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機内では、隣のインド人と話しをした。彼は、インド生まれ、アメリカ育ち。仕事はアメリカで、奥さんと子どもはブラジルにいるとのこと。「アメリカに住んでいるんですか?」このはじめの一言が、彼との会話を広げた。昔の私なら、隣の知らない人にそんなこと言い出さなかっただろう。ニカラグアの生活が、私に少しの勇気と、会話の楽しさを教えてくれたのかも知れない。ニューヨーク到着、朝の6時。ニューヨークは13年前に一度訪れた。そのときは、初めての海外旅行で、右も左もわからず。今回は、アメリカのガイドブックを持っていない。まぁ、なんとかなるか。ブラジル滞在中にネットで予約したミレニアムヒルトンに向かう。タクシーで行くと、お金がかなりかかるので、ニューアーク空港から節約するため鉄道を使う。ただし、今日は日曜日なので、鉄道の本数が1時間に一本・・・。平日は鉄道をおすすめするが、日曜日は避けたの方がいいみたい。ホテルに着くと、まだ部屋が用意できないというので(さすがに午前9時なので)、荷物を預けて出かけることに。ホテルでやっと、ニューヨークのマップを入手。まずは、MOMA(現代美術館)へ。以前は、メトロポリタン美術館をみて、美術館を制覇した気になっていたが、肝心のMOMAを忘れていた。MOMAの中でも、ひときわ感動した作品が、ピカソの「馬をひく少年」の絵であった。描かれている馬の力強さに、引き込まれた。MOMAの後、5番街をぶらぶら。Macストアーにはいると、人がいっぱい。さすがにiPhoneは、AT&Tとの2年間の契約が必要なため断念。その後、コロンブス広場の地下にあるスーパーで昼食。ここでは、総菜はかり売りがあり、何週間かぶりに青野菜にありつけた。そのあと、SOHOあたりをぶらぶら。ホテルの近くまで戻って、ホテルの隣のCentury21というディスカウントショップへ。確かに服とか安くなっているが、あまり品は良くないし(まぁアウトレットだし)、第一、まったく試着不可なので、ほとんど何も買わなかった。ホテルに戻って、やっとチェックイン。すごい!部屋が広い~。液晶TVもあるし、ベットがふわふわ。しかも、40階なので、眺めがすごい!目の前は、ワールドトレードセンターである。あのテロがあった現場である。(朝撮影)現場では夜中も工事が行われていた。この場に、いろんな建物が建つ予定みたいだが、まだ何も建っていない。なんだかんだ、ニューヨークを歩き回った一日だった。
Mar 15, 2009

ブラジル最終日。朝の天気は・・・。くもり、でもだんだん晴れてきた!とりあえずチェックアウトした後、ビーチへ。今日は土曜日だけあって、ビーチの人の数が半端でない。早めにビーチで場所を取ったので良かったが、正午になるとびっしり。<イパネマ海岸、コパカバーナ海岸の誤解>・その1ビキニのお姉様方がいっぱいで、ブラジル人は過激!ではありません。ちなみに、この海岸、ほとんどが外国人なので、どっちかというと、ブラジル人以外の方が過激かも。・その2海岸は綺麗で、静かな高級リゾートビーチ!ではありません。売り子がひっきりなしに、「ビールビール!」など大声で通っていって、静けさなんてありません。ですので、ここの海岸は、うるさくて、波も高くて、盗難の危険もあり、荷物から目が離せないので、私はあまり好きではありませんでした。唯一、山並みの景観が独特なので、そこが好きかも。ビーチは、タイのクラビやタヒチなど静かで自然あふれるビーチの方が好きです。(お気に入りの食堂 Sindicato do Apoador で昼食)15時にホテルに荷物をピックアップして、空港へ。空港内の土産屋は、一気にレアル表示からUSドル表示にかわるのでびっくり!18時、サンパウロへ。サンパウロの空港では、もう一度カイピリーニャのお酒が飲みたいと思い、待合い時間にゴクリ。その後、ニューヨークへ。
Mar 14, 2009

朝から調子が悪い。寝冷えか、昨日飲んだペルーで買ったビタミン剤のせいか。ダウン。でも、3時間後には復活。今日も観光だ!今日は、ボンジアスーカル(砂糖パン)と名のついた丘に出かけることに。またまたローカルバスに乗るが、やっぱり混んでいて、到着まで1時間。ここには二つの丘があり、それぞれの丘にロープウェイがかかっている。44レアル(2000円)、値上がりしていた。こんな高いところを、綱渡りした芸人もいたそうで・・・。ちなみに、007シリーズにも、このボンジアスーカルは登場している。頂上からは、リオデジャネイロ全景が見渡せる。お昼はおなかの調子を整えるため、中華料理。14レアル(600円)ほどで昼のランチが食べれた。その後、ビーチでボーッとする。夕方から大雨だ。雷の音があちこちから聞こえる。インターネットカフェに行って、ネットをみたら、明日の天気予報は雨。えーっ。。。明日一日は、ビーチを満喫しようと思っていたのに・・・。夜は、この前行った近くのお気に入りの食堂で、トンカツ定食15レアル。ブラジル原産?のアサイという椰子のジュースを飲んだ。おいしい!なんせ、ビタミンや鉄分が豊富に含まれているとか。ちなみにリオの街中には、ジューススタンドが多く、生ジュースが3レアル(120円)くらいで飲める。夜は奮発して、ボサノバの生ライブを聴きに行った。チャージ38レアル(1600円)。「カイピリーニャ」というブラジルのお酒を初めて飲んだ。カイピリーニャ=すりつぶしたライム+グラニュー糖+ラム酒おいしい!生ライブは女性の歌い手だった。メジャーな曲は聴けなかったが、本場で生で聴けて良かった。夜には雨があがった。明日晴れますように。
Mar 13, 2009

ホテルの目の前がビーチなので、朝食の眺めは最高だ。イパネマ海岸は高級リゾートホテルが林立しているのかと思っていたが、実はそうではない。もともとここは、高級住宅街なので、家(マンション)の数の方が圧倒的に多い。イパネマの住人は朝が早い。多くの人が早起きして、海岸沿いを走っているか、犬を連れて散歩している。本当に犬の散歩が多い。(犬とともに海を眺めている青年)また、イパネマ海岸、コパカバーナ海岸ともに波が高い。だから、泳ぐのにはあまり向いていない。どちらかというとサーファー向きで、多くのサーファーを見かける。さて、いよいよリオデジャネイロ観光開始。今日は、コルコバートの丘とセントロに行くことにした。コルコバードの丘とは、世界の7不思議にも選ばれている丘の上に立つ巨大なキリスト像のある丘である。ホテルからバス停まで歩いて、バスを乗り継いでいくが、とにかくバス路線の数が多いのと、バスの数が多い。アジア以上にごちゃごちゃしていて、バス停もあるようで、しかし、手を挙げればどこでも止まってくれるし、まぁ、ごちゃごちゃ、大渋滞である。ともあれ、バスで1時間、そこから電車でやっと着いた。でかい!そして、ここからはリオデジャネイロの街全体が見渡せて、とても綺麗だ。(蒸し暑さを除けば、最高)その後、セントロ(中心街)に向かう。リオデジャネイロは、サンパウロと同様、移民の影響か、日本料理屋多い。そろそろ日本料理でも、と思って尋ねたら、「食材がなくなっちゃったわ」と言われ、日本食にありつけず。中心街は、発展し続けている都市といった感じだが、鮮麗されているわけではなく、ごちゃごちゃといった感じ。浮浪者も多く、リゾート海岸とは違った雰囲気。まずは、カテドラル(教会)を尋ねる。外観はモダンだが、中に入るとステンドグラスがとても綺麗だ。その後、カトリカ水道橋へ。ここは予定していなかったが、パンフレットで写真を見て、「これ見たい!」と思って尋ねた。ちょうど水道橋の上を電車が通っていった。警察も所々にはいるが、ちょっと落ち着ける雰囲気ではないので、早々とセントロを去る。地下鉄でコパカバーナまで移動。窓口で買うとカード型の切符をもらう。それを入り口で落として通る。つまり、どこまで行っても同じ料金。コパカバーナの街で、シュラスカリアの店に入る。シュラスカリアとは、日本でも知れたシュラスコ(お肉)の食べ放題である。25レアル(1000円)ほどであったが、そんなに食べれる物ではない。次から次へといろんな肉が回ってくる。食べた中では、Corazon(あえて訳しません)がおいしかった。その後、街中のアイスクリーム屋へ。1コーン3.5レアル(150円)。オレンジシャーベットを食べた。おいしい!夕方はビーチでボーッと。イパネマの海岸に、ぽつぽつと明かりがつき始める。
Mar 12, 2009

