おおひげ村の『へのぼっち様』やぁ~⚡️さんのブログ

おおひげ村の『へのぼっち様』やぁ~⚡️さんのブログ

2024.03.17
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類






カール・グスタフ・ユング(1875-1961)と石











C.G.ユングと石 -石と人とのふれあい-

カール・グスタフ・ユング(1875-1961)は

🇨🇭スイスの精神医学者で、分析心理学派とも

ユンギアン」とも呼ばれる

臨床心理学の一学派を創始した人物です






◆ユングは...

今では日常語にも成って居る

外向・内向」という心理類型を作り上げたことで知られます



元々は彼の言語連想実験研究を通して一般的になりました




創成期の精神分析運動におけるユングとフロイトとの協力関係と、その後の決裂のエピソードは広く知られています


特に、ユングの患者でありユングの愛人でもあったザビーナ・シュピールラインを交えた三角関係は最近映画化もされました



文芸評論家である小林秀雄の絶筆「正宗白鳥の作について」が、このフロイトとユングとの決裂について書いている途中で終わっていることも印象的です





ユングの心理学は、人間の心理を無意識の働きから説明する、所謂、深層心理学と呼ばれる流れに属するもので「元型」「集合的無意識」「共時性」といった独特の用語を用いて、人間の様々な心理や、心と環境世界との関わりについての考察をしています




ユングは、この深層心理学的知見を基に、人文科学者・宗教思想家としても独創的な仕事をしました。易や禅、クンダリーニ・ヨガ、チベット『死者の書』、密教のマンダラなどの東洋神秘思想についての研究、キリスト教研究、錬金術の研究





更には心霊現象からUFOまで幅広く研究を行い、カウンターカルチャーや芸術文化への受容とも相俟って、20世紀において幅広い思想的影響力を持った人物のひとりです




◆このユングですが...

実は石工としての面も持ち合わせた人物です

石工の資格を持ち、

ギルドにも加わって居た程



その意味では私たち石屋の同業者と云フ事に成ります

彼が自分で石を積み上げて建てた別荘や

彼自身が制作した様々な石の彫刻が

今も残されて居ます







◆ユングは石と深い親和性を持った人物でした







石を生業としている私にとって、ユングと石との関係は、石と人との関わりを考える上で示唆するところが大きく、自身の行っている仕事の意味を改めて考えさせられるものです。以下では、ユングと石との関わりについてご紹介していきたいと思います










◆村上春樹『1Q84』のユング

石工としてのユングについては
村上春樹さんの小説
『1Q84』BOOK3



の中でも触れられて居り

この小説を読んだコトで
ユングと石との関わりを
知った方も
多いのではないでせうか

村上春樹さんは
ユング派分析家で在る
河合隼雄さんと対談も行っており
ユングについての造詣が深い作家です
以下、 
『1Q84』BOOK3より
ユングについて書かれた箇所を引用します





「…ところでカール・ユングのことは知っているか?」
牛河は目隠しの下で思わず眉をひそめた
カール・ユング?
この男はいったい何の話をしようとしているのだ


「心理学者のユング?」
「そのとおり」
「いちおうのことは」と牛河は用心深く言った

「十九世紀末、スイス生まれ
フロイトの弟子だったが後になって袂を分かった

集合的無意識。知っているのはそれ位だ」

「けっこう」とタマルは云った

牛河は話の続きを待った

タマルは云った




カール・ユングはスイスのチューリッヒ湖畔の静かな高級住宅地に瀟洒な家を持って、家族とともにそこで裕福な生活を送って居た




然し、彼は深い思索に耽るための、一人きりになれる場所を必要としていた。それで湖の端っこの方にあるボーリンゲンという辺鄙な場所に、湖に面したささやかな土地を見つけ、そこに小さな家屋を建てた。別荘というほど立派なものじゃない




自分で石をひとつひとつ積んで、丸くて天井が高い住居を築いた。すぐ近くにある石切場から切り出された石だ


当時スイスでは石を積むためには石切工の資格が必要だったので、ユングはわざわざその資格を取った。組合(ギルド)にも入った




その家屋を建てることは、それも自分の手で築くことは、彼にとってそれくらい重要な意味を持っていたんだ。母親が亡くなったことも、彼がその家屋を造るひとつの大きな要因になった」



