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志摩観光ホテルといえば、今話題の「華麗なる一族」の舞台にもなっているので、名前を聞いたことのある人も多いだろう。物語の冒頭、セレブな家族の象徴として、この新館にあるレストランで食事をする様子が描かれているらしい。テレビでは1話と5話でこのホテルのレストランが使われているという。ホテルの新館にあるこのレストランは、アワビのステーキが有名で、「地元で取れたアワビと地元で取れた大根を煮ることで驚くような柔らかさを出す」という独特の手法は、昔、大阪ガスのCMでも映像とともに紹介されていた。私と殿は、結婚して間もない頃、話の種に(…というか、ある種「怖いもの見たさ」のような気分で)このレストランに食事をしに行ったことがある。殿は、その名物の「アワビのステーキ」を、私は「シーフードカレー」を注文した。アワビのステーキは、単品(パンもライスもなにもついていない、ステーキそのもの一皿)で当時1万円、シーフードカレーは一皿6千円だったと記憶している。シーフードカレーに6千円?!とびっくりしたものだが、その一皿にはアワビも伊勢海老もゴロゴロと入っていて、その恐ろしく旨そうなカレーを目の前にして「こんなのシーフードカレーって呼ばないでよ!」と思ったのを今も覚えている。(実際、今は違う名前になっているようだ。笑)このときのことを思い出すたびに、殿と二人で「あの頃は我が家にも余分なお金が結構あったんだねぇ」としみじみしてしまうのだが、とにかくその時は若さも手伝って、ランチタイムだと言うのにボトルワインを頼み、その他にアラカルトでつまみも注文し、帰りには一世一代の支払いをしたのだった。しかし、美しい景色も堪能できるし、料理は本当においしいので、もしお金の余っている方で伊勢志摩観光に来られるご予定のある方にはオススメだ(笑)その志摩観光ホテルの創業以来使われてきた東館が、今日1月31日をもって改装のために閉館した。この東館は、故・村野藤吾氏の設計で、開業以来今日まで約55年間使われてきた名建築である。村野氏の名前は知らなくても、たとえば関東の人なら「新高輪プリンスホテル」「箱根プリンスホテル」「箱根樹木園休憩所」「八ヶ岳美術館」、関西の人なら「都ホテル大阪」「梅田の換気塔」「宝塚市庁舎」「宝ヶ池プリンスホテル」「旧心斎橋そごう」…と聞くと、どれかは見たことがあるのではないかと思う。殿が心の師と仰ぐ建築家で、細やかで繊細なディテールの美しい建物を作られた方だ。太郎がまだほんのよちよち歩きの頃までは、私たちはしょっちゅう、この志摩観光ホテルのお庭に遊びに出かけた。きれいに整えられた芝の上を歩くだけでも、本当に清清しい気持ちになれた。そして、この東館のロビーは、とても重厚感があり、クラシカルで、上等なホテルの風格が感じられた。しかし、初めて訪れた時にも、一般の人を拒絶するような堅苦しさや空気の重さが全くなく、建物の中をくるりと歩いてまわるだけでも、なんだかいい気分になれるような、不思議な建物だった。後に箱根プリンスホテルに泊まったときにも、やはり同じような印象を受けた。それで、「この不思議な優しさと繊細さは、建築物が持つ力なのだ」と理解できたのだった。とにかく村野氏は、さぞかしお洒落でハイカラなおじいちゃんだったのだろうなぁと感心するようなデザインと配慮をする人なのだ。ああいう建築を作れることができる人は、たぶんもう日本には出てこないのだろうと思う。日本の様式美と欧米のスマートさの両方をきちんと身につけている人だからこその、美しい建築だったのだろうと思う。その貴重な建築物が、今日で役目を終えてしまう。「もったいない」なんて簡単な言葉では表現できない寂しさを感じる。写真や映像の記録は残るのだろうが、あの優しい空気の柔らかさは後に伝えることはできない。私は自分の中に大切にしまっておいて、時々思い出したいと思う。
2007年01月31日