昨日の晩、イグアスからリオデジャネイロに着いた。リオデジャネイロは雨だった。Hotel Apoador Innというネットで見つけたホテルにチェックインした。しかし、昨晩は眠れなかった。夜の浜辺を歩いた。危険かもしれなかったが、なぜか部屋にいるのが気持ち悪かった。今朝、部屋を変えてもらった。昨日の部屋はたばこ臭かった。朝食を食べて、ぼーっとする。このホテルのいいところは、目の前がオンザビーチ。有名なコパカバーナ、イパネマ海岸でも、実は、海とホテルの間には大きな国道が走っている。しかし、コパカバーナとイパネマ海岸の間に位置するこのホテルだけは、唯一目の前がビーチなのである。このホテルの良さは立地だけであろう。(部屋はおすすめできない・・・)ビーチ前でぼーっとしていたら、チリ人の画家に声をかけられた。彼は、私を含めたかいがんのえを描いていた。売ろうとしているのか・・・。(絵はうまいが)まぁ、適当に話して。その後、イパネマ海岸の街を散策。街中のCD屋で、ボサノバのCDをたくさん視聴して、5枚買った。DVDも一枚買った。ボサノバが生まれたブラジル。「イパネマの娘」をイパネマで聴く。ボサノバってこの海岸があるこの街だからあうんだな~と感じた。ちなみに、こちらでよく売られているCDの中にも、小野リサさんはたくさん入っている。すごい!有名なんだ。それにしても暑い!温度計を見たら37度だった・・・。街中のレストランは高い。少し外れた街中の食堂で、牛肉定食(13.5レアル:600円)を食べる。(やっぱりお肉はおいしい!)(やっぱりブラジル。サッカー大好き)夕方、ビーチでボーッと。陽が落ちると、大きな月が現れた。
Mar 11, 2009

今日の夕方のフライトで、リオデジャネイロに戻る。夕方までどうしよう・・・。本当は、アルゼンチン側のイグアスの滝をみたかった。しかし、ホテルからのツアーで行くと、安くあがるが夕方のフライトには間に合わない。タクシーをチャーターすると、140レアル(6000円)かかる。友人に電話した。「次にイグアスの滝を見に行くとしたら、また40万かかるよ」友人のことばが、背中を押した。行こう!ホテルのツアーの人の手配が早く、なおかつスペイン語が通じたので、すんなりタクシー、というかツアーの貸し切り車に乗れた。15人用の車に、運転手のホルヘさんと私の二人。ホルヘさんは、アルゼンチン人(スペイン語圏)だったので、道中、ポルトガル語授業を頼んだ。スペイン語でのポルトガル語授業は楽しかった。ブラジル側からアルゼンチン側に移動するが、国境での手続きも全部彼がやってくれた。ツアーって楽だなぁ~(ツアーの良さをはじめて実感)楽しいポルトガル語授業もあっという間で、1時間で、アルゼンチン側の滝の入り口に着いた。アルゼンチン側の見所はいろいろ分かれていて、なおかつ、30分に一本しか出ない電車でしか行けないので、注意が必要。効率よく見るためには、電車の発車時刻を押さえておくと良い。まずは、アルゼンチン側の最大の見所「悪魔ののど笛 Galganda del diablo」である。すごい。その迫力に、ただただ見とれる。向こう側には、昨日のブラジル側の観光ポイントも見える。次に、第2のポイントへ電車で移動。時間的に第3のポイントは無理だろうと、ツアー受付の人に言われていたが、なんとか第3のポイントにも。(アリも大きい!!!)入り口のレストランで、ビュッフェ(35レアル:1500円)を食べる。不思議なことに、ブラジル側の滝(ポルトガル語圏)ではスペイン語をよく耳にした。アルゼンチン側の滝(スペイン語圏)ではポルトガル語をよく耳にした。逆である。それだけ、対岸に行く観光客が多いということだろうか。14時半の迎えにちょうど間に合い、ホテルに一度戻る。途中まではスペイン語で、イグアスの滝についてや、アルゼンチンの経済状態などについて話す。アルゼンチンには、フォードやFiatなどの自動車工場がたくさんあるようだ。国境を越えてブラジルにはいると、「ここからはブラジルだから、ポルトガル語で話そうね」とホルヘさん。道に現れる標識を見て、「これはどう意味かな?」とホルヘ先生。楽しい授業だった。ホテルで荷物をピックアップして、空港まで送ってもらう。ホルヘ先生と固い握手を交わした。ありがとう、ホルヘ先生。やっぱり旅は、人との出会いがあるから楽しいんだ。そう実感できる一日だった。
Mar 10, 2009

リオを夜出発して、リオデジャネイロに早朝到着。空港内で、ブラジル人(ポルトガル語)がスペイン語を勉強するための本(単語帳)を購入。そして、空港内のカフェで朝食。コーヒーには、エスプレッソしかない。パンは、何かな~と思って頼んだら、ポンデケージョ(チーズパン)だった。ポンデケージョは熱々でおいしい。コーヒーは、やっぱりエスプレッソだからかなり濃いが、おいしい。その後TAM航空に行って、イグアスの滝のあるイグアスまでの航空チケットを購入。以前から、ネットで料金をみていたが、往復で7万近くする。やめようかと何度も思った。けれど、ここまで来たんだ。7万払って、航空券を購入。イグアス行きのフライトの中では、隣のおばさんと話した。元イグアスの滝ガイドで、今はドイツに住んでいるブラジル人。イグアスの見所や情報を教えてくれた。空港からバスでホテルへ。バスは2.1レアル(90円)。昨日ネットBooking.comで、HotelSanMartinを170レアル(8000円)で予約。ホテルではスペイン語が通じた。「ここは国境の町だから、スペイン語も必要だからね」とフロントのおばさん。スペイン語で、少し話しがはずんだ。ここのホテル、すっごく広い。隣は野鳥園があって、中庭が森みたいだ。プールまである。部屋にはいると、ベットが3つ。お~っ。バスタブまである。バスタブをみるのは2週間ぶり。あとでゆっくり入ろう。シングルを予約したのに、ファミリータイプの部屋にしてくれたみたい。このホテルから、ブラジル側のイグアスの滝までは歩いて10分。入場料21.5レアル(850円)。入り口から2階建てバスに乗り、途中の駅から歩き始める。滝が見えてきた。神秘的だ。アメリカ、カナダのナイアガラの滝を見たことがある。だから、イグアスの滝はもういいか、と思っていた。しかし違う。ナイアガラの滝は、やっぱりアメリカっぽく、ドーーーーーーーッ、とアクションっぽく流れる。しかし、このイグアスの滝は、1,国立公園の中にあって、大自然の中の一部2,いくつもの滝が流れている3,世界遺産に登録だけあって、ナイアガラの滝とは全然違うイグアスの滝は、ブラジルとアルゼンチンの両国に接している。向こう側には、アルゼンチン側の観光客も見える。(これ、イチョウではありません。蝶です)イグアスの滝のすばらしさを、表せることばが見つからない。みとれるとはこういうことを言うのかもしれない。いつまで見ていても飽きなかった。来て良かった。
Mar 9, 2009

