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今年 一年は 本当に 心身共に 大きく揺れ動いた年でした。 4月の入院から始まり 5月の余命半年の告知 6月から抗癌剤 あまりにも足早に 次々と私の前を 通り過ぎていきました。 11月のパパの死から 今日まで まったく実感なく来ました。 まだまだ 子供たちと お留守番してるような感じです。 でも 入院中 一番 私の心を 癒してくれたのは ブログに 寄せられた 皆さんからの メッセージでした。 PC初心者の私が ほかの方のブログに お邪魔してるうちに 自分でも始められないかと 大胆な決断で 始めたブログ。誰にもいえない 心の叫びを綴ることで 救われ 応援してくれる人に支えられ 今日まで来られました。 あの時 始めなかったら 今の私は いなかったでしょう。 まだまだ 知らないことがいっぱいです。 これからも 皆さんに 教えられたり 励まされたり 色々あると思います。 応援してくれた皆さん 本当に ありがとうございます。 そして これからも よろしくお願いします。 この記事を評価する
2005.12.31
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昼ごろ 電話あり。 そば打ちしてるから 出来たら届けるとの事。 やっぱり 集ってるんだね。 パパも いつも楽しみにしてたものね。 午後 パパの親友のATさんが 打ち立てのそばを もってきてくれた。 見事なそばだった。 パパに お線香を上げていってくれた。 「 ○○(パパ)さん 毎年 そば打ち楽しみにしていたのにね。」と 言ってた。 私は このまま この家で暮らすことが決まったと 伝えた。 安心したような笑顔で また来るよと帰って行った。 ATさん みんな おそばありがとう。
2005.12.31
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大晦日には パパの親友の家に 男たちが集り そば打ちが 行われていた。 パパにとっても 喋ったり 飲んだり 楽しい 一日だったと思う。 私も 買い物や御節つくりに一日が終っていた。 そばが 打ちあがると 「 取りに来いよ 」と連絡が入る。 そのまま帰ることもあったし 延長で飲み会になって行く時もあった。 いつまでも続くと思っていた 楽しい時間。 今年も そば打ちが 行われているのだろうか・・・・・
2005.12.31
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最近 気に障るのは アネハ に続いて登場してる HG の事。 たぶん同一人物のような気がする。自動○○を 使っているらしく 日記を書くたびに やってくる。 不愉快な感じ。 本人の目的は なんなのか解らない・・・・・
2005.12.31
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朝一番に 少し遠いクリーニング店へ行く。 娘の制服だが 4日から 学校なので 近所のクリーニングでは 間に合わない。即日仕上げの 店に行った。 出てきた受付の女性が 不思議そうに私を見てた。 私も改めて よく顔を見ると いとこのM子ちゃんだった。びっくり。 もう2年も前からここで働いているという。会ったのは10年ぶり くらいかも・・・・。 葬儀にお父さん(私の叔父)が参列してくれた お礼を言った。 「 大変だったね・・・・」 とM子ちゃん。 「 うーん 何とかやってるよ。」と答えた。
2005.12.31
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皆さん 大掃除をしてるらしい。 1階は まあ それなりに片付いて いる。 ( 台所は まだだけど ) 2階は 家族以外上がって 来ないので まったく 手付かずの状態です。 パパの荷物が病院から 戻った時とほとんど同じです。 この前 少し出し始めたら パパの 外出用の洋服一式を 見つけました。 大部屋から 個室に移ったとき もう着る事もないと 思いつつ可能性ゼロじゃないしと 置いといた。 もう 着る人のいない洋服は どうしたらいいのかしら?
