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3月末からこなっつが遊びに来てくれて、久しぶりに旅行。もちろん、はなもいっしょ。旅行の前の週に「睡眠時無呼吸症候群」治療のための機械の調整があって、その機械を病院に預けていたので、今まで通りの大いびきできっとこなっつにはつらい思いさせたでせう・・・ 久々の旅行はほんとに楽しかった。それまでは、仕事を辞めて、なんか、日々、憂鬱に過ごしていたんだけど、こなっつがきてくれてから、明らかにちょっとした変化があった。なんか、憂鬱なふさぎの虫が減ったというか…少し、楽になった。 カウンセリングでは、決して治ったわけじゃないし、ただ、日々の変化にすぎないということで、決して治ったというわけじゃなかったのだけど。結局、40数年、この環境でこの性格が育まれて生きてきた。これまでも「うつ」になったりしたけど、何とかやり過ごしてやってきたけどここらできちんと治さないと人生の後の残りを過ごすのが大変ですよ、といわれて「ああ、ちゃんと治しとこ」と、あらためて決心。 3月頃から狂ったように手芸にはまった。毎日、なんやかんやと作っていて、テディベアを5つくらい作って、ヘンプアクセサリーを大量に作った。でも、テディヘア、飾る趣味はないから、返付のアクセサリーとともに知人、友人にあげてしまった…。そしてこともあろうか、今まで、やろうと考えたこともなかった「パッチワーク」なんて、始める始末。だって、「シンプル、モダン、クール」なデザインが私の好みなのに「カントリー」なんて、私の中には全くないものだった。作りながらも「完成したら、これ、どうするんだろう・・・、絶対、飾ることないなー」と思いながら作っているわけで。 でも、まさしく、狂ったように作って、ペットカバーらとりあえず完成させようとだけ決めて、一気に半分くらいの大きさまで作り上げた。因みにダブルサイズだよ~。とにかく、作るプロセスが好きなのだ。ただ、集中して、無心に作る。 ところが、作り上げたものが好みじゃないし、人にあげるばかりじゃねー、と、作り始めたのが洋服で。おりしも、夏に向けて、いい感じの「麻」の布があって。で、まるで内職かなんかみたいにひたすら作る作る作る・・・ワンピース、シャツ、スカート、パジャマ、パンツ、残り布でルームシューズやミニパックなどなど・・・1ヶ月くらいはこんなの作って時間つぶしていた。 毎日、はなの散歩や、近所で買い物、せいぜい病院くらいしか外出しないから、そうして作った服は結構着倒している。おそろではなの服とリード、カラーまで作った。5月から6月にかけて、服作りにのめりこんで毎日過ごしていまして・・・。
2008年06月02日
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気がつけば7月。誕生日も過ぎ、また、年をとってしまった。あ、あまりに久しぶりすぎるもんで、6月から日記として書いてるのだけど、実は今日は7月9日である…仕事辞めて、日がなぼーーっとして退屈してるかと思いきや、結構、なんだかんだと忙しい。 まずは、日常の出来事を思い出す限りで書いてみましょう。2月のバレンタインの日に心療内科のプレ入院。きちんと治すためには2ヶ月くらいは入院してカウンセリングを受けないと完治しないといわれて、まずは、心療内科に入院することはどんな感じかという体験のために1週間入院することになった。 私、いびきが実はとても悩みで…ワン友の人たちと何度もお泊りしたけど、それがとても悩みだった。で、「心療内科」での入院だから、きっとどの患者もいろんな問題があって、たぶん不眠とか多いんだろうなーと思うと、一般病室は憚られて「個室」に。因みに1日6500円アップ。広めの部屋で洗面台とトイレと一人掛けソファがついてるだけって考えると高いよねーーー。博多のビジホだって、ふろトイレソファまでついて1泊5000円で泊まれるのに… で、ついでに、そのいびきも診てもらった。 入院中はいろんな心理テストしたり、「何もしないで過ごすこと」させらりして過ごした。何もしないで過ごすこと、は、私には何しろ苦行で… でも、そんなこんなで、いろんな問題が出てきた・これまで気がつかなかった私の性格上の問題、家族とのかかわり、社会とのかかわり。鬱になるべくしてなったという事情があったことが少しづつわかってきた。 ついでに、わかったのが「重症の睡眠時無呼吸症候群」だって・・・ひえぇぇぇ・・・ふつーの「無呼吸」じゃなく、「重症の」無呼吸だなんて、オッサンじゃん・・・ショックだった。 退院前日、母から半泣きで「弟夫婦の離婚の危機」の電話が入った。カウンセリングで分かった「家族との関係の問題点」が、もろに出てきた。先生から今度入院するときは家族も一緒に、と言われた。ま、確かに、こんな環境だと、そのままほったらかしたら間違いなく、また、鬱の再発は免れないなと思ってはいたから、仕方ないな~。 12月まで、結構出張でいないことが多かったから、はなも退院して帰った時はふつーに「わーーい、おかーさん帰ったぁー」と、大喜びしてくれたんだけど、実は、6月末から1週間入院した時はおねしょしたりといろいろ大変だったらしい。 花にとって、半年近く、私が毎日近くにいること、が、当たり前になると、離れた時に問題が起こるんだ、と、また、心配事が一つ増えた…ああ。
2008年06月01日
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朝6時10分に家を出発。隣の部署の女の子、Fさんを途中で拾って空港を目指した。空港近くの安い駐車場に車を預けて初めての国際線ターミナルへ。駐車場はターミナルからちょっと離れてるんで送迎付。出発の時は「リムジン」で、送ってくれるの。知らなかったんでFさんと大ウケ。何でも、新婚旅行に出発するカップルのために始めたサービスらしい。 福岡空港から私たちとMさん3人が出発する。東方航空という中国最大手の会社の飛行機。海外渡航には空港に2時間前に行ってなきゃ行けないって言われたんで、10時発の為に8時に空港でチェックイン。今まで出張では出発15分前のWebチェックインが当たり前になってたから、すごい時間の無駄って気分だったけど、仕方ない。 朝食抜きでやってきたMさんと3人でちょっと遅めの朝ごはん。私は中華三昧に備えてサラダだけにした。20分くらい遅れて飛行機は飛び立った。チョーボロい機材!。スタッフは殆どが明らかに中国人。ものすごい無愛想。ニコリともせず、機械的に機内食、飲み物、おやつをばたばたと配る。日本だったら、有り得んなーというひどいサービス。 そこで出てきたコーヒー、なんか、得体の知れない味で、Fさんと「やべーーー」と言いながら恐る恐る飲んだけど、クリアできなかった・・・。あれはコーヒーじゃないなぁ。因みに機内食はサンドイッチとモンブランもどきケーキ、フルーツ、ミネラルウォーター。 所要時間1時間40分くらいで中国到着。東京より近い。時差1時間。着くなり、ジャスミンと六角が混ざったみたいな香りとゆーかにおい。入国手続きに1時間くらいかかって(もー、すごい人手!!)、晴れて中国に入国。 上海空港のターミナルビルって、長手に長屋のように長―――く造られている。なんと、総長1キロ!!!。国土が広いってことやねー。ローディングブリッジから延々歩く歩くでやっとロビーに到着。そこで中国人通訳の除(じょう)さんと合流。29歳の中々の好青年。20分くらい待って社長と合流。で、中国人運転手周さんの運転する高級ワゴン車(アメ車)で出発。 上海の町に入るちょっと前の街中の「高級な」飯店で昼食。普通に上海料理らしいけど、おいしい!。12畳くらいの個室で2メートル近くある直径の円卓で除さんがチョイスしてくれる料理を6人全員で食べた。上海周辺の都市は全体に物価が高いらしいのだけど、あとで聞いたら、6人でおなかいっぱい食べてまとめて1500円くらいだったんだって。・・・日本だったら、一人前でもあれだけ食べたら3000円コースだわ。2時間くらい高速を走り続けて「杭州」方向を目指す。そこに家具工場があって、その会社の社長と取締役のような人に説明を受けながら工場を見学。私は製品のクオリティや、会社で取引をするようになった場合に抑えなくてはいけないポイントのリサーチ。そして、そこから再び車で2時間くらい走って「杭州」の町に到着。恐ろしい大渋滞。片側4車線くらいの道路に車が5列くらいで走ってるし、人間、自転車、バイクは飛び出してくるし、チラシを配る人が渋滞する車に渡していくし、もー、ひやひや。し、か、も。「女子大生」「艶若女」なんて感じの言葉が書かれた「媚びた若い女の子」の写真付のちらし。これって、つまり・・・、デリヘル!!!。 西湖の際にあるホテルにチェックイン。雨で夜景が綺麗といえなかったけど、ホテル最上階のレストランで再び6人で晩御飯。中国の地ビールイロイロ、そして紹興酒。沢山のご飯。もー、しあわせ。でも、流石の私も社長がいて、しかも、Mさんすら、社長には最上級の気遣いをしているから、部下として恥かかせちゃいけないし、で、緊張で(?)酔いもしない。社長の隣で酒がんがん勧められたのにもー、いくら飲んでも素面のまんま。 いろんな話して、いろんな事話してもらって、楽しい食事の時間だった。
2007年01月18日
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最近、凹んでいる。私はめっちゃプライドが高い。自分のやった仕事は完璧でありたいし、そうなるよう努力もする。自分がやった仕事に対して正当な評価も欲しいと思うし、それなりに出来るつもりだから、評価を要求もする。 だから、今度の月末の中国行きは私にとって、勝ち取った評価だと思っているし、大チャンスだとも思っている。 加えて、私は、人の仕事を「自分がやった」などとは絶対に言ったりはしない。それはアンフェアだし、「もっといい仕事できる」って、思う自信もあるから。そのヘンな自信があるから「これこれはだれだれが作ってくれたもので、それをこうしました」と、ちゃんと伝える。だって、そのほうが、より良く出来た事のアピールにもなるし、人をうまく使ってプロデュースできる事へのアピールでもあるから。 私は、絶対に、負ける事が嫌いだし、評価される事が私の頑張りのエネルギーでもあるわけだから。 ところが、同僚の彼女、前回のブログでも書いたとおり、経験が無い、感性がない、勉強してない、から、ものを知らない。で、状況的には一緒にやって、って言われている仕事だから、こっちも仕事の合間に彼女とまとめて行くんだけど、大筋の方向性や、まとめ方、添削、以来の仕方、いろいろ、気を使いながら教えて、少しでも、彼女の身になればいいなという期待をこめて、アドバイザーの立場で仕事して来た。 だから、実際、細かな事務的作業は全部彼女がやってるようになるんで、彼女は「全部私がやってる」って、勘違いしているみたいなのだ。 そりゃ、作業は殆ど彼女がやってるのは事実だけど、私に言わせれば、そんなの、誰だって出来る程度の仕事で、その形にするための指示が一番大きいウエイトを占めるわけでしょ。結果、出さなきゃいけないんだから。 ところが、勘違いからなのか、妙に私に対抗意識を向けてくる。もーー、それって、軽く、10年早い、っての。私がどれだけ長く、建築デザインやインテリアのスキルと感性を磨くために金使って、時間割いて、勉強してきたと思っているのか。どれだけ、大きな企業の中で人間関係をうまくわたってやってきたか、どれだけの沢山の人と交流して人脈と知識を得てきたか。 ただ、CADオペだけやってきたあんたにそんなこと、まだ判るはずないでしょ、ってことなの。最悪なのは、自分が無知だってことに気がついてないこと。 それで私に対抗意識燃やして、指示されてしか出来ない仕事をさも、ぜーんぶ自分がやりましたと周りに言う。まぁ、100歩譲って、それで彼女の自尊心が満たされるならそのくらい花持たせてもいいわと、余裕の気持ちで見守ってるつもりだったけど、トウの彼女にはまったく伝わっていないのね。 ことごとく「私がやりました」スタンスで回りに言って回る。ちょっと前に、たまたまMさんと昼ごはん食べた時、「嫌な物言いとは判っていますが、周りにそんな風に触れて回られるのもここまで来るとちょっと不愉快です」と言って話しをすると、Mさんが彼女のいい企画だと思って依頼していた仕事、全部私がアイディアと指示出していた事だった。 結構、マジで、その時むかついた。私は、別会社のほうにレンタルの可能性があるのはまだ消えていない。だから、私に全面的に任せっぱなしにすると私がいなくなったときに困る、って言うのだ。 だけど、私としては、良かれと思ってフォローしてても、現状のように彼女が自分でやったと思っている限り、自分の無知にも気づかないという事なのよね。それでも、うちの事業部では結果を出さなくちゃいけないし、私は、レンタルの可能性ありつつの、コンスタントにモデルの仕事もこなしていかなくちゃいけないから、彼女みたいにかかりっきりでこの仕事だけやっていられない。だけど、ほっとくと、彼女、結果出せるまでにはまだまだ修行が必要。 とはいっても、こんな風にとんびに油揚げ、が続くと、私だって、気分が悪い。何とかしてくれとMさんに言ったその直後に、彼女が私のパソコンから勝手にデータ持ち出して、さも自分がと、Mさんと打ち合わせるわ、広告会社と何度もやり取りしてデザインの修正の指示出して出来上がった原稿を、昨日早退した私をいいことに、それまたデータ持ち出して、自分がやったかのごとく、報告しているのだ。 はっきり言って、昨日今日の彼女のやった事は私は許せない。それは、人としてモラルに反するだろう、ってものだ。 だから、もう、面倒見てやるつもりは無い。Mさんの居ない時を見計らうようにしていろいろ私に指示を仰ぐまねももう、見逃してやらない。 あんたがその気なら、こっちも優しくなんてしてられない。「一人でやってるって、言う以上、そろそろほんとに一人でやってみたら?」そういうのさ。私は、卑怯な人間は大嫌いなのだ。きれいごとって言われたってね。自分はフェアにやってきたから。でも、されたらして返す。根性悪い?、悪の循環?。判ってる。だけど、許せない。身の程を知れ!!。
2006年12月01日
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私は、自分のセンスに自信がある。まぁ、この道20年近く、やってきたから、それなりに出来て当たり前ってところもあるけど。 うちの部署はMさんが上司で後は私ともう一人の女性。彼女は勤勉だ。与えられた仕事をきっちりこなす。与えられた範囲から、気を利かして先の部分までやっておくことも出来る。だけど、経験がない。センスとひらめきがない。対して私。勤勉とはいえない。与えられた仕事させられるのが嫌い。センスとひらめきは自信があるけど、形にまとめる作業が嫌い。 だから、私が「こうしてあーしてそーしたら?」って言うと、彼女はカンペキな形にして表現する。だから、お互い、自分の過不足がわかって仕事しているうちはカバーし合えるから問題ないのだけど、最近、彼女は私の言うことを聞かない。ッ低ウと、私が上みたいだけど、立場は同僚。だから、私が指示する立場じゃないことなんだけど、出張などで、相変わらず出てることの多い私は直接Mさんから指示を受けることが少ない。彼女はいつも会社にいるからMさんの指示を受けている。で、勝手にやっちゃう。でも、それがいい仕事ならいいんだけど、経験がないし、ひらめきがないから、使えるものになっていない。仕事の依頼の仕方も知らない。だから、私が見ると、駄目だしばっかりになってしまう。 たとえば、うちの会社でHPを立ち上げることになって、広告会社からWEBデザインのコンテが来た。Mさんは彼女に「内容確認して、わかりやすくなるように削れるとこ削って」と、指示を出した。彼女は私が出社するまでの2日近く、ノートに「コンテ」のデザインを書き続けていた。 コンテのデザインなんてWEBデザイナーに任せておけばいいのだ。所詮、素人に出来るはずがないのだから。むしろ、やるべきはどんな情報が必要で不要かを検討し、会社として「売り込み」ポイントの絞込みをしなくちゃいけないわけ。だけど、プロモーションの経験のない彼女にはそんな発送が全くないのだ。 だけど、同僚という立場の私が「こーしてあーして」って、簡単に指示なんて出来ない。彼女は自分の仕事が正しいと思ってやっているから。 万事がこんな調子。だから、彼女のやった仕事、面倒見てやんなくちゃいけないと思うんだけど、暇って言ったって、私もやることがいっぱいあるから、結局、気を遣いながら「指示出す」立場になってしまう。で、彼女が最近、それを快く思っていないことが伝わってくるのだ。 もう、凹むっちゅーの。MさんもMさんよ。そのくらい、判ってほしいわ。だいたい、私もいないことが多いけど、Mさんはもっといないことが多い。だから、私がフォローしてることなんてわかってない。てゆーか、私が指示してやってもらった仕事、彼女が全部やったと思ってるからすっかり任せっきりなのよね。やんなっちゃうわ。 仕事って、出来る人と組んでやりたい。・・・最も、人と組んで仕事した経験って、私にはないから、そんな意味でも今の仕事はストレスなのよね。加えて、彼女は出来ないなりにやってるそれだけが彼女の仕事だけど、私はそれ以外でもやってる別の仕事がある。だけど、彼女はそれさえもわかってない。 だから、プロモの仕事にしても、一人でやらせてもらう方が気分的にはずっと楽なんだけどなー。だって、事務的作業は彼女がいるからやってもらってるけど、こんなの、デザイン会社に任せちゃえば、こっちでする必要なんてないんだもの。 なんて、書くと、すごい、私って、やな人間よね。だけど、仕事って、経験からできるようになるものでしょ。経験のない素人に立場的に指示出せない以上、私の負担、大きすぎるわよ。仕事のみならず、気まで遣わなくちゃいけないんだから。 こんな状態がちょっと続いてるんで、最近、あほ臭くなって、転職病が再発しつつあるというわけなのさ。女も長く仕事やってると、嫌よねぇ。だけど、出世の見込みも給料が飛躍的にアップする見込みもないんじゃ、やるせないってものでしょ。「はなママは一番可能性のある位置で仕事してるんだよ」なんて、目の前にニンジンぶら下げられたって、最近は「どうせあのニンジンはまずいのよ」になってきているのは事実なのよ。やっぱ、仕事って、飴と鞭でしょ、ねー、Mさん。
2006年11月15日
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この日記を会社で書いている。なんたって、片道2時間の通勤時間。家で1時間くらいかけて日記なんて書いている暇はない。だからって、会社で書く暇があるのも問題だろ、って、自分でツッコんだりして。 だいたい、今年の夏まで、あれだけ狂ったように忙しかったのに、今のこの暇は一体なんなんだ、なのよ。もともと、貧乏性だから、忙しくて「キイィィィィ」って、言ってる方がなんだかんだで充実しているわけで、暇だとロクなこと、考えないの。 なんたって、今の会社に入って5年になったりなんかすると、ヤバイ病気が疼きだす。転職病。 こないだ、会社で研修会があった。うちの親会社はデカイ。で、「愛社精神」を叩き込む、って感じの研修なわけ。会社の歴史、現会長、社長の一代記、関連会社のイロイロ、などなど。延々半日そんな講演を聴かされる。 だいたい、愛社精神なんて、無理やり刷り込むものじゃないだろっての。魅力ある会社ならおのずと愛社精神は芽生えてくるだろう、ってモンよ。しかも、親会社、一番従業員の多い部署が若い社員ばかりのところで、おかげでうちの会社の平均年齢はものすごく若い。確か、30前半。で、その研修で凹んだのが、取締役、なんていって講演しているのが30代の男たちなのだ。30代で取締役、よ。それに対して、うちの会社からは誰もそんな役付きになっている人がいない。所詮、子会社。なんか、頑張っても先にいけないじゃん。なんか、滅入っちゃった。 先週だっけか、うちの部署(3人)で呑みに行った。Mさんとね。その時、Mさんに言われた。「はなママはめちゃくちゃ、会社への帰属意識高いよな」って。その時、むかついた。Mさんの言外のニュアンスが「虎の威を借る狐」「寄らば大樹」の「会社依存型」という風に取れたから。いまだ、真意はわからないんだけど。 そのあと、よーーく考えた。「帰属意識」を心理学の本まで開いて調べた。決して否定的な意味ではないのよね。だけど、自分に自信があって、仕事が出来るなら、「帰属意識」なんてなくても「自分で」やっていけるわけで、究極、独立してひとかどの仕事が出来るって事なわけでしょ。愛社精神と帰属意識ははっきり言って、同義語だと思う。 ところが、帰属ってのは集団に属することで自分のアイデンティティを見出すことに他ならなくて「何某会社の」何某、ってことがとっても重要に思うって事。ものすごく、難しい問題にぶち当たった。 私、これまで、結構大きな会社にいた期間が長い。大会社って、それなりに敷居が高くて、入社するハードルは決して低くはない。だから、究極、帰属意識の根本にある「こんな大きな会社に私は要るのよ」っていう自己満足がある。現実、今の会社の前の前の会社は住宅メーカーでは大手で、しかもそこのコーディネーターって言うと、この業界では一目おかれる実力とみなされる。だから、業者もメーカーも、他の大手住宅メーカーより、ずっと手厚いもてなしをしてくれた。おかげで、最新の情報も入ってくるし、研修も充実していたし、同僚達もお互い実力者と認め合っていたから切磋琢磨、いつも鍛えられていた。だから、仕事はやりやすいし、廻りには一目置かれるしで、とてもいい環境で仕事が出来ていた。まぁ、それはそれでいやな部分もいっぱいあったけどね。 ともあれ、帰属意識がお互いに高く、しかも実力を高めあう努力を怠らなかったというか、怠ると自分の身に災いが降りかかる。だから、いい意味で帰属意識が向上につながっていた。とどのつまりが、帰属意識って、高める方向に向かえばとてもプラスに働くものなわけでしょ。今の会社で帰属意識、といきなり振られて多分、戸惑った。だって、この会社は確かに住宅においても大手になりつつある勢いがある。でも、イマイチ実力が伴っていない。最たる例が、目標と出来る存在の不在。何しろ、インテリア、意匠設計が出来る人間がほぼ、皆無。人間的魅力のある人間も皆無。因みにMさんや、ナンバーワンは親会社からの出向で、決して「うちの会社の人」ではない。 そんな「悶々」を抱えているときに「帰属意識が高い」なんていわれると、結構、グサッと来るわけ。 自分が満足いく「いい仕事」出来てるときなら傷ついたりなんか、しないんだけどね。ただ、9月からの3箇月あまり、決して満足いくいい仕事する場がないから、「帰属意識」なんていわれると、ただの会社におんぶに抱っこの寄生しているみたいなイメージに捉えてしまうのよ。 だから、Mさんの言った「帰属意識が高い」私って、どっちなの?、って、思っちゃうわけ。まったく、ほんとにこのMっちゅーオトコは私を悩ませる奴だ・・・!!。
2006年11月14日
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ヘンな話なんだけど・・・。 私、スターウォーズが好きだ。ちなみに、SF、ミステリーは大体すきなんだけど、とりあえず今日はおいといて。 うちの会社の某支店にいる最近入社した若い営業マン、接客している姿が「C3-PO」!!。よくしゃべる金色のロボットね。これに動きといい、しゃべり方といい、そっくりなのだ。・・・因みに支店内でも「ロボット」と、呼ばれているらしい。やっぱり、誰の目にもそう見えるんだな、って、納得。 私の散歩コースの途中の家にいる、恐らくシーズーのミックス。「イウォーク」にそっくり。熊みたいな可愛い小人の宇宙人。これに動きといい、顔といい、そっくり。いつも近くを通るたび、「イウォーク」と話しかけている。・・・きっと、違う名前なんだろうけど。・・・当たり前か。 これまた近所の犬だけど、黒っぽい大きなむくむくした犬。見た目だけ、チューバッカ。・・・無茶苦茶攻撃的な凶暴犬だから、チューなイメージは見た目だけなんだけど・・・。 だけど、うちの会社にも、何人か、チューバッカに似てる人、居はするけど、認めたくないとゆーか。スターウォーズでは、新旧通してハンソロとチューバッカが一番好きなのだ。 ま、好きといえば、若きオビワン・ケノービのイアン・マクレガーが大好きなんだけど・・・。 うちの支店の設計のオジサン、ジャバザハットにウリ!!。スターウォーズのサイト開いて「このジャバザハットにそっくりでしょーー?」全員が大爆笑の末「似すぎ」。カエルみたいな嫌なキャラなんだけど、このおじさんも嫌われキャラなんで、そんなとこまでウリ、なのよねぇ。・・・いじめ?。 うちのはな、眠そうにしている時に首筋マッサージすると、ヨーダになる・・・。
2006年11月13日
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通勤片道2時間生活も、まともに始まって2ヶ月近い。今の部署に転勤になって半年だけど、モデルパニックで、出張続きだったから、通勤計4時間生活はまだ、実感としてそんなになかった。何しろ、移動になって約半年間で、タイムカード押す時間に会社に来た日は数えるくらいしかなかったから。それがこの約2ヶ月間、毎日、バス通勤。もう、いい加減うんざり。 何が悲しいって、福岡のマンションから通勤すれば、バスで混んでも40分。自転車で来れば、20分くらい。今、帰るために待つバス停で、そのマンション方向に向かうバスが2回くらい目の前を通る。あああ、悲しい・・・。この片道2時間のうち、純粋にバスに乗っている時間が1時間強。せめて、この時間だけでも何か有効に使えないかと思うのだけど、朝5時半におきる身には、読書は辛い。バスのゆれが眠りに誘う・・・。学生時代は往復の時間だけで文庫本1冊は読めていたのに、いまや、1週間以上かかるのはざら。帰りは帰りで、定時6時に速攻帰っても、家に着くのは8時前後。それから風呂に入ってご飯食べて、はなと遊んでパソコンしてたらすぐ12時。結局、何にも出来ない。12時には寝ないと翌朝5時半にはおきれない、と思いつつも、イロイロなんやかんやとやってたら、すぐ1時、なんて時間になっている。だから、慢性寝不足。全く転勤前は歩いて7分、車で3分なんて状態だったから、えらい違いよね。私のプライベートの4時間を返せって感じだわ。定期購読しているディアゴスティー二のX-ファイルのDVDは、10巻以上、見ないまま増え続け(1本に4話入ってるから、相当な量)、他にも定期購読している建築、インテリアの雑誌も読むというよりは眺めるだけ。楽しみだった「大人の科学」も、実験はおろか、組み立てる暇すらない。 そりゃ、この4時間を使えたときに有効に使っていたか、って言えば、なんともいえない。だらだらテレビ見たり、無駄に使ってた気もするし・・・。所詮、ないものねだりなんだろうけどね。だから、最近は、時間を無駄に過ごしてはない。少なくとも家では。そう考えたら、通勤の4時間は休憩って、思えばいいんだろうけど、・・・そう、単純に割り切れないところが辛いところね。 うちの会社、通勤費がMax5万しか出ない。大体会社都合で転勤させてるくせに上限つきなんておかしな話だと思うし、相当交渉もしたけど、通らなかった。福岡では高速バスが片道1000円だけど、バスカード(回数券)買うと、5日で片道分浮く計算になる。年間の出勤日数と通勤にかかる費用を計算すると、定期券を買うのは損をする計算になった。因みに、私の場合、バス代と、バス停まで行く車のガソリン代と駐車場代もかかる。たとえば、会社の近くで飲んだ場合、最終のバスは11時くらいまでしかなく、自宅側のバス停についても飲んでるから代行で帰らなくちゃいけない。すると、帰るためだけに5000円以上のお金がかかる上に、翌日、二日酔いで早起きして再びバスに乗って出勤しなくてはならない。ところが会社近くはオフィス街でもあるのでビジネスホテルも多い。しかも、朝食つきで5000円以下で、しかもこぎれいな宿だから、安心して泊まれる。楽天ポイントもつくから1パーセント引き(ま、これはたいしたことじゃないけど・・・)。というわけで、最近は呑んだらこっちのビジホに泊まることにしている。なんたって、翌朝、歩いて5分くらいで会社にいけるのだ。こんな、すばらしいことはない。知らず知らずにオヤジ化している自分に悲しくなったりもするけど、仕方ないわね・・・。まぁ、そう割り切っちゃうと、安心して心置きなくのめるから、いいんだけどね。さて、来週も呑みに行くぞっ。
2006年11月10日
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昨日書いた大殺界。私は水星人。・・・結構当たってる。で、水星人マイナスの私は再来年が大殺界。12年前、この3年間と厄年がモロに重なった。史上最悪の3年間だった。最初の年はましだった。一級建築士の受験して、ストレート合格。おおー、厄年と大殺界ぶつかって、プラスマイナスゼロかー、なんて、能天気に思ったもので。ところが、その翌年、最悪。欝で入院する、結婚考えた人と別れる、仕事がなくなりど貧乏、などなど、不幸が一身に降りかかってきた感じだった。なんか、あまりにひどい残りの2年でぼろぼろになってしまったことは事実で。なんか、その2年をずーーっと引きずっていた気がする。去年あたりからなんか、とってもいいことが続いてようやく、人生の春が見えていた気がしたのに、再来年からまた大殺界かと思うと、かなりビビっている。だからこそ、今年の残りから、来年にかけて、せっせとこれまで培ってきた仕事が少しでも実を結ぶように、培ってきた人間関係をアクティブにしようと人付き合いを積極的にして供えを始めている。なんたって、思い出すのもつらい時だったから・・・。今度は厄年と当たっていないから、少しはましなんじゃないかと、弱気に思ったりもしているけど、備えあれば憂いなし。とにかく、乗り切らなくちゃね。だいたい、あんまり占いなんて気にしない方だ。朝、思わず見てしまった占いで自分の星座が最悪だったりすると気分悪いし。だけど、幸いなのはすぐ忘れちゃう。だから、あんまり影響受けることはないんだけど、何しろ、12年前があまりにひどくてすっかりトラウマ。だから、こればかりはマジで怖い。お札かけるだけで運がよくなるなら信じたい気分よ。 多分、この数ヶ月の焦りに似た気分も、この大殺界に起因している。とにかく、楽に乗り切れる備えをしたいから、自分の立場を少しでもよくしていたいし、収入アップの基盤も欲しい。まったく、この大殺界に関してだけは私は無視できない。大殺界よけ、とか、大殺界封じ、なんて、ないのかしらね。誰か、知ってたら、大マジで教えて欲しいと思っている私。気休めでもいいから・・・。ああ、恐るべし、細木和子・・・。
2006年11月09日
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ただ、ひとつ、思うことがある。私は野心家だ。金持ちになりたい。偉くなりたい。その、明確な目標はある。こんな会社のゴタゴタ(事実、ゴタゴタなのだ、勢力争いに発展した)にチョコっと、私は足を踏み込んでいる。もち駒扱いなんだけど。はないちもんめで「あの子が欲しい」の一人になっていることは確かだと思う。でも、その「あの子」は、使い勝手が限定されてるからややこしいんだろうね。 だけど、「出来る」人のみならず、出来なくても「上手な」人も移籍してちょっとえらい肩書きなんかついたりしてるのを見ると、「なんなんだかなー」と思ってしまう。そんな「出世レース」のスタートラインにも並ばせてもらえないんだよね・・・。これだけ、会社の「偉い人」と、話が出来て、モデルに関しては任せてもらって、全支店の支店長たちと話が出来るだけの関係を気づいて築いてきたのに、所詮、たいしたこと、ないのよねぇ・・・。 そう思うと、また、凹んだり・・・。なんか、チャンスがほしいなぁ。ステップアップできる。日々、それを探して頑張ってはいるんだけど、現実は厳しい、ってことも、思い知らされている。 ある意味、特定の仕事を極めてしまうと、つぶしが利かないのは事実なのね。まさしく、うちの会社で、私は特殊な人間になっている。だけど、もう、いい加減、どうにかしたいのよ。会社にとって、必要なときだけ重用されて、後は閑職、って、あんまりじゃない?。確かに、器用貧乏な私、事務仕事と力仕事以外はだいたいなんでも出来る。特に、クリエイティブ系なら。だから「暇だー」と、文句言う私に「チラシ作れ」だの「講習に行け」だの、その場しのぎの仕事をさせる。結局、使いでがないから仕方ないんだろうけど、なんか、ものすごく釈然としないのだ。 感覚とセンスだけで仕事する究極の右脳人間にとっては現状は辛すぎる。・・・因みに、こないだのテレビでは「理性的左脳人間」極めてたけど・・・。そういう意味じゃ、仕事そのものは右脳でやってるけど、社内における立場とか、考えちゃうサラリーマン的発想の部分は究極に左脳型かもしれない・・・。 確かに、厄介な性格だわ。
2006年11月08日
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こんなことなら、何が何でも私の気分の盛り上がっていたときにMさんをモノにしとくんだった。そしたら、もうちょっと、違う展開もありだったのかな、なんて、思ったりするし。だって、女が会社で立身出世を願うとき、単にスキルだけじゃ、どうしようもない。女ってだけで、ハンデがあるんだもの。建設会社は特に旧態依然としているから。だから、そのハンデは、女ゆえの武器を使わなくちゃ公平にはならないことは頭じゃ判ってるの。 なんだかんだで、これまで、大きな会社に属して生きてきたから、そのくらいの処世術はわかっている。だから、それを不倫だろうがなんだろうが、都合、恋愛感情に仕立てて自分に言い訳してきた。だって、スキルアップのためだけに女の武器使うって、あまりに卑しいっていうか、悲しいっていうか、自分自身がそこまでクールに割り切れない。とはいえ、伊達に何度も不倫を繰り返しちゃいない。そのおかげで、今でも使える大きなコネクションはあちこちにあるし、それは私にとって大きな財産だ。 Mさんに熱上げてたのも今、冷静に考えたら「つり橋の心理」。パニック状態のときに出会う人がよく見える、ってやつね。確かに、私の目に狂いはないと思う。Mさんは、出世頭。この人を味方につけたら強い。そんなところでめちゃくちゃ鼻の利く私は出世の見込みのある相手を捕まえるのは上手だったかもしれない。潜在的にそれが判ってたから、一層Mさんが気になったともいえなくないし。でも、判らない人なのよ、本心がどう思っているのか。裏切ったりするようなレベルの姑息な人間でないことは確かだと思うけど、自分に自信がある人って、いざって時にすっぱり、廻りを切り捨てられると思う。いつでも別の環境でリセットできると思うから。私のMさんに感じる漠然とした信用できない気持ちはそこに起因していると思う。・・・ていうか、私自身がまさしくそう考えているから。・・・ま、現状、私の場合、あと5年は勤めると決心したんだけどね。住宅ローンが終わるまで。 幸か不幸か、うちの会社で私をかわいがってくれた偉い人、ナンバーワンにしても、同じタイプ。まぁ、ナンボか、ナンバーワンのほうが熱い分、信頼度は高いけど。ただ、そんな「信用できない部分」が、たまに、ちらほら感じられるから、ブレーキがかかる。・・・つーか、私が虎視眈々と狙っているのに気づいて、かわされてるだけだったりして?。 だけど、現状の手詰まりな今、このまま手をこまねいて周りの状況に任せるだけでいたら、ローン終わるまで勤めるつもりの後の5年間もずーっとペーペーのまま。・・・なんて状況は、マジでいやだと思う。もうちょっと、楽に暮らせるゆとりが欲しいのよ。だから・・・、今度、チャンス狙って、Mさん、襲っちゃおうかしら。今の気分なら、冷静なハンター。 とりあえず、新会社の情報とかリサーチして、作戦、練らなくちゃ。なんたって、再来年から大殺界。来年の輝ける実りの年に収穫できるだけの状況を整えとかなくちゃ。何しろ、12年前は悲惨だったから。今回はそれに備えて万全の策を労しなくちゃ。 なんて、私って、きっと、地獄に堕ちるわね・・・。
2006年10月31日
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とはいえ、新会社に「移籍」はいやだなぁと。一人暮らしに戻りたい気持ちは山々だけど、北九州福岡間くらいの距離なら問題ないけど、それが関東、北陸、っていうと話は別で。 ・・・はなが一番の気がかりなのだ。今では はなは両親と私の4人の「群れ」になっているから、いまさら欠けると彼女のストレスが心配。生活パターンも変わってしまったから、私が一人暮らしで はなのストレスなく世話をしてやれる自信がない。寂しがり屋の はなが心配だから。 しかも、私だけ一人で転勤したとして。群れのボスの私が単身でいなくなるのはもっと彼女のストレスになる。今年の夏の出張のときですら、落ち込んでいたという はなの様子を聞けば、心配も仕方ない。 私自身は、関東への「転勤」なら、大喜びで行きたい。もっとスキルアップしたいし、なんたって、情報のメッカだもの。多分、はなが「4人の群れ」になっていなければ、喜んで移動の話に乗っていたところだ。入社したてのころなら「私とはなの二人群れ」だったから、何の問題もなかった。でも、はなにとって、今では「二人群れ」の期間は1年くらいで、あとの4年以上は「4人群れ」なのだ。彼女にとっては、この状態のほうが当たり前になっている。 それゆえ、いまさら「二人群れ」にしてしまう不安が大きい・・・。強引に連れて行くべきか、単身行くべきか。全く答えが出せない。福岡のマンションに戻るだけなら、「二人群れ」選ぶわ。近いから、いつでも「4人群れ」に戻れるから。 具体的な話は何にもないから、漠然と「そんなときが来たらどうしよう・・・」くらいにしか考える必要もなかったし、勿論答えを出そうなんて考えもしなかった。 はなのことを考えたら、今の会社に籍を置いたまま、新会社の「手伝い」レベルで仕事をすることが理想。Mさんも、真意はつかめないけど「移籍」より「レンタル」の方が私のためにいいという。状況が全く確定しないまま、廻りのうわさレベルで新会社への移動とか、レンタルの話が私に届いてくる。 それが、先月末にいきなり、親会社に出張していたMさんから電話で「12月早々から手伝いに動いて欲しい」と、話が入った。一応「レンタル」。北陸と東北の2支店同時オープン。最近、ちょっと暇だったから、結構、うきうきしていた。翌週にはもうちょっと具体的な話になって、来年あたり、関東に出向して、というニュアンスの話がふられ、「社長たちと話する機会設けるから」と、きた。ああ、先延ばしにしてた はなのこと、ちゃんと考えなくちゃいけないのかな、なんて、思っていたら・・・、数日前Mさんから「北陸と東北は、地元でやることになった」って。「は?」よ。 いわく、ワンマン会長が、イロイロ口出ししてきて大変だから、最初のうちは関わらない方がいいから、って。マジで、Mさんの意図がつかめない。単にイエスマンなだけ?。それとも、エキセントリックな性格の私の仕事を鑑みてのこと?。 後者とは思えないから、としたら、ただの「イエスマン」かよーーー。会議に本社へ行くたびに状況が変わることに、一体なんなんだーー?!、という思いが募る。結局「私じゃなくたっていい」わけよね。ちょっと、凹んでいる。 確かに、噂を聞く限りだと、ワンマン会長はかなり、厄介な人物らしい。聞いてる話だけで判断すると、もし、仕事の上でとやかく言ってきて、それ以外でまたとやかく言ってきたりしたら、短気な私は「もーいいっ」と、ドア、ばたんとたたき閉めて辞めちゃいそうなビジョンが見えるのも事実なのだ。 なんたって、各支店の支店長レベルで打ち合わせをしている範囲なら、ややこしい問題になれば、後ろ盾がジャッジを下してくれるから、問題なく仕事が進んでいた。だけど、ワンマン会長は利いたところ、うちの会社の神様みたいな状態らしいから、誰も反対意見を述べないらしい。足しがストレスだらけのヒステリーになるのは確かに眼に見えている。・・・我慢を知らない人間なんで・・・、自分が正しいと思うと。だから、ストレスたまって失業するより、会長が飽きて回りに任す状況になるまで登場しない方がいいんだ、って。そう考えて自分を納得させてるというとこなんだけど。
2006年10月30日
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確かに、私のファンたる後ろ盾が偉い人たちだから、多分にみんなが気を遣ってくれることは事実だと思う。でも、いいじゃない、それでいい仕事が出来るんなら。私は今ではそう割り切っている。 それに、個人的な好き嫌いで偉い人にチクったり、って言う、卑怯な真似はしないから、結構、信頼してもらってオモシロイ情報も入ってくる。尤も、それが結構厄介というか、ストレスになったりもするのだけど。「え?、それって、実は、私にそのことをえらい人に伝えて欲しいっていう意味?」なんて場によくなる。だけど、今では、それも考えないことにした。とにかく、何も言わない。私が知りえた情報は守秘義務がある、と、自分に課している。そうしないと、余計なストレスがたまる。まぁ、口の堅いのも信用を得るポイントね。 だけど、こうした場で、それをたまに吐き出さないと、「王様の耳はロバの耳」なんてことになっちゃう。オモシロイ情報で私の好奇心を満たすのと引き換えにストレス受け止めるようなモンね。 うちの会社の親会社は東証1部上場の大きな会社だ。だけど、現会長の創設者のワンマン会社でもある。で、新しい会社を作った。うちの会社と同じような会社を。うちの会社の偉い人たちはその親会社から出向して来た人ばかりで、イエスマンばかり。だから、会長のわがままで会社が動く。モデルパニックが終わって、うちの会社の新しい支店展開はとりあえず、当分はない。うちの会社の上層部ではいろんな取り決めがあるみたいで、支店展開の数も決まっちゃってるしがらみがあるのね。つまり、これ以上、うちの会社そのものは大きくなりえない。それで、新しい会社をということらしいのだけど、そこにできる人ばかり、引き抜かれていく。一緒にモデルやってきた「出来るなー」と思っていた支店長や工務長がどんどん移籍というか、引き抜いていかれた。 新会社の事業計画は3年で50支店!。もう、無茶苦茶、って言う事業計画なのだけど、みんな、その方向で動いている。 だけど、私には移動の話は出ない。ま、モデルの仕事は出来ても、言い換えれば、それ以外の仕事は出来ない。何しろ、特殊な物件だけやってきたから、うちの会社の設計基準とかそういうの、まったくわからないのだ。・・・多分、うちの会社で、一番分かってないんじゃないだろうか・・・?。だから、使えないのよね、普段は。 とはいえ、3年50支店だから、そのモデル展開のための人材は必要。だから、うちの会社のいろんな人が「お呼びがかかるよ」と、私に言う。かく言ううちの上司のMさんすら「覚悟しといて」といっていた。でも、いろんな状況が交差している状況だったから、よくわからんっ・・・。
2006年10月29日
