産めないという状態が続くのでしょうか?いつもは診察の内容はあまり気にしないようにしているんですが、(実際は診察のたびに変わらない数値に多少凹みますが)今回はちょっと考え込んでしまいましたで、ブログに書こうか書くまいかとそうこうしているうちに以前から予定していたオーストラリア旅行に行くことになって、今週初めに無事帰国しましたオーストラリアは以前私がワーキングホリデーしたいな、と思っていた土地ですその準備をしようとしていた矢先に病気になって断念していたのでやっと念願かなって行くことができました「コアラを抱っこしないと死ねない」とまで言っていたくらいですからかわいいコアラも抱っこでき、生きててよかった、と思いましたオーストラリアで国旗がたなびくのを見たときには、不覚にも涙が出そうでしたオーストラリアは肝移植も盛んな国で、私の友人にもオーストラリアで肝移植した子がいます。私ももし再移植することになったらオーストラリアがいいな、なんて不謹慎にも思ったりもするのですが、残念ながら今はあまり日本からの患者は受け入れていないようです。というわけで少しリフレッシュして、病気のことは次の診察の時まで忘れておくことにしますまたぼちぼちブログ続けていくのでよろしくお願いします※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年03月07日
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ところが、そんな私の気持ちも虚しく、またさらなる困難がやってきた。お腹に腹水が貯まり出したのだ。今までは管から外に出していたものが、出場所を失ってお腹の中に貯まってしまった。これは、先生たちにとっては予想の範囲内であったようだが、一難去ってまた一難、とはまさにこのことだった。先生の説明によると、このお腹に貯まっている水は“栄養”だそうで、今までは外に出していたのだが、肝臓が大きくなってきたことで今後は肝臓自身に吸収させるようにする、ということだった。健康な肝臓なら全ての栄養を吸収できるのだが、移植した肝臓はまだ完璧ではないので全てを吸収できず腹水になってしまうのだという。「だんだん腹水の量も減ってくるはずだから、しばらく我慢してね」と言われ、毎日ウエストの長さを測ることになった。ウエスト80センチ。それが私の平均ウエストサイズだった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年02月18日
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ずっとうっとおしかった管はいとも簡単に抜けた。この管は太めのストローくらい結構太かったので、管の入っていた穴は局所麻酔をしてススッと縫われた。もう一本、細い管が残っていたが、「これはお守りね」と言って抜かずに、くるくる巻いてお腹の脇にテープでペタンと止められた。何のために残しておくんだろう?とその時は思ったが、おそらく何かあった時にそこから処置できるように残しておいたのだろう。体から出ていた余計なものがなくなって、私は身軽な気分になった。これから頑張って歩く練習をしよう!と再びやる気が沸いてきた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年02月15日
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看護師さんのテープ補強だけではどうにもならないので、看護師さんは先生を呼んできた。先生は、管の付け根を見て、「これは縫い直さないとだめだな」と言った。かさぶたみたいに古い皮膚が取れて新しい皮膚が再生するのと同じで、管を縫い付けたところも皮膚が再生してきて取れてしまうのだという。その時は軽く部分麻酔をしていったん縫い付けたが、次の日の朝になって、「やはり管を取ってしまいましょう」と再び先生方がやってきた。「え?取っていいの?」管が取れてうれしい反面、管が取れるとどうなるのか少し不安だった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年02月14日
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部屋に戻って、さあ、やっと横になれる、と思っていたら、お母さんがある異変に気付いた。「あら?なんかパジャマのズボンのところが黄色くなってない?」早速看護師さんにきてもらって、黄色くなっているちょうど腰のあたりを見てもらった。「ああ、管の付け根から液が漏れてますね。」以前も少しだけ漏れてパジャマに黄色い染みができていたことはあった。しかし、今度はその比じゃなかった。パジャマのズボンと上着の間から管を出していたのだが、その周囲が黄色い液でベタベタになっていたのだ。黄色い液、といってもそれは体液のことで、栄養ドリンクみたいに真っ黄色だった。それは、本来、体内の栄養となる液だということだった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年02月07日