2005.12.30
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午前中 NHKで白熊ピースのTV見ました。もう 何回も見てるのに ピースがかわいくて また 見てしまいました。ピースと高市さんの 愛情はあふれた ほほえましい様子。 しつけのためには厳しく。 でも また優しく接する。 大きくなっても高市さんに 甘える姿は 小さい時のまま。 本当の 子育ての原点を見せられたように感じた。 信頼して愛情を注ぐ。 愛情を注いで 信頼する。お互いに・・・・ 高市さん「僕の思ってる幸せの形が ピースの幸せとは 限らない。」 それは 普通の親子でも言えることですね。 親として子供の幸せの為 と思っていても 子供には そうじゃないかも知れない。
2005.12.30
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午後 ドコモショップへ行く。引き落し口座がパパ名義の通帳だった ので 私のに書き換える為と 次男 娘の 料金契約の変更。 契約変更は 娘に話してもらう。( よく 解らない ) 次男のは 使いすぎないように限度額の決まったもの。3人とも 先月 機種変更した為 オプションでついてたもの 外してもらう。 担当になった女の子が 研修生だったので いちいち先輩の了解を もらいに行き けっこう時間が かかってしまった。
2005.12.30
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江原さんのTV見ました。 見ないようにしていたけど どうしても 気になり 途中からみた。 15歳の少年と癌で死んだ父親の話。 癌の末期で 全身転移だったとか・・・・想像を絶する痛みだと思う。 それでも息子のそばに居たいという父親の気持ち。本当に心配していたと 思う。その病気を理解できずに 不仲になった事を 反省して仲直り できました。少年を家族として 受け入れてくれた一家の愛情あふれる 様子を見て 良かったなと思った。 まだ こんなに人情のある人が いるんだと嬉しくなりました。 家族がいるって それだけで幸せなん だと思いました。それぞれの方の 天国からの手紙を 聞いて パパも 同じ様な事思ってるんだろうなと 聞きながら 涙が ぼろぼろです。 でも 泣いた後は すっきりしました。 この記事を評価する
2005.12.30
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スーパーに行くと お正月の物で あふれている。 今年は何も するつもりないけど 食べたいものは 買っても構わないだろうと 行くたび数品買ってしまう。 冷蔵庫にストックされてく様子を 見てる娘が 「 どこまで用意するの?」 と言ってる。うーん。 お供え餅用意しないだけで 変わりないよと言ってたのを聞いた事が ある。まあ お客さんもないだろうから 家族で食べるのは 構わない と思うけどね。 実家に 新年の挨拶行くのも普通でいいのかな? この先も いろんな事が 手探りだと思う。
2005.12.30
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ASLの薬で「 エダラボン 」を健康保険適用薬にして欲しいという 署名運動の事が 書かれていたページを 読みました。 署名運動に 参加しようと 用紙を取り寄せました。 僅かでも可能性が あるなら その薬を使いたいと誰もが 望むのは 当然です。 保険の適用か 適用でないのかの基準は どこにあるのかわかりませんが 多くの人が 望んでいるなら もっと適用の枠を 広げて欲しいと思いました。 もちろんそれによって 国の負担が 大きくなる事でしょう。 でも 国民の命を支える事は 国として一番先にやるべき事だと思う。 また そういう事柄を決める場所に 患者がいて 生の声を聞き入れる べきだと思うのですが・・・・。この記事を評価する
2005.12.29
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先月 手続きした 遺族年金が おりる事になりました。 私 娘 次男 三人分。 娘は 来年3月まで 私と次男は 次男が高校卒業するまでです。 これもパパが 国民年金の 積み立てを休まずにしてくれたおかげです。 自営業のため パパも私も 国民年金。 将来もらえるかどうか 不安ながらも 続けてきたおかげです。 今回 年金の仕組みの 奥深さを いろいろ知りました。 苦しくて 銀行をストップした事。 そのあと 調べて 死亡時より一年以内の未納者は 遺族年金の 資格を失う事を知り 急いで未納分を 収めました。 あの時 何も知らなかったらと 思い返してもぞっとします。 世の中には 知らない為に 資格を 失ってしまう人もいると思います。 払うのが 難しくなった時点で 相談できる(信頼できる)窓口が 欲しいと思いました。( 私の相談した窓口では 「 払えないなら 銀行止めればいいでしょ。」と言われた。 あの言葉だけ信じていたら 年金は0だった。 そのあと訴えても無理だったと思う。)この記事を評価する
2005.12.29
