元気力UP!

元気力UP!

2014年12月15日
XML
カテゴリ: 吾輩は猫である
 人間の心理ほど解し難いものはない。

この主人の今の心は怒っているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。

世の中を冷笑しているのか、世の中へ交りたいのだか、くだらぬ事に肝癪を起しているのか、物外に超然としているのだかさっぱり見当が付かぬ。

猫などはそこへ行くと単純なものだ。

食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。

第一日記などという無用のものは決してつけない。

つける必要がないからである。

主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等猫属に至ると行住坐臥、行屎送尿ことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数をして、己れの真面目を保存するには及ばぬと思う。

日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ。




久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい。

胃弱には晩酌が一番だと思う。

タカジヤスターゼは無論いかん。

誰が何と云っても駄目だ。

どうしたって利かないものは利かないのだ。


 無暗にタカジヤスターゼを攻撃する。

独りで喧嘩をしているようだ。

今朝の肝癪がちょっとここへ尾を出す。

人間の日記の本色はこう云う辺に存するのかも知れない。


せんだって○○は朝飯を廃すると胃がよくなると云うたから二三日朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。

△△は是非香の物を断てと忠告した。



漬物さえ断てば胃病の源を涸らす訳だから本復は疑なしという論法であった。

それから一週間ばかり香の物に箸を触れなかったが別段の験も見えなかったから近頃はまた食い出した。

××に聞くとそれは按腹揉療治に限る。

ただし普通のではゆかぬ。

皆川流という古流な揉み方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る。



坂本竜馬のような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速上根岸まで出掛けて揉まして見た。

ところが骨を揉まなければ癒らぬとか、臓腑の位置を一度顛倒しなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷な揉み方をやる。

後で身体が綿のようになって昏睡病にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。

A君は是非固形体を食うなという。

それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。

B氏は横膈膜で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやって御覧という。

これも多少やったが何となく腹中が不安で困る。

それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。

忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ。

美学者の迷亭がこの体を見て、産気のついた男じゃあるまいし止すがいいと冷かしたからこの頃は廃してしまった。

C先生は蕎麦を食ったらよかろうと云うから、早速かけともりをかわるがわる食ったが、これは腹が下るばかりで何等の功能もなかった。

余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。

ただ昨夜寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目がある。

これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう。




本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2014年12月15日 11時06分16秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: