陶玄郷だより (フラクタルの森)

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カテゴリ: 思想
どうしても人というのは思考停止をしたがるモノだ

時間的(陽)にも
空間的(陰)にも
どうしても目先のこと身近なことでしか考えられない傾向がある
目の前に現れ映像として脳裏に焼きつけられた印象が大きな影響力を及ぼす

人も自分もそのようなモノであるという前提で
物事を考えないと、後になって困った事態を引き起こすことになる

原爆の日や終戦の日も近いけれど

戦争の悲惨さを前面に取り上げ
2度とそのことを起こしてはいけないという論調で終わる
先の戦争では実際に大きな被害を受け多くの悲しみが生まれた
その印象は衝撃的だっただろう

それは 「どのようにして・どうなった」(陽) という目に見えやすいの部分である
しかし、もう一つ 「なぜ・どうして」(陰) の見えにくい部分がなおざりにされがちだ
そのことを思考停止だと私は言っているのである

なぜ争いが起こり戦争までに発展してしまうのか
現代では、戦争ではなくテロという言葉もある

深い人間学なくしてその原因をつかまえる事はできない
その原因を、その当時の指導者や戦闘参加者のせいにするのが簡単で分かりやすい
戦争被害を受けた人たちは正しくて、かわいそうで
悪かったのは彼らのせいとしてしまうのが簡単である
そのように整理した方が人々にも受け入れられやすく見識ある者と見られがちだ


私と同郷の大江健三郎氏がいる
彼はノーベル文学賞も受け知性豊かな人でもあるのだろうが
まさしく、思考停止の人なのだろう
左脳的(陽)には頭がいいのだろうが
しかし、右脳的(陰)にはどうだろうか

陰の 「なぜ・どうして」(感性・悟性) の所を中途半端で終わらせた方が結論が早い
そうした方が、分かりやすく頭が良さそうに見えることが原因なのだろう
とことん探求しようとすると、なかなか結論は見えてこない、当然、愚鈍に見える

なぜ争いが生まれ戦争にまでなったのか?
深い洞察で歴史観の本を書いておられる渡部昇一氏のような方もおられるが
氏のような立派な方がおられても、なかなかそれがメジャーにはならない
表面的で分かりやすく受け入れやすい簡単な論説に民衆は引っ張られやすいのである

かく言う私でもそうだ
目に映った映像、耳に入った分かりやすい言葉で大きく支配される傾向がある
誰かが言ったが、嘘も繰り返せば本当になる
戦争に限らず、経済でも、何でもそうだが
「どのようにして・どうなっている」だけに振り回されず
「なぜ・どうして」の所、左目をしっかり見開かなければならない
その 存在意義 にまでつながる認識(哲学・宗教)無く生きていると
今、自分自身で非難しているようなことと同じ愚かしさを
自分自身で演じているようなことが有る。





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Last updated  2008.07.17 10:32:37


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