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昨夜 NHKでプロジェクトXを 放送していた。 ラグビーの泣き虫 先生の話は もう何度も見てるけど やっぱり感動する。 本当に 生徒の事を 考えてくれる先生。 あんな先生が 学校に一人いて くれたら 子供たちも変われるような気がする。 机の上での勉強しか 教えてくれない先生が 増えてる。 そして 勉強が出来ない子を ダメな人間扱いする先生も・・・・。確かに 勉強は大切なもの。 でも それ以外にも 大切なものがある事も 教えて欲しい。 もちろん 家庭でも 話す事が必要だと思う。
2005.12.29
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帰省していた妹が昨日 帰っていった。 小さな子供3人連れて 大変だったと思う。 パパの法事にも 出席してくれた。 妹から 聞いて驚いたことがある。 小学3年の甥っ子が パパの葬儀の時の 思い出だといって 小さな石を持ち帰ったという。 机に石があるので 妹が外に出そうとしたら 「 ダメだよ ○○(娘の名)ちゃんパパの 思い出なんだから。」と言ったという。まだ 死の意味さえわからない と思っていた甥っ子に 何かを 教えられた気がした。
2005.12.29
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「 しあわせは いつも自分の こころがきめる 」 昨日 コメントで 頂いた言葉です。 胸に ズーンと響きました。 何でもなかった頃 他人の家の 良い所が目について 自分と比べて 「 いいな 」と思う事があった。毎日の 小さな不満ばかり捜して 暮らしていたような気がする。 でも 今振り返ると 幸せの真ん中で 生きていたんだね。 家族が揃っていて みんな健康で 仕事もあって 大きな心配もなかったあの頃 それが目に入らなかった。なくして 初めて その存在の大きさを 感じています。 これから 残った家族 で 力を合わせ暮らして行かなければなりません。 もちろんパパが いた時と同じ様に 戻る事は出来ないけど ちがうかたちのしあわせを 捜すことは できると思います。 私たちが しあわせになる 事を いちばん望んでいるのは パパなのですから・・・・・この記事を評価する
2005.12.29
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スーパーで 無意識に捜していた。 コーヒー・紅茶売り場の前で 「 なんか 楽しくなれる飲み物ないかなー 」と 自分で言った言葉に 自分で驚いていた。 こんな時 何飲んでも 楽しくなれないに 決まってる。 でも もう一人の私が 捜してくれようとしたんだね。 落ち込んでる私を 元気付けようとしてる私がいる。 それが 心のパパかも知れないね・・・・・。 まあ ぼちぼち 気長に行こうよ。 そんな風に 感じた夕暮れでした。
2005.12.28
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天気がよいので コロスケを 洗うことにした。 お風呂場で シャンプーする。 コロスケは べつの犬かと 思うほどおとなしい。 苦労して洗って ドライヤーも時間を かけたのに 外に出たとたん 土の上で ぐるんぐるんしてる。 洗う前より きたない感じだ。 でも シャンプー仕立てなので 土が乾けばきれいに落ちる。 もう少ししたら 毛玉をとったり カットしたりしなくちゃ。
2005.12.28
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生きる事の 難しさを 感じた一年でした 何でも あって当たり前みたいになっていました 最愛の人に 先立たれ その存在の大きさを 感じています 朝 起きれば いるのが 当たり前 仕事が終れば 帰ってくるのが 当たり前 夜も もちろん そばにいるのが 当たり前 そんな風に 暮らしていました パパが 入院してから 夜 家に帰っても パパがいない 体調の良い週末は 家に 帰ってくる でも あっという間に 病院へ帰る そんな繰り返し パパが 帰れなくなってから どんどん 家から パパの気配が 消えていく それでも 病院へ行けば 会えてた 会えなくなって 6週間 長いのか 短いのか わからない時間の経過 この記事を評価する
2005.12.28
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49日の 法要が済んだので 今日は誰も来ない。 義父は 一人で 墓参りに行った。 ダンゴも用意しておいたのに 無言で出かけた。 うーん。やっぱり 割り切るしかないのだろう。 課外の娘が10:30 に帰る。 それを待って お墓参りに行こう。
2005.12.28
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今年も あと4日で 終ります。 今年ほど 激動な年は もう 無いと思います。 私の人生において最大の出来事があった。 まったく 思いもしなかった パパの 病気。 いつも想像したのは もし 私が逝ってしまったら・・・・山のように積み上げられた 趣味の道具や材料。 ごみにされる前に 同じ趣味の友人に 分けて しまおう。着もしないのに とってある洋服も処分しなくちゃ・・・ 銀行や 保険や お金の事に 無頓着なパパに やっていけるのかな。 ご飯や 洗濯 子供たちと コロスケの世話は 大丈夫・・・・。 そんな心配は していた。 だけど 私が 残されることは まったく 頭に なかった。 それくらい パパは 体の不調を 訴えたりしない 人だった。 私は 心配症で ちょっと胃がおかしいと 胃がんかも。 手遅れにならないうちに 胃カメラを・・・って感じでした。
