PR
サイド自由欄
♥
♡

カテゴリ
カレンダー
キーワードサーチ
コメント新着

1950年代、基地反対の動きは全国に広がっていた。例えば、1952年には石川県で試射場建設に反対する「内灘闘争」が始まり、1955年には東京都の立川基地の地元で「砂川闘争」が起こった。そうした中、基地返還も少しずつ実現し、海兵隊を中心とする地上部隊は1958年には本土から姿を消した。その海兵隊の向かった先が、米統治下の沖縄である。

大きなきっかけは、1957年1月に群馬県の相馬ヶ原米軍演習場内で起きた日本人女性射殺事件 「ジラード事件」 だったという。この事件で日本本土の反基地感情が一気に高まると、全国的な反米感情に転化することを恐れた米側は、海兵隊を即時、本土から全面撤退させることを決定。移転先は当初計画されていたグアムではなく、一部部隊が既に移転済みの沖縄が選ばれた。
沖縄は米国の支配下だったので、(本土と同じような)反米・反基地運動が起きてもつぶせる、と。そういう判断が働いたんですね」
日本本土の米軍専用施設は1955年から60年にかけて約13万ヘクタールから一気に約3万3500ヘクタールにまで減少。一方の沖縄では1.86倍の約3万ヘクタールに増加した。
「(本土の基地が減ったといっても)日米安保が廃棄されたわけじゃないんだから、(基地を)どこかに持って行ったわけですよね。沖縄がその分を引き受けざるを得なかった。それを想像する力が私たちにはないんでしょう。ヤマトンチュ(本土の人)はずるいわけです。彼らから言わせるとね」
「日本全体で(負担を)分担しろ、って沖縄が言うのは当たり前だと思う。おれは沖縄に1回しか行ってないけど、気の毒だった。米軍基地を見て、沖縄の人が怒るのも仕方ないな、と。日本の国全体を見て、もともと基地だった場所は基地として残しておくべきだったんだ。何カ所かね。そういうバランスは取るべきだったと思うよ」
赤旗スクープ!日本政府が米の核削減に反… 2018/03/05
【危険!】アベ政権が着々と戦争準備を進… 2018/03/03
知ってますか?「不発弾」の処理費用、土… 2018/03/01