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地震発生後ちょうど10日目に、初めてお風呂に入ることができました。 市内にある銭湯は3つ。その1つは「当分の間休業」(現在は再開しております) 他2つは、数日後復旧したのですが、 1つは入るまでに2時間待ち、 時間をずらして行こうとしたら、水がなくなってしまいクローズとのこと。 で、10日後の3連休中に、もう1つのところが、朝5時からと書いてあったので、 4時半に起きて行ってみました。これなら待たずに入れるだろう?!と。 ところがどっこい、早朝5時の暗い中にもかかわらず、 駐車場はいっぱい、フロントは大勢のお客さんで大賑わい。 でも、かなり大きな施設なので、入れました!! いくつもある洗い場も長蛇の列でしたが、思いっきり洗えるだけでありがたい。 はぁ~~~ なんていいんでしょうね、お風呂って。 温かいものって、本当に素晴らしい。 お風呂も、食べものも、飲みものも、お布団も、ぜんぶ、ぜんぶ。人の心もね。 心なしか、温泉に浸かっている女性たちの顔、幸せそうでした。 そのはずです!私だってそうなんですから。ああ、気持ちいい! 今はだいぶ水道が復旧し、銭湯もさほどの混雑はないようす。 それでもまだ、水の出ないところや、タンクの故障でという人も少なくありません。 東北3県の被災地だけでなく、茨城も、千葉の液状化が深刻な地域も まだまだお水が出ていないところは多いようです。 毎日、当たり前に入っていたお風呂、 こちらは、ビルの水道システムの工事がまだまだなので、 毎週末に1回スーパー銭湯に足を運び、幸せ気分を味わっています。 そして週の中頃に、友人宅にシャワーを借りに行ってます。 本当に助かります!
Mar 31, 2011

震災後、被害の少なかったスーパーやコンビニが、ようやく営業を再開しても、 どこを探しても、牛乳なんて代物を目にすることはありませんでした。 ああ、飲みたい。牛乳飲みたい。 実は私は「牛乳っ子」 常に1Lの牛乳パックが冷蔵庫に何本も。 いつもあっという間に飲みほしてしまうのです。 11日以降、パッと牛乳は商品棚からその姿を消してしまいました。 地震の翌々日、妹が探してきてくれた小さなブリックパックがちょっとだけ。 コーヒーにちらっと入れられる程度の量。大事に大事に使っておりました。 少しずつ物流が回復してきた頃、 牛乳あったよ、○○スーパーに」と友人から情報をもらい、 早速土曜日行ってみました。 ああ、本当にあった―――!! スカスカだった牛乳売り場に、たんまりと牛乳が!! もちろん1人1本です。 地震の翌日、東京を発つ際、ドンキホーテに寄って行きました。 電気もガスも水道も通っていないから、両親は何も食べてないかもしれないと思い、 すぐに食べられる食べ物と水を買って持って行くために。 ドンキは、食糧や水、懐中電灯などを買う人でごった返しておりました。 茨城に向かう7時間のドライブの途中、国道沿いにあったコンビニには おにぎり1つ売っておりませんでした。 いくつもあるコンビニ。どこもパンとおにぎりコーナーは、スカスカでした。 千葉のマクドナルドのドライブスルーには、チーズバーガーしかありませんでした。 今は高速が通れるようになったので、物自体は少ないですが、 レストランも、コンビニも、スーパーも、だいぶ復旧してきました。 そして、ついに牛乳も。
Mar 29, 2011

3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震にて亡くなられた方々のご冥福をお祈り 申し上げますとともに、被災された方々とそのご家族に対して、心よりお見舞いを申し上 げます。 また、被災地において、救命活動に従事されている皆さまに、感謝の意を表するとともに、 一人でも多くの命が救われることを、心よりお祈り申し上げます。 * * * * * * ご心配くださった皆様、本当に本当にありがとうございました。 友人、親戚、元同僚の方々(STB)、シーガルズOBの方々、 そしてこのブログを通じで出会った方々、国内、海外、 皆様からの温かい励ましのメールをいただく度に、心が熱くなる思いでした。 これまで想像すらしたことのない厳しい状況ではありますが、 反面、こんなにも人の温かい心遣いに触れ、ありがたく嬉しく思っております。 実は茨城の家(場所まで書けずすみません;)が被災してしまいました。 私はこのところ東京と茨城の実家、半々の生活をしておりました。 