今朝もワイドショーでは、例の柳沢発言について、騒ぎ立てている。確かに、あの発言はセンスがなさ過ぎると思う。しかも「しょーむないおっさんのジョーク(のつもり)」では済まされないような場での発言であることを考えると、「あー、こんなに思慮の浅い人が大臣なんだなぁ」と悲しい気持ちには、なる。だが。「女性に対する冒涜だ!!シロクロつくまでは何の論議もするわけにはいかん!」とばかりに大騒ぎするほど、世の女性達はその発言の内容に対して、本当に怒りを覚えているのか?と、私は少し疑問に感じるのだ。だいいち、ニュースやワイドショーで報じられる柳沢氏の発言は、その問題箇所だけをピックアップしたもので、前後がカットされているため、その真意も正直よく分からない。だが、常識的に考えて、大臣が公の場で「オンナなんて子供を作るための道具なんだよ!それだって産めるオンナの数なんて知れてるんだから…」なんていう意味のことを発言するとは思えない。ならば、マスコミ全体が(各社の最終的な意図は様々であるとしても)事実以上に悪い印象を抱かせる見せ方をしていると考えることもできるだろう。私は2人の子供を産んだ母親という立場だが(そして、特に安倍政権に肩入れする立場でもないし、柳沢大臣を擁護する義理もまったくないのだが)、今回の発言に「なによっ!女は子供を産むことにしか価値がないって言いたいの?!ムキーーーっ!!」なんて熱くなるほどの印象はないし、「原始、太陽であった女性をモノ扱いするとはなにごとですか!」なんて思いもない。ただただ「もうちょっと品のある物言いができないものか」と、大臣にまでなる人の日本語の乏しさに、情けなくなるだけだ。「美しい国」なんていうんだから、せめてそれに賛同する立場の方々は、もう少し美しい日本語で話す勉強と努力をしてほしい。だから、不適切な言動を指摘し、なにが人をいやな気持ちにさせるのか、何が正しい日本語なのかをきちんと論じ合うのは、もちろん大切なことだと思う。けれどそれは、できれば国会審議と言う、大切な時間以外の場での努力であるべきだ。世の中にはもっと、本当に腹立たしいことや、早急に解決すべき問題がたくさん起きている。特に安倍内閣になってからは、国会議員の中だけでも、お金の絡む議員の問題がたくさん起きている。そっちのほうが、私はよほど腹立たしいと思うし、それこそ「ちょっと待て、予算の審議の前に、言って置きたいことがあるんだが。」と口を挟みたくなる問題だと思う。だから、ああいうわざとらしく騒ぎ立てる、いわゆる茶番劇を見せられること自体にとても不快感を感じる。そして「ものすごく良いタイミングで騒ぎの種を作ってくれたものだなぁ。これで俺達のことはうやむやだ(ニヤリ)」と、喜んでいる人間が(与野党を問わず)たくさんいるのだろうと思うと、それにもまた憤りを感じるのだ。柳沢大臣の発言について、「私は全女性を代表して…」なんて鼻息をフンフン言わせている女性議員もいるが、彼女の目は節穴だ。本当に、世の女性が求めていることなんて、彼女には見えていないのだろう。そしてその節穴には、自分が「そういう女性キャラ」としてしか、使い途がないと思われていることも、他の大きな問題をうやむやにするために自分が利用されていることも見えてはいない。そういうふうに利用されることこそ、本当の意味で低く見られている女性…と私は思うが、久々の華々しい出番に興奮している人間にはそれは微塵も感じられないのだろう。(そして、個人的にはあのブサイクな大阪弁もやめてほしい。大阪弁は本当はもっと味のある良い言葉なのに…と泣きたくなるほど、彼女の大阪弁は汚い。)「民主国家では、現実として世論こそが正義であり、必然的にマスコミが第一権力者となるのです。」と、大ベストセラー『国家の品格』の中で、藤原正彦氏は書いている。それは、詳しい説明なしでは少し暴力的な論理とも取れるだろうが、私はこれが現実だと日々感じている。それならば、国会であろうが、地方自治体であろうが、政治家や議員と呼ばれる人々はきちんと世論を吸い上げることが義務として発生するし、国民はマスコミや様々な媒体から垂れ流される情報の、なにが本当で何が嘘かを、きちんと自分の頭で考え、嗅ぎ分ける力を養う必要がある。つまらないでっちあげ番組がきっかけとは言え、マスコミのあり方と視聴者の受け止め方が問われている時期だけに、こういう問題を扱う時にも、情報を流す側も受け取る側も、頭を冷して、冷静に考えなければいけないのではないかと思えてならない。
