はなうさぎ

はなうさぎ

2009.07.27
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カテゴリ: カテゴリ未分類
家族のこと
ちょっと感傷的に
長々と書いているので
とばしていただいて けっこうです。



わたしは 両親ともに働いていたので
たいへんに祖父母のお世話になりました。

父方のほうは
祖母は、わたしが生まれる前に亡くなっていたので
祖父だけと同居していました。


母方は
祖父母ともに、まだ元気です。
家から歩いて10分程度のところに住んでおり、
言葉にできないほどお世話になっています。

幼稚園のころは
朝、起きて、着替えなどの身支度を整えると
出勤する父の車に乗って 祖父母宅へ。
朝ごはんを食べさせてもらい、
幼稚園の制服に着替え、
祖母といっしょに幼稚園に行っていました。
毎朝、通園バスのバス停まで歌を歌いながら歩いたり、

幼稚園から帰ると、近所の子と遊び、
夕方になると、学校から帰った兄たちといっしょに遊び、
6時半ころ、父の迎えの車にのって家に帰っていました。

小学生になると、
祖母が家に来てくれました。

父方の祖父と、母方の祖母が出迎えてくれました。
(祖父は 畑や仕事場にいることの方が多かったですが)

小学2年生のときに骨折をしました。
1ヶ月以上、自宅療養をし、
ギプスがとれ、三角巾で腕を吊って通学していたときには
祖母は毎日自転車で迎えに来てくれました。

参観日も、懇談会も、小学6年生の最後の運動会も、卒業式も、
祖母が来てくれました。
母には仕事があったので、来てくれることのほうが珍しかったし、
期待してもいませんでした。


中学生、高校生のときは
試験で早く帰るときなどに、
わたしが祖母の家に行くようになりました。



父方の祖父が亡くなったとき
たくさんの後悔が残りました。
もっとやさしく声をかけていればよかった・・・
もっと話せばよかった・・・
もっと・・・
もっと・・・

祖父が亡くなったとき
声をあげて泣いた、母方の祖母。
「おまえのおじいさんは、立派な人だった」と、今でも言う祖父。

この祖父母に なにかあったら
わたしは 普通じゃいられなくなる自信があります。
いつまでも元気でいてほしいけれど、
そうではない。

今、顔を見せに行っておかないと
後悔するかもしれない・・・
そう思って、祖父母の家に行くことが多くなりました。




祖父母には、孫が5人います。
わたしたち兄弟3人と、
母の弟夫婦の子ども2人、つまりわたしのいとこです。
彼らは、遠くに住んでいます。
上の従兄は、7年ほど前に結婚していましたが、
ずっと子どもをつくりませんでした。
が、昨年10月、男の子が生まれました。
祖父母にとっては、曾孫です。
わたしの兄にも子どもがいるので、2人目の曾孫です。
その従兄が、赤ちゃんを連れて、来月帰ってきます。
祖父は、それはそれは喜んでいるそうです。
「○○家四代目の男の子が帰ってくる!」
と。
自分の米寿のときは、照れて照れて
みんなで集まってお祝いをする、なんて話をしただけでも
怒っていたのに、
自分からうちに電話をかけてきて、
「16人みんなで集まるから。」
と張り切っていたそうです。

祖父の心中を思うと、涙が出てきます。
40年近くも、離れて暮らしている息子。
めったに顔を見られない内孫。
待望の男の子の曾孫。

そのいとこが、こちらに帰ってきたのは、
結婚相手を連れてきた7年前が最後です。
もしかしたら、祖父が曾孫に会えるのは、
今回が最初で最後かもしれない・・・。

よくぞ帰ってきてくれる。
そう思いました。
(ま、いとこたちにしてみれば、
 「帰る」ではなく、「行く」なんですけれどね・・・)



ちょっと、やきもちの気持ちがないわけではありませんが
彼らと、わたしたちとは
まったく別物だと思っています。

近くに住んでいる孫として、
精一杯のことをしたい。
いくらしても、
きっと 後悔は残るだろうけれど・・・。






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Last updated  2009.07.27 20:49:00
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