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「何をやっている方なんですか?」と聞かれることがある。その時は、決まってこう答えることにしている。「応援家(おうえんか)」です。言われた人は一様にぽかんと口が開く。「応援家?」無理もない。職業でもなければ何でもない。全くメジャーではない。なんなら私が作り出した、いや、今から創り上げていく「在り方」だからである。いわゆる応援する人、「応援家」という肩書の人が存在しないわけではない。居る。そう、スポーツの世界には、「サッカーで◯◯◯◯というチームの熱血サポーターです。他人は私のことを応援家と呼びます」という人は見かけたことがある。それ以外でも、「夢実現サポーター、応援家の△△です」という人も、見かけたことがある。でも、私が目指したいのはそういうことではない。もっと全般的に、誰かの応援を目一杯する存在。そんな応援家に、私はなりたい。そもそも、自身、4回死にかけた。そう、言い換えると、4回命拾いをした経験がある。2度は電車のホームから、線路に吸い込まれそうになり、3度目は幽体離脱した。肉体的な身体から自分の霊が抜け出て、気がついたら私の身体だけが自分の眼下に見えた事がある。この3つは共に過労のためと思われた。肉体的、精神的なダメージが蓄積されて、極限に達すると、そんなこともあるのだろう。あまりに過酷で、働きがいがありすぎる企業のサラリーマンというのは考えものである。4度目は、自動車を運転中だった。高速道路を走行中にコンクリート壁に激突! 車は大破! さすがに死んだと思った。奇跡的に五体満足で運転席を降りることが叶ったが、さすがに「会社勤めを辞めよう」と決意した瞬間だった。その当時、どんなニュースや新聞報道を見ても、負ける気がしなかった。過労死、自殺、ブラック企業、パワハラ……。自殺する人の気持ちなんて、これっぽっちもわからなかったが、「誰も自分で自殺しようなんて、思わなかったんじゃないかな」と思った。「死にたい。死のう」ではなくて、「吸い込まれる」感じ。実際に私自身が、違う世界から呼ばれた感じがしたので、初めてそういう理解に至った。はたして、追い込まれると、吸い込まれるのだろうか?どうしてそこまで、そんなになるまで追い込まれていたのだろうか?社会? 会社? チーム? 家庭? いろいろな環境がある、境遇もあるとは思う。その中で、働く環境は本当に大事だと思う。同じ環境に居続けると、まわりが見えなくなってしまうことがある。自分がどんな環境に身を置いているのか?時には冷静に、客観的に見つめ直す必要があるだろう。「ガス室のカナリア」という言葉がある。その部屋にどのくらい毒ガスが溜まったかを知るために、カナリアが使われるのだと。カナリアがもがき苦しんで死んでしまうようであれば、その部屋にはもう充分に毒ガスが充満しきったということ。カナリアが死ぬ前に、自分の現在居る組織の中の、先輩、同僚、後輩をよく見ておくことだ。尊敬できる先輩が次々に居なくなるような環境はつまり、毒ガスがまわってきていてそこには並の神経ではとてもじゃないが居られないというサインである。自分の身は自分で守ること。でも、毒ガスはゆっくりと身体を包み込む。気がついたら、身体が痺れてしまって、息も出来なくなってしまっていて、すでに動けなくすらなってしまっているかもしれない。そんな人って、世の中には多いんじゃないだろうか?私の営業経験は四半世紀を越える。あともう少しだけ頑張ろうとか、それが、その積み重ねがこの期間である。私以外にも、同じような、似たような境遇の人が、潜在的にはたくさん居るのではないだろうか? そう思った時に、私は外から見てあげることが出来る。泥水の中に沈んでいきそうな人を見つけて、手を差し伸べることが出来るはずだ。引っ張り上げるだけの力を、私が持ち合わせているかどうかは分からない。でも、望まない環境で苦しみ、毒に侵されたり、溺れてしまいそうな人に声をかけてあげることくらいは出来るはずだ。助けてあげられなくても、応援してあげることは出来るはずだ。「生きろよ」と。活きていないひとが多すぎる。笑顔のない人の群れが多すぎる。無機質な群衆が朝も夜も街に溢れている。そんな街の景色を見て子どもたちは大きくなる。「ああなりたい」と思えるのだろうか?「あんな大人になりたい」と、感じられるのだろうか?無機質な群衆を量産するような大人にはなりたくない。他人を助け、自分を活かす。応援家ならそれが出来るはず。ほんの些細なことからだって良い。はじめないことには変わらない。自分の周りの人達へ、笑顔を届けることから始めよう。まわりの人たちの笑顔を取り戻すことから始めよう。困っている人が居たら、手を差し伸べよう。駅の階段で車椅子を持ち上げることだって良い。落とし物を届けることだって、席を譲ることだって、何だって良い。若者が居たら、無条件に応援し、最大限に肯定し、完全に承認し、背中を押してあげよう。未来は明るい。それは決まっているんだ。だって、オレ、明るくするもの。まわりが輝き始めたら、そのまわりも光を放つはず。光の輪は大きくなってやがては日本を、世界を、その未来を照らすはず。小さな光を、たくさん灯していきたい。それがきっと、応援家である、私の役割なのだと思う。今日もあなたを応援しています。見知らぬあなたへ応援家より以上肉まんあんまん営業マン.JPはコチラ
2019/06/05
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志がある人と志がない人志とは、でっかいことを言うことではない。一つのことを学び続けること。歯科医師 鶴田博文先生のところにはたくさんの学びたい先生たちが「教えてください」と訪れている。でも、志がある人、全く違う人が居る。志ある人と関わりたい!志がある人の商品だったら使わなくても買いたい!と思う。講師業という職業についてたんにお金が欲しいだけなら、講師業をやるべきではない。トレンドを追いかけるべき。時間を短くお金儲けしたいなら、投資をするべき。講師業は違う。売れれば売れるほど、疲れる、クタクタになる仕事。でも、辞められなくなる、恐ろしい仕事。やりがいとは?生きがいとは?講師業はやりがいが湧いてくる。うまくやろうとするだけではないかもね。見えるところだけ見ると凄く楽な仕事に見える。でも、実際には違う。憧れるような人になるために、どれだけ積み上げてきたのか?そこはなかなか見えない。ノウハウだけでは、立派な講演家になんてなれない。ある歯科医師の話頭の髪の毛なんて真っ白。どれだけ命の時間をつぎ込んできたのか。インプラントのプロ。一切の痛みもなく、不具合もなく。患者さんの事を考えて、手を尽くす。30人の歯科衛生士さんも教育しながら。彼女たちが、現場でどんなにミスをしても「ガハハハ!」と笑っている・・・患者さんの前では。患者さんに不安を与えないために、出来ることを一生懸命されている方なのだそうです。つまりは「何のために?」何のために勉強するのか?何のためにやるのか?講師業なら講師業をやろう!売れよう!売れたら、よりたくさんのひとと関われる。沢山の人を幸せに出来る。仕事を通じて、何かを成し遂げたい人と、儲けたい、目立ちたいだけの人とは違う。儲けたい、目立ちたい、だけでは、きっと儲けられもしない。売れてなかった8年間、銀行の預金残高が常に心配だった。苦しかった。お金のことばっかり気にしてた。でも、いまは心配はなくなった。今はもっと違うことを考えてる。お金のことだけ考えていると、お金のことで終わってしまう。それは、楽しくないかもしれない。お金が入ってきた時に、心が空っぽになってしまう。「何のために」お金が入ってきた時に、その使いみちをイメージしておこう!信用を買うということの意味と意義「お金がない人は、私の講座に入りなさい。」そのためにクレジットカードが有るんだ。クレジットカードは日々の生活に使っちゃダメだ。未来の自分お投資のためにあるんだ。だって、クレジットって、信用って意味だろ?あなたが未来、こうなるんだって言うことを、信用を、信販会社が買ってるんだよ。あんたに貸すんだろ?この30万を使って、あなたが将来、3億、30億の人間になるって思って、信用したから信販会社があなたに30万貸したんだって。これこそクレジットだろ?カードを切れ!絶対見未来はこうなる、やるしかない!私もそうしました。そして今、命の時間とお金、回収しまくっています。最初に顔を売る飲み会にも行きまくった。名刺とチラシを持って。どんなに素晴らしい知識や経験を持っていても、売れなければ伝えようがない。届けなければ価値はゼロ。知識で誰かを救えるはず。人の役に立つ。講師業は、最高の仕事です。やり続けることなんとかなるよ!やったら売れるよ!でもね、やらなきゃ売れない。だからとにかく動き続けること。-----------志ある人と関わりたい!志がある人の商品だったら使わなくても買いたい!炎の講演家 鴨頭嘉人(かもがしらよしひと)さんのお話より肉まんあんまん営業マン.jpへ
2019/06/01
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