朝から、Fuego de Borbora(花火)の音がうるさい。Hotelが街中心の広場に面しているので、そこで毎週日曜にはイベントがあるらしかった。朝食を食べて、街を散歩する。「12角の石」との名前の通り、本当に12個、角がある石を見つけた。間にはカミソリ一枚入らない。すごい石の技術だ。写真を撮っていると、写真を撮らないかと原住民が声をかけてくるが、断る。撮りたいなんていうと、どんだけ料金をふったくられることやら。(これは普通に歩く原住民の人)空港までタクシーを拾う。ペルーのタクシーははじめに交渉して乗るので、ことばができるとありがたい。タクシーの運転手と、クスコの文化や、現在の経済状況について話し合った。空港でチェックインをすませる。南米の空港会社は、どこも搭乗券がレシートである。コスト削減であろうか。しかも、レシートにはバーコードが印字され、搭乗手続きのの時には、バーコードリーダーで読み取られる。日本より進んでいるかもしれない。11時。搭乗時間30分前になってもゲートが開かない。尋ねてみると、「機材の調整のため、お知らせできるのは午後1時になります」と。えーーーーーーーーーっ。飛ばないんじゃん!!!困る・・・困ります・・・。今日の夜のフライトで、リマからリオデジャネイロに行くのに。いろいろ航空会社の人に尋ねてみたり、ゴリ押ししたりするけど、飛行機がないためどうにもこうにもならないらしい。12時半になって尋ねてみると、「みなさんの搭乗は、午後2時頃になります」と。いかん、油断していた。ここがニカラグアなら、彼らの言うことを信じずに、いろんな人に交渉するのだが、ペルーなので(ペルーはニカラグアと違ってかなり<教養のある人=常識が通じる人>が多い)安心していた。動かねば。別のフライトで、13時のフライトがあるので、そこのゲートに言ってしゃべり倒す。しかし、WEBで一番安いチケット(ランクが下)を買っているので、優先度は低い。13時だ。「あと席は一つ」。航空会社の人たちのことばが飛び交う。あ~乗れないか・・・。そう思ったときに、「行きなさい」と航空会社の人に言われた。あ~最後の一席に乗れた・・・。ほっ・・・・。乗る前に、日系のお母さんに「13時のフライトにぎりぎり乗って帰るから」と電話。リマには15時前に到着。空港にはなんと日系のお母さんが迎えに来てくれていた(涙)。日系のお母さんの家で、お昼ご飯をごちそうになって、少し休んだ。その後、また空港まで送ってもらった。空港には、日系のお母さん、そしてその娘、その家で下宿している女性の3人が来てくれた。今日のお昼代と、休憩代を払おうとしたら、「いらない、いらない」といわれた。見知らぬ日本人が急に来て、3泊だけしたのに、こんなにお世話してくれて、とってもありがたかった。「また来てね」また来たい。旅は、人と人を結びつけてくれる。そして、次の旅は、その人を訪ねるためにはじまるような気がする。
Mar 8, 2009

お昼はアグアカリエンテス村で。メイン通りは、外国人向けで、一品800円くらい。ボトルの水も、外国人なら倍になる。少し離れた、現地の人の村まで歩くと、ランチセットが180円だった。アグアカリエンテス村から、オリャタイタンボまで電車。ちなみに、この電車も国際学生証があれば半額・・・。あ~学生なのに・・・。オリャタイタンボからクスコの街までタクシーで50ソル(1500円)。6ヶ月の赤ちゃんを連れたお母さんも同乗。タクシーの運転手が駐車違反をしてたらしく、警察に止められた。そこにお母さん、「赤ちゃんが急病なの。早く病院に連れて行かないと」もちろん嘘である。全世界、考えることは同じである。マチュピチュに来て良かったのは、遺跡もあるが、このオリャタイタンボからクスコへの道である。ヨーロッパのような田園風景が延々と続き、本当に見ているだけで心が落ち着く。ここでは、たくさんの野菜やお茶が栽培されているとのこと。クスコでは、アルマス広場前の「Hotel Virrey」に泊まる。場所もいいし、部屋もきれい。一泊30ドル。無線LANもあるし、熱いシャワーもでる(これは受付に言わないと出ない)クスコ内の街並みは綺麗。街全体が世界遺産である。しかし、標高3400メートル。マチュピチュより高い。走ると、ゼイゼイ。階段登ると、ゼイゼイ。民芸品市場まで行く。クスコは、たくさんの民芸品を売っている。リマでも、マチュピチュでも買わず、我慢していた。残念ながらカメラをおいてきたので、写真に収められなかったが、一畳ほどの店が100くらいひしめき合っている。ここで、ポンチョと帽子、手袋、織物などを買った。もちろん値段はないので、交渉次第である。こういうとき、ことばができると楽しい。駆け引きだけでなく、「なぜスペイン語ができるの?」ってところから話しが広がる。糸を草木で染めて、手編みの帽子や手袋を作っている現地のおばちゃんとたくさん話した。話してみると、実は、すごーい技術者&織物の教祖であった。晩ご飯、何を食べよう。一通り、ペルー料理は満喫したし。ファーストフードに挑戦することにした。友達が、Bembos(ベンボス)というマクドナルドよりおいしいファーストフードがあると教えてくれたので、ホテルの横にあるBembosへ。ちなみに、マクドナルドのハンバーガーは、今まで一度も食べたことがないので、ちょっととまどうが、味はおいしかった。
Mar 7, 2009

朝4時過ぎに起床。荷物の準備をして、5時に受付に降りる。受付に・・・誰も・・・い・な・い。仕方ない、置き手紙をして、いらない荷物を置いて出かける。が、入り口に外から鍵がかかっている・・・。出られない!!!え~~~~っ!!!あらゆる出口を探すが、どこにも見つからず、誰もいない。どうしよう・・・。朝一番の5時半のバスに乗らなければ、マチュピチュの朝日は拝めない。そのために、ここまで来たのだ。唯一、2階のベランダから飛べそうだ。でも高い。どうしよう…。足がすくむ。でも迷っている暇はない。ここまで来たのだ。5時半のバスに乗る!!!えーいっ。無事着地。あ~日頃から鍛えてて良かった(^^)急いでバス停に向かうが、すでにすごい列。昨日、バス会社の人に尋ねたら、「22台も来るから大丈夫よ」って言ってた。無事バスに乗って、山上のマチュピチュ遺跡へ。くねくね道のハイランビンガムロードを登っていくのは、神秘的だ。入り口に着くが、また長蛇の列。朝6時15分なのに・・・。入場して、急いでワイナピチュというマチュピチュ遺跡の隣にある山の入り口まで行く。ワイナピチュは、マチュピチュ遺跡を上から眺める絶景のポイントだ。しかも、一日の入場制限が400人と限られている。入場整理番号が100番であった。5時半のバスに乗らないと、ワイナピチュに登るのは、まず無理だろう。7時にワイナピチュに入る。ワイナピチュ、はっきりいってなめてました。標高2400mからさらにその上のワイナピチュ。登るのはかなり大変です。ちゃんとした運動靴でしか登れないほど、急な傾斜を登ったり下ったり。汗だくだくで、1時間半。途中、死にそうな人、カップルを何人も見ました。私もその一人。でも、ワイナピチュの上から眺めるマチュピチュ遺跡は・・・その疲れも吹き飛ばしてくれるほど、絶景でした。その後、マチュピチュ遺跡内を見学。ちなみに、マチュピチュ遺跡の橋からも、綺麗な全景を収めることができます。体力に自信のない方は、ここでもいいかも。マチュピチュ遺跡を後にして、アグアカリエンテス村に戻る。
Mar 7, 2009

