全1056件 (1056件中 1-50件目)
亀戸天神です。近くに実家の菩提寺があるので、お墓参りのついでによく行くところです。以前お正月に行ったら、参拝客が通りのところまで並んでいて、あきらめたことがあります。なので、今回は平日に行きましたが、それでも、お太鼓橋の上まで、並んでいました。まだ、藤も梅も咲いていません。並んでます。受験が近いからと思ったけど、この後に行った芝大神宮も並んでいました。1月だから?神社ブームだから?昔はこんなに並んでいることなかったんだけどなあ。池のところにサギがいました。何の種類かグーグルレンズで調べたら、アオサギだそうです。何かのイベントのための台。が作られていました。節分かなあ。向こうにスカイツリーが見えます。白梅と紅梅が1本づつだけ咲いていました。以前から気になっていた天神様の前にあるお蕎麦屋さんに今回初めて入ってみました。十割そばです。これは、天神そば。鶏ひき肉と小エビとえびしんじょが入っていました。そして、天ざる。どちらも高かったけれど、おいしかったです。ただ、ネット登録すると安くなるという割引は、やめてほしいです。なんかえげつない。面倒。登録しようかと思ったけど、面倒でやめてしまいました。良いお天気でした。寒かった。
2023年02月03日
コメント(0)
新しいレンジを買いました。【ポイントUP対象商品】【シロカ公式】siroca ミラーガラス電子レンジ SX-18D132(K) ブラック | 電子レンジ レンジ フラット 単機能 温める だけ | 解凍 肉 刺身 魚 インバーター制御 湿度センサー搭載 ヘルツフリー 高出力 900W 低出力 100W フラットテーブルさんざん悩みました。8000円台の安いものにするか、高くても、そこそこ機能のいいものにするか。前回買ったレンジは、15000円台のもの。パナソニック。同じようなものを買うなら、8000円から12000円くらいで買えそうですが、操作盤があまりにもちゃっちい。機能は同じだけど、パナソニックのものは、操作の機能がちゃんと作られていました。同じ機能なら安いものが買えるけれど、つまみとかすごくちゃっちい。かわいいものもいいと思ったけど、機能性で旦那に却下されました。特典付き【toffy 電子レンジ】toffy 電子レンジ k-dr1-pa Toffy 小型 電子レンジ 17l レトロ ホワイト 単機能 フラット かわいい おしゃれ 容量17L K-DR1【送料無料】レンジ 解凍 温め トフィー レトロカラー 広々庫内 一人暮らし 簡単操作 ラドンナ プレゼント 新生活レトロでかわいいけど高い。断念。【生活応援】電子レンジ アイリスオーヤマ 17L おしゃれ IMB-RT17-WC IMB-RT17-R IMB-RT17-H送料無料 レンジ ターンテーブル 小型 可愛い かわいい 単機能電子レンジ 単機能 一人暮らし 新生活 調理 解凍 おしゃれ家電 家電 リコパ ricopa [ss] あす楽赤くてかわいくて面白いと思ったけど、赤はすでに欠品で買えませんでした。白を買おうかと思ったけど、出力が足りないと言われ、断念しました。50Hz12月上旬入荷予定 【電子レンジ 17L 700W おしゃれ】レトロ PRE-702B ユアサプライムス 電子レンジ PRE-702B レトロデザイン 単機能 ターンテーブル 横開き 50Hz 60Hz 専用 ※お使いの地域のHzを必ずご確認ください レンジ YUASA PRE702B お洒落 かわいいレトロでかわいかったけど、50hzがなくて断念。発売される12月まで待てませんから。こういう単機能レンジはもう大手ではもうあんまり作ってないですね。だいたいオーブンレンジが多い。でもうちにはガスオーブンがあるし、オーブンレンジって不便です。オーブンでおかずを焼きつつ、冷凍ご飯を温めるというのができない。オーブンを使った直後は、庫内温度が高いので、ラップやレンジの温めが使えない。オーブンとレンジの機能は別の機械でないと、使いにくいです。ちなみに今回買ったシロカは、大手でも、アイリスやツインバードなどの企業とも違う新興電気メーカーなのかな。知名度の低い、ちょっとマイナーなメーカーって結構好きです。機能性のわりに、大手よりは安い。使い勝手はこれからー----。
2022年10月23日
コメント(0)
中国王朝を舞台にしたファンタジー。最近は一世を風靡した時代物の韓国ドラマがほとんどなくなってきて、それに代わって時代物の中国ドラマの放送が増えてきています。私もせっせとBS放送で中国ドラマを見ているのですが、それだけでは物足りなくなってきて、小説も中国ものを読みたくなってきたのです。中国後宮ものというと有名なのが、『宮廷の諍い女』なんですけど、私はこれはまだ見てません。後宮ものといえば、とにかく女同士のドロドロの抗争劇ですが、個人的にはあんまり好きではありません。で、この小説は、玉座を争って皇子同士が戦いあうお話。男性版中国王朝ドロドロ劇です。皇帝が崩御した途端、次の玉座をめぐって、8人の皇子たちが競い合うことが、制度としてシステム化されたセイ王朝のお話です。その設定がものすごく複雑で、読んでいて覚えないとならないことがすごく多いし、ほとんどが難しい漢字なので、読み方すら覚えられません。本の冒頭に記されている8人の王子のプロフィールと、システムの名前と読み方を何度も見直しながら、読み進んでいくのはなかなかに大変なのですが、それでも、読み進めてしまうのはやっぱり、今までにちょっとなかった設定と先の読めない展開のせいでしょう。中国ドラマを見ていると時々出てくるふこ(巫蠱)の呪術を基本にして、中国で実際にあった晋王朝(西晋)の内乱、八王の乱をモデルにおいて描かれています。この乱によって晋王朝は、滅んでしまったのですが、だったら、王朝が滅ばないように、臣民に迷惑をかけず、軍隊を無駄に浪費せずに、王子だけで戦わせたらどうなるかというシステムを考えた物語なのです。13か月かけて、宮廷内に出現するコキ(妖怪もの)を毎月規定数倒して、最後まで残った王子が勝つわけですが、どんなずるをしてもいいし、ライバルを蹴落とすためにだましてもいいわけで、ただ皇子同士が戦うだけの体力戦ではなく、相手をはめて生き残る頭脳が求められるわけです。このコキは、人の形で出てきますが、これもまた、宮廷に閉じ込められたふこの虫なわけです。その設定で一体どんな方法で、勝ち残るのかが、このお話の読みどころなわけです。細かいルールがものすごくたくさんあって、このシステムを破綻なく考え出すのは相当大変だったろうと思います。生き残るために皇子の心を支えるものは何なのか。それは、愛する人なのか、人生の目標なのか、もっと高い志なのか。それでは、ふこ(巫蠱)の呪術とは、何なのかというと、道教の呪術の一つで、ツボの中に餌を与えずに複数の虫を入れておくと、共食いをして一匹だけが残ります。その虫を呪術の道具として使うものです。物語では、宮廷という限定された空間の中で王子たちが戦うわけで、王子の一人は自分たちもまた、虫なのだなと、思うわけです。皇帝の寵愛を競わされる後宮もまた、ツボの中に閉じ込められて、自分を守るため、生き残るために妃濱たちが競い合うようなもので、やはりふこの虫と同じだと思います。争いを嫌って、おとなしくしていれば、殺されるか、劣悪な環境で、最低の暮らしをするしかなくなるようです。虫にしても、人にしても、狭い制限された空間に閉じ込められていれば、お互いを殺しあうしかなくなるわけで、学校や会社でいじめが起こるのも無理ないなあと思います。これもまたある意味、ふこの術に近いものがあるのかもしれません。今の日本では、学校も会社も生きていくために、どうしても行かなくてはならないところ。でも、遅刻にうるさかったり規則で縛ったり、休みもおちおち取れないのでは、ふこの虫と同じです。せっかくコロナでいろいろと緩くなったので、このまま社会全体が緩いルールで暮らしていけるほうに進んでいければいいのにと思うのです。物語の最後では、死ぬはずだったヒロインは、解き放たれて、広い世界へと旅立っていきます。それが一番の解決なんですね。ちなみに、皇位を持つ皇子たちをみんな殺してしまったら、即位した後、後継ぎも作らないうちに、すぐに、病気かけがで皇帝が死んでしまったら、そのあとの帝位は誰が継ぐのでしょう。困らないんですかね。オスマントルコ帝国でも、一人が皇帝になったら、ほかの王子たちはみんな処刑と決まっているそうで、皇帝がすぐ死んだらどうしようと困ることはなかったのでしょうか。江戸幕府なんか逆に、後継ぎに困らないよう、大奥のほかに御三家御三卿まで、用意していたほどなのに。中国やトルコってたくましいのでしょうか。そのあたりだけが謎です。九天に鹿を殺す 煋王朝八皇子奇計 (集英社オレンジ文庫) [ はるおか りの ]
2020年10月26日
コメント(0)
セックスなしでも私を愛してくれますか。前半、不幸な貧乏話が延々と続くので、この手の話の嫌いな私は、ちょっと辛くて、読むのをやめようかと思ったのです。なんで、図書館に予約を入れたのかはもう思い出せません。でも、実は、芥川賞を受賞した『乳と卵』のリライトだそうです。後半では、小説家となった主人公夏子の子作りの話ですが、どんな話か分からないまま読んでいたら、どうやら、(非配 偶者間人 工授精)の話ということが分かってきて、さらに読んでいたら、実はラブストーリーだったのだと、わかったのでした。夏子と、逢沢のデートシーンが素敵です。もしかして、好きになっていくのかなと思っていたら、やっぱり、好きになっていました。そして、相手の逢沢も夏子を好きになっていました。好きになったら、結婚して子供を産んで家庭を作っていくのが、世の常道ですが、この物語では、夫婦生活の破綻する夫婦がたくさん出てきます。男は妻に暴力をふるい、出産後遺症に苦しむ妻に、「妊娠出産なんて、普通の誰でもやってることだ」と、暴言を吐きます。精子提供者であり、肉欲だけで妻(女)と関係する夫(男)たちは、子作りが終わり夫婦関係の薄れたメスとの生活に苦痛しかありません。家庭を作って子供を育てるなんて言う世の常識は彼らには苦痛でしかありません。でも、男と女は結婚して子供を産んで育てていくものと思い込んでいる女たちには、なぜ家庭が崩壊し、夫たちが、暴力をふるい、逃げ出していくのかわかりません。私に色気がないせいかしらと、豊胸手術をしてみても、男は戻ってきてくれません。子孫をを残すのがオスのDNAに組み込まれた仕事なのに、子作りの終わったメスと一緒にいる意味なんてありませんから。でも、人間の世界はもちろんそれだけではありません。心がありますからね。肉体関係なし(プラトニックラブですね)でも、カップルは成立するのでしょうか。夏子にも恋人はいました。でも、暴力をふるう怖い父親(オス)を見て育ってきた夏子にとって、セックスは苦痛以外の何物でもありませんでした。セックスのできない夏子に、恋人はほかの女性に性を求めました。そして、二人は別れました。普通の男性にはなかなかセックスのない恋は耐えられないのですね。忍耐力があり、妻との家庭生活を普通に営んできた父親を持つ女の子たちなら、セックスは楽しいものでもあるのですが、夏子には、男性と肉体関係込みの夫婦生活を送っていくことはできないのでした。けれど、生物ですから、子孫を残そうとすることは、女性のDNAの中にも、もちろんあります。セックスなしでも、子供が作れる。現代の医学ってすごいですよね。非配 偶者間 人工授 精による出産を考え始めた夏子は、非配 偶者間人工授 精によって生まれた逢沢と出会います。自身の出生のもととなる存在がわからないということが、どれほど個人のアイデンティティを危うくするか。で生まれ、自身の育ての親に強 姦され続けた女性にも出会います。セックスがいやなのに、家庭を持てそうにないのに、経済的保証もないのに、それでもなぜ夏子はこどもを持ちたいと思うのでしょうか。生まれた子供が一生病気によって痛くてつらい不幸な人生を送る運命かもしれないとして、それでもあなたは子供を産みますか。ま、そんなこと言ったら、そもそも人類の存在自体どうなのってことになると思うけど。セックスなしでもいいから、夏子に会いたい、と逢沢は言いました。好きなら、会いたい。相手に触れたい。キスしたい。セックスしたい。恋愛の行動のどこまでが、ほんとの恋情で、どこまでが、肉欲なのか。大概の恋愛は、肉欲込みで、そこに境界線を引くことなんて、まあ普通はありませんから。好きな人とのセックスはすごく気持ちいいでしょ。女性のセックスは個体差があるので、好きな人も嫌いな人もどうでもいい人もいるのでしょう。でも、愛がなくても、セックスはできるし、オスって、愛に関係なく、肉欲に支配されてしまう生き物ですから。ふつうは、肉欲込みで恋愛してしまいますが、肉欲抜きで、恋をするってどういうことになるのでしょう。蟻とか、蜂の世界は、オスは本当に単純に精子提供者ですよね。巣の運営も維持も、メスの女王蜂と、働きバチたちで、やってます。オスは群れに数匹いるだけで、新しい女王とハネムーンに出かけて新しい巣を作る時の精子の提供者です。非配偶者間人工授精が、どんどん進んで、人間のオスも精子提供の存在だけになっていってしまうかも。今の世の中どんどん結婚率が減っていって、結婚しない若い男女が増えてます。昔、無理やり親に結婚させられて、我慢我慢で、夫婦は生活してましたけど、今どきのわがままな男女、いえいえ、個人の尊厳と、自分の意志と、自分の生活と人生を大切にすることが当たり前になっているこの時代に、夫婦であること、家庭を維持することは、どこまでできるのでしょうか。夏子もまた、男に頼らずに自分だけで子供を育てていく人生を選びました。精子提供のすんだ逢沢さんは、夏子の生活と人生から離脱してしまいます。関係は切れませんけどね。人類も、蜂のような構造社会を作っていくのでしょうか。今どきは、一人の女性が女王蜂と、働きバチをこなすことも可能な社会ですからね。物語の中で、10人の子供が眠っている家の例え話が出てきます。その中に一人だけ、生まれてから死ぬまで死ぬよりつらい苦痛を味わい続ける人生の子供がいる。それがどの子供なのかはわからない。それでもあなたは子供たちを起こしますか。私たちの産む子供たちの人生が幸せなものとは限らない。けれど私は、苦痛の子供は、もっと昔には5人いたかもしれないと思うのです。さらにもっと昔には、8人だったかも、9人だったかもしれないと思うのです。けれど、長い歴史の中で、たくさんのかつては子供たちだった人間たちの能力によって、技術の革新や努力によって、1人にまで減ったのではないかと思うのです。子供たちを起こさなければ、人間の社会はよくなりません。子供たちのどこかに、人類を救う技術革新や発明をする能力を持った遺伝子をもつ子供がいるのです。それは、あるいは、生涯苦痛に苦しむ子供であるかもしれない。それでも、苦痛の子供が0人になることを目指して、人は子供を産むのだと思います。すごい発明をした人も、女性の地位を向上させるために頑張った人も、治らないはずの病気を治す薬を開発した人もいたのが、人の歴史だからです。でももし私が、あなたの人生はつらいだけだよと生まれる前に教えられたら、その人生はいりませんというだろうと思います。非常に読み応えのある、問題定義の素晴らしい、物語でした。普段女性たちが感じている男性たちの女性への差別や無理解や暴力などの不愉快な行動をみごとに描き出してくれました。後半からどんどん面白くなって、読み終わってみたら、なんで予約していたのかわかりました。また、川上先生の作品を読もうと思います。夏物語 [ 川上 未映子 ]
2020年08月30日
コメント(0)