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すぐに呼ばれるはずだったが、検査室はなかなか空かなかった。長い間座っているのには慣れておらず、私はだんだんぐったりしてきた。どうしようもなくだるくなって、すぐにでもベッドに戻って横になりたかった。まだ呼ばれないの~?、と半泣きになっているときにやっと検査室の扉が開いた。検査の台に移動するのに「立てますか?」と聞かれた。私は「立てません」と答えた。検査技師さんはそういう患者さんにも慣れているのか、上手に抱えて検査台に移動させてくれた。30分ほどで検査が終わると、約束通り栗野さんが迎えに来てくれてた。栗野さんは検査台から降りるのを手伝い、元通り私を車椅子に座らせた。そしてにこやかに「ありがとうございました~」と検査室のスタッフに言うと、再び私を病棟まで連れていってくれた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年02月05日
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最後の太い管が取れる日は、それからそう遠くなかった。ある日、検査が入って、1階の検査室まで車椅子で行くことになった。ヘルパーさんに車椅子で連れてってもらい、前の人の検査が長引いていたので検査室の前でしばらく待つことになった。検査室に連れて行ってくれたのは、前にも書いた栗野さんだった。栗野さんはとても気のつく人で、「ちょっとそこ段差があるからね~、揺れるよ~」と言いながら車椅子の速度をゆっくりにしたりして、患者の乗り心地まで考えて車椅子を押してくれた。いつもはおちゃらけているように見えたが、ヘルパーとしてはプロだった。この病院は、看護師さんも親切だし、ヘルパーさんも優秀だし、スタッフには恵まれているなぁ、と思ったりした。さて、検査室の前で待っている間、ヘルパーさんは別の仕事があるらしく、また迎えに来ると言い残してその場を去っていった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年01月30日
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やっと風邪が治ってきました^^まだまだ寒いので油断大敵ですが、水分をいっぱいとってこれ以上風邪をひかないように気をつけます☆みなさんも意識して水分をたくさんとるといいですよ(アルコールじゃなくてね) * * *休日だったので「まだ寝てるのかな」とか「千葉からだと時間かかるのかな」とか考えながら待った。少しテンションも下がり始めたころに今村くんはやって来た。彼はいつも通りラフな格好だった。無地な洒落っ気のないTシャツにジーンズ。それが彼のいつもの格好だとわかっていたが、病院にいながらせいいっぱいできる範囲できれいにしようとした自分がばからしく思えた。今村くんとは、家探しの話を少しし、「最近どう?」とか他愛もない話をして「じゃあ、またね」と言って別れた。個室内だと、お母さんにわざわざ「外に出て行って」と言うのも変な気がして、なかなか2人きりで話せないのがもどかしく感じた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年01月25日
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年明けからの風邪がなかなか治りません(>_
2008年01月22日
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久しぶりに彼氏の今村くんもお見舞いに来てくれることになった。ちょうどその頃、もう退院後のことを考えて、通勤しやすく、病院にも通いやすい場所に引っ越した方がいいんじゃないかとお母さんと話していた。その時の会社の寮からだと、通勤に1時間かかっていた。なぜ退院後のことを心配していたかというと、先生が回診に来る度に「ふうこさん、もう退院かな」とほんとかうそかわからないような調子でしょっちゅう言っていたからだ。それで、今村くんがきたら、東京のどの辺がいいか相談してみようと思っていた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年01月15日
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風邪をひきました…年明け早々の無理がたたったのもあるでしょうが、正月帰省した時に家族2人が風邪をひいていました。まんまとその風邪をもらってしまったようです…例の流行りの胃腸炎ではないようですが、喉の痛みや頭痛などの諸症状。油断大敵なのでこの週末はおとなしくしておきます * * *大学の友人は、私と同学年だったが大学院に進み、九州から学会で東京に来たついでに病院に寄ってくれた。大学代表で来てくれて、みんなの励ましの言葉が書いてある色紙を持ってきてくれていた。色紙には、同じ研究室の先輩や後輩、別の研究室の先輩までがメッセージを書いてくれていた。私の病状を知ってか知らずか、在学中にふざけて言い合っていたような、とても親には見せられないようなメッセージも書いてあったりして、「全然変わってないんだな」とちょっと吹き出してしまうような嬉しい気分になった。その代表で来てくれた友人は、在学中はそこまで親しいわけではなかったが、昔の私を4年間知っているだけに私が病気になったことを気にかけていてくれたらしく「とても心配していたんだよ」と言ってくれた。私は改めて、学生時代の友人のありがたさを知った。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年01月11日
