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8月5日(金曜日)PM6:10 夫のレター昨日、一昨日と手術の傷跡に膿が持ったので2日間風呂を取りやめたので体重を測定しないまま休んだ、今朝は昨夜以来、便がたくさん出たので腸の痛みは少し楽だったが腰、背の痛みが強くて辛い一日であった。食欲もなく食べる元気が出ないのを心配してmawakoがいろいろ工夫してくれて有難い。お昼のちらし寿司、今日もとても美味しかった。その勢いでおかゆも完食できました。ありがとう。2回目のちらし寿司はほんの少し、おかゆがメインで寿司はおかず的に、ウナギを細かにして飯と混ぜ合わせ、錦糸卵、アスパラ、そぼろ、それにしょうがの色どり代わりにニンジンの細切りを皿に盛り付けました。午後3時訪問看護、費用がバカにならないのでホスピス外来の週はパスすることにしましょう。手術後の傷はあまり心配はないようだが油断は禁物、気を付けなければと思う。私の声を録音して遺す計画、まず「星の王子さま」の朗読をすることにしたが、その前に一読しておこうと取り組んだが中々読んでいても乗ってこないので困った。読んだ後にどんな感想になるやら私にもわからない、有名な名著として評価の高い本だからよく読めばその良さが理解できるでしょうが。 (中略)PM7:50 妻から夫へ3日ぶりにシャワーを使い、洗髪もできてよかったですね。少しでもすっきりすると気分はいいからね。45.6kgに体重が減ってしまったけれど、かなり体調が昨日、今日と辛そうだったのでもっと減っているかと思って居ましたが、45KG台をキープできたので良かった。便が出たので本当にほっとしました。そのせいか夜半も眠れない状態にならなくて私は安心して朝までよく眠れました。それにしても背中、腰が痛むのはとても辛そう、動くたびに心配しています。何とかならないかな~。訪問看護はやはり週一で来てもらいましょう。費用の問題ではなく休日の時の心配もあるし、そういう時には院長と直接連絡し指示をもらえるということでしたから。安心です。それにこれから冬になると運転も心配ですからね。「星の王子さま」無理言ってごめんなさい。考えたんだけれどその朗読はやめて「朝と夜の挨拶」だけでいいよ、あなたの声をちょっと聴くだけで我慢するから。そうしてください。我がまま言ってごめんなさい。あなたの体が一番大事、だから「星の王子さま」の録音は取り消します。今晩痛まないでゆっくり休めるといいですね。【中古】【古本】星の王子さま/サン=テグジュペリ/作 内藤濯/訳【児童 岩波書店】画像は2006年7~8月にマイガーデン「小さな花宇宙」彩った花たちです。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 5, 2017
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8月4日(木曜日)PM12:09 夫のレターパウチを交換するときに手術の傷跡が膿をもっているのをmawakoが気づいてくれて、そのため、昨夜は入浴を控えて塗り薬をつけて様子を見ることにした。10年ほど前,胃と腸が痛んでどちらかの癌を疑いながらうち過ごしてきたので去年もうまくいくと治るのではないかという期待もあってギリギリ腸閉塞になるまで診て貰うことをしなかった訳、そういう経過を思い起こすといろいろ考えることが多いけれども、今さら何を考えてもどうしようもありません。ただ、現実を肯定的に受け止める観点から言えばここまで病気を引きずってこれたことをよく頑張ったものだと評価したいと思うのです。別に皮肉で考えているのではなく、もし10年前60歳代で病院へ行ったらやはりドクターストップがかかり入院手術を繰り返し、今と同じような道を辿ったと思うのです。弟2人、ともに60才を目前にして癌で死していることを考えると私ももっと早く決定的なことになっていても不思議でないと思います。10年前に仕事を切り上げることを思うとそれはそれは大変だったろうと想像し、現在の幸せをかみしめています。へんかな~。PM7:45 妻から夫へ2階へ行ってみたら気が付かれないので眠っていたのでしょうね。今夜はとりあえず便が出たので一安心しました。今日は辛そうな表情でしたので悲しかったです。でも私まで辛そうにしているとあなたの「元気な素」の役割を務められないからね。「元気!元気!」と自分に言い聞かせ、励ましていました。これから今日のような日が多くなるかもしれないね。でも私は頑張るからね、大丈夫だよ。あなたが言われるようにこの年齢だったからよかったと思うことにします。それでもこれからゆっくりできると思っていたのに残念に思いますが、これからの日々をふたりで生ききりましょう。今日も一日お疲れさまでした。画像は2007年7~8月にマイガーデン「小さな花宇宙」彩った花たちです。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 4, 2017
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8月2日(火曜日)PM4:20 夫のレターホスピス外来を1週間を繰り上げて出かけ、腹や背中、特に背中側の腰の痛みが強い旨を話したがなかなか的を得たアドバイスをしてもらえず、適切な処置を受けられなかった。一方とりあえず薬を処方してもらってきたがどうなることか、何とか痛みがコントロール出来れば生活上の立ち居振る舞いが楽になるのだけれど。腰の痛みを何とかしてもらえるかと期待したが全くの期待外れでした。この痛みは今後治まってくれることはないのだなと覚悟することにしました。本当に辛い痛みなのですがこれに振り回されて私自身が翻弄されて神経をとがらせては生活が台無しになってしまいます。どうすれば痛いのか、どういう姿勢の時に辛いのかわかっているのですからその時だけ、顔をゆがめるだけにしておきましょう。今日はmawakoも疲れた様子だったね。病院への往復で疲れたね、いつもありがとう。8月3日(水曜日)PM2:40 夫のレター 薬の効果なのか、今日は少し楽に過ごせた感じです。腰裏の痛みが強くなったら腹の痛みが前ほど痛みを感じなくなりました。少し楽になったっような気がします。それだけでもどれほどありがたいことか、2,3日前から強くムカついていた胃の調子が今日はある程度すっきりして朝食を楽にできました。とりあえず何とか痛みが和らいだような気持ちがしています。昨日の病院への車中で食事がなかなか進まなくなったことが気がかりと話したけれど、薬の副作用なのか、もともと食べすぎだったのか、食欲を取り戻して体重も増えないと元気が出ませんからね。食事をとれなくなると体重がみるみる減少していくので不安になります。ただ46kg超えると食べ過ぎの感がありましたから45kgを維持出来るといいのではないかと思っています。食事の献立について気にしているようですが毎日、肉魚野菜とバランスのよ食事で私は満足しています。美味しいものばかり食べているのに、思うように食べられなくなったら虚しい事、食べる歓びに勝ることがないと言ってよいでしょう。どうぞ薬に慣れて食べる意欲がわいてくるようにと念じています。mawakoが作ってくれたお昼のちらし寿司とても美味しかった。食欲がないと言ったら工夫して大好きなちらし寿司を作ってくれて嬉しかった。ありがとう。(昨夜の体重45.7kg)夫はちらし寿司が大好きなので工夫してみました。健康な時のような食材は使えませんが見た感じがそれらしいちらしずしを作りました。干しシイタケは使えませんから牛肉を細かく砕いたものを薄味にして色だけシイタケ風、そぼろは紅鮭をボイルして骨を取り除いてお砂糖を少しだけ使って自家製そぼろ(我が家ではそぼろは出来合いを買わずにいつもこうして作るのですが、味付けをいつもより薄目にしました。)卵はヨーグルトを混ぜてふんわりさせ、でんぷんを少し加えて柔らかく焼いて錦糸卵風、紅しょうが、海苔は使えないので省略、ささぎとアスパラの柔らか部分を茹でて千切りにする。酢飯は柔らかにして湯吞み茶碗一杯程度にして具材を飾りました。これでも夫は美味しいと大喜びしてくれました。8月3日(水曜日)PM8:40 妻のレター 今日は少し楽だったようでほっとしました。とりあえず何とか痛みが和らいだようでよかったですね。チラシ寿司喜んでくれてありがとう。嬉しかった。今日は久しぶりにお昼寝も二人とも気持ちよく過ごせてよかったですね。昨夜「お休み」と言った時に、「今日は痛くて辛かったので尖がった言い方をしてごめんね」と言ったでしょう、辛い時には尖がった言い方してもいいよ、我慢しなくていいからね。私も辛い時にはあなたに当たってしまうから、そんなときはごめんなさい。いつも優しいmawakoでありたいと思っています。明日もいい日になりますように励ましあい、いたわりあって生きましょう。昨夜気持ちよさそうに寝ていましたよ、今夜もよく眠れるといいですね。画像は2008年7~8月にマイガーデン「小さな花宇宙」彩った花たちです。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 3, 2017
