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「大賀(おおが)ハス」大賀ハス
2025/07/26
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「フヨウ」
2025/06/28
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「バラ」
2025/06/02
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「アマモ」 きれいで豊かな海の指標といわれるアマモ。 アマモは群生して「藻場(もば)」をつくり産卵や稚魚の生息場になったり光合成で栄養分を吸収するため赤潮の発生を防ぐといわれています。 かつては東京湾沿岸にたくさん生えていたようですが戦後急速に進んだ湾岸開発や海洋汚染等の影響によって東京湾内ではアマモを含む藻場が激減したといわれます。 最近では藻場を再生する試みも行われ自生するアマモも徐々に回復しつつあるようです。
2025/05/26
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「シャーレーポピー」
2025/05/20
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「春の花」
2025/05/12
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「こいのぼり」
2025/05/04
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「つつじ」
2025/04/30
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「新緑」
2025/04/22
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「梨」
2025/04/16
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「パンジー オトノピンクシェード」6か月前に種を蒔いたパンジーこの後定植します種まき
2025/04/10
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護衛艦「てるづき」
2025/01/11
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「潜水艦」
2025/01/10
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横須賀本港の「干潟」大潮の干潮時に現れます。 旧海軍工廠の潜水艦船台跡も見えます。
2025/01/09
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不入斗(いりやまず)にある「電子基準点」 国土交通省国土地理院が設置したもので地上約2万Kmを周回するGPS衛星の電波を利用します。 先端の白い部分にアンテナがあります。測量の基準点になるほか地殻変動などを監視するシステムです。 高さ約5m、20Km間隔で、全国に約1200か所設置されています。 学校や公園などが多いようです。 足下には金属標が埋設されています。
2025/01/08
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不入斗(いりやまず)公園入り口の「軍転記念の塔」 旧軍港市転換法(軍転法)は旧軍港四市(横須賀、呉、佐世保、舞鶴)を平和産業港湾都市に転換し、平和日本の実現を達成するために1950(昭和25)年に制定されました。 30周年を機に記念の塔が建てられています。
2025/01/07
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「梅」
2025/01/06
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「氷式冷蔵庫」店舗を改築したときにここに埋め込んだそうです。 観音開きのタイプははじめて見ましたがかなり立派です。現在は物入れになっているそうです。 氷式冷蔵庫は明治末から昭和30年頃まで使われたもので上に氷を入れ下に冷気が下りてくるしくみです。 一昼夜は効果があるようで 生鮮食品などには温度、湿度が最適なようです。 ただ、一般家庭にはそれほど普及していなかったのではないでしょうか。
2025/01/05
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久里浜(くりはま)の「住吉神社」 古くは栗濱明神といわれ水軍三浦一族の海上守護の神として信仰されていました。 1180(治承4)年、衣笠合戦で敗れた三浦一族が安房へ落ちる際この神社の山頂の松に旗を掲げて武運長久を祈ったといわれています。「三浦大介(おおすけ)旗掛けの松」といいますが今はありません。 源 頼朝の妻政子が後の二代将軍頼家の出産にあたり神馬を奉納したことが「吾妻鏡(あづまかがみ)」に記されています。
2025/01/04
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鴨居(かもい)の「海」
2025/01/03
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「コースカ ベイサイド ストアーズ」ショッパーズプラザ横須賀をリニューアルして2020年にオープンCoaskaはCoast+Yokosukaの造語
2025/01/02
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「ろうばい」
2025/01/01
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大滝(おおだき)町の「FM BLUE SHONAN(78.5MHz)」
2024/12/31