4月からは、8割がた東京に戻る予定でいたところで、 3月11日の地震発生時は、東京におりました。 東京で震度5、あまりの揺れの大きさと長さに驚き、 ネットで地震速報を見ていたら、実家のある場所が震度6を超すと出ておりました。 かつてない大きさの地震でした。 震源地は宮城県沖、震度7(後にマグニチュード9.0) 仙台営業所が、名取の閖上にあったので、津波が心配で、 茨城の家と、家族の携帯、会社、 何度も何度も電話しましたが、地震発生直後から、全くつながりませんでした。 次の大きな地震は、茨城県沖。いてもたってもいられませんでした。 その日は、固定電話や携帯から、そして災害時つながりやすいと言われる 公衆電話にも何度か足を運んで連絡を取ろうとしましたが、ダメでした。 電車は全部止まり、ご存知の通り都内はパニックとなりました。 最後に私の妹が、ようやく明け方になって帰宅することが出来ました。 人づてで両親の無事がわかりました。 避難所がものすごい人だったので、車の中で寝たことも知りました。 地震発生の翌日ようやく父の携帯に電話がつながった時は、涙が止まりませんでした。 高速道路も鉄道も全面ストップしていたので、 車で下を通って茨城に向かいました。7時間かかりました。 途中、電気が来ていない地区、道路は陥没、殆どの屋根瓦は落ち、塀は崩れ・・・ といった光景を目の当たりにし、実家に帰るのが怖かったです。 * * * * * * 福島、宮城、岩手の大津波の被害に遭った地域に比べたら、茨城の被害はたいした ことはないかもしれませんが、 何度もの強い地震を受け、道路は陥没、建物は崩れ、橋は落下、 そして、沿岸部は津波で大打撃を受けております。 浦安のように、液状化で被害を受けている地域もあります。 未だ、水道が復旧せず、川の水を汲みに行っている人もたくさんいます。 前回ブログに書いた宿も、1階は津波で壊滅状態とのことでした。 景観の美しかった二つ島も、少し削れてしまったとのことです。 宮城県名取市閖上にあった、仙台営業所は、跡形もなく消滅してしまいました。 外国人の友人が送ってくれたこちらのサイトで、確認しました。 むごい光景に目をそむけたくなりますが、これが現実なのですね。 従業員は運良く全員避難でき助かりましたが、 ここでも多くの方が、津波に間に合うと思い自宅に荷物を取りに行こうとしたのか、 避難する方向と反対方向に向かっている人がたくさんいたそうです。 その方たちは津波に飲みこまれてしまったそうです。 この東北3県の被害の大きな地域は、仕事上でも知っている場所。 私は行ったことはないのですが、とても美しいところだと聞きました。 岩手の海の色、港町に住んでいる素朴であたたかい人々、 そんなところが、全部全部津波に飲みこまれてしまったなんんて・・・ <福島、宮城、岩手の美しい景観> 私の実家はとても古いビルなので、震度6を超す2度の地震でかなりやられ、 震度5を超える頻繁にくる余震に、更にやられてしまいました。 かなり振られた4階以上は被害がひどく、壁や天井が崩れ落ちてしまいました。 ビルの5階部分に自宅があり、家の中は帰宅した当初は絶句してしまった程、 ぐっちゃぐっちゃのバリンバリンで、床を見ることも殆どありませんでしたが、 内部の片づけっていうのは、意外に出来てしまうものなんですよね。 津波の被害に比べたら、なんてことはないんですよね。 診断がまだなので怖いです。大きな余震(これ以上来ないで!!)が来たら ビルは崩壊してしまう可能性が高いでしょう。 母だけは東京に避難させて、父と二人で残っております。 街中なので、ライフラインの復旧は早かったのですが、 うちは、エレベーターと貯水タンクも壊れてしまったので、 未だに水汲みの毎日です。体力がつきました。 余震が落ち着いてきた、これからが大変です。 何度も言うようですが、東北3県沿岸部の莫大な被害に遭われた方に比べたら 本当になんてことない状況です。足を伸ばして眠れるのですから。 近くのデパートの地下食料品売り場だって営業しています。 被害の少なかったスーパーや、レストランは営業を始めました。 雪も降っていません。暖房だって使えます。 命あって、食べ物食べられて、お水だって汲みに行けばある、 本当に感謝すべくありがたいことですね。 何よりも、家族が無事だったこと、それだけでも感謝しなくてはなりません。 73になる父は、「これが自分の人生最後の正念場、逃げずに踏ん張る。」と。 まだまだ現役でいるしかないようです。 いえ、生涯現役ですね。 阪神大震災の時は、募金と赤ちゃんの粉ミルクや服などの物資を送る、 と言ったことしか出来ませんでした。 