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2018年09月07日
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小野剛氏が語る「日本らしさ」の真の意味
宇都宮徹壱2018年9月7日(金) 11:00


前提として──再びクローズアップされたジャパンズ・ウェイ
FC今治のスタッフでありJFAの技術委員でもある小野剛氏に話を聞いた

 平成最後の8月、その最後の週末を今治で迎えた。今年で4回目となった、育成年代の大会『BARI CUP(バリカップ)』。今年はU−15、U−13、U−12、U−10、そしてレディースの5つのカテゴリーに分かれ、8月初旬からほぼ1カ月にわたりさまざまな大会やイベント、指導者講習会が行われた(U−10の大会は、9月16日にトップチームの試合の前座として行われる)。


 25日には、FC今治コーチディベロップメントオフィサーの小野剛氏による指導者講習会が行われ、私も取材と称して参加させていただいた。テーマは「ワールドカップ(W杯)2018からみた育成年代への提言」。FIFA(国際サッカー連盟)インストラクターであり、JFA(日本サッカー協会)技術委員でもある小野氏のプレゼンテーションは、予想に違わず非常にクオリティーの高いものであった。こうした講習会が今治で行われること自体、実に意義深いものに感じられる。参加者も同様の思いだったはずだ。


 さて、今回の取材の主目的は、その小野氏へのインタビューである。現在、今治に籍を置きながらも生活の拠点を東京に戻し、関塚隆技術委員長のサポート役としてJFAに復帰した小野氏。そんな彼にぜひとも確認したかったのが、このところJFAから盛んに聞こえてくる「ジャパンズ・ウェイ」についてであった。ジャパンズ・ウェイ──先のW杯でセネガルに引き分けた時、現地で視察していた田嶋幸三会長が「こういう戦い方をすれば、日本人の体格でも世界と渡り合える」として口にしていたのが、ジャパンズ・ウェイであった。以下、JFA公式サイトから引用する。


《足りないものは高める努力をしつつも、世界基準よりも勝る日本人のストロングポイントをさらに伸ばしていき、それを活かして日本人らしいスタイルをもって戦っていくJapan's Wayとは、特定のチーム戦術、ゲーム戦術を指す言葉ではなく、日本人の良さを活かしたサッカーを目指すという考え方そのものであり、イメージの共有のための言葉です。》(「日本が進むべき方向性 Japan's Way」より)


 当初は聞き慣れない言葉に感じられたが、田嶋会長によれば「06年に、当時の小野技術委員長が提唱した」と語っている。果たして、それは事実なのか? そして12年の時を経て、なぜ再びジャパンズ・ウェイはクローズアップされることになったのか。今回の取材に先立ち、私は小野氏が技術委員長だった06年から10年の『JFA Technical news』を読み直し、「Japan's Way」の記述があるページをコピーしておいた。「よくここまで調べましたね」と苦笑しながら、小野氏はW杯ドイツ大会が終了した06年の状況から語り始めた。





バリカップで行われた指導者講習会に登壇した小野氏

 私が田嶋さんの後任として技術委員長となったのは、06年のW杯が終わって新体制になってからでした。この時の『JFA Technical news』で、私はこのように大会を総括しています。《日本人の特長を生かした、日本人としての闘い方を追求していく。「全員がハードワークする」というこの傾向は、日本人が特性として最も力を発揮できる部分であると考えている。》──これが「ジャパンズ・ウェイ」という考え方のベースとなりました。

私が初めて「ジャパンズ・ウェイ」という言葉を使ったのが、06年の11月だったと思います。千葉県で技術委員会の合宿をやったのですが、その時に作成したパワーポイントに残っていました。この時の合宿には、アカデミーダイレクターの布(啓一郎)さん、女子の上田(栄治)さん、あと風間八宏さんもいましたね。そういう面々で「日本のサッカーはこれからどういう方向へ進むべきか」ということを、1泊2日で話し合ったんですね。そこでキーワードとなったのが「ジャパンズ・ウェイ」と「打って出る」でした。