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「DOBUITA STATION(本町商店会館)」 どぶ板通りのアンテナショップ どぶ板各店の商品やお土産オリジナル自衛隊グッズ、観光情報などを扱っています。
2024/12/30
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「どぶ板」
2024/12/29
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三笠公園通りにある「壁画」 県立横須賀高校出身の鈴木英人(えいじん)氏の作品です。
2024/12/28
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「三笠公園通り入り口」 ここから三笠公園までの約200mは遊歩道になっています。海と緑の10.000mプロムナード「うみかぜの路」の一部でもあります。 道に入るとすぐにアメリカ海軍横須賀基地の三笠ゲートがあります。 井上武吉(ぶきち)氏の「MY SKY HOLE」シリーズのひとつです。 湯原和夫氏の「未来への六分儀」 浦賀で建造された「日本丸」のメインマスト付近を3分の1の縮尺で再現したものです。 茶木 滋作詞の「めだかの学校」 茶木氏は横須賀市汐入町で生まれています。作曲は中田喜直。 電話ボックス。後ろはレトルト「海軍カレー」を作る会社のひとつです。
2024/12/27
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稲岡町の「三笠公園」 「日本の都市公園100選」「日本の歴史公園100選」に選ばれた横須賀市を代表する公園のひとつです。
2024/12/26
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三笠公園に保存されている「記念艦みかさ」 「みかさ」はイギリスで建造され1900(明治33)年に進水、1902(明治35)年に日本に引き渡されています。 1905(明治38)年、連合艦隊旗艦として日本海海戦で当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊を一方的に破ったことはよく知られています。 その後ワシントン軍縮条約により廃艦が決まり解体される予定でしたが保存運動が起こり、現役に復帰できないようにするという条件で認められます。 太平洋戦争後はアメリカ人の娯楽施設としてダンスホールや水族館が設置されますが戦後の混乱期にアメリカ軍が撤去したもの以外に金属類はほとんど持ち去られたということです。 この惨状を見たイギリス人やアメリカのニミッツ提督らの訴えにより復元運動が盛り上がります。 1958(昭和33)年、チリ海軍の戦艦が除籍になり日本で解体されますが同じイギリスで建造された艦であったためチリ政府から部品の提供を受けたようです。 しかし砲塔、煙突、マストなど多くは新しく造られたレプリカだということです。 舳先は皇居を向いているそうです。
2024/12/25
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横須賀中央「三笠ビル商店街」1959(昭和34)年市制50周年記念事業の一環として古くからの三笠商店街を取り壊し新たに共同ビルが建設され「三笠ビル商店街」として生まれ変わりました。 アーケードの商店街ではなく、四階(一部五階)建てビルの一階部分の中央が通路になっています。 全長200m、およそ70店舗が営業しています。 かつては衣料品、靴、帽子などの専門店が多かったようですが最近ではケータイショップ、ファストフードや食料品の店が多くなってきています。 FMブルー湘南のスタジオもあります。 「三笠」の名は日露戦争の戦艦三笠から来ています。三笠は記念艦としてこの近くに保存されています。商店街の長さも三笠とほぼ同じそうです。
2024/12/24
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護衛艦「たかなみ」
2024/12/23
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「衣笠病院」戦後1947年創立ですが、その前身は古く1906(明治39)年に設立された横須賀海軍工廠職工共済会医院(後の共済病院)になります。海軍工廠の職員や家族の診療にあたる病院でした。病院は各地に分院を開設しますがその中のひとつ衣笠分院がここにありました。 戦後、アメリカ軍に接収され、キリスト教財団に払い下げられ日本医療伝導会衣笠病院となりました。敷地内には教会が設けられています。 1960(昭和35)年産科分娩室のストーブから出火建物は全焼し、新生児8名を含む16名が亡くなりました。そのとき青嶋ミチヨ看護婦(師)は制止する消防士を振り切り三度火中に飛び込み新生児5名を助け出し殉職されたそうです。 毎年1月6日には追悼伝導が行われるようです。
2024/12/19
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「海上自衛隊」
2024/12/18
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海上災害防止センターの訓練船「ホエール」 海上への有害物質の流出事故対策を行うための訓練船です。 オイル漏れを想定した訓練を行っていました。
2024/12/17
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「戦艦陸奥主砲」旧日本海軍戦艦陸奥の主砲。長さ18.8m、重さ102トン。横須賀海軍工廠で1921年に建造されその後大改修の際積まれたそうです。しかし瀬戸内海で原因不明の爆発で沈没70年代に引き上げられお台場の船の科学館で展示されていましたが東京五輪に向けた再開発のため無償譲渡されたそうです。
2024/12/16
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汐入の「旧海軍下士官兵集会所跡」 戦後、アメリカに接収され「EMクラブ(Enlisted Men's Club=下士官兵クラブ)」となります。 日本のジャズ 発祥の地といわれルイ・アームストロングなど有名人もたびたび訪れて 演奏したといいます。 1972(昭和47)年に取り壊されその後、汐入駅前の「ベイスクエアよこすか」として再開発され「よこすか芸術劇場」等になっています。