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8月1日(月曜日)PM2:32 夫のレター今日はパイロットシャツにネクタイを締めてみましたが、鏡に映る自分の姿は結構ジェントルで癌を病んでいるようには見えません。特にパイロットシャツは首回りが細くて、去年までは狭くて着ることができなかった代物なのに今は首回りもぴったしで痩せた首も目立ちません。もう捨てるだけと思っていたのにどこで役に立つかしれません。昨年はなかなか天候が安定せずに7月を過ごしていましたがようやく月末から気温が上がり夏らしい日差しが感じられるようになりました。夫は前夜のパジャマトラブルで落ち込んだ私を気遣い、自らを励まし、元気を出そうとしていました。パイロットシャツを着てお気に入りのネクタイを絞め、鏡にその姿を映し、「元気に見えるよね、ちっとも癌患者には見えない、うん、なかなかのジャントルマンだ」「mawakoもそう思うでしょう」とのぞき込む私に話しかけて上機嫌でした。「ネクタイして今日は暑くない? パイロットシャツはノーネクタイでもおしゃれよ」「いや、ネクタイ絞めているのが一番気持ちが落ちくから」「mawakoは知ってたかい、ブランドに詳しい女性ってネクタイの柄を見ただけで、古いか最新か出回った年代がわかるんだってね、この前読んだ小説に書いてた」「我が家はあまり気にしていないね、ブランド物は大抵頂き物だからね」その日彼が選んだネクタイはフェラガモのグリーン系にゴルフをしている小さな人の絵が染められたものでした。これも海外へいった友人からのお土産でした。柄が流行の年代を示すなどとわからなかった私たちは大事にしていたネクタイの1本でした。ブランド品は友人が海外に行った時のお土産、何かの記念の時のプレゼント、心遣いへの返礼品として頂くがほとんどでした。夫は絞めやすさが一番、そして色や柄、たいていは夫のネクタイを選ぶのは一緒に旅行した時でした。その朝、夫はとてもご機嫌でした。そして続けておしゃべり始めました。「それでね。その彼氏、捨てられるんだ」ぽかんとしている私に「小説の話だよ」「どうして捨てられたの?」「普段、カッコばかりつけて気取っているくせに、時代遅れのネクタイしていたからさ」「ブランド品は高いからね、そんなことで嫌うなんておかしいね」このような他愛のないおしゃべりをしました。なぜ、この日の会話が鮮明に思い出され、後の私のノートに残ったのかというと夫との楽しい会話記録がその後見当たらないのです。できるだけ記録を心がけていた私のメモに何もないのは屹度この日が楽しい最後の会話記録だったのかもしれません。私のカシミヤコートのリフォームが出来上がってよかったね。色が茶色なので少し地味かな(年齢なのに?)思っていましたが実際身に着けてみたら似合ってよかった。毛のマフラーをつけたら素敵になってこれなら冬でもおしゃれを楽しむことができそう、私の思い出とおしゃれを二重にまとうことができるからmawakoも私も幸せになれます。色違い大きさ違いのミンクのマフラーを持っていました。それを首に巻くだけでとても暖かで冬の厳しさには嬉しいアイテムです。夫のリフォームしたキャメルのコートに合うファーがちょうどありました。それを首に巻いたら婦人用コートの雰囲気いっぱいでした。今朝の新聞で元横綱、千代の富士がすい臓がんで亡くなりました。先日、北の湖が大腸がんで亡くなりました。どちらもまだ若い死でしたね。このところ永六輔、大橋巨泉、中村紘子が亡くなり、相次ぎ訃報が伝えられました。且つてなら他人事として接していた訃報が今や身につまされる思いで読み取るようになりました。きっとmawakoも同じ想いだと思う。明日は1週間繰り上げてホスピス外来へ行き、鎮痛剤の事を相談してこようと思っています。痛みさえなくなれば元気に過ごすことができるんだから。mawakoから夫へカシミヤのコートが私にぴったりで本当にうれしい、涙のタネになるけれどこれを着て老後を過ごします。昨夜はまたすっかり落ち込んでしまいます。病状が進んでいるとあなたはおっしゃる、その原因は私にありますね。私が心配ばかり掛けるのであなたを苦しめることになり申し訳ない気持ちでいっぱいです。今日はできるだけ笑顔をと思っていましたが~どうだったでしょうか?mawakoの笑顔に支えられていると言われるようになりたい。きっとそうなりますから。とびっきりの笑顔でありたいと本当にそう思います。パイロットシャツが素敵、若い頃からパイロットシャツを着るあなたが好きでした。何着かあるのですからいつでもこの夏はパイロットシャツで過ごしてください。画像は2009年7~8月にマイガーデン「小さな花宇宙」彩ったサフィニアたちです。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 2, 2017
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7月31日日曜日(PM12:5) 夫のレター朝から腹、背の痛みが強くて辛い、私が辛いとmawakoも同調してすぐ元気を失うのであまり苦しい様子を見せないように心がけているのだけれどやはりすぐ伝わってしまうね。昨日、ホスピス処方のトラマールという鎮痛剤を使ってみてある程度有効だと思います。今日はS病院処方の「アセトアミノフェン」という痛み止めを試してみようと思っています。こういう時にはmawakoがいうように2階で臥しているのがいいのでしょうが、それだとあまりに情けない感じがしてね、それこそ病気に負けてしまうような気がするわけです。これからは痛みもこの程度では済まなくなるでしょうが、ホスピスの処方で何とか痛みをコントロールして欲しいと思っています。さて、雨ばかりで蒸し暑い日が続いたのでヘブンリーブルーも伸びたね。今朝見て頼もしく思いました。蔓がたくさん伸びて、これなら少々の雨風に耐えられる様子、此処まで来るとちょっと安心でしょうが、裏庭の方がもう一つ心配ですね。虫と肥料の問題らしいがmawakoがお世話しているのだから大丈夫、この先きっと大丈夫でしょう。楽しみです。私に対する心配がmawako自身の健康を損なっているようですね。私のことを心配してくれるのは有難いけれど其れであればmawako自身の健康を第一に考えて食べて、よく眠ることをしっかり心がけてください。妻から夫へ(PM7:50)「今日は最良の日。これからますます痛みが辛くなる」あなたとそんな会話をしながら、どうしようもない暗闇に落ち込んでしまいます。毎日毎日の幸せを積み重ねて生きようと話し合ったのに、私の毎日は来る日も来る日も低気圧状態・・ここでペンが止まっています。新しいパジャマのことで言い合いになりました。ホスピスに行くようになったら自分でパジャマを用意しなければならないので「入院用として準備していたパジャマを使いましょう」と私が言うと猛烈に反対したのです。「新しいのは手つかずに誰かに差し上げればいい」頑として反対、「せめて新しいのを着て過ごしてほしい」「今使っているので十分だと」繰り返して言いました。「新しいパジャマは、もう、来年はあなたは着ることができないのだから」「それであればなおのこと、新しいままで誰かに譲ればいい」のだと。激しい言い合いになり、私はいたたまれず2階へ駆けあがりました。2階で泣き崩れる私のもとに来てその狂った様子に「mawakoを一人にしておけない、一緒に下がろう」と声をかけてくれました。そんなやり取りがあってこの日のレターは中途半端なのです。老いてからはいつ病気に見舞われることになるかもしれません。入院の際に困らないように、二人分の入院用衣類と書いたプラスチックの衣装箱を押し入れに置き、いつでもわかるようにしていました。夫、妻の寝巻、下着類、様々な身の回り品などを入れてありました。バスタオルやフェイスタオル、その他諸々、入院時に必要とおもわれる物の一覧表も一緒に。特に私が入院した時に夫がこまらないようにしておりました。そして「私が入院した時にはここに全部入っていますから」と話しておりました。夫の度重なる入院で夫用の「入院用引き出し」は整理が行き届かずそのままになり、つい2,3日前、それらを点検しました。ホスピスへ行くようになる季節を想定し、パジャマを確かめたりしていたのです。そして「夫がこのパジャマを着るも最後だ」と思い、胸ふさがる想いで既に私の目頭はウルウルと始まっていました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 1, 2017