 当時の状況を説明すると、ドイツでのW杯が残念な結果に終わったこともあって、日本サッカーを卑下する傾向が強かったんですね。「日本人は農耕民族なんだから、そもそもサッカーに向いていないんじゃないか」とか(苦笑)。もっともサッカーだけでなく、テレビをつけても「日本の常識は世界の非常識」とか「だから日本人はダメなんだ」みたいな、どちらかというとネガティブな内容のものが多かった時代ですよね。


 でも本当に日本人は、サッカーに向いていないんだろうか? 「日本人にはマリーシア(ずる賢さ)が足りない」というけれど、そもそも武士が後ろから斬りつける文化なんかなかったわけですよ。マリーシアだけでなく、フィジカルでも足りないところは確かにある。でも一方で日本には、素晴らしい面もたくさんあるじゃないか。協調性とか、自己犠牲とか、持久力とか。テクニックだってそこそこある。育成のシステムにしたってそうですね。「ヨーロッパでは16歳までにクラブと契約しないとプロになれない。日本も学校の部活でなく、育成をクラブに絞ったほうがいいんじゃないか」といった意見もあります。


 でも、ちょっと待てよ。日本にはこれだけ学校の施設があって、情熱を傾けている指導者もたくさんいる。そんな国、世界中のどこにありますかという話ですよ。「ドイツはこうだからこうしないと」とか、「オランダのこういうところを取り入れないと」とか、コピー&ペースト的な論調が当時はたくさんありました。でもわれわれは日本人であり、日本には日本の良さがある。「足りないからダメだ」じゃなくて、日本ならではの良さで世界に打って出る。そして勝っていく。そういった「ジャパンズ・ウェイで打って出る」ということを、1泊2日の合宿の中で徹底的に話し合った記憶があります。




技術委員会に自信を与えたオシムの言葉
「日本には日本の良さがある」と主張し続けていたオシム

 06年は、ちょうどイビチャ・オシムさんが代表監督に就任したタイミングでした。オシムさんといえば「日本サッカーを日本化する。すなわち、私の大きな仕事はジャパナイゼーションだ」という言葉でした。なぜ「ジャパナイゼーション」なのか。要するに「日本には日本の良さがある」ということ。これは裏返せば、「なぜ日本人は良いものを持っているのに、他国のものをコピー&ペーストしようとするのか?」という彼なりの皮肉だったんですよね。


(ジャパンズ・ウェイは)もちろんオシムさんの影響も受けています。私も技術委員長として、代表監督であるオシムさんと話すことが多かったですから。オシムさんが日本のどういったところを評価していたのかというと、やっぱりディシプリン(規律)であるとか、コレクティブなところであるとか、チームへの貢献といったところですよね。あとはハードワークすることも重視していました。そういったところも含めて「小野さん、あなたが思っているより、日本のサッカーって素晴らしいんですよ」ということを、よくおっしゃっていました。


 オシムさんは、外側からの視点を持っていたからこそ、そういうポジティブな見方ができたんだと思います。そういう意味では私も、海外での仕事も多く「外側からの視点」を持っていた方の人間だと多少の自負はあります。私はよく(ソ連の宇宙飛行士の)ユーリ・ガガーリンの話をするんです。ガガーリンは世界初の有人宇宙飛行を経験することで、「地球は青かった」ことに気付いたわけです。われわれの世界も同じで、外に出ることで初めて「日本サッカーは世界からこう見られているのか」ということに気付くことができるわけです。





 そういう意味では、やはりオシムさんの影響は大きかったと思いますよ。そして、われわれが気づかなかった日本のポジティブな面というものも、あの方はよく理解していました。そういえばオシムさんは、こんなこともおっしゃっていましたね。「今後、外国人の指導者が日本代表の監督になる場合、『君たちのポテンシャルは高いんだよ』と思っている人でないと難しいだろう」と。逆に言えば、「日本は弱い」とか「まだまだ世界と距離がある」と言うような人だと、難しいということなんでしょうね。



