MY WINDING ROAD

2005.11.04
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カテゴリ: MUSIC
安室奈美恵のシングルレビュー・・・。90年代後半は彼女の時代だったと言っても過言ではないでしょう。
「アムラー」現象を巻き起こし、
シングルがバンバン売れた安室奈美恵の1995年までを振り返っていきます。
(安室は長くなりそうだ・・・(´△`;)

恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A. (1992/02/09)
最高29位 3.7万枚

DANCING JUNK (1993/05/26)
最高68位 1.9万枚

愛してマスカット (1993/11/05)
最高67位 1.1万枚

PARADISE TRAIN (1994/07/20)
最高位 枚数ともに不明
>>90年代後半は 安室の時代 だった・・・・。
彼女が時代の先頭を走っていて 「アムラー」 なる彼女を真似する女子たちが街に溢れた。
それは、ちょうどコギャルブームと重なり、
時代のど真ん中に、彼女が位置することが出来るムーブメントが彼女を待っていたとも言える。

アイドル低迷期に入り、松田聖子、中森明菜クラスの歌姫はおらず
女性リーダーポジションがやや空位となり、
現実感のない 存在するのかすら不明 なZARD、大黒摩季らを中心としたビーイング系の女性アーティストを除けば
女性アーティストはほとんどタイアップの「一発屋」ばかりだった。

そんな時代に安室は「スーパーモンキーズ」としてデビュー。
安室奈美恵、天久美奈子(後の「MINA」)、沢詩奈々子(後の「NANA」)、新垣寿子、牧野アンナの5人で結成のグループで
安室はメインボーカルだった。
リーダーの牧野アンナ(現アクターズ講師)はアクターズスクール校長のマキノ正幸の娘であった。

詳細は MAX でも取り上げた際にでも書くが、
メンバーには変遷があって、
 アンナが脱退
→4人体制
→仲宗根梨乃加入予定も病気で活動なし
→新垣脱退
→宮内玲奈(後の「REINA」)、松田律子(後の「LINA」)が加入
安室奈美恵 with SUPER MONKEYS

・・・となるわけです。

この辺は売り出す側の試行錯誤が見え隠れする。
時代のカリスマに君臨する要素は感じられず、
時代の生き残りがけっぷち というとこか。

歌としてはアイドル路線+ユーロっぽさを取り入れた感じで、出来はまぁまぁ。

しかし、この頃の作家陣は

小森田実(SMAP「らいおんハート」、「ダイナマイト」など」
馬飼野康二(嵐「A・RA・SHI」、Kinki Kids「愛されるより愛したい」など)
星野靖彦(浜崎あゆみ「YOU」、「A Song for XX」など)
中西圭三(ZOO「ChooChooTrain」、BLACK BISCUITS「Timing」など)

と、なかなか豪華で、路線的に間違いはなかったのだが、
世の中を ピッタリとらえるような名曲 は生まれてこなかった。
可もなく不可もなく的曲が多い。
上記作曲陣はブレイク後、一度も起用されていない。


まるで、なかったことであるかのように・・・・・・(そんなことはないか?)


TRY ME~私を信じて~ (1995/01/25)
最高8位 73.3万枚

太陽のSEASON (1995/04/26)
最高5位 61.1万枚

Stop the music (1995/07/24)
最高4位 52.8万枚
>>前年には 「ポンキッキーズ」 鈴木蘭 々と出ていた(蘭々はドコにいったんだろう・・・)。
ウサギのカブリモノをしていたのを今の十代は覚えているだろうか?

とまぁ、メディアにもチラホラ出始めていた安室は、安室奈美恵 with スーパー・モンキーズ 名義で
「TRY ME」 をリリース。
ユーロビートのカバー曲なわけだが、女子高生も真似できそうなサビの踊りや
ダンサーを引き連れて歌う彼女は一躍、注目を浴びだし、
ジワジワと100位内25週のロングセラーを記録。
これで行ける!と踏まれたのか、「太陽のSEASON」からは「安室奈美恵」の個人名義でリリースされだす。
が、依然としてスーパーモンキーズはバックで踊り続けていた。

実はこの時期あたりにスーパーモンキーズはMAXと名づけられ、
CDをリリースするのだが、この年の2枚のシングルは安室の半分も売れず幸先はよくなかった・・・・。

対して安室は 「太陽のSEASON」、「Stop the music」 と連続でヒットし、
音楽番組にも出演しだし、どんどんメジャーの階段を登っていく。


「HEY×3」では「ゴブサタ発言」なんかもあった。
(浜ちゃんが「最近、男方面がどうなん?」と安室に振ったら「ゴブサタです」と安室は答え
「17歳でゴブサタかいな!」と会場の笑いをとった)

雑誌の表紙なども飾りだし、CM依頼も増え始め、トップアーティストの仲間入りといったところだったが
勢いはココで留まることはなかった。

更なる上昇が安室を待っていたのである・・・・。


ちょうど空位になっていた「歌姫」の座は、安室の出現を待っていたのだろうか・・・・。
(ZARD、大黒摩季らが失速しはじめたのはこの頃)
Body Feels EXIT (1995/10/25)
最高3位 88.2万枚

Chase the Chance (1995/12/04)
最高1位 136.2万枚
>>大ブレイクを果たした安室は、当時、隆盛を誇る小室哲哉プロデュースとなる。
trf,篠原涼子らを既に成功させていた小室哲哉と組んだことにより
安室の勢いは止まらなくなった。

「Body Feels EXIT」 は小室スタンダードとも言うべき打ち込み系ダンスミュージック。
それに安室の髪を振り乱し踊るダンスが加わると、最強の出来としか言いようがない。
女子中高生がカラオケで、振り付けまでを模写して歌いだしていた。
奇しくも、このシングルは、タイトーのCMソングになって安室がカラオケを歌っていた。

なお「Body Feels EXIT」以降は スーパーモンキーズがバックダンサーではなくなった。


ドラマ主題歌の関係があったのかちょっと怪しい 「Chase the Chance」 (ドラマとはまるで関係ない)
ラップテイストも取り込まれ、小室哲哉が目指していた 和製R&B の足がかりとなった。

町中に 「アムラー」 が生まれはじめ、安室は時代のカリスマとなった。

それまで、 OL年代を舞台にした歌が売れていた のだが
(ZARD、大黒摩季らが顕著な例、ほかに森高千里、久宝瑠璃子ら)
女子中高生を中心とした世代に共感されたり、いわゆる「ウケる」要素を持ったアーティスト
90年代末期を生き残っていく。
その「音」の担い手が小室哲哉、小林武史らプロデューサーたちになるわけだが
「歌」の担い手の先頭を切って走り出したのは間違いなく安室奈美恵であった。
(trfのYUKI、篠原涼子らにもその可能性はあったのだが、既に十代ではなかった)
十代のカリスマになった安室奈美恵の快進撃はまだまだ止まらない・・・・・!!





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Last updated  2005.11.04 19:10:16


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