2005.12.27
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しばらく前に 登録したブログ・ルポが やっと使えるようになった。 バナー貼り付けのとき 教えに来てくれるといった方と トラブルに なって そのままでした。 昨夜 次男の助けを 借りて ようやく 貼り付けを マスターしたのです。( 私にとってすごい進歩です ) バナー貼り付けの時 二人の方が 応援に来たのに 最初の方とやり取り はじめてしまった事を 娘に言ったら 「 それ ママが 悪いよ。 その前に 二人目の人に 断りのメール入れなきゃ シカトじゃない。」 といわれた。 そういうものなのか・・・確かに・・・スゴク反省。 あの時 厳しいメールを残され 自分のショックが 先に来てた。 今 あの時の方に とても 失礼な事をしてしまったと 反省してます。 もう ここに来ないと思うけど もし 見てたら 許して欲しいと 思います。
2005.12.27
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TVで 大家族の 番組見ていました。 仲の良かった夫婦が 会話もしなくて 子供たちが心配してた。 お互い いつまでも いると思ってるから安心してるんだと思う。 もし 一緒にいられる 時間が 限られていたら もっと相手を見るだろうね。 すでに 相方に逝かれた私から見ると 「 もったいないよ。目の前に いるんだから 話したり 笑ったり いろいろした方がいいよ。」 と 思ってしまう。ぶつかっても ケンカしても いいけど 無視 するなんて つまらないよ。 この記事を評価する
2005.12.27
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先日 乳がん検診の時 細胞検査したので 結果聞き。 0:30予約だが 終ったのは2:00近くだ。 結果は 特に問題なし。 ほっとして半年後の検査予約を入れる。 久しぶりの大学病院。 同じ道を 同じCD聞きながら走る。 気持ちは あの頃に戻る。 息苦しさと 悲しさで胸が いっぱい。 病院前の いちょう並木が すっかり枯れ木になっていた。 イヤでも 時間の流れを 感じさせる。 病院内で パジャマ姿の 入院患者を 見る度 「 あれっ パパかな・・・」そんな風に 思ってしまう。 落ち着かなくて 売店で 江原さんの本を買い いっき読みしてしまいました。 帰省してる 妹たちと 待ち合わせして 病院近くの ラーメン屋へ。 妹の知人が最近オープンしたのだ。 2時過ぎて 一段落した後 らしく ゆっくりと過ごした。和風ラーメンで さっぱり系のスープ。 なかなかこだわりの手打ちメンでした。シュウマイや 杏仁豆腐も 手作りで おいしかったです。 ( また 行きたいな。) 妹は 病院近くなので 誘おうか悩んだらしい。 でも 私が病院へ 行く事知って 待ち合わせたのだ。 夕方 お寺へ 49日の お布施を 収めに行きました。 法要のあと みんなで話し合い このまま住む事になりましたと 報告しました。 「 良かったです。○○さん(パパ)も 安心 なさってると思いますよ。」と お坊さんに言われた。
2005.12.27
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昨日は 喜んだり 落ち込んだりしてしまいました。 人は 立場や 時間や 環境で 思う事が違うのが 当たり前なのだから 自分と 考えが違って 当然なんですよね。 ( 大人げなかったと反省中 ) もっと 楽しい事に 目を向けるようにします。 今日も 寒い朝。 コロスケと散歩。朝夕の散歩を 楽しみにしてる かわいいやつです。 しばらくお手入れしてないので映像をお見せ 出来ません。 きたない白熊状態です。シャンプーとドライヤーが 苦手なコロスケです。
2005.12.27
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夜 偶然 自分の事が 書かれている日記を 読みました。 仕事探しの件で 甘いと言われていました。自分でも 甘い事は 自覚しています。でも 実際に言えない愚痴だから 日記に書いてる 気持ちが わからないのでしょうか? 現実の厳しさがわからない 主婦だと決め付けてるけど その言葉は 主婦そのものを軽蔑してる ように聞えます。 終わりのない 休みのない 主婦を あなたは 経験した事があるのでしょうか? 朝 私を応援してる日記を読んで 嬉しかったのに 夜 批判的な 日記を 読んで落ち込んでます。 ( 自営業の奥さんの立場って 会社員には わからない。 時間で区切られていない仕事を 延々とする事は辛い。 私は自営業から開放された事は ほっとしてる。 外で 働く事に 希望を持ってます。) ここをクリック
2005.12.26
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午後 児童館でお世話になった先生から 電話があった。 「 これから お線香を 上げにいきたいんですが・・・」今年の 夏祭りに パパと歩いてる時 行き会ってあいさつした。 その時も 久しぶりに会ったので 入院中と言おうか迷ったけど 言わなかった。 喪中ハガキを見て びっくりしたのだが 自分も体調崩してしまい 遅くなってしまったという。 パパは 児童館の行事の時に いつも 手伝いに行ってたので 先生もよく覚えてくれていた。先生は 「 早くに 亡くなる方は 人生の仕事すべてを なし終えて 行ってしまうのです。 だから旦那様も 奥さんや子供さんたちに 一生分のことを していかれたのだと思いますよ。」 と言われた。 本当に そうなのかも知れない。 よく 良い人ほど早死にするとか 言うけど 一生分のよい事を してしまうのかも・・・・・ あまりよい事をしない私は まだまだ人生ありそうです。
