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カップヌードルのアメリカ進出の話だとばっかり思っていたら、どうも「マルチャン」がモデルらしい。そして、プロジェクトXばりのアメリカへの企業進出の苦労話とか、思ってたのですけど、ちょっと違ったみたい。確かに、アメリカにつくった工場の苦労話ですけどね。 結局買収とか、大量注文なのに、調理のための油が足らなくて調達しようとする話、自由の国アメリカの底辺の貧しさから抜け出せない現地の従業員と、現地に来た日本人正社員、結局は人の情と誠意がものを言う。 それなりに感動ものの物語ではある。世界に日本のカップメンを売ろうとした当時の企業の社員たちの苦労もわかる。しかし、現在そうして苦労して作り上げてきたカップメンの容器のせいでおきている環境ホルモンの問題と、それによる不妊症の増加などなどの現在の社会問題の出発点なわけであるのだから、単純に感動できない。 当時はもちろん、まだ、環境ホルモンなんて、想像もしていなかった時代だから、手軽で安価でおいしいカップメンを必死に売ろうとがんばった社員の人たちには、頭がさがるのだが、かれらの努力によって、環境ホルモンは振りまかれ、不妊症が増えていることをおもうと、その皮肉な状況になんとも複雑な気分になった。 おりしもこのビデオを見た、同じ日の午前中に民放テレビでやっていた「不妊症」の実体験ドラマ特集なんかみてたから、なおさら。原因は女にも男にもある。それらの悲壮さもプラスアルファであった。 がんばってきたその結果が逆に他人の不幸も呼んでしまう場合もある。つくづく運命は皮肉なのか。マーガリンの問題もあわせて、次はロハス、スローフードに目を向けるべきなのか。 そう思いつつ、時々カップメン買ってしまいます。食べてしまいます。でも、子供には極力食べさせたくないです。 うーん。この記事はタイトルは、映画なんだけど、内容は映画をきっかけに考えたことですね。とりあえずこんな映画です。
2006年09月17日
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監督のやっつけ仕事。 作品自体はなかなかよかったし、役者さんたちもがんばっていたと思う。シナリオもまあまあだし、禅道を知らない人には分かりやすくできていると思うし、道元の教えも理解しやすい。ただ、練りこんでいないというか、熟成していない。シナリオをシナリオのまま、そこそこの演技でオーケーだして、取り合えず完成しましたという感じ。ちょっともったいない。内田有紀さんなんか、結構熱演しているのに。最初の頃は若くてかわいくて元気で明るい女の子。そういう感じだった彼女が、結婚と離婚という経験を通して、生きることに苦しむ女性をとてもうまく演技するようになったなぁとおもう。でも、根が明るい子なので、見ていて悲惨さ、陰惨さを感じないですむ。いい女優さんになり始めているのかも。ただ、今回の作品。汚れ役で、極貧の娼婦なのだから、もう少し薄汚れて疲れている感じの衣装やメイクなどしてほしかったし、もう少し演技を盛り上げて欲しかったと思う。残念である。 それにしてもね。禅道って名前は知っているけれど、どんなものなのかしらなかったので、勉強になりました。死んで極楽浄土に行くことを願うより、今生きている人生を幸せなものにしたい。人は欲にとらわれているゆえに苦しい。 でもね。権力者の政治が悪いせいで、食べ物もなく、貧乏に迷う人々を思い、そんなことのない世の中にしたいと思っていた道元が、鎌倉の執権北条によばれ、彼の悩みをさとし、彼に気に入られる。道元をきにいった北条は、この鎌倉の地に寺をたててやるとまでいってくれるのに、道元は越前に帰ってしまいます。 でも、食べるものもない一般の人々よりも、権力者こそが欲望にとらわれて生きているわけで、欲にとらわれない生き方を諭す相手はまさにそういう権力者であるべきなのでは。民衆はまず、食べるものが必要だと思います。ホトケの教えはまず、生活の基盤が整ってからの話だと思うのだけど。