南アフリカではベスト16に到達したけれど
小野氏と岡田武史氏との信頼関係は長きにわたって続いている

(オシム監督が病に倒れて)岡田武史さんが日本代表監督となりました。ちょうどW杯予選がスタートした08年の夏、ユーロ(欧州選手権)でスペインが初優勝しましたよね。あれは非常に画期的な出来事でした。スペインのスタイルについて「(身体が)小さかったら、少しだけ賢くなる必要がある」と語ったのはジェラール・ウリエ(編注:かつてリバプールなどを率いたフランス人監督)です。「賢くなる」というのは、要するにレーンの間を生かしながら、さまざまな選手が顔を出してゲームを作っていく、ということですよね。あれは実に革命的な事件でした。


(スペインの優勝は)岡田さんにも大きな影響を与えたと思いますよ。「なるほど。体格で劣っていても、やり方次第では勝てるんだな」と。あるいは「日本人に向いているサッカーを突き詰めれば、絶対に(世界に)勝てるはずだ」と。ここで勇気を得た岡田さんは、「接近・展開・連続」というフレーズを使うようになります。ヒントとなったのは、早稲田のラグビー部の監督だった、大西鐵之祐さん(故人)の言葉です。これもまた、岡田さんが考えるジャパンズ・ウェイだったと思います。





 岡田さんとしては、理想を追求しながらチームを作っていったんだと思います。けれどもリアリストでもあるので、最終的には「この相手と戦う時には、どうしたらいいのかな」というところから戦術を考えて、ひとりひとりの選手の良さを最大限に発揮させて、その上でベストの戦いをしたんだと。とはいえ「ジャパンズ・ウェイで世界を制する」ということで言えば、あの時の日本はまだそこまで到達していなかった。今後も育成に力を入れることでタレントが育って、そういうスタイルの中で戦っていけば「いずれは」という思いは、岡田さんの中にあったと思います。その思いが、今治につながっていくと。


 今治つながりで言うと、翌11年のU−17W杯で吉武博文監督の日本代表が、ベスト8という素晴らしい成績を残しました。体格的に劣る日本が、日本らしさを生かしたサッカーであそこまでいけたわけですが、もちろん「ジャパンズ・ウェイの完成形」とまではいっていなかったと思っています。世界のサッカーは、ひとつのテーゼが出てくると必ずアンチテーゼが出てくる。(ポゼッションを追求する)あのスタイルに対抗するサッカーが出てきたときにどう対応していくのか。それでも、ひとつの可能性を示してくれたと思っています。



ジャパンズ・ウェイから「岡田メソッド」へ
バリカップでプレーする子供たちは「岡田メソッド」で育っていく

 私が技術委員長だった当時、「ジャパンズ・ウェイ」という言葉をよく使っていたのは、むしろ内側に対しては私で、外向けには布さんだったと思います。第4種での8人制への移行、あるいは育成年代のリーグ戦導入の必要性を説くときには盛んに「ジャパンズ・ウェイ」という言葉を使って熱く説いてくれていましたね。その後、8人制が実施されて、プレミアやプリンスといったリーグ戦が整備されたことで、ジャパンズ・ウェイと言う必要性はなくなったのかもしれません。私と岡田さんは10年に、布さんもその後でJFAを離れましたし。


 その後、岡田さんがFC今治のオーナーになって、そこで提唱した「岡田メソッド」のコンセプトに「日本人・アジア人が世界で勝つためのイノベーティブなサッカーの確立」というものをドーンと掲げていますよね。これなんかまさに、ジャパンズ・ウェイの延長だと思うんですよね。そういうサッカーを、今治でやっていきたい。そういうメソッドを使って、選手を育てていきたい。これがJFAだと、いろいろ手続きが面倒だけれど、自分のクラブでなら問題ないだろうと(笑)。


 いずれにせよ「日本人でも勝てるやり方」という考え。そして最近では、メソッドをアジアに展開することも視野に入れているので「アジア人でも勝てるやり方」という考え。そういうサッカーを目指していくために、育成段階でどういうことを身に付けないといけないか。その考え方こそが、ジャパンズ・ウェイですよね。南アフリカではそこまでいかなかったし、JFAからも離れてしまったけれど、岡田さんなりの理想を追求していこうという思いは、ずっと継続しているんだと思います。