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うちのアイドル、フェレットのはぐちゃんからの年賀状です年末年始は実家のある名古屋に帰っていました。そして、東京の方に戻ってすぐに、私の好きなRIP SLYMEの武道館ライブに行ったりとなかなか慌しい年明けでしたこんなこと言うと少し大げさかもしれませんが、こうやって好きなアーティストのライブに行ったり新曲を聴けるだけで、「生きててよかったな~」といつも思ってしまいます一時期なんて、座ってるのもやっとだった私が、ライブで2時間立ちっぱなし踊りっぱなしでいられるなんてほんと、こんなに元気にさせてもらって移植医療に感謝です小さな幸せも大きな喜びになる、こう感じられるのはある意味病気のおかげでしょうか。相変わらずマイペースでのんびり屋の私ですが、本年もどうぞよろしくお願い致します皆様にもたくさんの幸せが訪れますように ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2008年01月08日
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私は、以前の元気な私のイメージを崩したくなくて、少しでも元気な姿を見せようと、頑張ってずっとベッドの上に座ったままでいた。お母さんは途中で「ずっと座ったままで大丈夫?横になったら?」と言ってきたが、私は「大丈夫!」と言って座ったままでいた。2人が帰ると、案の定どっと疲れてしまった。ただ座っていることがこんなに疲れるとは、今まで会社で一日中座っていたことが不思議に思えてくるくらいだった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2007年12月27日
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その頃から徐々に面会人も来るようになった。会社の同僚や大学の友人。面会人が来る前には、薬の副作用でぼうぼうにつながった眉毛や、女性なのにいっちょまえに生えてきたヒゲの手入れを行った。(その頃にはもうムダ毛の手入れも許可されていた)会社からはひとつ上の女の先輩と、川口の病院にも来てくれた会社の隣の席の酒田さんが代表で来てくれた。その2人も、私も、マスクをつけての面会だった。久しぶりに、変わり果てた私の姿を見て、2人共心配そうな目で私を見ていた。いつも会社では憎まれ口をきいていた酒田さんも、その時ばかりは当たり障りのない会話をしていた。(お母さんもいたので当たり前といえば当たり前なのだが)※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2007年12月21日
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1か月ぶりだった。1か月ぶりに思いっきり髪を洗うことができた。それまでは自分のベッドに寝たまま洗ってもらっていたので、そう頻繁に洗うこともできず、ごしごしやるにも限界があった。洗ってくれた看護師さんも「久しぶりだから気持ちいいでしょ?」といいながらがしがし洗ってくれた。がしがしやりながら「体勢キツくない?」と聞かれたが、体勢のことよりも、とにかくがしがし洗ってほしかった。2、3度洗い直し、やっとすすぎに入って、タオルで拭いてもらってからドライヤーで乾かしてもらった。髪がすっきりして、気分もさっぱりした。こんなすがすがしい気分は久々だった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2007年12月19日
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車椅子にもなんとか座れるようになったので、シャンプーはシャンプー台でしてもらうことになった。個室の外へ出る時は、マスクに上着と、病棟の廊下であるにも関わらず感染予防のために完全防備だったが、たまにそうやって個室の外に出られることはうれしかった。個室の外には廊下に沿っていくつかの大部屋があり、他の患者さんたちが普通に歩いていることもわかった。シャンプー台はナースステーションの横の小部屋に設置されていた。美容室にあるような、リクライニング式の大きな黒い椅子が置いてあって、そこに座って洗髪してもらえるようになっていた。洗髪してもらう人は、自分でシャンプー・リンスやタオルを持って行くのだ。私はまだ立つことしかできなかったので、車椅子からは看護師さんに手伝ってもらって黒い椅子に移動させてもらった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2007年12月12日
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先週末、九州に行ってました。旦那が熊本の結婚式に招待されたので、旦那の大分の実家への帰省も兼ねてです。もう大分の実家近辺は紅葉は終わっていましたが、熊本市内のイチョウがきれいに色づいていました。 * * *とりあえず立てるようにはなったので、今後は毎日体重を計ろう、ということになった。看護師さんが、外にある体重計を二人掛かりでどっこいしょ、と部屋に運んできて、支えられながらそれに乗った。健康な時の体重は、だいたい46キロくらいだった。しかし、その日計った体重に、私はびっくりしてしまった。39キロ。いくら痩せている私でも、30キロ台はさすがにヤバイと思った。背が166センチくらいあるので、どのくらいヤバイのかは想像がつくだろう。ご飯も普通に食べているつもりだったが、やはり病気というのは体を痩せさせていくものなんだと思った。その時の私は、まさに「骨と皮」だけたった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで
2007年12月07日
