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今やその世界では知らない人はいないモンスター・田嶋こと、田嶋伸博君の活躍である。
私は、このBlogの中の「タイムスリップ」カテゴリーで私の30数年前の出来事を”峠のヒルクライマー“シリーズという形で執筆しているのだが、30数年前の若きモンスター・田嶋との想い出があるので紹介したい。
正確には覚えていないが、たぶん1971年の冬だったかもしれない。友人のラリーナビゲーター今井茂氏とドライバー綾部美津男氏が参加する、DCCSウインターラリーの応援に赤城山の麓まで出かけたときの事だった。
麓のドライブインでミーティングを終え、ラリー参加車とサービスクルー、関係車両などは赤木山頂上近くの小沼での第一ステージ氷上ジムカーナの為にゾロゾロと曲がりくねった有料道路を登って小沼に着いた。そこで私は始めて田嶋伸博君に会ったのだが、その頃、彼はまだ無名で、当時日本のラリー界をリードしていた綾部美津男氏のサービスクルーとして此処にやってきていたのだった。
三菱デリカバンにラリー用のタイヤや氷上ジムカーナ用のスタッドタイヤ、コンプレッサー、ガレージジャッキ等を満載して綾部美津男氏の駆るトヨタTE47トレノをサポートする彼は、人の良さそうな(本当に人は良かった)顔で、体はがっちりと大きく、若さに似合わず髪がすでにかなり薄く、モンスターのあだ名はそのラリースト仲間では異例に大きな体とその風貌から付けられたものと思う。
彼との忘れられない想い出と言うのは、その氷上ジムカーナの第一ステージのあとのラリー区間の中でレストタイムが佐久市の岩村田に設けられていたため、サービスクルーは競技車両のメンテナンスやタイヤ交換などを行うために先回りして、待っている必要があったのですが、そこへ向かう途中の出来事でした。
応援に行った我が夫婦と友人は、若き日のモンスター田嶋の運転するデリカバンと私が運転するスカイライン2000GTXの2台で赤木山麓から岩村田へと向かったのですが、デリカバンはエンジンに改造が加えられているらしく、満載のタイヤとコンプレッサーなどの重量をものともせずに猛然と加速して行くのです。
まあ、それでも碓氷峠のような登りになればそうは行かないはずだ、と思っていたのですが、何を思ったか田嶋君、碓氷バイパスを避けて、私の得意な旧碓氷峠へ向かうではないですか!此処は私のホームグラウンドのようなところなので、彼がどんなに速く走ったとしても私の敵ではないと思っていました。もちろん車の違いは歴然たるものですし、バンは荷物で満載ですからね・・・・・。
しかし、しかしです、かなり速いのです。確かに私が本気になるほどではないにしろ、あの車で、あの満載の荷物で、と、考えると空恐ろしい速さで旧碓氷峠を登っていくのです。私の得意な旧碓氷峠を私の前で私が普通に走ったのでは置いて行かれる程の速さで登っていったのです。そうコーナーでも速いし、あの重心の高い、荷物満載の重い車をどうやったらあんなに速く走らせられるのか?全く不思議でならなかったのです。
結局、ラリーは綾部美津男・今井茂組が優勝し、帰りがてらみんなで安中市内の焼肉店で祝杯を上げたのですが、田嶋君はあの荷物満載のデリカでも私より速く走れると思っていたらしく、ぴったり着いて来るから引き離してやろうとしたんだけどね~・・・・・・だってさ!!
私が旧碓氷峠のスペシャリストである事を彼は当然知らなかったわけですが、本当に恐るべき速さだったのです。このとき駆け出しの無名の見習いドライバーであった田嶋君が10年ほどして全日本のダートトライアルでその名をとどろかせた時、家内と「やっぱりね~あの速さは尋常じゃなかったよね~」
若きモンスター・田嶋のモンスターぶりはすでにその時この目で見届けていたのです。
パイクスピーク・ヒルクライムの記事は以下参照ください。
http://www.suzukisport.com/motorsport/hillclimb/06/pikespeak/index.html