日本人は無宗教と言われているし、大概の人はそう思っているだろうと思う。けれど、本当に宗教は、必要ないのだろうか。どんなに頑張っても、努力しても、どうにもならないことが人生にはたくさんあるし、つらいこと、不安なこと、心の不安定がどうにもならないこともある。そんな時に、無意識に神様に祈っていることってないだろうか。日本には、神道と、仏教の二つの宗教がちゃんとあって、神社にお参りに行ったり、お寺にお参りに行ったり、お宮参りや七五三や、お葬式や法事がある。ちゃんと生活の中に普通に宗教はある。2000年以上の日本の歴史の中で、連綿と続いてきた二つの宗教が、なぜ今こんなに薄いものになってきてしまったのだろうか。かつての日本では、信仰は、もっとずっと濃かったのではないかと思う。それは、明治維新による、神仏分離、廃仏毀釈などの政治的な理由と、科学の発展により、目に見えないものを否定する価値観によるのだろうかと、私なりに考えてみる。日本の中にある新興宗教って、迷惑だなと思う。日本にきちんとした宗教がないからなのではと思う。新興宗教ってはいってる本人たちはいいけれど、周りは大概やめてほしいと思っている。お布施も高い。もし、日本の中で本来の宗教がきちんとした存在感を持っていれば、不安な時、新興宗教に流れなくてもすむのではと思う。今、神社がすごくブームで、特に御朱印集めが流行っている。そんな形で、神道が、広がって、普及して、個人の宗教が普及していったらいいのにと思う。団体としての宗教には、どうしても、『集団の中での組織化、組織の防衛という問題や、世俗的なものがからんでしまうというジレンマがある』と、河合隼雄氏が『ユング心理学と仏教』で書いている。だからこそ、個人として宗教にかかわっていくということである。それはまさに日本の環境でこそできる宗教とのかかわり方なのではないかと思う。キリスト教社会や、イスラム教社会では、宗教に入らないだけで、変人扱いされてしまうほど、ある意味宗教を信仰することに対して、社会圧がかかってしまうのだという。そんな個人としての宗教のあり方を指南してくれるのが、まさに桜井識子の数々の著作なのである。特定の集団に入ることなく、高いお布施を払うことも、集団の論理を強制されることもなく、もっとずっと自由に自信の感性で、神や仏とかかわっていく。その方法論や、見えない世界の話を数々語ってくれる著書なのである。集団にかかわらず、神社やお寺に個人で通う時、たった一人で孤独に信仰を深めていこうとする時、個としての宗教を支えてくれる本であると思う。現在、桜井識子さんの著作は、16冊あって、私もまだ、読み切ってはいない。本書はその数々の著作の第一作目なのである。新装版ひっそりとスピリチュアルしています—えっ!?意外!神仏はこんな人が好き
2020年02月03日
コメント(0)
一瞬の出会いが人生を決めてしまうことがある。けれどそれは、本当にたまたまの偶然だったのか。出会うべくして出会うものだったのか。主人公外村は、高校で、調律にやってきた板鳥の調律に魅了されて、調律師を目指す。調律の専門学校を出た外村は、板鳥の勤める楽器店に就職し、調律師を目指す。調律の道は厳しく、音の世界は果てしなく深い。ピアニストになることをあきらめた秋野(会社の先輩その1)は、楽器の音の中で育ち、楽器の音をみごとに聴き分ける。人間の決めた音階だけを聴き取ることができるから、それが仕事の速さにもつながっている。公衆電話の黄緑色さえ気持ち悪いと感じるほどの柳(会社の先輩その2)は、音や色、ものに対しての感度がとても高い。ものすごい感性をもっている。それは、彼にはつらいもので、都会の中の人の作る音に囲まれて、つらい青春を送らなければならなかった。けれど、そんな感覚がプラスになる仕事というものがあるもので、彼の感度の良さが調律の道につながっていく。そして、山村に育ち、多くの時間を北海道の大自然の森の中で過ごしてきた主人公の外村は、世界のすべての音を聴き分けることのできる感性と聴力を持っていた。楽器に触れずに育ったことで、楽器の音だけに縛られない。街で育たなかったことで、人間界の音にも縛られない。人為的な音の一切ない森の中で、微妙な自然界の音、世界のすべての音を聴き分ける力を身につけて育つ。それゆえに、感度がよすぎて、普通の人が聞き取れない、聞き漏らしてしまうような微細な音も聴き取ってしまうことが、調律にマイナスに働いてしまう。機械すら読み取らないような微細な音まで聴いてしまう故に、音が決められず、調律に時間がかかってしまうのだ。ピアノと同じ部屋に中に、布が一枚入るだけでも変わる音の微妙な差と変化を、彼は聴き分けてしまう。それは、絶対音感よりさらに深い、究極の音感なのではないかと思う。最初は初心者ゆえに、戸惑い、音を決められないのは、自分の能力の低さだと思っている。けれど、たくさんの経験をつむ中で、微妙な調律の設定の差が、音の差を生みだすことを知り、望まれる音の見つけ方を少しづつ理解していく。都会の空では、星座になるような大きな星しか見えないけれど、北海道の自然の中の、人界の光の一切ない真の闇の中に浮かび上がる星空が、星座になる大きな星すら埋め尽くしてしまうほどの細かい小さな星々まで見られるそんな夜空を見るように、外村は、音の世界を聴き取ってしまう。普通の人間では聴き分けられないような音の世界の、まるで森のように、ピアノの音の世界を深く深く、限りない美しい世界を、ただ、彼だけが視ることができる。森の中ではねるシカのように、光を放つ木々のように、草と葉のあいだをぬける風のように。そして、今まで誰も聴き取れず、誰も作れなかった音の世界を、誰もが聞き取れるピアノの音として、再現できたとしたら、それこそが、究極の調律なのかもしれない。それができるのが、外村だとしたら、それはとても素晴らしいこと。そんな彼を、見つけたのが、板鳥さんで、天才(外村)は天才(板鳥)にしか見つけられない。のだと思う。普段なかなか出会うことも知ることもできないような仕事を、紹介してくれるような小説やドラマが、最近増えたなあと思う。この作品も、調律というあまりかかわることも知ることもできない仕事を、実にみごとに実に細やかに教えてくれたありがたい小説です。◆◆羊と鋼の森 上巻 / 水谷愛/漫画 宮下奈都/原作 / 小学館
2019年08月29日
コメント(0)
週刊新潮に連載されたエッセイのまとめ本。サクサク読みやすい文章と内容だったので、3かで読み終わることができました。娘に返さなくちゃというプレッシャーもあって、ほかのことを二の次にして読んだので、なおさら。こういう今までの思い込みや価値観の転換を提示するものは面白い。特に面白かったのは、「来世を信じれば楽になる」スピリチュアルみたいだけど、要するに、人生は一回きりだからといって、その一回の人生に悔いのないくらいすべてのことを消化しなくてもいいんじゃないかという話。世界中の観光名所に行くことはできないし、世界中の美味しいものを食べつくすことも、世界中の人と知り合うことも、すべての本も読むことも、当然できないし。私も、最近はめんどくさくて、海外に行くことをあきらめた。どうにも、めんどくさい。海外は大好きですけどね。「東京とは大いなる田舎である」都会というと、高層ビルが乱立しているイメージだけれど、そんなのはごく一部で、それ以外は、ほとんどがちっちゃな民家が立ち並んでいる。つまり、田舎と変わらない。ただそれで、とても広い面積で、延々と続いているのである。いわれてみれば、確かにそうだなーと思った。だいたい東京っていうのは、地方からの移住者の集まりであって、本当の都会人なんていない。先祖代々住んでいるヂモッティの人口もごくわずか。そもそも、都会とか、都会人の設定ってなんだ。「バイライト音楽祭を温暖化が変えた」ヨーロッパの公式の場所といえば、タキシードなどの正装が常識だけど、いまや、ティーシャツでも、OKらしいです。なんでかというと、温暖化で暑くて、そんなもの着てられないから。昔は涼しかったので、そもそも、クーラーがないそうで。へーーーー。おもしろい。そして、びっくり。こんな話テレビでも聞いたことないし、ネットでも、読んだことなかった。などなど、結構面白い話が載っていた。古市さんは、炎上マニアとして有名らしいけれど、炎上なんて、気にしないそうです。私も、炎上が怖くて、ブログにほんとは書きたいけど、書いてないことがある。書きたいのに、書けないなんて、こんなことで、言論の自由を奪われるなんて、なんか腹立たしいなあ。と、思っていたら、先日息子が言った。「炎上するのは、有名な人だけ。アクセスの低い一般の人間が、ツイッターやブログになんか書いても、炎上なんかしない。」確かに。炎上するにはまず、有名にならないとーーーー。アクセス増やさないと。誰の味方でもありません (新潮新書) [ 古市 憲寿 ]
2019年08月23日
コメント(0)
意味に疲れたら、無意味で休もう。が、この本のキャッチフレーズで、じゃあ、そもそもこの本でいうところの意味って何かというと、それがどうにもわかりにくい。インターネットなどによる情報過多と、有意義な時間の過ごし方と、価値のある人生の送り方が、ごっちゃになって、十ば一からげになって、意味という言葉になっている。だから、読んでいてちょっと頭に入りにくくて、前半部分は、意味のところを情報に置き換えるとやや読みやすくなってくる。情報過多に埋没しそうになったら、その情報をいったん遮断するか、だろうけれど、時間を無意味に使ってしまうことへの罪悪感に対しては、有意義に過ごすことが人生のすべてじゃないと、再認識するしかない。人生は遠大な暇つぶしともいう。一人の人間の人生なんてたかが知れている。そこまでの境地に至れるかどうかだけれど、とりあえず、情報を遮断して、有意義ではない時間の過ごし方をいろいろと考えてみる。それがつまり無意味というもので、無意味な時間の過ごし方というもので、そのパターンをいろいろと考えてみる。ただ、怖いのは、無意味というものは、無意味であることにこだわって目指してしまえばそこにまた、無意味にこだわるという意味ができてしまうわけで、そんな矛盾にどう立ち向かっていくかというこれがまたとてもめんどくさい話なのである。最後に何か愕然とするような、感銘を受けるような展開と解釈があるのかと期待して読んでいたけれど、特に何もなかった。最後まで、意味と無意味の間を行きつ戻りつする本なのである。この夏の暑さにどこにも行かずにクーラーのきいた部屋で、グダグダと過ごしていると、こんなことでいいのかとか、もっと有意義にこの夏を過ごすべきじゃないかとか、夏は特にそんなことに焦燥感を掻き立てられる季節だけれど、まあ、本を読みながら過ごす夏もいい。特にこんな本を読んでいれば、夏の焦燥に燃え尽きないですむかもしれない。夏の午後の昼寝ほど、気持ちいいものはない。無意味のススメ 〈意味〉に疲れたら、〈無意味〉で休もう。 [ 川崎 昌平 ]
2019年08月20日
コメント(0)
映画『来る』とは、後半がやや違う。映画では、ぼぎわんというバケモノは、国家を挙げて倒すほどのバケモノになっているけれど、原作ではあくまで、K市に存在するバケモノなのである。けれど、社会的事情、経済的事情、家庭の事情、個人の事情、経済的困窮により育てられなくなった子供の遺棄、親の虐待、子殺し、いろんな理由で捨てられた子供、殺された子供の恨みや怨念がバケモノとなって、人を襲う。それは、日本のどこにでもあったことで、それを第一章の主人公秀樹の祖父母の故郷である地方の小都市K市にスポットを当てて描き出す原作と、全国レベルのバケモノとして描き出す映画との違いである。それがどちらであっても、今現在の社会の子育ての問題や、少子化、人口減少と、現代の社会問題にテーマを絞り、それが、過去にも繋がっていく展開が、ホラーでは終わらない深い物語として、みごとだなと思う。現在、ニュースで取り上げられる虐待による殺人が、必ずしも現代に起きたものだけでなく、過去から連綿と続く問題であること、それがこれからの少子化、人口減少を問題とする現代にあっては、ただ万全と個人の問題として、取り上げられて終わってしまってはいけない問題なのだと、再認識させてくれる。核家庭だけではこなしきれない子育て、家庭だけでは負担しきれない肥大化された現代の教育費、社会の維持のために、社会が負担し、問題視し、助けて、救い上げていかなければならない子育てと、教育を、社会がもっと真剣に向き合わなければいけない問題なのだと、物語が語る。人口減少でやばいのに、虐待なんてしてる場合じゃないだろうと思うのです。バケモノは怖いけれど、そのバケモノを生み出しているのは結局は、人だ。第一章では、主人公秀樹が意識した瞬間に、ぼぎわんが出現する。第二章では、夫秀樹を呪う妻香奈の恨みの心が、ぼぎわんを呼び寄せる。第三章では、子供を作れない、子供を持てない者の心の痛みが、子供をもつ他者を呪う心がぼぎわんを呼び出す。そして、夫に子供を殺された母の呪いがぼぎわんを、生み出す。呪いと恨みが化け物を生み出し、成長させる。そんなぼぎわんに連れ去られ、飲み込まれたはずの知沙が、ぼぎわんに吸収されなかったのはなぜか。ぼぎわんに飲み込まれるのは、愛されず、邪魔にされ、捨てられる子供。けれど、知沙は、秀樹にも、香奈にも、真琴にも、愛されている子供。それは、ぼぎわんの中では異質のもの。呪いがぼぎわんを生んで、愛がぼぎわんを否定する。苦しいけれど、子供を愛する心は、いつの時代にだってあったはず。これからの世界にだってもちろんあるはず。ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫) [ 澤村伊智 ]楽天で購入
2019年02月22日
コメント(0)
いくつかの本は読んだけれど、ここまで、添加物について詳しく説明された本は、初めてである。著者は、長年添加物の専門商社に努めて、数々の加工品を添加物を駆使して作り出した人である。この本を読んで、スーパーの数々の商品を見てみて、改めて、現代社会の食品のほとんどには添加物が入っているんだとわかった。10年以上前に書かれた1冊目と最近書かれた2冊目。添加物のぜひが問われてからずいぶん経つけれど、いまだにどころかますます添加物は使われているらしく、さらに増える一方。その添加物ががんの原因となる可能性も高く、ヨーロッパなどでは禁止されているものでも、なぜか日本では外圧によって、さらに認可されたりしている。ずっと添加物入りの食品を作り続けていた著者はある日我が子が、自分が作ったくず肉と添加物だらけのミートボールを食べるのを見てショックを受ける。自分たちもまた、添加物の消費者であることにきずく。作る側なら、どんなものでもとにかく安ければいいと思っていても、食べる側になることを想像していなかった。それから会社を辞めて、各地にでかけ、添加物の実態を講演で語るようになる。そうして、この本も書かれる。添加物はよくないと何かしかで、聞くことはあるけれど、その添加物の実態をこの本を読んで初めて知った。そうはいっても、今の時代、まったく添加物を取らないなんて、不可能だ。なるべく加工品を買わずに、自分で作る。けれど、自分で作るにしても、そのもととなる豆板醤のビンをみたら、ここにすら、添加物が入っていた。醤油ですら、大豆油を搾ってたあとの大豆のカスで作られている。みりんだって、偽物が普通に出回っている。そして、人口の半分は、がんになるといわれているし。国は、医療費を減らしたいと考えているはずなのに、がんになる元である添加物は、外国からの圧力で、どんどん認可しているし、過去適当に認可したものや、今の技術で再検査すれば認可取り消しになりそうなものも、そのまんま。私たちのできることは、添加物をチェックしつつ、なるべく加工品を買わずに、自分で作る。しかない。それから、なるべくまともな生協に入る。その生協すら、ピンからキリまであるそうで。スーパーのお弁当屋サンドイッチをみながら、ため息が出た。もう、以前ほど気楽に買えないなぁ。食品の裏側みんな大好きな食品添加物【電子書籍】[ 安部司 ]食品の裏側2 実態編やっぱり大好き食品添加物【電子書籍】[ 安部司 ]
2018年09月19日
コメント(0)
今話題のブロガー本である。たかが家の掃除と思っていたけれど、本気を出したら、ここまでできるものなのかと、びっくりした。そもそも、掃除ってどんなものなのか、実は私の母は、家事が嫌いで、家の掃除をしているのをほとんど見たことがなかった。母がやっている掃除は、せいぜい掃除機をかけるぐらい。当然わたしは、掃除なんて知らない。母が窓ガラスをふくのさえ見たことがない。そんな母が結婚した私の家にやってきて、お前はだらしない、家が散らかってる、といって、私の目の前で初めて窓ガラスをふくのを見た。いやいや、そんな話はいいとして、子育ても終わって暇なので、少しまじめに家の掃除をしようかとこの本を読んで、つくづく思った。著者は、掃除好きがこうじて、やりすぎてへとへとになり、うっかりすると体を壊しそうなくらいであるが、私はさすがに、そこまではできないだろう。体を壊さないためには、掃除を場所ごとに分けて、さらに分割して、一か月単位で、スケジュールを組んで掃除する。ようするに、毎日少しづつやっていくってことだ。重曹、セスキ、クエン酸、お酢などを使って、エコクリーニングを目指す。掃除のために、極力物を置かない。マイクロファイバー雑巾と、アクリルたわしを使う。基本はこのあたりだが、さらにそこまでやるのかというくらい、家の隅々まで、できるらしい。その気になれば、掃除するところはいくらでもあるんだなと、実感しました。とりあえず、できるところまで、頑張ろうかと思った一冊でした。夏も終わったしね。ペコさんの暮らしを楽しむ、お掃除エッセンス [ おそうじペコ ]書評、レビュー
2018年09月08日
コメント(0)