朝早く、お世話になっている日系のお母さんに、空港まで乗せていってもらう。リマの空港では出国税を別に払わなければいけないので注意。飛行機の中で、持ってきたDVDを見た。NHKの「世界遺産 マチュピチュ」である。よくできているDVDで、歴史などがよくわかった。おすすめである。リマからクスコに到着。飛行機の中にガイドブックを忘れるというトラブルがあったが、ここはクリア。やはり言葉ができると、問題がおきてもすぐ対処できるので楽である。クスコの空港は標高3400メートルのところにある。空気が薄い。タクシーと交渉して、空港からオリャタイタンボというところまで、60ソルで(1800円)。そこでちょっと昼食。地元の人が食べている露天で注文。(スペイン語ではなくケチュア語を話す地元の人たち)鶏の煮込み、6ソル(180円)。オリャタイタンボから電車でマチュピチュのふもとアグアカリエンテス村に向かう(バックパッカークラス34ドル)。アグアカリエンテス村はクスコより低く、標高2200メートルくらい。一般的に3000メートルを超えると、高山病が起こりやすいそうだ。宿は特に決めていなかったが、駅の近くのHospedaje Parqueに50ソル(1500円)で泊まることに決めた。途中、雨が何度か降る。マチュピチュは雨の季節である。でも、現地の人に聞くと、雨が日中降れば、翌日の午前中は降らないよって言ってた。明日は晴れますように。ここ、アグアカリエンテス村では、マチュピチュ遺跡の入場券を買うことができる。大人は4000円くらい。学生は半額になる。あ~国際学生証作ってくれば良かった。明日のマチュピチュ遺跡までのバスのチケットも買う。往復14ドル。これも学生証があれば半額・・・。食料を買い込んで、今日は早めに寝ることとする。↓見つけたオレオのイチゴヨーグルト味。たぶん日本にはない?おいしい!!
Mar 6, 2009

お世話になっている日系のお母さんが働いている市場に出かける。市場の中で、セビッチェ(マリネ)が食べれるところを紹介してもらう。魚のセビッチェと、魚のフライ、パパアラワンカイーナとインカコーラ。インカコーラとは、ペルーオリジナルの微炭酸ジュースだ。インカコーラ=キリンレモン-炭酸+砂糖といったところ。全部で11ソル(330円)。おいしかった。その後、ペルーの旧市街Centro(セントロ)に向かう。カテドラル(教会)や旧市街の街並みを楽しみながら、明日のクスコ行きの航空券支払いを済ませる。LAN航空は南米中心の航空会社で、HPで航空券を購入する。購入する人は、日本のクレジットカードは使えないので注意。Metroという支払いを選択し、請求書を印刷。その後、リマ中にあるスーパーのMetroで、現金かクレジットカードで支払いをする。そして、24時間前から搭乗券は自分でネットから印刷するのである。ちょっと進んでいるようで、ちょっとめんどくさい。話しはかわるが、私は日本の公立学校で、外国人児童生徒に対して日本語支援や生活支援を行っている。ペルー人の女の子をこの2月まで受け持っていたが、彼女のおじさんがリマにいるということなので、会うことにした。スタバでコーヒーを飲みながら、姪っ子の話や、日本、ペルーの話をした。ここでも不思議な人との出会いがあった。人は世界中でつながっているんだなと感じた。<追伸> T.Mさん、スタバにはペルーオリジナルのタンブラーはありませんでした(>_
Mar 5, 2009

まずはブラジル大使館に向かう。日本のパスポートは、わりとどこでも行くことができるくらい信用されている。しかし、ブラジルに入るにはVISAが必要だと、出発の2週間前に知った。日本で申請したのでは間に合わないので、ここペルーのブラジル大使館で申請することにしたのだ。とりあえずブラジル大使館で申請に必要なものを確認し、VISA用の写真をとり、VISA申請代金を銀行に払う。ペルーのブラジル大使館でVISAをとる人は、申請は朝、受け取りは夕方になるので注意。通常3日以上かかるとあるが、日本人だからだろうか、明日にはできると言われた。日本人って、いや、日本のパスポートってすごい。ミラフローレスという地域に向かう。海岸沿いに綺麗な公園が続いており、ショッピングモールがせり出している。日本よりも都会、というか素敵だ。Calle(通り)を歩いていて、地元の人がたくさん入っているComedor(食堂)に入った。前菜とメインと飲み物のランチセットで7ソル(210円)。パパアラワンカイーナ(パパ、洗わんかいな?)とPollo(鶏)のセット。おいしかった。ちなみに、ペルーは、トマトやジャガイモ、トウモロコシなどの発祥地である。
Mar 4, 2009

エルサルバトルからペルーのリマまで直行。機内は満席。右隣のお姉さんはアメリカポートランドからおばあちゃんの90歳を祝うため帰国。左隣のおばあちゃんは、アメリカのサンフランシスコから。みんな長旅だ。空港を出たら、旧友が迎えに来てくれた。彼は、ドミニカ共和国に派遣された青年団の一人で、現在はペルーの大学でスペイン語を勉強している。明日日本に帰国するとのことで、ぎりぎり再会することができた。彼が滞在している日系人の家にお世話になった。とても素敵な日系のお母さん。夜遅くまで、彼と近況について話し合った。以前とは違う国で再会できたことを幸せに感じた。明日はペルーの首都リマの散策だ。
Mar 3, 2009

レオンを離れ、マナグアに向かう。マナグアのバス停で、旧友と再会する。彼女は、協力隊派遣前訓練で同じスペイン語のクラスだった人。彼女はボリビアに派遣されたが、まさかここニカラグアで再会するなんて思っていなかった。夜は久しぶり?にグルタミン酸が恋しくなって、韓国料理に出かけた。ここでも、旧友と再会。彼女はニカラグアの隊員で、現在はニカラグアの日本大使館に勤務している。ニカラグアのビールTona(トーニャ)を片手に、昔話や現在、そして将来について話し合った。それぞれの進路が違っても、ここニカラグアで、昔の話ができることを幸せに感じた。翌日、空港まで送ってもらう。3,4年がかりでできた空港だが、ちょっと無機質に感じた。プロペラ機でエルサルバトルに向かう。途中いくつものVolcan(火山)が見えた。レオンの街も見えた。さようなら、そしてまたいつか。
Mar 3, 2009

何年ぶりのブログ更新だろう。改めてブログを書こうと思ったのは、今、ニカラグアにいるから。そして、旅で感じている今の気持ちを残しておきたいからかもしれない。2009/2/27に成田をたつ。当初は、ペルーとブラジルへの旅行を考えていた。ニカラグア行きは迷ったが、チケットが10万プラスになるので、あきらめていた。しかし、日本のラジオから流れるスペイン語の音楽をきいて、ニカラグアで生活したときの思い出が鮮明によみがえった。「やっぱり行こう」2/27同日に、ニカラグアの首都、マナグアに着いた。夜のマナグアは、何もかわっていないように見える。ニカラグアの友人が空港まで迎えに来てくれた。遠く離れていても、かわらず覚えていてくれる友人を大切にしたい。2/28はサンマルコス。はじめてのホームステイ先の地だ。連絡がつかなくて不安だったが、再会を果たせた。はじめてのホームステイが、2003年だから6年も前。子どもたちもみんな大きくなっていた。その後、3/1に任地であったレオンへ。第2のホームステイ先である家族とも再会できた。残念ながら、自宅は全てスペイン人に貸しているため、ホテルを押さえてくれていた。そして、3/2に職場であるレオン市役所へ。「あ~Yoichi!戻ってきたの!うれしいわ!また働けるの?」再会する人みんなが、私の名前を呼んでくれる。レオンを最後に離れてからもう4年が経つのに、私の顔を見ると、驚きながら、私の名前を呼んでくれた。今日は何人の人と、ハグをし、挨拶をかわしただろう。30人、50人、いやもっとかもしれない。自分が確かに、ここに存在したんだ。ここで確かに、彼らと時間を過ごしたんだ。そう思える一瞬一瞬が、とてもうれしかった。ニカラグアに来て良かった。そう思える大切な時間だった。
Mar 2, 2009

