陶玄郷だより (フラクタルの森)

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カテゴリ: 日記
昨日から火を入れている。

今は、枯れた松や、共有林で伐採された雑木をチョロチョロと燃やしている。
今燃やしている場所は作品とは遠く離れているので、ドロが付いていようが、枯れていようが、生木であろうが、太い丸太であろうが、何でも燃やせる。
1000度を超えるまでは、こちらをメインに焚くおかげで、燃料費にかかるコストが少なくて済む。
おまけに比較的均一に温度を上げることが出来ることで、焚き割れの率も非常に少ない。
しかも、その為に、今までの窯に比べて早く温度を上げることも出来る。
29日には、焼き上げることが出来るはずだ。
それでも、窯焚きは火を長く見るせいか、視神経の奥に疲れが残り、少なくとも2日間の休養が必要だ。

今回作った窯は、分類するならば穴窯にあたるのかもしれない。
形は、ギリシャ時代に使われていたという窯によく似ている。

私の前世は、イスラエルの地でイエス様が活動をされている時代にも有ったようだが、
その時にも焼き物師をしていたらしい。
この窯は、その頃使っていた記憶をベースにしているのかもしれない。
昔から不思議な感覚が有って、イエス様に対する思いは普通では無かった。
(しかし、クリスチャンではなかった)
その時代に生きていた記憶が有るとしか思えなかったけれど、
さすがに、陶芸に従事していたような感覚は無かった。
親しい友人に、江原氏やエドガーケーシーのような能力を持った人がいて、
チャネリングでいろんな霊人と話をしていたけれど、

当時、イエス様に学んでいたコトは納得した。
その時に伝えられたのが、私の器をイエス様が使われて、喜んでくださったことがあり、
そのコトは、誇りとして魂の光り輝く記憶として残っているとも言われた。
私は、イエスを救世主と認めている。もちろん、お釈迦様も、孔子様も、ムハンマドもである。
その時代の救世主に器を使って戴ける喜び、それがどれほどのモノであるのかは、

しかし、そのチャネリングの後、現代、地上に降りられた救世主(私は、そのように認識している)に
お茶碗を使っていただき、口を付けられた器が、我が家の家宝として有る。
そして、別のお茶碗を送らせていただき、お礼のお手紙まで戴いた。
人は、転生輪廻を繰り返し、いろんな人生を送るにしても、似たようなコトをするらしい。

イエス様は、救世主として認められるのに死後100年かかった。
当時は、罪人と一緒に処刑されたような人である。
なぜ、そのようなコトになったのかは、明白である。(私たちの罪のあがないの為では無い)
その教えの内容をよく見れば、その素晴らしさが分かるのに、見ようとせず、
単純に、見るものの都合、目先の損得、その立場の存続に執着するあまり、
本物を見ることが出来なかった、その当時の多くの人々の愚かさの現れだったと思う。
目に見えないものをないがしろにしすぎた為に起こった悲劇であろう。

目に見えないものを見る。
もちろん超能力を勧めるモノではない。
時間的、空間的に、見えにくいものまで意識を広げて、常識的に考え、
さらに、天帝、神、仏、サムシンググレート、アラー、何でも良いが、
全ての人類の親である存在を意識して、その視点から考える努力をしてみると、
当然、浮かび上がってくるコトである。

「真理」

これを見ずして、本物の幸福は無いと思う。





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Last updated  2007.03.25 22:02:06
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