旧約聖書のことなんて、映画『十戒』を何度か見たことがあるくらい。あとは、ほかに、何がしかで、聖書のことを少しは知っていたけれど、今回の本を読んでかなりよく分かった。それでも、まだまだダイジェストである。聖書は途轍もなく内容が濃い。まして、キリスト教嫌いの私には、この手の本を読むのが精いっぱいである。数千年も前の時代から始まるイスラエルの民族の物語は、人類が今のような道徳を持たず、右も左もわからず、何が正しいのかもわからないところから、始まる。人間は驚くほどひどいことばかりしている。イスラエルの神は根気よく、イスラエル人たちに人としての正しい行いを教え続ける。まずは、一人の人間に、アブラハムや、その子孫たちに、そして、少しつづ広がっていく神への信仰は、人として正しく生きるとは、どういうことかを神が人類に必死に教え続けた歴史である。アブラハム、ダビデ、ソロモン、本当に民族を指導していけるほどの力量のある人間なんて、数千年の歴史の中でも、数えられるほどしかいない。それ以外は、ほとんどが普通の愚かな人間ばかり。だから、日々、感じる自分の無能さに絶望したり、がっかりしたりする必要なんてないんだなと思った。人間なんて、こんなものだ。ただせめて、神の教えのままに、ヒトとして、正しく生きていくことだけが、人が人としてあるということなのだ。聖書で神様が言い続けているのはそういうことだ。一つの民族にとって、自分たちを溺愛し、必死に守り、指導してくれる神様は、やはりいたほうがいい。民族独自の神をもつ民族は強い。戦争の時、自分たちだけを守って、導いてくれる神がいると思えば、必死に戦うこともできる。神様は、すべての人類を平等に見ていると思っていたけれど、神様は民族のもの。自分たちだけのもの。イスラエルにイスラエルの神がいるように、日本にも、この島国に昔から住んでいるやおよろずの神様がいる。日本を諸外国から守り、植民地にもならずに、日本人が安心して住み続けてこられた島があるのは、神様のおかげ。そんな風に人間がまっとうに育った果てに、やっと、人類共通の神様が現れる。そうして人類すべてを愛しながら、守り、導いてくれているんだろうと思う。読みやすくて、面白かった。阿刀田 高が好きになった。旧約聖書を知っていますか【電子書籍】[ 阿刀田高 ]
2018年08月27日
コメント(0)
最後に読む育毛の本 [ 久田篤 ]息子が薄毛で悩んでいるので、図書館で見つけたこの本を読んでみました。世の中の男の人の多くが薄毛に悩んでいることを再認識。息子の愚痴を軽く受け流して本気で聞いていなかったことに反省。彼の悩みをもっと真摯に受け止めてあげるべきかもしれない。巷で一般に宣伝している育毛商品の数々がほとんど役に立たないことも、増毛の意味のなさも、植毛の大変さも、そして、育毛商品を売る業界や、育毛サロンなどの闇のような部分もよくわかりました。現在、育毛は専門の医療施設で、きちんと薬を飲んで直すところまでやっと進んできたらしいです。そして、髪のためには、きちんとした生活、栄養バランスの取れた食生活、きちんとしたシャンプーなど、クスリ以外にもいろいろ気を付けるべきことがあることも。現在わかっていることとしては、悪性の男性ホルモンが髪の生える部分にある酵素と合体すると脱毛因子になってしまうそうです。そのための薬なども発見され始めているらしく。ただ、薄毛は、命に係わる病気ではないので、保険も聞かず、治療費も高い。最低でも、6か月は服用を続けなくてはならず、それでも、生えるかどうかはわからないのです。生えたとしても、リバウンドなどもあり、戦いは一生もの。少し前から専門の医療機関に通いだした息子。毎日薬を飲んでいるけれど、望みの叶う日は来るのか。すごく勉強になった一冊でした。
2018年07月25日
コメント(0)
ミッドタウン日比谷にいってみた。テレビで宮崎あおいちゃんがコマーシャルしてるショッピングセンターだ。混んでるらしいというので、11時過ぎには着くように出かけてみた。ついたときはすぐお店に入れたけれど、あっという間に込んでしまった。平日だというのに、列に並ばないとお店には入れないし、3階の店舗は、予約だけで満席になっていた。私が食べたのは、フードコート内にあるベトナム料理のお店のチキンフォー。スープが薄い塩味で鶏肉も臭みとか全然なくて、すごくおいしかった。生春巻き半分とチャーシューとタイマイの炊き込みご飯もついて、もう、おなかいっぱい。地下鉄日比谷線から入っていく通路には、黒いドレスを着た宮崎あおいちゃんのポスターもあった。6階にあるテラスも散歩。それほど広くないけど、皇居や、日比谷公園が一望できるし、風が気持ちよかった。1階には、レクサスのお店もあって、ネットで予約するとここから都内を1時間試乗できる。でも、6月はもう一杯で、7月なら空きがありますって言われた。ちなみに女性用の特別枠ならありますよと言われたんだけれど、私はなにせ、ペーパードライバーなので。乗れません。地下にある名物のリンゴパイは帰りに買おうとしたらもう、すごい行列なので、あきらめた。次回に来た時に買いたい。地下のコンコースも素敵だし、どこもおいしそうだし、スタバはちゃっかり入ってるし、あれもこれも食べたかった。あおいちゃんのコマーシャルもいっぱい流れてるし。一角食堂のサバサンド食べたかったなぁ。ビルの外には広場とベンチと階段があって、階段の上は2階の入り口で、クレープを売っていたりする。ババロアとピスタチオアイスのクレープ。高かったけど、おいしかった。コマーシャルでは、ここの階段であおいちゃんがプロポーズされてたりする。反対側には、東宝のビルがあって、ゴジラがいたりする。階段下の敷地の一角には、千代田区のレンタサイクルもあったりする。赤くておしゃれだ。歩き回ってくたくた。家に帰ったら、足がいたくて死にそうな、楽しい一日でした。
2018年06月14日
コメント(0)
読解力のある人なんて、いろいろなブログを読んでいても、ほとんどいない。ほとんどはよくわからないまま、なんとか感想をひねり出して書いている場合が多い。私も、読んだ本全部の感想までは、さすがに、記事に挙げることはできない。ちゃんと解釈できないことも多いからだ。それにしても、この本の読解についての説明には驚かされた。普段何気なく読んでいる簡単な文章さえ、ここまで読み解くことが可能なのか。こんなところから、読みときは始まるのか。読んでいてつくづく、日本の国語教育はひどいなと思った。私自身、何年間も学校に通い、国語の授業を受けたにも関わらず、まともな国語の授業は受けていないなとつくづく思う。私が今までに見聞きした中では、有名な難関私立の灘や、麻布の国語が素晴らしそうだし、そして、娘の小学校の時の担任の先生の国語の授業が素晴らしかった。文章の一字一字、言葉の一つ一つを細かく解釈していく授業。授業参観で見ていたが、壮絶だった。こんなことをやっていくとさすがに、この本のような読解力が付くと思うが、ほとんど国語の先生たちはこんなことはやってくれない。本の音読、漢字の書き取り以外に何をしていたのか、まるで思い出せない。私も息子の中学受験に絡んでの勉強と、娘の国語の先生の授業の様子と、学校での読み語りを通して、やっと少しだけ、読解力が付いたかもしれないと思う。国語というのは、日本語の勉強だけではない。文章の正しい理解と、正しく伝わるような文章の書き方、ヒトの心の読み方を習う。はず。こんな大事なことが、きちんと教育されていないから、今どきのネット社会で、SNS、ライン、メールなどを通しての言葉のやり取りが、未熟な文章力のまま、行き違いや誤解を生んで、仲たがいや、喧嘩、ひいては、いじめなどのトラブルになるとも思える。大学には、文学部があんなたくさんにあるのに、ほとんど役に立たない学部扱い。本当は、文章も文学もとても大切なことなのに。それにしても、この本の中で、いちばんドキッとさせられたのが、善意の無難な解釈や表現による「わかったつもり」を演じてしまうというところ。説明された何パターンもの「わかったつもり」の中でも、いちばんドキッとさせられた。書く方は、善意の表現だから、何とかこれでごまかせたし、文としてカタがついたと思ってしまうし、ブログを書く時によく使っている手段でもあるので、本当にドキッとさせられたのだ。やばい。このあたり、今後気を付けたいけれど、又、使ってしまうかもしれない。ブログや、書評を書くならぜひ一読しておきたい一冊だと思う。わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書) [ 西林克彦 ]
2018年04月15日
コメント(0)
愛に出合ことはできる。けれど、愛を続けることは難しい。科学的には、人間の恋愛感情が続くのは、3年なのだそうだ。人を好きになるのは簡単だけれど、その感情を維持するのはとても難しいというか、そもそも続くものではないのだということだ。けれど、今の時代、結婚は恋愛による出会いによってするものであって、愛がなくなっても結婚生活を続けることはいけないのではないかと、そんな考え方にもなりうる。愛のないままの結婚生活に罪悪感すら持ってしまうのだ。恋愛の成就するまでの物語は多いけれど、恋愛感情をどう維持していくかという物語は少ない。昔は、女性には職業なんてないから、生きていくためには結婚するしかなかった。結婚式の当日まで、相手の顔を知らないなんてことも普通だったらしい。それは、愛のためのものではなく、生きていくための手段であり、社会を維持していくための重要なシステムだったからだ。けれど、近代にいたっって、だんだん見合いのようなシステムは減少していき、当事者同士の合意、恋愛を経過してのちの結婚が、社会の当たり前になった時、3年しか続かない恋愛感情ののすぎたその先に、なお結婚生活を続けていっていいのだろうか。と、そんな罪悪感すら起きる。結婚後も、愛する感情を持ち続けていけるのか。そんなことに迷うようになってしまったのだろうか。でも、結婚の先に恋愛感情がなくなったっていいんですよ。それは普通のことだから。それでも、多くの夫婦が夫婦であり続けるのは、長い年月の間に作られている阿吽の呼吸に似た、相互理解があるから。一緒にいることが自然なことになるから。けれど若い人たちはまだそんなことはわからない。愛を続ける方法なんて誰も教えてくれないし、ほとんどの小説だって愛の成就までしか書いてない。だから迷う。わからなくなる。自分たちの成長後に別れてしまった両親をもつ主人公の藤代は、だから、愛を続けるすべが分からない。ヒロインの弥生は、愛を続けるために必死に努力するにもかかわらず、相手の男はそれに気づかないか、面倒くさくて気づかないふりをするか、続ける努力をしなければいけないこと自体をしらない。かつての彼女ハルとの愛にも続ける努力をしなかったまま、憎むことすらないままに、別れてしまった藤代は、弥生との関係を進めることすらできない。どうすれば愛を続けていくことができるのか。それは、私たちがこれから、ひとりひとりがそれなりの覚悟を持ってみつけていかなければならない人生の大事な課題なんだと思う。ラスト、藤代は、愛を続けていく努力をすることを覚悟をする。愛の先にあるもの。夫婦だからこそ到達できるその先に。サイモンとガーファンクルの有名な曲名をタイトルにした著者久々の作品。物語の中には、ウユニ塩湖や、インドのカニャークマリの朝日などが出てくるので、映像化したら、美しい作品でもある。◆◆四月になれば彼女は / 川村元気/著 / 文藝春秋
2018年04月07日
コメント(0)
「サイコパス」という言葉を初めて知ったのは、「サイコパス」というタイトルのアニメだった。とにかく残酷な犯罪者のことらしいと思いつつ、その言葉は、最近少しづつ、普及し始めていて、この本が目についた。他人の痛みのわからない人間が本当に存在するのである。人間社会は、他人の痛みがわかることが大前提でなりたっているのに、時に驚くほど残酷な犯罪者がいる。また、そんな犯罪者の登場する小説や映画に、なんでこんなことできるのかと、思わされてきた。けれど、サイコパスは、脳の一部分が欠けているために、他人の痛みを認識することができないらしい。それが、遺伝によるのか、突然変異によるのか、数パーセントの確率でどうしても生まれてしまう奇形のようなものなのか。それは、まだ、わからないらしい。東野圭吾の小説『白夜行』や、『幻夜』にでてくるヒロインの恐ろしいまでの残酷さが、サイコパスとしてみれば納得できる。私たちの社会に100人に一人存在する彼ら。怖いなあと思う。けれど、サイコパスにも色々いて、何とかうまく紛れ込んでいたり、自分の特性を認識して、犯罪をせずに生きていたり、その特性を生かして、普通の人間にはとてもできないような良心の痛みの伴う決断や行動をこなしているサイコパスもいるらしい。はっきりと認識されなかっただけで、昔からいたサイコパスは、それなりに必要な存在でもあったらしい。織田信長とか、ヒットラーとか、歴史をみれば、もしかしてと、思える人たちもいる。そして、ドラマや映画に出てくる死刑執行人や、首切り役人なんて、サイコパスでなければとてもできない。痛みがわからないから、人を殺す、うそをつく、残酷なことをする。けれど、共感を持たない彼らはとても孤独でつらい存在でもあるのではないかと著者はいう。とにかくすごく面白い一冊だった。サイコパス (文春新書) [ 中野信子 ]サイコパス【電子書籍】[ 中野信子 ]
2018年03月10日
コメント(0)
東京のお伊勢さんという看板を見て、以前から気になっていた東京大神宮に、行ってみた。飯田橋駅からすぐ近く。平日の昼間だというのに、境内には、若い女の子がたくさんいた。やはり、伊勢神宮の東京支社だけのことはある。みんな素敵な出会いを求めて、やってきたんだろう。神社は2020年に向けてここもまたとてもきれいになっていた。しかもここ、東京で初めて、神前結婚式をしたところらしい。もしもし、運よく子供たちに機会ができたら、ここで結婚式をするのもいいかもしれない。境内にあった梅はしだれ梅。きれいに咲いていたけれど、鉢植えの小さな木でした。それでも、ピンクの梅はとてもきれい。とても素敵な神社だった。次はどこにいこうかな。
2018年02月22日
コメント(0)
『ドトール珈琲農園』という何やら素敵なお店ができていたので、行ってみた。店中はすごくきれい。で、素敵。でも、できたばかりなので、すごく混んでいて、40分待ちました、ドトールといえば、かつての日本の喫茶店の、「場所代込みなので高いコーヒー」という文化の真逆の戦略で、当時180円のコーヒーを立ち飲みでささっと飲んで、さっと出ていくそんな店舗展開を都内からし始めたコーヒーチェーンだ。そのあと、スターバックスなどが日本にも入り始め、今までの喫茶店とは全く違う珈琲店文化ができたけれど、ここにきて、ドトールが、こんなきれいなお店を作り始めたのは、やっぱりインスタ映えを狙ったのだろうか。店内はすごくきれいで、「珈琲農場に招かれたお客様」という設定なのだそうだ。珈琲の値段は高いけれど、かなりいい豆を使っていて、とてもおいしい。きれいで素敵なソファーがいっぱいあって、長時間のんびりできるお店作りだ。駅前のドトールの店舗で飲むコーヒーとは全く違う味だ。ランチメニューも豊富である。インスタグラムでまた、ドトールのお客さんが増えるといいね。
2018年02月12日
コメント(0)
かなり前から夫が申し込んでいた、日本航空の整備場見学。とうとう行ってきました。正式な名前は、JAL工場見学ですが、実際に、見るのは、整備場です。東京モノレールの、新整備場駅を降りると、そこはもう、JAL。この駅、すぐ横はもう、滑走路です。飛行機を見るには、絶好の穴場です。ただ、柵が邪魔なので、カメラマンはほとんどいません。スカイミュージーアムで、いろいろな展示を見て、30分ほど、スライドを見ながら、説明を聞いて、そのあと、いよいよ40分ほどの整備場見学です。この火はすごくいい天気で、冬のために空気が乾いていて、とても視界がよく、遠くの富士山までみえて、クリアーーー。最高の一日でした。滑走路のすぐ横で、飛行機の離着陸をみたり、整備されている飛行機を見たり、エンジンを目の前で見たり、大きな羽をすぐ下から見たり、普通ではまずできない経験をいっぱいしました。楽しかった。子供たちが小さかったら、社会科見学によかったかもしれない。また、飛行機に乗りたいね
2018年02月12日
コメント(0)
雪です。大雪です。今冬初めての大雪。昨日からワクワクしながら待ってた。買い物行かれなかったけど、生協でいろいろ届いたので、全然困らない。一週間前の私にえらいねと言いたい。明日はどんの位くらい積もってるだろう。
2018年01月22日
コメント(0)