2024/12/15
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「DOBUITA STATION(本町商店会館)」 どぶ板通りのアンテナショップ。 どぶ板各店の商品やお土産オリジナル自衛隊グッズ、観光情報などを扱っています。
2024/12/14
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「海」
2024/12/13
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東京湾横須賀市沖で操業中の「漁船」網を引いています。 タンカーや第二海堡(かいほう)、千葉県富津(ふっつ)の工業地帯が見えます。
2024/12/12
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護衛艦「てるづき」
2024/12/11
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「京急汐入駅」 京浜急行の前身は古く1898(明治32)年に営業を始めています。 その後、合併や路線拡大などを経て1948(昭和23)年に現在の京浜急行となります。 汐入駅は1930(昭和5)年に「横須賀軍港駅」として開業しますが1940(昭和15)年、軍施設の所在が明らかになるのは良くないとの理由から「横須賀汐留駅」に改称されます。 このあたりは明治の製鉄所時代から横須賀の中心の町でしたが終戦と共に軍港の機能は失われ町の中心は「横須賀中央駅」周辺に移っていきます。 1961(昭和36)年、「汐入駅」と改称されています。
2024/12/10
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上町(うわまち)の「横須賀市立中央図書館」 市内16か所の図書館、図書室の中心施設になっています。
2024/12/09
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上町(うわまち)の「緒明山(おあきやま)」 伊豆の戸田(へだ)出身で造船、海運で財を成した「緒明(おあけ)菊三郎」の所有地であったのでこの名があります。 その一角、配水池があったという場所に公園を整備し中央図書館に隣接することから市によって「読書公園」と名付けられますがあまり浸透していないようです。 もとは「おあけやま」でしたが現在は「おあきやま」というようです。
2024/12/08
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JR横須賀駅脇にある「道標」 正面に「安針塚山へ約十五町」脇に「WILLIAM ADAMS TOMB(お墓) 1M(マイル)」裏に「大正十年二月十五日」と刻まれています。 汀橋(みぎわばし)に「約十一町」塚山の階段下に「約五町」の同じ道標があります。 「青い目のサムライ」といわれる「三浦按針(あんじん)」夫妻の供養塔が塚山にあります。 三浦按針(イギリス人 ウィリアム・アダムス)はオランダ船で日本に漂着しますがのちに徳川家康に重用され逸見(へみ)に領地を与えられ250石取りの旗本として帯刀が許されました。 按針は長崎県平戸で亡くなりますが供養塔が建てられ付近一帯は県立塚山公園として整備されています。
2024/12/07
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「もみじ」
2024/12/06
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「横須賀今昔明細一覧図」 縦10cm、横7~8cm。 片面は現在の横須賀の絵地図になっています。こちらが表でしょうか。 裏は明治十四年「横須賀一覧図」 幕末に開設された「横須賀製鉄所」はその後「横須賀造船所」となりますがその造船所を中心に描かれています。 造船所は明治十年代には欧米にも負けないほどの近代工場になっています。 明治政府にとっては国民に産業の近代化をアピールするモデル工場でした。 そのため本来ならば見学できない軍事施設ですが案内業者や旅館の手続きにより誰でも簡単に見学することができました。 このころから多くの人が訪れる観光名所となりこのような地図やガイドブック、おみやげなどが売られました。 地図手前、現在の汐留から汐入付近に鈴木屋、松坂屋など多くの旅館が建ち並んでいます。
2024/12/05
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汐入の「看板建築 2」こちらは理髪店でした。モルタルにタイル張り、そして建具のデザインなどいかにも昭和の床屋さんといった風情です。 看板建築は「看板」を作りつけたものではなく平坦な壁にさまざまなデザインを施しています。 上の方が銅板張りですが塗装されています。 以前は焼き物のお店でした。
2024/12/04
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「看板建築」 看板建築は関東大震災以降に造られるようになった商家の様式です。 前面を垂直に立ち上げ火の回りにくい造りとしさまざまな意匠を凝らしています。 銅板、タイル、モルタル、石板など不燃性の材料が使われています。 洋風化の波も影響しているのでしょう。
2024/12/03
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神奈川県警横浜水上署の警備艇 「神2 あしがら」
2024/12/02
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「ザ・タワー横須賀中央」 2015年11月に竣工した38階建ての居住棟。 低層階は商業施設になっていて「LIDRE(リドレ)」と名づけられています。 集客力の低下を回復させる「起爆剤」として期待されていましたが飲食店と医療関係のみでは集客は見込まれないと思います。
2024/12/01
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