2005.12.26
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もうすぐ お正月ですね。 今年は 何も用意しなくていいんだなと 思いました。 きっとお客さんは 来ないと思うし・・・・ 実家に行くのも ここ数年パパと二人だった。 今度は 私一人? 市内なので 車で20分くらいの距離。 パパが 入院して私が 実家に 行かなくなり 母も変な予感は していたみたい。 パパの 死後 母は 私より落ち込んでいた。 パパは 周りに気を 配るタイプで 実家では 私より 母や 兄夫婦と しゃべっていた。 あまりみんなに 優しくするので 怒った事がある。「 みんなに 優しいのに 私には 優しくない。」 パパは おろおろしてた。 毎日一緒だと 優しさが 当たり前になってたんだね。 ごめんね。 パパと 話が出来るなら 今まで事 謝りたい。そして 感謝したい。
2005.12.26
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足跡から 訪問したページに 私への応援メッセージがありました。 とても 嬉しかったです。 お礼のコメントを 残してきました。 私のこと おそれおおいと感じていたらしいのですが とんでもない です。 ブログでは強気な事書いてるけどただの 内気+小心者+主婦 です。 どんどん 遊びに来て欲しい。足跡の 名前を見てるだけでも 嬉しい。 コメントなど 思ったこと一言でも 残してもらえると なお 嬉しいのです。
2005.12.26
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コロスケが 喋れたら 聞いてみたい事が 一つある。 「 うちに来て 幸せだった?」 ビンボーな我家じゃなくて 裕福の家に もらわれたら もっと幸せだったんじゃないかな?と思う時がある。 でも コロスケが来てくれて 我家は 幸せです。 だから コロスケも 幸せに感じてるんじゃないかな。 ( 散歩やご飯が遅い時喋ります。「もー遅いんだから」に聞えます)
2005.12.26
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妹が 子供3人連れてきた。 幼稚園生1人 小学生2人。 法事の間もちょろちょろ。 可愛い年頃だ。 いつでもママが一番。 体力的にしんどいけど 最高に 輝いてる時だ。 見てるだけで 気持ちが 優しくなれる。 ぎすぎすとした毎日の私には 天使に 見える。妹たちとは 少ししか 話せなかったけど楽しい時間でした。 まだ数日実家にいるらしい。 ゆっくり話したいね。
2005.12.25
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3:00 次男は友人宅へ行く 5:00 娘は バイトに行く 6:00 長男も 友人宅へ行く 良いよね。若者は 行くところが あってさ。 酒飲みしてる三人 ( 義父 兄 いとこ )は 大丈夫かな・・・ 私は 2階で 一休み中。 長い一日が やっと終る。
2005.12.25
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話し合いの途中で パパの話になり それぞれに思い出し涙。 今回 はじめて義弟の 涙を見ました。お通夜も葬式も見なかった のに。 義弟にとっては3人兄弟のうち1人残ったのですから それは寂しいことですよね。 私にも このまま残って上手く やって欲しいと言われました。 義父だけが 私に そういう言葉を いえないと言う。 それは自分の性格だから 絶対口に出来ないと・・ うんうん やっぱりね。 あの年齢で 変わるとは思っていないさ。
2005.12.25
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おかげさまで 無事に49日の法要も 済みました。 お寺で お経が 済んだ後 お坊さんが 話をしました。 「 みな一人では 生きられないのです。 どんな人も 助け合って 生きる事が できるのです。 残った家族で 助け合って下さい。」 義父の 心に 響いたかどうかわかりませんが・・・・・。 お寺の 近くの料理屋さんで会食の時 挨拶しました。 「 49日の 法要にご列席いただきありがとうございます。 葬儀の節は ご協力をいただき 深く感謝しております。ささやか でございますが ご会食の用意をいたしましたので ゆっくりお召し 上がりください。本日はお忙しい中 ありがとうございました。 尚 私と子供たちは 主人の希望通りに ここで生活して行きたいと 思いますので これからもよろしくお願いします。」 午後の 話し合いに向けて 強い決心を見せました。 3:00 話し合い。 義父 私 義弟 伯父 叔母 いとこ 兄で とにかく 私の要望を聞きましょうという事に。しかし 一言話す たびに義父が 口を挟む。話が進まない。 それでもどうにか経済的の 大筋を話し終える。 あと一人ずつ話す事になるが 義父が出てくる。 話す人にけんか腰になる。義父が「 みんな俺の立場になった事ない から わからないんだ。 最愛の息子をなくしたんだぞ。」 私 「 それは 私も 子供たちも 同じですよ。」 義父「 みんなは 若いから・・・」 私 「 悲しみは 同じですよ。」 どこまでも かみ合わないけど ある程度方向が 見えてきた。 みんなは 義父の愚痴は 聞き流して上手くやってよと帰った。 5:00 いとこと 兄が 義父を 相手に一杯やってる。 えらいなーと感心する。 いいたい事いわれても 相手にしてる。 大人なんだよね。
