2015年02月01日
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カテゴリ: 私の本棚



そうした記録や伝承というのは、断片的に、いくつか残されてはいるのですが、
そうした残された文献をもとにして、あえて当時と同じ装備・持ちものだけを携え、
同じルートを辿っている登山家がいます。

その人の名は、サバイバル登山家とも称されている服部文祥さん。

股引・脚絆にわらじといういで立ちで、米・調味料と鍋程度のものだけを持って山に入り、
山中では、採取や狩猟により食を得て、たき火で調理する。
夜はテントや寝袋もないので、たき火の横でゴザにくるまり、山中で夜を明かす・・・。

現代文明を遠ざけ、ありのままの自然と直に向き合った時に、
見えてくるものがあるのだと、服部さんはいいます。

『百年前の山を旅する』と題されたこの本は、
先人たちの山岳記録や古道についての実地検証を試みたものであるとともに、
当たり前のように現代文明に囲まれ過ごしている現代人に対し、
警鐘を促してくれるような、そんな一冊でもありました。


百年前の山を旅する.jpg


服部文祥・著 『百年前の山を旅する』
新潮文庫 2014年1月 

この本の構成は、著者が先人たちの足跡をたどった7つの山旅紀行からなります。

その中心は、明治・大正期、日本登山草創期の登山家たちの
山登りを実地に再現しようとしたものでありますが、
中には、江戸時代以前の山登りについて検証したものもあります。

そうした中から、以下の2編をご紹介したいと思います。


(黒部奥山廻りの失われた道)

江戸時代、加賀前田藩は、領地の境界と山林資源を確保するため、
極秘のうちに、見廻り部隊を黒部の山深くにまで送り込んでいました・・・。

奥山廻りと呼ばれたこの一隊は、
現在では道がなくなってしまっている越中側のルートをたどり、
鹿島槍ヶ岳の山頂にまで到達していたのだといいます。

この黒部川支流域というのは、険谷が続く難所で、
現在でも登攀するのが容易でないとされているところ。
この周辺を江戸時代の人々が行き来していたとは、とても信じ難く、
服部さんは、あくまでもこれは伝説であり、加賀藩は巡回しているかのように
見せかけていただけなのではないか、と考えていたようです。

しかし、立山の博物館で、奥山廻りの行程を記した古地図を見たとき、
これは、実際に行われていたものであると、確信したといいます。

服部さんは、立山連峰北の越中側から山中に入り、
鹿島槍ヶ岳の山頂を目指す旅に出ます。

けものみちのような、道なき道を通り、
谷や急峻な山壁など、地形を見ながら、その都度コースを判断して進んでいきます。

この黒部川支流域を登攀することが、現代において困難とされているのは何故なのか。
それは、急峻な谷を現代装備をもって登攀しようとしているからなのではないか。

現代人が、そう認識しているというだけのことで、
昔の人たちは、山の地形を見て判断しながら登れるコースを選んで登っていた、
ということに服部さんは気づいたのでありました。

鹿島槍ヶ岳山頂に到達するまで、6日間に及ぶ山の旅。
この旅を終えての服部さんの感想というのは、
かつての先人たちは、山との接し方や登り方というものを、
本当に良く知っていたということ。

山中で食糧を調達する方法や、夜の過ごし方などを身につけさえすれば、
装備がなくても自在に山陵を歩くことが出来るのだということを、
服部さんは、実証することができたのでありました。


(鯖街道を一昼夜で駆け抜ける)

若狭で獲れた鯖に一塩ふって、翌日の朝には京に届けられていた・・・。

若狭の海産物が京に運ばれていたという記録は、古くは平安朝の頃のものが残されているようですが、
その後、京の鯖寿司が有名になるにつれて、この道は「鯖街道」と呼ばれるようになっていきました。

若狭から京までは18里(約72km)ほど、
昔の人は、この山の道を本当に一昼夜で歩けたのだろうか。

このことに興味を抱いた服部さんは、
実際に自分の足で歩くことによって、それを試してみようとしました。

鯖街道と呼ばれているこの道も、初期のコースは針畑から経ケ岳をまわって鞍馬に至る山の道で、
その後、安曇川・高野川沿いに大原へと至る迂回ルートへと変わっていきます。

服部さんが挑戦したのは、初期ルートの鯖街道。

現在は、道の形をなしていないのですが、
できるだけ、古道のコースに忠実に進んでいきます。

いくつもの峠を越え、山里を抜け進んでいきますが、
結局、行程の半分くらいまできたところで日没に・・・。
服部さんは断念します。

やはり、この行程を一昼夜で歩くことは無理なのでは・・・。

ただ歩くだけではなくて、鯖を荷として背負わなければならないし、
また、日没になってしまえば、ヘッドライトもない時代に、どのようにして夜の山を歩くのか。

鯖を一昼夜で京まで運んだという話は、それに尾ひれがついて誇張され、
脚光を浴びただけのものなのではないか。

この時、服部さんは、そう結論づけました。

しかし、その後、いくつもの登山行を繰り返す中で、
服部さんは、その時の結論に違和感を感じるようになっていきました。

若狭から京都まで、一昼夜で歩けない。そう決めつけたのは、
現代人の世界観で、そう考えていただけだったのではないか。
朝早くに小浜を出て、日没までにどこまで歩けるのか、もう一度試してみよう。

それから、6年後、服部さんは鯖街道の一昼夜行に、再度挑戦します。

この行程を、ほとんど休まずに歩き続けることは、肉体的にもかなりハード。
しかし、疲労困憊になりながらも、先を急ぎます。

でも、一度通ったことがある道だからとういうこともあったのでしょう。
16時頃には、鞍馬に着きました。

18kgの荷を背負い、4時間の休憩をとったと仮定して
今回の体験から、小浜から出町柳までの実質所要時間は20時間程度。

そして、夜の山道についても、良く知っている道であるならば、
月明かりや提灯程度の明かりさえあれば、昔の人は歩けていたはずだ、
そう考えるようになっていました。

鯖街道を一昼夜で歩くことは、肉体的には厳しいとはいっても十分に可能である。

服部さんは、2度目の鯖街道挑戦にして、そうした結論を得るに至ったのでありました。

***

高度に発達した文明の中で生まれ育ち、便利で快適な生活が当たり前となっている現代。
しかし、それは人間が本来持っている能力を退化させ、
自己の可能性を、自ら限定してしまっているということなのかも知れない。

この本は、そんなことを考えさせられるような、魅力に満ちた一冊でありました。






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最終更新日  2015年02月01日 22時04分30秒
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