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最近、ひどい眠気に襲われて眠りっぱなしの毎日でしたzzzまた肝臓が悪くなったか!?…と自分でも心配してしまうくらいでしたが、定期健診の結果はいつもと変わらずでした。きっと急に寒くなって、体が勝手に冬眠の準備をしていたのでしょう^^; * * *先生は続けて「立てるの?」と聞いてきた。私は、先生が私が怠けて歩くのを拒んでいると思われるのが嫌で、ちょっとむっとして「立てるよ!」と答えた。歩くことはできないけどもう立てるんだ!それを証明したくて「先生、肩貸してよ!」と言った。先生はちょっとびっくりしながらも「いいよ」と言った。ちょうどその時ベッドの上に座っていたので、そのまま足をベッドの下に降ろし、先生の肩を持ってベッド脇に立ってみせた。「ほらね!」先生の横に立つと、先生はいつもベッドから見上げていたのと違って小さく見えた。「あれ、ふうこさんおっきいんだね~」先生も少し驚いていた。先生が去った後、お母さんが、「あんた、やだ。先生に『肩貸して』だって!」お母さんは、私の失礼な発言にびっくりしたようだった。「だって、先生、私がまだ立てないと思ってるんだもん!」私は、自分が回復しつつあることを先生にアピールできて「ふふん」というちょっとした満足な気分だった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!※詳しくはコチラで本日、29日23:55からのTBS系列「ニュース23」で純平君の特集があります!ぜひご覧になってください。
2007年11月29日
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最近、こんなありえない記事がネット上で話題になってるみたいです。 ドナーカードは「微妙」?CanCamモテ子ブス子記事(CanCam12月号) この記事におよると、ドナーカード持ってる人は「微妙」なんだそうです。というか、そういうレベルの問題ではナイと思うんですが…。 CanCam読む年代って、周りに置いてかれないよう必死な年代なので この記事を真に受けそうでこわいです…。 臓器移植を必要とする人のこと考えるとありえないと思うんですが。 命を軽視しすぎだと思わざるをえません。 CanCam含め、CanCam読む人の価値を自分で下げてますよねぇ※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。※フリーページ内「お知らせ」UPしました。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年11月16日
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ある日、南田先生が回診でやってきた時、こう言った。「ふうこさん、もう歩いてもいいんだよ」立つことまではなんとかできるようになっていた。足を曲げずにつっぱるようにすると、足がつっかえ棒になって立てるのだ。ところが歩こうと片足を曲げようとするともうだめで、かくんとなって力が抜けた。それに、歩くにはこのお腹から出ている管が邪魔だし、管つけたままでどうやって歩くんだ、と思った。管がついたまま動くと、繋がっている部分の皮膚が破れそうで怖かった。「管が取れたら歩くよ」私はそう答えた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。※フリーページ内「お知らせ」UPしました。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年11月14日
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自動販売機には様々な種類の飲み物が並んでいて、「あ、これはゼリー状になっててよく振ってから飲むやつだ」とか「グレープフルーツジュースは好きだったのに飲めないな」とか、宇田川さんと話しながらひととおり眺めた。「夏みかんならいいんだよね」私はそう言うと、たくさんあったジュースの中から「つぶつぶ夏みかん」を選んだ。お母さんから宇田川さんの分のジュース代ももらっていたので宇田川さんにも選んでもらった。宇田川さんは「私の分はいいよ」と言っていたが、「お母さんの分だから」と言って、座っていて自販機のボタンに届かない私に代わり2本一緒に買ってもらった。シャバの空気と夜の散歩を満喫し、私と宇田川さんは部屋に戻った。「どうだった?」お母さんが聞いた。「楽しかったよ」と私は言った。お母さんは何度も宇田川さんにお礼を言っていた。自販機コーナーで買ったジュースの一本は結局宇田川さんにあげた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。※フリーページ内「お知らせ」UPしました。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年11月08日
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「うわあ。こんなの入院してから初めてだ!」まるで生まれて初めて自販機なるものを見た気分だった。お金を払って自分で物を買うのも、移植して以来初めてだった。そんな新鮮な気分で自動販売機に並ぶドリンクを眺めていた。(お母さんはいつもここに私のジュースを買いに来てくれてたんだな)「今は閉まってるけどね、この奥には売店があるんだよ」自販機コーナーの左手側を見るとシャッターが降りていて、宇田川さんの説明によると、そこに売店があるとのことだった。しかし、その自販機コーナーと売店があるというスペースは取ってつけたようなプレハブ小屋みたいになっていて、とてもその一角に売店があるようには思えなかった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。※フリーページ内「お知らせ」UPしました。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年11月05日