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判ってない!!と叫びたくなるような修羅場を潜り抜けて、ようやく、うちの会社で「モデルハウス作るときは はなママに逆らってはいけない」という不文律が出来上がった。というか、私に任していたら、みんなも楽なのだ。流れがわかっているから、各自、自分のやるべきことさえこなしていればよくなるんだもの。まぁ、こなす数が増えたし、図面を書くとか、申請を出すとか見積もりを出すという事務作業は、今では各支店の担当者がやってくれるので、モデルの初期段階は全体のプロデュースと、後半で肉体労働、という流れが出来上がって少しは楽になった。なんとなく、専門分野ごとの割り振りの形が出来上がったってわけ。お互い、自分の得意とする仕事をやれるから、とってもいい状況。こう固まるまでに優に一年以上かかったってことなのだわ。はぁ・・・。私としては、その間に、各支店の支店長、工務長からそれなりに任せられる信頼を勝ち得るための期間でもあったわけだけどね。おかげで、今は、問題が殆ど起こることなく、物事が進むようになってきたし、各支店とも、モデルに関しての相談事はすべて私を通すようになっているから、管理もしやすくなっている。いい方向になってると思う、会社的にも。 これまで、ナンバーワンとMさんが後ろ盾についてくれてたから、わけわからないことする現場担当者も減ったし、私の仕事をやりにくくする人間は後ろ盾の人たちが排除してくれた。何しろ、事業計画があって、そのスケジュールどおりに進めることが最優先で、それの支障をきたすのは「いけないこと」だから。だから、これまで、相当の数をこなしてきた私に「思いつき」で勝手なことをしたら、痛い目を見るのはその当人になるわけで。 勿論、こんな文章表現にすると、相当私って、わがままに仕事してると思われそうだけど、実は、こんなにスムーズに流れるようにするために、頭を下げ、心の中で毒づきながらも、うまくいくよう社内営業もやったわけだ。言い換えれば、むしろ、その部分で各支店の支店長やリーダーたちに非常によくして頂いてるわけで。 私の仕事がやりにくくなるということは、当然オープンが遅れて事業計画が狂うということ。地元の工務店でしか仕事したことない古いおっさんは、依然として男尊女卑で、女が建築なんて、と、あからさまに逆らう輩がたまにいた。これが非常に仕事をやりにくくする困ったさんで、工程の連絡はしてくれない、勝手に変更する、なんて事をしょっちゅう。こっちはそのせいで、やり変えなきゃいけないことが出てくるというのに。なんたって、建築は共同作業。だけど、そんなことさえ判らずに人を見下した態度とって、邪魔すると、私も「むかっ」。仕事がやりにくいから、後ろ盾に協力要請。すると、いつの間にか、困ったさんは私にすらぺこぺこ。男尊女卑なんて、所詮、そんなもの・・・。 良くも悪くも、うちの会社でモデルを作るときは、もう、誰も私をむかつかせることはないから、比較的、気持ちよく、スムーズに仕事が流れる基盤が出来上がった。・・・というのも、「気持ちよく」仕事が出来ないと、いいモデルが出来ない。わたしのモチベーションが上がって、ぱーっとイメージが膨らむと我ながら自画自賛したくなるいいモデルが出来る。ありがたいことに、うちの偉い人たちはみんな「はなママテイスト」のファンだ。だから、私が気持ちいいと、工事自体の仕事もスムーズに流れ、いいモデルが出来、偉い人が喜ぶと支店長が嬉しくなって営業のやる気が出る、と、すべてがいい方向に流れる。 なんとなく、今ではみんな、その「いい気持ちの流れ」を理解してくれているみたい。だから、お互い協力して、いい仕事しようね、というチームワークが出てきた。だから、今年のモデルパニックは大変だったけど、そんな流れが出来上がるきっかけにもなって、その部分ではとても満足のいく結果になった。有難い事だ。
2006年10月28日
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最近、私の周りがざわついてきている。インテリアコーディネーターととしての仕事は「プロ」としての自信がある。それだけのスキルをつんできた分、ただ資格持っているだけの人より、はるかにいい仕事が出来るし、デザインのセンスにも自信がある。資格を取るだけなら、センスなくたって、試験には通るから。 今の会社に身を置いたとき、うちの会社は今まで「インテリアデザイン」に、全く重きを置いてなかった。ただ、住宅の「箱」を提供するだけ。私は今の会社に「設計」として入社した。一応一級建築士の有資格者だし、設計の仕事も同時に長くしてきたから。それが、ひょんなことから、入社した支店が新しいモデルハウスを作るっていうことで、たまたま長くインテリアをやってたから、というだけの理由で白羽の矢が当たり、手がけることに。「お、流石にやってただけあって、できるじゃん」なんて、多分軽い思いで次の支店もしてもらおう、と、仕事がふられたと思う。それもそつなくこなすと、偉い人がそれを見て「これからの分はやらせたらいいじゃないか」という展開。ところが、私の立場は入社した支店の設計。私がモデルにかかりきりになると、当然設計は仕事量が私がやってた分負担が増えるわけで、随分そのころ辛かった。何しろ、インテリアに関しては素人ばかりの会社だから、モデルハウスやるのにどんな業務があるか、知らない人ばかりなのだ。その問題はしばらくして「転勤」という形で解決したけど、それまでは、ほんとに辛かった。 因みにモデルハウスは、立つ場所のリサーチ、住んでる人の主たる人間性と嗜好のリサーチ、経済動向や所得層分布のリサーチ。それからはじめて、建てる住宅の規模や予算に合わせてターゲットの設定。このターゲットの設定という、モデルの基本の「き」すら、誰もわかっていなかった。初めは、これを設定するだけで一苦労。みんなが勝手な要望を言う。たとえば設定を「35歳前後の夫婦と小学高学年、中学生の子供」とするのに、和室二間続き、腰壁に木質パネル、ダークな色の床材、なんていう。だけど、一般的なその年齢層が求めるのはその逆。ナチュラルな床材や腰パネルなんて不要。和室は要らないとさえ言う。 そんな「おっさん」(つまり、その支店の支店長や営業たち)たちを説得しながらコンセプトをまとめる。その説得がどれだけ大変か。当時、私をえらく買ってくれてたナンバーワンがいたから、なんとか進んだようなもので。ペーペーの私が言っても、訊かないんだもの。ナンバーワンは仕事柄、そういうリサーチの重要性はわかっている職種だったので、私の言うことを理解してくれてた。・・・最も、一流の会社になれば、モデルを作るときは専門の部隊があって、こんなリサーチなどはすべてやってて、地元の支店のおっさんのわがままな言い分なんて聞かなくていい、スマートなシステムは出来てるんだけどね。 ともあれ、そこから初めて、モデルのプラン作って、設計図作って、予算出して、確認申請提出して(モデルは「特殊建築物」として扱われるので、確認申請もイロイロ厄介)、それで初めて工事部に引き継いで着工となる。それまでの作業を全部一人でしていた。で、着工したら、今度は「外部の色決め」「内部の色決め」「照明プランと、電気配線図書き」。サンプル取り寄せ、予算を考え、図面に起こす。で、インテリアのプラン。家具の配置、ソファなどのファブリックを決め、カーテンにあわせ、見積もりを取り、金額にあわせてプランのやり変えを何度も繰り返す。で、発注。それから、壁にかける絵を画廊に行って、柄を選び、フレームを選び、マットを選び、サイズを指定。予算あわせを繰り返して発注。会社から、がばっと、金を受け取って、ディスプレイの小物を買って回る。そして、ようやく、設営、という流れになるわけ。 だけど、だーーーーーれも、こんな仕事があるってことを知らないから、最初のころは、火を噴くように大変だった。現場で勝手に電気配線が変わっていたり、床材の色が変更されてたり、などなどなど・・・。家具、カーテン、すべてオーダーメイドだって事を理解してなかった。もう、ひたすら大変・・・!!。
2006年10月27日
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今日は10月11日。北海道最後の朝。 朝からどんより。天気予報は雨。でも、朝ごはんにカフェオレが飲めた。昨日、牛乳がない、と言ったのをマスターが覚えてたみたいで、用意してくれてた。ちょっと嬉しい。はなもちゃんと朝ご飯、食べてくれたし、トイレも済んだ。宿の隣の部屋もワン連れ客で、そのコもあまり吠えないおりこうさんの、ちょっと老境に入った黒芝だった。ドアがあいてたから判ったんだけど。それが、すごい、におうの。はな、結構、においが少ない。ところが、そのコ、キョ-レツに犬臭くて・・・。時々思うんだけど、これって、犬の個体差なの?。でも、隣の部屋だし、この匂いがはなと思われるの、いやだな、とか、思ったりする、ジコチューな私。そのお客さんがチェックアウトしても、あいたドアからそのコの残り香が・・・。何が違うんだろうねぇ・・・。 チェックアウトして、空港を目指す。ナビの所要時間で見ると、9時に出ても、着くのが1時くらいになっている。途中、寄り道とかもしたいから、急いで出発した。・・・水曜日、平日に街中通ると混むだろうなぁと思ってたら、全然。函館って、大渋滞するほどに朝、混まないのね。 高速道路、がんがん飛ばしてたら、予定所要時間がどんどん短くなる。このナビ、スピード設定、何キロにしてんだ?。とはいえ、途中でご飯食べたりしなくちゃ、と、思ってたし、飛行機に乗るはなのために時間取っておきたいし。高速道路上で「登別」とか「有珠山」とか、でてたので、寄り道。だけど、雨が降ったりで、景色はよく見えない。 千歳市に入ったのが丁度昼ころ。気持ち、札幌ラーメンが食べたかったんだけど、フライトが2時で、レンタカー返したりしてたら、なんだかんだで時間ぎりぎり。ガソリン満タン返しだから、レンタカーやさんの近くのスタンドで社内清掃をあわせてやってもらう。いくら、バックシートにフルカバーかけてたっていっても、結構車内ははな毛だらけ。スタンドのショップではなと清掃が終わるのを待つ。彼女は、だんだん、自分の身に降りかかるであろう不幸の予想がわかるのか、尻尾がだらーーーん。あちゃー。 レンタカーやさんに着いたのは折りしも1時前。はなの恐怖はレッドゾーン突入。隙あらば逃げようとしているんだけど、あんた、逃げて、北海道からどうやって帰るつもり?。空港まで送ってくれるバスがなかなか来なくて、やっと来たバスで空港に着いたのがフライト30分前。こうなったら、私も「ラーメン」なんていってられない。お土産も買わなくちゃいけないし、でも、ぎりぎりまではなと一緒にいてあげたいし。 はな、この段階で、すでにレッドゾーン振り切っている。がたがた震えて、視点が定まらない。この瞬間だけは、本当にはなに申し訳ないと思う。手続きだけ済ませて、預けるぎりぎりまでの時間、はなを抱っこして抱きしめる。いくら言い聞かせても、判るはずもなく、安心するはずもなく。私の声なんて、きっと聞こえてないんだろうなぁと思う。いよいよ、ぎりぎりになってカウンターに向かうとはながぎゅーっと抱きついてくる。ごめんねー、と、心の中で詫びながら、カウンターで乱闘の末ゲージに押し込み振り返らずに去る。泣き声もあげないまま、私を見ているはなの目線が背中に刺さる。痛いよーーー。 速攻、足りないお土産をばたばたと買い、走って搭乗口に向かった。出張で携帯でタッチアンドゴーに慣れててよかった。空港で最小の時間で済むのは助かる。帰りのフライトは特にゆれもなく、時間の遅れもないままに福岡につくことが出来た。やっぱ、疲れてたんだね。殆ど、機内では寝てました。 福岡に着いて、早くはなを迎えなくちゃと荷物カウンターへ走るんだけど、荷物はJALのVIPカードより、ワンコの方が早く出てくる。帰りも私の荷物より先にはなが出てきて、ゲージの中でママの姿が見えるのに出してもらえない状態が続いた。一応VIPカードのおかげで、一般客より荷物は早く出てくるんだけど。 ゲージから出しても、はなは抱きついても来てくれない。とにかく、忌まわしい空港から出たいの、って勢いで出口に向かって引っ張る引っ張る・・・。外に出て、ようやく彼女もちょっとだけ落ち着いたみたいで、私のほう振り返ったりはしてくれるんだけど、・・・やっぱり、その目線がキツイと感じるのは負い目のせい?。 預けていたキューちゃん2世のところまで戻り、付近をちょっと歩かせてトイレして車に乗り込む。はなもようやく慣れた空間に戻ったことが判って、落ち着いてきたことが判る。ホッ・・・。私も一息ついて、マリリン♪にメール。御世話になりました。返信、筋肉痛。昨日の函館の町の散歩はジモティマリリン♪も筋肉痛になっていた。最後まで笑わしてくれるなー、マリリン♪。 高速飛ばして(久しぶり、車がいっぱい、ネオンがいっぱい、ほっとしたーー)家に帰った。はな、「おばーーちゃあぁぁぁーーーん」と、母に抱きつきっ。おい、なんだよ、それっ。 ま、仕方ないか。さびしい思い、させたかね。旅先でお留守番もちょこちょこあったし。だけど、ママははなとたっぷり時間過ごせて、楽しかったんだよ。特に今年の夏は出張が多くて一緒に過ごす時間が少なかったから、その分、取り戻したい気持ちもあったんだよ。 飛行機に乗せることだけ、最後の最後まで悩んだけど、でも、ママは はなと一緒に行けて楽しかったんだから。 はなは、うちの両親にひとしきり挨拶して、がっつり晩御飯食べて(やっぱ、旅先だと、色が細くなるのよねぇ)爆睡。きっと、あしたも、こうやってこんこんと眠り続けるんだろうな。でも、ゆっくり休んで疲れ、とってね。ほんとに楽しい8日間だった。帰ったばかりなのに、また、行きたいと思っている私。また、来年も行こうかな。はなー、そのときは、また、付き合ってねー。お疲れ様ね、ありがと、はな。
2006年10月13日
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10日の夜のつづきです。 それから、昼ごはんはお勧めの函館ラーメン! 。おいしかったーーーーーーー。麺好きの私、ご当地麺は、押さえておきたいポイントで。博多ラーメンが一番と思って入るけど、北海道もやっぱりおいしい。特に函館ラーメンはあっさりしたスープで癖がなく、結構好きになりそうな味。 はなつれて五稜郭の公園散歩して、学生時代にはまった「新撰組」熱、思い出して、なんか、ノスタルジー感じちゃった。 車に戻って、マリリン♪お勧めの「立待岬」観光。岬めぐりって、結構、必須でしょ。天気がいいからとても綺麗だった。フェンスに「イカ」のモチーフつき。函館って、よーく見ると、あちこちにイカのモチーフがあるの。見つけると楽しい。 そして、夜に向けてのイベント第1弾。宿に戻って「はな、ごめん」して、函館倉庫街に向かう。すっかり観光ナイズされた古い倉庫を改装したショップなんだけど、観光客が凝縮した北海道のお土産を手に入れる場所としてはグー。だけど、お土産買うのはもちろんなんだけど、目指すは「地ビール」!。4種類のビールが楽しめるというセットがあるというマリリン♪の言葉で、絶対呑まなくちゃ、モードのスイッチオン。わざわざ歩いてのみに行きました。今日はいっぱい歩いたし、と、自分に言い訳してのみましたっ。このあと、食事に行くのにねー。でも、体動かしたあとのビールって、サイコーよ。・・・いつのんでもおいしいんだけどね。 とりあえず、マリリン♪とわたしは各々戻って、ムスメを散歩させたりご飯したり。それから第2弾は函館ロープウェイで夜景。ロープウェイ乗り場に待ち合わせして函館山に上がる。宿からの夜景もそれなりに綺麗だったのだけど、やっぱ、上から見る夜景は絶品!!。しかも、函館って場所が「日本地図」の上で見るくびれた形、ってのがわかるシルエットが浮かび上がって、「おおー、北海道!」・・・どんな感想じゃ?!。さすがに夜の函館観光メッカなだけに、人がうじゃうじゃ。でも、見るだけの価値あり。 第3弾はロープウェイで降りて、そこから歩いて晩御飯。飲酒運転はいけませんからねー。マリリン♪が予約してくれていたしゃれた居酒屋。元、写真館を改装したという、とても雰囲気のいいお店。マスターもいい男。 話は尽きない。そうそう、びっくりしたこと。北海道の人は、本州のことを「ないち」という!。函館弁は、沖縄弁に似ている!。日本の北端と南端でこんな共通点見つけたのはとても以外!!。 ここで「かに」「いか」食べた!。イカ墨ソーセージはオーダー忘れられてたみたいで食べ損なった、残念。それと「焼いたジャガイモに塩辛を乗せて食べる」という、函館風の料理、頼むの忘れてた!。残念残念。これは、帰ってからチャレンジしてみるわっ。 すっかり、呑んで、しゃべって、いい気分。マリリン♪は、とってもいい話し相手になってくれて、とっても訊き上手で、すごく楽しい時間を過ごせて・・・、すっかり忘れてた。マリリン♪から「こなっつにメールしなくちゃ」おおおおおおおおおお、まずいっ。 速攻、酔っ払い写メ撮ってメール!!。こなっつから電話かかってきたーーー。娘さんがご結婚が決まったとか、知らなくて・・・。マリリン♪に教えてもらっててよかった。おめでとうがいえて。そこでまた、いろんな話して・・・。なんか、いいなぁ、ワンを介して日本中に友達がいるって。そんな、しみじみ嬉しさに幸せだったぁ。 ご飯もおいしかった。いいお店に案内していただきました!。 ちゃんと、お金払って出てきたんだけど、帰りの道すがら、イロイロ話したということも覚えてるんだけど・・・。酔ってたことも事実で、ちょっと記憶がやばい。マリリン♪と宿まで歩いて戻って、車からはなを出す。ごめんよーー、狭い車でずっとお留守番させて・・・。マリリン♪と、お別れの挨拶してもらった。明日は朝一で空港を目指さなくちゃいけない。だけど、別れが惜しくて。まだまだ、はなすこと、いっぱいあったんだけどなぁ。あんまり、沢山の話して、あんまり急に盛り上がっちゃったから、さよなら言えるタイミングがつかめないの。 何度も振り返りながら、さよならして、宿に戻った。風呂に入って、速攻、寝る。布団の中で、今回の道中のこと、イロイロ思い返した。ほんとに楽しかった。しかも、最後にマリリン♪達と会うスケジュールにしててよかった。はなもすやすや寝ている。いい日だった・・・。お休み・・・。
2006年10月12日
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今日も、長そうだから2回に分けます。じらして、スミマセン。日付は10月10日、体育の日です。 すっきり目覚めて、部屋にはなを残して朝ご飯。朝ご飯にカフェオレが欠かせない私だったけど、牛乳がなかった。ちぇっ。因みに、風呂と朝ご飯のときは、留守番させててもいいんだよね。 高台の宿から見る朝の景色もまた、綺麗だった。ラッキーなのは数日前までの嵐のお陰で、きっと空気が澄んでいたのね。景色の綺麗さが格別なの。これなら今夜の函館の夜景も素的だろうなぁ。 トイレ散歩して、車でマリリン♪んちまで向かう。今日はマリリン♪に函館ガイドしてもらう予定!!、なんだけど・・・?。 まずは、マリリン♪んちについて、マリンちゃんファミリーと、うちと一緒に散歩。観光地ど真ん中だから、散歩コースって、すごい、ゴージャス!!。外人墓地(キリスト教、ギリシャ正教から中国人墓地まで)だってイロイロ有るし、お寺だって、本土と違って寒冷地仕様!。景色はすばらしいし、テレビドラマによく出てくる函館の坂道の撮影ポイントだってある。こんなところ、毎日見られるなんて、贅沢すぎだわーーー。マリンパパから函館穴場スポットという高台の公園に案内していただいて、ノーリードでワンたちを走らせる。天気はいいし、素敵な景色だし、ワンたちは楽しそうに走り回って、いいわぁ・・・。 マリンパパいわく、日ごろの鍛練の結果、マリンちゃんの循環器は強靭で、健康そのものだって。「あの山に登るんですよー」と、明るく言うマリンパパのさすのは、道無き山で、そこを駆け上るらしい・・・!。うそだっ・・・!、有り得ない。そんな散歩を普通にしてれば、健康なのは当然ね。ところが、ヘタレの箱入りのはなは、連続の坂道と公園で走り回り、この数日の食欲不振ではーはー。言うまでもなく、運動不足の私は膝は爆笑、心臓バクバク、汗だらだら。・・・こんな坂道の町に住んでると、健康にはいいかも・・・。しみじみも運動不足を思い知らされた。でも、ジモティマリリン♪も、へたれてたから、ちょっと安心。へへっ。 マリンパパは近所で有名人。ていうか、とっても気さくで、いろんな人と挨拶して、マリンちゃん介して知り合いが多いの。おもしろい・・・!。しかも「うちのムスメ、かわいいでっしょーー」ってニュアンスが溢れてるの!!。マリリン♪は、むしろ、クールに見ているとゆー対比がまたおもしろい。 1時間くらいマリンパパのガイド付で、散歩して、マリリン♪んちに戻った。それから今度は、マリリン♪を私が占有。はなと3人(?)で函館観光。ところが、マリリン♪てば、私の上手行く方向音痴。「私も初めてーー」。おいっ!。ナビって、ありがたいモンです。でも、そうはいってもマリリン♪は、私が求める助手席の勤めをきちんと果たしてくれまして。話し振ってくれるし、とっても気遣っていただきました。運転乱暴な私、さぞ、本心はビビったんじゃ・・・?!。 マリリン♪て、大人なんだけど、方向音痴とか、とっても純粋な部分とか、そーユーところが「守ってあげなきゃ」って、思わせるかわいらしさがあるのよね。・・・ほっといても一人で生きていける、と思われてる私と大違い。 話題が尽きないほど、いろんな話しながら、函館めぐりしました。最初がトラピス教会。当然ワンは入れないから、入り口につないでおく。こんな風につながれておくことにはなは慣れてるから、特に心配はない。そりゃ、人間好きで愛想がいいし、美人だから、連れ去られたりしないかって、オヤバカな気持ちからすれば心配なんだけど、こんなとき「雑種」って、結構安心。まさか、連れ去りはしないだろうって・・・。どうかな?。 それから「五稜郭タワー」に上って、観光客する。なんと、マリリン♪も、行くのは初めてらしい!! 。ま、案外地元ってそんなものかもね。マリリン♪の名誉のためフォローしとくと、ごく最近綺麗にリニューアルされたらしい。おみやげ物が面白くて。会社用にキャラメルを沢山買った。塩バター、プリンなどの普通のものと、ジンギスカン味。マリリン♪いわく、激マズらしい。だけど、こーユーのがオモシロイ。で、それと、イカ墨も買ってみた。 因みに、後日、ジンギスカン味キャラメルは、社内でジョーク通り越して、嫌がらせか罰ゲームかという使われ方、してた。ま、いい話題提供にはなってたみたいで。私も角っこ、ちょっとかじってみただけで「白旗」。激マズ、まちがいない。 北海道といえばキタキツネ。結局、本物は見れなかったけど、とにかく何か、狐グッズが欲しくて見つけたのが「網走刑務所」のタグのついた囚人服着た結構リアルな狐のストラップ。函館で、網走かいってのはどーかな、というのはあったけど、私の「狐グッズ」の渇望は満たされた。妙にリアルな狐がぐっときた。
2006年10月11日