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平成28年7月30日土曜日のおやつの事を書きます。自宅療養の日々の、我が家の食事時間はAM9時 PM2時 PM7時でした。そのほかにAM11時過ぎ、PM4時過ぎがお茶の時間です。お茶の時間は軽いおやつを頂きます。このパターンは健康な時から続いていました。早朝のガーデニング、夕方遅くまでのガーデニング作業にとってこの時間帯の食事とティータイムが好都合でした。病気になってからも、長い期間続けたこの習慣を変えないのがかえって体への負担が少ないのではないかと話し合ったのです。更に病気になってからの食事量は極端に少なくなっていましたから、おやつも体調に合わせながら栄養価や分量などの面からも考えなければならいことになりました。この画像は珍しく夫が用意してくれた妻のおやつです。一昨日、ストーマ外来に行ったときに「煎茶を飲みたい、大丈夫だろうか」と話したら「大丈夫よ、今まで我慢していたの?」ってH看護師長さんが答えてくれたのを大喜びして、今日は朝から「昼前のお茶には煎茶を飲んで羊羹を食べよう」と張り切っていたのです。夫のおやつは以前からおいしい煎茶に羊羹を食べるのが定番でした。本当は餡ものが好きな夫は「きんつば」や「どらやき」が大好物でしたが、なぜか頂き物の羊羹がいつも我が家にはありましたのでそれを頂くことが多かったのです。そのようなこともあって午前のお茶タイムの準備は夫がしてくれました。私のおやつも張り切って画像のように盛り沢山でした。メロンにバナナ、ケーキ、クッキーそれにチーズ、それを少量とは言え、かなりのボリュームでした。バナナは貴重な食べ物で運動会や遠足の時でなければ食べられなかった時代に育ちました。そのせいもあってバナナは憧れの食べ物であり、バナナが毎日あることがとても豊かな気分になりました。それともうひとつ、私にとってのあこがれの果物、それはメロンでした。貧乏な田舎育ち、メロンなど食べたことがありませんでした。せいぜい食べて美味しさを味わったのは「あじうり」、高価なメロンは食べることはできませんでした。メロンという美味しい果物を最初に食べたのがいつか、どの場面であったかすっかり忘れてしまいましたがメロンにつながる夫の思い出があります。たぶん結婚2年目頃、公営住宅に引っ越したばかりの冬のことでした。高熱を出してしまいました。食欲もなくなり起き上がることもできず一人伏せていました。「メロンは倖せの味がするってmawakoが言ったからね。あちこち探してようやく見つけた」と言って夫がメロンを持って立ち寄ってくれました。だからたぶん、若い頃、彼と一緒にメロンというものを始めて食した時、「幸せの味」と言ったのでしょう。メロンの美味しさを幸せと言ったのか、彼と共に在ることを幸せと言ったのかわかりませんが「メロンは幸せの味」と記憶に残ったというのです。夫は冬のさなか、幸せの味を求めてあちこちの果物店、デパ地下売り場を探してくれたのでした。我が家ではメロンは幸せの果物となりましたが、ほとんど口にすることなどできない高価な果物でしたが、若い頃の暖かな思い出を作ってくれた「メロンは幸せの味」なのです。今ではメロンは早くから店頭に並び、スーパーなどでも6月に入ると安く購入できるようになりました。一個の値段もとても安くなり、購入することになんのためらいもなく手に入れることができます。夫は、かなり硬め、少し硬め、ほんの少し硬め、すぐ食べられる硬さを選び、日当たりや室温を考えながらいつも美味しいメロンを調整してくれました。メロンの時期になると我が家の冷蔵庫は「幸せのメロン」でいっぱいでした。夫は決してきらいではないのに、メロンはmawakoが思い切り食べればいいといい、どこかに出かけてメロンが出るといつも私に譲ってくれるほどでした。昨日もスーパーに行きましたらメロンが並んでおりました。最近は生産調整がなされ価格安定を図られられ、一時のように安売りは影を潜めましたが、それでもこれからの時期は安くなります。昨日はメロンを見ながら、私は買う気持ちにはなりませんでした。これからも自分で購入して食べるという気持ちにはならないのではないかと思います。夫との思い出につながる様々なものを、今の生活に取り入れるにはまだ少し時間がかかりそうです。 日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 30, 2017
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平成28年7月28日(木曜日)PM3:19 夫のレター今日も一日雨、家の中が暗いし、洗濯物も乾かないので困りものです。明日も明後日も雨の予報、7月は本当に日照不足で低温続きでした。午後、ストマー外来でS病院へ、H師長さんといろいろ話ができてとても落ち着くことができたね。ストーマ交換に当たってとてもきれいと言われましたが、これはmawakoのお世話が行き届いたものであることを認められわけです。私の場合に特に皮膚が弱いため、パウチ装着を非常に危ぶんでいたのですが、mawakoのお陰でかぶれたり傷になったりすることなくスムーズに処置してもらって大変ありがたく思っています。H師長さんと話をしているとどういうわけか心を開いてありのままの想いを聞いてもらえそうに思ってつい甘えてしまい、笑われたり励まされたりするたび、涙ぐんでしまいます。やはり、真剣に私のことを案じてくれ、mawakoのことも応援してくれているのが伝わってきます。たび重なる入院に際してもH師長さんとW師長さんには精神的にずいぶん救われた気がします。特にH師長さんは信頼し、相談の結果、親身になってホスピスを紹介してくれました。あの時にmawakoも賛成してくれてH師長さんに相談してほんとによかったと思っています。そうでなければ私もまた、癌漂流民のひとりになって、あちこちの病院をたらい回しになっていたかもしれません。幸い辛い病気の中でもそれなりに良き人との出会いに大いに感謝したいと思います。久しぶりにストーマ外来に出かけました。夫がH師長さんと話しているのを傍らで眺めながら穏やかな表情である夫を見て私はほっとしました。同時に在宅医療においてどんなに不安な気持ちで過ごしているのかを思いました。「死に向かって一歩一歩、歩いている」、また「自己の目前に死が迫ってくる」と私に話すことがありました。夫は死と向かいあい、隣り合わせの状態で生き、時には死に追われる脅迫感に苦しみどんなに不安で怖いことことだろう。死に向かう自己、迫りくる死に立ち向かう自己、夫の気持ちはこの二つに翻弄されて苦しんでいるのであろう。そしていつの日か、死の闇に夫は連れ去られる時が訪れる。癌に侵され死が目前に迫っている状況を生きている夫は病気そのものの不安は何も語りませんが、それゆえにH師長さんと話している時のなんとも穏やか表情、静かな物言いのなかに彼の胸底にある不安を読み取り、その表情を哀しく見つめていました。医療者への信頼こそが患者にとってどんなに生きる力、病への向合い方に力を与えられるかわかりません。そういう意味ではストーマーの専門看護師のH師長、外科病棟のW師長に恵まれたことは本当に幸いなことだったとその有難さを帰宅後話し合ったのでした。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 29, 2017
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平成28年7月27日(水曜日)AM8:18 夫のレター4~5日前から腹背の痛みが強くなってなかなか笑顔が戻らなくなりました。mawakoが気を使って明るく振舞ってくれるのを有難く見つめています。ありがとう。痛みが強くなるとどうしても思いも沈んで死を想い、死後を考えてしまいます。でもだからと言って、必ずしも悲観的になっているわけではありません。私の病気の進行は止めることはできないし、やがて訪れるXデーを拒否することもできません。したがってそれらをあるがままに受容していこうと思い定めているので大きな心の動揺はありません。5月連休中には裏庭に野菜コーナーを作り、苗を購入し、夫が張り切って準備しました。ただ痛みをコントロールしてもらわないと心身共に力を失ってしまうのでこれだけは医者に助けてもらわねばなりません。私が先を思って悩み沈んでしまうのは、私自身の事よりもmawakoのことを思い悩むからです。毎日毎日mawakoが涙をこらえるように、私もまた、mawakoの行く末を身を切られような想いで案じています。 でもmawako‼ 独り残される世界はまさしく厳しい冬の世界であり、深い深い夜の闇に例えられるでしょう。冬の世界で身を切リ裂かれ、夜の闇の奥深くに閉じ込められるような生を生き抜かねばならないでしょう。寂しく辛くて苦しい毎日でしょうね。でも mawako‼ 冬は必ず春を呼び、夜は必ず朝を迎えます。これはまさしく天地の理です。mawako‼ 耐えてくださいね。必ず春が廻り来て、朝が訪れmawakoにも微笑みが戻ってくる日が必ず来ると信じています。私を胸に抱きながら微笑みの絶えない生活を取り戻してください。私もきっとmawakoの胸に抱かれて幸せに眠り、mawakoを待つことができるでしょう。7月26日の体重46.6kgこの日の夫のレターは辛いものでした。夫の方がず~っと自分の死後に妻がどれほどの辛い日々を過ごすことになるのか、妻自身よりも的確に予想していたように思います。なぜなら、妻の私自身が死後にこれほどの苦しさに襲われると予想できませんでしたから。涙を流し、時には狂ったように泣け叫ぶ私に「僕がmawakoの立場だったら、もっと以前に狂っていたと思う。だからmawakoの気持ちがわかるよ。」と優しくなだめてくれた夫でした。こうした夫の心情を想い、これほどまでに大切にされていた幸せを嬉しく思います。 私はミニトマトに挑戦、これが難しくなくて毎年、十分育てるのも食べるのも大満足でした。しかし反面、私は深い深い後悔の念も湧き来るのを禁じ得ません。迫りくる死と向き合いながら頼りない意気地なしの妻のことを案じなければならなかった夫の苦しみを思うからです。意気地なしであった妻の度量の狭さを悔いてしまうのです。入院当初のようにもっと気丈に「私のことは何も心配せずに安心して欲しい、しっかり生きていくから」と安心を与え、「あなたはまだまだ長生きできる。あなたが逝くなんて信じていません、あなたの生命力を信じています。」と言い、泰然とお世話できなかったのだろうか。そうではなく、次第に私の言葉は残酷の度を増し、夫を苦しめてしまいました。「だんだんあなたとの時間が残り少なくなっていく、・・・」「独りでは生きてゆけない、彼岸で待っていてくれなくていい、一緒に連れて行って・・・」と夫を困らせた。夫がこだわり栽培・収穫に取り組んだ「ももたろう」、大きくなり満足しました。夫の深い私への想いと、夫への私の深い後悔の念を抱きながら、「冬は必ず春を呼び、夜は必ず朝を迎える。これはまさしく天地の理」と綴ってくれた夫の言葉を支えにして今を生きています。画像は元気なころは裏庭の野菜コーナーでトマト、キュウリ栽培を楽しみました。2013年7月日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 27, 2017
