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2008/04/08
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ケネディ時代、イラン政府はアミニが首班となって近代化政策を行う。これが中東でアスラエルとならんでイランが最も近代化を行った国と言われる所以である。ジョンソン、ニクソンの時代はアメリカはベトナム戦争を抱えていてイランの内政にまで強く介入せず、シャーの軍事国家化にほっするままに任せていた。シャーは政治基盤を強化するために、農地改革をすすめて、地主階級および土地所有者の多い聖職者階級と対立する。しかし、地主が農業プランテーション化した場合は農地改革の対象外にしたため、地主勢力は温存する。シャーは世界第3の軍事大国化を夢見て、アメリカから続々新兵器を購入するが、アメリカが最新兵器の輸出を制限し、軍事援助を大幅に削減すると、シャーは怒って石油収入でアメリカ以外の各国、イスラエル、ソ連からさえも兵器を購入する。1963年のイランの石油収入は3億7千2百万ドルだったのが、60年代末には8億ドルに激増し、経済も年率10%で好調であった。1968年、イギリスが中東からすべて撤退すると、その穴埋めをシャーが湾岸の憲兵としてふるまう。

1973年、第4次中東戦争でアラブ側は大敗するが、サウジアラビアがリードしてオペック諸国がイスラエル側に立つ先進諸国に石油の禁輸、減産を実施して石油価格をバレルあたり3.10ドルから5.12ドルに値上げを行った。この結果、世界中でオイルショックが起きた。これは後進国が先進国を経済封鎖して困らせた歴史上はじめてのできごとであった。当前、アメリカ軍はサウジアラビアの石油施設を爆撃して報復する案が浮上したが、サウジ側はその前に自ら石油施設を爆破すると脅かしたので、沙汰やみになった。
イランのシャーはアメリカ企業を含む石油コンソーシアムを接収するとぶち上げた。1973年のオペック会議でシャーはさらに石油価格を11.65ドルに値上げする動議を出し、成立した。1975年にはイランの石油収入は178億ドルに上昇し、4年前の20倍になった。この結果、アメリカのドルの流出が激しくなり、これを取り戻すためにアメリカは兵器をシャーの欲するままに売却して還流させた。1972年から75年にかけ、アメリカのイランに対する兵器売却は160億ドル以上になり、アメリカの総兵器売却額の半分以上を占めるに至った。

このようにして、シャーのアメリカに対する立場は逆転して強くなり、これが遂に分水嶺を超え、カーター政権になると、ブレジンスキー国家安全保障委員会はシャーの打倒を画策し始める。シャーがアメリカの虎の尾を踏んだのである。(つづく)






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Last updated  2008/04/08 09:12:09 PM


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