※このブログは携帯からは読めません。(PCでご覧ください)
Oct 15, 2006

※このブログは携帯からは読めません。(PCでご覧ください)
Sep 24, 2006

※このブログは携帯からは読めません。(ごめんなさい、PCでご覧ください)
Sep 19, 2006

久々の更新、ご無沙汰しています。ずっとやりたかったこと…。やっとできました。手書きでのブログ。一枚の限られたスペースに 言いたいこと 感じたことそんな思いを詰めて。パソコンの文字も読むには良いけれど、人の書く文字って味がありますよね。(私の字はそんなにキレイではありませんが…)それに、手で書くと・漢字も思い出せるし・要約の練習にもなって論作文の練習にも持ってこい?!これからもよろしくお願いします。
Sep 7, 2006
早いものでもう9月。(でも、学校は夏休み)日記を書かなくなってから3ヶ月以上。そろそろ書き始めようかな…
Sep 4, 2006
水曜日は特に授業がなく、研究日としていたが、××市教育サポーター制度というのがあって、これは将来学校の先生を目指す学生が、実際に現場に入って、学校の補助をさせてもらいながら、学校というものがどういうところを学ぶ、というもの。学校というものを体験できる絶好の機会である。私も応募して、ある小学校の体力アップを担当することになった。体力アップとは、子ども達(小学生)と休憩時間に一緒に遊んだり、水泳の監視をしたり、体育の授業をサポートしたりなどなど…。今日は早速その学校を訪問。休憩時間になったので、スーツではあったが、外に出て子ども達と遊ぶ。子ども達が寄ってくる。「おじさん、誰?」(>______
Jun 1, 2006

先日無くしたHamiltonの時計。警察にも届けたけど見つからず…携帯もあるし、時計も必要ないかなと思ってましたが、授業中は携帯見るのも禁止だったり、試験に必要ってこともあるので、持たないわけにも行かず…。ということで、買っちゃいました!!!ロフトで見て一目惚れ。でも、念のため日を置いてもう一度行ってみて購入!!!スカーゲンというデンマークの時計です。http://www.skagen.jp/G-Shockも流行ってるけど、やっぱりアナログ時計の方が好き。時間が空間的に把握できるからかな。さて、今日は音楽の授業より~~~音名は、CDEFGAB(ドレミファソラシド:ハ長調)となっていますが、なぜアルファベット順、つまりAから始まってないのか?(ドレミファソラシド→ABCDEFGではない?)これは「A」にあたる「ラ」の音が、国際的な基準になっているからで、この音を440Hzとしているそうです。つまり、「ラ」が国際基準音で、そこから「ABCDEFG」と始まっているとのこと。この「ラ」の音。身近にたくさんあるんです。例えば、ニュースやラジオの時報。ピッ、ピッ、ピッ、ピーーンあれって「ラ」の音らしいです。
May 30, 2006

本当にご無沙汰です。想像していた学生生活とははるかに違い、忙しくはあるけれど、充実した毎日を送っています。教育実習(見学実習:1週間)も終わり、本当に学ぶことの多い1週間でした。やはり附属学校はスゴイです!何がスゴイって、子ども達の自発性がいたるところに見られ、わかる子が、わからない子に教えたりと、子ども達の中での学びあいがとても多い。教師はあくまでそれをうまく補助しているという感じでした。さて、毎日いったいどれくらいの文字を書いているんだろうと思うくらい、レポート漬けの毎日ですが、昨日は久々の休みで、コンサートに行ってきました。ユーミンのコンサートは今年でいったい何回目だろう。初めて行ったのが高3だから…。いつもいろんな思い出がある。前回なんて、コンサート会場で元彼女と思いっきり喧嘩してしまったし…。さて、今回の「The Last Wednesday Tour」は、5/24に発売になったユーミンのアルバム「A Girl In Summer」からの構成が中心。今回のアルバムは、ここ数年のアルバムの中でダントツ光っている素敵なアルバムです。コンサートは、昔のような機械仕掛けのコンサートではなく、衣装替えも少なく、アリーナツアーにしてはシンプルな感じでした。印象は、とても切ない感じを受けたのと、照明がとても綺麗だったこと。今回は全20ステージしかないので、あまりお金かけてないのかな…と思いながらも、機械ではなく実力で勝負しようという意気込みが感じられました。52歳とは思えないスタイル。コンサート会場を走ったり、そびえ立つ灯台を登ったり降りたりと、いやぁ~若いなぁ~。「天国のドア」のツアーを思わせる仕掛けもあったりして…。曲が心に伝わってくるコンサートでしたが、次は機械仕掛けのコンサートが見たいなぁ…
May 29, 2006
5/15~5/19までは教育実習のため、しばらくお休みします。教育実習が終わり次第、また再会しますね。
May 16, 2006
~今日の授業より~最近ニュースなどでも話題になっているが、近年、脳科学と教育には大きな関連があることがわかってきた。脳科学と教育については、雑誌Newton等で紹介されているが、まず、脳の中の「前頭連合野(48野)」は主に8歳までに発達する。この前頭連合野は「情動のスーパーバイザー」で、ここの発達が未熟であると、「キレやすい」子どもになるということがわかってきた。ゲームをしているときには、この前頭連合野(48野)が全く働かない=発達しないつまり、ゲームばっかりやっていると「キレやすい」子どもになるのである。では、この前頭連合野はどうやったら発達するのか。この部分は「社会性」によって形成される。外で友達と遊んだり、いろんな社会の場に出たり、いろんな人と話したりかかわったりする中で形成されるとのこと。前頭連合野は8歳までに主に発達するが、特に「5~7歳」の時に発達するとのこと(姉上、そうらしいですぞ…)ちなみに、小さいときから英語教育だ、お勉強だと教育させると、この「前頭連合野」の発達が阻害されるそうである。
May 2, 2006
昨日がお通夜で、今日がお葬式。小さい頃、通夜に行った覚えはあるが、大きくなってから参列するのは初めてだ。この2年半で、祖父(母方)、祖母(父方)、そして祖父(父方)が亡くなった。残念ながら、祖父(母方)、祖母(父方)については、私がニカラグアにいる時だったので、葬儀には立ち会えなかった。今回、祖父(父方)が亡くなった直後、私の母が倒れたと姉から聞いた。母は集中治療室に運ばれ、3人の医者が対応するほど、普通の症状ではなかったとのこと。しかし、母はその翌日、長男の嫁として、通夜、葬儀に参列した。明らかに母の顔色から、通常の健康状態でないことがわかったが、母は長男の嫁としてからなのか、それとも、祖父(父方)への畏敬の念からだったのであろうか、葬儀には凛として父の傍らにいつもいた。母が倒れたのにはいろいろな事情があるんだろう。私には全てはわからない。でも、この葬儀に参加して、地域が変われば考え方も変わるし、いろんな事を言う人もいるというのを感じた。母はそんな中で、必死にそれを乗り越えようとしてきたのかもしれない。長男の嫁としても…。棺の車が出棺するときに、父(長男)が一番前の席に乗った。式場の人が、「もう一人乗れますが…」というと、その場にいる人たちが一瞬ためらいかけた。正直私も、次男の人が乗るのか、誰が乗って良いのかわからなかったが、着物を着た母が、スッと前に出て見送る両脇の人たちに「ありがとうございました」と深々と礼をし、くるっと向きを変えると、その車に乗り込み、母の足袋が車の中に消えると、ドアがバタッと閉まった。その時、なんかすごいなって思った。言い方は悪いが、極道の女たちの「岩下志麻」みたいな力強さがあった。いつも父の傍らで、半歩下がって遠慮がちの母が、この時は自ら前に出て、そして深々と礼をして乗り込んでいった。なんか言葉がなかった。その一瞬で、母の何年間ものすごさを見たような気がした。
Apr 28, 2006
ご無沙汰です。4/26の晩に「祖父(父方)が亡くなった」との電話。電話は父の携帯からだったが、電話の声は姉からだった。その状況を察するに、大学が始まって間もない私に、父は「帰ってこい」とは言いにくかったのだろう。翌朝一の新幹線で帰りたかったが、なんせこの時期、大学授業の履修登録など事務手続きが多い。そのため翌朝、車で大学に向かう。十数年前の大学時代は、履修登録なんて紙に書いて提出だったが、今の時代、大学内のPCから「履修システム」にアクセスし、生徒が登録するようになっている。昔だったらこういう時、事情を話せば、履修登録用紙を郵便してOKだったと思うが、システムができて便利になったのか不便になったのか…。あ~面倒くさいシステムだなぁ~と思って、最後の確定ボタンを押したときにふと目にとまった文字。「XXX XXXX」←(会社名)えぇぇぇ~~~~~~なんとも、その履修システム。作っていたのは、昔、私が勤めていた会社だった…(>__
Apr 27, 2006