一月の三連休に、千葉県にある香取神宮に行ってきました。例年は成田山に行くのだけれど、今年は、ちょっと趣向を変えました。東国三社の一つの香取神宮、去年鹿島神宮に行った帰り、前を通ったので、行ってみたいと思っていたのでした。ネットで調べると結構渋滞するらしいので、朝ごはんを食べてすぐに家を出ました。ついたのが9時頃で、まだお店もやっていないだろうと思っていたら、すでに、無料の駐車場は満車。運よくその前にある民営のところに停められましたが、帰りの12時ごろには、インターのところまで、渋滞の列は続いていました。早くいかないとだめですね。ほんとに。三が日すぎてもまだまだお年始気分、せっかくの連休なのでみんな出てくるのですね。民間の臨時駐車場も昼には満車でした。さて、朝の九時でもすでに、出店も出ていて、お店も開いていました。人もたくさんいて、近年の神社ブーム恐ろしいくらいです。唐揚げとトルコのタコスのお店が多かった。参道もずっと出店があり、緩やかな坂を出店を見ながら登っていくと、ほどなく、また、鳥居があり、山門があり、本殿につきます。神宮の森の中なので、気持ちがいいです。拝殿は、修理も完了したらしくて、とてもきれいになっていました。キラキラしていました。すてき。だった。ポケモンもいっぱいいた。一軒だけトルコアイスを売っていたので、アイスも食べた。受け取ろうとすると、アイスをくるっとしたにむけられちゃう。ドキッとする。相変わらずのあのパフォーマンスもお値段の内なのですね。今年はインスタ映えを狙って赤だけじゃなくいろんな色の達磨が色とりどりきれいに並べてありました。もちろん、撮らせていただきました。キティちゃん達磨まであったし。招き猫まで、かわいいのが増えた。そのあとは、お蕎麦屋さん『栄亀庵』で、鴨南蛮を食べました。まだ10時頃なので、誰もいなかった。すいていたけれど、素敵なお蕎麦屋さんでした。鴨のだしがよく出ていて、おいしかった。唯一の喫茶店『和茶房うの』で、カフェラテを飲みました。お正月、連休は混むので、紙コップでしたが、カップがかわいくて、珈琲もおいしかった。草団子を買って、帰途につきました。帰りの渋滞を眺めながら、つくづく早く来てよかったーーーーーと、思ったのでした。
2018年01月09日
コメント(0)
テレビで、初詣は三回いっていいというので、まず、元旦に、地元の氏神様に行って、三日に、川崎大師に行きました。川崎大師は久しぶり。ここは、くずもちがおいしい。我が家からだと、ゲートブリッジを通っていくと、30~40分くらいです。すいてさえいれば。近くの島忠に停めようとしたら、なんだか、手前の右折ですでに渋滞していて、挫折。仕方がないので、タイムパーキングに何とか止めることができました。三が日は、大師様のある区画には、一般車は入れません。おかげで中にあるタイムパーキングは稼ぎ時なのに、空いている。13分くらい歩いていきますが、途中の商店街はみんなしまっていました。大師様の周りくらいしかやってません。ま、休んだ方がいいよね。なんと入り口で入場制限。しばらく待って、やっと入場。入り口にあるプラカードが面白い。混んでました。そのあとは、敷地内にいっぱい出店があるので、じゃがバターと、焼きそばと、焼き鳥を食べて、甘酒を飲見ました。敷地内にいっぱいお店があって、楽しい。敷地内なので、安心だし。そのあと、門前町を通る。行きは遠回りをして、入場するようになっているので、お参りを済ませないと、仲見世は見られません。くずもちもここは、一店舗だけ。競合店がなくて、商売が楽そう。大師様は、痰きり飴が一番有名ですが、歯によくないので、もう、飴はやめたので、買いませんでした。でも、仲見世を見るのは大好き。楽しいし。そのあとは、喫茶店でコーヒーを飲んでちょっと休憩。この日はすごい風が強くて、寒かったです。娘を川崎駅まで送って、家路につきました。帰ってたら、5時近く。以外に時間かかった初詣でした。さて、記事を更新すると、なぜか、アクセスは、逆に下がります。とても不思議です。
2018年01月04日
コメント(0)
今年もチキンを焼いて、ケーキを作りました。ケーキのスポンジは、買いましたが、乳脂肪45パーセントの生クリーム2箱と、フルーツをたくさん買って、作りました。イチゴ、ブルーベリー、クランベリー、パイナップル、キーウィ、グレープフルーツ、などが入っています。生クリームたっぷりなのに、胸やけもしないし、後味もすごくすっきり。市販のケーキを食べた後の胸やけや、むかむか、口に残る変な味は、結局添加物なんだなーと思います。腐らないように、日持ちするように、何やらいろいろ入っているのですね。そういうものが、オビソゲンとなって、体の中に蓄積されていくのですね。今年のクリスマスも、サラダ、自宅で焼いたパリパリチキン、ケーキ、グレープジュースでした。そんなにたくさんのごちそうは食べない。それでも太るのが困りもの。《中沢乳業》純生クリーム45%【200ml】価格:454円(税込、送料別) (2017/12/28時点)
2017年12月28日
コメント(0)
山種美術館は、昔は、茅場町の山種証券のビルの中にありましたが、そのあと、九段に移って、最近、恵比寿にビルができてました。今回初めて、恵比寿の山種美術館に行ってみました。ギザギザのすごいビル。恵比寿の駅からは、坂を登って11分。でも私には、もっとかかったと思う。結構疲れた、館内には、速水御舟や竹内栖鳳の猫の絵などが、床にプリントされていて、記念写真が撮れるようになっていました。竹内栖鳳の猫の絵大好きです。また、館内で、一つだけ、撮影OKになっていました。それがこれ。『鵜飼』です。山種美術館自体も、すごかった。壁も床も階段も、大理石。観察すると、あそこにもここにも、アンモナイトがいる。なんて、贅沢。さて、最近は上野とか、人出が多いので、穴場と思っていってみたら、結構人が多い。最近は、平日でも暇なシニアが多いのですね。混んでました。さて、次回は、横山大観展です。行けるかナーーーー。
2017年12月15日
コメント(0)
娘が好きで読んでいる宮本輝の本を一冊借りて、読んでみた。かつて、不倫が原因で別れた夫婦の往復書簡で、語られる、夫婦の間の物語。美しい蔵王の山々の紅葉を背景に始まる物語は、最後もまた、美しい紅葉の中で終わる。ヒロイン勝沼亜紀は、二度結婚するけれど、二度とも夫の浮気で離婚することになる。かわいそうでもあるけれど、読んでいるとこれは、無理ないのかもしれないと思う。二人の夫はどちらも、たぶん妻に不満があったわけではなく、同居する妻の父親の存在感の大きさにうんざりしていて、妻の実家での同居は、家での安らぎのなさであり、本人たちはそれを自覚ていたかいないかわからないにしても、ほかに心の落ち着ける場所を無意識に求めてしまったのだと思う。もし、亜紀が、実家を出て、夫と新しい家庭をきづいていれば、あるいは、浮気も、離婚もなかったのではないかと思う。なにしろ、二人の夫はどちらも、彼女にぞっこんほれ込んで結婚したのだから。亜紀は、なぜ、実家を出なかったのだろう。二度目の結婚では一度実家をでて、夫の家で暮らしている。けれど、急な姑の死と、亜紀の父親の強引な説得で、結局また、夫婦で彼女の実家に父親とともに暮らすようになってしまう。相当存在感があり、何でも無理やり自分意見を通してしまうようなこの父親との同居は、夫たちにとってよほど居心地悪かっただろうと思う。小説の中にはそのことほとんど書いていないのだけれど。亜紀はなぜ、実家を出なかったのだろう。母親がすでに他界していて、父親だけを残すことが忍びなかったのか。それとも、裕福な暮らしを捨てて、夫と二人の地味な生活がいやだったのか。亜紀は働いたことすらないようだし。一人目の夫有馬と別れた後も働こうとはしていない。家を出て、自立しようともしていない。お手伝いさんのいる親の家で、暮らすことは彼女にとって当たり前のことなのだろうか。もし、母親が生きていたら、実家を出ていたかもしれないし、有馬との離婚をとめてくれたかもしれない。二人目の夫との結婚後も実家に戻らないよう助言してくれたかもしれない。彼女が業とよんでいる障害のある子供も、あまりにも苦労のない彼女の人生に神が与えた試練だとも思える。だって、二人の夫と別れてもなお、彼女は暮らしに困ることがない。作者はこの父親が彼女の人生をいかに支配しているかを承知の上でこの物語をこんな設定にしたのだろうか。別れた二人が死について語る舞台設定を作り上げるために。美しい秋の先に、厳しい冬が待っている。二人もまた、これから先の冬のような厳しい人生を生きていかなければならない。それにしても、亜紀の文章は、今どきの女の人はこんな文章書かないという違和感でバリバリでした。男が作る理想の架空の女性だなぁ。錦繍改版 (新潮文庫) [ 宮本輝 ]価格:561円(税込、送料無料) (2017/10/25時点)
2017年10月25日
コメント(1)
更年期ゆえの体の不調。足が痛くて、整体にかよっっている自分としては、同じ年代の作者の体の不調や、そのために通いだした、漢方薬局。そこで受けた、リンパマッサージの様子や、薬の処方、先生との対話を通しての、東洋医学のものの考えかたが、西洋医学とはずいぶん違うことなど、とても、ためになった。ここに書いてあることを考えながら、テレビの医療番組を見ていると、漢方のルールに正反対。漢方のルールを守ろうとすると、医療番組で、進めていることは、いっさいできないという、矛盾に、ちょっと驚いた。特に現代の日本人の多くが、体に水をためすぎているという話。私自身は、冷えよりは、熱さに困っているのだけれど、うちの息子や私の母が異様な冷えに悩んでいるのは、水分のとりすぎかもしれないと、思い至った。息子には、水分を取りすぎないように、注意したし、今度、母にも言ってみようと思う。なにしろこの二人、異様にがばがばと水分を取る。たぶん、本人たちも自覚していないはず。ところで私が自分で感じている熱っぽさは、漢方的には、どうなのだろう。西洋医学の薬をたくさん飲んでいるので、今は、漢方にはかかれない気がするけれど、一度くらい、診断してもらいたいなあと思っている。久々とてもためになった一冊。■商品名:ゆるい生活 /朝日新聞出版/群ようこ / 群ようこ / 【中古】afb■レビュアー:civaka ※投稿時■レビュー内容同い年の作者の年齢ゆえの体の不調に対しての考え方や、漢方、リンパマッサージなど、とても参考になりました。読みやすくて、すぐに読んでしまいました。正反対の考え方も書いてあるところがやっぱり、作家さんだなと思いました。 もっと詳しく見る
2017年07月16日
コメント(0)
実はまだちょっとしか読んでいないのだけれど、アメリカの株式投資の世界が、実は、裏でとんでもないシステムが作られ、一般の投資家は、ほぼ、もうけられないという事実の暴露本。まるで小説のようにストーリー調で書いてあるけれど、事実。この本が出版された時、アメリカ国内では、ものすごい騒ぎになったとか。相当すごいニュースだったはずなのに、日本で、そんなニュース聞いた覚えがない。ニーサなどを実施して、国内の株取引を活発にしたい政府は、報道規制を行ったのだろうか。このニュースが、国内で報道されたら、国内の一般投資家は、ほとんど株をやめてしまい、国内の株式市場は、大ダメージになりそうだ。たとえ、事態のおきているのが、アメリカだとしても、日本でも、同じようなことが行われていないとは、言えない。やっぱり、株って儲からない。とは、思ったけれど、それにしたって、国家レベルの報道規制ってやっぱり、現実にあるんだ、と、そっちのほうが驚いた。そして、とても怖い。ニュースは毎日流されているけれど、日本国内で流されていない、海外のニュースっていったいどれほどあるのだろう。ただ、この本、かつての「金持ちとうさん貧乏父さん」のように、長々と延々と描写が反復して続いていて、読むのがとてもたるい。事実を信じてもらうにはこれくらい書き込まなければならなかったのかもしれないけれど、たるい。実質、この三分の一くらいの量で足りるだろうし、ダイジェスト版とか、ほしいかもしれない。オンラインゲームをやっていても感じるけれど、コンピーターの世界は、秒単位の世界。アクセスの良さがものをいう世界。フラッシュボーイズの正体はいったい....。やっぱり、頭がよくて、ずるがしこい人間だけがお金持ちになっていくんだな。フラッシュ・ボーイズ [ マイケル・ルイス(ノンフィクション作家) ]
2017年02月05日
コメント(0)
前から気になっていて、本屋に行くたびに目につくので、とうとう買ってみた。今話題の一冊。ベストテンに入っていたこともあったはず。確かに、面白い。そして、うならされた。要は、人の能力や、性格や、癖のほとんどは、遺伝。実際、子どを育てていると、つくづく、どんなに親が頑張っても遺伝には、かなわないなあと思う。頭の良さも、こまった癖も、遺伝なんだから、親として、子供のために少しでもなんとかできないかと頑張ってみても、限界がある。本当に残酷すぎる真実だ。そして、もう一つ、いろいろ書いてある中で、特にこの本で納得したのが、子供は、子供の中で、育つ。育てらるということ。今でこそ、子供は母親が育てるといわれているが、現代のように母親が子供にべったり張りついて、その人生のほとんどを費やして、子育てするなんて言うのは、人類史上すごく珍しい。私たちの世代は、子育ては母親がするものとか、3歳までは母の手でとか、まるで、昔からずーっとそうであるかのように言い含められ、洗脳されて、えんえんと子育ての責任を負わされてきたれど、実際には、今の社会体制がその方が都合がよいから、そういうことになってるだけで、会社としては、女性に子育てや家事を一任したほうが男性をきっちり会社に縛りつけて、好きなように使えるからに過ぎないし、嫁姑の抗争だって、若い夫婦から親の世帯をはがしたほうが、どこにでも、転勤させやすいからつくられた、ドラマによる洗脳のようにも思えるのだ。もちろん、嫁姑、もめている家は、いっぱいあるのではあるが、なんか、無意識のうちに、嫁と姑は、もめなければいけないと、思いこまされ、ほんとにちょっとしたことで、怒っている気がしないでもない。会社が日本にはびこる前までは、家族は、大人数で暮らしていたし、子供は、立って歩けるようになれば、母親ではなく、子供たちの集団にマジてその中で、育っていった。もちろん、最終的な責任は、親がとるのはもちろんなんだけど。私たちが、子育てしている時も、子供たちは、3歳になる少し前くらいからもう、母親だけとの生活に物足りなさを感じ始める。親として、どうすればいいのか、子供が何を求めているのか、なんだかわからなくて、当時は、本当に途方に暮れた。だから、3年保育で、幼稚園に入れるとホッとする。子供は母親が好きで母親とさえ一緒にいられればいいんだなんて、嘘だ。昔の人間社会も、子供は、乳離れすれば、子供の集団の中で暮らし、母親は農作業や、草木の採集など、いろいろと忙しい。生活に手いっぱいなのに、いちいち子供にはりついて、面倒なんて、見ていられない。私自身もそんなにべったりは母親に育てられた記憶もない。今の母親たちが、子育てに苦しくなってきたり、若い夫婦が子供を殺してしまうのも無理はない。もともと、子供は、村社会の中で、年長の子供たちと村全体とで育てられていたのだから。そして、家事が昔ほど大変でなくなり、人口が減って、優秀な人材の少なくなった現在。女性たちが、子育てを保育園などに任せて、社会に出ていくことが、社会的に要求されるようになってきているのも、当然の流れなのだろう。それは、新しい時代というよりも、もとに戻るということだ。今の日本は、3歳くらいにならないと幼稚園に入れられないし、保育園の数も少ない。でも、アメリカや先進国は、もっと保育施設の数や質も充実している。0歳児からどんどん保育園に預けて、女性は社会に出るのは、どんどん普通のことになっていくのだろう。そういう風に読んでいて、子供がいじめで親に相談もせずに自殺してしまうのも、こういう事情なのかと思った。子供は、子供の社会の中で生きていくことが、絶対だからなのだろう。子供の中で生きていけなければ、その先はあり得ないのだから。ただ、今の社会は、いろんな年齢の集団ではなく、どうしても、大人の都合で、年齢ごとに集団が作られていしまっていて、年長の子供が責任をもって、年下の子供を面倒みるという構造じゃない。だから、子供社会がゆがむ。年齢で区切るのではなく、もっと、年齢間の交流のできる、保育園や、学校のシステムが必要なんだと思う。もうひとつ、面白いのが、人間のあり方は、一夫一妻制よりも、そもそもは、乱婚だったのではないのかという話。そう思えば、男性がやたら、浮気するのも、カップルが3年くらいで、飽きてくるのも、ありかもしれない乱婚でできた子供は、村の中で、村全体で育てる。実際、経済力も、子育て力もない、若い人たちに子育てさせるよりもいいと思う。特に、これからの少子化の社会では、ちゃんとしたカップルが結婚して子育てするのを待っていたら、人口は、減るばかりだろう。まして、金持ちほど、子供の数は少ない。一人っ子のところも多い。子供の多い家庭は、貧乏だっりもするし。それでも、幼稚園や、学校が、子供たちの面倒を見てくれていたから、一夫一妻制でも、子育てしてこられたのだろう。社会が多くの部分の子育てを引き受けていたから。けれどこれからは、さらに、0歳児からの保育、高校、大学教育、までも、社会で負担しないと、子供は育てられないし、人口減少を改善できないかもしれない。それにしても、乱婚。ちょっと面白そうだけど、もし、現代の社会で、乱婚のシステムが実行されたらどうなるんだろう。まあたしかに、アメリカなんかでは、すでに、スワップとか、あるもんねえ。ほかにもいろいろ、興味のある話題が多い。面白かった。言ってはいけないー残酷すぎる真実ー(新潮新書)【電子書籍】[ 橘玲 ]