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明日から母が来ます。鎌倉に行きたいと言うので2人で鎌倉観光です晩御飯は外で食べればいい、というのにわざわざ作ってくれるそうです。親心ですかね * * *自動ドアの外は別病棟との渡り廊下になっており、コンクリートがむきだしになっていて外からの冷たい空気が入りこんでいた。「夜だし外は寒いよ」と言われ、またまたたくさん着込まされていた私だったが、その冷たい空気に触れた途端、このくらい着込んでちょうどいいことがわかった。コンクリートの上は病院内の廊下と違って少しゴツゴツしており、そこを通るとガタガタとした振動が車椅子を通して伝わってきた。渡り廊下を進むと、途中に自動販売機コーナーはあった。そこには数台の自動販売機が並んでいた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。※フリーページ内「お知らせ」UPしました。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年11月01日
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またまた風邪をひいてしまいました(-_-;)一度治ったかのようにみえていたのが、数日たってから鼻水が…。ただでさえ風邪をひきやすいので油断大敵ですね☆ * * *カラカラと宇田川さんが車椅子を押し、しばらく廊下を進むと大きなエレベーターが2台あった。それに乗り込み、宇田川さんが一階のボタンを押した。自動販売機コーナーは一階にあるらしい。「ふうこちゃんはこのエレベーターで手術室に行ったんだよ」「そうなの?全然わかんないや」手術室に運ばれたことはもちろん覚えていないが、そういえば個室に移って来たとき乗ったのはこのエレベーターだった気がする。一階に着き、エレベーターを降りた。廊下を数メートル進むと、自動ドアがあった。そのまま進み、自動ドアを通った途端、ひやっとした。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。※フリーページ内「お知らせ」UPしました。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年10月30日
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宇多川さんは、「ジュースでも買いに行く?」と私を自動販売機コーナーに連れて行ってくれた。夜中の病院は昼間とまったく違っていた。昼間はひっきりなしに病院のスタッフが行ったり来たりしていて、個室にいても外が賑やかなのがなんとなくわかった。しかし、夜中の病院は薄暗く、非常灯の明かりがぼんやりと廊下を照らしていた。まるで院内には、宇田川さんと車椅子に乗った私しかいないかのようだった。私はふと、夜、夜間救急で川口の病院に行った時のことを思い出していた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。※フリーページ内「お知らせ」UPしました。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年10月22日
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朝はたいてい気分が悪くて、夜になると少しおさまってきた。やっとおさまってきたころにはもう夜になってしまい、結局一日のうちで調子のいい時間は少ししかなかった。ある夜、久しぶりにどうしても眠れなくて、頭もわりとすっきりしていたので、夜中に看護師の宇多川さんにわがままを言って夜の車椅子散歩に連れて行ってもらったことがあった。お母さんは、「こんな時間にやめときなさい」と言ったが、宇多川さんは「いいですよ。夜勤で今日は暇だし」と、嫌な顔ひとつせずにOKしてくれた。「宇多川さん、悪いわねぇ」お母さんは申し訳なさそうな顔をしていた。宇多川さんは「ふうこちゃんが気分のいい時ならいつでもいいからね」と言ってくれた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。※フリーページ内「お知らせ」UPしました。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年10月16日
