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革人形の夢工房さんCategory
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『もやいへの道・点景』シリーズでございます。
なにはともかく、もやいの4つの道、そのひとつ、『古代への道』はへろへろっと終了したのでございますね。
『古代への道』はアフリカ・アメリカゾーンだそうな。
そして本日からご紹介するのは『やすらぎの道』からです。
『やすらぎの道』はアフリカ・ヨーロッパゾーンだそうなっ!
すでにご紹介済みなのはミケーネの獅子門。
そしてアイタタ気分満載の、ヤム・ネゼーの像とオーセールの婦人像でした(笑)
でもね、くもの個人的見解では本日紹介申し上げるもやいオブジェこそが一番アイタタ気分なんでございました。だってくも、エジプトの遺跡よか、こっちの遺跡の方が若干ですけど、興味が行くタイプなんですよね…(^_^;
ではご紹介画像、行きます。



……う、
………ううう、
…………イタイ、心が痛すぎるよ、うううううう~~~~(>_<)ヽ
あ、あまりにツッコミ処が多すぎて、どこから始めればいいのか、ものすごく悩むと同時に、くも的には今までで一番涙無しでは語れないのでございます。
キーボートの前で指がふるえて、どう打楽器すればいいか、悩みまくっている今のくもッッ(爆)
とりあえず、最初にコレは云っておかねばならないような気がしますデス。なんだかやためったら手がふるえてしょうがないんですがっ(^_^;
あのう~、ペルセポリスって云ったら、つまり今でいうところのイラン辺りなんですよね? オリエントとか、メソポタミア関係ですよね?
そうなると、ペルセポリスって、あの、アフリカゾーンとか云っちゃうんでしょうか? それともヨーロッパゾーンだとか? トルコ付近ならちょっぴり理解できそうな気もしますけれどもね…。
すみません、くものクルミ脳の知識がどこかおかしいかもしれませんが、振り分けるなら、できればその……
── アジアゾーン『ふるさとの道』 に入れて欲しかったデス!(心の叫びっ)
でも、しかし…← ここでちょっと心を落ち着けようと呼吸を整えるくも(苦笑)
翻ってみれば我らが秋津島ではどうも昔から、中東諸国とその一帯の遺跡と古代文明に対する認識度ってとっても低いようには、くもは愚考してました。
これは、それを如実に物語るかなもやいオブジェかもしれません。
ああ、もやいにまで秋津島の縮図がしっかり刻まれてしまうことこそ、恐ろしい(^_^;
まあそれでも、今回の親切解説者の一文。
いつも以上に、なんというかやたら場所指定もだけれど、具体的です。そこが気に掛かります。
不死隊とかいう単語はちょっと専門的ですよね? たしかにかのサザン朝ペルシャには『不死隊』と呼ばれるその規模一万の精鋭戦団がございまして。かなーり周辺諸国に恐れられていたという。
ただそれが『エラム人』で構成されていたかまでは、くもには、こんなに確信込めて云いきれませんけど;
解説者さん、もしかして、メソポタミアヲタクだったりして。
しかも下手すると、『ディーン・砂の惑星』とか、愛読者な気もするし、更に云えば、『アルスラーン戦記』とかも読破しちゃってそうです。だって18年前だもん、めちゃありえそうでそれが怖い…(^_^;
しかももしかしたら、解説者開き直っているかもしれません!
どうせ、ただの散歩道、そこまで判るまいってな、気配を感じる。
しかしネットの発展振りは解説者の思惑をはるかに越えてしまうのでございますよ。
なにしろ、18年前はいざ知らず、今じゃ『ペルセポリス東入口階段』まで入れちゃってたら、これでググってみろと云わんばかりです(笑)
はたして一杯それらしき画像、出てきちゃいましたv
でも完全に一致する画像は発見できぬまま。
それでも、中でも比較になりそうなのを選んでみました。
はい、クリックジャンプ→ 酢にはまっている : ペルシャを旅した話_そのご
こっちは部分拡大画像アリなクリックジャンプ→ ホメイニ・タイムス その2
どうでしょうか? オリジナルが如何に凄いかをしっかり捉えている画像かと思われます。
それから、こちらのサイトさん、どちらも元へ辿っていくととても面白いサイトさまでございました。こちら方面に興味があられる方はぜひともじっくり拝見して旅気分を味わってくださいましv
そもそもにおいて、バビロニア、アッシリア……そしてペルシャ帝国。
この付近一帯の歴代文明はどれもドラマチックでございます。
チグリス・ユーフラテス近隣を巡る民族と民族のせめぎ合いは恐ろしく濃密で、そして偉大でした。
時には革命的であり、時には残酷である国家の隆盛と滅亡……。
その中で尤も悲劇的なのは、このペルセポリスと呼ばれた偉大な都市の破壊かもしれません。
アレクサンダー大王は確かに歴史上希にみるほどの卓越した軍事的天才で、尚かつ、指導者としてもすぐれていたのでありましょう。
しかし、国家としてのマケドニアと、国家としてのペルシャ帝国。
どちらがより優れていたかと云えば、くもはペルシャ帝国の方がはるかに卓越した国家だったと愚考するのでございます。
嘗て西欧に打ち負かされ、以降ずっとそちら側からの視点に近かった秋津島では不幸にも、アレクサンダー側よりの見方をしやすかったのでしょうが、でもね、ギリシャ都市国家の体制ってそんなに民主的じゃあないですよね、実際は。
むしろよりペルシャ帝国の方こそ民主的国家でしゅよ。
そんな偉大な国家が一個の天才によって、がれきと化してしまった後、それがペルセポリスでございまする。
勝者がより優れているとは限らない。敗者がより劣っていたとは限らない。
同地付近を巡って現在進行中な悲惨へも、想いはせつつ、溜息をつくくもでございました。