2017年02月04日
コメント(0)
テレビで池上彰さんの講演番組を見ていたら、マックスウェーバーの本を説明していた。時代を変えた一冊だとか。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』この本。資本家に都合よすぎる。ていうか、資本家のための本。資本家がお金をどんどんためることを肯定している。労働者を薄給でこき使うことが、肯定されていて。キリスト教のプロテスタントが勤労を奨めているのはわかる。お金がたまると働かなくなるから、労働者に給与をそんなに与えなくていいという論理。だから、儲かったお金は、資本家が貯めておいて、さらに事業に使えばいいという話。資本家がお金を貯めるのは、いいのか?それは、神が定めた運命であり、資本家は神によって、お金を管理するものとして選ばれたから、いいんですっって。労働者はお金をためてはいけなくて、資本家はお金を貯めてもいいのだそうだ。なんて、資本家に都合のよい、ご都合主義な倫理なのでしょう。絶対おかしいと思います。いままで、どうして格差が起きるのか。不思議だったのですが、なんか、わかった気がします。労働者に正当な対価が払われていないから、いくら働いても、貧乏なのですね。政府がいつも、景気が悪いといってますが、労働者にちゃんとした給与を払えば、景気は悪くならないのでは。お金持ちにだけお金がたまると、土地とか、投資とか、バカ高い絵画を買うとか、一瞬で価値のなくなるものに、貴重なお金がつぎ込まれて、無くなってしまうのですから、景気が良くなるはずがありません。一か所にお金をためるより、みんなで使ったほうがいい。社会主義が、宗教禁止の理由もわかりました。宗教禁止なのではなくて、キリス教、プロテスタントのこの考え方を禁止しているのですね。なにせ、資本主義を絶賛する宗教なんですからね。そもそもは、カトリックの贖宥状を非難して始まった宗教なのに、気が付けば、お金持ちの味方。へんだなぁ。日本は、キリスト教の国でもないのに、西洋の考え方や、システムをそのまま輸入した結果、こんな社会ルールまで、そのまんま。変じゃないか。日本くらいは。こういうプロテスタント資本主義をいいかげん、脱却して、もう少し正当な対価を労働者、会社員に、払うようになれば、景気だってよくなるはずです。だって、今の給与は安すぎます。普通に働いても、家を買うこともできません。節約することが当たり前のように刷り込まれているけれど、そもそも、節約ばかりを気にせずに、普通に食品や衣料品を買うのが普通の生活でありたいです。いままで、節約を洗脳されてきたんだなと思います。安物を買うことばかりが、目指されると、末端の生産業を引き受ける人がいなくなって、それこそ、産業の空洞化になるのでしょうね。旅行にちょくちょく行けるようになって、食費や、衣料費や、いろんなものを節約しなくても済むくらいの、お給料が出て、みんなが、いろいろ買い物したり、遊んだりにさくさくお金を使えれば、そもそも景気だって、よくなるはず。なんじゃないかなあと思う。格差だって、無くなるはず。アメリカの格差がものすごいのも、やはり、新教の国だからですね。資本家が、一番擁護されている国ですからね。もっと、労働者や、会社員の給料が増えるように、社会的な意識が変わっていってほしいものです。お金ほしいなぁ。(←本音)まあ、この本を読んでみることが一番大事ですけれど、むずかしそうだなぁ。プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神改訳 [ マックス・ヴェーバー ]価格:1166円(税込、送料無料)
2016年05月14日
コメント(0)
楽天のこちらのブログは、やめたのだけれど、エキサイトだと、アフィリエイトが使えなくて、面倒なので、本の記事だけだけ、こっちにも、アップすることにしました。我が家は次男で、新屋なので、当然先祖代々の墓もない。いつか買わなくちゃいけないんだろうかと思いつつも、どうしたものかと、思っていた。なにしろ、葬式とか、仏壇とか、って、いろいろ細かいいろいろなしきたりも、私たちには、まったくわけわからない。なにしろ、葬式なんて、人生にそう何回もあるイベントじゃないし、予想外の時期に突然やってくる。わからないことが多すぎ。というわけで、読み始めた今回のこの本。とてもよくわかりました。特に、戒名の意味とか、その値段とか、相場とか、きまりとか。お寺にお墓を持つ限り、どうしても、葬式の時には、お経代とか、戒名代とかかかるということです。というわけで、それじゃあ、霊園で、お墓を買うかなあと思ったけれど、公立の霊園は倍率高いし、申し込みの時に、骨をもっていないと、いけないし、民間の霊園だと、運営会社がつぶれるかもしれないし。でもこれからの時代、お寺だって、経営破たんしかねないし。たとえ、お墓をかったとしても、はたして、自分の子供たちが、そのあとも、子供を作って、家を続けていくかわかないし、それなのに、高いお金をだして、お墓を買うことに意味があるのかと、悩んでしまうのだ。キリスト教なら、ずっと信者として、協会とかかやー割り続けているし、お墓も個人単位だから、いいなあと思う。今の日本で、お墓が、家単位なのは、もう、無理があるなと思う。しかも人口が、どんどん年に集まっていて、その土地代の高い都市に、さらに、お墓も集中するのだろう。海などへの散骨もだんだん普及し始めてはいるし、樹木葬とかも、あるけれど。それはそれで、お金かかりそうだ。さらに、お葬式も、直葬、家族葬など、以前より、お金のかからないシンプルなものが増え始めているらしい。とにかく、今までのお葬式はお金がかかりすぎる。ようするにもお経もせず、通夜も告別式もカットして、いきなり、火葬場で、燃やしてしまうとか、近所の人とか、親戚とか、そもそも普段それほど交流のない人を会葬者として、無理に呼んだりしないということで。すし屋や床屋が、最近値段やシステムをリセットして、廉価なのものが普及したように、葬式や、お墓も、だんだんシンプルでわかりやすくて、安いものに、リセットされるのだろうと思う。ただ、日本人みたいに、地味な人たちには、葬式や、法事は、明るくなくても、罪悪感も感じなくても済むけれど、親族が時々顔を合わせて、話のできる一種のパーティとして、それはそれで意味のあるシステムなんじゃないかとも思える。だから、無理にやる必要はないけれど、やることを必要以上に義務とも、思う必要も、ないし、やりたかったら、やってもいいんだろうと思う。とりあえず、わけわかんなかった感がなくなって、少しほっとしたかも。それでも、葬式とか、お墓とか、すごくめんどくさくて、心に重い仕事だなと、思う。お金がかかっても、先祖代々のお墓がすでにある人はいいなあ。とも、思う。【楽天ブックスならいつでも送料無料】葬式は、要らない [ 島田裕巳 ]価格:799円(税込、送料込)にほんブログ村にほんブログ村
2016年02月27日
コメント(0)
楽天のブログ「ふつうの生活 ふつうのパラダイス」がもういっぱいになりました。写真の容量がいっぱいで、もう課金しないと、登録できません。しかも、ブログの重要なポイントであるトラックバックがなくなってしまいました。これがないと、映画の記事がトラックバックできないので、これを機会に引っ越しすることにいたしました。あちらのブログがどのくらいの使い勝手の良さがあるかはわかりませんが、楽天はいろいろと不便な部分があったのと、あまりにもセンスが悪いので、今回移ってみることにしました。楽天ポイントが稼げなくなるのは残念ですが、しかたありません。でも、こっちはこっちでなくならないでほしい。ずーっと書かないと削除されたりしないのか心配ですが。思い出のいっぱいつまったブログです。というわけで、エキサイトブログに引っ越しです。新しいブログ 「ふつうの生活 ふつうのパラダイス♪」です。http://futsupa.exblog.jp/よろしくおねがいしますーーーーー。さて新しい、思い出もふえていきますように。
2011年08月14日
コメント(4)
日があいてしまいました。あんまりきれいでたくんさ写真をとったので、一日ではアップしきれませんでした。今日もガーデンのつづき。これ、ねむの木だと思うんですが、いまいち不明。でも、ねむの木のさいているのを見られるのはめずらしくて。なかなか見事でした。ガーデンの人がせっせと手入れほしているところ。こんな道具を使ってるんだなと思いまして。園内ほんとにいろんなところに椅子とかテーブルとかありまして。ほんとにのんびり。ただ、園内はそんなにひろくないので、それほど座って休む必要もあんまりなかったのも、事実。ちなみに、中の売店がすごく充実してまして、バラ模様、花模様の、服、バック、帽子、お盆、お菓子、ケーキ、木製の椅子、テーブル、ガーデングッズなどなど。高いんですけどね。でも、すてきなので、ついつい買ってしまいました。帽子と、ブラウスと、お菓子を。さて、ここまでやったところで、楽天ブログのフォトが満杯になってしまいました。これ以上写真をアップできません。課金をする気もありません。なので、ブログを引っ越す予定です。詳しくは次の記事で。
2011年08月14日
コメント(0)
毎日猛暑ですね。夏がこんなに暑いんでは、もう、観光のような旅行はむりです。高原のような涼しいところで過ごすだけの旅ということで、今年の旅行は長野の高原です。まずは中央高速のPA談合坂で朝ごはん。です。朝からバーガー?と、思ったけれど、中はチキン。しかも、甘いなあーと思ったら、葡萄のソースが入っていました。割とさっぱり味で、これなら朝でも、食べられます。ただ、パンがフランスパン風のものでかみ切りにくいのが難でしたが。まあまあおいしかったです。ちなみに談合坂は改修中でゆっくり座れるところがなく、車の中での食事となりました。それから、最初に訪れたのが、山梨の平山郁夫シルクロード美術館平山郁夫の大作が数点と彼が買い集めたシルクロードの仏像が展示してあります。なかでも、ブッダの像がすごくイケメンでかっこよかった。ガンダーラかインドの仏像はどれもすごく顔のホリが深くて、写真でみているとぴんとこなかったのですが、どれもみんないい男なのですよ。写真が載せられないのが残念です。そして、今回のメインともいえる蓼科のバラクライングリッシュガーデンです。特にここでのアフタヌーンティーを楽しみにやってきたのです。園内はそれほど広くなくて、さらっと散歩する程度。ここのところの連日の雨で湿っていて、イングリッシュらしさがちょっとなぁ。それでも、お花や緑がきれいでした。ただね。木の椅子はすてきなんだけど、日本にこういうのおくと、すぐしめってかびて腐り始めちゃうんですよねぇ。イギリスとかだったらたぶんずーっときれいだと思うんですけどねぇ。そのあたりが残念です。日本ではみたことなかったようなお花もありました。なつだからやっぱり花盛りですね。つかれたので、ここでちょっと休憩、アフタヌーンティーは二時半から。時計をみながらまだかなー。と、心待ちしているところ。続きはまた明日ね。
2011年08月11日
コメント(4)
池上彰さんの本。まいどとってもわかりやすい。第二次世界大戦以降の世界。東西冷戦。ベトナム戦争。イライラ戦争。私が生まれてから、育って、今に至る間の年月の歴史です。現代史すぎて、学校ではならってないし、ニュースをぼんやりみていても、なんだかいまひとつよくわかっていなかった、現代史が、とても、よくわかりました。すっきりです。それで、私がずーっとなぞだった共産主義の国は、なぜ独裁政権になってしまうのか。独裁政権はどうして、粛清はじめてしまうのか。著者の池上さんもなぜだろうかと、悩んでいます。でも、社会主義でなくても、独裁政権は、粛清になってしまうのですね。民主主義のはずの南ベトナムも、ヒットラーも、そうです。大河ドラマをみていたら、豊臣秀吉も、千利休や、おいの秀次など、粛清し始めてしまいました。うーん。なんでだろう。どうすればこういうのなくなるのでしょうね。たったひとりで一つの国全部の責任を背負うって、すごく心理的につらいんじゃないのかな。独裁者はみんな軍人だから、政治的な能力がないからでしょうか。きちんと、勉強していないからでしょうか。知識がたらないのでしょうか。そういえば、明治維新。あれだって革命なわけですし、時の政府をたおしたのに、独裁政権にはならなかったんですねぇ。幕末の志士は、吉田松陰先生に教えをうけているのですよね。そして、みんなでがんばった。だからかな、とかも、考えてみました。アメリカとソビエトの戦い。資本主義と社会主義の戦い。でも、実は戦っているものは、同じなのでは。お金ってね、さびしがりやだから、あつまりたがるんだって。お金って集まる習性がある。いったんお金持ちになると、どんどんたまる。一方で、びんぼーになるとどんどんピンポーになる。あつまろうとするお金をどう集まらずに、均一なままにしておくかが、社会主義の目指すところ。集まっているお金を維持したいのが、資本主義世界に住んでいるお金持ちの人たち。だから、お金をばらばらにしようとする共産主義がこわい。たたかってっいる相手は、どちらの国も同じなんですねぇ。どうすればお金を集めずにできるのか。そんなことを考えていたら、日本の相続制のシステムは怖いくらいすごい。三代相続すると、だいたいなくなってしまいます。一人で頑張ればお金は貯められるけれど、子孫には伝えられない。しかも、日本の社長さん達って、世界的にみるとかなりお給料がすくないらしい。個人ががんばれば成果は得られるけれど、そこまで。子孫には伝わらないから、それほどお金が一か所に凝縮しない。日本の相続税は世界有数の高さなのです。その一方で、教育も健康保険もけっこう充実しているので、収入がすくなくても、ほどほどの教育はうけられるし、病気になっても大丈夫です。ある意味すごい国なのかも。などと、いろいろ考えました。ベトナム戦争の背景がわかったので、興味が出てきて、今片っ端から、ベトナム戦争の映画を見まくっています。時代背景をしっていると、ぜんぜんちがう。おもしろいです。そして、考えさせられます。今日はここまでーーーー♪ 【送料無料】そうだったのか!現代史価格:760円(税込、送料別) 【送料無料】そうだったのか!現代史(パート2)価格:760円(税込、送料別)
2011年07月27日
コメント(0)