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6日目の続き。長いわよーー、覚悟して読んでね。 5時前に函館に入った。路面電車が走る、私からすると、ちょっとノスタルジックな風景。私が子供だったころ、北九州でも走ってたなぁ、って。路面電車の走る街って、なんか、雰囲気が似てると思う。高知、鹿児島、熊本、松山、などなど・・・。ちょっと懐かしい、雰囲気を持った町って言うイメージかな。北海道に来て、ずっと、自然豊かなところばかりにいたから、久しぶりに町に入って、ある意味ほっとした。・・・やっぱ、都会が落ち着く私。 今夜の宿を目指す。どんどん、山の手に上がっていく・・・。観光地ど真ん中。え・・・?、こんなとこに宿があるの?、って思い。だって、ペンションだし、安いし、だから、観光地ど真ん中の一等地に建っているわけないっていう思い込み。ところが、函館ロープウェイの乗り場のすぐ近くの斜面の一番上に建っていた。とても景色のいいところだった。わーーーー、と、気持ちが盛り上がる。チェックイン。ところが、速攻、テンションダウン。「食事等で部屋に犬だけお留守番はさせないで下さい」だって・・・。建物内は抱っこして移動して、とか、部屋の中だけフリーだけど、ベッドにはあげないで、とか・・・。そこまで、厳しいこと、HPには書いてなかったんだけど・・・。とは思ったものの、ここで、難癖つけて「ワンコ飼いは常識がない」なんて思われちゃいけないと、ぐっと我慢。ワン連れ旅のときって、妙に自分が「全飼い主の代表」みたいな気分になる。しっかり、いい飼い主になって、どこにでもワン連れて行ける社会を作る邪魔をしてはいけない、みたいな悲壮感。っつーか、単に、うだうだ言いたくないだけの面倒くさがり、ってところが「大」なのだけど。部屋は6畳くらいの広さで、そこにシングルとセミダブルのベッドが置いてあって、しかもそのベッドが高い。だから、ものすごく狭く感じる。使わないほうのベッドに荷物を置いてはなが乗れないようにして、使うほうのベッドにカバーをかける。ベッドに犬を上げないで、って言ったって、上がっちゃうんだから、仕方ない。だから、上がってもいいように必ずカバーはかけておく。粗相する心配はとりあえずないし、したら、正直に話して弁償したらいいと割り切っている。旅先では、ワンだって、ナーバスになってるんだから、あれも駄目、これも駄目っていって、窮屈にさせたくないし、ある程度、自分ちのコ信頼できるくらいのしつけをしておくってのも、こんなときにはとっても大事なことなのよね。でも、あにはからんや、ベッドが高い。狭くで助走が出来ない。はな、ベッドに上がるの失敗して落ちる。で、この日、自力でベッドに上がるの、あきらめた。ヘタレ。「おかーさん、だっこ」と、私を見る。はいはい。マリリン♪がもうすぐやってくる。はな抱っこして玄関に向かう・・・、と、車の鍵忘れたことに気がついて、はなを風除室につないで部屋に戻って鍵を取ってきた、ら、外に女の人がいて、はなに話しかけていた。マリリン♪だー、と、すぐ、判った。不思議なもので、初めて会うのに、判るのよねー。って、まー、その時間に来てるわけだから、間違いようがないのだけど、確信があるのよ。間違いない、って。マリリン♪って、すごくかわいい!。・・・私と同い年なんだよねぇ・・・、って、思いがよぎる・・・。会うのは初めてなのに、たいした挨拶もしないまま、普通に話が始まる。やっぱ、ネット上ですでに話しているから、昔からよく知ってる、みたいな感じなのよね。勿論、不安がないわけじゃないけど、マリリン♪は、想像通りのイメージの人だった。だんなさんに送ってきてもらってて、だんなさんと挨拶。とってもかっこいい、さわやかな方でした。 宿の廻りをはなつれてちょっと散歩して、車にはなを乗せる。・・・留守番駄目だから。この季節でよかった。寒くもなく、暑くもなく。で、食事。この宿、食事が自慢、という宿で、高台に建っているから、「函館の夜景を見ながら食事」が、うたい文句。確かに、日が落ちた函館の夜景を見ながらの食事は、女同士じゃなかったら、すごい、ロマンチックよねぇー。食事は、まぁ、確かに、おいしかったんだけど、旅館の部屋食、って感じで、前菜からデザートまで、テーブルに載ってるの。だから、ゆっくり話しながら、って感じで食べてると、冷めちゃう。ちょっと、そこんとこ、興ざめ・・・。やっぱ、あったかいものは暖かく、冷たいものは冷たいままで食べたいものだわ。イロイロ話したわよ。ちょっと、意外なマリリン♪を知った。てゆーか、こんな考えの私って、「へん?」って思ってたのと同じこと、マリリン♪も思ってたことがあって、嬉しかったなぁーー。この日、函館ロープウェイで夜景見る予定にしてたんだけど、はなを車においているし、これ以上留守番させるのかわいそうってマリリン♪が言ってくれて(私は構わないと思っていた冷たいママだった・・・)、散歩かてらに、マリリン♪んちにお邪魔することに。うわーー、マリンちゃんに逢える。 マリリン♪んちは、宿から歩いて10分くらい。ものすごくいいところに建っている。途中の道も観光地で、半分、観光しながら、はなと3人でゆっくり話しながら歩いていった。そのマリリン♪の家は高台に建つ瀟洒なお宅で、(専門家の私が言うから間違いない)しかも、函館の夜景の見渡せる素敵なリビング!!。毎日、あんな素敵な夜景が見えるリビングに住めたら、ほんとに素敵よーー。 マリンちゃん、突然の訪問者にちょっと興奮気味。ヘタレのはなはめそめそママの近くをうろうろ。マリンちゃんのブルーアイは、ほんとにきれいで、ゆるくカーブしたコートとともに、「外人やー」って感じ。でも、かわいい。で、パパ溺愛。わたしも、はな溺愛オヤバカには自信(?)があったけど、マリンパパはそれをも上回る「マリン命」状態。もう、かわいくって仕方ないといったところで。しかも、「見習わなくちゃ」と、思わされたのが、ものすごく、真剣にマリンちゃんの健康を気遣っているところ。私のはなへの気遣いのはるかに上手でした・・・!。しかも、マリンちゃんの「パパ大好き」ぶり。ソファに座るパパのひざで、うっとりうつらうつら。マリリン♪、ファザコンムスメを見守る母、っていうところ。こんな、マリンちゃんを愛してくれてるパパママと一緒にいるから、興奮が収まると、すごく、いいコになって、おだやかなマリンちゃんでした。なんたって、はなをいじめないでくれた!!。はな、弱虫だから、結構いじめられっこになっちゃうんだけど、マリンちゃんは、はなをほっといてくれて、とっても「いいおねーさん」でした、有難う、マリンちゃん。マリンパパのすばらしいコレクションもみせて頂きました。すごく、そのコレクションの世界に造詣が゛深くて、お話聞いてて面白かった!。「その道」極めた人の話って、ほんとに面白いのよね。マリリン♪夫婦って、二人がお互いをとっても尊重しあってて、とっても仲良しの素敵なご夫婦でした。・・・マリリン♪が、とっても、大人なの。私の持論だけど、うまくいってる素敵な(素敵な、がポイント!)夫婦って、奥さんがいい意味で大人だと思う。趣味に暴走しがちなオトコをうまく操縦して、そのプライドを傷つけず、満足させ、暴走しないように見守るの。・・・私の印象で、マリリン♪は、まさしくそんな感じでした。・・・てもね、決して「カンペキな」大人じゃないのよーー、マリリン♪って。くすくす、かわいいのよ、ほんっとに。それが判るのは明日。というわけで、なんか、すっかり話し込んじゃって、はなに晩御飯あげるの忘れていた!。明日の約束をして、はなと宿に戻り、素敵な夜に満足しながら、函館の最初の夜は終わりました。
2006年10月10日
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携帯のアラームで6時20分におきた。今日は牧場見学ツアー。かなり低血圧なのだけど、朝には強い。で、ばたばたと着替えて出かける準備。スッピンで髪をひっつめに縛ってめがねではなを抱っこして外に出た。朝からものすごくいい天気!!。昨日までの台風のような暴風雨はなく、すっきりと晴れ渡っていた。蝦夷富士と呼ばれる名峰、羊蹄山の麓という宿のふれこみがやっとわかった。綺麗な富士山のような形の山がくっきりとそびえている。なんか、感動。宿のオーナーがマイクロバスでツアー参加者を乗せる。私と二組のお客さんが乗り込んだ。オーナーが道すがら観光案内してくれる。おんぼろバスにガタゴト揺られながら朝焼けの光の中のバスツアーはなんかとってもいい雰囲気。私のうきうきが伝わったのか、はなもうきうき。最初の目的地はホルスタインの牧場。はなも連れて行っていいとは言ってもらえたけど、キョ―レツな臭いの元が落ちているところを歩いたはなが私の添い寝をするというのには抵抗があって、バスにお留守番。牧場だから乳絞りなんて出来るのかなーと、ちょっと期待なんかしてたけど、機械でしゅぼぼぼぼーーっ、って絞られている。なんか、牛さんたち気の毒な感じ・・・。オーナーがイロイロ牛のこと、えさのことなど説明してくれて面白かった。で、オーナーはその牧場で今朝の絞りたて牛乳を分けてもらって次の目的地へ再びバスで移動。今度は馬の牧場。馬といっても、乗馬クラブみたいなところで、なんでこんなところに?、と思っていたら、やおら、オーナーが、なんていう名前だっけか、スイスの民族楽器みたいな2メートルくらいの長さのホルンを出してきた。で、それを吹いてくれるわけ。その牧場は演奏のための舞台だったわけね。なんか、いかにもスイス、って感じの建物がバックに見えて、確かにとっても絵になる風景だった。・・・でも、吹いた曲が「北の国から」。・・・ちょっと、違うだろーー。この曲は今では北海道テーマソング、ってところね。どこに行ってもかかってる・・・。ともあれ、綺麗な景色と空気と音楽でとってもいい気分になったことは間違いない。こんなちょっとしたアトラクション考えてサービスしてくれるあたり、なかなかこの宿はいいのかもしれない。 市販の牛乳飲むとおなか壊すんだけど、絞りたてといわれると飲んでみたくなるわけで。もう、絶品の味ね。濃厚でほのかに甘くておいしかった。カフェオレにしたら、そりゃもう、幸せ・・・!!。究極の贅沢な朝食ね。宿をチェックアウトして函館を目指す。所要時間5時間近く・・・。ウウ、遠い・・・。ナビでルートの確認をすると、昨日の洞爺湖の近くを通る。だから、せっかくなら晴れた洞爺湖を見ようと思って寄り道。確かに雨の洞爺湖よりは晴れの洞爺湖の方が綺麗。高速に乗ってがんがん飛ばして走る走る。函館が近づいてきて、時計を見ると、まだ2時過ぎ。早く着きすぎるのもなんだと思って寄り道。函館入りの手前でヘンな形の山が見えてきた。道の駅で確認すると「駒ケ岳」。へー、あんなに有名な山なのに、こんな形なんだ、と、ちょっとがっかり。だって、全然綺麗じゃない。また車を走らせると「大沼公園」と表示。それでも3時過ぎだったから、はなと散歩でもしていくかと再び寄り道。で、やっと判った。こっち側から見る駒ケ岳はとても綺麗なのだ。山のなだらかな稜線や木々の緑。これでやっと、有名な山であることが納得。大沼公園はそんなに人の手が入っていると思わされない自然な感じの公園で、散策にはとてもいい。・・・が、道案内が少ない。犬連れだから、地元の人と思われるのか、途中で何度か観光客に道を聞かれた。でも、そのくらい、散策路がわかりにくい。一度は突然藪からがさがさっと音がして「熊?!」と、ビビって身構えたら疲れた感じの老夫婦が現れて、「入り口はどっちの方ですか?」と、訊かれた。相当迷ってさ迷い歩いていたらしい・・・。そのうち、きっとこの公園で遭難者、でるなー。ちょうどその直前に案内図見てたから、安心して出口の方角を教えてあげた。めっちゃ、感謝された。やばいよ、大沼公園!。途中途中で橋の欄干にカメラ置いてセルフタイマーではなとのツーショット。駐車場に向かう途中が露店になっていて、なんか、地方色のあるものが並んでる。・・・イカ墨ソフトクリーム、だって。流石函館が近い!。エゾシカ一頭分の毛皮が2万円。高いのか安いのかわからないんだけど・・・。はなはくんくん。私も恐る恐るさわさわ・・・。硬い毛なのねぇ。考えたら、革製品、鹿は手袋とか小物にしか使われないし、なめし皮。確かに、こんな硬い毛じゃ、毛皮製品は無理ね。で、フツーにソフトクリーム。やっぱ、おいしい。濃厚なクリームで、ほんとにおいしかった。いけないと思いつつ、はなにも分けてあげる。散策して回っていたら、4時を過ぎていた。後は、函館に向かうのみ。初めて会うマリリン♪に、ちょっと緊張とどきどき、そして、楽しみでわくわく。だけど、今日は長くなったので、続きはまた明日――。
2006年10月09日
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ひどい雨と風。天気が良くなる兆しもない。昨日の朝からはなは便秘。よって、朝ごはんを食べない。雨はひどいひどいひどい・・・。レインコート着せ、私も使い捨てレインコートを買ってトイレ散歩に出かける。強風の中、ふたりして、よろけながら宿の周りを歩いて、何とかはなは、おしっこだけしてくれる。昨日から殆ど何も食べてないは何すれば、あまりウンチも出ないわけだけど、おとといの晩御飯の分がまだ出てないから、ちょっと心配。 私の朝食が済んで(この宿の食事はうまい)、部屋に戻ろうとすると宿のオーナーが「今日の予約は少ないんで、地階の広い部屋が空くんですけど、そちらに移ってもいいですよ、広いから、ワンちゃんにも快適と思いますし」と、ご提案。一応部屋を見せてもらう。天井は低いものの(170センチってとこね、私がちょっと背伸びすると頭が当たる)今の部屋の倍以上ある。窓が小さいからちょっと薄暗いけど、なんか、ちょっといい感じ。・・・ま、このテの宿に「衛生的、機能的、美的」なものを求めても仕方ないと思ってるから、それに目を瞑れば、外に出やすいドアもあるし(ところが施錠できない、それはマズイだろー)。ドア使わない時はソファであかないようにしなくちゃ、なんて思いながら、その部屋に引っ越す事にした。 因みに、前日、犬連れの客が泊まっていた模様で、犬臭い。私は鼻がいいのだ。 はなも、今の部屋にやっと慣れたから、引っ越すのはどうかなと思ったものの、この天気だ。どうせ、遊びに出られるわけもなく、部屋で過ごす時間が長いと思えば、快適な広さのほうがいいに決まっている。 で、はな抱いてお引越し。何せ地下だから、抱っこして階段下りるのはちょっと辛かった。部屋に着くと早速はなは探検。そーだろそーだろ、こんなに犬臭いもんなー。と、荷物をあけるために探検中のはなから目をそらした。因みにコンタクトはつけていない。視力0.01。最近、旅行しても問題を起こさないはなにすっかり安心しきっていた私。 あれ、何だ、あの黒いものは?。と、カーペットの端に何か発見・・・。・・・やっちゃったよー、景気づけ(?)脱糞。ウインナー2個分くらい・・・。幸いだったのはまる一日便秘だった事で、ころっとしたブツだったってこと・・・。何も汚してなかったんでホッとしたーーーー。一応、雑巾でちゃんとふき取って綺麗にしたけど。マナーだもんね。・・・でも、オーナーにはナイショにしとこう・・・。証拠隠滅・・・。 お陰ではなはのひのび。脱糞で自分のにおいつけたらそんなに安心するものなのかねぇ。とはいえ、退屈なわけで。宿では昼ごはんは出してないからご飯食べるついでだ、と、強風の中、ドライブ決行。物好きだなーと思いつつも、暇もてあましちゃってるから仕方ない。はなは置いてゆっくり寝かしてあげたいのは山々だけど、知らないところに一人ぼっちで留守番させられるよりは、強制的に連れて行ったほうがいいに決まってると、私の都合に合わせてはなを連れて行く。 宿から1時間半くらいのところに「洞爺湖」があって、それを見に行く事に。ホントはそれよりもうちょっと遠い「支笏湖」が見たかったのだけど、深さを誇る支笏湖をこんなどんより薄暗い日に見ても仕方ないと判断して洞爺湖に。 湖に島があるなんて、なんか、不思議な感じもするけど、雨に煙った洞爺湖も悪くない。で、湖の近くの町までドライブ。そのふもとに温泉町があって、なぜか、サツマイモのお菓子が有名みたいで、スイートポテトだの、お饅頭だのが売られている。・・・だって、北海道の土って、栄耀豊かな印象があって、貧しい土地に作られるサツマイモとイメージが結びつかないのだ。 とはいえ、昼ごはんを食べていない空腹の私には何でもうまい。で、「揚げ芋饅頭(高カロリー!!)と、宿での時間を過ごすために「スイートポテト」と「せんべい」と「地ビール」を購入。 写真撮ったり、道に迷ったりしながらドライブしつつ宿に戻れば薄暗くなり始めていた。もうすぐ晩御飯だ。はなは食べてくれるだろうか・・・。夕食の時に、翌日の朝の「牧場ツアー」の参加の意思を訊かれた。犬連れでもいいってことで、翌朝は晴れそうだったので参加する事にした。6時半スタートは早起きで辛いけど、面白そうだし。 部屋に戻ってはなのご飯。流石に丸一日何も食べてなかったお陰か、この時はやっと完食してくれた。ホッとした。で、再び雨の中、トイレ散歩。 今夜も温泉ツアーには参加しなかった私は、宿の風呂へ。こんな事なら、昼に洞爺湖で温泉につかっときゃよかった。 で、お楽しみ、地ビール。やっぱ、風呂上りはビールよねー。食事の時にワイン1本あけておきながら、またビールかよー、と、自分にツッコミいれつつ、「うっめーーー」。北海道では、毎晩飲んだくれてるわ、私。・・・これで、明日も飲むのよ、きっと。マリリンがいるから!。ちょっと、寂しいニセコの宿も今夜まで。明日、あさってはきっと楽しい夜が待ってるわ、いやいや、夜だけじゃないってば。と言うわけで、明日の早起きに備えて、飲んだくれの私は、いい気分になりつつも、ソファをずるずると動かし、ドアの前において、布団を敷く。・・・ベッドじゃないのだぁ。・・・しかも、前日と待ってた人のものと思しき髪の毛が付いている布団・・・。うげーーーー。布団用のシーツ2枚あったから、したに敷き、もう一枚はアッパーにしてその間にもぐりこむ事にした。勿論、犬連れ旅必需品のカバーは布団の上にかける。・・・前日の犬毛も残ってんだけどねぇ。 食事は文句なくうまいし、オーナーたちの「温泉ツアー」「牧場ツアー」その他のアトラクションで客を楽しませてくれようとする気持ちは伝わるいい宿なんだけど、神経質な私には、この非衛生的環境だけは辛かったなぁ・・・。 ま、3秒で寝ちゃう特技の私としては、えいせいてきじゃない、なんて言ったところで、2枚のシーツの中にもぐりこんで「はな、お休み」と、言った次の瞬間から、翌朝の目覚ましがなるまでに、結局、どうでもいいことになっちゃってんだけどね。
2006年10月08日
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朝から雨。この宿の朝食は決して「おしゃれ」ではないが面白いと言うか、サプライズ。昨日が鮭の親子丼(朝から!!)。程よいしょうゆ加減のイクラと焼き鮭とゴマ。ノリ。もう、感激もの!。で、この日がひじきご飯と、焼き「きゅうり」。魚なのに「きゅうり」。関東ではたまに「鮎」と言って売られてる事があるらしい「海の魚」と言う事だ。 食べると、マジで「きゅうり」の味がするのだ。きゅうり、っつーか、青臭い草のにおいというか・・・、きゅうり独特の青臭い風味。それが魚のクセにぷんぷん。再び、オーナーと朝、いろいろ話しこみつつ、再び10時過ぎ。話好きのオーナー。旭川からニセコに向かう。何しろ、低気圧が居座っているとかで、だんだん雨脚がひどくなってくるし、高速で走ってても、風が強くて車が流される。こえーーーーっ、なんて思う事しばしば。雨がひどいから、長距離ドライブなものの、はなの休憩お散歩もままならない。 そうそう、借りたレンタカー。チョーボロ。私の要求するステアリングに応えてくれない。タコメーター付いてないから正確なのはわかんないけど、多分、2000回転位までしか上がらないみたいで、とにかく、スピードは出ないは、坂道はもたつくは、ホイルバランスが狂ってるのか120キロくらいで激しくブレるし、結構頭にくる車だった。4時間少々でニセコに到着。その時は風も相当激しい。宿のドアも開けられないくらいのひどい風。こんなんじゃ、散歩にも行けない。部屋も狭いし、風呂もトイレも洗面所も共有。これは辛い。しかも同じフロアに10部屋くらいあって、しかもこの日は満室らしく、常に誰かがいるみたいで、神経質な私にはくつろげる雰囲気とはいえなかった。この宿はワンは部屋のみで、それ以外は抱っこして移動。食事は人間だけがダイニング。満室なくらい人が多いわけで、みんな、家族連れとか夫婦ものが殆ど。バストイレつきじゃないから、多分アベック、ってのは少なそうだったけど。とはいえ、みんな誰かと一緒なものだから、一人旅の私には結構寂しい。宿も少し気を使ってくれてたみたいで、大きなテレビの前が私の席で、リモコンまでおいてある・・・。なんか、ちょっと、わびしかった。 レインコート着せてトイレだけ散歩。でも、はなも文句はない。するだけすると、帰るーーー、と言う調子。コート着てるから、風はらんではな、飛んで行っちゃいそう。早々部屋に戻る。この宿、一応風呂はあるんだけど、バスで近くの温泉に連れて行ってくれるサービスがある。だけど、はな一人で置いておくのが心配で温泉は我慢。部屋で、隙間風が凄かった。ツインの部屋だったから、窓際のベッドに寝たい気分だけど、カーテンが吹き上がるくらいの隙間風だから、とてもじゃないけど、そのベッドには寝られない。で、枕や布団で目張り。何なんだーーー、この寒さは!。 すると、9時ごろ、オーナーがガムテープもってやってきて、本格的目張り。・・・マジかよー。多分、よその部屋からクレームきたのね。まぁ、確かに、あの隙間風じゃ寝られないわ。 でも、お陰で寝建具のがたつきもなくなったから、音も少なくなって、はなの怯えもかなり減ったけどね。何しろ、建具のがたつく音と、外の風のヒューーって音にいちいちるビビってるんだもの。がたつきがないだけでもだいぶほっとしたみたいで。ヘタレだわ。ほんと。 ベッドはシングルで狭くて、添い寝が出来ず、はなは床で寝ることにしたみたい。ところが夜中に目が覚めると足元にデンと寝ている。それっきり、私は足が伸ばせなくなって、胎児のポーズで寝る羽目に・・・。ホントははなをおこして、私が優先的に寝るようにしなくちゃいけないんだろうけど、疲れてるみたいだし、怯えてたし、散歩にも満足に行けなかったしで、ついつい甘やかしちゃいました・・・。 明日、遊びに行けるかなーと思いつつ、再び、ぐーーーー。疲れの出始めた4日目の夜が更けていく。
2006年10月07日