タマルは少し間をおいた



「その建物は『塔』と呼ばれた。彼はアフリカを旅行したときに目にした部落の小屋に似せて、それをデザインしたんだ


ひとつも仕切りのない空間に生活のすべてが収まるようにした。とても簡素な住居だ。それだけで生きていくには十分だと彼は考えた



電気もガスも水道もなし。水は近くの山から引いた。然し後になって判明したことだが、それはあくまでひとつの元型に過ぎなかった


やがて『塔』は必要に応じて仕切られ、分割され、二階がつくられ、その後いくつかの棟が付け足された



壁に彼は自らの手で絵を描いた。それはその儘、個人の意識の分割と、展開を示唆していた。その家屋は謂わば立体的な曼荼羅(まんだら)として機能した訳だ



その家屋がいちおうの完成を見るまでに約十二年を要した。ユング研究者にとってはきわめて興味深い建物だ。その話は聞いたことがあるか?


牛河は首を振った




その家はまだ今でもチューリッヒ湖畔に建って居る
ユングの子孫によって管理されているが
残念ながら一般には公開されていないから



内部を目にすることはできない


話によればそのオリジナルの『塔』の入り口には、ユング自身の手によって文字を刻まれた石が、今でもはめ込まれているということだ


『冷たくても、冷たくなくても、神は🈁にいる』

それが、その石にユングが自ら刻んだ言葉だ」

タマルは、もう一度、間をおいた

『冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる』
と、
彼はもう一度静かな声で繰り返した

「意味はわかるか?」

牛河は首を振った

「いや、わからない」
「そうだよな。どういう意味だか俺にもよくわからん


あまりにも深い暗示がそこにはある。解釈がむずかしすぎる




でもカール・ユングは自分がデザインして

自分の手で石をひとつひとつ積んで建てた家の入り口に

何はともあれその文句を

自分の手で鑿を振るって刻まないではいられなかったんだ

そして俺はなぜかしら昔から、その言葉に強く惹かれるんだ。…

(新潮社、2010.4、p503-505)








ユング自身の手に因って刻まれた言葉ですが

実際の原文はラテン語の

「VOCATUS ATQUE NON VOCATUS DEUS ADERIT」

で、

ギリシャのデルフィ神殿で行われていた

神託の一節の引用に成ります

ユングは

この言葉がお気に入りだった様で

小説中にある「塔」の他に

ユングの自宅玄関の入口の上や

ユング自身が眠っているユング家の墓石にも

同じ言葉が刻み込まれて居ます





この言葉は、通常

「呼ばれても呼ばれなくても神はいる」

と、訳されるようです

小説中に在る

冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる」

と云フ解釈は

何方かと云えば

余り一般的で🈚️い様に思います





とはいえ小説では
この箇所の直後
タマルが牛河を凄惨に殺害する場面になり
冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる」
と云フ
言葉の暗示するトコロが
強い印象を残します

この言葉は、
この引用箇所の在る
第25章の小タイトルにも
成って居ます






ユングの『塔』のエピソードについては、ユング死去の翌年となる1962年に出版された自伝『思い出・夢・思想』(邦訳タイトル『ユング自伝』)に



丸、一章を割いて詳しく語られています。石材による制作が自分自身の成長と重なる過程は、ユングと石との間にひとつの協同関係があることを表しています


『思い出・夢・思想』には、この他にも様々な石に関するエピソードがあります。そのうちの幾つかを次にご紹介します。

(以下準備中)









◆ユング心理学研究会

ユング心理学とその思想の普及、ならびに心理学、哲学、宗教、芸術、文学などの学際交流を目的としたリベラルアーツのサロン的雰囲気の集まりです

2004年7月に発足し年10回開催してきた セミナーは、2012年12月で85回になりました。なお、2012年11月よりセミナーと並行し、新たにユング読書会が発足しました


URL : http://jung2012.jimdo.com/








































































🌟超📰黒星★承認💮





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.03.19 00:09:00
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: