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2005/05/26
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カテゴリ: カテゴリ未分類
5月15日、マレーシアに渡りました。シンガポールとジョホールバルとの間には約300メートルくらいの堤道(コーズウエイ)があります。昔は鉄道が自動車道と並行してあったそうですが、今はありません。通関に約30分かかりました。

日本の著名な電機メーカーはほとんど出ています。
息子の住んでいるアパート(日本で言うマンション)も立派で、すぐ回りがゴルフ場です。どこもそうですが、日本人は週末はゴルフで過ごす由。
息子の友人の周さんの運転するヒュンダイでマラッカに向かいました。100キロ以上のスピードで飛ばしました。
途中、昆虫博物館を見学。昆虫は蝶以外はあまり居ませんでしたが、ヒラヒラとかぼそい飛び方で飛ぶ蝶は私の少年時代を思い出させました。昆虫以外にもいろいろ動物が居ました。豊富なヘビ類が居り、朝青龍の太ももくらいある胴の大蛇や紐のように細い緑色の蛇がいてびっくりしました。
それから高速道路をひた走り、周囲は行けども行けども椰子林やパイナップル、熱帯性の名を知らない植物林がどこまでも続きます。シンガポールからマラッカまで約2時間ですが、この道路を走りながら、小学校5年生のころを思い出しました。

太平洋戦争が始まったばかりの1942年2月、紀元節までにフィリピンのコレヒドール要塞が落ちるか、シンガポールが落ちるか、手に汗をにぎる毎日でした。本間雅晴の第14軍は苦戦でしたが、山下奉文の第25軍は快進撃でした。密林の中を走る道路を日本軍は自転車で行き、戦いになると、ゴム林の中に自転車を隠し、それをマレー人の協力隊が守っていて、次の作戦に移ると彼らが大挙して日本兵のところに運んで行くという記事が当時の新聞にのって子供たちを興奮させました。
このマレー・シンガポール作戦は辻政信が計画を立てたものですが、世界の戦史に褒め称えられるほど巧妙であったばかりか、欧米人のアジア支配の象徴であったシンガポールを落とすことによって世界史の流れを変えた偉大な戦績であったと戦争史家リデル・ハートも認めています。

あらましをいうと1941年の12月8日、真珠湾攻撃とほぼ同時に海南島の三亜港から上陸船団が駆逐艦の護衛の下に、マレー半島の細いクビのところにあるタイ領のシンゴラ、バタニに上陸、タイ軍と小ぜりあいの後に、英領マレーに入りジットラの防衛ラインを簡単に越えて入った。この上陸がうまくいったのは、チャーチルが派遣した戦艦プリンス・オブ・ウエールスと巡洋戦艦レパルスが日本の海軍機によって撃沈されていたからでした。
このころ、大艦巨砲主義は何も日本だけでなく、外国も同じで、イギリスのZ艦隊には空母インドミタブルも居たのですが、途中ジャマイカで座礁して来なかった。それで航空機の護衛ナシでやってきた。ところあっけなく、日本海軍の水平爆撃機34機と雷撃機51機によって沈められてしまった。まさか航空機で沈められるとは思ってもみなかった。
彼我の投入戦力は日本軍約4万、戦車120両、飛行機約600機、英印豪軍約8万5千、飛行機約280機、戦車はなかったようです。北部マレーのジトッララインで英軍は必死に抵抗しましたが、突破された後は、ときどき立ち止まって抵抗したものの、崩れる一方でシンガポールに退却していきます。追うほうは西海岸を第5師団と第18師団の主力、海岸沿いを小舟艇で近衛師団、東海岸をコタバルから上がった侘美、木庭支隊が攻めくだり、侘美大隊はクワンタンから主力に合流して、1月末に一気にジョホールバルに殺到します。
このように一方的な勝利に終わった原因はいろいろ挙げられていますが、日本軍の航空機が優勢なことがまず挙げられます。陸軍の隼戦闘機、海軍のゼロ戦にイギリスの旧式なバッファロもハリケーンもかなわなかった。また英軍にはどういうわけか、戦車がなかった。兵員の訓練度も低く、豪州軍はわずか1ヶ月たらずの訓練でやってきた。将校も第一次大戦の旧式な経験者しか居なかった。英印軍は道路中心に守っていて、まわりのジャングルは通れないと決めていたが、日本軍は隙間を通り、ジャングルを迂回して背後から突くとか、夜襲をかけて虚を突いた。桶狭間の戦いではないが、とにかく戦争の常道をはずれた予想外のことをやると思われた。近衛師団は海を舟艇で先回りして背後に上陸して牽制した。
日本軍の進行速度が速かったことが決定的で、崩れてきた英軍が立ち止まって態勢を立て直すひまを与えなかった。兵器弾薬食糧などの補給品を運び出す暇もなく、それはそのまま日本軍に渡り、チャーチルの給付品だといわれて、日本軍の補給品になった。
こうして1月下旬、日本軍はジョホールバルからいよいよシンガポール進攻作戦に移るのですが、それはまた明日の続き。





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Last updated  2005/05/26 09:13:20 PM


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