元気力UP!

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2016年03月27日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
やがて時間が来たと見えて、講話はぱたりとやんだ。
他の教室の課業も皆一度に終った。
すると今まで室内に密封された八百の同勢は鬨 の声をあげて、建物を飛び出した。
その勢 と云うものは、一尺ほどな蜂 の巣を敲 き落したごとくである。
ぶんぶん、わんわん云うて窓から、戸口から、開きから、いやしくも穴の開
これが大事件の発端である。

まず蜂の陣立てから説明する。
こんな戦争に陣立ても何もあるものかと云うのは間違っている。
普通の人は戦争とさえ云えば沙河 とか奉天 とかまた旅順 とかそのほかに戦争はないもののごとくに考えている。
少し詩がかった野蛮人になると、アキリスがヘクトーの死骸を引きずって、トロイの城壁を三匝 したとか、燕 ぴと張飛が長坂橋 に丈八 を横 えて、曹操 の軍百万人を睨 め返したとか大袈裟 な事ばかり連想する。

太古蒙昧 の時代に在 ってこそ、そんな馬鹿気た戦争も行われたかも知れん、しかし太平の今日 、大日本国帝都の中心においてかくのごとき野蛮的行動はあり得べからざる奇蹟に属している。
いかに騒動が持ち上がっても交番の焼打以上に出る気遣 はない。
して見ると臥竜窟 主人の苦沙弥先生と落雲館|裏 八百の健児との戦争は、まず東京市あって以来の大戦争の一として数えてもしかるべきものだ。
左氏 が※陵 の戦 を記するに当ってもまず敵の陣勢から述べている。
古来から叙述に巧みなるものは皆この筆法を用いるのが通則になっている。
だによって吾輩が蜂の陣立てを話すのも仔細 なかろう。
それでまず蜂の陣立ていかんと見てあると、四つ目垣の外側に縦列を形 ちづくった一隊がある。
これは主人を戦闘線内に誘致する職務を帯びた者と見える。
「降参しねえか」「しねえしねえ」「駄目だ駄目だ」「出てこねえ」「落ちねえかな」「落ちねえはずはねえ」「吠えて見ろ」「わんわん」「わんわん」「わんわんわんわん」これから先は縦隊総がかりとなって吶喊 の声を揚げる。
縦隊を少し右へ離れて運動場の方面には砲隊が形勝の地を占めて陣地を布 いている。
臥竜窟 に面して一人の将官が擂粉木 の大きな奴を持って控 える。
これと相対して五六間の間隔をとってまた一人立つ、擂粉木のあとにまた一人、これは臥竜窟に顔をむけて突っ立っている。
かくのごとく一直線にならんで向い合っているのが砲手である。
ある人の説によるとこれはベースボールの練習であって、決して戦闘準備ではないそうだ。
吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢 である。
しかし聞くところによればこれは米国から輸入された遊戯で、今日 中学程度以上の学校に行わるる運動のうちでもっとも流行するものだそうだ。
米国は突飛 な事ばかり考え出す国柄であるから、砲隊と間違えてもしかるべき、近所迷惑の遊戯を日本人に教うべくだけそれだけ親切であったかも知れない。
また米国人はこれをもって真に一種の運動遊戯と心得ているのだろう。
しかし純粋の遊戯でもかように四隣を驚かすに足る能力を有している以上は使いようで砲撃の用には充分立つ。
吾輩の眼をもって観察したところでは、彼等はこの運動術を利用して砲火の功を収めんと企てつつあるとしか思われない。
物は云いようでどうでもなるものだ。
慈善の名を借りて詐偽 を働らき、インスピレーションと号して逆上をうれしがる者がある以上はベースボールなる遊戯の下 に戦争をなさんとも限らない。
或る人の説明は世間一般のベースボールの事であろう。
今吾輩が記述するベースボールはこの特別の場合に限らるるベースボール即 ち攻城的砲術である。
これからダムダム弾を発射する方法を紹介する。
直線に布 かれたる砲列の中の一人が、ダムダム弾を右の手に握って擂粉木の所有者に抛 りつける。
ダムダム弾は何で製造したか局外者には分らない。
堅い丸い石の団子のようなものを御鄭寧 に皮でくるんで縫い合せたものである。
前 申す通りこの弾丸が砲手の一人の手中を離れて、風を切って飛んで行くと、向うに立った一人が例の擂粉木をやっと振り上げて、これを敲 き返す。
たまには敲き損 なった弾丸が流れてしまう事もあるが、大概はポカンと大きな音を立てて弾 ね返る。
その勢は非常に猛烈なものである。
神経性胃弱なる主人の頭を潰 すくらいは容易に出来る。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






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Last updated  2016年03月27日 20時16分06秒
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