PR

×

カレンダー

プロフィール

(笑衆。)

(笑衆。)

お気に入りブログ

吉四六さんの家には… New! よびりん♪   さん

70歳のパートさん BLACKandBLUEさん

7/19(日) メンテナン… 楽天ブログスタッフさん

ラッキー/ありがと… ツイテル ラッキーさん
ココメのお気楽サロン ココメさん
むさっち Musa_chiさん
Deep Blue izumi_rinaさん

カテゴリ

コメント新着

(笑衆。) @ Re[1]:99歳と8カ月(07/26) New! BLACKandBLUEさんへ 本当に突然で驚いて…
BLACKandBLUE @ Re:99歳と8カ月(07/26) 突然すぎて言葉もありません。 寂しいでし…
(笑衆。) @ Re[1]:毎日暑さが(07/23) BLACKandBLUEさんへ ありがとうございま…
BLACKandBLUE @ Re:毎日暑さが(07/23) 自分の体調ばかりか お母さんのこともあっ…
(笑衆。) @ Re[1]:母が倒れた(07/22) BLACKandBLUEさんへ ありがとうございま…
2003年08月10日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


月も美しい

それに気づく

心が美しい




言っておられました。

気づきの心をもっともっと大きくできたら

毎日、毎時間、心豊かに過ごせる気がしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ー№2ー

昨晩のニュースで、長崎平和式典の模様を伝えていた。その中で

耳の不自由な被爆女性が手話で訴えていた姿が印象的であった。

58年間閉ざされた思いを、全身を使って



二度と同じ過ちを起こしてはいけないと、改めて感じました。

その前文をよんでみて下さい。下記に載せました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

         平和への誓い」
 皆さん、私の話(手話)を聞いてください。
 私は、生まれた時から耳が聞こえない、言葉が話せない
 ろうあ者です。昭和20年8月9日、一番、おしゃれを
 したい年ごろの18歳でした。
 その日、私は、爆心地から北に6キロほどのところの疎
 開先の時津町で、バラックの家を建てる両親の手伝いを
 していました。

 くなり、オレンジ色の光を放って広がるものが見え、直
 後にものすごい勢いで床にたたきつけられました。
 いったい何が起きたのか、その時は恐怖よりも驚きのほ
 うが大きかったのです。
 夕方、両親と私は山里町の自宅へ戻ることにしました。

 ら先は道もなく、線路を伝って歩きました。川のかたわ
 らに、顔や首の皮がはがれ、足をガクガク震わせながら
 たたずんでいる人がいて、水が飲みたかったのでしょう
 が、焼けただれた腕は伸ばすことができません。顔がゆ
 がみ、引きつった唇が何かを訴えようとしていました。
 母が、身ぶりで、「イタイ、イタイ」と言っていると教
 えてくれました。もちろん、耳が聞こえない私には、原
 子野をさまよう人たちのうめきもなにも聞こえません。
 音というものが私にはわからないのです。時々父と母が
 何かを話し合っていますが、私にはなにが起きたのかわ
 からなくて、頭の中はボーとしたまま見ているだけでした。
 私たちの家は爆心地近くの山里町にありました。それは
 押しつぶされ、残がいの奥に赤い炎を残してくすぶって
 いました。母はきっと姉の名前を呼びながら姿を求めて
 いたのだと思いますが、私は声を出して姉の名前さえ呼
 ぶこともできず、ただオロオロしていました。
 突然、うつぶして両の拳で地面をたたきながら泣く母の
 様子から、私は姉の死を悟りその背中に覆いかぶさって
 大声で泣きました。夜になって、ようやく道ノ尾に帰り
 着いた時、浦上の真っ黒な空からは想像もできないきれ
 いな星が輝いていたことが今も忘れられません。
 私たちろうあ者は家庭にあっても、日常的な会話のほか
 は、ニュースやうわさ話から遠ざけられて、ぽつんと孤
 立した状況にあります。そのため、詳しい情報は伝えて
 もらえないまま月日が過ぎ、信じられないでしょうが、
 私は原爆をずっと大きな爆弾と思っていました。終戦か
 ら1年たったある日、偶然に見た写真展で、それが実は
 「きのこ雲」の形をした「原子爆弾」だと知りました。
 さらに、放射能を浴びた被爆者が後遺症に苦しみ続ける
 といった詳しい被害の状況を聞かされたのは、それから
 随分たってからのことでした。ろうあ者は長い間、原爆
 の実態を知ることからも閉ざされていたのです。
 被爆から58年が過ぎた今日、皆さんの前で、こうして
 ろうあ被爆者の苦しみを訴えることができて感無量の思
 いです。同時に、文字どおり、何も語らないまま亡くな
 っていった仲間たちのことを思うと涙が止まりません。
 大切な家庭や親せき、友を一瞬にしてなくした苦しみと
 悲しみを乗り越え、今、こうして生かされている私にで
 きることは、既に亡くなった多くの、ろうあ被爆者の仲
 間たちに代わって、この目、肌で感じた58年前の出来
 事を語り続けることです。
 いつまでも、世界平和を祈り、この命が続く限り戦争の
 悲惨さと平和の尊さを次世代の1人でも多くの人たちに、 
 語り(手話)続けていくことをここに誓います。
      平成15年8月9日 被爆者代表 山崎栄子

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2003年08月10日 10時41分40秒
コメント(1) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: