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年明けに紀伊国屋書店に行ったら目立つところに佐野真一の「誰も書けなかった石原慎太郎」という講談社文庫の分厚い文庫本が平積みされていた。買って帰り、面白く読んだ。
この本が出たのは、2009年であり、書き上げたのは2008年だったであろうから、佐野真一は石原が尖閣諸島買い上げに火をつけたことや、都知事をやめて大阪の橋下市長とくんで維新の会の代表になったことはその後のことである。
石原慎太郎は驚異的な300万票もとって知事に当選し、3回当選し、去年の秋に都知事をやめて新党をつくり、それから維新の会と合同して代表になった。
12月16日に行われた総選挙では、東京で維新の会が得た小選挙区票は80万票、比例では130万票だった。大阪で維新の会がとった票は小選挙区が121万票、比例146万万票だった。この数字からすると石原慎太郎のかつての300万票は2分の1以下に減ったことになる。
ちなみに同日に行われた都知事選で猪瀬知事のとった票は433万票という驚異的な数字である。都民の有権者の約半分が猪瀬知事に入れたことになる。
これはどういうことを意味するのだろうかは、おいおい述べる。
佐野氏は、慎太郎も老醜に入り、下り坂の花道、もうおしまいであると厳しい採点をしている。私もだいたい佐野氏の意見に同調する。
しかし、石原慎太郎は作家としてどのように評価されているか、今は文芸評論家という人が居なくなったので、わからない。政治家として、都知事としてどのような評価をされているかは、公式なものを参考にせざるを得ない。
私が興味を感じているのは石原慎太郎という人が芥川賞作家として出てきて、政治家になり、それから都知事を10年以上もやり、まるで帝王のようにすいすいと世の中を渡り、スコットランドの高地人出身の高慢と偏見のかたまりのような貴族みたいな存在でありつづけたことに興味がある。なぜ日本のような狭いみみっちい社会で、一方で石原のような人物が我が世を謳歌できる世界があるという事情をつかめば、日本の社会というものが見えてくると思っている。