で、そういう権力者のそばにいて、権力者の人たちをさとし、世の中が荒れないようにすることこそが、世の中をよくすることなのではと、思うのですよね。そそれこそが飢えに苦しみ、盗みをする人のいないな世の中への道だと思うのですが。 それなのに、越前に帰ってしまう。欲にとらわれずに己の中のホトケを求める。それはそうなんだけれど、それをまず、鎌倉で、権力者にたいして、指導し、鎌倉の地で多くの人に広め、権力者からどんどんお金や食糧をもらって、一般の貧しい人たちに、くばってしまうほうがいいのにと、思ってしまいました。 道元と禅を普通の人に解説する映画。たまたま有名な役者さんたちでつくってるけれど、そうでければ、宗教法人の宣伝映画か、学校で見せられる普通の地味な、無名の役者さんでつくった映画。そんな感じなのよね。 でもまあ、そこそこには面白かったです。補足もあります。→ 『禅』補足禅 ZEN@映画生活
2009年01月24日
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うまい。うますぎるよ。あの三九朗。すごいプレイボーイっていうか。女ったらしって言うか。顔はまあまあ男前だからあたりまえだとして。まず最初のセリフが「この出会いはさだめだったのか。」って来て、その後、御国が三九朗の部屋に夜そっとしのんで行った時に「お前が来ると思っていたぞ。まっていたぞ。」とか言って、そのあと御国が「踊りなんかどうでもいいからあなたと一緒にいたい。」とか言ったら「踊っているお前が好きなんだ。」とくるでしょ。どうしてこう次から次へと女がころっとくるセリフをタイミングよく言うかなあ。ホントに阿国に惚れてるのかなぁ。どうみてもアイドルタレントとマネージャーの関係でしょ。阿国が踊るように踊るように仕組んだセリフを次から次へと言っていくでしょ。一見阿国に惚れてるように聞こえるのに阿国が踊らなきゃならないようにすごくうまーくもっていく。原作有吉佐和子さんだものねえ。女心よくわかってるよねえ。こーんなうまいセリフ言えれば女を落とすの簡単なんだけど、普通の男ってなかなかこういうセリフ言えないんだよねー。ドラマっていうよりプイボーイ入門講座って感じでしたね。 それにしても踊りのシーンになると菊川玲の顔のアップばっかり。踊りの名手の話なのにそのあたりごまかすのが苦しそうです。出雲の阿国は歌舞伎の創始者なんだけど、昔歴史の教科書に出てきたときはとにかくテストのための暗記の単語でしかなくって、教科書に出てくるくらいだから歴史上重要人物なわけだけど、教科書の中だけではピンと来ないんだよね。こんな風に恋に悩み、芸に悩む一人の女性としてみせてくれる本やドラマはありがたいのです。 でも、出雲の阿国が主人公の話なんてはじめてだし、菊川玲はきれいだし、次回が楽しみです。↑原作ですね。
2006年01月14日
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ジブリアニメだというのに、ついうっかり、寝てしまった。映画の前のランチで、ブルーハワイなんか飲んだせいだ。その上、クーラーがきいて、いいシートで、快適だったんだもの。 ストーリーは、含みがタップリなようでもあり、単純なようでもあり、感想は、人それぞれいろいろありそうだ。しかし、中盤で寝てしまったので、私には、よく分からない。途中を見ていない段階では、是非は書けない。けれど、みそびれた部分を観るためにもう一度劇場にいって、最初から見直す気にもなれない。 さすがに、やめるはずだった宮崎駿が、がんばってもう一度腕をふるった作品の、その描写のひとつひとつ、さまざまな海の画面はとてもうつくしく、すばらしい。 けれど、主人公の宗介が、金魚のポニョを助けだすために、ガラス瓶を割るために、大きな石をガツンと、ポニョのはいったびんに当てて、ビンをわるシーンで、ギョッとしてしまった。映画に対しての気持ちががひいてしまった。相手は、生きた金魚なのに。うっかりまちがえば、つぶしちっゃたり、ころしちっゃたり、けがをさせちっゃたり、するでしょうに。