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平成28年7月26日(火曜日)AM9時50分 妻から夫へのレター朝食の片づけが終わり、あなたの枕辺に立つとよく眠っていたので私は横たえるのをやめて階下に戻りました。いつも深夜3時以降眠れない時間を過ごします。昨夜もそうでした。眠れないまま、最近の私の様子を思いました。最近の私、全く乱れています。これでは戦友としての資格ゼロですね。いろいろ想う中でフッとマラソン体験の事を思い出しました。高校時代の全校マラソン大会、2,3年生の時に優勝したこと。電信柱1本の区間なら頑張れる、あと一本、あと一本と走り通したあの体験に後年私は支えられました。もう一つ私を支えてくれたのは、戦後、入植し、あの厳しい開拓に生きた祖父母の姿と切り倒された木々の枝を小さな体で引きずり手伝う私の幼い姿、季節が巡るごとに広がっていく畑や牧草地の景色。それらを重ねながらいつしか「粒粒辛苦」を座右の銘として生きてきました。貧乏だった学生時代も社会人になってからの厳しい仕事や人間関係の悩みも、どんな辛いことがあっても「今日一日なら頑張れる」と、コツコツと成すことを自分に言い聞かせながら生きてきました。それができたのは二人の生活が確かなものだったからにほかなりません。それが退職以来の幸せボケですっかり忘れていました。あなたが病気になって以来ただただオロオロと過ごすばかりでした。どんなに辛くとも「今日一日を笑顔で過ごす」その努力をおろそかにしていました。そして大きな間違いにも気づかされました。宣告受けて以来、二人の時間が失われる悲しさと寂しさばかりを思い、一日が過ぎれば24時間が消えていく、そのことに捉われ毎日身を削られる思いで生きていました。あなたとの歴史はまだまだ終わっていないのだから生きることは幸せな時間を積み重ねることになるのだと発想の展開を気づかされました。いつもいつも泣いていた姿を思い浮かべることがないように、いつも明るくふたりで生きる幸せの時間を積み重ねて生きようと決心しました。最後の最後までふたりで生きた幸せを共に分かち合わなければ50年余りを生きてきた意味もありませんからね。毎日の倖せはたくさんあります。朝おはようを言えたことだって素敵なこと、一緒に洗濯物を干すことだって幸せなこと、一緒にごはんを食べてヘブンリーブルーの成長を確かめる、お直し屋さんへ行って仮縫いを確かめること、そのような生活の一コマ一コマが今の私たちにとってかけがえのない幸せです。「今日一日、素敵な一日にしよう。」「たくさんの倖せを積み重ねていこう。」そして私は「これでいいのだ、良かったのだと」納得できるのだと思います。私は、漫画バカボンのお父さんが言う「これでいいのだ」という言葉を発せられるように生きていきたいと常々思っていました。だからこれからも毎日「これでいいのだ、これで良かったのだ」と納得できるような生き方を心がけ、あなたに安心してもられるような毎日にしようと思いました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 26, 2017
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平成28年7月25日(月曜日)PM8時18分 夫のレター天気が悪いとmawakoも元気が出ない由、今月いっぱい日差しは望めず、曇りと雨続きの毎日のようです。昨日はやはりmawakoの心が不調だったのですね。買い物から帰える車中からどうも少し様子がおかしいと思っていました。歯磨きを3本しか購入しなかったのがmawakoに現実の厳しさを思い起こさせてしまったのですね。 mawakoが言うとおり、感情が激しく動揺するのは当然の事だと思う。ありのままでいい、泣きたい時には思い切り声を上げて涙を流すのが良いと思います。苦しい時、悲しい時、寂しい時、そんな時に無理に笑顔を作らなくていい、ただ泣きながら泣くたびに強くなって欲しいと願っています。我が家は消耗品などは大抵10個単位で購入しておりました。昨日も残り少なくなってきた歯磨きと浴用石鹸などを購入しようとドラッグストアに立ち寄りました。私はいつものように歯磨き10本、石鹸4パック、そのほかに入れ歯洗浄剤、トイレ消臭剤等をまとめて籠の中に入れておりました。夫はそれを見て「そんなに買わなくてもいい」と言い出したのです。そして籠の中に僅か歯磨き3本、石鹸ひとパック(ひとパックは3個入り)を残して商品棚に戻してきたのです。私は夫を責めたい気持ちになりましたが黙ってしまいました。「独りになっても私が使えるものなのだから・・・」あまりにも悲しいこの言葉をぐっと飲み込みました。夫と違う妻専用の物はほとんどありません。化粧石鹸と化粧品だけです。だからほとんどの物は残っても無駄にならなかったのですが夫は多くを購入しようとしませんでした。買い物から帰宅し、納戸の棚に購入してきた商品を片付けました。いつもはたくさん購入するので重たい袋を運ぶのが大変と夫が2階に運び納戸に片づけてくれていました。いつしかそれらの在庫管理は夫の役割になっていました。夫は水回りのパイプの洗浄を始めたので、私が荷物をもって納戸に収め整理しました。一人分だけ準備しておけばいいと思ったのでしょうか、だから今、購入しなくとも十分だと思ったのでしょうか。夫の気持ちをあれこれ思うとやりきれなくてまた涙が溢れました。涙を流しながら棚を片付けていると入り口に夫が立っていました。私は思わず言ってしまいました。「一人で逝かないで、私も一緒に連れて行って・・・」その後、何か言ったようですが、私は大泣きしてしまったのです。そのようなことがあって、夫は次のように綴っています。mawakoが泣きだすと私も我を忘れて「泣かないで、僕はどうしようもなくなる、泣かれるとそれだけ僕の寿命が短くなる」とまで口走ってしまいました。それでいながら「泣いてもいいよ、泣きたい時は泣いた方がいいよ」などとつじつまの合わないことを言っています。こんなにめちゃめちゃに自分を失うほど取り乱してしまう意気地ない自分を思いながらどうしようもなくコントロールできず辛いことでした。齢だから耐性が無くなっているのだろうか、肉体の疲労が心まで疲れさせてしまっているのだろうか。何とか立ち直らなければこのままでは夫を苦しめてしまうと自分に言い聞かせました。老々介護は心身共に辛いですが、特に余命告知を受けて癌と共に生きるのは老いの二人には一層辛いものでした。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 25, 2017
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平成28年7月24日(日曜日)PM 4:26 夫のレター今日もまた夏とは思えぬ曇空、6月から7月、天候不順が続いています。mawakoが言うように晴れると気分も爽快になるけれど毎日、肌寒い日が続くと気持ちが落ち込んでしまいます。昼の買い物,疲れましたか。菓子店、魚スーパー、ドラッグストアへまわって私は疲れました。それでも帰宅後は購入してきた排水管用パイプクリーナーを用いて浴槽、洗い場、洗面台、そして台所の流しをクリーニングしました。結果のほどはどうでしょう。ふたりで住んでいた時に街路樹マスが犬のトイレになるので花を植えました。鎮痛剤を飲むようになったらガスや便が出にくくなったように思う。ガスや便が腸内にたまってかえって腹痛のもとになっているのではないかな~、薬との付き合いは難しいものだね。腹痛や腰痛が治まらないとついついと厳しい顔付きになってしまい、mawakoを不安にさせてしまうね。mawakoまで疲れた表情になって口数も笑顔も少なくなってしまう。朝は元気に笑顔を作ってくれるのに、日中暗い気持ちにさせてしまって申し訳なく残念に思います。でもあまり心配しないでください。腸閉塞の痛みとは違い深刻になっているわけではありませんから。「小さな花宇宙ブログ」毎日のようにランキングが上昇して嬉しいですね。ヘブンリーブルーがが満開になって壁を飾ってくれる日が楽しみです。July 14, 2016に期間限定のブログを再開しましたら思いがけず、毎日ご訪問くださる方があって、そのためにランキングがアップしました。そのことを夫が喜んでくれたのです。しかし、その更新は7月29日を最後に4回で止まってしまいました。直径が10㎝にもなる大きなぼんぼりのマリーゴールドのお花を植えました。夜7時46分 妻から夫へ今日は不調、お天気がパッとしないと元気も出ません。どうしようもなく涙が出てしまいます。明日、あなたがいなくなるわけじゃない、1カ月後にいなくなるわけじゃない、今年中にいなくなるわけじゃない、それなのに、歯磨きだって石鹸だって少しだけ少しだけとあなたは言う。アフリカンマリーゴールド タイザン 採種ができないのがちょっと残念。あなたはいつもいつも肚を括れと言う、肚を括ろうと括るまいといずれにして現実は変えることはできないのです。今、私にできること、なるがままに生きるこそしかできません。泣きたいときに泣き、悲しい時には悲しむ、それを無理にこらえると狂ってしまいそう。だからもう少しあるがままの気持ちで過ごさせてください。毎日揺れ動く感情の波が静まるまで待ってください。きっと元気になりますから。何もできませんが食事の用意だけは真心こめて作りますから。あなたの表情も午前中は辛そうでしたが夕方の方が元気そうでした。苦痛薬の私の笑顔も役に立つほどの笑顔じゃなくてごめんなさい。今夜の体重 46.4kgまたまた、この頃、妻は悲しみの淵をウロウロし始めました。夫の痛みがだんだんひどくなってきて不安が限りなく広がってコントロールできない心を抱えていました。 日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 24, 2017