朝、神戸市総合教育センターに出掛ける。外国人児童サポートについて聞きたかったのだが、あいにく担当者不在…。水曜日は授業がないので、研究活動をする予定にしていたのだが、教授に印鑑をもらわなければいけない資料が発覚…。私は教授というのは毎日大学にいて、授業を行って…そういう職業だと思っていた。しかし、今通っている大学の教授の方々は、とにかく忙しいようだ。学会、研究、出張などなど、常に1ヶ月先の予定まで一杯のよう…。昔、大学に行ってたときはそんなイメージはなかったのに、大学によってこんなにも違うのだろうか。ということで、教授が今週は今日しかいらっしゃらないということで、2時間半かけ大学へ。印鑑をもらって、また2時間半かけて帰る…。ちょっと悲しい気もするが、自業自得なので、これを今後に生かす戒めとした。帰りに市場で買い物。最近はスーパーより市場をよく利用する。市場の方が安いってのもあるけど、お店の人とのふれあいが楽しい。今日も豆腐屋でおぼろ豆腐を買おうと思って、ふと横にあるものが目に入った…。湯葉である。おいしいよ~ちょっとお醤油たらしてもいいし。でも、お兄ちゃんおぼろ豆腐買うんなら、こっちのほうがお勧めやわと出てきたのが、「湯葉豆腐」豆腐を作ったときにできる一番上の層にのみできる豆腐(湯葉)だそうだ。いつもあるとは限らんけど、今日はお兄ちゃん運がええわ。そうそう?じゃぁ決めた!ってことで、おぼろ豆腐を湯葉豆腐に変更!こんなちょっとしたことでも、会話できることがうれしい。スーパーには何でもあるけれど、このふれあいは、スーパーにはないものかもしれない。
Apr 26, 2006
今日は楽しみな音楽の授業があった。前回もこの授業では新しい発見や知識を知ることができたが、今回もビックリすることがあった。みなさん、音階と階名の違いってわかります?音名 … ハニホヘトイロ、CDEFGAB階名 … ドレミファソラシドここまでは何となくわかる気がする。私は10年くらいエレクトーンをやってたので、ある程度音楽については自信があったのですが…音名…動かない階名…動くこの概念、わかります?つまり、ドレミファソラシドは動くんです。例えば、ピアノで「ソ」の音を弾いたとします。でも、その音は「G(音名)」であって、「ソ(階名)」ではないんです。つまり、「ハ(音名)(Cの鍵盤)」を「ド(階名)」と言うときに「ハ長調」で、「ト(音名)(Gの鍵盤)」を「ド(階名)」と言うときに「ト長調」なんです。この場合、「ド(階名)」は動いてますよね。鍵盤が無いので、うまく説明できてないかもしれませんが、これを聞いたとき、本当に「へぇ~!!!」って思いました。今まで思ってた概念が崩れたって感じでした。ちなみに、ドレミファソラシドは今から1000年前にできた呼び方だそうです。それと、例えば「ド」の音には、「ソ」が含まれているってこと。ピアノの鍵盤で「ド」をそっと押しながら、「ソ」を弾くと、この2つの音が共鳴(共音)するんです!これはどういうことか。つまりドとソは倍音の関係にあって、それらの共鳴する音のグループが、「和音」になるそうです。いやぁ~何気なく弾いているピアノも、奥が深い…
Apr 25, 2006

最近やっと新しい生活にも慣れてきた。平日は朝5時起き。今日からはお弁当を作っていくことにした。だって学食、不味過ぎだし…。6時からひと泳ぎ&お風呂。これをするとサッパリして気持ちが良い。7時のバスに乗るため、バスターミナルに向かって歩き、角を曲がると…えっ?これって何?いつも歩いている歩行者天国の通りが、絵で埋まっていた。よく見るとこの絵、全部花びらで作ってあるんです!!!まさしく花のじゅうたん。三ノ宮にお越しの際は、是非ダイエー北側を通ってみて下さい(ちなみにいつまでやってるかは不明です…)これを見ていると、ニカラグアのアルフォンブラという私が住んでいた町で4月に行われる祭典を思い出した。このアルフォンブラは、花びらではなくおがくずで宗教画などを描くものだ。朝から素敵なものを見せてもらって、なんか早起きして良かったと思った。が…バスに乗って気がついた。やばい!時計を何処かに落とした…。時計は見つからず…あ~俺のハミルトンの時計がぁ~~~(>_
Apr 24, 2006

昨日「初等理科」の授業があった。小中高レベルの理科の内容だが、この日は「物理」だった。高校生の時は理系だったので、「物理・化学」を専攻していた。今日の単元は「力」「てこの原理」は…なんて話しから始まったかと思ったら、「ニュートン」という言葉…?アイザック・ニュートンのこと?あの万有引力の法則の?と思ったが、そうではない。「ニュートン」とはどうやら単位らしい…1ニュートンは、1キログラムの質量をもつ物体に1メートル毎秒毎秒(m/s2)の加速度を生じさせる力とのこと。私が習ったときは、そんな単位なかったぞぉ~~~と、隣のストレートマスターの友達(22歳)に聞いてみたら、ニュートンで習ってるらしい…。私が物理を習ったのは今から13,14年前…後々調べてみると、以前は中学校までの理科教育でキログラム重が用いられていたが、国際単位系(SI)を導入するため、現在の中学校では質量約100グラムの物体にはたらく重力を1ニュートンと定義して教えている。とのこと…私の時代は、1キログラム重だったのに、今は1ニュートン(N)。単位名が変わるだけならともかく、1キログラム重=9.8ニュートンなんて…わかりにくい…(私にとっては)物理以外にも、もっと変わってる科目や単元がありそう…あ~、時代は常に変化してるんだ…そう感じた一日でした(>_
Apr 22, 2006
前回の大学生の授業態度について。彼らの授業態度については、やはり彼らだけの責任ではないように思う。結局、彼ら大学生はその授業に必然性や目的が見いだせないので、授業を聴かなかったり、私語をしたりするのだと思う。この大学は教員養成を主としているので、将来教員になりたいと思っている学生が多いのだろうが、現に、やる気のない学生が多いのは事実である。そのやる気や目的が見いだせないのは、決して、彼ら大学生のみの責任ではない。小中高での教育や家庭での教育が影響しているところが多いと思うし、私は特に、社会との接点があまりなかったのも彼らが将来に何も見いだせない要因のひとつではないかと思う。ある本にこう書いてあった。~「こどもの成長段階とは、自己中心的な世界から抜け出ることである」「ジコチューから抜け出て、自分と他者との関係を客観的に捉えられるようになることが大切」~自己中心的から、いかに場の空気を読める人間になるか。他人に迷惑をかけなければそれでいいというのとは違う。自分以外の人を大切に思えること。そうあって欲しいし、そういう教育を目指したい。
Apr 21, 2006
小学校免許プログラムを受講しているので、大学院の授業 + 大学の授業両方を受講することになる。そうなると、受講している生徒の世代も変わってくる。大学院の授業は、ストレートマスター(大学卒後の学生)もいるし、現職教員の方もいる。教授も聞く方もみんな熱心である。大学の授業は、ほとんどが学部生(1、2年生)なので、年齢も18,19歳といったところだ。だから、若い。それに加えて、うるさい。まだ高校を卒業して大学に慣れてないのと大学に入ったのがうれしいという気分もあるのか、とにかく私語が多い。こっちは真面目に聞きたいのに、周りで騒がれては、授業に集中できないし、聞き取れない。携帯でゲームをしている奴、落書きをしている奴、寝てる奴、いろいろいるが、うるさいのは困る。そんなに授業、受けたくないのかなぁ~って思う。自分が大学生の頃って、どうだったんだろ?って思い返したりするが…
Apr 19, 2006
大学院の授業が始まって一週間。今日は2限目に「初等音楽科教育法」という授業があった。大学教授にはいろんな方がいるが、今日のこの講義の教授は、とても素敵な授業をして下さった。小学校では、音楽の専門ではない小学校教員が教え、中学校では、音楽の専門である音楽教員が教える。ほとんどの小学生が「音楽」の授業を好きと答えるが、中学生になると「音楽」は嫌いと答える子が増える。専門教師が教えるのに、嫌いな子が増えるのはなぜか?「おんがく」には、2つの軸がある。X軸方向 … 音「学」(知る→わかる→できる)Y軸方向 … 音「楽」(感じる→思う→はまる)このX軸とY軸、つまり「音学」と「音楽」のバランスが取れてなければならないのに、中学時代になってくると、音「学」のみの方向が強くなり、音楽の授業は、いつの間にか「音学」となっている。という授業の内容だった。他にもたくさん興味深いお話をして下さった。大学院は研究をするところで、授業の内容には重点を置かないと言われる教授もいるが、いかに生徒を惹きつけ、楽しく、そして心に残る授業にするか、そして学ばせるかということも大切だと思う。教師を教える教師なんだから。
Apr 18, 2006
大学院にも少し慣れ始めた今日この頃。ショックなことが2つ。1つめは、現在私は「総合学習系」コースに在籍しているが、このコースが、来年から無くなるということ。総合学習系コースは、・情報教育・環境・異文化理解の3分野からなるが、来年度から、他の専攻学科に吸収されるとのこと。ということは…後輩が入ってこない…ということになる(>_
Apr 17, 2006
昨年の11月に受けたDELE。DELEとはスペイン政府が行っているスペイン語検定。詳細はhttp://plaza.rakuten.co.jp/granblue/diary/200511190000/その結果の書類が届いた。(試験から5ヶ月後って遅っ…)Nivel intermedio(中級)合格!やった~!でも、合格証書は「1年半後のお届けとなります」って…1年半後?!スペインらしい…。
Apr 14, 2006