まいど、おもいっきり愚痴の内容です。ものすごくおもしろくないので、読まないでください。心が疲れているなあと思います。とっても傷ついていて、なかなかなおりません。肝臓の数値がよくないからと、肝臓の薬を去年飲み始めました。しばらく飲んでいたら、数値がよくなったからと、薬を切られてしまいました。私は薬を飲んでいる間なんとなく体が楽になっていてよかったし、まだのんでいたかったのになぁと、思いました。でも仕方ないのかと、思って黙っていました。9月になって、ひざをうってしまい、痛いので、しばらく家でじっとしていました。買い物も簡単にはいけませんでした。あまり動かない生活をしていたのもよくなかったのか、そのあとだるくてだるくて、いろんなことができなくなって、つかれやすくて、寝てばかりの生活でした。肝臓がますます悪くなっていたのです。このとき、娘の受験気にもかかわらず、体調が悪くて、あまり面倒をみてあげられませんでした。でも、娘は私の体調が悪いからとは、わかってくれませんでした。自分に興味がないからだと、自分のことはそれほどきにしてないからだと、そんなふうにおもっていたようです。しかも、同じ時期、息子のシュウカツがかさなり、息子はシュウカツのいらつきからなにかあると私にきつい言葉を投げかけてきました。自分の辛いことは母親にあたって消化すればいいと、彼は考えていたようでした。でも私だって普通の人間です。いつもきついものいいをされて、平気なわけなんかありません。そんなことが重なって、私の心はどんどん傷ついていったように思います。息子のシュウカツに困った私は実家の母に相談しました。けれど、会社勤めをしたことのない、母にわかるはずもなく。的外れなアドバイスばかり。外れてこと自体はしかたのないことです。ただ、私の母、亡くなった父がいつも言っていたことではありますが、とにかく、しつこいのです。公務員試験を受ければとか。息子の鼻が悪いのが原因だから、手術したらとか。公務員試験のためには、一年くらいかなり難しい勉強をしなくてはならず、そのために民間企業のシュウカツもできず、試験もうまくいかなければ、どちらもだめで、どうにもならなくなるから、公務員試験はいやだと、息子はいいました。けれど、そのことをなんど母に言っても、まったくわかってくれず、こちらが何度も断っているのに、何度もしつこく電話して勧めてきました。母は、知り合いから話をきいて、絶対公務員がいいと、思いこんでしまったようでした。シュウカツやいろんなことで大変な上にこの母のしつこさに対応するのは、本当にしんどいことでした。そのあと知り合いから、実は公務員はそんなに給料がよくないときいて、公務員を勧めるのはやめてくれましたが、それまではとても大変でした。でもそのあと、御嶽山に旅行にいった母は、そこで占ってもらったらしく、今度は、息子の鼻がつまっているせいでよくないから、都内の病院で手術をしてもらったほうがいいと、いいはじめました。息子はシュウカツの真っ最中。そんなことをしている暇なんかありません。そんなことはしたくないし、暇もないと、なんどもいったのに、また、何度も何度も電話してきてそのことをすすすめたり、私が実家に行った時も毎回そのことを言い続けました。どんになに断ってもしつこいことにさすがに疲れたわたしは、実家から速攻で帰ってきてしまいました。私が帰ろうとした途端、あわてた母や、実家にいた兄嫁もでてきましたが、それ以上そこにいることは、辛くて辛くて、できませんでした。自分の母親にこんな対応しかできず、どうしても仲良く楽しい時間を過ごせない自分がとても辛かった。また、肝臓のせいで体がだるく、しかも、足が悪いので、週に一度食料をまとめて買うために土日に夫の車でスーパーに買い物にいって、くたくたになって帰ってきて、夕方やすんでいたのですが、そのころ近くに住む夫の母、や兄が毎週のようにやってきました。たかだか1時間程度のスーパーすらその時の私にはつらかったのです。にもかかわらず、こちらの体調や都合を一切無視して、連絡もなく、了解もなく、夕方やすんでいるところにいつも無理やりやってきていました。近くにすんでいる息子にあったり話をしたい。母親であればまあ当たり前ではありますが、でも、その家には私だって住んでいて、疲れたり、あたまがいたかったりして、休んでいたりするわけです。だって、私の家ですから。姑が来ることはいやでしたが、姑が来ることを嫌がる自分もとてもわがままなようで嫌でした。でも、つかれてるし、かんべんしてほしい。他人が一歩でも、我が家の敷地にはいると、そのことがわかるんですね。門が開く音、玄関が開く音、話声、歩きまわる音。二階で休んでいる私にはすべて聞こえて、そして、そのせいで休むこともできず。早く帰ってもらうのを待つしかありませんでした。なんだかもう、ここは私の家じゃないし、他のところに住みたいとも思い始めました。でも、収入のない私が家をでるわけにもいかず、自殺するほどの勇気があるわけでもなく。家にくるしゅうとめをいやだと思う自分はとてもわがままなんだろうかと、思いつつ。でもやっぱりしんどいのです。若い頃は体力もあったし、まあしかないとあきらめてもいたし、いろいろな援助もしてくれたりするわけで。いろいろと心配もしてくれるわけで。ただ、体調の悪い時はかんべんしてほしい。夫の方から姑のために夫の実家に行ってあげてほしいと、なんどもたのみましたが、ほとんどいってくれません。同居の兄嫁がいやなのか。兄嫁がいなくてもいやなのか。実際、50をすぎた男がそんなにしょっちゅう母親に会いたいなんて思うはずありません。基本的に私は、ひとりになる時間がある程度ないと精神的につらいのです。けれど、最近は大学生になった子供たちが家にいる時間が意外と多くて、家の中に自分一人だけという時間が取れることが少なくて、かなり心が疲れています。しかも、ちらかすし。かたづけないし。ご飯というわりに、食べないし。残すし。あーーーーー腹が立つ。人ごみに出かけてみたら、ホッとした自分がいました。日こごみの中というのは、実は一番孤独な場所。です。さみしい人間にはとてもつらいところ。でも、ひとりになれずに疲れていた私には、ホッとする場所でした。ああ、さびしいんじゃなくて、ひとりなりたかったんだ。と、つくづく思いました。人ごみの中が、一番一人になれる所。オンラインゲームばかりしていた自分もわるいですねぇ。あれは意外と体力がいるのですね。頭痛くてつかれているのに、やっていたり。もう飽きてきていて、やりたくないのに、無理してやっていたなんて、どうかしていたと、思いだしてつくづく思います。本を読んだり、散歩をしたり、他にやりたいことがいろいろあったのに、それを後回しにして、無理してゲームしていました。他にやりたいゲームをやるために今やっているそのゲームをいったんクリアしないとだめだと思っていました。でも、オンラインゲームに終わりなんてありませんから、そんなのはむりでした。今はもうゲームはほどほど。やりたくなくなったら、途中でログアウトすることにしました。最近は休日に出かけても、なんだか、楽しくないし、疲れるし、しかも、つかれてやすんでいると、近くにすんでいる夫の母や兄が来るので、出かけるのも嫌になってきました。しかも、もうじき夏休み。これからまた、毎日毎日、子供たちが、しかも、でかいやつらが、いるんです。うんざり。先日から、私がだるくてつらいといったら、いつもの先生がまた、血液検査をしてくれて、肝臓の薬が出されるようになりました。毎日きちんと薬を飲んで、夜はゲームの夜更かしはやめて、きちんと寝るようにして、夕方散歩して、本を読んだり、DVDをみたりしながら、昼寝をして、リラックスして、体調をもどすように、最近は心がけています。ちなみに、夫も去年あたりから、膝が痛いらしく、なんとなく以前ほど元気じゃなくなったような気もします。お互いにもう年です。以前のようにむりはできません。親の相手も、もうそんなにできません。子供たちも、がんばって育ててきたわりになんだか役に立たなそう。なんだかなぁ。そういえば、夫に対しての私の不満は、収入が少ないことでも、たよりないことでも、大食いなことでもなく、父親として、息子をきちんとしかってくれないことです。子供のうちは母親がそだてるにしても、もう成人した男子は、父親がビシーッとしかる必要があるはずだと、思うのですが、とにかく、ぜんぜんしかってくれない。息子がパソコンを独り占めしていても、「貸して」と遠慮がちに言う父親。部屋中散らかしても、注意しないし、おこらないし、言いたいことがあっても、遠まわしに言ったり、目の前に息子がいるのに、私の方に言ったりしてて。なんでって思う。父親として、もっとしっかり。息子を叱ってほしい。いつかもっと元気になって、心の傷が治って、思い切り遠くに遊びに行きたい。いろんなことを以前みたいに、楽しいと、思えるようになりたい。最近、これは楽しい、たのしくない、ちょっとだけたのしいと、心の中で考えています。それは、いろんなことが昔みたいにたのしいと、思えないから。いきてるんだから、いろんなことに素直に感動したい。私の願い。は。田舎に住みたい。東京はあきました。喘息なのも、ここに住んでるせいだし。ちょっと自然のある山にいきたいとおもっても、何時間もかかるし。こんでるし。どこいっても人だらけだし。物価は高いし。うるさいし。うまれたのがここでなかったら、絶対こんなとこもに棲まなかった。と、思う。心がきずついてるなあ、痛いなあと、感じながら、一生けん命我慢して、毎日がんばってくらしています。前より少しだけ、楽になったかも。痛くなくなる日はくるかなぁ。
2011年07月25日
コメント(0)
リーマンショックとは、便利な言葉だ。と、最近気づいた。景気が悪いのも、会社の経営がうまくいかないのも、政治がうまくいかないのも、就職がきびしいのも、世の中の不景気もみーんなリーマンショツクのせいと、いいわけできるらしい。あれ以降すかっり景気がわるくなったらしい。でも、息子の就職活動をきっかけに、いままでサボっていた就職活動関係の本を何冊か読んでみて、シューカツがらみの雑誌の記事もよみ、ネットのシューカツ記事もいろいろ読んでみて、なるほどなぁっと、思った。いまどきの学生は、個性がなくてとか、いわれるけど、いまどきの企業の新卒採用活動もおなじ。まるで金太郎飴みたいだ。就職専門のサイトに登録してそこから、学生に一斉にメールを送る。サイトを通して、ネットを通して、学生からのエントリー。ネットのおかげで膨大な量がくるから、すごい量のシューカツ生を処理するのもたいへんらしい。そのあげく、人手が足りなくて、面接なんてやったこともない素人の社内の割とひまな社員まで総動員して、学生を一次面接するらしい。面接の基準は、一緒に働く気のする人材かどうか。ようするに、素人の社員のなかよしごっこのお友達さがし。現役社員と似たタイプの人間ばかりが選ばれるらしい。これじゃいくら、会社のトップあたりが、個性的で奇抜でアタラシイタイプの社員がほしいと思ったって無理だよ。そういう人材は一見かわってるから、一次面接でしろうとの面接官にほぼ落とされる。大量のエントー。次から次の説明会。片っ端から受けまくって面接としゅーかつにうんざりの学生。こんなので、本当にいい人材なんてとれるわけもなく。最近の大手企業の中身がぼろぼろで、危なくなってるのも無理もないんじゃないのかなと、ふと思った。世界に冠たる大企業だったソニーも、松下も、東芝も、日産も、トヨタも、なんだか中身はボロボそう。10年後にもあるのかな。数打ちゃ当たるの大量エントリー。受験対策のようなシューカツ対策。優等生を演じたつもりのお面をかぶったシューカツ生相手の面接。コミュニケーション能力がとわれているっていうけれど、面接がうまいのと、コミュニケーション能力があるかどうかは別。なんじゃないかと、最近ふと思う。人づきあいがうまくて、友達が多くて、コミュニケーション能力が高くたって、知らない場所で、第一志望の企業でドキドキしながら、不意打ちの質問されたり、予定外のことをきかれたら、しどろもどろになって、うまく答えられないのも当たり前だと思う。それって普通のことでしょ。初対面でもベラベラしゃべれるといううタイプの人間にだけ有利なだけ。ちなみに、二、三年前から、求人は、定員制から厳選採用に変わったらしいのです。ようするにある一定以上のレベルの学生がとれなければ、人数がたりなくても、無理して採用しないらしい。内定をだした学生が辞退してきても、その分を埋めるということもないようです。なぜかというと、数年前から、「なんでこんなの採用したの」と、現場からクレームの来ることがふえたから。だそうです。だから、無理して採用しなくなった。そういえば、うちの子供の数代前は小学校で学級崩壊。中学でも、地域の不良のトップの子がいたり。高校では、卒業までがまんできずに、中退の子が増えました。息子の時は「ゆとり教育」の一番ひどい時でした。でも実際には、息子の数年前からゆとり教育実施によるカリキュラム削減ははじまっていたのです。でもそれを知っている人たちはごくわずかだったのではないかと思います。兄弟がいて能力が同じでも、上の子より下の子の方がいい点数をとってきます。親は下の子の方ができると思ってしまいます。でも、実際には、カリキュラムが減っているせいで下の子の方が点数がよくなるだけでした。そんなゆるいカリキュラムで育った子どもたちが高校で能力の壁にぶつかって、中退が増えてしまったのではないかと思います。その世代の子供たちが育って、いま企業に入り始めているのです。でも、企業側でこのことにきづいていることは、ないのではないかと、思います。それでも、最近の新卒生はなんか変だと、思い始めているようです。その結果が数年前からの厳選採用への切り替えです。入社しても、バタバタやめていく新卒生たち。けれどそのあと、娘の時代にはさすがに、社会的に非難されて、「ゆとり教育」は、中止され、カリキュラムは徐々にふえはじめて、改善されてきました。都立高校の入試制度も改善され、質も向上しました。(それでも、私の育ったころとは、くらべるぺくもありませんが。)ただ、もうこれからは、「残業ばかりする会社中心の生活や人生が、一番、」とされるような価値観は、変わっていくはずで、それ自体はもう揺り戻しようはないのではないかと、思います。それは、学生の質が落ちたのではなく、社会全体の、時代の価値観がもうどうしようもなく、変わっていこうとしているからではないかと、思います。新しい価値観、新しい視野、新しい、考え方を、企業もまた、受け入れていくベキではないのかと、思います。社員一人一人の人生や価値も大切にしてほしいと、思います。シューカツといっても、特別なことではありません。特別な場でもありません。人と人が話をして、相手のことを理解する。自分という人間をわかってもらう。それだけのことなのだと思います。難しいけどね。相性のあう学校探しをしてきたように、相性のあう会社を探す。それだけのことのはずですが、でもやっぱりむずかしい。ちなみに、息子もやっと、内定をもらうことができました。長い長いシューカツ生活も終わりです。よくがんばったね。おめでとう。
2011年06月18日
コメント(2)
昨日行った本屋さんはなかなかよかった。持病の薬をもらいに行った帰り、いつもみかけるだけで、入ったことのなかった本屋さんに行ってみた。入ってみたら、なかなかいい雰囲気。本棚はかなり高い。でも、ちょうど視線の位置だけ、本が縦置きしてある。他の本はみんな普通に背表紙だけしかみえない普通の入れ方。でも、ちょうど、視線の高さのところだけ、表紙がみえるように、文庫本や、コミックが縦に置いてある。だいたい、注目の本や、話題の本、評価の高い本なんかが。並んでました。この本屋さんできるっ平置きの本とかも、ふつうの本屋さんだと売ってえない本や、あってもきがつかない本が、目につく配置になってる。しかも、レジのカウンターが異常に高い。本をだしたら、「カバーする本は、ありますか。」と、聞かれました。こんなのはじめてっ、すごいっ。普通は、「カバーーしますか」と、きかれるので、いいですっていうと、「ありがとうございます」っていわれるんだけど、カバーしなくて、あたりまえって、考え方です。世の中がだんだんサービス過剰からも修正されつつあるようです。この本屋さんすごーい。ちょっと前に行った、吉祥寺の本屋さんも、すごくレベル高くて、よかったんだけど、ここも、うちの近所にしては、なかなか。しかも、レジの横にパソコンのディスプレイ画面があって、レジで本を清算してる間、話題の本とか紹介してる。で、そのままみてると、会計の金額がパッと出てくる。おおーーーーっ。音声より目で見る方が、頭に入りやすいものね。すごいっ。ただ、位置が近すぎて、みずらかったのが、難点ですが・・・・・・・。いい本屋さんをみつけて、ちょっと、うれしかった。また行こーっと。ふふふ。本屋さんにかぎらず、やっぱ、商売はアイデア勝負ですね。最近、すごく店内を工夫してる本屋さんをときどき見かけます。売れ筋の雑誌や漫画と、申し訳程度の文庫本(しかも、現代小説ばっかり)なんていう本屋の多い中で、それなりに、いろいろ工夫していたり、いいものや、話題のもの、質の高い本をそろえていてくれたり、お客様に情報も提供するような感じの配置を工夫してたりする本屋さんに、たまに出会います。そういう本屋さんに会うと、すごくうれしい。いまは、ベストセラーだけじゃなくて、「本屋大賞」みたいな、企画もあって、本屋さんのすすめる本っていう、選択肢も提供されてたりする。プロのお勧めってやつだ。レストランでも、シェフのおすすめなんていうメニューがあるし、店長のお勧めなんてコーナーもあるといいな。とにかく、最近の本屋さんは、いろいろ工夫があって、うれしいです。一時は本屋さんがバタバタつぶれて、ショックだったのだけど、また新しい本屋さんが再起動しはじてるかんじで、うれしいです。
2011年06月01日
コメント(0)
長男がシュウカツ真っ最中です。今回の地震のおかげ(?)で、いまだにシュウカツは延長で続いています。今の時代は、とーだいせいや、そのほかの上位難関大学の学生ですら、ばんばんと、おとされまくる。なかなか内定がとれない。そういう時代です。こういう状況をみていると、親としては、なんかもう、子供育てたくないです。がんばって育ててきた挙句、社会から拒否されるなんて。というか、今の時代のシュウカツ。なぜ大変なのかというと、椅子取りゲームを椅子ひとつづつ、一回づつやってるからなんだと、思います。イストリゲームって、本来5この椅子を6人で、音楽ならして、まわりをぐるぐるまわりつつ、あいづで、全員一気に座る。余るのは、ひとり。他の5人は、確実に座れます。昔のシュウカツって、そうでした。たしか、11月1日解禁で、その日にシュウカツ生全員が、一斉に第一志望の会社の面接試験になっていて、その日には、内定かそうじゃないか決まってました。それでほぼ終わり。でもね。今のシュウカツって、会社によって、面接の日がばらばらなんです。しかも、何カ月もかけてやってる。つまり、5この椅子を一つずつ順番にゲームしてくのです。1この椅子に6人で、ゲーム。あいづのあとは、座れるのは、ひとり。5人が残ります。その次の椅子は、5人でゲーム。で、あいづのあとは、ひとり座れて、4人が残る。ところが、実際には、椅子に座ったはずの人が次のゲームにも参加してくるんですよ。いつまでたっても、6人で、椅子取りゲームしてるかんじ。内定もらっても、まだシュウカツしている学生もいるからです。そして、座る人のいない椅子が残ったまま、イストリゲームがつづいてる。椅子は5こあるのに、みんないつまでも、立ったまま。座る椅子がないまま。そんな感じです。椅子によっては、座る人がいないということで、もう一度ゲームしてくれることもあるけれど、誰も座らないまま、空席の椅子ものこったままゲーム終了の椅子もあります。これじゃあ、内定のない学生が多いのも当たり前。求人が少ないとか、就職氷河期とか、そんなのとは、違う。みていると、そんな感じが、今のシュウカツです。親としては、なんかもう、子供育てるのが、すごくいやになってくる。気が気じゃないです。こんな時代なのに、子育て中は、塾だ、受験だと、大騒ぎ。でも、その挙句にこんな大変なシュウカツがあって、うっかりすると、仕事にもつけづに大人になっても、養い続けなければならないとしたら、子育てってなんなのか。でも、会社側も、座らせた学生が椅子に座らずに、立ちあがってしまう。どの学生がちゃんと座っててくれるのかわからない。そーんなかんじです。面接でなにをいえばいいのか。どんなエントリーシートをかいて、どんな志望動機をいえばいいのか。内定が取れない理由はなんなのか。横で見ている私にも、ちっともわかりません。受験のような、わかりやすい対策はありません。なんせ面接官の胸先三寸。面接官の好みや気持しだいで、決まってる。だとしたら、絶対これという、正解はありません。受験のような対策ではたぶん、のりきれない。そのことにすら、気づくのはむずかしい。なんでこの子たちの世代はいつも、こんなにタイミングの悪い時にあたってしまうのか。はやくなんとかなってほしいです。。
2011年05月26日
コメント(0)
どうにもこうにもだるくて辛いと思っていたら、肝臓が悪いからといわれて、肝臓の薬を飲んでいた。そうしたら、すごく楽でなるほどっと、思った。お酒を飲んでもあんまり酔わなくて、顔が赤くならずに、どちらかというと、青ざめていくと人に言われていたのも、肝臓のせい?いつもだるいのは、低血圧かと思っていたけど、最近は高血圧だから、気をつけなさいと、いわれているくらいで、だるいのも、肝臓のせいだったのかも。それならと、禁酒もしてみた。お酒もおいしくないのに、無理して飲んでいただけだったなあと、つくづく思う。時々、飲みたくもなるけれど、飲まなくても、大したことはないし。ここ数日雨で、ウォーキングもしづらい。肝臓のために、運動しなさいと、いわれているけれど、雨をおしてまで、歩くのもなんだしね。と、理由をつけてサボっている。やっと、五月になって、暖かくなったと思えばもう、梅雨。日本はいい国だと思うけど、暑すぎたり、寒すぎたり、いい季節は、雨ばかりで、本当に気持ちのいい日は、年に幾日もないし、もったいないなぁ。常春の国はどこにあるんだろう。いつも、春ってどんな感じだろう。夏服も冬服も、用意しなくて済むし、衣替えもいらないし、冷房も暖房もいらない。うーん。これは、極楽かも。常夏の国はよく聞くけど、常春の国って、聞かないなぁ。どこかにあるのかな。いつも気持ち良ければ、毎日たのしく散歩できそう。
2011年05月12日
コメント(2)
なんて見事にもこんなにも命がけのぜいたくをしていたんだろうっと、つくづく思う。計画停電は今月中で、終わるらしいし、実際のところ、ほとんど実施されていない。街を歩けばいろんなところで、節電されている。スーパーやコンビニの照明は半分くらいになっているし、地下鉄の広告も案内板の電気もついていなかった。ナイターは、延期だし、いろんなところで節電している。ちょっと節電すれば、福島原発がなくても、何とかなっているわけで。スーパーも街中もあんなにも異様に明るくする必要なんかなかったわけで。都会の街は明るすぎる。残業も夜遊びもネオンもやめれば、東京はもっと涼しくなって、夏のエアコンも付けなくても済むようになるかもしれないのに。本当にこんなに必死になって、電気をつけないとならないほどのことはないし、こんなことのために、原発までつくって、命がけでぜいたくをしていたんだなあっと、つくづく思う。「ゴールデンスランバー」は、ビートルズの歌だけれど、話題になった小説のタイトルでもあって、ほんのちょっとうたたねしていた間に、国家的犯罪者にされてしまった主人公の話。気持ちの良い午睡に、うとうとしていて、のんきに暮らしている間に、政府はこんな怖いものをどんどんつくっていて、私たち国民は、いつの間にか怖いものを当たり前に使っていることに気づかないでいた。ポジティブシンキングなんて言葉もやたら流行っていて、深く考えることも、リスクを考えることも、否定されている風潮があって、なんだか納得いかなかった。事故なんか起こらない、危なくなんかない、津波なんか来ない、助けてもらわなくても、じぶんたちでなんとかなる、大丈夫大丈夫、と、究極のポジティブシンキングの結果が、東京電力なんだよね。なにかあったらこわいと、早め早めの対策をして、常にリスクを考える。そういうことが暗いとか、ネガティブだとか、言われてしまう。なんで?政府に思想調整されてないですか。東京電力が事件の処理を外部にたのまなかったのも、助けてもらいたがらなかったのも、幹部が今度の事件が公になったら、自分たちは責任をとって、職を辞差なければならなくなることがこわかったのかもと、思う。でも、自分の仕事を死守したくなる気持ちはわかる。だって、日本の就職システムは、とにかく、新卒絶対主義で、高級高優遇の仕事は、一度やめたら、二度とつけない。必死の思いでやっとね手に入れた仕事を手放したくない。ヒトの命より、危険性、安全性よりそっちの方が大事。こんな事件が起きるのも、そもそも日本の就職システムのせい。だから、偉い人たちは、みんな、正義より、仁義よりも、安全よりも、護身が大事。原発の事件がおきるのも、今の新卒生が仕事につけないのも、みんなこの就職システムのせい。でも、アメリカみたいに、中途採用が可能になったり、ランクアップ式の就職形態になったら、それはそれで、今はまだよそくできないような別のマイナスが生まれることもあるのかもしれない。 【送料無料】ゴールデンスランバー価格:900円(税込、送料別)
2011年04月13日
コメント(4)
新聞のちらしに、銀座三越のものが入っていて、お花見弁当がすごくおいしそうだったのです。さらに、ムーミンのイベントもやっているということで、出かけてしまいました。町にはもう、普通にガソリンが戻ってきていて、地震以来しばらくは、お出かけを我慢していたのですが、もうそろそろ限界。出かけてみるともう、スタンドも普通にガソリン売ってるし、アエラの記事では、外国人はみんな海外に脱出したと、書いてあったのですが、結構都内走ってみると、外人さんが自転車こいでたり、散歩してたりしていて、全員が全員でも、ないんだなと、思いました。車ももう普通に結構走っていて、だんだん元通りに戻っていると、感じました。それでも、以前に比べるとまだまだずっと、少ないかもしれませんが。久しぶりに来た銀座の三越は、新館合わせてなんだかきれいになっていて、地下駐車場もきれいで使いやすく、収納量もアップして、店員さんたちがみんな元気にバリバリ働いていました。きれいで高級なものをいっぱいみて、買わないけど、元気で豊かな気持ちになれたような感じです。久しぶりに行くと、デパートもいいですね。最近は、デパート業界低迷してるけど、たまに行くと、悪くないです。ムーミン展は、ムーミンの家と、ムーミン谷が作られていたくらいで、あとはほとんどムーミングッズのお店だったのですが、かわいいムーミングッズをあれこれ見るだけでも、かなり、楽しかったです。私が買ったのは、ニョロニョロのケーキ型と、スナフキンのキーホルダーと、マグカップ。あとは、木製のテープカッターと、テープ。右の白いカップを買いましたー。↓ムーミン好きにはたまらない逸品です!ムーミン 65thアニバーサリーマグ 【マグカップ】【陶...価格:1,050円(税込、送料別)そのあと、二階のサロン・ドテ「カフェ・ラデュレ」でマカロンのケーキと、セイロンティーをいただきました。店内が、ロココ調っていうのかな、すごく素敵な飾り付けのお店で、豪華な気分を味わいました。でも、すごく高かった。ケーキ900円くらい。お茶も1200円くらいだったと。ケーキセットとかもないし。いやはや。まあ、こんなときで遠出もできないから、こんなところで少しぜいたくをしてみるのです。そして、午後になって、デパートの中はどんどん、混んできましたー。人だらけ。みんなやっぱり、遠出できなくて、暇なのかも。ただやはり、銀座の歩行者天国は、やってませんでした。そのあと、美濃吉のお花見弁当を買って、豪華な気分をたっぷり味わって帰ってきたのでした。このお弁当はすごく薄味で、ほとんどお出汁の味だけのようでしたが、ほとんどが野菜のお料理で、すごくヘルシーで、おいしかったです。カロリー低いからいっぱい食べても、安心。少しづつ、日本が『ふつう』に戻っていくみたい。神戸の時のことをみてるから、必ず、被災者は助けられて、被災地は再興されて、元気な日本はもどっていくだろうと、日本中のみんなが信じているのだろうということが、わかります。国民が全員同じ立ち位置にいて、どんな仕事の人も同じ身分、同じ権利、という国は、いいなあっと思います。
2011年03月27日
コメント(4)
地震のおかげで、息子のシューカツは、さらにさらに伸びました。大手の商社などが面接の日程を6月に延期したのだそうです。それでも、メーカーなどは、4月にやるようですが。商社が面接を6月にまで延期した理由は何なのでしょう。人材だけで、商売をしてる会社は、人材の採用にメーカー以上の慎重さが必要なのだと、おもいますが、今回のことで、さらに人材が必要になるのか、それとも、抑えたほうがいいのか、その決定がしかねているのでしょうか。そして、大学の入学式もどこも延期です。娘も第一志望の大学に合格をいただき、高校の卒業式も終わって、さあ、というところだっのに、ここで、思いっきり二人の子供たちの春休みが長ーいものになりました。こんな長い春休みは、後にも先にも、初めてで、いくらなんでも、今回だけだろうとは、思うのですが。この先一カ月以上も相変わらず子供たちが、家でぐたらぐたらしているのかと、思うと、ちょっとうんざり。でも、家も家族も無事だったのですから、こんな不平はぜいたくなんでしょうねえ。アエラの表紙の「放射能がくる」というみだしががネット上で話題になっているようです。不安をあおるからよくないとか。私も、日曜日に買ってみたのですが。でも、結構頑張って取材した記事で、そして、実際に野菜や、水道水など、実際に汚染され始めているのですから、あの記事の言ってることは、決して、オーバーではないと、思います。夫がいうには、パスポートを取る人たちが増えているそうです。でもいまさら、外国に住むなんて、面倒だし、心配だし、第一、仕事につくあてがない状態で、外国に行っても、貯金がなくなれば、野垂れ死に。路頭に迷って、困るなら、日本にいても、同じですよねえ。いまさら、外国なんて、面倒。若いころは、あんなに外国に住むことにあこがれていたのになぁ。でもって、水がない。水だけは、備蓄しておりません。そしてもう、どこに行っても、売っていません。これに関しては、不覚でした。でも、水はねえ。一人一日2リットルは、必要だし。家族4人で、8リットル。一週間で、56リットル必要です。1本や2本かったところで、焼け石に水。どうしたものかな。楽天最安値に挑戦中!2ケース購入で送料無料!!コントレックス/CONTREX 1500ml×12本入 [賞味...価格:1,416円(税込、送料別)
2011年03月24日
コメント(2)
こんなに正統派の女の子は、いまどきちょっといない。物語のヒロイン黒沼爽子(貞子)は、ひざ下までの長いスカート、上まできちんとボタンをとめたブラウス、白い靴下。黒くてまっすぐな肩下までの髪。勉強は自主的にきちんとやるし、家の手伝いもするし、料理も作れる。学校の雑用係も、委員の仕事も、自分から買って出る。そして、ヒトのためになにか役立てないかと、いつも考えている。それにもかかわらず、貞子とあだ名され、彼女とかかわれば呪われるとか、霊感があるとか、噂され、嫌われている。物語を読み始めた時、なぜこんなに嫌われているのか不思議だった。でも、今の時代。女子高生の間では、制服のスカートは、ウエストをまくりあげることで、ミニにするのが流行っている。それはもう見事なくらい、ほとんどすべての女の子たちのスカートは、短い。場合によっては、下着の見えそうなぎりぎりの丈だったりする。こうなるともう、本音ではミニスカートがいやでも、足をだしたくなくても、自分の好みに関係なくスカートを短くせざるを得ない。こんな時代にスカートの丈をひざ下のままにしていたら、まず、周りから浮くに違いないし、ものすごく勇気のいる行為に違いない。実際、物語の中でも、爽子以外のすべての女の子たちは、いまどきのミニスカートなのだから。その上勉強はやる。委員はやる。髪は黒い。これでは、実際周りから『うざい奴』と、思われても仕方ないし、いい子ぶりっこと、思われて、嫌われるること必定だと言える。物語では、貞子の悪評ばかりが、オーバーに語られているので、爽子のこういう本質が見えにくい。けれどそんな中で、風早君だけは、真実を見抜く目を持っていたのだ。他人のために、クラスのために、自主的に働く爽子に気づいて、魅かれていく。ただ、周りは、彼のそんな心中がわからずに、ただ、優しいから、浮いてる子を放っておけなくて、優しくしているだけだというように見えてしまう。ほとんどの女の子がヒトによく見られようと、必死になっていて、そのためにミニスカートだったり、過剰におしゃれしていたりする中で、爽子だけが、人によい感じを与えるための制服の着こなしや、委員の仕事や、料理、友達のためのノート作りをしていたりする。けれど、高校生になった彼らは、少しだけ成長していて、やがて、風早君や、初めて爽子の友達になってくれたヤノピンや、吉田さんたちによって、爽子の本質がみえはじめ、彼女を受け入れ始めていく。爽子自身は、自分の制服が友達の中で、浮く着方だということも、自分がやってるもろもろの行為が逆に回りの同級生たちに、ある意味での不快感を与えていることにも、実は気づいていない。ただ、ヒトのために動いているだけなんだけれど。物語の進むうちにどんどん爽子が可愛くなっていく。そして、やがて、風早君のために、ミニスカートをはいたり、おしゃれをしたりするようになっていく。それから、この物語の大切なメッセージの一つが、思っていることは、ちゃんと言葉にして相手に伝えなくては駄目だよ、ということ。思いはきちんと言葉にして、相手に届けなければ。言わなくてもわかるとか、言うのは怖いから逃げちゃったりとか、そんなのは駄目だよってこと。一生けん命話した私の言葉は、あなたに、君にちゃんと届きましたか。届いてほしい。届けっ!十代のいろんな思い。恋心も、友情も、なかなか思い通りにいかないそんなエピソードのひとつひとつが、読みながら、ドキドキして、青春だなーっと何度も何度も、思いながら、爽子と、風早君の恋の行方を追いかけながら、作者のメッセージをたくさんたくさん、いただきました。ヒトと、本気でかかわるって難しい。いままで、ずいぶん逃げていたなと、反省もしましたが。現在12巻までです。続きがとーっても、楽しみです。。【送料無料】君に届け(7)価格:410円(税込、送料別)
2011年03月22日
コメント(0)
まだまだ余震が続いています。微妙な揺れがよくあるので、気のせいなのか、ほんとに揺れているのか、わからないこともたびたび。それで、ペットボトルか、ガラスの透明なコップに水を入れて、安定した台の上か床に置いて置くことにしました。揺れたかなと思った時に、グラスの水をみると、水の揺れで、本当に揺れているのか、気のせいなのか、目ではっきり認識できる分、なんだか、安心します。本当に水も動いていれば、あ、気のせいじゃないんだと、安心するし。水が揺れていなければ、気のせいなのか。揺れていないんだなとわかって、安心します。すごく簡単な震度計です。数字としてはっきりしたものが出るわけでもないですが、視覚的に正確に揺れがわかればいいので、便利です。それにしても、こういつも揺れていると、なんだか、くらくらします。三半規管が狂ってきているのでしょうか。貧血か、立ちくらみなのかな、とも、思えてきますが、やはり、毎日続く微震のせいでしょうか。もともと体調が悪いせいもあるけど、毎日をすごすだけでも疲れているのは、地震のせいなのかな。食材もガソリンもないですが、水もほとんど売り切れてしまっています。東京は別に水道が止まっているわけでもないのに、みんな水を買いまくっているようです。自動販売機も、水だけ無くなってます。お茶や、ジュースは、残ってるのですよね。でも別に土壇場になったら、水じゃなくても、お茶があれば、お米は炊けます。「茶がゆ」って料理もあるわけで。お茶で炊いたご飯もおいしいですきっと。ジュースや、ビールもでも、煮物は作れるだろうし。ジュースには、お砂糖結構はいってるし、醤油たせば、そこそこ煮物になるのでは。ビールを入れたお肉の煮込み料理も普通にあります。普段煮物作るときでも、お酒いれるし、炭酸だと、お肉が柔らかくなります。水だけにこだわる必要はないのではないかと、思います。テレビなんかで、災害用品に水、水と、言ってるからでしょうかね。とりあえず、普段お米買うときは、無洗水を買っておくようにすると、水ない時に、とがずに炊けるから、便利かも。それにしても、電気がないと、何にもできない。自家発電機ほしいですねー。