震災後の本当の大変さも、中越地震の時に避難所にいた被災者の方々が 「余震が怖い」と言っていた言葉も、何もかも、何もかもが、 本当の意味でようやくわかった気がします。 ビルの中の瓦礫の山を見ると、壊れかけたこの家を見ると不安になります。 いつまで水を汲み続ければいいのだろう、 いつになったら、ここでお風呂に入れるのだろう、 余震が来るたびに慌てて起きて飛び出て、不安な夜を過ごす。原発は?? 今まで当たり前のようにやってきたこと、あったことが、 本当はこんなにもこんなにも大切で幸せなことだったのか、 こうなってみて初めてわかるものなんですね。 地震の前夜、帰国中のアジアの星一番さんと再会しておりました。 立川にある「ずくなし」という、アジアの星一番さんがコスメルで出会った方のお店で、 美味しいお料理とお酒をご馳走になっておりました。 できることなら、あの日に戻りたいです。そして何も起こらずに・・・ でも、この年末年始にピピ島とプーケットに行ったのには こういう理由があったのかな、とも思うようになりました。 地震が起こるのは避けられないけれど、壊滅的な被害に遭ったピピやプーケットだって こうして復興出来たのだと、私たちに教えたかったのかもしれません。 東北の寒い避難所で不安な日々を過ごされている被災者の方々を思うと 胸が痛くなる思いです。未だ無事だったか知ることのできない得意先が何件かあります。 少しでも多くの人の命が救われますように。 なかなか状況をブログで報告することが出来ずに申し訳ありませんでした。 体調も崩してないですし、しっかり食べているので心配いりません。 しつこいようですが、東北3県の被害に比べたら取るに足らないかもしれませんが、 ご心配いただいている皆様に、遅くなりましたがご報告させていただこうと 本日久しぶりにブログをアップ致しました。 原発問題はどんどん深刻化しておりますが、 地震は、きっともうすぐ余震もおさまってくるでしょう。 動けるようになったこれからがスタートで、大変なのでしょうね。 でも、自分ががんばれることは、全力でやっていくつもりです。 皆さんの温かい言葉が、何よりの力になっています。 最後にもう一度、本当にありがとうございます!!
Mar 28, 2011

先月、母を招待して、北茨城にある磯原温泉に行ってきました。 この季節この辺りは"あんこう鍋""あん肝"一色ですが、 とりたててあんこうが食べたいわけではない私の目に飛び込んできたのが、 "あわび祭り"の文字(笑) 母も私も鮑大好きなんです♪ そんなわけで、地元の食材をフレンチ仕立てで食べさせてくれる宿、 磯原シーサイドホテルに行ってきました。 "あわび祭り"は、夜のコースに好きな鮑料理を1品サービスしてくれるんです♪ ホテル自体は古いものだと思いますが、設備も整っていて十分でした。 海岸に建っているので、バルコニーからの眺めは素晴らしいものです♪ 夜はライトアップ(写真左上)しています。 写真だとキレイだけど、実際はもうちょっと暗いかな?!(笑) 太平洋側なので、日の出(写真右上)はばっちりです!! 初日の出を見に、お正月は満室でしょうね~ 夏も、目の前のきれいな海で泳げるのでいいかもしれませんね♪ とにかくレストランスタッフの感じも良く、 "あわび祭り"のサービスの鮑料理は、想像よりもかなり控えめな量でしたが(笑)、 他の料理も同様、美味しいお料理ばかりでした。かなり満腹です! ちなみにサービスではない、一品料理で別にある鮑料理は、大きな鮑です♪ コースは日本食・フレンチ選べます 温泉は大きなものではありませんでしたが、窓からの景色も良く、十分でした。 朝食もボリュームたっぷり♪ 普段、朝はカフェオレ程度の私なので、昨夜の分と朝の分とで胃がパンパンに(笑) 昨年8Kgも太ってしまい(あ、もう10Kgになってしまったかも?!) ダイエットに励まなくてはならないのに、これ以上 胃を拡張させてどーする、私?! 今回、生まれて初めての母との二人旅・・・ 本当は札幌行きのチケットを取ったのですが、あまりの寒さと年老いた母のことを考え 車でも行ける、しかも私の運転でも行ける、雪のない温泉に直前に変更したのです。 普段は口喧嘩もするし、面と向かって感謝の気持ちも伝えられない私ですが、 どうしても自分の誕生日に、私を生んでくれた母への感謝の気持ちを伝えたかった。 今度は甥っ子たちと、またみんなでワイワイ温泉行こうね!!
Mar 3, 2011
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