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プチ二日酔い。8時に朝ごはんを食べながらオーナーと話し込む。気がつけば11時。げ・・・。大慌てで今回の旅のメインイベント、旭山動物園。宿から15キロくらいのとこなんだけど、北海道ではこの距離は15分。ナビに入れることもなく、簡単に到着。因みにはなはお留守番。疲れてるんだから、寝ててよ、といいたいとこだけど、きっとめそめそめそママ~ママ~、なんだろうねぇ・・・。 旭山動物園は、面白かった。大体、いくら動物好きったって、早々この歳で動物園なんて行きやしない。まして、一人だなんて・・・。だけど、行ったわよ、一人で。なんか、手作り動物園、って感じね。冷静に考えたら、どうってことない小ぢんまりした動物園なのよ。古いし、昔ながらの造りだし。だけど、評判が評判を呼んで、すごく、よく、感じる集団心理が働いてるのは間違いない。それでも、「若い職員が楽しんで動物園を切り盛りしている」って感じの、世話をしている動物園の人、が、感じられるのが良かった。動物の説明も、きちんとしたパネルじゃなくて、職員が手書きしてパウチしているし、その文章読むと「クスッ」となるところも楽しい。 ただ、評判のホッキョクグマ、ペンギン、アザラシは、確かに面白かった。アザラシが水のチューブを通り抜けると、いっせいに客が「おおーーー」と、歓声を上げる。きっとアザラシが「見てごらん、口あけてボーっとしてるニンゲンを」なんて言ってんだろうなー、って思っちゃった。ホッキョクグマなんて、カプセルにお尻向けて爆睡よ。飛んでるように見えるペンギンは素敵だった。ペンギンフリークの私には、キャーーーって感動。・ ・・でね、初めて至近距離でペンギン見たの。50センチくらい近くで。手を伸ばせば届くところでペンギンがジーーーっとしていた。で、ジーーーっと見た。ペンギンって、まぶた、ない?!。目が恐い・・・。結構これはショックだったなぁ。オラウータンの折では、彼らの排泄物がギャラリー直撃大パニックで、チョー、オモシレーーーーーっ、って、楽しかったわ。お決まりのお土産かって、動物園を後にする。所要時間3時間弱。丸一日見てたんだけど、思ったほど時間かからなかった。ちゃんとし、全部見たのに、よ。 で、宿に戻って、はな積んで、もうひとつのイベントだった「層雲峡」に向かう。がりがり飛ばして到着。でも、人が多い!!!。観光バスがうじゃうじゃ。車もうじゃうじゃ。ロープウェイで上がりたかったんだけど、駐車場がいっぱいで車も止められない。仕方なく、先まで車を走らせて滝を見に行くことに。・・・ところが、おじょーは滝が恐い。あの音がだめみたいで、車を止めて降りようとしたとたん、「やだっ、行かない」と、駄々こね始めた。でも、おかーさんが行きたいんだからついてくるのっ、と、引きずる様に連れて行く。通りすがりの観光客から「マーかわいい」「きれいねー」なんていわれると、立ち止って「ほほほっ、それほどでも」なんて、するくせに!。紅葉の層雲峡は確かに美しかった。はれてたらもっときれいだったろうな、と思うくらい。そう、だんだん天気は下り坂・・・。その夜もオーナーとお友達などで昨日のメンバーと引き続き宴会。この飲み代はどんな金額になっているんだろう、と、チラッと思いはしたものの、ま、いっか。その夜はみんなで鍋。でも、ま、楽しかったし。というわけで、再び呑んだくれて3日目の夜も更け、おやすみなさい・・・。
2006年10月06日
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朝からとてもいい天気。泊まったペンションはダイニングもワンオッケー。朝の光を浴びながらの朝ごはん。オーナー手作りのパンもおいしい。部屋を片付けてチェックアウト。夕べの夜、富良野ワインのロゼ、ハーフボトル頼んでたから、チェックは〆て10150円なり。価格もまぁ、こんなところね。 朝10時過ぎに出発。富良野あたりをドライブしながら、後藤純男美術館で絵を鑑賞。好みから言えば、あんまり好きじゃなかったなぁ・・・、この人の絵。こびてる、って感じがして・・・。それから、フラワーパークってところをはなと散歩。最近、はなはカメラ嫌い。レンズ向けると、わざと、ぷいっ。こんなところ歩いていると、たいがい声かけられる。「おとなしいコねー」「かわいー」なぜか、「写真とっていいですか?」見知らぬおじさんのカメラに収まってるはな。ま、いっか。天気もいいし、花もきれい。フラワーパークは九月までは有料らしいけど、十月からは無料。確かに、半分はハゲ花壇だから、これで金取っちゃ、詐欺ね。この日の日中までは暖かかった。北海道とは思えないくらい。で、ふらーっとドライブしながら、ナビにこの日の宿をセット。北海道って、距離と所要時間がわからん!。70キロとか言う表示が出ると、普通、日中なら2時間、って、思うの。高速じゃないから。ところが、20分くらいなのよね。びっくり。はなつれだと、なかなかご飯食べるとこがない。途中でアイスクリームなんて食べてたら、そんなにお腹もすかないし。で、2時過ぎに宿に着いてしまった。 前日が「いかにもペンション」な、かわいらしいつくりの建物だったのに対して、こちらは「ワイルド」。ちょっとひるんだ。インテリアとか、おしゃれとかは全く無縁の状態。まぁ、オーナーさんが「バリアフリーとワンオッケー」にこだわった故、ってとこなんだけど。オーナーの女性は、40代半ばの逞しげな人。ヘビースモーカーで、どこでもタバコオッケー。有難い!!。昨日なんて、寒い外でタバコ吸わなきゃいけなかったんだもの。 オーナーさんの勧めで、その日、チェックインして「天人峡」へ向かう。秋の北海道の紅葉を満喫。景色が九州とは全く違うのよねー。雑木林も木の種類が違うし、紅葉の葉っぱの色の鮮やかさも違う。 日没ぎりぎりに宿に戻って近くの温泉へ向かう。・・・宿に風呂がない。オーナーから、山の中腹を指差され、あそこのホテルの温泉、といわれる。どう見ても、直線距離で5キロくらいありそうなんだけど・・・。「ああ、3分くらいで着くから、この道、道なりにまーーっすぐ、そんだけ」確かに、3分で着いた。恐るべし、北海道。で、温泉に浸かって宿に戻って晩御飯。一人ジンギスカン。これには流石に泣けたわ。一人焼肉なんて、寂しすぎる。いくらはながいても・・・。食べ初めて少ししたら、オーナーの友達というご夫婦と、しばらくして、オーナーのご主人、友達がやってきて、なんか、知らないうちに宴会が始まった。ワンもはな入れて3匹。仲良しにはなれないけど、距離置いてお互い無視してるから、結構みんなかしこいコかも。相当呑んだくれて楽しく過ごして、多分12時頃に部屋に戻ってそのまま爆睡。イヤー、普段どおりの過ごし方じゃん、これって。
2006年10月05日
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スーツケーストラウマのおじょう。私かキューブ2号に荷物を積み始めると、フンフン言ってまとわりついて不安がっている。留守番も寂しくて辛いだろうけど、これから始まる8日間北海道旅行の方がもっと辛いんではないかと思ったりする・・・。 というわけで、朝8時過ぎに荷物を積み込み、最後にはなを積み込む。何も知らずにはなは「わーーい、お出かけだーーー」と、大喜び。 福岡空港のすぐ近くに8日間預けても格安の駐車場を押さえていたので、そこにキューちゃんを乗り付ける。格安だから、送迎もない。大きなスーツケースと、はなをつれて第2ターミナルへ向かう。 最近ずっと、第一ターミナルしか使っていなかったんで、久々の第二だー、と、ちょっと嬉しい。因みに福岡空港の第一、第三はローカル線中心で、第二は観光メッカの観光都市と東京便中心。 はなも空港は沖縄以来3年ぶりなおかげか、ターミナルに着くまではすたすたとお散歩感覚。でもビルに入ったとたん「ゲ、チョーヤバイ」のモードに切り替わった。カウンターに近づかない。何なんだよーーーー、飛行機に乗るわけーー?、と、泣きの入った表情。 一時間くらい前に空港について、スーツケースだけ預けて、はなを乗せる手続きまで済ませておく。こんな時有難いのがJALクリスタルカード。Jシートで予約しておいたら、荷物優先先渡しの特典がある。何しろはな連れてるから、荷物の受け渡しでもたもたしたくない。 で、空港の外をはな連れて、ちょっと歩く。おしっこさせたいし、出来れはうんうんも。幸いどっちもしてくれて、ほっと一安心。向こうに着いてクレート開けたら「うんだらけ」なんて、嫌だもんねぇ。 出発30分前、気配を察してビビリまくり、足取りの重いはなを引きずるようにしてカウンターへ向かう。しっぽはだらり、舌出して泣きそうな顔している。カウンターにおいてあるクレートが見えた瞬間、はな、固まる。 そのカウンターで、クレートの扉を開け、「はな、ハウス」こんな強情なはなは久しぶりだわー、なんて、悠長に言えないっ。扉の前ではなは、がちがちに固まって,踏ん張って、拒否しますっ。「やだっ、絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対やだっ」と、どうやっても入らない。足持ったり抱っこしたり、イロイロやっても、踏ん張って、ぜったいに入ろうとしない。というより、扉より体大きくして、入らない様になっている。 カウンターの女性は笑うし、私は恥ずかしいやら、悲しいやら、不憫やら・・・。やっとのことでクレートに押し込んで「よろしくお願いします」と、深々と頭を下げて預けてくる。カウンターで乱闘10分!!。おみやげ買う時間がないやんかーーー。と、慌てて買いに走って、イロイロ。 ところが、せっかく焦ったのに、便の送れ。はなは、またまた、空港の騒音の中、普通以上に待つ羽目になってしまった・・・。ごめんよーー。 2時間20分のフライトの末、千歳到着。そんなに揺れもせず、タッチダウンも静かだったから、ちょっとほっとした。 荷物受け取り場所で、早々にスーツケースが出てきた。有難い!!。はなも係員の人にクレートでぶら下げられてやってきた。目が恐さのあまりにうつろになっていた・・・。泣きもしない。クレートから出して、抱きしめる。 レンタカーに乗って、いざ、北の大地、第一日目のスタート。九州より、北東なのよねぇ。5時には日没・・・。暗い・・・。初日は富良野。ワンオッケーのペンション、ひつじの詩。オーナーは東京から単身でペンションを切り盛りしている35歳の女性。ショコラという黒のトイプーと、12キロの小さなアイリッシュセッターのメリーさん。10歳のおばあちゃんなんだけど、すごい美人さん。どっちの子も保険所からレスキューした子らしい。そんな話聞くと、すごく嬉しくなってしまう。食事もおいしかったし、部屋も素人っぽいけど、かわいらしくまとめてあって感じがいい。仕事柄、客には勧めたことはあっても自分で使ったことのない足つきの洋バス。きゃーー。バブルバス持って来ときゃよかった。・・・でも、その洋バス、水入れないと不安定で・・・。髪洗うため、水ためないで座ったらバスタブごとこけた。びびったなーーーー。はなはすっかりお疲れモードで、ママと二人で爆睡。北海道初日はこうして幕を閉じました。
2006年10月04日
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いやっほーー。・・・とばかりの手放しで嬉しいとビミョーにいえないとこだけど。だって、せっかくのLong vacationの終わりみたいなんだもん。 退院の朝、血圧、体温、血液の検査。先生の回診で取った胆嚢の写真を見せてくれた。おおおおお「腹黒い」!!。取った胆石はプラケースに入れて記念にもらった。直径5ミリくらいの小さいもの。だけど、胆嚢は見てなかった。うちの家族は手術後「ナマの胆嚢」見たらしいけど、当の本人は見ていない。実はそれがすごーーーく残念だったのだ。 で、念願かなって写真が見れたわけだ。・・・黒カビのはえたレバー、ってとこかしら。「開き」にされてた胆嚢は長さ10センチ弱の、赤身の牛タン、って感じなんだけど、そこに黒い粒粒が無数にぶわーーーっと点々していた!!。この無数の点々がいつかまた胆石になる予備軍らしい。おおおお、これが全部石に成長したら、死ぬほど痛いだろうなぁと、改めて、ぞーーーー。 で、先生はそう説明して写真もって出て行こうとしたんで慌てて「記念にその写真ください」って言ったら、また笑われた。いいじゃん、ねー。なくなった私の臓器の名残だ。大切に、っツーか、暫くは私の話題のネタに出来るわ。この写真。という感じでシステム手帳に挟む。 退院の説明や、薬の処方を待って退院の手続き。手術費用(内視鏡)と8日間の入院で〆て18万5900円也。この入院の間に、耳鼻科と別の課の薬は処方してもらったりしてた。最初の「入院費用の目安」は、社会保険で26万前後って聞いてたから、それよりはずっと安くてほっとした。 生命保険の入院給付金と手術見舞金は、まさしく、ぴったり、補填できる金額が支払われる。まぁ、診断書とかの費用分は、赤字かなー。だけど、生保もうまくデキてるもんだ。 父が迎えに来てくれて、家に帰る。傷口が痛くてシートベルトが出来ない。第一、車のシートに座るアクションが痛い、道の凸凹が響いて痛い。「うっ・・・、うっ・・・、」って言いながら車にゆられて家に着いた。 はなが「おかーーーさーーーん」と、大歓迎で抱きついてきて「体当たりハグ」傷跡キック、で、しぬっ・・・、と、涙ぐむも・・・「はな、お前なら許す」と、再会の感動。やっぱ家っていいなぁーー、とは、言い切れなかった。甥っ子たちが来ていた。 騒ぐ走り回る跳ね回る・・・。退院明けの私にはちょっと耐えられない騒々しさで、部屋に避難して昼寝。流石にこの時は「あと、2.3日入院しときゃよかった」と、後悔したわ。 でも、そんなこんなで私の8泊9日の入院生活は幕を閉じた。・・・入院生活って、非日常で、周りが特別待遇してくれて、看護婦さんたちが親切にしてくれて、家族が優しい。だから、そんな意味ではとっても面白い体験である事は間違いないのだけど、治療行為における「人間の尊厳の喪失」と、・・・ただ、ひたすら、退屈に耐える、そして、マズイ食事。この3つに耐えなくちゃいけないこととどっちがウエイトが大きいかってことやね。 今回の入院に関しては・・・。費用と同じ、とんとん、ってとこかなぁ。 あー、だけど、退院して実際、今日は9月11日で、傷口はまだ、微妙に痛い。やっぱ、入院しないで済むに越した事ないというわけで。 やっぱ、健康が一番。体に気をつけて、健やかに過ごせる幸せに勝るものはないって事やね。
2006年08月30日
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体がそこそこ動くようになって来ると、退屈もピーク。ただひたすら退院したい。しかも、この日、傷口の付け替えも回診もなし。だーーーれもこない。で、ふと思った。「あれ、明日、退院やろ?」なんで、誰もそれを言わない???。まぁ、朝は、「付け替えの時とかに言ってくれるかなー」なんて、気楽に思ってた。昼になって、付け替えにもきてくれないと、「???」と思い始めるものの、午後には先生が見に来るかなー」なんて、まだ、お気楽・・・。 ところが夕ご飯になっても誰も来ない言わないとなると、「マズイ、それは、おかしいんでは?」と、不安になってくる。で、夕飯が終わって、やっと看護婦さんが来た時に「明日、退院、ですよね?」と、聞いてみる。「・・・、あ、そう・・・、でしたよね?、確認してきますねー」と、ナースステーションに走り去っていく・・・。なに、それ・・・?。 暫くして、看護婦さんと先生がやってきて「あーー、明日、退院ですねー、おめでとー」・・・って、おいっ、ちがうやろっ。あんたたち、忘れとったろーーー?。 どうも、退院ってこと、すっかり忘れられてたみたいで・・・。それから、ばたばた、退院後に必要な薬の処方箋とか書いてもらう。なんか、ばたばた・・・。なんなんだかねぇ。 ともあれ、今夜が入院最後の日。そう思うと、なんだか惜しいような気もしてくる。なんたって、社会に出て、こんなに連続して長く休んだ経験って、考えたら、初めてなのよねぇ。そりゃ、転職とかでプーしてたブランクの時期はあるけど、働いてる時にこんな休みって、初めてだから、なんか、凄く貴重な経験しているわけで。って、改めて思うと。なんか、退院するのも惜しい気がしてきたりしてね。 だけど、やっぱり、退屈な事には変わりないわけで。ベッドの上の幅約80センチ長さ190センチ高さ130センチくらいの狭い空間にじっとしているというのは、苦痛以外はないわけで。増して、動ければなおの事。 なんてこと、考えながら、最後の夜は過ごしちゃった。とはいえ、やっぱり、睡眠薬飲まないと眠れないから、この日も飲んでお休みなさい。明日は午前中に退院手続き。
2006年08月29日
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退屈のピーク。ベッドの策を掴めば割りとすんなり起き上がれるまでは回復。今日からシャワー解禁。 午前中に「外科回診」で、看護婦さんから寝巻きを「剥かれ」さらし者になったまま回診を待つ。何なんだ・・・。傷口の処置と「防水テープ」張って貰う内容で。まだ、自分の傷口は見たことがない。交換してもらうには寝たままだし、腹筋が使えないから、頭を起こして傷口を見るなんて芸当もできない。腹帯でぐる巻きににされているから自分で見てみることも出来ないし。で、回診の時の為に手鏡をスタンバイ。 手術から4日もたつと、そんなに思ったほどグロテスクではなかった。わざわざ手鏡用意してみてみたほどじゃなかった、ちっ。先生たちには笑われたけど・・・。 で、ようやくシャワー解禁してもらった!!。何しろ4日も風呂に入れなかったから、スカンクみたいに臭いような気がして、もう、うんざりしていた。まぁ、傷口を触らないようにして、湯船にはつからず、シャワーのみ、という条件なんだけどね。 風呂では、介護用の椅子に座ってシャワーを浴びる。石鹸落とそうものなら大変。立つのによっこらしょ、までは出来ても、拾うためにしゃがむのが大変!!。もう、ただ、普通にシャワー浴びるのがこんなに大変だとは。 それでも久しぶりにシャンプーしてすっきり出来て幸せーーーー。 この日、会社で発行している冊子が縁で仲良くなった広告会社の人がいて、その人からお見舞いが届いた。プリザーブドフラワーの赤いバラのオブジェ。可愛くて綺麗。丁度その時うちから電話で、はな連れて見舞いにきてくれた。 はなと会うのもうれしーーー。はなも大喜びで「おかーさーーーん」って感じでいてくれる。そんなはな見てたら、早く帰りたいと実感する。あと、2回寝たら帰るよー、はなっ。
2006年08月28日
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ベッドの両サイドの手すりを掴んで、何とか起き上がることが出来るようになった。寝返りくらいならやっとこさ出来る。 胆汁を出すための管がわき腹に入ってて、それを朝、抜いた。この日で点滴も終わる予定。血管痛というのか、この痛みが結構辛い。右手腕~手の甲~左手の甲~手首~腕、って、点滴のはり移動してもらって耐えるしかない・・・。辛いねぇ。 かなり、普通より血管が細いらしいので、血液検査とかでも、なかなか血管に刺さらなくて、何度か針刺されるなんての、しばしば。だから、長時間の点滴って、マジで辛いの。 お昼前に会社の同僚の子がお見舞いに来てくれた。おっきなオレンジ系でまとめたフラワーアレンジとせんべいの詰め合わせ!!。ポイント抑えてるわ。甘いの嫌いだからねーって、言ってたので(笑)。Mさんと出し合って持って来たっていう伝言付。 まだ、傷口が痛くて腹筋が使えないから笑えない。頼むから笑わかすなといいつつも、いろいろオモロイ話聞かされてうれし辛い。退屈な入院生活には、お見舞いって、つくづく嬉しいものね。 この病院、市内ではかなり大きい公立の病院。しかも、実家からわりと近い、とっても地元。私、学生時代、理系。友達は結構医療関係が多い。何人かの友人はこの病院で看護婦している。中学時代一番仲の良かった友達のお姉さんも看護婦。 手術後の寝巻きは病院が着せてくれる奴で、傷口の面倒が見やすいようになってるようで。がばーっと、容赦なく前、広げられて消毒されたりなんだ、で・・・。まったく、患者には人権も尊厳もないなーと、いつも思うんだけど・・・。看護婦さん「あれーー?、はな・・・、まま・・・って、○○?(中学時代のニックネーム)」私「へ・・・?」看護婦さん「△△のねーちゃんよ」私「へーーー?、うっそーーーー?、△△のねーちゃん?、□□さん???」 いやーー、世間は狭い。でも、知ってる人と思うと、前がばっと広げられて、消毒とかされたりすると、妙に、恥ずかしいというか、ばつが悪いというか・・・。でも、懐かしい話が出来て楽しかった。 でも、寝るしかすることないから、ネタがない・・・。そうそう、図らずとも禁煙4日目。咳をすると腹が痛むからタバコが吸えない。まだ、平気に動き回る事も出来ないから喫煙室にもそうそう行く気にもならないし。それはそれで、いつまで禁煙生活、続くかしら?。
2006年08月27日
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前日、眠れず、夜中にやっと鎮痛剤打ってもらえ、うつらうつらしてやっと夜が明けた。氷枕を当ててくれてたんだけど、これが水漏れして夜中に大洪水!!。背中までびしょぬれ。痛い痛い痛い痛いといってる仲でシーツ、マットレス、枕まで交換。もう、泣きそうだった・・・。 夜が明けて、鎮痛剤が効いてるお陰か、だいぶ楽になっていた。10時くらいになっておしっこの管抜いて、自力でトイレ。んー、自分で出来るっていいわねー。背中に入っているという痛み止めのチューブが痛い。点滴の管も痛い。腹に入れたままだったらしい管も痛い。この日の朝が一番きつかったなぁ。 だけど、この日の昼にはもう食事が出来た。まぁ、食事といえど、「流動食」。全粥と、オレンジ味の葛湯。ポカリスエットみたいな飲料。でも、こんなゲ○みたいな食べ物でもカロリーは高い!!。 この日はズーーっと、何をするでもなく、ボーっとしてベッドで過ごしてた。何しろ、体中が痛くて、本も読めないし、パソコンも出来ない。ただ、だらだら・・・。 夕食もおかゆだったけど、おかずはフツーの食事し同じ。・・・なんか、不思議。鳥とか肉はフツーに出しても、お粥なのよねぇ。 携帯、院内使用禁止なんだけど、使ってても多めに見てもらえていた。3人部屋だったけど、昨日の夜から一人部屋状態。同室者がいなかったから、多めに見てもらえてたのかな。でも、メールくらいしか、やる事ないんだもん。有難かった。
2006年08月26日