いくら、宮崎アニメでも、ちっょと、デリカシーなさすぎでは。 彼の作品はとくに、「未来少年コナン」なんかでも、そうだけど、人間がここまでできるわけないだろーと、思うようなとんでもない行動ができちっゃたりする。たとえば、ものすごく高いビルから飛び降りても、大丈夫だったり、飛んでる飛行機の羽の上を走ったり、足の指だけで、つかまったりする。それが、コナンの場合は面白さをだしていて、まあ、コナンだから、と、許容できたし、それこそがコナンの面白さだっのだけれど、でも、今回は金魚なんだよ。 いくら、そのあと、人間になったり、魔法を使えたりするスーパー金魚でも、それでも、この最初の段階で、金魚をぎゅーってひっぱったり、ビンごと、石でぶち割ったり。これを見た子供たちが、本物の金魚をぎゅーっとひっぱったら、絶対金魚はちぎれて死んじゃうのだ。 人はもっと海のことを知って、海となかよくしようというメッセージのわりに、この描写はどうなのだろう。もっと他の解決作はなかったのだろうか。 それとも、金魚のはいったガラス瓶を割る宗助の乱暴な行動は、その先で語られるメッセージへのアンチテーゼなのだろうか。そうとは、思えない。 陸の人である宗介と、海の人であるポニョが、手をつないで、歩く。陸と海が仲良くなる。人は、もっと、海を愛して、大切にした方がいい。 宮崎アニメは、全作品を通して、環境問題を語り続けてきている。今回も、前半で、海の中のゴミを集めるシーンが描写される。海が怒って、陸にせめてくるシーンも、描かれる。陸の人間は、海に対して、デリカシーや、配慮が無さすぎではないですか。 陸に人がいてそこで生きているように、海にも、たくさんの命があって、そこで、生きているたくさんの命があるのに、人間は、そんなことに、無配慮すぎではないのですか。 そして、世界は海におおわれる。宗助の家も町も世界のすべてが、海におおわれる。 「千と千尋」が十歳の女の子のために作られたように、この作品は五歳くらいの子供たちのために作られた映画なのだと思う。絵本のような景色の描かれ方も。そして、五歳の子供にとって、自分の家と自分の住む町と、自分の行ったことのある場所が世界の全て。 その世界の全ては、海に飲み込まれていく。 そんな風に、五歳の子供のためにつくられている一方で、子供たちを映画館に連れて行って、子供と一緒に見る親たち、大人たちのための映画でもあるようだ。 自分が子供の頃、遊んだおもちゃの船に、自分が乗ってしまっている世界。子供のころお母さんがつくってくれたチキンラーメン。漫画の中でみた、どんぶりで作るラーメン。いつもいつもおいしそうにたべられていたチキンラーメン。このあと、ひさしぶりにチキンラーメン買って来てしまいました。 映画を子供と一緒にみている大人たちが、子供と一緒に子供にもどる時間。 私は無口でおとなしくて、ぼーっとした子供だったけれど、もし今もう一度子供になった私とであったら、友達になってくれる?と、以前娘に聞いたことがありました。いいよ、友達になってあげる。そして、一緒にあそんであげるよ。と、娘は答えてくれました。 子供に戻った親と、子供たちが一緒に遊んでいるような、そんな気持ちになるような映画だったかもなあ、と思いました。 子供たちへ向けたメッセージと、大人たちへ向けたメッセージとが、それぞれにあるんだと思います。ポニョは、海から陸へ上がって陸の人となるけれど、それは別に特別なことでもなんでもなくて、人類はもともと海で生まれて海で育って、そして、陸に上がって、陸の生き物になったのですから。 ちなみに、私は、夫と二人で見に行ったので、すでに大きくなってしまっている我が家の子供たちは、もう、一緒にきてくれません。 アーそれにしても。地球をもっと大切にしないと、地球温暖化で、水位が上がって、我が家も水没しちゃうなあ。でも、できるものなら、水没した我が家で暮らすのも楽しそうだ。もういちど海の人にもどるのもいいかも。 崖の上のポニョ@映画生活
2008年07月24日
