元気力UP!

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2015年03月25日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
" 大根卸し、摺小木 が並んで懸 けてある傍 らに火消壺だけが悄然 と控 えている。
真黒になった樽木 の交叉した真中から一本の自在 を下ろして、先へは平たい大きな籠 をかける。
その籠が時々風に揺れて鷹揚 に動いている。
この籠は何のために釣るすのか、この家 へ来たてには一向 要領を得なかったが、猫の手の届かぬためわざと食物をここへ入れると云う事を知ってから、人間の意地の悪い事をしみじみ感じた。

これから作戦計画だ。
どこで鼠と戦争するかと云えば無論鼠の出る所でなければならぬ。
いかにこっちに便宜 な地形だからと云って一人で待ち構えていてはてんで戦争にならん。
ここにおいてか鼠の出口を研究する必要が生ずる。
どの方面から来るかなと台所の真中に立って四方を見廻わす。

下女はさっき湯に行って戻って来 ん。
小供はとくに寝ている。
主人は芋坂 の団子を喰って帰って来て相変らず書斎に引き籠 っている。
細君は――細君は何をしているか知らない。
大方居眠りをして山芋の夢でも見ているのだろう。
時々門前を人力 が通るが、通り過ぎた後 は一段と淋しい。
わが決心と云い、わが意気と云い台所の光景と云い、四辺 の寂寞 と云い、全体の感じが悉 く悲壮である。
どうしても猫中 の東郷大将としか思われない。
こう云う境界 に入ると物凄 い内に一種の愉快を覚えるのは誰しも同じ事であるが、吾輩はこの愉快の底に一大心配が横 わっているのを発見した。
鼠と戦争をするのは覚悟の前だから何疋来ても恐 くはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合である。
周密なる観察から得た材料を綜合 して見ると鼠賊 の逸出 するのには三つの行路がある。

その時は火消壺の影に隠れて、帰り道を絶ってやる。
あるいは溝 へ湯を抜く漆喰 の穴より風呂場を迂回 して勝手へ不意に飛び出すかも知れない。
そうしたら釜の蓋 の上に陣取って眼の下に来た時上から飛び下りて一攫 みにする。
それからとまたあたりを見廻すと戸棚の戸の右の下隅が半月形 に喰い破られて、彼等の出入 に便なるかの疑がある。
鼻を付けて臭 いで見ると少々鼠|臭 い。

もし天井から来たらと上を仰ぐと真黒な煤 がランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るしたごとくちょっと吾輩の手際 では上 る事も、下 る事も出来ん。
まさかあんな高い処から落ちてくる事もなかろうからとこの方面だけは警戒を解 く事にする。
それにしても三方から攻撃される懸念 がある。
一口なら片眼でも退治して見せる。
二口ならどうにか、こうにかやってのける自信がある。
しかし三口となるといかに本能的に鼠を捕 るべく予期せらるる吾輩も手の付けようがない。
さればと云って車屋の黒ごときものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威厳に関する。
どうしたら好かろう。
どうしたら好かろうと考えて好い智慧 が出ない時は、そんな事は起る気遣 はないと決めるのが一番安心を得る近道である。
また法のつかない者は起らないと考えたくなるものである。
まず世間を見渡して見給え。
きのう貰った花嫁も今日死なんとも限らんではないか、しかし聟殿 は玉椿千代も八千代もなど、おめでたい事を並べて心配らしい顔もせんではないか。
心配せんのは、心配する価値がないからではない。
いくら心配したって法が付かんからである。
吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。
安心は万物に必要である。
吾輩も安心を欲する。
よって三面攻撃は起らぬと極 める。

それでもまだ心配が取れぬから、どう云うものかとだんだん考えて見るとようやく分った。
三個の計略のうちいずれを選んだのがもっとも得策であるかの問題に対して、自 ら明瞭なる答弁を得るに苦しむからの煩悶 である。
戸棚から出るときには吾輩これに応ずる策がある、風呂場から現われる時はこれに対する計 がある、また流しから這い上るときはこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つに極 めねばならぬとなると大 に当惑する。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。"





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Last updated  2015年03月25日 13時37分51秒
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