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最近なぜか臓器移植や脳死に関するニュースが目立ちます。「臓器移植普及推進月間」だからでしょうか?こんな折ですが、身近に難病で苦しんでいる若者がいらっしゃいました。ここのブログにもよく寄ってくださるedacchiさんの娘さんのバイト先の先輩だったようです。よろしければ皆様にもお知らせください。「純平君を支える会」 * * *脳死判定へ病院側消極的、移植進まぬ原因に 臓器移植法施行後ほぼ10年が経過しても脳死下の臓器提供が増えない背景には、臓器提供を前提とした脳死判定に消極的など、病院側の姿勢に問題があることが、有賀徹・昭和大医学部教授(救急医学)らの調査で分かった。 調査は、救命救急センターなど脳死者が搬送されやすい1634病院を対象に、2005年度の1年間に発生した脳死患者の状況について聞いた。約3分の1に当たる541施設から回答を得た。計3万856件の死亡例のうち、脳死状態を経て心停止に至ったと見られるのは5496件。しかし、医師が治療の一環などで行った脳死診断は、約3割の1601件に過ぎなかった。 05年度に実際に国内で脳死移植が行われたのは8件だけ。脳死移植を実施するには、脳死診断よりさらに厳密な基準に従う法的な脳死判定を行わなくてはならない。脳死診断から法的な脳死判定に至るケースが圧倒的に少ない現状が浮かび上がった。 (10月12日8時54分配信 読売新聞)<長期脳死児>診断後1カ月以上60人 全国病院調査 脳死状態と診断された後、1カ月以上心停止に至らない「長期脳死」の子どもが全国に少なくとも60人いることが、全国約500病院を対象にした毎日新聞の調査で分かった。長期脳死児がこれほど多数に上ることが明らかになるのは初めて。臓器移植法は15歳未満の子どもからの臓器提供を認めていないが、年齢制限を撤廃する法改正案も国会に提出されており、議論を呼びそうだ。 調査は今年8~10月、日本小児科学会が専門医研修施設に指定する計522施設を対象に実施。医師が脳死状態と診断後、医療やケアを提供中の長期脳死児(診断時満15歳未満)の有無などを尋ね、272施設(52.1%)から回答を得た。 その結果、診断から1カ月以上経過しても心停止に至らない患者は39病院の60人で、うち14人は在宅療養中だった。年齢は2カ月~15歳7カ月で、診断後の期間の最長は10年5カ月だった。 このうち、25病院の31人は、法的脳死判定基準か、旧厚生省研究班が00年にまとめた小児脳死判定基準の無呼吸テストを除く全項目を満たしていた。臓器提供をしない場合は必要ないため、他の患者は全項目の判定はしていないが、主治医が脳死とみられると判断した患者だった。 臓器提供を前提に、小児脳死判定基準が妥当だと思うかとの問いには、回答した医師270人のうち42%が「分からない」とした。理由は「長期脳死児を『死者』として受け入れることは、家族だけでなく医療者側も難しい。移植の道を閉ざすことはできないが、一定の配慮が必要」など。「妥当でない」は17%、「妥当」は12%だった。 法的基準を作った際の調査では、子どもの場合、脳死から10日程度で心停止に至るとされた。だが、小児の基準を検討した旧厚生省研究班の調査は、87年4月からの12年間に長期脳死児が25例いたことを報告。日本小児科学会の04年の調査でも18例が報告された。子どもの脳は障害に強いとされるが、原因の究明などは進んでいない。 法改正に関しては(1)脳死を一律に人の死とし、提供年齢制限を撤廃、家族同意のみで提供可能にする(2)提供可能年齢を12歳以上に引き下げる――の2案が出されている。 同学会の調査を担当した小児神経科医の杉本健郎・びわこ学園医療福祉センター統括施設長は「これまでの調査よりかなり多い結果だ。臓器提供を否定はしないが、脳死診断後も長く心停止に至らない子どもが多数いることを厳粛に受け止め、単なる『死』と片付けずにオープンな議論をすべきだ」と話している。【臓器移植取材班】 【ことば】◇脳死◇ 脳の全機能が失われ、二度と回復しな状態。臓器移植法は臓器提供をする場合に限り、脳死を「人の死」とする。法的脳死判定基準(対象6歳以上)は、(1)深い昏睡(こんすい)(2)瞳孔が開いたまま(3)脳幹反射の消失(4)平坦(へいたん)脳波(5)自発呼吸の消失――の5項目について、6時間以上の間隔で2回判定することを求める。6歳未満については旧厚生省研究班が00年、2回の判定間隔を24時間以上とする基準をまとめている。 (10月12日3時4分配信 毎日新聞) * * *上のニュースは前から指摘されていたことですが、意外とその事実はあまり知られていません。脳死状態を維持するのは、病院にとって金銭的にも時間的にも多くの負担となります。それだけで赤字になったりもするそうです。病院側にメリットがないのでなかなか協力する気にならないようです。下のニュースは私も初めて耳にしました。それだけ聞くと、子供の脳死はどうか?ということになるでしょう。しかし、長期にわたって脳死状態を維持するのは、家族にとって精神的にも金銭的にも負担は計り知れないと思います。例え15歳以下の提供が可能になったとしても、「心停止してないから」という理由で臓器提供したくなければきっぱりと拒否すればいいのです。私は臓器移植を受けて元気になった子供をたくさん見てきました。そんな姿を見ていると、国内での子供の脳死臓器移植がまったくできないという今の状況は臓器移植を必要とする子供やその親にとってあまりにも酷だと思ってしまいます。いつまでも海外に頼るのもどうかと思います。海外の子供も日本の子供も同じ尊い命なんですから、差をつけることはできないはずです。やはり、個人やその家族が、臓器提供する・しないをはっきり意思表示した結果を一番に尊重すべきなのではないでしょうか。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年10月12日
