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三春町の「小泉純一郎邸」 今日11日、小泉邸に侵入した30代の女を現行犯逮捕したそうです。 女は応接室の椅子に座り「進次郎氏に会わせて欲しい」と言ったようです。 警察官が常駐している小泉邸にどのようにして侵入したのでしょうか。 この家に小泉元首相、進次郎氏がいることはほとんどないようです。
2014/01/11
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「久里浜少年院」、久里浜港の入り口にあります。 「特別少年院(特少)」の代名詞的少年院といわれ少年院を転々とした少年が最後に行き着くといいます。 高い塀で囲まれています。 海軍対潜学校跡地で隣接して横須賀刑務所があります。
2012/08/15
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坂本坂上にある「御菓子司 突貫(おんかしつかさ とっかん)」。時代を象徴する屋号です。突貫とは敵陣に突撃すること。道を挟んで向かいにあった旧陸軍横須賀重砲兵連隊の人たちも好んでここのお団子を食べたのでしょう。 建物は明治か大正、看板は戦後のものと思われます。
2011/02/28
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大滝(おおだき)町の「大滝名店ビル」1956(昭和31)年に開業しています。 半年ほど前のようすです。 かつては大通りに面した本屋から奥に続く薄暗いマーケットのような所でしたが今はシャッターが下ろされ営業しているのは道路に面した数店舗と上の飲食店のみです。
2016/12/03
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三春町にある小泉元総理の自宅です。 警察官が常駐しています。 かつて家の前が海だったといいますがいまでは数百mほど先が海岸線です。 小泉家は明治から四代続く政治家家系。 祖父・又次郎氏、娘婿の純也氏、お父さん似の純一郎氏、そして次男の進次郎氏です。 小泉家の系図をたどるとあの石原家(石原慎太郎氏ら)につながります。
2012/05/19
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1876(明治9)年に撮影された「横須賀造船所」の全景 現在の横須賀本港の米軍基地側になります。 幕末、ここにフランスの援助で製鉄所が造られ1871(明治4)年に造船所となり、やがて海軍工廠(こうしょう)となって行きます。 全景の右に写っている船台(左手)と造船小屋(中央) ここで数多くの軍艦が建造され、進水式は天皇が行幸することが多く多数の招待者から一般庶民まで数万人が見学する一大イベントであったようです。 全景左手のドライドック 写真右が1871(明治4)年に完成した日本初の1号ドックです。左側建物の間に見えるのは3号ドックだと思います。 2号ドックはこの時点ではまだ造られていません。のちに1号と3号の間に建設されます。
2022/12/20
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「パンジー」種まきからひと月半「種まき」この辺りでは9月に種を蒔きますが今年は暑かったので気温が少し下がった10月初めまで待ちました。
2024/11/24
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1876(明治9)年に撮影された「横須賀造船所」の全景 現在の横須賀本港の米軍基地側になります。 幕末、ここにフランスの援助で製鉄所が造られ1871(明治4)年に造船所となり、やがて海軍工廠(こうしょう)となって行きます。 全景の右に写っている船台と造船小屋(中央) ここで数多くの軍艦が建造され、進水式は天皇が行幸することが多く多数の招待者から一般庶民まで数万人が見学する一大イベントであったようです。 全景左手のドライドック 写真右が1871(明治4)年に完成した日本初の1号ドックです。左側建物の間に見えるのは3号ドックだと思います。 2号ドックはこの時点ではまだ造られていません。のちに1号と3号の間に建設されます。
2024/11/26
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西浦賀川間(かわま)の「浦賀奉行所跡」 江戸の人口増加に伴い運び込まれる商品の流通を掌握するため下田奉行所では対応できなくなり1720(享保5)年に浦賀に移されます。 奉行の下、組頭をはじめ与力10騎(10人=馬に乗ることを許されたので騎と数えます)同心50人、その他配下の者200人以上の組織だったようです。 主な仕事は船改めですが、後に外国船が来るようになると海防の拠点としての役割を果たすようになります。 現在は堀の石垣が残るだけで、敷地は住友重機械工業の社宅になっています。
2015/11/29
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