 一方で、田嶋さんがなぜ「ジャパンズ・ウェイ」ということを言い出したのかについては、私もJFAにいなかったので詳しくは分かりません。ただ田嶋さんの場合、06年のタイミングで育成や技術といった仕事から、いったん離れてしまっているんですよね。それがJFAの会長にとして再びテクニカル部門も含めて指揮を執っていく中で、「もう一度、みんなで日本のサッカーを築き上げていこう」という思いに至ったのかもしれない。そういった思いから、「ジャパンズ・ウェイ」という言葉が自然に出てきた可能性はありますね。


 私自身は、自分が提唱した時点において「ジャパンズ・ウェイ」という言葉が、それほど影響力があったとは思っていません。それと繰り返しになりますが、ジャパンズ・ウェイがカチッと固まった定義である必要はないとも思っています。システムがどうだとか、ボールの動かし方がこうだとか、そういう意味ではない。考え方の根本にあるのは、日本の強みを生かしていくんだ、ということですよね。そのムーブメントが形を変えて、たとえば今治に受け継がれていく。あるいはJFAでも、もう一度取り組もうとしている。そういった、さまざまな動きにつながっているのではないかと思っています。



結論として──ファンの耳に届いていなかったジャパンズ・ウェイ
ジャパンズ・ウェイの根本は「日本の強みを生かしていく」ことだと語る小野

 以上が、小野氏がジャパンズ・ウェイについて語ってくれたことである。ここで『JFA Technical news』を読み直して、いくつか気づいたことを補足しておく。同誌で初めて「Japan's Way」の記述が見られたのは、08年の27号での岡田氏と布氏の対談。この中で布氏は《世界に出てある程度できるようになってきて、そのサッカーに対して、「『Japan's Way』ってどういうサッカーなの?」というのがいろいろなところで言われています。》と語っており、それに対して岡田氏は《イメージとしてはだいぶ共通理解ができてきていると思います。次の段階にいく過程かなという気はしています。》と答えている。


 この対談は、スペインがユーロで優勝した直後に行われている。よって小野氏が指摘するように、岡田氏をはじめ技術委員会に「日本人に向いているサッカーを突き詰めれば、絶対に(世界に)勝てるはずだ」という認識が広がっていったことは、この対談から読み取ることができる。ところが10年のW杯の総括記事の中には、あれほど強調されていた「Japan's Way」の文字がまったく見当たらない。その理由は、自明であろう。


 その後、原博実氏を長とする新体制の技術委員会がスタートすると、やがて「ジャパンズ・ウェイ」という言葉は聞かれなくなっていく。おそらく日本代表が、3代にわたって外国人監督に率いられたことも影響していたのではないか。そういえばオシム氏は外国人監督について「『君たちのポテンシャルは高いんだよ』と思っている人でないとダメだろう」と語っていたという。今年4月に起こった突然の監督交代と重ねると、オシム氏の言葉は実に暗示的である。


 さて、今回の小野氏へのインタビュー取材は、「ジャパンズ・ウェイの概念は今治の『岡田メソッド』と地続きなのではないか?」という仮説に基づいて実施された。結果として、その仮説が裏付けられただけでなく、ジャパンズ・ウェイが生まれた経緯や、その考え方についてもご理解いただけたと思う。一方で「そんな話、初めて聞いた」と思った方も少なくなかったのではないか。それはすなわち、「ジャパンズ・ウェイ」がJFA内部でのみ共有され、一般のサッカーファンには知られていなかったことの証左でもある。


 今後の日本サッカーが「ジャパンズ・ウェイ」に舵を切るというのであれば、JFAはその定義と理由をきちんとファンに向けてアナウンスすべきである(「HPを見てください」で済む話ではないだろう)。知らぬ間に重要なことが決まってしまうのは、お互いにとって決してよろしいことではない。森保一新監督による新しいA代表が始動するこのタイミングこそ、きちんと説明責任を果たすチャンスではないだろうか。





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Last updated  2018年09月07日 15時16分15秒
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