2011年03月21日
コメント(0)
こんなにすごい地震は生まれて初めてです。それでも、家も家族も無事だし、関東地方はそんなひどい事態にもならなくてよかったです。普通に無事だし。今回の地震は意外に家とか、建物が無事で、神戸の地震とは、違うのでしょうか。火災も起きてないし。そのぶん、津波のすごさに、テレビを見るたび、驚かされてしまいます。かなり高い防波堤を作っていても、津波対策していても、ダメだったとは。食料備蓄、耐震基準の建物など、いろいろと対策してきた効果はでているのですね。きっと。今度は、津波対策と、原子力発電所の安全対策が次のテーマなんですね。それにしても、こんなに地震のある国に原発は、向かない気がしますが。ソーラーパワーの自家発電機でも家につくっておきたいなーっと、つくづく考えてしまいました。各家庭、各会社に自家発電機が普及していったら、今回のような時にも、困らないでしょうに。発電で余った分は、電力会社に売ることもできるし。ただ、とにかく高いものなので、国でもっと補助してもらえないかなぁ。私は基本的に普段でも、普通に普段食べるものをいろいろとかなりたくさん買い置きする癖がありまして。生協にはいっているので、結構買い置きは多くなってしまいます。なにしろ、箱単位で届く品物も多いので。災害対策用に、カンパンとか、ビスケットって、きいていましたが、そんなものより、普段の食品をいつも、多めに買い置きしておくことが、こんな時に役立つとは。今回一番物不足を感じたのは、お米とガソリンでした。でも、わたしは、あんまり考えてなくて、割とのほほんとしていたのですが、夫の会社の人とか、夫の実家とかが、地震後数日で、もうお米がないと、いってまして。気がつくと、どこのスーパーも、お米がないとか。私は常に、2袋くらいの買い置きをしていたので、とくに困らなかったのですが、一番にお米で困るなんて思ってもいませんでした。鮮度よりも備蓄優先の感覚がここに。地震の翌日に近くのスーパーに少し買い出しにいったのですが、実は、一切買い出ししなくても、いまだに、食料は、まだまだあるよというくらい、家には、食料の備蓄があるんです。しかも驚いたことに、生協の配達がチャーんと届いたのです。こんなときだから、生協の配達はむりかなっと思ったのですが、きちんと届きました。しかも、てちがいで、牛乳とかいつもの倍の量の注文になってた。おかげで助かりました。そうそう。牛乳もスーパーではなくなってました。リッツの災害用の大きな缶とか、一つだけ買っておいたんだけど、それより、普段の食品の備蓄が大事なんだと、今回つくづく思ったのでした。昨日、ジャスコにいったら、食品の棚が、どこもここもカラでしたー。店員さんが在庫の食品を片っ端から出しているようでした。野菜と、冷凍食品、お総菜が、意外とあるのに驚きました。素材系のものがまずなくなるのですね。停電もそんなにすぐには、治らないだろうし。ちなみにうちは、都内なので、停電なしですが。早く普通の生活にもどるといいですね。いろいろなところで節電しているので、東京が寒いです。 【送料無料】魚沼産コシヒカリ特A米ほか良いお米 ニッポン代表詰め合わせ半額!魚沼こしひかり...価格:11,025円(税込、送料込)
2011年03月18日
コメント(2)
わかっていると思っていたいろんな言葉が、子供たちに聞かれてみると意外と説明できなくて、パソコンで検索して、調べなおしてみると、こんな意味だったのかと、改めて知って、驚くことが結構ある。「わざわざ」って、いつ使う言葉だ?『わざわざありがとう』って言ったら、感謝の気持ちで言ってるようでも、なんだかかえって失礼なような。微妙な意味合いの言葉だよね。調べてみると、・ありがた迷惑という意味と・そこまでしてくれなくても良かったのにと言う意味と・本来はそこまでおねがいできないのにすみませんなのだそうです。なんか、日本人て、ひとにいろいろやってもらうと、なんだか、悪い申し訳ないって思ってしまうところがあるかも。こんな意味あいもあるそうです。↓頼みもしないことをしてくれて本当にめいわくです。おかげでかかなくてもよいお礼状を書くはめになりました。なんだかねえ。アメリカ人とかだったら、ほかの人が自分のためにしてくれたなら、もっとストレートに、ありがたい、サンキューって素直に感謝するんじゃないかなぁ。こんな解釈も↓語源から考えると古語の「わざわざし(態態し)」もともとは「わざとらしい」など、あまり肯定的な意味ではなかった現代語の「わざわざ」には、「わざと。故意に」など否定的なニュアンスを含む場合と、反対に「ことさら特別に」という肯定的な使い方の両方がある辞書などでは、この肯定的な方の意味が先に書いてあるようですから、現代では肯定的に受け止める人の方が多い。あまりにも微妙。でも、日本では、ヒト(他人)のプライベートに必要以上にかかわらないようにする。ヒトの生活にはいりこみすぎないようにする狭い島国に多くの人たちが込み入って住んでいる分、かかわりすぎないようにする。そんな感覚があるのかも。そんなことを考えていたら、人ごみで倒れていたり、具合が悪くてしゃがみこんでいたり、何かで困っていても、東京の人とか、都会の中とか、繁華街の中では、満員電車の中では、割と今の人はみんな知らんぷり。東京の人は冷たいとかってよくいわれるけど、本当はかかわりすぎにならないようにしてるだけかも。おおきお世話って言葉がありますが、まさにこんな感じ。電車で席を譲っても、結構ですから、って、断られられてしまって座ってもらえないことも結構あります。自分がかかわる一人一人の人たちは、みんな優しくていい人なのに、かかわりすぎはいけないっていう日本の中の無意識のルール。そんなものがあるってことなのかな。意味の出展はここから↓『わさわざ』ってどう?http://oshiete.goo.ne.jp/qa/740107.html 【送料無料】東京わざわざ行きたいおいしいパン屋さん価格:1,680円(税込、送料別) 【送料無料】わざわざことわざことわざ事典(2(からだとたべものの巻))価格:1,575円(税込、送料別)
2011年03月17日
コメント(0)
東京電力の対応に非難が集まっている。私の周りの人もみんな怒っている。いきなりのこんな状況に東京電力の内部はすごいパニックだろうと、思う。しかたないだろうと、私は思ったのだけど、やっぱりこの状況は、怒った方がいいものだろうか。人手不足というけれど、どこの会社だっていまは、会社の利益優先で片っ端から社員のクビを切って、ぎりぎりの人数でやっているわけで。それは、東京電力だって、そうなのだとしたら、こんな事態でいきなりたくさんの社員が必要な状況になっても、普段ぎりぎりの人数でやってるのに、はたして対応しきれるものなのかなぁ。それはきっと、どこの会社でも、今はそうだろうにねぇ。まして、電気なんていう、今の時代にすごく必要なものなのに。そんでもって、本社なんて、ほとんど受験エリートの幹部社員ばかりだろうしねぇ。(なにしろ、Jぱわーは、シュウカツ生に人気企業ですから。お給料いいしね。)いきなり、迅速な対応なんて、もとめられても。昔は、結構余分なたいして仕事のない社員をどこの会社も抱えていられたのにねぇ。少数精鋭なんて、よくいうけど、ほんとはそんなの言葉の美しさでごまかしてるだけで、精鋭でもなんでもない。有能な人材でも、無能な人材でも、数が少なかったら、できることなんて、限られてるにきまってる。それでもやっぱり、東京電力の対応には、怒った方がいいのかしら。たぶん、怒った方がいいのでしょうね。もっと社員雇ってください。どこでも。追記さて、今テレビをみていたら、原子力保安の人が詳しく説明してました。なんだ、ちゃんとわかる人いるんじゃないですか。最初っからこういう技官、ていうか、技術系の人だしてくれればいいのにねぇ。【送料無料】内線規程(東京電力)第11版価格:3,675円(税込、送料別)
2011年03月17日
コメント(0)
中学受験は親の受験といわれますが、シューカツもまた、親の力が試されているなあっと、つくづく思います。今までのしつけや、どんな育て方をしたかとか、人間性まで、問われている気がします。まあ、真っ最中のいまさら、あわてて騒いでもしかたないし、まにあわないんだけど、それでも、いまさら、しつけしている母です。情けないですね。いまさらあわててもしかたないんだけど。シューカツしてる本人にすれば、面接で一体何が問われているのか、見られているのか、まったくわからないというところなのですが。こちらがアドバイスで言うことがなかなか本人に理解してもらえない歯がゆさもいっぱいあって、とっても、つらいところです。まあいまさらもう、黙ってみているしかないのですが、それでも、目の前でいろいろ言えば、こっちもいろいろ言っちゃうし、心配だし、いつまでたっても、どこまでいっても、親業って、つづくんだなあっと、つくづく。先日なにげなく借りたレンタルDVD『エグザム』 エグザム(DVD) ◆20%OFF!価格:3,192円(税込、送料別)就職試験の話なんですが、やっぱり、子供がシューカツしてるので、なんか気になって借りてきてしまった。ところが、シューカツに行き詰ってた息子がこれをみて、すごーく感動して、少しだけ、シューカツの意味というか、面接で何が見られていて、何が要求されているのか、わかったらしい。わたしも、普段言ってるんだけど、親が言っても、もう聞く耳もたない年ですからね。面接試験で、試験用紙を一枚だけ渡される。問題は一つだけ。答えも一つだけ。でも、書いてあるはずの質問は、用紙のどこを見ても書いてない。問題はどこだ?答えはなんだ。でも、用紙を破損しても、部屋からでても、警備員にはなしかけても、失格。被験者同士の壮絶ないがみ合いのはてに、真実が明かされる。求められるものは、人間としてのやさしさと、細かいことにも気がつく注意力、情に流されない強さ。いたわりの心。先輩の人たちを思い出して内定が、決まった人、決まらない人、それぞれなんでなのか、ちょっとだけわかったと、息子がいってました。が。いままでの受験のように点数だけで、きまるものじゃない就職って、むずかしいですね。会社によっても、求めるものって微妙にちがうだろうし。親としては、イライラハラハラするばかりです。ただねえ、一番思うのは、先日もネットカンニングの事件とか、あったけど、いい学校にはいるから、いい会社にいけるわけじゃなくて、その学校に入るだけの力があるからこそ、その先の会社にも、就職していけるわけで、学校が入れてくれるわけじゃないんですよね。力がなかったら、やっぱり、たとえカンニングに成功しても、その先に続きません。でもって、実力で入っても、その先の進学や、就職がうまくいかない人たちだって、いーっぱいいるわけで。私がわが子にに言うのは、せめて、「自分なりの100パーセント、自分なりのできるところまでの、マックスを目指して頑張ってほしい。」と。それはもちろん、人それぞれ違う。それにしても、いまどきの就職は、きびしい。私自身の若いころは、まだまだ就職がゆるかったころで良かった。
2011年03月09日
コメント(2)
メデューサという奇病の発症により、世界は混乱に陥れられる。その中で、コールドスリープによって、病気の治療法の解明された未来へと、患者たちを送り出そうとした。けれど、コールドスリープからめざめたその世界は、建物中にはりめぐらされた巨大ないばらと、つぎつぎにおそってくるモンスターの巣窟だった。はたして、ヒロインたちは、そこから抜け出せるのだろうか。という、スタートは、なかなかおもしろそうで、スピード感あふれる前半はなかなかにおもしろかったのですが、後半は、話がややこしくわかりづらく、みおわってみると、一体どんな話だったのか、ちんぷんかんぷん。でした。というわけで、あらすじの書いてあるブログで、ストーリーと設定の基本を確認しつつ、物語のテーマを解明してみましょうね。劇場版 いばらの王(King of Thorn)感想 ネタバレ有り レビュー&自力の考察よくこんだけ話を解明できたものだなあっと、関心しちゃいましたが。↑人の持つ想像力をその人間の細胞を変化させて、具現化できる宇宙生命体。はじめは、病気と、思われていたものは、実は、隕石によって宇宙から飛来した一種の生命体(エーリアン?)だった。いろいろみていくと、「エヴァンゲリオン」と、とてもよく似た物語です。その生命体は人に寄生(?)して、その人間のもつイメージあるいは、望むものを具現化できる。シズクの望んだものは、勇気をもって、前向きに、きびしい現実をいきていくカスミだった。だから、カスミが死んだ時、シズクの中のメデューサは発動し、シズクのイメージする理想のカスミが作り出される。コールドスリープからめざめたカスミは、シズクのつくりだした理想のカスミ。だから、茨の城から脱出し、茨の道を歩いて、未来へと、向かっていくというラストになっていく。手首の傷がなかったのは、シズクのイメージする前向きに生きていく強いカスミだから。イメージからつくりだしたのだから、シズクがのぞめば、手首に傷のあるカスミも作り出せたはず。でも、シズクがのぞんだのは、手首を切ったりしないつよいカスミ。だから、シズクからつくりだされた、カスミには、傷はない。茨というのは、「エヴァンゲリオン」の中にでてく、ATフィールドと同じで、きびしくてつらい現実から、カスミを守っているもの。でも、物語前半で、カスミは、その茨から抜け出そうとする。シズクののぞむ強いカスミだから。でも、本物のカスミのからだは、茨にまもられて、眠ってしまっている。厳しい現実と対峙することなく、いばらに守られて。けれど、ラスト、カスミを現実から途断して、まもっていた茨は、石化し、砕け散る。厳しいいばらの道を歩き始める。さて、主人公のカスミは、双子です。双子のもう一人は、シズク。名前も印象的ですね。霞なんて。弱くて、生命力も存在感もうすい主人公をイメージして、つけてある名前ですね。もう一人の名前は、シズク。それは、希望、の最後の一滴。さてさて、二人が争って死んでしまった時。死んだのはいったいどっちなのか?この決定次第で、物語の解釈も多少違ってきますね。しんだのがカスミという設定でここまでの解説をかきましたが、もし死んだのが、シズクの方だとしたら。コールドスリープするのは、カスミのはずでしたが、カスミは、シズクに生き残ってほしいと、望んでいました。シズクがコールドスリープの資格を得られるように、自分が死ねばいいと、手を切って、自殺しようとしたりもします。けれど、自分以上に生き残ってほしいと、望んでいたシズクが、目の前で死んでしまったカスミは、そのショックからメデューサを発動してしまいます。彼女のかたわれとしての、シズクの体を作り出し、カスミが、しずくにこそ入ってほしいと願ったコールドスリープのボックスにしずくをいれ、イバラで守ろうとしました。けれど、ふとしたきっかけで、覚醒してしまったシズクのカラダは、自分をカスミだと思い込み、シズクをたすけようとイバラの建物をぬけだし、カスミの眠るいばらの城の中にと、入っていきます。そして、最後に行き着いたそこには、ほんもののカスミの体と、カスミをまもる幾重ものいばらの森。本当はねむったままのいばら姫は、おきたくなんかなかったんじゃないの。と。いばらというシールドに守られて、現実から逃げたまま、ずっとねむっていたかったのかもしれないと。けれど厳しい現実から自分をまもっていてくれたはずの唯一の存在であるシズクを失い、その事実を再確認したカスミは、もう、いばらの中にいることはできなかった。どんなに厳しくつらい現実世界であっても、人は、そのいばら道を、強く生きて行かなければならない。強く生きていける自分へと変身することはできるはず。弱い自分も、強い自分も、どちらも、メデューサによって作られる同じ細胞。同じ自分。なのだから。強い自分をイメージしさえすれば、かならず、変わっていけるはず。そして、厳しい現実にくじけずに『いばらの道』を、生きていってと、『いばらの王』つまり、いばらという厳しい現実に打ち勝って、茨を支配する王となれという、そういうメッセージのこめられた物語なのだと、思います。 いばらの王 -King of Thorn-価格:5,481円(税込、送料別)
2011年03月06日
コメント(2)
全1056件 (1056件中 1-50件目)