2007年01月31日
太郎の通う地元の公立中学は、普段、体育の授業があるなしに関わらず体操服での通学が認められている。式典や定期考査のある日だけ、学生服を着ればよいのだ。これは親にとっても非常にありがたいことだと思う。なにしろ、毎日ジャブジャブ洗って常に清潔なものを着せられるし、成長してサイズが合わなくなっても、制服を新調することに比べると、うんと少ない出費で新しいのを買うことができる。ところでここ数年のうちに、ズボンを下げてはく、いわゆる「腰パン」が全国的に大流行して、ファッションとしてのブームが収束したといわれる現在も、中高生の間では制服のズボンやジャージを下げてはくのが一般的になってきているらしい。ズボンを下げてはくのは、元々はサガー(sag=「裾が垂れ下がる」が語源らしい)といって、アメリカでサイズの合わない囚人服を無理矢理着せられた黒人系やヒスパニック系の囚人たちの服装が反体制のシンボリックな存在になり、後にヒップホップのファッションとして流行したものらしいが、日本の中高生の制服やジャージの「腰パン」は、ヒップホップのニオイなどしないし、たぶんそういう思想や主義あってのものではない。ただ、流行していて、みんながそういう風にはくからそうするうちに、目が慣れてしまって、普通にはくのがかっこ悪く感じてしまう、それだけの理由だろう。そういうわけで太郎の学校の男子達も、馬鹿馬鹿しく必要以上にジャージのズボンを下げてはくのが当たり前になっているらしい。中には、裾の長さをもっと長く見せるために、わざと女子用(丈が長めで横幅が細め)を買ってはいている男子もいるほどだという。ところが、だ。太郎は身長165センチほどで、身長はまぁあまり大きいほうではないという程度なのだが、体重が36キロしかなく、「骨が邪魔してこれ以上は痩せられません」という具合のへなちょこぶり。当然、腰も恐ろしく細い。そして骨盤の出っ張りも、もちろんほとんどないのだ。「腰パン」というのは、そもそも、ウエストの一番細い部分よりもぐっと下げて、腰骨の下のあたりか、もっとひどいのはお尻の肉で止めてはくのであって、骨盤もお尻の肉もさっぱり見当たらない太郎は、物理的にどうやっても腰パンなんてできようはずもない。しかも本人は「腰で止めるようにできているものをわざわざ下げる意味が分からん。しかも気持ち悪いし。」と、入学以来ずっと『アンチ腰パン』(笑)の構えを見せている。(いや、要するに普通にズボンをはいている、というだけのことなのだが。)クラスのおせっかいな女子や、自分の腰パンの裾の長さに妙な自信を持っている男子からは「太郎、ズボンもっと長くしろよ」といわれたりすることもあるらしいが、本人は「あんな気持ち悪いはき方してたら、ウエストのゴムの位置の気持ち悪さばっかし気になって、やってられん。」と、気にもしていない様子だった。なにより、ヤツは学校にいるときも忙しすぎて(今年から部活の部長になった)、ズボンのずらし具合なんてわけの分からんことに心を砕いている暇などないのだった。だが最近、3年生の知らない男子生徒に「お前、なんでそんな短いズボンなん?かっこ悪いぞ。」とからかわれて、大勢の前で笑われたらしい。(短い、といっても、普通にはいているハーフパンツだから、膝の辺りに裾があるのであって、わざと下げてはいている、膝下10センチとか15センチとかいうハーフパンツのほうが「長くてヘン」だと思うのだが。)太郎の学校は、昔のような上級生下級生の変な上下関係は全くなくて、3年生に何か言われたからといってビビる必要は全くないし、その3年生も大した意図もなくちょっとからかってみただけだと私は感じているのだが、太郎は知らない人から「かっこ悪い」といわれたことが少しショックだったらしい。そんな、通りすがりの通行人みたいなヤツから言われたことをいちいち気にする太郎もアホだが、この時期、知らない下級生のズボンの丈をからかっている3年生の将来も、まぁ言っちゃなんだが、知れたものだと思う。「みんなと同じように崩して着る」ことが、そんなに大事なのかなぁと、少し不思議に感じる。私たちの学生時代も、制服を崩して着るのはもちろんあったが、だからといって、普通に着ている子をからかうようなことは無かったように思う。そしてなにより、当たり前のものを当たり前にしていることがからかわれて居心地の悪い思いをしていて、モラルに反していることのほうは非常に甘い見方をされていることに、少し憤りも感じる。昔は、モラルに反している者は、反しているという自覚と覚悟がどこかにあった気がするのだ。だが今は違う。モラルに反していようが、常識を大きく逸脱していようが、「自由」とか「権利」とかを振りかざして、すぐに自分たちを正当化してしまう。太郎や花子は、親の私から見ても、真面目な子供達に育ってくれていると思う。だから、これからの「やったもん勝ち・言ったもん勝ち」の社会では、憤慨する場面もたくさんあるのだろう。でも、「きちんとしていることは美しいのだ」ということだけは、どんなに腹立たしくても忘れないでいて欲しいと、母は心からそう思う。
2007年01月30日

北の庭の、うちでは一番早く咲く梅が、やっと咲き始めた。まだ三分咲きくらいだが、風が吹くといい香りが表の庭まで運ばれてくる。太郎は梅の花を見るたびに「大宰府に飛梅を見に行きたい」と言う。来年の今頃は受験真っ只中になる太郎。おかんがかわりに大宰府まで行って、天神さんのお守りもらってこようか?こぼれ種が育ったのか、越冬したのかよく分からないが、花子の花壇でひっそりと咲いていた。シュートで増えて越冬したワイルドストロベリー。赤く紅葉した葉っぱがかわいらしい。たしか四季咲きの種類だが、残念ながら、花芽はまだ一つもついていない。
2007年01月26日

柑橘類の中で一番好きなものは?と聞かれたら「グレープフルーツ!」と即答する。フルーツ全部の中でも、間違いなくベスト3に入る。それくらいグレープフルーツが好きだ。私の実家は食料品店だったので、グレープフルーツは小さい頃からしょっちゅう食べていた。もっとも昔は、今のように年中店先に並ぶ果物ではなかったし、果肉の赤いルビーも無かった。それでは一体、どの季節にグレープフルーツが我が家の陳列棚に並んでいたのかと聞かれると、これはもう本当に全く覚えていないのだが、とにかく、他のフルーツの入っているものに比べると、ふた周りくらい大きくて、白地にカラフルな印刷(おそらくオレンジと黄色でSunkistなんて書かれていたのだと思う。)が施された少し異色なダンボールに入って入荷するいい香りのグレープフルーツを、店で使っているなかではもっとも大きく平たいプラスチックの青いカゴに盛るのを手伝わされる時期には、ほとんど毎日食べていたように思う。手でむいて食べるのではない柑橘類は、なにかちょっとご馳走の雰囲気が漂っていると、いまだに思っている。小学生だった頃の私にとっても、包丁で半分にすぱっと切って、スプーンですくって食べるフルーツは、とても贅沢な感じがして嬉しかった。それに、フルーツにお砂糖や蜂蜜をかけて食べるというのも、初めての経験だった。そのワクワクするような嬉しい気持ちを、私はいまだに自分の脳内に引きずっていて、スーパーマーケットで、いかにも中身がぎゅっと詰まっていそうな、皮の薄そうな、ずっしりと重いグレープフルーツを見ると、ついつい5個も6個も買ってしまう。そしていつも、持って帰ってから、この大きなフルーツがキッチンでとても場所ふさぎな物であることに気付くのだ。そんなわけで、我が家の子供達も再々グレープフルーツを食べさせられているうちに、この甘酸っぱくていい香りのフルーツが大好きになった。でも、今は昔よりも輸入フルーツの種類も豊富になり、かの贅沢感たっぷりだったグレープフルーツもすっかり安くなり、「おなじみのくだものでございます」といわんばかりの庶民的な顔になってしまったそれで、少しでも私の味わった贅沢感を子供達にも感じさせてやりたくて、我が家ではグレープフルーツは、すっかり実と果汁を取り出して、器に入れて出すようにしている。