2005.12.25
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しばらくぶりに 新聞を読んでると リレー・フォー・ライフの事が 出ていました。 やっぱり シュウさんでした。24日読売新聞の 医療ルネッサンスの欄です。来年の4月にイベントがあるという。 参加したい気持ちは あるけど 家から電車で3時間はかかるな。 しかも一人で電車に乗った事がない。(こっちが問題だよ。) がん患者や 家族の集会だから 誰か誘うといっても難しいね。 いい年した大人なんだから 一人でも 大丈夫なんじゃないかな。 (いや 見た目は大人だが 中味は 小学生だよ。) この記事に点数をつける
2005.12.24
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がん関係から たどり着いたページが 肺がんで ご主人を亡くした方の ものだった。 読み込んでるいる内に 時間が かなり経っていました。
2005.12.24
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午前中 風邪のひき始めなのか 寒気がしてしょうがない。 洗濯して ごろごろ。 Nさんが お花を届けに来てくれた。 家と お墓にと 大きな花束です。 ありがとう。 帰り際に 「 何言われても 右の耳から入れて 左に出しちゃいなよ。」 と言って帰った。 わかっちゃいるけど・・・・・ 夕方 買い物へ。 娘は バイトへ。 いくら落ち込んでても イブの夜 ケーキとチキンぐらい用意しましょう。 夕飯は 8時に帰る娘を 待つとして 義父には 早めに出した。 明日の49日 何とか 無事に 乗り越えたいです。
2005.12.24
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昨夜の金スマで 小田さんのコンサートに 中居君が出るところ やってました。 あんなに中居君が かわいく見えたのは はじめて。 本人も自信がなかった歌ですが とても一生懸命な姿に 感動。 その姿を 引き出した小田さんってすごい人だなって思う。何かを 真剣にやってる姿って良いよね。 今 自分が 何もしていなくて 時間だけが 流れている状態なので 余計そう感じるな。 昨夜 最後に出した請求書分のお金を G工務店さんが持ってきた。 人を頼んだり 色々あって金額は 最初の見積もりでという事になる。 私も そうなる事は 解っていた。 Gさんは パパと古い付き合い。 今後の 我家を心配してくれてる。 Gさんが 私に話をしてるのに 義父が 割って入り別の話題へ変える。 帰り際に 外で 話す。 私 「 全然ダメなんだ。 話が出来ないんだ。 」と 現状を話す。 Gさん「 誰か 中に入って 話してくれないの?」 私 「 いとこや 伯父さんが 少し話しただけで 逆上して 話にならない。最終的には 義弟を 頼ろうとしてる。」 Gさん「 義弟さんの 噂は 少し聞いてる。」 義父から 見れば 他人である嫁より 義弟が いいに決まってる。 しかし パパが 死んだからと言って 法的には 家を出る必要は 無い。 ただ ぎすぎすと暮らしたくは無い。
2005.12.24
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午後 次男が 洋服を買いたいという事なので 出かける。 若者の店なので 時間つぶしも出来ず 「 車に 行ってるね。」と 待機する。 入院中は よく携帯から ブログ見たりしてたので 久しぶりに 携帯からアクセス。宣伝どうり 画像 コメント プロ フィールと PC並に 見られる。ちょっと前までは 日記だけだった のに どんどん進歩してるんだね。( よい事なのだろうが不安も・・) 突然 娘の バイト宣言。 しかも 今夜から・・・・心配で 車で 送るというのに 自転車で出発。(16:00~22:00)ちょっと 無理があるよ。 まあ 冬休みだけかも知れないので 様子みる事に。 我家の 経済を 心配してくれるのは イイケド もっと心配が増える。 今日も 次男が行った店に 店員募集の張り紙あり。 自給900円。 あーいいねって 年齢が無理。 ( 若者の店だもの売るのも若者。) 先日 ハローワークに 行った時も 職業が選べない。 片っ端から 見たけど 難しい。 ハローワークの人に 相談したくても 職業ぐらい 自分で決めてねって言われるよね。 夕方 妹から電話あり。 遠いからと思い49日の事 伝えなかった けど 兄から聞いて 来たいって連絡がきた。 お葬式以来あって いない。 ゆっくり話も したいけど時間的に 難しいかな。
2005.12.23
