元気力UP!

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2014年12月07日
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カテゴリ: 吾輩は猫である

吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘なものだと断言せざるを得ないようになった。
ことに吾輩が時々同衾する小供のごときに至っては言語同断である。
自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛り出したり、へっついの中へ押し込んだりする。
しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら家内総がかりで追い廻して迫害を加える。
この間もちょっと畳で爪を磨いだら細君が非常に怒ってそれから容易に座敷へ入れない。
台所の板の間で他が顫えていても一向平気なものである。
吾輩の尊敬する筋向の白君などは逢う度毎に人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。
白君は先日玉のような子猫を四疋産まれたのである。
ところがそこの家の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。
白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族が親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅せねばならぬといわれた。
一々もっともの議論と思う。
また隣りの三毛君などは人間が所有権という事を解していないといって大に憤慨している。
元来我々同族間では目刺の頭でも鰡の臍でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。
もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善いくらいのものだ。
しかるに彼等人間は毫もこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のために掠奪せらるるのである。
彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものを奪ってすましている。
白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。
吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。
ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。
いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。
まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。
 我儘で思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。
元来この主人は何といって人に勝れて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる。
俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝ったり、謡を習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。
その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。
後架の中で謡をうたって、近所で後架先生と渾名をつけられているにも関せず一向平気なもので、やはりこれは平の宗盛にて候を繰返している。
みんながそら宗盛だと吹き出すくらいである。
この主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一月ばかり後のある月の月給日に、大きな包みを提げてあわただしく帰って来た。
何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。
果して翌日から当分の間というものは毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。
しかしそのかき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。
当人もあまり甘くないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人が来た時に下のような話をしているのを聞いた。
「どうも甘くかけないものだね。
人のを見ると何でもないようだが自ら筆をとって見ると今更のようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐である。
なるほど詐りのない処だ。
彼の友は金縁の眼鏡越に主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで画がかける訳のものではない。
昔し以太利の大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。
画をかくなら何でも自然その物を写せ。
天に星辰あり。
地に露華あり。
飛ぶに禽あり。
走るに獣あり。
池に金魚あり。
枯木に寒鴉あり。
自然はこれ一幅の大活画なりと。
どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」
「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった事があるかい。
ちっとも知らなかった。
なるほどこりゃもっともだ。
実にその通りだ」と主人は無暗に感心している。
金縁の裏には嘲けるような笑が見えた。

本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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