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中国王朝を舞台にしたファンタジー。最近は一世を風靡した時代物の韓国ドラマがほとんどなくなってきて、それに代わって時代物の中国ドラマの放送が増えてきています。私もせっせとBS放送で中国ドラマを見ているのですが、それだけでは物足りなくなってきて、小説も中国ものを読みたくなってきたのです。中国後宮ものというと有名なのが、『宮廷の諍い女』なんですけど、私はこれはまだ見てません。後宮ものといえば、とにかく女同士のドロドロの抗争劇ですが、個人的にはあんまり好きではありません。で、この小説は、玉座を争って皇子同士が戦いあうお話。男性版中国王朝ドロドロ劇です。皇帝が崩御した途端、次の玉座をめぐって、8人の皇子たちが競い合うことが、制度としてシステム化されたセイ王朝のお話です。その設定がものすごく複雑で、読んでいて覚えないとならないことがすごく多いし、ほとんどが難しい漢字なので、読み方すら覚えられません。本の冒頭に記されている8人の王子のプロフィールと、システムの名前と読み方を何度も見直しながら、読み進んでいくのはなかなかに大変なのですが、それでも、読み進めてしまうのはやっぱり、今までにちょっとなかった設定と先の読めない展開のせいでしょう。中国ドラマを見ていると時々出てくるふこ(巫蠱)の呪術を基本にして、中国で実際にあった晋王朝(西晋)の内乱、八王の乱をモデルにおいて描かれています。この乱によって晋王朝は、滅んでしまったのですが、だったら、王朝が滅ばないように、臣民に迷惑をかけず、軍隊を無駄に浪費せずに、王子だけで戦わせたらどうなるかというシステムを考えた物語なのです。13か月かけて、宮廷内に出現するコキ(妖怪もの)を毎月規定数倒して、最後まで残った王子が勝つわけですが、どんなずるをしてもいいし、ライバルを蹴落とすためにだましてもいいわけで、ただ皇子同士が戦うだけの体力戦ではなく、相手をはめて生き残る頭脳が求められるわけです。このコキは、人の形で出てきますが、これもまた、宮廷に閉じ込められたふこの虫なわけです。その設定で一体どんな方法で、勝ち残るのかが、このお話の読みどころなわけです。細かいルールがものすごくたくさんあって、このシステムを破綻なく考え出すのは相当大変だったろうと思います。生き残るために皇子の心を支えるものは何なのか。それは、愛する人なのか、人生の目標なのか、もっと高い志なのか。それでは、ふこ(巫蠱)の呪術とは、何なのかというと、道教の呪術の一つで、ツボの中に餌を与えずに複数の虫を入れておくと、共食いをして一匹だけが残ります。その虫を呪術の道具として使うものです。物語では、宮廷という限定された空間の中で王子たちが戦うわけで、王子の一人は自分たちもまた、虫なのだなと、思うわけです。皇帝の寵愛を競わされる後宮もまた、ツボの中に閉じ込められて、自分を守るため、生き残るために妃濱たちが競い合うようなもので、やはりふこの虫と同じだと思います。争いを嫌って、おとなしくしていれば、殺されるか、劣悪な環境で、最低の暮らしをするしかなくなるようです。虫にしても、人にしても、狭い制限された空間に閉じ込められていれば、お互いを殺しあうしかなくなるわけで、学校や会社でいじめが起こるのも無理ないなあと思います。これもまたある意味、ふこの術に近いものがあるのかもしれません。今の日本では、学校も会社も生きていくために、どうしても行かなくてはならないところ。でも、遅刻にうるさかったり規則で縛ったり、休みもおちおち取れないのでは、ふこの虫と同じです。せっかくコロナでいろいろと緩くなったので、このまま社会全体が緩いルールで暮らしていけるほうに進んでいければいいのにと思うのです。物語の最後では、死ぬはずだったヒロインは、解き放たれて、広い世界へと旅立っていきます。それが一番の解決なんですね。ちなみに、皇位を持つ皇子たちをみんな殺してしまったら、即位した後、後継ぎも作らないうちに、すぐに、病気かけがで皇帝が死んでしまったら、そのあとの帝位は誰が継ぐのでしょう。困らないんですかね。オスマントルコ帝国でも、一人が皇帝になったら、ほかの王子たちはみんな処刑と決まっているそうで、皇帝がすぐ死んだらどうしようと困ることはなかったのでしょうか。江戸幕府なんか逆に、後継ぎに困らないよう、大奥のほかに御三家御三卿まで、用意していたほどなのに。中国やトルコってたくましいのでしょうか。そのあたりだけが謎です。九天に鹿を殺す 煋王朝八皇子奇計 (集英社オレンジ文庫) [ はるおか りの ]