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ゆず湯の ゆずは 切らずに入れるものなんですか? 私は 半分に切って さらしの袋のに入れて中の汁が 出るようにしたのです。 そうしたら なんか体のあちこちが チクチクとしてきました。 最初気のせいかなと思っていたのですが どうも ゆずのせいらしい。 丸のままだと 香りや エキスも でないと思って・・・・。
2005.12.23
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10:00 Nさんからの電話。 49日用に 花を用意するから 買わないでねと言う。 いつも花を 持って来てくれる。 Nさんは 我家のこともよく知ってるので 思わず 愚痴を色々とこぼして しまった。 Nさん自身も 早くに旦那さんを失くして 子供たちを 育てた経験もあるので よくわかるという。 でも 子供を守る為にも 強くなっていかなきゃだめだし 自然と 強くなれるよと言われた。 その通りなのだ。 いくら周りがあれこれ言っても 最終的には 自分 の力で 生きていかなければならない。
2005.12.23
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昨日少し書いた「 リレー・フォー・ライフ 」について。 がんに なっても社会が 受け止める環境づくりをと言うもの。 私も パパが がんになるまでは 遠いはなしと思っていました。 実際 家族が がんになると 病気そのものも辛いけど 周りに 病名を 言えない精神的な辛さが 大きい。 抗癌剤が 始まってから パパ自身が がんであることを 周りの人に 伝えた。 パパには 抗がん剤で 治ると言ってあったからだと思う。 だけど末期患者となり パパは 友人たちにも 会わなくなってきた。 がん患者を 見る目が イヤなんだと思う。 周りの患者との交流も 避けるようになる。 軽い挨拶代わりに 病名を聞かれる。 言えない。 がん以外の病名 なら自然に言えるのに・・・・。私もパパも 同じようながん患者と 交流する事が 出来ていたら もっと 救われていたと思う。 「 リレー・フォー・ライフ 」の詳しい事は 健康・ダイエットの アクセス50の中の 「 戦略事業部の挑戦・・・」を見てください。 上手く 紹介が出来なくてすいません。
2005.12.23
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昨夜 12時過ぎ寝よう思いながらTVのチャンネルを変えていたら 小田和正さんのコンサートを放送してた。 彼の歌は大好きだが コンサートの様子を見たのは はじめて。 静かな歌が多いので 静かに弾き語り風かなと思っていたら 会場を 走り回っていた。 ただ 歌が途切れるほど走らなくても・・・と心配した。 少しだけの つもりがラストまで。 彼の柔らかな歌声と 優しい言葉が 心に 染みてきて 涙 涙 涙 ・・・・・・。いろんな事が 思い出され 歌と重なるような場面が 現れる。 どの歌も良かった。 今 聞くと一つ 一つの 言葉が パパからの メッセージのようで 嬉しくて また 泣いてしまう。
2005.12.23
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熱中しやすいタイプです。 ハマルと大変です。 ゲームボーイにはまった時がありました。 子供たちや パパが寝たあと こっそりと・・・ 一番はまったのはドクターマリオです。 なぜかと言うと アレはすきなレベルから入れるので 進みが速い。しかも画面には20面までしか表示されていないが クリアーすると裏面と言って まだまだ続くのだ。当時小学生の 長男の友達相手に 何面まであるか知ってる?なんて自慢してた。 そのゲームを 止めたくて始めたのが パッチワーク。 もともと手芸は好きだけど パッチワークは 理解できなかった。 大きな生地を 小さく切ってつないで・・どうしてって感じでした。 しかし母親クラブなどに入り パッチワークをしましょうという ことになった。 嫌っていた私が 一番はまった。 習いに行ったし 教えにも行ったね。 10年くらいやってね。そのあと 知り合いが ビーズのリングを 教えてくれた。自分でも 始まると止まらないと 思いビーズは 触らないようにしてたのに・・・・あっと言う間に ビーズを買い込む。 つくる。 そのうち教えだす。2年 ビーズの サークルで教えていた。楽しかったけど パパの 入院で やめた。 山のような ビーズはそのまま。
2005.12.22
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毎朝 起きるたびに 昨日より寒いと思う。 今日は どんよりと 曇ってる。 いよいよ 雪が降ってくるのか。 この辺は ほとんど 積もらない。 でも 今年の寒さは 尋常じゃない。 降ったら積もり そうだ。 積もったら冬眠だ。( 車も動かせない ) 雪なし生活圏に住んでるので 大げさに書いてごめんなさい。 大雪で生活してる人も大勢いるのに チョビットの雪に 怯えたりして すいませんでした。( 反省 ) 寒いけど 風だけで済みそうです。 夕方の 散歩はココの所 次男が行ってるので 安心してたら コロスケが 「 わおーん 」 呼んでるよ。 終業式で早めに帰った 次男はコタツにもぐってる。 「 私が 行っちゃうよ。」と 一言掛けて散歩に行く。 マフラーぐるぐる巻いて ベンチコート着て出てゆく。 寒いけど 帰る頃には 体が あったまる。
2005.12.22
