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つねさん@zukai @ 考えさせられました。 60年安保、70年安保は言葉として知っ…
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inkyo@ 参院戦オオyぶれ 負けてもやめない
はたやん@ はじめまして はじめまして。 官位や席次を検索してい…
2008/04/11
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カテゴリ: カテゴリ未分類


1979年11月4日、300人を超えるイスラム主義者の学生がアメリカ大使館に押し入り、66人の外交官と海兵隊員を人質にとって籠城する。彼らは53年のモサデグを追い出したアメリカの陰謀を憎んでおり、今回もアメリカがシャーと組んで革命を弾圧するにちがいないと信じてとった行動であった。彼らは大使館内でシュレッダーにかけられた秘密連絡文書を根気よくつなぎ合わせて、アメリカのイラン介入の実態を完全に証明したと宣言した。この人質籠城はなんと440日におよぶ。アメリカはイランと国交を断絶し、アメリカにおけるイラン資産を凍結し、イラン石油の輸出を封鎖する対抗措置をとった。さらに陸軍のデルタ部隊を8機の海軍のヘリに乗せてイラン国内に潜入させ、一気に大使館を急襲して人質を救出する作戦を立てた。しかし、3機のヘリが故障で動かず、ついにこの作戦を断念した。この年はソ連がアフガニスタンに侵攻し、情勢が複雑化する。そ後どうなったかであるが、実にタイミングよく翌年の80年9月にイラン・イラク戦争が勃発する。これにアメリカの工作があったかどうかは不明である。イラクのサダム・フセインは従来からイランとの間でシャト・アル・アラブ川のどこに国境線をひくかの国境紛争があり、(両国の間を流れる川の中心部を国境とすると、最深部がイラン側に寄っているので、タンカーがイラン側に接岸しやすくなる)この問題を解決し、同時にイランの石油産地フーゼスタン州を奪取したいと思っていたので、イラン内部が革命でごちゃごちゃになって軍隊自体が分裂しているこの好機をとらえたとされている。
ホメイニはついにイラクとアメリカの二正面戦争を避けるために、人質を解放する。
アメリカはイランが中国から大型の対艦ミサイルを購入して配備すると、キッシンジャーは足しげくシャトル外交を展開してイラくに軍事援助をつぎ込む。
とどのつまり、この戦争は八年もつづき、両国は疲れ果てて、イランの負けの形で収束する。イラクのフセインはアメリカから得た膨大な軍需品ジャブジャブになり、軍事強国化し、やがて中東における脅威となってくる。(つづく)





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Last updated  2008/04/11 09:26:38 AM


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