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朝から血圧だ、心電図、採血といじられ、・・・手術前に腸を空っぽに、ってことで・・・、浣腸!!!。で、トイレでナースコールで「ブツ」を見せなきゃいけない。もー、サイテー・・・。ところが、どうも、それが「いいブツ」ではないらしく、浣腸2回目。「はなママさん、頑張ってくださいねー」。・・・何、頑張れってんだよ、と思いつつ、2度目のナースコール。が、私の腸はつわものらしく、それでもOKが出ずに「これで最後ですからー」と、3回目の浣腸。トイレに入った瞬間、頭から血が下がっていくのが自分でも判って、ナースコール。でも、「ブツ」のためじゃなくて、ほんとに具合が悪いのよーーーー。トイレから出るには出たけど、そのまま倒れていた・・・。 で、看護婦さん二人係りで両腕を抱えられて、ずるずると病室まで引きずられて寝かされた。血圧の上が80くらいだったみたい。というか、半分意識がないから、よく判らない・・・。なんでも下剤かけすぎると、急激に血圧が下がるらしく、普段から低血圧の人は危ないらしい。で、午前中は、朦朧としたまま、ベットに寝ている状態で。お陰で「ひもじい」と、思う暇もなかったけど。手術は1時から。12時45分には手術室に入ります、と、言われて、ドキドキ。 家族が12時半頃やってきた。なんとなく、緊張のピーク。間もなくして、看護婦さんがやってきて「さ、行きましょ」。オペ室のあるところまで、自分で歩いていくの!。去年の半月板の手術の時は、病室からベッドごとオペ室に運ばれたんで、自分で歩いていく、ってのに、ちょっとびっくり。オペ室棟前で、自分でストレッチャーに乗って、オペ室まで運ばれる。去年より広いオペ室。で、いろいろいろいろされて、麻酔・・・・・。 「・・・マさん・・・」「・・・なママさん」「はなママさん」で、ようやく目が覚める。2時間半くらいの手術だったらしい。「胆のう炎起こしかけてたらしく、癒着があって予定より少し時間がかかった」らしい。麻酔が効いてるから、痛みは全然ない。家族がみんないる。頭はすっきり覚めているけど、体が言う事をきかない。家族が顔を覗き込んでいる。「おー、ドラマみたいな絵やなー」なんて、妙に頭はクール。いててもしょうがないから「もう、帰っていいよ」と、家族には帰ってもらう。 夜は痛んだ。流石に「果物ナイフで4箇所刺された」わけで。痛い。のども渇く。ところが、鎮痛剤も血圧が下がる。で、朝、トイレで倒れた申し送りが伝わってるようで、なかなか鎮痛剤使ってもらえない。でも「痛い痛い痛い痛い痛い」と、言い続けてやっと鎮痛剤打ってもらえた。 何も飲んだり食べたりしてはいけないというんで、水もダメ。だから、薬もダメ。で、睡眠薬も飲めず、一晩中、一睡も出来ないまま、「のど渇いた」「痛い」と、悶々と過ごした・・・。長い夜だった。
2006年08月25日
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朝から入れ替わり立ち代り、引き続きのインフォームドコンセント。全般に「ファーストフードの店員」ね。決まった内容を決まったシナリオどおりにしゃべっている。口調もまるでファーストフード。明るくさわやかに話してるんだけど、心がないってやつ。「オペ室担当の看護師からの説明です。オペ室では云々・・・」とうとうとしゃべるのよねぇ・・・。ケッサクなのが「内視鏡の手術ですので傷口は小さいですが、それでも、切るわけです。ちょうど、果物ナイフで4箇所刺したような傷です」って、何よー、その説明、って、思ったわ。まぁ、確かにそんなようなものなんだろうけどさ。「さした傷ですから、当然痛みはございます」・・・ございます、だぁ?。なんか、あまりにとうとうとそんな話するんで、突っ込み入れたくなるものの、なんか、ことがことだけに、突っ込みどころもなくて、なんとなく、「はぁ・・・、どーも」てな感じで、終わる。 それから、麻酔医の説明。去年の半月版の手術のときは半身麻酔で、切られてるのが判ってたけど、今回は全身麻酔。リスクは高いですよーという説明が大筋。この麻酔、ガスがマスクが出ていて、それを吸っている間中麻酔が聞いた状態が継続されて、手術が終わって肺に入れた酸素チューブで睡眠ガスを抜いてきれいな酸素送り込んだらすぐに目が醒めるんだって。去年の麻酔のとき、そういった説明ってそういえばされなかった。で、髄圧低下によるひどい頭痛でえらくひどい目にあった苦い記憶があって、今回も麻酔に関してはそれがすごく不安だった。というのも、全身麻酔でガスによるものと聞いてたんで、髄圧低下はないなと思ってたら、脊髄に痛み止めの髄膜注射をするとか言われてそれが恐かった。実際は、髄膜の外に痛み止めを注入するので、髄膜そのものには傷をつけないから、痛みのリスクは低いらしいのだけど、やっぱ、頭痛もちの私にしたら、去年の頭痛のひどさはなかったんで、イロイロ聞いて納得できた分ちょっと安心できたかもしれない。そうそう、それと長いこと、聞きたかったなぞが解けた。麻酔は「眠っている」状態なのか「仮死状態」なのか。ちなみに、全身麻酔は限りなく仮死状態に近いらしい。心臓が動くだけのことは働いてるけど、ほかは動かないんだって。だから、息もしなくなるかせ酸素吸引しなくちゃいけないらしい。ちなみに脳波はフラットになるんだって。ずーーっと、知りたかったのよねー。 ただ、思ったんだけど、そういうように、微にいり細にいり説明されても、心がないから、なんか、ちょっと不満が残ったりはする。確かに、痛みの感じ方は人それぞれで、主観的な問題だけど、もうちょっと「共感」のある説明してくれたら、安心感、高まるのになーと思うのよ。「これがリスク、あれもリスク、それもリスク、デモしないと治りません、いいですね」って、なんか、非人間過ぎない?。手術前日の下剤。レモン味で結構おいしい。これを夕方の勝れ・・・、夕食前後から、便器横に置いときたい状態。もう大変。脱水症状起こしかねない勢いだったんで、水分意図的にとるようにしておいた。 そうそう、この日、風呂に入ったとき、しみじみと自分のお腹、眺めてみる。ああ、ここに4箇所、切り傷が入るのね・・・、なんて、ちょっとセンチメンタルに浸ったりして。何より、数日、明らかに風呂に入れないのだからと、入浴、楽しんだわよ。
2006年08月24日
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胆のうの造影検査とやらで、朝ごはん抜き。ひもじーーーー。造影、なんていうから、バリウムみたいなの想像したら、「造影剤」を点滴して、レントゲンで撮るの。結局、胃に何か入れるってわけじゃないから、検査が午前中で終わると、そのあと昼ごはんまで、お腹すいて・・・。で、院内のコンビニでおにぎりと、入院中のおやつ、買いだめする。 相変わらず、暇もてあまして、喫煙室と病室を行ったり来たり。で、入浴時間の1時に、速攻、風呂に行った毎日入らないと、気持ち悪いもんねーーー。 そうそう、この病院のごはん。っつーか、病院食は不味いと相場は決まってるけど、ここもご他聞にもれず、やっぱ不味い。しかも、こんなに不味いし、ぱっとしない内容なのに、恐ろしくカロリーが高いのだ。1日2200キロカロリー!!。高すぎだろ、それって、と、突っ込みいれたくなる。あれだけ、ダイエットと頑張って、気持ち、1600キロカロリー以下、と意識して食べてたのに、なんじゃーーー、よ。しかも、卵、揚げ物出てくるし。 で、相談した。卵、油ものは駄目と言われてる事と、摂取カロリーが高すぎるということ。で、卵、油抜きで1900キロカロリー、で、折り合いつけてもらった。 あれだけ買いだめしたおやつ、食べられないじゃん・・・、と、悲しくなってしまう・・・。で、出てきた食事の白ご飯は必ず半分以上残す、おかずも、なるべく残すように心がけて、摂取カロリーを抑えつつ、暇つぶしのおやつの楽しみが残るように、涙ぐましい努力をする・・・。あああ。 この日、主治医のインフォームドコンセント。家族も同席の上で、胃カメラや、胆のう造影の写真などなどを見せてもらいながらの説明を受けた。ちなみに主治医の先生、私より、すこーーし、若いかなと思うくらいの女性の外科医!。しかも美人でさばさばしてて、えらくかっこいい。女性なんで、こっちもイロイロ聞きやすいし。おかげで、とりあえず、手術内容など、納得の上、みんなで合意書取り交わす。 あとの医療訴訟防止のための手続きみたいなものね。で、そんな詳細な説明聞いていると、なんとなく、お気楽に入院していたのが、だんだん、不安になってきたりもするもので・・・。「そーかー、胆のうって臓器がなくなるんだよねー」「体、切るんだよねー」なんてこと、その日の夜は、イロイロ考えちゃったわ。
2006年08月23日
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いよいよ入院。朝から父に送ってもらって病院に行く。大きいほうのスーツケースに詰めたもので向かった。すぐ入院の手続きかと思ってたら、先に検査。受付で大量の荷物を預かってもらい、父には帰ってもらって検査に臨む。 胃カメラ。うげげ・・・。今年の初めに別の病院で受けたのはすごく楽だったけど、ここでは今までどおりのやつ。「鼻で息してー」「おえっ、っていわなーい」・・・なんて、無茶ゆーなっ。正常な体の反応じゃ、と思いつつも、おええぇぇぇぇ・・・・。ああ、胃カメラは嫌い・・・。バリウム10回飲んでもいいから、胃カメラパスしたい・・・。 それから、CT、MRI、レントゲン、血液(普通は小さい試験管見たいの3本くらいなのに6本くらいとってた、イロイロ検査するんだねぇ、と、妙に感心)。 それから「肺活量検査」肺活量なんていうから、学生時代の、ふいご、だっけか、それを吹くようなもの想像してたら、医学は進歩していた。掃除機の隙間ノズルみたいなの加えて検査するのね。ふーーーって、吹くの調べた後、ただ、くわえたまま3分呼吸するの。・ ・・これやってて、途中で意識がなくなっていた。ま、寝てたわけやね。「はなママさーーん、息、止まってますよーー」といわれてあわてて目が覚めた。はっずーーーー。そんなこんなでやっと入院手続き。病室に入ったら、あれがない、これがないが発覚。とりあえず、荷物をあけて、収納に片付けて、お買い物リスト作成。入院一時間にして、外出許可書発行してもらって、父に迎えに来てもらい、お買い物。 思いのほか「おかーさん早く帰ってきた」と喜んだはなだったけど、期待裏切ってしまいました。買い物済ませて、ちょこっとはなと遊んで、病院に戻り。 こうして私の入院生活が始まりました。て、ゆーかさ、暇なわけ。前日まで、それなりにばたばたしてたのに、急に入院って、5時頃病室に入ってもすることないの。風呂は5時にすでに終わってて、その日は入れず!!! 。6時ちょっと過ぎにはもう夕食。で、それから消灯までか長かった。なんとなく、初日で私も興奮してるのか落ち着かない。で、なんか、じっとしていられなくて喫煙室に入りびたり。普段よりよっぽど吸ってるわ、というくらい、すぱすぱ。メールしたり、なんとかやっと時間つぶして、迎えた10時。長かった・・・!!。 睡眠薬飲んでるから、一応すぐ眠れる。 ちなみに、3人部屋で先入者が一人。なんか、ちょっと苦手なタイプ・・・。「私は世間話は嫌いです」オーラを出して、話さなくてもいいように祈った・・・。大体、入院してんのに、患者同士で気を使ったりなんて、やなんだもん。それに、世間話って、あんまり出来ないし、話題もないから、基本的に話したくない。こう見えて、私は人付き合いが下手なのだ。幸い、話しかれてこないようなのでほっと一安心。これで、とりあえず第一関門突破。・・・実は、入院のとき、これが結構気になるファクターではあるのよねぇ。とくに、隣の部屋とかで、長い友達づきあい同士、見たいに親しげに話されたりしてるの見ると、あれはヤダーーーーー、と、思っちゃう。だから、安心して、初日、休むことが出来ました、とゆーわけで。第一日目が終わりました。
2006年08月22日
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人間らしさ、なんていうと、たいそうなタイトルだけど・・・。定期的に休みがあって、丸一日家にいる日もあって、だらだら過ごせて、はなとまったりして、散歩に行ったり、買い物したり(自分の為に!!)、メイクしないで過ごしたり・・・。こんな、当たり前な事がこの4.5ヶ月無かった。3連休とって、退屈するくらいだらだらして、なんか、すごくリフレッシュできた。 特に!!、メイクしなかったのが大きい!!!。この半年、メイクしないで過ごした日は、まぢで、無かった気がする。肌が生き返ったわーーーー(爆)。 はなは、すっかり元気。以前同様、我侭おバカ犬です、相変わらず、「考える犬」でもあるけど。・・・むしろ、じじばばとの接点が多くなった分、我侭考える犬に拍車がかかったとゆーか、磨きがかかったとゆーか。あれだけ頑張って躾してたのにいぃぃぃぃぃ(泣)って感じよ。 今、リーダーウォークは出来ん、都合のいい時しか言う事聞かない、アイコンタクトは取らない・・・。あああああ・・・。 でも、火曜から入院で。また、どうなる事やら。これから、時間的に余裕が出来るから、頑張って、もっかい、躾入れなおさなくちゃね。なんたって、10月にはなと北海道旅行だもん。道連れが「恥ずかしい奴」にならないようにしなくちゃね。かつてのように「どこに連れて行っても恥ずかしくないコ」に、戻ってもらわなくちゃ。 今日、会社の喫煙室で、何気に話していて、はなの話になった。っつーか、どうしてその話にもっていくか、って感じだけど。普段の私は、アネゴ系キャリアウーマン。ところが、はなや犬の話になると「バカ」のスイッチが入ることに、今更ながら改めて気がついた。臆面も無く、はなを褒めまくり、溺愛振りを自慢する。これを「バカ」といわずして何という・・・。我に返ると、相当バカな自慢話している事に気がついて・・・、どんなもんだい、と思ってしまう、って、おいおい、やね。 今も、はなは私の近くで、無防備に爆睡している。こんな姿見てると、ほんとにママも癒されるよ・・・。可愛いねぇーー、はなぁ。今日、可愛いって言うの、何回目かな?。
2006年08月15日
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出張から戻って、こっそり休みで二日。で、台風が来て休んだ。まずいなぁ、社会復帰できなくなるよ。昨日も、甲子園見ながら、リビングのソファで横になって、はなを撫で、おやつ食らいながら、だらだらだら・・・。ああ、なんと、自堕落な・・・。 2週間前からは想像もできない時間の過ごし方だわ。因みに、昨日は携帯すらかからなかった!!!。こんな事、かつて無いぞ?!。流石に、今日は急に休んだんで、朝から携帯、鳴ってるけどね。・・・でも、そのくらい、鳴ってくれないと、不安になったりもするし。まったく、困ったもんだ。 はなはといえば、ちょっと元気になってくれたかもしれない。というか、単に、私が家にいたら、1日中、エアコンがついてるわけで、快適な模様。暑そうにダラーっとしなくて済む事も事実なようで。お陰で、彼女は終日、私の傍らですやすや眠っています。相変わらず、食欲は無いみたいだけど。 そう、食欲。奴ってば、食欲不振だからと、いけないと思いつつ、高級半生ダイエットフードをここ暫く与えていた。因みに、1食分、400円位する!!。これが日に2食だ。でも、かつて、カリカリのダイエットフードは、はなにも引っ掛けず、「ふん、イヌの餌なんて食べられないわ」てな調子で、ことごとく、ハンストに及び、ママ的に全戦全敗。すでに、10社以上は試したわよ、プレミアムのダイエットフード!!!!。結局捨てるのもったいないから、事情はなして、ワン友に上げてるんだけど、みんな「うちはおいしそうに食べたよ」なのよねぇ。・・・ただの、はなの我侭なのよ。 だから、その半生フードは、奴が初めて「喜んで食べた」ダイエットフードだった。だから、食欲不振の今、金がかかると思いつつも、病気になるくらいならと、毎食与えていた。・・・何しろ、ダイエットを成功させたいから、手作りは控えていたのだ。 ところが、出張がちのママ不在のストレスと夏バテで、そのフードすら、食べなくなっていた。鶏肉をゆで、刻んだ肉とスープをかけて、鶏肉のみより分けて食べ、仕方なく口に入ってしまったフードを食べる、ってノリで、半生フードのみ、残す毎日。まったく、奴の偏食振りはタダモノではない・・・。 ところが、先日の出張帰り頃から、それすら食べなくなって。そうなると「この我侭イヌ!」なんていってられなくて。とうとう手作りご飯に戻してしまった・・・。嬉しいというか、このヤローというか・・・。喜んでペロッと平らげた。こんなに綺麗に完食するのは、ほんとに久しぶり。だから、暫くは、手作りご飯で過ごすしかないかなぁ。 判ってるのよ、ただ、甘やかしてるだけってことも、はなの思う壺だってことも。だけど、ママ的には、不在で寂しい思いさせたし、なんて、後ろめたい気持ちがあるからなのよねぇ。あーあ、あまあまダメママね・・・。
2006年08月14日
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某支店に仲のいい担当者がいた。出張の折には、以前Mさんと同じ支店だったので、よく3人で飲んだし、Mさんがうちの部署の上司になっても、その人とは二人でのみに出かけた事もよくあった。私的には、トシも近いし、率直な話も出来るし、仕事もちゃんとする人だから、この支店で、この人と飲みに行くのはいつも楽しみだった。 ところが、6月頃かな、その人と飲みに行ったとき、アホなこといわれた。てゆーか、しこたま飲んで(私ら、底なし)酔って、気分良くなって、口走っただけと私は察している。だけど、そーとーアホな事を彼は言った。翌日は確か、ホテルからそのまま別の支店に移動したと思う。その人とは会わなかった。・・・私も、結構酔ってたから、クリアな前日の記憶はあまり無い。というか、異動の電車の中で追体験しながら、いつも反省したりするパターンなんだけどね。で、その日も「夕べは馬鹿なこと、言ってたなー」なんて位の気持ちでいた。 ところが、モデルの工事が進むに連れ、この人が出てこない。使えねー担当者を出してきて、「嫌がらせか?」と思えるくらい、仕事が進まなかった。私としては、その段階では、すっかり飲んだ日の会話なんて忘れていた。 それから何度かその支店に入ったんだけど、のみに行こうともしない。で、流石に、激ニブの私も判った。ああああ、あの時、バカな事言ったんで、私と接触避けてるんだ、って。もう、どうして、こんなにも、男って馬鹿なの?。仕事とプライベートは別でしょ。まして、私はなんとも思ってなくて、フツーに接していたのに、勝手に意識して距離を置こうとされると、こっちも余計気まずくなるっちゅーものだろーー。 まぁ、激ニブの私にも問題はあるのは事実だけど、私は、仕事をちゃんと終わらせたかっただけなのに。そんな個人的感情入れられると、仕事にならんだろ、と。この混同する態度に、ちょっと、失望したかもしれない・・・。飲み仲間と、ちゃんと仕事できる人が同時にいなくなった気分だ。 大体、男ってのは、こんな感じで、飲んでる席で、勝手に言いたい事言って、口説いて、勝手に気分盛り上がっている。こっちが拒絶したり、気がつかない振りしたりすると、翌日から手のひら返したような態度とる。これが、ただのプライベート上の友達なら、「それっきり」ほっといていいんだけど、仕事上の人となると、そうは行かないものでしょ。なのに、どうして、そんな、ガキみたいな態度とるわけよ。もう、その発想が理解できない。バカだ。こっちだって、飲んでる席のバカ話、位、理解してるわよ。だから、翌日まで持ち越すなっちゅーの。でもって、こっちは、何事も無かったかのように、普通どおりの態度で接してんだから、そのくらい、判れ、というものだ。 それに、前も似たような事あったけど、反対に私だって傷ついてんだよね。このトシの独身女って、そんなに簡単に落ちるって、思われてるのかって。失礼だわっ。 まったく、どうして、こんなにも、男って偏狭でバカで自意識過剰なのかしらね。 最も、その展開がMさんとだったら、もっと、その会話を発展させて、「お持ち帰り」状況にもってく最大の努力はしたけどさっ。・・・往々にして、Mさんのようなタイプの人間は、自分から危険な橋は渡らないのよねぇ。
2006年08月12日
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松山空港。フライトの一時間以上前についてしまった。暇なんで、レストランに入っている。何頼んだかって、「晩酌セット」。究極にオヤジよね。そういえば以前、Mさんと出張したときも早く着いて、空港のレストランで時間待ち。メニュー見ながらMさんが晩酌セットを指差して、「こーゆーのさー」と言いかけた後を引き継いで「仕事あとにいいんですよねーー」と言ったら「俺、すげー、オヤジだな、って、言おうとしたんだけど・・・」と、一瞬の間のあと、大爆笑。散々笑われ、「はなママって、そーゆーとこ、いいよなー」だって。ビミョーよね。ヘンに昔から出張なれしてて、こーゆー時間のつぶし方は心得ている。出張だと、一人でビールも飲める。まして、一仕事終わった後なら、心置きなく呑めるし、なんたって、うまいんだわ、これが。 今も、パソコン打ちながら、ビールのみーの、つまみ食いーの・・・。うーーむ、確かに、相当オヤジ入ってる、っつーか、オヤジだって、こうはしないわね。愛媛の名物、じゃこ天をあぶったのと、板わさとポテチに生ビール。 うーん、つまみが半分以上残ったまま、ビールがなくなった。フライトまで、あと一時間少々。もう一杯、頼んじゃおうかしら。 ようやく、モデルパニックも終わり、これで一仕事、山を越えた。このあとの暇な毎日に耐えられるかしらと、一抹の不安が消え去らない。仕事って、自分で考えて、段取りして、動けるのが一番楽しい。その分、責任も重いんだけどね。指示待ちで動くフツーの仕事は、そういう意味ではストレスもプレッシャーもなく、きっと楽なんだと思う。・・・でも、思う。多少のプレッシャーやストレスがあってこそ、仕事って楽しいんだよね。全く、ないものねだりよね。 予定では、あと二日、現場に入っていることになってたんだけど、はなが元気がないってのが気になって、何が何でも早く帰りたくて、無理して仕事終わらせた。で、きのう、Mさんに「最後のわがまま(つまり、モデルパニックの激務)聞いてください、予定より早く終わった二日間出勤扱いにして休ませてください」。うちの会社、休日の持ち越しは出来ないから、五、六、七月の休み、殆ど消化出来なくても、仕様がない。でも、この八月、入院で十日以上休むのに、月の決まった休み以上になるので、有給を使わなくちゃいけない。なんか、モーレツに釈然としなくて。で、こんなこと、言って見たんだけど、「了解」と、返事あり。というわけで、明日、あさっては休みにすることが出来た。・・・それでも、消化できなかった休みには程遠いんだけどね。流石に、携帯は常に持ってなきゃいけないけど、はなと濃密に過ごしてあげることができる。私自身、むくむくした毛の生えた四本足の生き物が近くにいないと、だめなの。だから、明日から二日間、お互い、癒し合わなくちゃ。 このブログをアップするときは、私の近くにはながいる。ふふふ、なんか、そう思うだけでとっても幸せ・・・。ビール、追加しなくて済んだわ。今からチェックインします。
