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北 博典

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坂東太郎G @ チャンプルーの舞台(04/27) 「石垣の塩」に、上記の内容について記載…
くーる31 @ 相互リンク 突然のコメント、失礼いたします。 私は…
2008年11月02日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ロスタイムできっちり決めた助っ人ウェズレイ、36歳の今も決定力は相変わらずですね。
・・・以下スポーツ報知 2008/11/2 8:02 より ・・・

大分初Vで結実!東大卒・溝畑社長の献身…ナビスコ杯

 ◆ヤマザキナビスコカップ ▽決勝 大分2-0清水(1日、国立競技場) 大分が2-0で清水に快勝し、初優勝を果たした。

 背負った十字架を下ろせる時がきた。“脱・キャリア社長”として奮闘した15年間の結晶。溝畑宏社長(48)が、万感の思いで国立を舞った。「大分にかかわった、すべての人の思いを持って勝つことができた」東大法学部から自治省へ入省。転機は1994年だった。

 2002年日韓W杯の誘致活動に伴い、大分県企画部次長として赴任。サッカー経験はなかったが、「自治省の仕事は地方を元気にすること。サッカーを通して、大分を活性化させるんや」と大分トリニティを創部。ゼロからのスタート。練習グラウンド、事務所もない。資金集めに奔走し、自身も営業活動に繰り出した。1日で50社以上のスポンサー探し。1000万円以上にも及ぶ私財を投げ打ち、貯金は底をついた。

 九州リーグからの出発。マウンドを削り平らにした野球場でのトレーニング、遠征は大広間での雑魚寝。「観衆3人」という惨状も経験した。JFL時代の1997年。天皇杯で桃山学院大に敗れ、心ないサポーターに石を投げられた。辞意を固めたその日の夜。自宅で横になり、ふと天井を見上げた。翻意させた1枚の紙切れ。超満員のスタジアムを描いたイラスト図だった。「J1に上がってスタジアムに3万人を集める。この夢を実現させなアカン」鋼の意思で大分への忠誠を誓った瞬間だった。

 両親との死別、離婚も経験した。4年前の社長就任と同時に国家公務員の肩書を捨てた。「逆境がきても『逆境さん、いらっしゃい』の気持ちで踏ん張るんですよ」メーンスポンサーの撤退、経営不振も乗り切り、ついに栄光をつかんだ。県リーグ出身クラブのタイトル獲得は史上初だ。「心をひとつにすれば勝てる。みんなにありがとうと言いたい」120万人の県民が待つ故郷へ、最高のプレゼントを持ち帰る。

 ◆溝畑 宏(みぞはた・ひろし)1960年8月7日、京都府生まれ。48歳。東大法学部を卒業後、85年に自治省入省。財政局を経て90年に大分県へ赴任。大分トリニティ創設、2002年日韓W杯における大分開催の運営などを担い、00年に大分ゼネラルマネジャー就任。04年に社長就任。趣味は野球、宴会芸、昆虫飼育。座右の銘は「不将不逆」「他人のやらないことをやる やってから考える」。







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Last updated  2008年11月02日 11時17分44秒
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