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<難病男児かたり募金 HPで誘い被害も確認>こういうことをする人がいるとは、本当に残念ですね…。本当に募金を必要としている人も疑いの目で見られてしまいます。善意の気持ちを踏みにじるような行為だけはやめていただきたい。この世の中、誰でも疑いの目でしか見られなくなるのは悲しいことです。臓器移植が、海外にも募金にも頼らずにできるようになれば起こらないことなんでしょうけど…。 * * *(前回からの続き)しかし、そう簡単にはいかなかった。ベッドの上に座るだけでも時間がかかっていたのが、車椅子に座るまでにはもっと時間がかかった。頭のもやもやがおさまるまで「もうちょっと、もうちょっと」と心の中で思っていても、自分でもイライラしてきて、まだもやもやがおさまっていないのに無理やり車椅子に移動したりすると、移動した途端に吐き気を催すこともあった。車椅子に座るだけで半泣き状態だった。そんなふうだったので、お母さんが「今日は外があったかそうだから車椅子で散歩してみる?」と誘っても、「やだ」となかなか気分が乗らなかった。外に出たい気持ちはあるのだが、日によって朝からぼわーんとするのが強くて動けなさそうな日とそうでない日があった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年10月11日
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7日の日曜日には各地で様々な催しがあったようです。私も銀座のパレードに参加してきました。本当はこういうパレードに参加するのはちょっと抵抗があります。参加していたのは中年の方がほとんどで、若い人はあまりいませんでした。パレードや運動に参加することは、なんだか「過激派」みたいに見られそうで躊躇してしまいます。本当はとても大切なことだとわかっているんですが、実際若い方の参加が少ないということはみんな同じ気持ちなんだと思います。以前、会社の同僚たちに臓器移植に関する署名を頼んだことがあります。その時、同僚たちがちょっと引いているのがわかりました。目の前に臓器移植を受けた友人がいるのに距離を取られてしまったことはちょっと悲しかったです。それでも私は移植を受けた当事者なので、「私がやらずに誰がやるんだろう」という気持ちでいます。しかし、本当はもっと重大な理由があります。私の移植した肝臓は、前にも書いた通り「慢性拒絶」の状態です。このままいけばいずれはまた肝移植が必要になってくるでしょう。その時は親も年を取り、身内の中に血液型の合う生体移植でのドナーはもういません。私は2度目の移植をするなら日本で受けたい。その時には海外と同じように日本で脳死移植が行えるといい。そんな気持ちで臓器移植普及活動に協力しています。自分の命がかかっているから積極的になれるのですが、それがより多くの人々の役に立てばそんな素晴らしいことはない、と思っています。肝臓移植が保険適用になったのも、そういう一つ一つの積み重ねの結果です。(私が肝臓移植した頃はまだ保険適用外でした)今回パレードに参加してうれしかったのは、参加されていた方の中に普通の健康な方もいらしゃったということです。その方は「自分の会社の取引先の人が腎臓移植をされて、このパレードのことを聞き、自分も参加したいと思った」と言ってくださいました。健康な人にとって、普通はひとごとで終わってしまうところを、そうやって真剣に臓器移植のことを考えて行動に移してくれたことは私たち移植者にとってとてもうれしいことです。お名前はお聞きしませんでしたが、深く感謝しております。最後に、私の身近な人々と、このブログを読んでくださっている皆様が、少しでも臓器移植に関心を持ってくれるとうれしいです。 ↑ ↑臓器移植について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年10月09日
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10月は「臓器移植普及推進月間」です。各地で様々なイベントがあるのでよろしければ参加してみてください * * *しくしく泣いている私をお母さんが励ましてくれた。「大丈夫よ。練習すればすぐ歩けるようになるって。まだ若いんだから」「ほんとに?」「ほんと、ほんと。絶対歩けるようなるって。大丈夫!」半信半疑だったが、確かに練習すればなんとかなるかもしれない。そういえば、よくテレビでリハビリしてるとことかやってるなぁ。そっか、練習すればいいのか・・・。リハビリってことか。せめて歩けるようになりたい。ちょっとやる気が出てきた。そこで、看護師さんに「そういうリハビリ施設はあるの?」と聞くと、ここにはない、という返事が返ってきた。「えー!じゃあどうやって歩く練習するの?」「一応歩行器はあるからそれ使ったり、みんな階段の上り下りをしたりしてるよ」なるほど、歩行器があるのか。じゃあ、それで歩く練習をしよう、と思った。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年10月04日
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部屋に戻ると、疲れてぐったりした。それでも手洗い(実際は濡れタオルで拭いてもらうだけだが)とうがいはしなければならなかった。また抱き抱えてベッドに戻してもらい横になると、体がとても重く感じた。部屋が静かになると、立てなかった事に対する愕然とした気持ちが再び押し寄せてきた。(ほんとに歩けるようになるのかな…?)寝たきりで歩けなくなるなんて老人のようだと思った。さっきのかくんとなる足の感触、とても歩けるようになるとは思えなかった。再び悲しくなって涙が出てきた。なんでこんなことばっかり。まだ25なのに、なんでこんなつらいことばっかりなの…。私が何をしたっていうの?私ばっかり…。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年10月03日
