元気力UP!

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2014年12月16日
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カテゴリ: 吾輩は猫である




主人の心は吾輩の眼球のように間断なく変化している。
何をやっても永持のしない男である。
その上日記の上で胃病をこんなに心配している癖に、表向は大に痩我慢をするからおかしい。
せんだってその友人で某という学者が尋ねて来て、一種の見地から、すべての病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならないと云う議論をした。
大分研究したものと見えて、条理が明晰で秩序が整然として立派な説であった。
気の毒ながらうちの主人などは到底これを反駁するほどの頭脳も学問もないのである。
しかし自分が胃病で苦しんでいる際だから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をした。
すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」と極め付けたので主人は黙然としていた。
かくのごとく虚栄心に富んでいるものの実際はやはり胃弱でない方がいいと見えて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。
考えて見ると今朝雑煮をあんなにたくさん食ったのも昨夜寒月君と正宗をひっくり返した影響かも知れない。
吾輩もちょっと雑煮が食って見たくなった。

 吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。
車屋の黒のように横丁の肴屋まで遠征をする気力はないし、新道の二絃琴の師匠の所の三毛のように贅沢は無論云える身分でない。
従って存外嫌は少ない方だ。
小供の食いこぼした麺麭も食うし、餅菓子の※もなめる。
香の物はすこぶるまずいが経験のため沢庵を二切ばかりやった事がある。
食って見ると妙なもので、大抵のものは食える。
あれは嫌だ、これは嫌だと云うのは贅沢な我儘で到底教師の家にいる猫などの口にすべきところでない。
主人の話しによると仏蘭西にバルザックという小説家があったそうだ。
この男が大の贅沢屋で――もっともこれは口の贅沢屋ではない、小説家だけに文章の贅沢を尽したという事である。
バルザックが或る日自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけて見たが、どうしても気に入らない。
ところへ友人が遊びに来たのでいっしょに散歩に出掛けた。
友人は固より何も知らずに連れ出されたのであるが、バルザックは兼ねて自分の苦心している名を目付ようという考えだから往来へ出ると何もしないで店先の看板ばかり見て歩行いている。
ところがやはり気に入った名がない。
友人を連れて無暗にあるく。
友人は訳がわからずにくっ付いて行く。
彼等はついに朝から晩まで巴理を探険した。
その帰りがけにバルザックはふとある裁縫屋の看板が目についた。
見るとその看板にマーカスという名がかいてある。
バルザックは手を拍って「これだこれだこれに限る。
マーカスは好い名じゃないか。
マーカスの上へZという頭文字をつける、すると申し分のない名が出来る。
Zでなくてはいかん。
Z. Marcus は実にうまい。
どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでも何となく故意とらしいところがあって面白くない。
ようやくの事で気に入った名が出来た」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉しがったというが、小説中の人間の名前をつけるに一日巴理を探険しなくてはならぬようでは随分手数のかかる話だ。
贅沢もこのくらい出来れば結構なものだが吾輩のように牡蠣的主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。
何でもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇のしからしむるところであろう。
だから今雑煮が食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない、何でも食える時に食っておこうという考から、主人の食い剰した雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。
……台所へ廻って見る。



本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2025年03月05日 19時14分28秒
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