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平成28年7月23日(土曜日)PM 4:18 夫のレター今日も朝から腹や腰が痛んで不調です。しかし、mawakoが知恵を絞って私のズボンの胴回りを工夫してサスペンダーなしで身に着けられるようしてくれて大助かりです。サスペンダーの金具が大したことではないと思っていたのに、背中に強く食い込むのです。この苦痛から逃れられないと思って悲観していましたが、助けられました。本当にありがとう、最愛の敬礼を送ります。サンキュウ! 図書館へ行くといつも散歩する公園のお濠端を巡るウォーキングロード昨日の体重45.5kg少し増えましたね。そうだよね、毎日、さしみ、ウナギ、いくら、牛肉を食べているのだから体重が増えても不思議はないよね、こんな贅沢な食事をさせてもらって、分不相応なようなもったいない感じがします。しかも私が飲み込む力が弱いと言ったことから野菜でも肉でも飲み込みやすく調理してくれてほんとに手間をかけてくれありがとう。私が病気になって以来、mawakoが私と一緒になって病気と向き合ってくれていつも私に目を配り手をかけてくれてことを心底嬉しく心強く思っています。これから私の病気がますます重くなるにつれ心身共に乱れ苦しむことが多くなるでしょうが一緒に耐え見守ってね。ただ、mawakoが無理をして体を壊すことを一番恐れています。1回目の退院時に食事指導を受けました。その時にはかなり厳しく腸への負担にならないような食材選びと調理方法について指導を受けました。しかし、2度目の入院、術後の食事はすっかり変わっていました。かなりの固形物、食材も豊富となり、このようなものを食べていいのかと思うほどでした。さらに3度目の退院時には何を食べてもよい、好きなものをどんどん食べなさいと言われるほどでした。お濠の水面に咲きだしたハスの花それでも私は不安であり、退院後の外来診療においては食事についてアドバイスを求めました。「食べ過ぎなければ何を食べてもよい」と言うことでした。私なそのように言われると逆に「先がないのだから好きなものを今のうちになんでも食べた方がいいですよ」と言われているような気がして決して喜べない気持ちでした。できるだけ食材を豊富に2個の圧力なべで野菜も肉も魚も軟らかくし、次第にペースト状にするなどの調理も増えてきました。ほんの少しずつ盛り付け小さなお皿がテーブルに並びました。お濠の水面に咲きだしたハスの花今日のmawakoのブラウス綺麗だね。ピンクがよく似合っているよ。明るい色の洋服は気分も明るくなって私も元気が出ます。いつもきちんと身なりを整えてくれるので嬉しいです。ひところはTPOがうるさく言われた時代もありましたが最近は老若男女共に全くだらしなくなってしまったように思います。身なりを整えると適度な緊張感もあって気分もシャンとし、若返ると思うよ。一人になってもいつもおしゃれして元気に過ごしてください。齢とったらますます爽やかな明るいきれいな色の洋服を着た方がいいと思います。私はできるだけきれいな色の洋服を着て気分を明るく引き立てようとしていました。夫はいつもきちんと身なりを整えている人でしたから、私はだらしない恰好にならないように心がけ、少しでも見た目が元気であるように夫に心配かけないようにと気を付けてました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 23, 2017
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平成28年7月22日(金曜日)PM 4:18 夫のレターこのレター綴りの最後のページを書くことにしました。6月13日、3回目の手術日、mawakoの記録から始まっていますから1カ月余りでノートを使い切ることになります。しかもこのノートは2冊分を閉じていますからレターの分量には驚かされますね。mawakoのレターが毎日心打つ魂の表白であるのに対し、私のそれは小学生の日記のように日々の天気や出来事など味気ないものばかりで、我ながら自分の感動を伴わないレターに嫌気を感じてしまいます。見事に咲いています。レンガ鉢いっぱいに広がりました。しかし、難聴が進み、聞き取れぬことにイライラする会話よりもこうしたレターは有難いと思っています。直接話し合えば時には感情に流され、相手の真意をきちんと受け止めることができないことも在りますが、こうしてレターの文字を追いながら深く相手の心理を読み取ることができるような気がします。そうしたこともできなくなる日も間もなく訪れるだろうけれど、互いに心を開いてありのままに気持ちを伝え合っていきたい。レッドのサフィニアもよく咲き進んでいます、苗の張りがイマイチです。互いに忙しくゆっくりデートする時間もなく過ごした大学時代も良くレター書いたね。卒業後は離れて暮らした長い長い別離の年月、会える日をひたすら待ち望んでレターを交わした頃が懐かしいですね。それが残念なことに、今は別れなければならない現実を前にレターを書いています。レターは嬉しくもあり、哀しくもあり。二人にとっては掛け替えのない大切なものでしたね。レターによって強い絆を育ててきた私たちでしたが、二人の最終ステージもまたこうしてレターによって二人の絆を確かめながら生きていけることに感謝しましょう。コクヨの便せんなら6枚までなら10円切手で大丈夫の時代でした。封筒は茶封筒を使って重さを軽くしました。さらに小さな文字を書いて便箋と切手代を節約し、1週間に1回レターは互いのもとへと届けられました。サルビアネモローサ ブルーヒル(春先に苗を購入、ようやく咲きだしました)画像はマイガーデンの昨日のサフィニアなどです。昨夜はかなり激しい風雨でした。今日はかなり傷んでおりました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 22, 2017
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平成28年7月21日(木曜日)PM 1:08 夫のレター昨夜はショックでした。mawakoが過呼吸に陥って苦しんでいるのを見てパニック状態になり、オロオロしてしまいました。幸い11時前には寝入ったので安堵の胸をなでおろすことができました。毎日毎日がmawakoの心身にどれほど過酷なストレスがもたらしているかをあらためて思い知らさせたました。消耗しきった体を傾けて私のお世話をしてくれていること、なんといっていいか言葉を失います。今のmawakoにはなんの言葉も励ましの言葉も無力です。ただただ私としては「mawako!ありがとう」と頭を下げるばかりです。いつも行く図書館正面入り口にあるホワイトの「花みずき」昨日のレター、思い出にすがって自らを解放しているというmawakoの想い、よくわかります。辛い時も苦しい時もあったけれど思い出を辿っていくと私には楽しかったことだけが次々に浮かんできます。mawakoと二人であることが私の生き甲斐でありました。あれこれを思い浮かべては懐かしい思いで胸をいっぱいにしてます。とにかくいつもいつも二人一緒だったね。楽しかったね。たくさんの嬉しかったこと、楽しかったことを思い出して元気を出しましょう。ホワイトの「花みずき」に初めて気が付きました。その夜、夫は私の思いを受け止めてくれました。枕を引き寄せて12時近くまでおしゃべりしました。わざわざ起き上がって若い頃のレターを持ち込んで読む私に「ほんとにそんなこと書いてあるの。よく書いたものだね」相変わらずいつものように大笑いでした。穏やかな静かな時間、二人は幸せな気持ちでおしゃべりしました。長時間、補聴器を使わず耳元に口を近づけて、あんなにおしゃべりしたのはその夜が最後だったような気がします。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 22, 2017
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平成28年7月20日(水曜日)PM4:12 夫のレター今日も間もなく暮れようとしています。健康ならmawakoと二人まだ外で作業していたかもしれませんね。毎日、寝たり起きたりしながら背や腹の痛みに耐えている自らをいまだ信じられないでいる自分がいます。病に伏しているのが自分だということを何か現実ではなく、夢を見ているのでは?と思ったりします。病人本人がそうなのだから傍らで見守ってくれているmawakoこそ、本当に信じられない、信じたくないという思いが強いのだろうと思います。しかし有難いことに、自分がこういう状況に追い込まれていることを理不尽に思ったり、自分の運命を呪ったりする気持ちはツユほどもありません。mawakoと二人幸せな生活を送れたこと、それを想えば今の状態を潔く受け入れることができるのです。幸せのただ中にあっていつも「いつかは訪れる」だろう病を常に覚悟してきたのも事実でした。それだけに癌に倒れても「来るべきものが来た」と言う落ち着いた心境で受け止めることができたのだと思います。そう言いながらここまでは何とか持ちこたえてきたけれどこの先の病状を思うと、凛として自らを持することができるかどうかはなはだ心もとない気がします。 どんなに頑張っても最も辛い苦しい時を悠然と乗り切ることなどできないでしょう。弱い私だから見るに堪えないような乱れかたをするかもしれません。そんな時でもいつでも心の中では「mawako、mawako」と求めているはずです。泣かないで力を貸してください、見守ってください。タノミマス、ヨロシク。mawakoから夫へ PM8時8分今夜の便りとても切ないものでした。「来るべきものがきた」私はとてもそのような心境にはなれません。「なぜ」「なぜ」こんなことになるのだろう、どんな試練を受けよというのだろう。いつも私の心に広がる「なぜ、なぜ・・・」今の私には現実を受け止める力がありません。それでも現実を生きなければならない残酷が続きます。信じられなくとも信じなければならないのです。そのような生き苦しい現実の中で私にできることは少しでもあなたの体が楽な状態になってほしいと願い、美味しい料理を作り、あなたの体の負担にならないように私が動くこと、そのようなことしかできません。特に苦痛には何の助けもできません。ただただ痛みから救われるように祈るしかありません。私はそうした中でついつい若かった頃の元気だった二人のことを思い出し、あの頃の自分たちに会い、力を得て、一時の苦しさから解放されたい思ってしまいます。でもあなたはこうした私には否定的です。「昔のことはレターに書かないで欲しい、これからのことを考えよ」と。共に生きてきた日々を懐かしみ、語り合い、書くことは老いた私たちにとって自然な心情と思っていました。「そんなことも在ったね、あの頃はこうだったね、あの時は楽しかった、苦しかったね」と言うことにはならないのでしょうか。たった一言でもいいのです。思い出しても何もならない、何も生まれないということでしょうか。若かった頃の二人に出会うことによってあの頃の二人から力を得ています。疲れた心を癒されています。そして二人からエールをもらっています。「体は老いても心は老いるな」と。この頃が二人にとって一番辛い日々でした。現実から目をそらし後ずさりする私でした。逃げ出そうとして私は若い頃の二人に出会いを求め一時の解放感、癒しを求めてしまっていました。夫は過去の自分たちを思い出すことがかえって辛い苦しいことになることを感じ、自分の中に感傷的なものを持ち込まないように必死で頑張っていました。感情が揺さぶられることの会話や文章が夫自身の心をコントロールできないほどの激しい感情の起伏を生じることを恐れ、二人でそうした感傷に浸ることを避けていたのだと思います。妻が乱れれば乱れるほどそれを鎮めなければならない、そのために夫は頑張ってくれたのです。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 21, 2017
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平成28年7月19日(火曜日)PM2:28 夫のレター昨日のレター交換では私もmawakoも思いの丈(たけ)を書き綴りましたね。お互いに切なくて壊れてしまいそうな自らを奮い立たせて生きている。そんな毎日を送っているのですからmawakoが涙にくれるのは当然なことだと思います。涙することによってmawako自身が崩壊してしまうことを未然に防いでいるのだと私は理解しています。それでも昨日書いたように「強く生きる」ことを約束してください。とにかく普段強く生きているように見える人がいざという時には全く役に立たないで腰砕けになることが多いように思います。そういう私自身もその類のひとりだと思っています。その点、mawakoの強さを信じています。これまでの人生を見事生き抜いてきたことがその証です。勝手な言い分だと怒らないでくださいね。私が願うこと、それはmawakoが「強く生き抜いて」くれること、それだけを願い祈っています。昼、Tさんへのはがきを投函した帰り、ヘブンリーブルーの成長具合を観察しました。日々かなり順調に伸びてきてネットに絡んでいるので逞しく見えました。mawakoのガーデニングの最終章のですから大いに期待しています。この画像は昨年平成28年7月16日に撮ったものです。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 20, 2017
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平成28年7月18日(月曜日)PM2:24 夫のレター(前の文略)mawakoがどれほど涙を振り絞っても残念ながら現実を変えることはできません。残酷なまでに現実というものは私たち二人を追い詰めてきます。非力な二人はただ手を取り合って日々を過すことがやっとです。そうして生きることが死ぬほど辛い、死ぬより辛いことであっても、私もmawakoも生きることを放棄することはできません。今の私の病態は、まさしく刀折れ、矢尽きた状態と言えるでしょう。 それでも昔の武将のように自害するわけにはいきません。命の灯が消えるまで頑張らなければなりません。そういう私の伴侶としてmawakoも肚を括ってください。泣くのは良い、でも泣いても泣いても私の病気から逃れることはできないのです。どうぞ、強く在ってください。強くなれなど、まさしく酷な願いではあるけれど私が今、最も欲している願いです。強く生きてくれ、強く、強く生き抜いてくれ。私が彼岸から招くまでは強く強く生き抜いてください。無理を承知で言います。涙をぬぐって強く生きてください。どこまでふたりで生き抜きましょう。 毎日泣いて暮らす妻に求める切実な夫の想いです。私よりも夫は幾数倍ももっともっと辛い毎日を生きていました。朝、A銀行に赴き私の口座を解約、50年近くに及ぶA銀行との付き合いがすべて終わった。悲喜交々、思い起こせばいろいろありました。嬉しかった時、悔しかった時、様々な情況を経験することによって私なりにお金の扱い方、金の力や怖さを学ばせてもらいました。夫の預金から引き落とされていた各種公共料金やクレジットが妻の名義に変わり、引き落とし口座変更を最終的に確認し、銀行口座を解約しました。解約のスタンプが押された通帳と残金を受け取り、「今回は誕生日も結婚記念日も何もできなかったからね」と前置きし「mawakoのために使いなさい」と手渡してくれました。我が家では結婚以来、二人とも相手に内緒のお金は一銭も持たない生き方をしてきました。「喧嘩して家出したいけれどへそくりが一銭も何もないのよ」とお友達に冗談をいう度に友人たちのへそくりの作り方を話し合うの聞いて笑い興じました。 へそくりがない代わり誕生日、結婚記念日等にはまとまったお小遣いをくれました。そののし袋には「おめでとう」とか「ありがとう」といつも書いてありました。夫の仕事のお金、私生活のお金、すべてのお金の管理を夫が担ってきてくれていました。だんだん役割が失われていく夫の寂しさが感じられて胸が塞がりました。 日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 19, 2017