こうして写真にしてみると、先日載せたトマトの蜂蜜に漬けたのと見た目がかぶる感がぬぐえないが、まあ、こういった感じで朝ごはんのサラダの代わりに出したりするのだ。これだけ見ると「まぁこんなに手間のかかることを良くやるわ!」と思われるかもしれないが、これを作る時に大活躍するのが、今日の主役「グレープフルーツナイフ」なのだ。もう15年は使っている大事な大事な道具で、どこで、いくらくらいで買ったものか、もう覚えていない。しかし、はじめてこれを見たときは感動した。これさえあれば、グレープフルーツの唯一の欠点である「実がとりにくい」こともすっかり解決するではないか。先に、二つに切った実の、中の袋ぎりぎりのところに包丁の刃先を入れておき、その後このグレープフルーツナイフで皮と実の間にざくざくと切り目を入れる。すると果肉は面白いようにコロリとはずれる。後に残った果肉と果汁もスプーンですくって器に入れる。最後は果汁を絞る。すると、一個のグレープフルーツから写真のように一人用のサラダボウルいっぱい分ほども取れるのだ。メロンを皮からはずす時も、このカーブがとてもうまくフィットするので、無駄が出ずに、なんどもスプーンで実をこそげたりしなくてもきれいに、しかもエレガントに(笑)食べられる。こんなに便利な道具を、いったい誰が考えたのだろう。ひょっとして、グレープフルーツ好きの多いアメリカでは当たり前の道具なのだろうか。日本では残念ながら、キッチンツールのお店でもあまり置いているところがないようだ。とくにこんな田舎では、出会うことはまずないだろう。一生使えるように、大事にしなくちゃと思っている道具の一つである。
2007年01月25日

昨日、今年はじめての英会話レッスンに行ってきた。私の英会話の先生は、毎年12月の後半から1月の前半までをホリデイとして、シドニーへ里帰りすることになっているので、昨日が今年の初レッスンだったのだ。それで、毎年なにかしらお土産を買って来てくださるのだが、いつも必ず買って来てくださるのがこのティムタムとベジマイトなのだ。ティムタムは、チョコを挟んだビスケットをくるりとチョココーティングした、オーストラリアのお菓子。実は日本にも売っているし、ネットでも買えるのだが、初めてシドニーで買って来てくださったとき、私と太郎があまりにも「おいしい、おいしい」と喜んだものだから、それ以来必ずお土産に入れてくださるのだ。私は大阪に帰ったとき、上本町の成城石井で買うことにしている。写真は「オリジナル」という一番プレーンなものだが、キャラメルヌガーの入ったものもあって、私はそれも大好きだ。先生はコーヒー党らしくて「コレを食べる時は必ずコーヒーと一緒に」とおっしゃるが、牛乳にも合うし、私は温かい中国茶と食べたり、甘くしない紅茶と食べたりしている。横に写っている黄色いラベルのビンは、知る人ぞ知るオージーの味!という感じのVEGEMITE。日本ではベジマイトと呼ばれるが、先生は「ベジマー」と呼ぶ。中身は黒いペースト状で、これをパンに塗って、野菜とチーズをはさんでサンドイッチにする。蓋を開けると、日本の食べ物では体験したことのないにおいがする。一瞬「のりの佃煮?」と思う香りが含まれているが、すぐに「いやいや、全然違う。」と思う。ビタミン臭いような、薬品っぽいようなにおい。ラベルの正面には「濃縮イースト」というようなことが書かれているのだが、原材料は?と見てみると、イースト菌抽出物・塩・ミネラル塩・麦芽抽出物・ナイアシン・チアミン・リボフラビンなど。要するに、健康増進ペースト…という感じかな?ベジタリアンに適する、とも書いてある。(なるほど、動物性のものは一切含んでいないようだ)以前、ある巨大掲示板の「世界最強最悪の食べ物」の板でも、ベジマイトは余裕でベスト10に入る勢いだったと記憶している。だが、実は私はこれがけっこう好きだ。確かに、そのまま匂うとかなりキョーレツな香りがするし、色も「なんだかなぁ…」という感じなのだが、チーズと一緒にサンドイッチにするとこれが独特の魅力を持っているのだ。我が家の冷蔵庫には一年中いつも入っている。しかし、我が家でもこれを「おいしい」と思っているのは私ひとり。(だから、年に一度買ってきてもらうと、一年間無くならないのだ。)ほんとにおいしいのになぁ…。ビタミン臭い食べ物が好きな人には超オススメのヘルシーなペーストである(笑)