2006年08月11日
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たった31日足らずの7月のなんと濃かったことか。何気に過ごしてた人にはいつもの夏の一月だったと思う。私だって、いつもの年なら何の変哲もない、誕生日があるだけのただの7月だったはずだ。 だけど、私にとっての今年の7月ほど、怒涛の月は過去になかったことは断言できる。確かに私は感情の起伏は激しいし、オーバーなくらい喜びの感情表現をするタイプだ。だけど、プライドが人一倍高い分、負の感情表現が苦手。だから、人前で泣くことも、怒ることも滅多にない。なのに、この月、何度泣き、ヒステリーおこし、怒り、騒いだことか・・・。良くも悪くも、Mさんにずいぶんぶつけた。まぁ、考えようによっては、おかげで相当救われてたんだけど。・・・そのせいで、また、随分冷めたりもしたりして・・・。 仕事上でのイロイロはおかげで、8月半ばにしてようやく片付いた。パスしたおかげで、一月早く落ち着きを取り戻したわけで。だけど、感情的部分は、まだ、決して落ち着いたわけではない。パスしたことはいまだに引きずっていて、自分の中でうまく昇華し切れていない。Mさんに対する思いも宙ぶらりん。この問題の片付け作業は退院して復帰する9月に入って、ってところかな。 今のところ、取り急ぎ9月に入ってやる仕事はない。まぁ、なんとなく、やらなくちゃと、溜め込んでた仕事をなんとなく、さばいていくくらいか。・・・なんか、詰まんなさそうだけど。あれだけ、壊れまくった7月だったのに、いざ、待ち望んだ暇ーーーな時がやってくると、つまんな誘うと、ビビッている。なんとも、天邪鬼なもんだ。 結構、「業務連絡」に、イロイロ付け足したメールをMさんに送っていた。でも、最近、あまり送らない。帰ってきたメールにも、必要事項だけ書いて返送するし、たまに、レスしないときもあったり・・・。結構、意図的にやってるんだけど。どうなんだか。 今日、予定より早く仕事が終わるんで、飛行機の予約と変更を頼むメール送って、久しぶりにイロイロ付け加えたメールを送信した。レスと着信あり。もちろん、放置。さーて、暇になって、気分的に余裕も出来たから、ちょっと、ハンティング、復活かな。楽しまなくちゃね。
2006年08月10日
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つくづくモデルの設営は孤独な作業。一人で黙々とやるんだけど、支店によって、ぜんぜん雰囲気が違う。これは、私自身が作るモデルの雰囲気が違うと言う意味と、支店の人間のモチベーションに起因する私への影響と両方の意味がある。 たった、数ヶ月でこの数のモデルを全部違うイメージで作るというのは、最初に考えていたより、ずっと大変たった。アイディアなんて、泉のように湧き出るものじゃなくて、決まった量のポットから注ぎ分けていくものなのよ。もっと、時間的にも気分的にも余裕があって、インターバルあけて、その間にイロイロ見たり、勉強したりすれば、私のアイディアのポットは満たされて、余裕を残して作っていくことができると自信はあるけど、こんなに立て続けだと、アイディアの補給も出来ないから、ありったけ、カスカスニなるまで、使い切ってしまうことになっちゃった。そんなときに、スケジュールはいっぱいいっぱい、身内の不幸なんて来た日にゃおかしくなって当然よね・・・。 その上に、各支店のモチベーション。とっても高い支店は、新しいモデルが出来ることに興味しんしんで、楽しみにしてくれてて、子とあるごとに「何かすることない?」「手伝いますよ」なんて、積極的に新しいモデルつくりにかかわろうとするし、「どうしてこんなとこに照明つけたの?」「この柄のクロス選んだわけは?」などなど、イロイロ聞いてくれる。で、説明すると「へーーーー、そうかーー、すごい」と、感心してくれる。私的にも、この「すごい」って、賞賛の言葉がパワーになる。このこと葉がもらえると「頑張らなくちゃ」って気分があふれてくる。ところが、最悪なのが、今のこの支店。今まで、テンション下がるなぁ、と思うことはあっても、それなりに、やる気のある営業や工務がいて、それなりに私の気分を盛り立ててくれた。そう、「盛り立てて」くれることがありがたいし、大切なのだから。なんたって、私が気分よく仕事できることは、イコール、とっても楽しいイメージで仕事できることで、すなわち、楽しいモデルハウスができるのだから。 ところが、「ふーん、作ってんだー」くらいに、たれも興味も示さなかったりすると、私のテンションはどん底。やってられねー、って気分になるから、一層楽しいモデルなんて出来はしない。ある意味、作品つくりだから、私の気分は重要なのだ。 よりによって、というか・・・。6月末の最初のモデルの支店が一番、支店全員のモチベーションが高かった。だから、すんなり完成させられたし、みんなにも好評だったし、私も大満足。次の連続3棟も、当初、いろいろあって、私がへばって、壊れたりもしたけど、支店のモチベーションの後半の盛り上がりがものすごくて、つられて結果的に、私も楽しく仕事がアップできた。しかも、一番いいものが、出来た大満足のいい仕事が出来た。それが7月半ば。後半にもうひとつ。ここのテンションは下がり気味で、前任の支店長から「はなママ、頑張って、いいの作って!!」と、散々プレッシャーかけられ、逆にそれで私のテンションがあがって、何とか乗り切った。 しかも、それらの支店の支店長や工務長、営業リーダーたちがとっても私に気を使ってくれて、私の気持ちを盛り建ててくれようとしていることが判ったから、とっても嬉しかった。だから、頑張らなくちゃと、自分に発破かけることが出来た。 それらが終わって後半戦突入の段階で、スケジュールがいっぱいいっぱい、体調絶不調、祖母の死。重なって、2棟キャンセル。ところがのこった2棟がチョー非協力的。私のテンションはどん底。それでも、先日の1棟はMさんがフォローしてくれ、営業リーダーが私をおだててくれ、何とか、何とか乗り切った。で、昨日からの最後のモデルが一番の癌。もう、最悪。加えて救急車で運ばれる、今日はヘロヘロで気分は全く乗らない。 よりによって、最後の大トリを飾りたかったのに、このままじゃ、最悪のモデルになりそうで、さらに自分で気分が最悪に落とす羽目に陥っている。ああ、辛いなぁ・・・。逃げ帰りたい気分だ。われながら、ヘタレな性格が恨めしいよ。ホント・・・。
2006年08月08日
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社長の絶賛をいただいた夜、同僚の女の子から電話が入った。夜10時近く・・・。やっバーー、と、やーな予感がして・・・、ビンゴ!。ちょーー、暗い口調でぐちくぢぐち・・・。延々2時間近くつき合わされた。なんとなく、彼女の落ち込むきっかけは理解できる。同じ部署にいて、彼女は地味な事務作業。しかも、少々エキセントリックな性格のせいで、気苦労が多い上に、自ら敵を作っているから、精神的に負担が大きいようで。しかも、、彼女はだんなとプチ喧嘩でめげてた上に、今朝の社長の話で、私だけが派手に評価されてる、みたいな気分になっていたのが感じられてた。別に、多分やっかんで、ってことじゃないとは思う。だけど、きっと、面白くないのよね。だから、私としても、そつなく、事を荒立てることなく、彼女の愚痴に付き合わざるを得なかったわけで・・・。めげたわ。 でも、なんとなく、彼女の仕事上での「巻き込まれてしまうトラブル」の原因がつかめた。私って、いいカウンセラーだと思う。 翌日、彼女は休みで、Mさんは事務所に来ていた。ちなみに、事務所で私がMさんと会うのは非常に稀である、なんてこった。で、夕べの彼女の話をした。私の力では解決できないけど、Mさんが口ぞえしてくれたら解決の糸口がつかめるから。Mさんも、なるほど納得で、彼女のトラブルの原因がわかれば、解決できると言うことになって、彼女が週明け出社してきたら、其の話をするということで落ち着いた。 週明け、すがすがしい内容のメールが失調先の私に届いたわ。ちょっと、ほっとした。ある意味、複雑な状況の私からしたら、うらやましい限りだけど・・・。でも、愚痴聞かされ続けるストレスがなくなるだけでも、私の気分も晴れるから、ま、いいけどね。 それから、一週間近くたつけど、彼女からのトラブル相談がないとこ見れば、問題は解決したかもしれない。めでたしめでたし。 私はと言えば、相変わらず、すっきりしない状況でナントカ小康を保っているんだけど。とはいえ、最後のモデル設営に入ったんで、あと数日の辛抱。・・・ただ、この最後のモデルの支店が、実は一番厄介で。以前、私が「このバカ女」と、キレた支店で。結構問題の起こりそうな状況。・・・なんたって、前泊で今日入ったら「あれ、設営は1週間後でしょ?」なんて、工務担当のみならず、支店長まで言い出す始末で。もーー、支店全体で、スケジュール勘違いしている。もちろん、Mさんに確認したわよ、間違いなく、この支店が勘違いしていた!!。もう、こんなんで、この支店、大丈夫なの?!。恐ろしくなってきた・・・。 しかも、設営の合間に、明日はパスしたもうひとつの支店のプレゼンにも立ち会わなくちゃいけない・・・。うげーーー、どうなることやら。正直、ビビッている。 家に電話したら、はなの元気がないという。とっておきのおいしいフードにしているのに、それすら、残してしょげているって・・・。もう、心配で・・・。やっぱり、設営、少しでも早く終わらせて、1日も早く帰るようにするべきなのかなぁ・・・。つい、きつくて、余裕の日数、入れてたけど、早く帰られるようにしたほうがいいのかも。明日の状況しだいかな。ああ、ママの気苦労は絶えないなぁ。出張から帰って、数日後、10日あまりの入院で、また、はなと会えなくなる。私的には家に帰ってて、入院だから、遠くにいるわけじゃないって思ってたけど、は何してみりゃ、また、ママ居ない、なんだよねぇ・・・。くくっ、胃が痛い・・・。
2006年08月07日
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Mさん、天敵のAB型!!。初めて知った。道理で、判らなさ過ぎる筈だ・・・。けっ、血液型なんてさっ、って、思うものの、不思議とAB型で親しい友人がいない。まして、AB型の男はかつていなかった事実。思考回路が違いすぎるのよね・・・。あれだけ「好き好き好き好き」と思っていたのに、なんか、ここ最近、理解できないことが建て続きにあって、正直、自分の気持ちが良くわからない。確かに、気持ちが疲れすぎてて、感情がコントロールできなくなっていたのも事実。だけど、それだけで片付けられないというか・・・。Mさんて、文字通り、順調に出世街道をまっすぐ突き進んできた、賢く、デキる男、ってタイプ。だから、リスク犯さない感じなのよね・・・。こないだ私が?????、って思った、個室代負担も、決して、女をアホと思ってるとか、そんな深い意味はなく、ただ、「どうでもいいことはさっさと片付ける」だけのこと、みたいなのよね・・・。だから、純粋にビジネスライクでMさんを見ると「無駄なく、きっちり、仕事は片付け、かつ、思いやりのある対応ができる」って、風に見えるんだけど、どうも、ただ、クールなだけ、なんかなー、って、最近思う・・・。仕事上、上司としては、確かにベストな人。これは紛れもない事実。だって、できる人間の下で働くのは、自分の力をフルに発揮できるし、きっちり仕事をするためなら、きっちり守ってもらえる。 ただ、最悪に厄介なのは、ただ、優しいだけの男より、こんな風に、ちょっとクール、っつーか、冷たい男が何より好きだというこの私の「ヘンな」嗜好性なのだ。んなふうに判ってしまうと、妙に、一層、興味が掻き立てられてしまっている・・・。相当まずい。 先日、本社(親会社のほう)から、社長が来た。朝、来るなりうちの部署にやってきて「体の具合が悪いんですって?、大変だけど、頑張ってくださいね」だって。正直、びっくり。一度しかあったことないし、子会社のペーペーの私にまっすぐ歩いてきて声をかけてくれたってことは、それなりにMさんが何らかの形で伝えてくれていたということだけは事実なわけで・・・。 ケッサクなのは、その朝の朝礼。うちの会社は毎朝、社員一人が「所感」と言って、ちょっとしたスピーチをする。前日に翌朝言う人は教えられるんだけど(ネタかんがえなくちゃいけないとゆーことで)、私、ずーーーっと出張で、こっちに転勤した初日にいきなり指名されて以来一度も当たっていなかった。私的には出張先で毎回のように当てられてるんで、しょっちゅうやってる気持ちだったんだけど。この事務所は大所帯で、4~50人くらいいるから、二月にに1回くらいしか当たらないから、当てられたこと自体はなんてこたぁないんだけど、んで、よりによって、全員集合(社長が来るってんで、全員集合している)しているときに、前振りもなく、いきなり指名されるわけよ。しかも、社長から「はなママ、こっちこっち」と、上座の社長の横に呼ばれてそこでスピーチ。人前でスピーチ自体は慣れてるし、平気だけど、ちょっとは緊張する。しかも、みんなが面白いと思うネタ、と考えなきゃいけないから、結構頭フル回転。で、携帯の占いのメルマガについて話した。私の話が終わったあと、社長のスピーチになったんだけど、「はなママのスピーチはまるで、男性のスピーチですねー」と、開口一番。みんなうつむいてくすくす笑う。私なんて「意味わからん」よ。ネタが男なのか、話し方が男なのか。、どっちも、男っぽかったらしいんだけど。ロジックなハナシの進め方とデカイ声。結果的には褒めてくれてたんだけど、先に笑わせんでもいいのに・・・。 そのとき、先般のモデルの話になって、みんなの前で「うちの社員にこんなに仕事ができるいい人がいるとは知らなかった、すばらしいモデルを作ってくれました」と、大絶賛してもらったの。気持ち「と-ぜんやん、私はプロよ」って思いはあるけど、この事務所で私のパニックの仕事内容をある程度理解しているのはMさんだけだったわけで。普段、私服で(打ち、制服なの)会社を出たり入ったり、出張、直行直帰で、あいつ、なにやってんだと、ほとんどの人が思ってたと思う。だからこんな風に私の仕事をみんなの前で言ってもらえるのは本当に助かった。出来ることなら、先月あたりに言ってほしかったけど。おかげで、その日から、みんなの態度が変わったのは事実だし。しかも事実上、誰も私の悪口は言えなくなったわけで。社長が手放しで褒める人を悪く言えば自分で自分の首、絞めることになるわけだもん。なんたって、うちの会社は、会長、社長の権力は絶大なのだ。 だから、ちょっとだけ、私の気持ちは報われたわけで、少し、幸せな気分になることが出来た。・・・最も、私が望んでいた「形ある評価」が、これでおしまいなんだとしたら、考えるけど・・・。 この話にはまだ、続きがあるんだけど、睡眠薬が効いて来たので、今日はここまで・・・。続きはまた。明日はモデル設営初日の一番ハードな仕事の日です。体休めておかなくちゃ。・・・お休み・・・。
2006年08月03日
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過去に、こんな激動の殺人的スケジュールで仕事をしたことが無い。今思えば、7月(とゆーか、6月末から)から今日までの1ヶ月ちょっとの日数なのに、ゆうに3ヶ月くらい経っている気がする。誕生日をしてもらった7月の頭が相当大昔な気分だもの・・・。 つまりは、やっぱ、3倍くらいの両働いたってことなんだよね。7月の終わりの週、母から「祖母が危ない」と聞いた。初孫ですごく可愛がってもらった、大好きなばーちゃんだった。ところが、スケジュールの調整がどうにもつかない。見舞いにもいけなかったことがものすごく辛かったりもしたし。 その週に新規もでるの丸々のプラン二つと、もうすぐ出来るモデルのカーテンのプランと、小物買い、絵の注文と発注。全部が重なって、おかしくなってしまって。感情のコントロールが出来なくなって、スケジュール表見ながら涙が流れてきて。 でも、どうしようもない事も事実だったから、出来ないと、パスした。結果的には不本意な、地元の業者にやらせるってことでまとまったんだけど・・・。結局「私じゃなきゃ駄目」ってことじゃないんだよね・・・。結構、凹んだ。しかも、初めて、社会人になって初めて「出来ません」と逃げた。プライドがめちゃくちゃ傷ついた。 でも、その日から、小物買い、しまくらないと間に合わない状況で、凹んだーー、何て言ってる暇も無かった。ところが、その前日、いよいよ祖母の様態が悪化して。母たちはその日の朝、祖母の元に行っていて、私は仕事が終わって、行くつもりだった。ところが、小物買いに出かけて、車に乗ったとき、早くばーちゃんのとこに行かなくちゃ、って、思えてならなくて。で、そのまま高速に乗って、祖母の元へ向かった。 病院に着いて、祖母の枕元に行って、手を握ったり話かけたりしたけど、長い事植物状態だった祖母に奇跡が起こるでも無く・・・。それから30分位して、みんなが見守る中、亡くなった。 少し落ち着いて、Mさんにメールで忌引きとる旨伝えた。そのときになって、自分が心底ほっとしている事に気がついた。仕事のスケジュールも、調整してもらったから、2日の忌引きくらいは問題なく取れる。お通夜にも葬儀にも出る事ができる。携帯電話、握り締めて動き回る必要が無い状況になっていて、気持ちがほんとに楽になっていた。 久々に会ういとこや叔父、おばたちといっぱい、ばーちゃんの思い出話した。長い闘病生活が終わって、お疲れ様って気持ちで、悲しいよりも「良かったね」って、思いのほうが多かった。最後の骨を拾う時、どっと涙が流れてきた・・・。棺に入ってるときまでは、まだ、なんとなくピンときてなくて、増して、思い出話ですごく楽しかった話とか、交わしてたから。でも、骨になってしまった祖母を見て、初めて「ああ、もう、二度と会えない」って、実感がわいた。 その夜、はなをつれて私だけ先に帰った。祖母の死は、私のパニック状態を、平常に戻してくれるきっかけだった。最後の最後まで、ばーちゃんは私を助けてくれて気がする。
2006年08月01日
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ここんとこ暫くはなの話題してなかった。私の先日からの経緯は今日明日中にアップします(の、予定)。 5月から出張が多く、不在の日が結構あった。でも、はなと実家に戻ってもう3年以上たち、最近しみじみ思うのが、はなにとっての「群れ」は、私とだけではなく、うちの両親を含めた3人と1匹で一つの群れだと認識していると思う。だから、誰か一人かけても、彼女にとっては重大事で、帰ってくると「良かったぁーーー」なんだと思う。 はなにとって「何よりものボス」は、多分、私なんだと思う。一応、殆どのコマンドは私が優先するから。ところが、単に「怖い第2ボス」がうちの父だ。前も書いたけど、古いタイプの人間である父には「畜生は外で飼うもの」という信念があるから、「うちいぬ」はなをことさら邪険にする。でも、ホントはとっても可愛がってくれているから、はなにとっては、父も大好きな存在だ。ただ、ビミョーに距離は置いてるけど。 7月は特に出張が多く、不在がちだった。多分、はなも寂しがっていたみたいで。はなは、2階の私の部屋で一緒に寝る。で、晩御飯が終わって、家族がリビングでくつろいでたりすると「2階に連れて行って」と、要求する。階段の下で、2階を見つめて、ステップをカリカリ引っかく。まぁ、イヌにとって、階段を上る行為は嫌なものらしいし、「上れない」っていうなら、仕方ないなーと、要求されるままに毎日「はいはい、先に寝るのね」と、抱っこして2階に連れて上がる。因みに、2階の廊下で下ろすだけだと駄目なのだ。私の部屋まで一緒に行って、ベッドに上がって「お休み」といってもらわないと、駄目らしく、廊下に降ろすだけだとすぐまた下りてきて、同じことを繰り返す。なんちゅー我侭。 ところが、出張から帰った私に父「このイヌ(まだ、大体において{いぬ}呼ばわり)、ふざけとーぞ。昼、自分で2階に上がっておまえんとこで、寝とうぞ」私「抱っこせんな、2階に上がらんやろ?」父「いや、自分で上っとう。俺が帰った途端、2階から下りてきよる」私「うっそー」ただ、甘えて、抱っこせがんで連れて上がってもらっているだけらしい。とはいえ、長きママの不在で、ママのにおいのするベッドで、このクソ暑い夏の昼間に寝てるなんて、なんともいじらしいではないか。 もう一つ、父が言うのは、うちのリビングの片隅に幅60センチくらいのパソコンデスクがあって、そこは父のパソコンスペース。同様に私の不在の時、その狭いパソコンデスクの父の座っている足の間に、狭いのに、すごい狭いのに、めっちゃ狭いのに、わざわざ入り込んで寝るらしい。・・・ま、寝る、っていうくらいだから、父もけり倒したりしてないってことなんだろうけど。だけど、あれだけ、ビミョーな距離を置いて付き合っている父にさえ、スキンシップもとめて近づいてゆくくらい、寂しかったんだねー、はなぁああああぁぁぁ。と、ママは、そんなはなが不憫でいじらしくて、たまらなくなった。もう、はなと合えなかった半月分くらい、普段にも増して「かわいーねー」「おりこうさん」と、褒めまくった事はいうまでも無い。 なんだかんだで、はなにとっての一番は、厳しいボスであるママだけど、やっぱりいなくちゃ駄目なんだよね。ああ、愛おしさが募る・・・。昨日とおとといと、祖母の葬儀で、母の実家に一泊で行った。うちの一族、大体動物好きだけど、やっぱり田舎は「いぬはそと」。まぁ、私としても、よそんちに行く時に家に上げてもらえるなんて考えてもいないから、どっか繋いどかなくちゃと思って、はなを連れて行った。急だったからホテルにも預けられないし、預けきらんとゆーのもあるし。祖母んちのすぐ近くにイヌと泊まれる宿が最近出来ていて、空いてればそこに泊まろうと思ってたんだけど、どうも、イヌは泊まれなくなっている感じだった・・・。 で、祖母んちの玄関の下駄箱の足に繋がれる羽目になったんだけど、彼女には当然それが理解できない。なんで上がれないの?。なんでみんなと一緒じゃないの?。なんで一人ぼっちなの?。なんで地面で寝なくちゃいけないの?。などなどなどなどなど・・・・、文句たらたら。繋いで1時間くらい、要求吠えでわめいて、ママの指示の元、みんなに無視してもらって、ようやく諦めがついたようでおとなしくなった。でも、お客さんが(弔問)多いから、はなみたいな自己顕示欲の強いイヌにはある意味快適だったみたい。みんなから「あら、かわいい」「おりこうさんねー」「おとなしい」「綺麗ねー」などなど、褒めてもらい、なでてもらいで、結構「まんざらでもない」って顔していた。まったくね・・・。 流石に、昨日の葬儀は、日中で、連れて行くわけにも行かず、玄関で留守番だったけど、一番最初に帰ったいとこの話では、下駄箱のしたの小さなスペースの中に入り込んで、隠れていたらしい。ま、知らない家で、ママたち全員いなくなって、お留守番させられてりゃ、ヘタレのはなだもん、さぞ、怖かったろうとは思う。だから、帰ってきて、速攻ハグハグ。いきなり喪服は はな毛だらけ。ストッキングは破れ・・・。でも「いい子だったねーー」と、褒めまくってあげた。・・・だって、靴も,下駄箱の足も、玄関框も無傷だったもの(笑)。 普段着に着替えて、汗だくになりながら、玄関先で暫くはなと遊んで、機嫌直してもらいました。 精進落しの食事のあと、私だけ、仕事があったので先に帰ることになり、はなと家まで戻ってきました。今朝、はなは、トイレ散歩に行くだけ行って、あとは爆睡してる。ヘタレだから、沢山の人に愛想振りまいて、長距離ドライブで、疲れたみたいで。今日も一日暑そうだけど、ゆっくりお留守番しながらお休み、はなっ。