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最近現れた A氏のページに 気にある書き込みがあった。 「 何度も 訪問して 書き込みもしないなら 来ないで欲しい」 のような事が 書かれていました。 A氏とは 今話題の人物名だ。 私も 思わず尋ねていった。( もちろん本人じゃない ) 彼が あちこちに訪ね歩いているらしいが 上にあるような事言われて いた。 もちろん 意味もなく訪問される事は 気分良くないと思う 人もいるだろう。しかし そっと訪れても いいと思う。 私自身も 長々とおじゃましながら 思いがまとまらず 黙ってかえる事も多い。 ブログは そういう事もありだと思う。 訪問と言っても 対面する 訳じゃないし 黙って帰ったと 怒るほうが不思議。全員が 書き込み しなくちゃいけないと 今度 全部読んだり返事出す事にもなるはず。 そのほうが もっと 大変よ。
2005.12.22
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49日が 近くなり 魂が家から離れていくという。 もちろん パパも 行くべき所に 行かなければと思ってる。 でも 普通より 早く死んだ分 長い時間 こちらにとどまっても いいんじゃない? ( 自分勝手な 解釈です )
2005.12.22
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昨日の日記を 読んで 久しぶりに泣いてしまった。 今 パパが 居ない事も 原因だったけど 病気のパパに 言っちゃいけないと 思いながらポンポン不満も ぶつけてた。 ものすごく悪い事してたな 思ったら 泣けてきた。 外に 出ると 元気なお年寄りがいっぱい。 どうして パパは 長生きできなかったの? 仲よさそうな夫婦を 見ると もう二度とあんなふうに歩けないんだなと思う。 昨日 たどり着いたブログに 期間限定でも 死んだ人に会いたいかと 言うような事が 書いてあった。 私は 会いたくないと思った。 別れが わかっている再会は もっと苦しいと思う。 でも 今は 会いたい。 会話が出来なくても 遠くで見てるだけでもいいから 会いたい。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * この写真は 「 リレー・フォー・ライフを 広めよう 」 故人の追悼と がんにならないようにと がんになっても 社会が 受け止める環境を つくる事。 家族 友人 愛しい人 の追悼をしようという呼びかけのリレーです。 家族が がんになって はじめてその病気の難しさを知りました。 ほかの病気なら 病名も言えるのに。 がんだというだけで イコール死みたいになってる。 同じがん患者同士や その家族と 話が出来たら もっと もっと 救われるんじゃないかな。
2005.12.22
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夕べの夢。 私が 大型バスを 運転してるが ブレーキが効かない。 パパが 別の車を 体当たりして 止めようとした寸前で止まった。 パパ 病気なのに ごめんねなんていってる私。 でも 時間が 進むと病気なのは 私の設定になってた。 どんどん弱くなり 歩けなくなる。 ( 1リットルの涙が 入ってるよ ) みんなに 世話されて 悪いなと思ってる。 子供たちにも 悪いなと思ってる。 そんな夢見て パパも そんな風に思い ながら入院していたのかな・・・・・。 私たちの心配を 口に 出さないので 怒った事もある。 「 心配してないの?」って。 今 考えると ひどい事言ったなと思う。 きっと パパは 心配してたに決まってる。 ただ 口に出来ないだけだったと思う。 本当に 心に思ってることは 口にするのが 難しいもの。
2005.12.21
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49日を 控えて 毎日があわただしい。 お墓参りのあとの食事も 予約したし 式ものも 当日届けてくれるように手配した。 でも心配。 一人で 予約したり 手配して 最終確認を いつもパパがしてたから なんだかピンと来ない。 クリスマスや お正月も 関係ないし・・・・ 年が明ければ 私立高校の試験も始まる。 何から何まで 一人で やるって 思っていた以上に辛いものが あるね。 パパがいる時も そんなに頼っていたつもりないけど バックに いるかいないかで 大きく違うものだと気づきました。
2005.12.21
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午後 コロスケが 鳴いてるので ガラスやさんだと思って外に出て 見ると友達だった。 高校の時の同級生。 冬至ようにゆず あと絵本を プレゼントされた。 「 千の風に なって 」の 絵本だった。 千の風に なっての 詩は 知っていたが その詩にまつわる物語が 綴られている。 夜 ゆっくり 読みたいと思う。 ( 忙しい時期だと 思ったのですが 少し話したいなと お茶を さそった。茶の間にいた義父が 気をきかせて席を外すかと思ったが 話に 入ってきた。 子供も同級なので 受験の話などしてるのに 最後まで いました。 玄関の外で また 話して 「 大変なんだ」 と伝えた。 )
2005.12.21
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