2007年01月24日

ずっと作ってみたいと思っていた混ぜご飯に、ついに挑戦してみた。冷凍庫に入っていた、もらいものの生ひじきと、冷蔵庫に残っていた人参、こんにゃく、さつま揚げ、しいたけを刻んで甘辛く炒り煮にして炊きたてご飯に混ぜてみた。炒めて、煮て、炒りつけるのにかかった時間は20分くらい。ご飯は雑穀ご飯にした。ちょっと甘めの味付けが大成功で、子供達も喜んで食べた。簡単でおかずいらず。写真がヘタクソなので、ひょっとしたらビンボ臭いご飯に見えるかもしれないが、実際はわりと見栄え良くできたと思う(笑)忙しい日のご飯にオススメ。
2007年01月22日

最近の、我が家の子供達のお気に入り朝ごはんは、目玉焼きをのせたトーストとハニーレモントマト。身長がぐぐっと伸びた二人は、朝からばばーんと食べるようになった。作り方なんて、説明するほどでもないけどね。トーストにマヨネーズを塗って…ブラックペパーをたっぷりひいた、半熟の目玉焼きをどどんとのせるのだ。そして「我が家でトマトサラダと言えばコレ!」の、ハニーレモントマトを添える。汁ごと大きなスプーンですくって食べるので、蜂蜜の栄養もレモンのビタミンも摂れる。カロリー激高!だけど、朝ごはんだからいいのだ。これに子供達は牛乳か野菜ジュースとスープも飲む。頑張って早起きしても、朝ごはんに時間がかかって大慌てになる事もしばしばの太郎と花子。時間はギリギリになってもいいから、お腹はいっぱいにして行け!が、我が家のスローガンになりつつある。
2007年01月21日

先日テレビで、俳優の誰かが「大阪のおばちゃん達はいつも鞄に『あめちゃん』って言って、飴玉を入れている」という話をしていた。そういえば、子供の頃はよく、祖母や親戚や近所のおばちゃんたちに「あめちゃんやろか」といって何かしらちょっとしたおやつをもらった覚えがある。私の母は、キャンディ類があまり好きではなかったので、バッグにはいつもグリーンガムが入っていた。そしていつからか、私のバッグには必ずミント味のなにかが入っている。一番多いのは、フリスクのような小さな粒のミント・タブレットやホールズのようなメントールキャンディなのだが、季節によってははっか味ののど飴であったり、花粉症に効くキャンディであったり。大抵は続けて同じものを買うことはなくて、花子は「今日はなにが入ってるかな?」と私のバッグのミントを見るのを楽しみにしている。(ガムは、味がなくなるとすぐに出したくなってとても気持ち悪くなってしまうので、車を運転する時だけに決めている。車の運転席の小さなポケットにいつも入っていて、バッグに入れることは無い。)ところがここ数ヶ月、私のバッグにはずっと同じミントが入っている。無くなったらすぐにまた同じものを買ってきて入れているのだ。それがコレ。とにかくこのケースの美しさにはもう、心を鷲づかみにされるような魅力がある。模様はレリーフ調になっていて、蓋をスライドさせて開けるようになっている。1920年代のシガレットケースがモチーフになっているらしい。右の黒いほうは、フリスクくらいの小さな粒、左の大きいほうはワイシャツのボタンくらいの粒のミントタブレットがきれいに並んでいる。数種類の味があるのだが、私がはまっているのはチョコレートミント。大きい粒のほうが香りが良くておいしい。子供に持たせるのはもったいない!と思うほどの、大人のお菓子だと思っている。楽天で検索したら、あった!!【ヒントミント】ペパーミント・チョコレートミント・シナモン
2007年01月20日

なあ、ちょっと聞いてほしいねん。最近な、でぶちのヤツ、態度がでかくて腹立つねん。ボクがバッタ見つけて遊んでたら、すぐに取りに来るし…遊びに行って帰ってきたら、ボクの場所で先に寝てるし…お気に入りの薪の上も、無理矢理いっしょに乗ってくるし…ついに押し出されて、ボクが降りたら、嬉しそうにお昼寝したりするねん!そこはボクのお昼寝の場所やったのに!!なんかムカつくねん。あっち行けよって言うたったのに…この態度!
