元気力UP!

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2015年07月03日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
「ところへ花道から俳人|高浜虚子 がステッキを持って、白い灯心 入りの帽子を被 って、透綾 の羽織に、薩摩飛白 の尻端折 りの半靴と云うこしらえで出てくる。
着付けは陸軍の御用達 見たようだけれども俳人だからなるべく悠々 であるかなくっちゃいけない。
それで虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台に懸った時、ふと句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びている、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見下ろしている。
そこで虚子先生|大 に俳味に感動したと云う思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女に惚れる烏かなと大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍子木 を入れて幕を引く。
――どうだろう、こう云う趣向は。
御気に入りませんかね。
君|御宮 になるより虚子になる方がよほどいいぜ」東風君は何だか物足らぬと云う顔付で「あんまり、あっけないようだ。
もう少し人情を加味した事件が欲しいようだ」と真面目に答える。
今まで比較的おとなしくしていた迷亭はそういつまでもだまっているような男ではない。

上田敏 君の説によると俳味とか滑稽とか云うものは消極的で亡国の音 だそうだが、敏君だけあってうまい事を云ったよ。
そんなつまらない物をやって見給え。
それこそ上田君から笑われるばかりだ。

失礼だが寒月君はやはり実験室で珠 を磨いてる方がいい。
俳劇なんぞ百作ったって二百作ったって、亡国の音 じゃ駄目だ」寒月君は少々|憤 として、「そんなに消極的でしょうか。
私はなかなか積極的なつもりなんですが」どっちでも構わん事を弁解しかける。
「虚子がですね。
虚子先生が女に惚れる烏かなと烏を捕 えて女に惚れさしたところが大 に積極的だろうと思います」「こりゃ新説だね。
是非御講釈を伺がいましょう」「理学士として考えて見ると烏が女に惚れるなどと云うのは不合理でしょう」「ごもっとも」「その不合理な事を無雑作 に言い放って少しも無理に聞えません」「そうかしら」と主人が疑った調子で割り込んだが寒月は一向頓着しない。
「なぜ無理に聞えないかと云うと、これは心理的に説明するとよく分ります。
実を云うと惚れるとか惚れないとか云うのは俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙汰であります。
しかるところあの烏は惚れてるなと感じるのは、つまり烏がどうのこうのと云う訳じゃない、必竟 自分が惚れているんでさあ。
虚子自身が美しい女の行水 しているところを見てはっと思う途端にずっと惚れ込んだに相違ないです。
さあ自分が惚れた眼で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめているのを見たものだから、ははあ、あいつも俺と同じく参ってるなと癇違 いをしたのです。
癇違いには相違ないですがそこが文学的でかつ積極的なところなんです。
自分だけ感じた事を、断りもなく烏の上に拡張して知らん顔をしてすましているところなんぞは、よほど積極主義じゃありませんか。
どうです先生」「なるほど御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違いない。
説明だけは積極だが、実際あの劇をやられた日には、見物人はたしかに消極になるよ。
ねえ東風君」「へえどうも消極過ぎるように思います」と真面目な顔をして答えた。

主人は少々談話の局面を展開して見たくなったと見えて、「どうです、東風さん、近頃は傑作もありませんか」と聞くと東風君は「いえ、別段これと云って御目にかけるほどのものも出来ませんが、近日詩集を出して見ようと思いまして――稿本 を幸い持って参りましたから御批評を願いましょう」と懐から紫の袱紗包 を出して、その中から五六十枚ほどの原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。
主人はもっともらしい顔をして拝見と云って見ると第一頁に
世の人に似ずあえかに見え給う
富子嬢に捧ぐ
と二行にかいてある。
主人はちょっと神秘的な顔をしてしばらく一頁を無言のまま眺 めているので、迷亭は横合から「何だい新体詩かね」と云いながら覗 き込んで「やあ、捧げたね。
東風君、思い切って富子嬢に捧げたのはえらい」としきりに賞 める。
主人はなお不思議そうに「東風さん、この富子と云うのは本当に存在している婦人なのですか」と聞く。
「へえ、この前迷亭先生とごいっしょに朗読会へ招待した婦人の一人です。
ついこの御近所に住んでおります。
実はただ今詩集を見せようと思ってちょっと寄って参りましたが、生憎 先月から大磯へ避暑に行って留守でした」と真面目くさって述べる。
「苦沙弥君、これが二十世紀なんだよ。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2015年07月03日 11時09分56秒コメント(0) | コメントを書く


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