2020年10月26日
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昨日はちょっと遠出。子供は留守番でしたけど。 春に逝った父が残した遺産のひとつに、隣の県の片田舎に買った小さな土地がありました。資産価値としては、ほんとに微々たる物。今は買った当時の金額より評価額はすごく少ない。何であんなところにあんなもの買ったんだろうと母がぶつぶつ言います。私がもらう土地でもありません。それでも、父が買った土地はどんなところだろうと、だんな様に頼んで見に行きました。実は子供の頃一度だけ連れて行かれたことがあって、うっすらと覚えているのですが、当然明確な記憶でもなく、子供でもあったので、どこなのかなんてその記憶からはわからない。なにしろ田舎なので、大体の場所しかわからなかった。多分このあたりいったいのどこか。もう少し調べるか、当の母と一緒じゃないとはっきりしたわからない。それほどのど田舎でもなく、少しだけ開けていて、少し人は住んでいる。ほとんどは、畑です。ときどき、農家が建っていて、いったい最寄駅にはどのくらいで行けるのか。そのあたりにスーバーも学校も見当たらない。およそ普通に住むには不便そうなところです。ところがそんなところなのに、ところどころに分譲の建売が建っているのです。近くまで行くと、そのあたりだけ、何件かの建売。本当にその部分だけ。しかも、なにやらすさんでいる雰囲気。家の周りとか、外観のメンテナンスとか、手直しとかも、してないのですね。もしかして空き家なのかなと思うくらい。でも、車がとまってたり、自転車がとまってたり、住んではいるらしい。きっともう、住んでいる人は高齢になってしまっていて、外観の修復なんてできないのかもしれません。父が買った時からの年数を数えれば多分そんな感じ。そんな分譲のほんの一区画を買ったのでしょう。確かに、役に立つのか、意味があるのか、わからないようなところです。母が嘆くのもわからないではない。でも、父がその土地を買った当時は、『日本沈没』なんて映画もはやっていました。地震が来る、来ないと騒がれてもいたんです。そして、私達が今住んでいるところはゼロメートル地帯なので、いくら固定資産税の高い都市部とはいえ、いつ水没するかわからない。父にとってはそれが不安だったのでしょう。東京といっても、下町はそんな場所。特に田舎とか、地方に親族を持たない我が家にすれば、そんな時逃げていく先がありませんから。だから、あんな田舎の僻地ともいえるようなところに土地を買ったのだと、思うのです。僻地と呼ぶのはちょっと失礼ですね。普通に住んでいるかたがたもいるのですから。このあたりもうしわけありません。でも、父にとっては、一種の保険。しかし、幸いなことに結局その土地は使われることなく、父の生涯は終わった。そんなところにほうほうの体で逃げて行かなくてすんで、無駄な買い物に終わったことは、実はいいことです。母は、相変わらず、不満げですが。でも、そういう場所に我が家を構えて住んでいる人もいるんですね。東京に生まれて育ちながら、東京にあわない私なんかは田舎に住みたいと思いながら、ああいう不便なところに住んでいる人がいる現実には、考えさせられてしまう、アマちゃんです。でも、とりあえず、高台の絶対水没だけはしない、自然に囲まれた場所。体さえ丈夫なら、住めば都かもしれない。東京は便利だけど、殺伐として、いや。田舎は自然があって空気もよさそうだけど、不便そう。考えちゃうんだわ。しかもね生まれたところ以外に嫁に行く度胸もなかったもんで。小心者なんだわさ。
2006年10月02日
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