2007年01月15日

今夜の晩ご飯は、海老のトマトクリームパスタ。料理に生クリームを使うのはあまり得意ではないのだが、これだけは簡単なのでビビらずにできる。パスタはフェトチーネを使った。子供達にも大好評で、少し多めに作ったのにみんなぺろりと平らげた。<海老のトマトクリームパスタ(4人分)>・むきえび 好きなだけ・パスタ 何でも良いがフェトチーネなど平たいものがあうと思う・生クリーム 1カップ(こってりが苦手な場合は植物性のホイップクリームでも)・好みのトマトソース 2カップくらい(手作りでも、市販のものでも良い。)1.表示より1分程度短めにパスタをゆでる。 適当に時間を見計らってえびも加えて一緒に火を通す。2.パスタをゆでている間に大き目のフライパンにトマトソースと生クリームを入れて混ぜながら温める。3.茹で上がったパスタとえびをフライパンに加えて、ざっと炒めあわせて出来上がり。お湯さえ沸けば、あとは10分くらいでできるので、おなかをすかせた子供達を待たせずに食べさせられる。えびの大好きな太郎とトマトソースの大好きな花子の両方が満足できる便利なパスタ。二人とも「また作って!」と言ってくれた。
2007年01月12日
今年も3月の終わりごろに、子供達の習っているピアノ教室の発表会が開かれることが決まり、我が家の子供達も申し込んだ。この春から受験生になる太郎は来年の発表会は無理だし、高校生になってからも発表会に出るかどうかは分からないので、実質的にはこれが彼にとっては一区切りの発表会となる。花子は今まであまりピアノには真剣に取り組んでこなかったのだが、昨年あたりからちょっと面白くなってきたらしく、最近はよく弾いている。太郎と同じく、恐ろしく遅い進度で教則本をのろのろやっていることには変わりは無いが、楽しそうに弾くようになってきたように思える。花子もピアノを一生の趣味にできそうだ。さて、出ることが決まったら問題は選曲なのだが、花子には先生が「のだめカンタービレの世界」という曲集からモーツァルトの曲を優しくアレンジしたものを選んでくださった。他にも数曲の候補があったらしいのだが、数年前から「のだめ」ファン(残念ながらドラマはあまり見られなかったが)の花子は、喜んでその曲を選んだ。優しくアレンジしてある曲とはいえ、天下のモーツァルトを弾こうというのだから、「教本のろのろ」の花子にはこれから猛特訓が待っていることだろう。太郎は、年末にたくさん練習していた♪戦場のメリークリスマス か ♪Spring(進研ゼミCM曲)を弾きたかったようなのだが、私とピアノの先生との強い希望で、映画「千と千尋の神隠し」から ♪One Summer's Day という曲を弾くことになった。この曲はドラマティックな展開の曲で、あまり発表会で弾く子はいないかもしれないと思う。昨年太郎が弾いているのを聴いたとき、太郎のキャラにとても合っているなぁと思ったのだった。先生も同じように思ってくださっていたらしく、「戦メリでも良いけど、こっちの曲のほうがみんなが感動すると思うよ~!!」と強く押してくださったのだ。結局二人のおばさんパワーに押し切られた太郎だったが、もう一曲、他の楽器とのコラボの曲を弾かせてもらえるので、こちらは希望通りSpringを弾くことになった。昨年、このブログを始めた頃がちょうど発表会の前で、衣裳のことなどを書いた覚えがある。今年もそろそろ母は衣裳を考えなくてはいけない。太郎も花子も最近、着る物にうるさいやつらになってきたので、これからしばらく悩める日々となりそうな予感。
2007年01月11日