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今週は定期通院で病院に行ってきました。前回入院してやった肝生検の結果を聞きました。結果は変わらず…でした。「慢性拒絶」。もっといい薬が開発されないかな~。どうなる、肝臓!? * * *(以下、前回の続き)お母さんがいたので泣いてることに気づかれたくなくて、あえて涙は拭かなかった。「そろそろ戻ろうか」お母さんは私が泣いていることに気づいていただろうか?そう声をかけてきたので私達は部屋に戻ることにした。流れっぱなしの涙を含んだマスクは冷たくて、早く外したかったが、部屋の外では外すことは厳禁だった。現実はこんなものだった。部屋の外ではマスクを外せない私が、いつになったらあの新宿のごちゃごちゃした雑踏の中を歩けるのだろう。それはとてつもなく遠いことのように思えた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月28日
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一人では立つことすらできず、パジャマともこもこした上着に包まれてかっこ悪く着膨れ、車椅子から新宿を眺めるだけのみじめな私。会社の友人たちは私のことなんて忘れて、今も変わらずにあの場所を歩いているのだろうか?我慢していたものがこらえきれずに溢れ出てきた。はらり、はらり、と。涙は頬を伝って、マスクの細かい繊維の中に染み込んでいった。「またあそこを歩きたい」みんなと同じように普通の女の子に戻りたかった。「早く、早くあの街へ戻らなければ…」そう心に決めて、新宿のビル群をじっと見据えた。焦りと不安。そんなものがごっちゃに入り交じって、涙は止まるどころか次々と溢れてきた。誰も近くにいなかったら、声を上げて泣きたい気分だった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月21日
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「寒いっ」頬に当たった風は冷たかった。あの生暖かい夏の風とは明らかに違うひんやりと冷たい秋の風。(そうか、私が入院した時はまだ夏だったのに、もうそんなにたったんだ)病院にいるうちに季節はひとつ移り変わり、いつの間にか半袖は長袖になっていた。自分が病院にいた時間の長さがずしりとのしかかってきた。出入り口の、少し外を覗けるくらいのところに車椅子を止めてもらい、外の景色を眺めた。遠くの方に新宿の高層ビル群が霞んで見えた。以前は自分もあそこにいた。かわいい服を着て、しゃんと背筋を伸ばし、いっちょ前の東京人気取りで歩いていたあの場所。新宿は今も変わらずあの場所にあるのに、自分はなんて遠くに離れてしまったんだろう…。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月20日
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「せっかく車椅子に座ったんだから散歩でもしてきたら?」宇多川さんはそう言ってくれた。ここの病棟には屋上があった。お母さんはよくそこに洗濯物を干しに行っていた。私はかねてから行ってみたかった屋上に行きたい、と言ってみた。「いいよ。お母さん、一緒に行かれます?ただ、外は寒いからいっぱい着ていってね」宇多川さんの許可がおりた。病院の中は暖かかったのでそのままのかっこでもいいと思ったが、外はそんなに冷えるんだろうか?靴下をはかされ、パジャマの上にお母さんのシャツを羽織り、その上にガウンを着せられ、ひざかけまでかけられた。もちろんマスクも。そんなに着なくてもいいんじゃない?と思うくらい、厚着させられ、万全の態勢で屋上に向かった。車椅子が一台入るか入らないかの狭いエレベーターに乗り、一番上の階に着いた。エレベーターを降りるとすぐ、目の前に洗濯機コーナーがあった。お母さんは毎日ここで私の着替えなどを洗濯しているのだろう。洗濯機コーナーの手前の短い廊下を左に曲がると、そこに屋上への出入り口があった。屋上へのドアを開けると、風がびゅうっと吹き込んできた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月19日
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たいていの移植患者は、徐々に病状が悪化して、移植が必要だと言われ、覚悟を決めて移植をする。病院側からは術前・術後の経過や入院期間、何日後に歩けるなど細かく説明を受けるのだろう。充分な準備をして移植手術にのぞむので、手術の直前までわりと普通に歩いたり食べたりしている。ところが私は、手術を受けた一週間前くらいから意識が朦朧としてきて、手術後目が覚めるまでに数日かかった。それでいて術後はICUにしばらくいて、肝臓がずれるから動くなと言われ、個室に移ってからも管をたくさんつけて、自分で自由に動ける体ではなかった。筋肉はあっという間に衰えた。知識も説明もなかったので「歩く」という基本的なことを忘れていた。その期間は、私の筋肉をそげ落とすには充分すぎる日数だった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月18日
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