今日は大学院専攻コースでの歓迎会。先輩、教授、そして私たち1回生。たいてい教授同士ってのは仲が悪く、ギスギスしているところが多いらしいが、ここの専攻は、研究されている内容がみなさんバラバラということもあって、教授同士もすごく仲が良い。先輩方も優しいし、大学院生でも現職教員半分、ストレートマスター半分といった具合で面白い。飲み会終了後、もちろんバスはない…。最終電車が21:54。駅まで送ってもらうと無人駅で、誰もいなかった…。うぅぅぅ~寒い…。目が覚めたら、寝過ごしてた(>_
Apr 13, 2006
長かったオリエンテーションが終わり、いよいよ今日から授業開始!朝5時半起き、6時半に家を出て、朝7時のバスに乗る。予定では、バスセンターに8:23着。そこから8:35発のバスに乗り換えて、大学院には8:50着。の予定が…おおお~渋滞です…早く、早く…心は焦るが、バスは進まず…(>_
Apr 12, 2006
先週から大学院のオリエンテーションが続く…。今日も朝10時から、「教育支援システム」とやらのオリエンテーションがあるので、片道2時間半かけて、学校に出掛ける。朝早起きするのは嫌いではないが、さすがに片道2時間半はつらい…。しかもバスは2時間に一本…。朝10時からのオリエンテーション。この教育支援システムを使えば、履修登録がWEB上でできたり、e-ラーニングや欠席通知などいろいろなことが可能となるらしい…。その説明。30分で終わった…。え~。30分の説明のために、俺は2時間半かけてここまで来たのかよぉ(>_
Apr 11, 2006

大阪府の教育支援事業の一環である外国人児童のための教育サポート。今日はその交流会が行われた。この4月に高校一年生となる新入生、在校生、学校の先生、通訳の方や教育サポーターが集まり、会場は100人以上もの人、人、人。私も今回は運営ボランティアとして参加。受付を担当したり、会場設営など。高校生の出身国は、やはり大阪の土地柄か、中国がダントツ多い。韓国、ベトナム、ペルー、フィリピン、ロシア、ブラジルなどなど…。彼ら新高校生にとって、これからの高校生活に不安を抱く点は多いようだ。ただ、在校生からは、「友達をつくる」というアドバイスが、どの子たちからも出ていた。同じ学校に通うことになる人たちや、同じ母語で集まったりして、彼ら同士いろんな話しをしたようだ。やはり同じ言語(母語)で話ができたのは、とてもうれしかったようだった。私も久々にスペイン語を使って、彼らと話すことができた。私が驚いたのは、彼ら外国人児童たちの日本語の上手さだけでなく、彼らはちゃんと年上の人には敬意を払い、敬語を使って、きちんと話ができること。今の日本の高校生と比べるわけではないが、日本に来てまだ数年の彼らが、敬意を払う、敬語を使うといった日本の慣習を身につけていることに驚かされた。
Apr 9, 2006

NewBalanceここの靴を履きはじめてもうどれくらいになるだろう。大阪四ツ橋にあるNewBalanceの大阪店に出掛けた。NewBalanceの靴は、街の靴屋で売っている。しかし、NewBalanceの直営店(現在は東京と大阪のみ)は普通の靴屋とは違う。何が違うか。それは行けばわかる。普通の靴屋なら、気に入った靴のサイズを出してもらって、サイズが合えば購入となる。しかし、このNewBalance直営店は、まず試着する前に足のサイズ、甲の高さを測る。そして店員の方は、実際に手でその人の足の形をさわって確かめる。母の場合、左足が少し長かった。私の場合、両足とも足の長さ、甲の高さとも同じであった!!!こんな人は珍しいらしい…。靴を試着して、・その人の体重バランスによって中敷きをいれたり、・靴ひもの素材を変えたりしてくれる。また、足の形にそって、靴の皮を曲げたりするのである。試着する前には、買う気20%以上あれば、試着して、店員の方に靴のフィッティングをしてもらうと買う気が20%→100%になってしまうのである。それほどいつの間にか、足に靴がぴったりフィットしてしまうのである。靴はオシャレのひとつ。でもその前に、足は第二の心臓ともいわれるくらい、体を支える大切なところ。だからこそ靴は多少のお金をかけても、自分にあったものを探したいものである。本当にこのNewBalanceの店員さんは、足のお医者さんという言い方がぴったりである。今回私は「996」シリーズを購入。母は、「1400」シリーズを購入。大きめの靴を履いて危ない目にあった母は、自分にぴったりの靴が見つかって、うれしそうだった。
Apr 8, 2006

今日は入学式。今日から新しいスタートだ。この大学はもともと大学院としての設立のみだったので、学生の数も、大学院生の方が大学部生より多い。入学式典での学長の話は非常に興味深かった。・資格や試験にパスするためではなく、自分自身のために学ぶこと・クサさを出さず、バランスをとること1時間ばかしの入学式を終え、近くのフランス料理屋へ。田舎にあるフランス料理店だが、値段も安く(ランチコースで1800円)、味は格別!(メインのマナガツオのポワレ、最高でした…)午後はオリエンテーション。そして明日もオリエンテーションは続く…
Apr 6, 2006