昨日は子供達の3学期の始業式だった。今日からやっと普段通りの生活になった。こんなに忙しく、また充実した年末年始は珍しい気がする。年末から実に十日あまり、パソコンをほとんど開ける暇も無く過ごしていた。実家でご馳走三昧・買い物三昧のお正月を過ごし、こちらに戻ってからは、読みたかった本を山のように積み上げて次々とやっつけ、たまっていた雑誌の記事を切り抜いてストックし、DVDでジャックの魅力(スパロウではなくバウワーのほう)にメロメロになり、庭の柚子の残りを剥いては冷凍し、まだ青々と茂っているミントを収穫して乾し、すっかり我が家のウッドデッキに住み着いてしまったクロちゃんにちょっと素敵なダンボールハウスを作ってやった。(クロちゃんのところへは、毎日のようにでぶちが遊びに来るようになった。)そして、ま新しい予定帳に向かって今年からの新しい生活スタイルの計画を練った。今年から来年の春にかけて、私は過去に例が無いほど忙しい日々を送ることになりそうなのだ。太郎が今月から塾に通い始めて、他の習い事も含めると私は週に5日、子供達の送迎運転手をすることになる。そしてそれは全て夕方に集中しており、今までどおりの7時ごろの晩ご飯ではどうにも都合がつかなくなってしまったため、今年から我が家の晩ご飯は5時半に繰り上げることになった。(殿の最近の帰宅は10時ごろなので、別に一人分だけ用意することになっている。)生活時間の一時間半の変更は、これはもう主婦にとっては大事業である。食べ始める時間から逆算して、全ての家事の時間帯を見直して修正しなければならない。生活の全てを一から練り直し、曜日によってバラバラの段取りを間違えないように予定帳に細かく書き込む。心のどこかで、ちょっと馬鹿馬鹿しい気もするが、新しい生活に慣れるまでは仕方が無い。今までのように目の前にあるものから順に片付けながら過ごしていたら、自分の時間はまったく取れなくなってしまうのだ。庭に出たり、文章を書いたり、本や新聞を読んで何かを考えたり、ちまちまと何かを作ってみたり、そしてジムで体調を保ったりすることだって、私にとってはとても大事なのだから。淡々と暮らせる人になりたいとずっと思っている。毎日、同じペースで、同じように、静かに平静を保って暮らすことにずっと憧れている。自分よりもゆったりとしたペースで生きていける人をとても羨ましく思う。だが実際には「淡々」とはほど遠くて、毎日毎日起こる「想定外の出来事」(これもなんだか古臭い言葉になったなぁ…)に翻弄され、バタバタ、あたふたしながらやっと生きている。なにしろ根がだらしなくてずぼらな『だら奥』なので、淡々と暮らすためにもっとも重要なはずの普段の生活基盤ともいえる家事の手順が、もう、恐ろしく行き当たりばったりなのだ。そしてそこに少しでも「普段と違う出来事」や「予定外の外出」などが入ると、一日がそこからすべてぐだぐだになってしまう。それはそれでとても楽しくて面白くて、そこから抜け出したくない魅力も実は充分にあるのだが、それはまた、もう少し歳をとってからのお楽しみとして封印し、私は今、涙を飲んで『だらしなくてずぼらな自分』とほんの少し距離を置く努力を始めている。いつまで続くのかは非常に不透明な決意だが。さて、年末にコメントを下さった方々にはお返事ができなくてごめんなさい。今更、なにか書くのもちょっと照れくさいので、お返事は次の機会に。今年も皆様にとって、楽しみや実りの多い一年でありますように。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2007年01月10日
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