2006年07月30日
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昨日、あれから少しして、携帯に電源入れたら、メールが入っていた。3つの選択肢の3番目。私的に一番不本意な選択肢。私じゃなくたっていい、ってこと・・・。一応「宣伝やイベントの企画が決まっているからずらせない」って、書き添えてはあったけど、要は、何が何でも「私じゃなくたっていい」ってことなのよね・・・。 8月のモデル2棟終わらせて、ジ・エンド。9月の2棟は、プランの暇なし、ってことで、地元の業者にさせる事になった。おかげで、週末の土日は、一日出て、最後のプランのまとめをするだけでよくなった。 だけど、だけど、なんか、そのメール読んだ時、すごく、傷ついた。がっかりした。 その夜、祖母の様子が危ないと連絡が入った。土曜、会社に出て、最後のプランまとめる。夕方、小物買いと称して、祖母の病院まで車飛ばした。まさしく、間一髪。最後の瞬間に立ち会えた。長い事、寝たきりで、半年くらいは植物状態。何度かお見舞いに行ったけど、全然「帰ってくる」ことは無かった。でも、初孫の私をものすごく可愛がってくれたし、いろんなタイミングの出来事に居合わせてくれて、結構、私の人生の仲で重要な節目には祖母がいた。 だから、亡くなった時、めちゃくちゃ悲しかったけど、「やっと楽になったね」って、ほっとしたのも事実だった。 はなを家に置いたまま、うちの両親もそこにいたから、とりあえず、私だけ、家に帰ることに。で、明日から、忌引きで休む旨、Mさんにメールを送る。その時に気がついた。なんか、ものすっごく、楽になっていた。モデル2棟、パスしてなかったら、祖母の臨終には絶対立ち会えなかったし、葬儀に参列できたかどうかさえ疑問。しかも、祖母が亡くなった、という事で、公然と休みが取れる。昨日までの状況でこの瞬間を迎えてたら、間違いなく「仕事に穴あけた」状態で、私自身がもっとひどい状況になっていたはず。 ある意味、このタイミングで祖母が他界したのは、私には、公然とパスする言い訳が成り立ったわけで・・・。ばあちゃん、有難う、最後の最後まで・・・。そう思えてならなかった。 だから、祖母が植物状態でつながれ、悲しい姿さらし続けていた事に終止符を打てたことに対して「良かったね」という思いと、仕事のプレッシャーから解放された「よかった」で、まちがいなく、ほっとしたのは事実だ。重くて大きな肩の荷が下りた。っていいう感じ・・・。 実は、昨日でさえ、「ショックだった」と言いつつも、2ヶ月ぶりくらいに、睡眠薬飲んでたとはいえ、夜中に目覚める事も、夢を見ることも無く、ぐっすり眠れた。ほんとに、久しぶりにぐっすりと。ほんとに、楽になったんだ・・・。 最も、自分の気持ちとしては「ショックで傷ついた」気持ちは昇華し切れてないから、この気持ちに折り合いが付けられるまで、もう少し、時間は必要だし・・・。なんたって、パスした二つの支店に顔向けできない気持ちも当然あるわけで・・・。まだしばらくはストレスは消えそうにも無いけど、とりあえず、お盆の時期の設営を乗り切れば、このパニックとはお別れ。 というわけで、8月末から入院しようかな、と、計画中なのであります。
2006年07月25日
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出張での仕事が予定より早く終わって、午前の便に乗れることになった。前々日からのアップアップは変わらず、ホントはこの出張さえすっぽかしたいところだったけど、今週がグランドオープン。すっぽかしたら大変な事になってしまう。で、何とか終わらせた。ぐるぐる煮詰まる状況は単に出張で先延ばしになっただけで、今、戻ってきて、ちっとも状況が変わっていないことに改めて思い至って、逃げる決意を固めた。 同僚の子には「直帰の上、明日から公休にしておいて」とメール。Mさんには前日、飛行機の便の変更を頼んだ折「明日、直帰します、限界です」と、書き送っていた。 だけど、Mさんからは「早く帰れる時に帰って、ゆっくり休んでください」。同僚の子は「いつまで公休にしとく?」。なんか、すごい、惨めだわ。こんなにいっぱいいっぱいなのに、対応はそれだけか?。 しかも、間が悪いというか、出張の日、隣の部署の天敵のオヤジと(最近はそれでも、うまく行ってたほうなんだけど)空港でばったり。「はなママはまだいいよ、俺なんか、仕事に加えてクレーム処理で精神的にも大変」と、のたまった。バカやロー、クレーム処理がイヤなら代わりに行ってやるから私の仕事をやれっ、って、いいたくなるほど、とぼけた物言い。 結局、同僚も、隣の部署の責任者も、まして、上司のMさんも、ここまで追い詰められた気分に陥っている私の状況を理解してくれていない。 明日とあさっての土日に休日出勤して、モデルの2件分のイメージ作って、見積もりだして、別のモデルのプラン作って、見積もりつくって、出張の精算等の雑務して、月曜の出張の打ち合わせの資料作って、って、この作業量はたった二日でやれるものじゃない。ましてすでに5件オープンさせて、何のインターバルもおかずに連続やってるから、ちょっとしたスランプに陥ってて、イメージが作れなくているのに、そこにゼロからスタートのモデルが入ると、正直、お手上げ。 帰りの飛行機の中で「もーー、やってられん、絶対にやってられん、逃げる、失踪する」と、決意した。だけど、福岡に着いて、高速バスに乗ったら、今日中に会社として、事業計画の中でモデルのオープン時期の延期を検討してもらって、少しでも伸ばせる事になって、今夜までにそれを決めてくれたら、明日からまた出社して、やれるだけやれば、少なくとも「穴あける」まねはしなくて済むし「無責任な奴」というレッテルも貼られずに済む。ここにきても、まだ、自分のプライドが捨てられない自分にも腹立たしいものはあるけど、仕方ない・・・。1、先行二件のオープン優先なら、後発2件のオープンを遅らせる2、後発2件のオープンを決めるなら、先行2件のオープンを遅らせる3、どっちも無理なら、誰か、外部の人にやらせるで、「何とか頑張れ」だけで済ませるなら、覚悟決めて失踪します。 バスの中でそう書いてメール送って、携帯の電源を切った。 もう少しして、携帯に電源入れて、返信が入ってるかどうか確認してみるつもりだけど、「覚悟決めて」って、書いた真意を判ってくれてるかどうか・・・。今までのパターンからすると、ただ単に私だけが煮詰まってる、って、捨て置かれるだけなのかなぁ。 必要とされてる、って、思ってたし、思いたかったけど、どうなんだろう。どっちにしたって、無理な事は無理、間に合わないのは事実だから、どうにかしてもらわなくちゃいけないんだけどね。 体がきついのは、現実問題、深刻だから。半分、どうでもいいや、的気分なのも事実。さて、どのくらい、会社は私のこと、認めてくれてるのかしらね。また、Mさん、個人的にどーのこーのの事なかれでかわせる問題じゃないと踏んではいるんだけど。さてさて・・・。
2006年07月24日
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スケジュールの立て方が甘かった。世間が盆休みになる事をすっかり忘れていた。だから、家具カーテンの納品にプラス10日かかることを考慮していなかった。で、この1週間にモデル3棟分が重なってしまった。明日からの出張から戻って、土日に全部しないと、月曜からまた出張。 今日、少しでも、沢山進めようと思って、図面見つめながら、どんなプランにしようかと考える。でも、何にも思いつかない。ちっともアイディアが浮かばない。考えれば考えるほど、煮詰まってきて、焦って・・・、気がついたら涙がぼろぼろ出てきて、おかしくなってきた。 終わらせなくちゃいけないのに、どうにも出来なくて、ぐるぐるぐるぐる・・・。 背中は痛むし、胃はむかついてくるし、で、どうしようもなくて、発作的にパソコンの電源切って「早退する」と言い捨てて、帰った。でも、バス停でバス待つうちに、ちょっと冷静になって、同僚の子にメール打って、Mさんには言わないで、と伝言した。返ってきた返事が「わかった、いわないよ」。・・・ホンネのところでは、伝えて欲しかったんだけど。あああああああああああああああ。変わらない、状況は変わらない、何にも変わらない。少しは、私の気持ちと状況を理解してくれぇ・・・。こんなヒステリーみたいな行動とっちゃったこと、かっこ悪くて、情けなくて。 というのも、おととい、Mさんと話しているときにすでにスケジュールがやばい状況で、モデルのオープンを1週間づつ2棟ずらしてもらったばかり。その直後に、盆休みの件が発覚して、今更さらに伸ばしてなんていえない。 でも、現場確認しないと、逆にやばくて、出張もキャンセルも延期も出来ない。 気力も体力も体調も限界に来ているのに、気力だけ、気を張っているだけで持っている。いっそ、会社でぶっ倒れる事が出来ないかと思うのに、倒れもしない。毎日、痛み止めと、スタミナドリンク飲んで、何とかガンバっているのに、小康状態で持っている。倒れてしまえれば、いっそ、楽なのに、って、流石に今、逃げたくて仕様がない。 明日、朝、6時半に家を出て、朝一便の飛行機で現場設営。翌日最終便で戻ったって、その翌日はフルにプラン作らなくちゃいけない。もう、だめだ・・・、アップアップだ・・・。
2006年07月21日
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昨日のブログ読み返して・・・、おかしい。眠剤飲んで書いてたから、後半,おかしくなっている・・・。やっぱ、眠いと、頭おかしくなるのねぇ。 で、続き。打ち合わせしながら、知らず知らずに「個室で入院してれば仕事が出来る」って、ニュアンスになってしまった。でも、タイトなスケジュール立てて考えると、考えれば考えるほど、間に合わないという状況がはっきりしてきた。どう調整しても、絶対無理。逆に入院延期すれば、時間が無いせいで出来なかった現場のチェックも出来て、安心して仕事を進められる。ある意味、精神衛生にすごくいいことが判ってしまった・・・。 で、自分の中で「入院延期」を決めた。誰にも相談はしない。 翌日、会社の同僚の子から電話があって、その話で私が入院する予定の日に私が出張するはなしとか何気にしてしまって、延期した事がバレた。「食事に気をつけさえしたら、とりあえず大丈夫だから」「Mさんに相談した?」「別に相談する事でもないし、してないよ」 電話を切って、ちょっとしてMさんから電話が入ってたけど、気がつかず放置。その後メールがはいってて「これ見たらすぐ電話して」とあった。なんとなく、電話するのもはばかられ、1時間くらい放置して電話をかけると今度は留守電。「延期したらきちんと仕事できるスケジュールになったので決めました。私は大丈夫ですのでご心配なく」と、メッセージを残して。 結局、昼ころにやっと話しが出来て。えらく心配している。その話のうちに「個室に入院できたら延期せずに出来るんだろ、だったら、個室代出すから」「会社から出るんですか?、それ」「いや、出ないから、俺が持ってあげるよ」なんか、あれっ、と思ったけど、ともあれ、それでも無理ってことで「無用な心配は不要です」と、返事した。 昼ごはんを食べるため店に入って、考えた。やっぱり、おかしい。絶対おかしい。仕事で入院を延期したのは事実だ。こんなにも忙しいから、延期せざるを得ないのだ。だけど、その入院個室代を何故、上司が負担までしなくてはいけないわけ?。それは、会社組織としておかしい話じゃないのだろうか。そう考えると、だんだん腹が立ってきた。そう、むかついてきた。それって、激しくズレてる優しさじゃないか?。というより、優しさなのか?。 私は、個室代の話しが出るなら、会社が負担してくれるとかの交渉をして欲しいの。それをMさんにして欲しかった。組織として、そんなシステムはないんだから、無理な話だとは判っているけど、簡単に「自分が負担して済ませる」、金で片付ける的発想が腹立たしかった。というか、がっかりしたかもしれない・・・。ショックだった・・・。 そんな発想に、意図が測れない。私が予測もしない返しが来ちゃったもんで・・・。 なんとなく、凹んでしまっている・・・。直球勝負の私としては(仕事の上で、ね)率直に「個室代を持つなんていう話はヘンです」と、メールを送った。そして「願いは一つ、こんなに頑張ってるから、会社として評価が欲しい」って、送ってみた。勿論「返信無用」と付け加えて。 それから5日間くらい、会うどころか話もしてない。他愛も無いメールは半業務連絡でやってはいるけど、なんか、私的にも釈然としない思いが強くて・・・。 多分、私はとても簡単に誰でも信用してしまうから、期待を裏切られるような事があると、ものすごく落ち込みが激しい。しかも、鈍いから、その瞬間は気がつかなくて、あとになって、だんだんむかむかむかむかむか・・・。なんなんだかねぇ・・・。 そりゃ、まだ。はっきりした事、判らないんだし。だから、まだ「好き」って気持ちは変わらないんだけど、ちょっと、温度下がったかなぁ。
2006年07月15日
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先週末、グランドオープン。ちょっとしたお祭りがある。四国の9店舗の立ち上げすべてに関わって仕事してきて、特に前半の支店は私が監理建築士で、事務所の建築にまでどっぷり関わってきていた。ところが、肝心のグランドオープンとかの式典に参加させてもらったことがない。で、今回の店舗がとりあえずうちの会社の事業計画上、「新規支店」は最後になるので、「一度くらいたち合わせてほしい」と、お願いして参加させてもらった。 ただ、私的には「その雰囲気」を味わいたかっただけで、式典の翌日は高知支店の設営だったので、ジーンズとTシャツしか持ってきていなかった。しかも前日は打ち合わせで、違う町にいて、翌朝直接の徳島入りの予定にしていた。ところが、その前日の打ち合わせのあと、徳島の支店長から「明日、ちゃんと来てくれるんでしょうね?、ナンバーワンもMさんも、ほかの支店長も一同に来るんですよ」なんて、参加確認の電話が入って、「まっずーーーーー」。 田舎の町でホテルにチェックインしてフロントに荷物預けると同時に「一番大きなデパートは?」と聞いて(因みに、ちっちゃなデパートが一つしかなかった・・・)速攻、スーツ買いに行った。くーー、散財・・・。でもでも、激痩せのお陰で、フツーのブティックで、フツーにパンツスーツが買えた!!。デブってると、きれる服が無いんだもん。脚の長さには自信があるから、補正の必要はまったくなし。いやぁ、痩せるって、いいなぁ・・・。 翌朝、殆ど始発の特急に乗って徳島入り。タクシーで駆けつけると、支店長たちがお出迎え。うおー、スーツ買っててよかったぁ。 別段、仕事はないから、私はほかの支店のプランなんて作ったりしている。だけど、モデルの説明とか各支店長に案内したりなんてのは結構忙しい。うちの支店長たち、ゴシップ好き。すごい好き。「はなママ、最近カレシ出来たらしいって噂やけど」なんて、ストレートに突っ込んでくる奴が数人居合わせている。・・・で、ふと感じた。っつーか、気がついた。あっれーー、ナンバーワンとMさんがおるやん・・・。なんか、ビミョーにスリリングな緊張感っつーか、面白い空気が流れてたわ。きっと「勘ぐってる勘ぐってる、ナンバーワンかMさんか、って」と、面白い・・・。あえてツッコミにも何にも気がつかない振りして無視してみる。結構面白かった。 でも、地元の銀行の人やなんかとの接待で、Mさんは夜は合流できず、私はナンバーワンと、その同格対立派の人間と、数人の支店長たちと飲みに行くことに。ナンバーワンからは「この、問題児、今日は壊れるなよーー、わははは」なんて、おちょくられるし、それ聞いてる支店長たちが「は・・・?」なんて、顔してるのもわかるし・・・。 とはいえ、翌日からの設営に備えて、深酒はしない。で、おりこうさんに飲んでナンバーワンとホテルに帰る。ところがこのホテル、徳島では結構高級ホテル。でも、大体いつもここがMさんたち同様定宿。だけど、ほかの支店長たちはずっと格下のビジホだった。まずっ。で、私はナンバーワンと「二人でタクシーでホテル」とゆー、ゴシップ、ネタ、提供、状態・・・。あーあ。 翌日、今後のモデルのスケジュールの打ち合わせをMさん交えて各支店長たちとする。後期がずれたりして、7月終わりの週に決めなくちゃいけないスケジュールが立て込んできてしまってた。でも「実は24日から8月最初の週はちょっと・・・」何ていうと「ほーーお、夏休み?」なんて顔して言うのよ。むっかーー、と来るわ。だって、入院して、資料持ち込んで仕事するつもりでいるのに、そんな言われ方するとね。だから「実は、体調悪くて、手術で入院なんですよ、個室でも取って、ちゃんと資料もって行って、仕事しますがご心配なく」なんて、数人の支店長に行ってもはたと気がついた。Mさんの前で「個室があれば仕事が出来る」なんてニュアンスの言葉を出したなぁって。まずいなーー、と思っていた。 それでも、何とかやり過ごし、スケジュールのダブルブッキングがないかとか、全体の工期からまとめてみると、明らかに入院の病室に、今、会社で使っている資料一式とパソコン、なんて事態になりつつあるスケジュールで。だんだん、ヤバイと焦る気持ちが大きくなっていく・・・ で、とうとうその日の夜、延期する事を決定した入院なんてして、仕事が気になって、また胃に穴でも開いたらたいへんだものねーー。つづく・・・眠剤飲んで、ねっむーーーー。
2006年07月14日
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明日から、また四国。今治に入って、打ち合わせ。翌日徳島入りでMさんと合流。徳島支店のオープンパーティに出席して、翌日から高知のモデル設営。今度もまたハードスケジュール。でも、これが終われば2週間近く入院でゆっくり休める。 今日、退院明けのすぐの設営の分2件の急ぐ部分の発注まで済ませた。あとは入院中に細々仕事するってわけで・・・。ああ。しんど・・・。 昨日までの話しの続きみたいなものなんだけど。そんなこんなで私は結構偉い人に可愛がってもらえる。だから、私より「ちょっと上」の役職の人は面白くないみたいで、結構辛い目にはあってきたけど、結果的には偉い人が何も言わなくても守ってくれる。ここがポイント。絶対悪口は言わない。意地でもちくらない。これさえしっかり守れば大丈夫。なかなか学習能力のない私が学習した真実。 ところが、表立ったいじめのみならず、厄介なのがゴシップ。これにもどけだけ巻き込まれたか。ま、だいたいが、偉い人たち絡みで「デキている」って、単純なものなんだけど、結局、私が体使って気に入られるように取り入ってる、風に言われるのが若い頃は辛かった。 今も、まさしくそれで。ナンバーワンの愛人と、密かにささやかれている。ことさら否定するのも大人気ないし、なんてほっといたら、結構、まことしやかに真実めいてみんなが信じている様子が見て取れる・・・。うーーん、それはそれでまずい。Mさんにまでそう信じられたくないし・・・。最も、Mさんとナンバーワンは結構良く話している状況にいるし、なんとなく、秘密の共有しているみたいなところもあるから、私との関係を疑っているとは思えないけど・・・。 徳島支店の支店長は、露骨にナンバーワンと私の関係を信じ込んでいる。というか、殆どの支店長は多少なりとも疑っているという気もするのも事実だけど。ナンバーワンはそれなりに、力を持っているから、うちの会社から離れ、本体に戻ったとしても、影響力は大きい。だから、未だに私はその恩恵にあずかっている。 結局のところ、ペーペーの何の肩書きも持たない私が、いろんな支店に行っても、ないがしろにされるどころか、支店長自ら、気を遣って、接待してくれるなんて当たり、明らかにその影響だとしか思えない。 で、先だって、Mさんが徳島に来てくれ、二人で次の支店まで移動する道すがら、そんな話になって、「最近、ことさら否定するのもなんだし。逆にそう信じていろいろ気を遣っていただけるのもある意味、とっても快適なんで、あえて否定しようとは思わないんですよね」なんていうと、息ができなくなるまで笑い転げられてしまった・・・。でも、Mさんに疑われていないってことが確信できて、私的にはほっとしたんだけど。 ただ、私としては、自分の立場はわきまえているつもりで。威光による特権だってことは承知しているから、常に控えめな態度に徹するようには心がけているつもり。でも、ナンバーワンもMさんも、逆にこんな私にとても気を遣ってくれる。で、それが不思議だ、って言うと「ちゃんとやってくれる人には、ヒラだろうが重役だろうが関係ないし、その人が参っているなら守ってあげるのは当然だろ」と、むしろ驚いたように言われた事に、驚いた。 モロ、体育会系な会社だけど、全般にうちの母体の人たちは暖かい。 とはいえ、最近聞こえてきた新しいゴシップ。・・・Mさんと私がデキてるんだって・・・。デキる前に噂にするのはやめて欲しいもんだわ、警戒されるっちゅーの。・・・第一、私、それじゃ、単に「おバカな女」ってことじゃん。暇な奴が多すぎる・・・。
2006年07月13日
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