今日から4月。4月というのにまだ寒い。一昨日は雪が降ってた。こんなに寒かったっけ?今日は桜ノ宮@大阪で花見。といっても、到着したが桜は全然咲いていない…。一分咲きぐらいだった(>_
Apr 1, 2006
先日より広島に帰省。ニカラグア時代の協力隊友人と久々に広島で再会。それぞれの進路や、他の隊員達の進路先や現況などについて話し合う。みんなやりたいことを求めて、いろいろ挑戦している。いろんな時代の友人がいるが、協力隊の友人は、次のステップに挑戦し続けている人が多い。そんな彼らの話を聞いていると楽しく、自分も頑張るぞ!という気持ちになる。私にとって、とても大切な友達だ。
Mar 30, 2006

先日から両親が神戸を訪れているので、ここ2,3日は神戸の街をブラブラ。4月から通う大学院に出掛ける。レンタカーを借り、自宅から大学院に。かなり遠いと思っていた大学だが、車で行くと45分弱で到着した。公共交通機関で行くと、2時間はかかるので、やっぱり車かぁ~と思いながらも、車を買うお金もないし、駐車場も2万円するので今の私には無理…。(でも三菱の「i」が欲しい~)仕方ないが、大学へのバスが2時間に1本というのはどうにかして欲しい…。日曜日ということもあって、大学内は静かだった。両親は初めての大学訪問。そして私は3回目。意外にもそんなもんである。(梅が咲いていました)帰りは、温泉に立ち寄ったり、明石に寄ったりして久々のドライブを楽しんだ。(素敵な温泉でした。ここで野球:日本ー韓国戦を観戦)
Mar 19, 2006
2月から小学校5年生の算数を教えている。まだ受験は意識してないようだが、ご両親は受験を当然考えていると思う。ここの家庭教師センターは、前にも話したように時給が高い。プロの家庭教師をうたっているので、家庭からも高額な月謝をもらっている。高額な月謝を払えるのは、大抵金持ちのみである。家庭教師先の親は、大抵「医者」である。私たち家庭教師も、試験や面接にパスして、この家庭教師センターに登録することになる。時給は確かに高いが、私たちがもらう給料の2倍以上を家庭からもらっているのには驚いた。私の家庭教師代は、時給8000円なのである。一回2時間なので、この小学校5年生の子に私は2時間で16000円の授業をする必要がある。これには前から疑問を感じていた。確かに予習をして、どのように教えればいいのか研究もする。2時間の授業では最善をつくす。センターから私に支払われる給与は2時間で6000円しかし、この子からは2時間で16000円もらうことになる。私の授業が16000円に値するのだろうか。そんなことをずっと考えていた。でも、大学院に行く授業料なども稼ぐ必要があったので、時給の良いバイトと割り切って、この仕事を続けていた。しかし、その仕事も終わるときが来た。私の担当していた子は、灘中学を目指すそうである。私は基礎を教えるのが担当なので、灘中レベルの算数テクニックを教える技術を持っていない。そのため新しい先生に代わることになる。次回からは新しい先生で。私が担当していた子と別れてからその旨を家庭教師センターから知らされた。自分が悩んでいた給与対価の問題から解き離れた安堵感と、もうその子には会えないんだそして、その子にさよならが言えなかった寂しさなんか空しい気持ちになった。この仕事を通してわかったこと。私は受験を目指す子どもに教えるのよりも、子どもたちに基礎を教えるのが好きみたいだ。
Mar 18, 2006
デトロイト発関空行。14時間のフライトはさすがに長い。東行きは10時間のフライトだったのに、西行きとなると14時間。それだけ偏西風の影響を受けるのだろうか…。ノースウェストの機内食は、昔に比べれば美味しくなったが、やはり他の航空会社と比べるとマズイ方に入る…。白飯なんて食えたものじゃございません(>_
Mar 15, 2006

朝3時半、目が覚める。というか、起こされた。同室の酔っぱらい若者軍団が帰ってきたのである。電気はつけるわ、酒は飲むわ、携帯で話すわ…あまりにウルサイので、日本語で「うるさい!」と怒鳴ったら少しマシになったが、あまり寝付けなかった。朝の5時には、俺の携帯アラームでたたき起こしてやる!!!と思ったが、やはりそこは日本人の習性か、朝5時に鳴った時には、すぐにアラームを止めてしまった…。朝は空港行の市バス直通(236)があるので、これに乗って空港へ(1.5ドル)。以前マイアミに来たときは、時計を間違えてセットしていたので、空港に40分前ギリギリ着だったのだが、今回は2時間半前チェックイン。でも、することがないのよ…これが@マイアミ空港。朝食を軽くとる。スペイン語が通じるので楽だ。本屋でスペイン版のハリーポッター第6巻とSinBanderaのMananaというCDを購入した。定刻通りマイアミからデトロイトへ。デトロイトでは乗継に40分しかないので、そのままゲートに。デトロイト発大阪行は満席だった。この便は大阪を経由し台北に行くので、台湾人が多い。連日ノースウェスト航空のページを見て、やっと通路側を押さえることができたのだが、隣の台湾人に、「通路側と変わってくれませんか?」と言われた。数時間のフライトなら変わってあげても良かったが、なんせ14時間のフライト。病気なので無理、と嘘を言って断った。14時間のフライト@エコノミー。ちょっときついなぁ…やっぱ長時間フライトはビジネスがいい…(>_
Mar 14, 2006

朝6時、目が覚める。近くにあるパン屋に行って朝食をとる。ほとんどの会話がスペイン語だ。マイアミはほとんどの場所でスペイン語が通じるので楽だ。泊まっていたユースホステルを出る。ここは今日の部屋が空くかどうかわからないので、既に予約したSouthBeachHostelまで移動する。SouthBeachHostelの部屋に入って驚いた。ドミトリーではあるが、男女混合なのである。とりあえず荷物を置いて、外に出る。バス(S)に乗ってAventuraMallを目指す。ここはマイアミ最大級のショッピングモールである。バスで1時間。ここは前回も来たので、迷うことなく来れた。財布の紐が緩んだのか、少しばかり買い物をした。ここAventuraMallは、マイアミの北に位置するのでほとんどフォートロダデール(隣の街)に近いが、働いている店員はスペイン語で会話をしていた。当然のことながら、入店すると私には英語で話しかけてくるが、スペイン語で話しかけると、そこからスペイン語の会話が始まって楽しい。「スペイン語話すの?」「どこから来たの?」ペルー人やウルグアイ人などが多く働いていた。ちなみにニカラグア人とは一人も会わなかった…。お昼をモールの中で食べる。前回と同様、中華ファーストフードを食べる。中華は世界どこに行っても食べれて安くてウマイ。このファーストフード街で、変なものを見つけた。一番はやっている店で、長蛇の列だ。なんと、日本料理らしい。らしいというのは、この写真を見て欲しい。店名が、「Sarku」ん?サルク?サーク?日本名にはそんなのないぞ…。怪しくなり、店メニューをのぞきに行くと、「Sushi」と「テリヤキ」メニューのみだった。でも、見るからにテリヤキメニューは、「中華料理+なんでもテリヤキ」っぽいのである。いかん!こんなのが日本料理と思われては…。しかも、長蛇の列で、この人達は長時間待ってこんな日本料理まがいのものを食べるのか…。まぁ、そう思いながらもご飯を食べ、ウィンドウショッピングを楽しんだ。ここから、フォートロダデールへは、フォートロダデール市?が運行しているバス(1)に乗る。値段は、マイアミ市と違い、1ドルと安い。バスに揺られること1時間で、フォートロダデールの街に着いた。このフォートロダデールは、運河の街で、別名「アメリカのベニス」と呼ばれているらしい。その名の通り、たくさんの運河が街の至る所を流れ、水上タクシーがあったり、船が通る度に道路の橋がウィーンとあがったりする。ここで夕方まで過ごして、マイアミに戻った。ユースホステルのSouthBeachHostelに戻ると、既に夜12時前なのに、8人部屋のドミトリーには誰一人いなかった。やっぱり土地柄、若いのも(ユース)はDiscoにでも出掛けているのだろう…。それにしても汚い部屋…。部屋からは無線でネットができたので、少しばかりネットをして夜1時、床につく。明日は朝5時半起床だ。
Mar 13, 2006
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