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平成28年7月17日(日曜日)PM2:34 夫のレター朝から小雨が降り続いています。向こう1週間の予報も雨が多いらしいです。夏らしい日差しが欲しいですね。昼、魚スーパーに買い物に出かけたけれど、mawakoを伴って買い物に出かけられることを嬉しく思います。家に閉じこもったきりだとやはり内向きになってしまうからね、できるだけ外に出る方が良いのでしょうが、しかし、やせ細って、いかにも病人と言う態で他人中に入ることはとても抵抗がいることなんです。つい身を隠したくなってしまうのです。 「ちょっと痩せたおじいさんと言う感じよ」と夫を励ましましたが、やはり見た感じは癌患者であると判るほど痩せてきていました。若い時にはだいたい60kgが平均でしたがそれから15~16kgも減ってしまっていました。腹痛も治まらず、背中の痛みが次第に強まってきておりましたのに、他の人の中に身を置きたくないと思う気持ちながらも買い物は妻が困るだろうからと心身の不調を我慢して買い物に連れて行ってくれました。「つい身を隠したくなってしまう」夫のこの気持ちが哀しく私の胸を塞ぎました。 朝食後痛み止めを飲んだお陰か、腹痛は治まって楽になりましたが背中の痛みは一向に治まりません。寝ていると痛みが引くのですが寝てばかりいると尻が赤くなってしまうのでその点も気を付けねばなりません。厄介なものですね。昨夜のmawakoの頭痛びっくりしました。ストレスが高じると何度か今までもあったそうですが、知らずに過ごしていました。最近は具合が悪くても私の世話があるので無理を重ねているのでしょうね。mawakoまで倒れるようなことがあっては大変なので体をいたわってね。昨日の体重44.7kg 私は中学生の頃、留守番の時に暖房用の薪を作る手伝いをしていた時に不注意で大きな木の塊を顔面にぶつけるということがありました。左目に当たったので目がつぶれたと思いそのショックでしばらく目を開けることができないほどの大きな恐怖感を体験しました。その恐怖感と頭に受けた衝撃が大人になってから強いストレスを感じた時に激しい頭痛になるということがありました。昨夜もそうした頭痛に見舞われ夫に心配をかけたのです。 PM5時50分 妻から夫へ今日も暮れましたね。お天気が悪いと一層早く暮れてしまいます。時間が早く過ぎ去るのを哀しく思う毎日です。確実に少なくなっていく二人の時間、その時間が穏やかに過ぎてくれることを祈っています。昨夜は心配かけてしまいました。私は意気地なしでだめですね。ストレスに弱いのですよ。病人をいたわらなくてはならないのにあなたに心配かけてしまってごめんなさい。ゆっくりゆっくり体をいたわりながら生活しますからご安心ください。外に出たくない、他人中に出たくない、お気持ちよくわかります。でもそれほどあなたが思われるほど病人臭いわけではないのですよ。ちょっと痩せているおじいさんという感じかな。でも車に乗っていてください、買い物は私がしますから。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 18, 2017
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夫の笑顔の提案も私にはなかなか実現できない辛い涙を流す日々でした。それは今までと違う寂しさ虚しさの涙でした。一人残された時の不安や一人ぼっちの寂しさや虚しさとは違う切なさでした。台所で食事をつくりながら、食卓で食べながら私が何かする度に襲い来る虚しさでした。一緒に食事ができなくなる、一緒に買い物にも行けなくなる、散髪をしてあげることもできなくなる。一緒に洗濯物を干すことだってできなくなる。一緒に枕をならべて休むこともできなくなる、あなたと呼んでも声を聞くことができなくなる、何もかにもできなくなることばかり、そんなことを考えて私が何かをするたびにこれもできなくなる、こんなこともあんなこともできなくなると思うと涙が止まらなくなってしまう状態でした。平成28年7月16日(土曜日)PM4:20 夫からのレター昼食を終え、歯磨きをし、洗濯物を片付けて階下に降りてきたら、洗い物をしながらmawako が泣いていました。追い詰められるような恐怖感に襲われるのでしょうね。どこまでも信じて50余年を共に伴走してきた夫を失うことを思うと日常の様々がみな涙のタネになるのですね。涙が乾くことがない毎日だね。私にできることは空しい励ましの言葉をかけるだけです。一日24時間、すべてを共に生きている現在、今を思うと本当にすべてが涙の源泉になります。ただ傍らでジッと見守るようなことさえ涙を催すことになってしまいます。今日はようやく初夏の日和になりました。テラスから見える初夏の景色です。テラス(東南側)の眼下には広い遊園地があり、新築の家が丘のうえまでびっしり並んでいます。住宅が続く端に少し左側に視線を移すと緑が広がり丘の緑も一段と濃くなってきました。テラスの反対側(西側)の窓から見ると広い緑の畑と原っぱが広がっています。高速道路につながる新しい道が工事中です。緑が広がるこの道路が私の一番人気の散歩コースです。間もなく工事終了になるとホームセンターにぐっと近くなるのできっと頻繁にこの散歩が増えると思います。(ホームセンターの園芸部を目指して)ニンジン畑とジャガイモ畑が連なっています。この地域には水田がなく野菜農家、花卉農家さんが多いとのことです。ビニールシートがようやく外され一気に緑が増えました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 17, 2017
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平成28年7月15日(金曜日)PM12:13 夫からのレターです。昨日は腹や腰、背中の痛みがかなり強くて辛い一日でした。mawakoにも心配かけたけれど今日はおかげで少し楽になり安心です。昨日の便り読みました。二人の時間がもっともっとほしいというmawakoの切実な想い、私もまったく同感です。これまでmawakoと二人だけの世界を築き上げ、この上ない喜びと幸せに包まれて暮らしてきただけに一層、もっと二人だけの時間を欲しいと願わざるを得ません。mawakoがそんな切実な想いに突き動かされ一日中あれを想い、これを想って涙を流しているのを私も共に瞼を熱くして見守るほかありません。どうだろう、二人だけの時間がもっともっと欲しいと望むのは当然だけれど、これからは今二人で在ることを楽しみましょう。私は毎日mawakoが傍らにいて、私のために明けても暮れても心を砕いてくれるのをどんなにうれしく幸せに思っているか、わかるかい。「愛」とか「恋」とかの世界を超えた献身は崇高とも言える魂の発露のように思っています。mawako! 涙を流すのもいいけれど二人で笑うように毎日を送りましょう。mawakoに言われるまでもなく、私は笑顔を表現できない頑なところがありますね。私もmawakoと共にある今を歓び、笑顔を絶やさないようにしたい。mawakoも「涙がこぼれないように上を向いて」笑顔を見せてください。いつも言うようにmawakoの笑顔こそが私が愛し、恋した原点です。私は残り少なっていく二人の時間に毎日悲痛な想いで涙を流していました。夫が病気になり、余命1年を告知された時、笑顔で夫を支えようと自分に言い聞かせたはずなのに、その実行はとぎれとぎれになってしまっておりました。私はすでに自分自身を律することができない状況になっており、夫に私の想いをありのままに綴り、または話しました。自分を押さえられなくなっている妻に夫がレターを書いてくれたのです。「時間は限られている」だからこそ、せめて「二人で笑うように毎日を送りましょう。」と。花畑のお花は低温続きでさっぱり成長が見られませんが、それでも僅かずつ花が咲きだしました。 日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 16, 2017
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平成28年7月13日(水曜日 PM4時50分) 夫のレター今日は朝からしつこい腹痛が治まらず、終日気分が晴れない一日でした。それでも寝たり起きたりしながら大過なく過ごすことができて有難いことです。IHヒーター壊れて不便だね、それでなくとも3度の食事の支度は手がかかるのに、mawakoの奮闘に感謝です。まだ使えるようになるまで2,3日はかかると思うけれどよろしくお願いします。このところmawakoが私に涙を見せまいとして明るく元気に振舞ってくれてとても嬉しいけれど、内心ではその健気さをを思って胸を熱くしています。昼寝の時にフエスタオルを顔に乗せているのいぶかり、涙を流して寝てしまったのかと思い心を痛めたことでした。昨日のコートのリフォームの事、話を聞いてとてもありがたく嬉しく思いました。長くmawakoの傍で生きると思うと幸せです。良かった! 良かった。!7時31分 妻から夫へ今日はウンコの神様がご機嫌斜めどうしてかな~、今晩たくさん出てくれるといいね。フイエスタオルの件、哀しい気持ちにさせてゴメンナサイ。昼寝の前に写真を眺めていたらいろいろ思い出されてね、一緒に旅行した時のことや新婚の頃夜店に行った時のことや、スケートに行って初めて手をつないだ時のこととかね・・・・すっかり気分良くなっていたら鳩時計が鳴いてハッと現実に戻ってね、「もうあまり時間がない」と思ったら急に涙が溢れてきて、ひとしきり泣いてしまったの、タオルかぶったまま寝てしまいました。おしまい。夫のレターーにある「コートのリフォーム」の事とは・・・夫はキャメルカラーのカシミヤのロングコートを持っていました。洋品店経営の小学校以来の友人からどうしても付き合ってほしいと頼まれた英国製カシミヤの高級品でした。夫はほとんど着ることがありませんでした。今はダウンコートを着る人ばかりで誰ももらってくれる人がいないまま最後まで残っていました。私がそれをリフォームしようと持ち込んだのです。そこのリフォーム店には春から何度も通っておりました。手術で夫は細くなりズボンのWサイズ等の直しでお世話になっていました。コートを羽織る私に「紳士物は婦人物と全く違うから、なかなか難しいね・・・・」といい、「やはりだめでしょうか」という私に「無理ですね」との結論でした。「このコート、夫の形見に・・・・」と言い、残念そうに鏡を見つめていた時、彼女の手が動き出しました。嬉しい一瞬でした。黙って何も言わずピンを打ち始めてくれたのです。これは10日ほど前のことでした。車で待つ夫に「直してくれるって、10日後に仮縫い」それだけいうのが精一杯でした。きっと車の中で泣きだしてしまいそうだったからです。そして昨日、仮縫いに行ってきたのです。お茶を飲みながらようやく私は10日前の彼女の優しさを夫に話したのでした。今でもあの時の彼女の優しさを思うと涙が溢れます。一言も言わず、静かにピンを打ってくれた沈黙の優しさを思い涙が流れてきます。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 15, 2017
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平成28年7月12日(火曜日 PM5時27分) 夫のレター「mawakoが神様に祈ってくれたおかげで朝食後に大量の便を排出することができました。今の私にとって排便が切実な課題です。今日は午前中、生協、ホームセンター、お直し屋さんと回り、午後はホスピス病院の外来、帰りドラッグストアでの買い物、私は珍しく長時間 動くことができましたがやはり疲れました。それでも私は車の中で待機していることが多く、買い物をしたり荷物を運んだりするのはmawakoがやってくれるのでむしろmawakoの方が疲れたのではないかな。病院からの帰りの車中で「あなたと一緒だと嬉しい」と言ってくれたけれど私の方こそmawakoと一緒に居ると安心でゆっくりくつろぐことができるんだよ。いつもありがとう。午後3時半にお茶をして4時過ぎに休むことができましたが、私も少し眠ることができ、気持ちよく起きだしました。最高気温26.7℃, 今年一番の暑さで車の中も特に我が家の2階は大変な暑さでした。下の事務所はひんやりとしているのでウールのチョッキを着たり脱いだり忙しかった。今日は二人とも元気で一日を過ごすことができて幸せだったね~。私はこうしてふたりであちこち車で出かけるのもそう長くはないのだと思い、一緒に居ることが二人にとってかけがえのない時間、至福の時間であると思いました。そんな気持ちから「あなたと一緒だと嬉しい」と、自然に言葉になりました。限られた命につながれている老夫婦が互いに心交わした倖せの時間でした。痛みもそれほど辛くなく、排便が良い日は夫は体調はすこぶる快調といい、買い物デーにしようと私を促します。私はあまり無理しない方がいいと思うのですが、できるだけ夫の気持ちに添うようにしました。昨年は7月になっても気温が上がらず、夏日は6月が1日、7月はこの日まで4日間という夏とは言えない気温の低さでした。健康な時にはこうした買い物は私たちの日常の出来事でした。美味しい魚を求めて少し遠出をする。美味しい肉が店頭に出る曜日を検討つけて出かける。夫の好きな「おやき」が8時を過ぎると半額になるのでそれを楽しみに夕食後、ぶらりと散歩がてら出かけ、好きなあんこの中身が半額でゲットできてラッキーとはしゃぎ、すでに何もなくなっていると「今日は時間がちょっと遅かった」と悔しがったり。ホームセンターを覗いてみようかと言って、夏苗の見切り品を見つけて喜んで購入する。ふたりでいつも一緒に当たり前に過ごしていた日常の買い物、そうした日常の一コマ一コマがどんなに幸せで素晴らしいことだったのだろうと思いました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 14, 2017
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退院後2週間以上経ち、S病院への外来診療はすでになくなっていました。ホスピスでの外来診療が始まって早々に、院長の要請で訪問看護師のお世話になることになり、退院するたびにお願いし継続していただきました。当初、夫はまだ自立した生活ができているのに医師によって訪問看護を進められたことに違和感を持っており、あまり歓迎したくない思いがありました。それを受け入れたのは、自分への看護と言うよりも妻の不安解消、相談できる人を妻のために得たいという気持ちからでした。そのために最初の頃は、「大丈夫です」「心配なことはありません」と言う事が多く、実際どのように病状を説明していいのか、どの程度のことを期待したらいいのかということもあり、詳しい情報提供ができず私をイライラさせることがあり「どうしてきちんと病状を説明しないのですか」とトラブルになることもありました。そうした経過を踏まえて病状をふたりで共有し、きちんと訪問看護師に向き合うことにしたのです。私は夫との会話から得る病状をメモし、説明をメモし、時には排便の実際も観察し、それをPCに毎日打ち込んで1週間分を一覧表にし、夫が補足し、訪問看護の日に夫が説明しやすいように資料を作りました。その一覧表の内容の一部です。排便の記録夜間 ( 1時~ 7時) 午前(7時~昼食前) 午後(昼食~夕食) 夜間 ( 夕食~24時)一日を4区分し、排便の量や時間、形状、色などをメモした。痛みの様子どこが痛いのか、どの程度痛いのか、どのように痛むのか、どのような場合(時)に痛むのか、など夫の説明をもとにメモした。痛みのレベルは4,5,6、夫の感覚で最も辛い痛みは7レベルでこのレベルまでは自分で耐えられる痛みと夫が言い、それ以上になるとたぶん人格崩壊のレベルになるだろうと。いうのでした。薬と副作用の様子酸化 Mg シンラ・・・、ロキソ・・・、アセト・・・、 麻薬系などの痛み止め、下剤などの量や時間、副作用についてメモした。人工肛門(ストマー)の状態二日おいて3日目で新しいパウチと交換、その時の状況をメモした。殆ど問題がなかったが(少し赤みあり)などの小さな異常もメモした。体重の記録、この頃は44kg台に推移していたが43kg台に下がることもあり、入浴時の体重測定が辛かった。その他、気になることをできるだけメモした最近痰が出る、痰が出ないが鼻づまり、背中のかゆみ(発疹)あり、痒み薬を塗るなど、健康時には見られなかったことをできるだけメモした。例:7月9日 背中、腰の痛みが消えたが、起き上がりがふらふらする、寝不足の感覚あり、夕方はふらふら感じはない、疲労感強い(段ボール整理) 夫自身の日常生活のについてのメモ、看護師への病状説明 痛み止めの服用は吐き気が出るので、耐えられない痛みでないので現在はすべての痛み止めの服用はしていない。食後の痛みはないが排便と思われるときに痛みを感じる。思うように排便なしの時には腹痛が続き背中もいたむ。排便があると痛みが和らぐ。鼻水、痰がでる。 睡眠中に鼻水がのどに落ちて、痰になっているのかもしれない。(夫の推測)筋肉の衰えはないと思うがが歩くのは疲れるようになってきた、スクワットを40回位できるようになってきた。階段の上り下りはさっさとできる。日中は横になって休むことが多い。 嚥下状況が出ていたので流動食を心掛けている。(妻補足)その他、食事の様子のメモ(3食、お茶時のおやつに内容、食べる量など)その日の看護師の測定記録( 血圧 110~65 体温36.2分 酸素95%)看護師とのやり取り (その日の看護師とのやり取りをメモに残した)最近は便が出ても痛みが止まらない(入院中も痛かったが排便後は収まったが、最近はすっきりしなくなった、上を向いてじっとしていると少し和らぐ。椅子の姿勢が一番堪える。(看護師)どこ? 左側の腰のあたり、腎臓のあたりに痛みあり、便が出ても最近は痛みがなかなか収まらない (看護師)痛み止め服用については?最近はちょっと飲んでみようかなという気持ちも動く、(看護師)痛みのためにQOLが下がるようなら飲んだほうがいいのでは痛み止めは腸の働きを抑える働きもあるので便通が心配、痛み止めを飲まない理由は副作用が腸の働きを抑えるためと吐き気が出て食欲がなくなるため、(看護師)食欲は?食材を豊富にして食べる。高カロリーのドリンクも続けている。(看護師)体のだるさは?今までは休まなかったのは最長で5,6時間だったが昨日は全く休みなし、さすがに疲れた。夜は眠剤でよく眠れるが小便でよく起きる、その後はまたぐっすり休める。(看護師)痰は?痰の出具合が最近少し楽になった。 このように訪問看護に当たっては情報提供し、病状についての心配事を相談し、主治医との連絡を取ってもらうようにするなど、訪問看護のメリットを十分に生かそうとしました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 13, 2017
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7月11日~自宅療養18日目「よく眠れた、朝も爽やかに目覚めることができた、天気もいいし元気な一日でありたい」と言う夫に比べ、私はXデーについて話し合って以降、なんとしても自分の気持ちをコントロールできない状況を生きていました。夫のXデーを覚悟し自分に言い気かせ、「こうありたい」とレターに綴りながらも、私の頭と心は統一されない苦しい状況を生きていました。「至福の時」でありたいと頭で思いながら私の心は「地獄の時」を過していました。夫が何かを語り掛けるたびにハラハラと涙が流れ、我慢できず、外に逃げ出したり、トイレに駆け込んだりしながら、しばし激しい感情の起伏を落ち着かせる状態でした。昨日の夫のレターの続き(7月11日 PM2時45分)夫はこの日、午前と午後2回のレターを書いています。「今現在、私とmawakoが経験している身悶えるするような苦悩はこれまでもこれからもすべての人が通らなければならない逃れようのない状況だということを言いたいわけです。どんなにすぐれた宗教者であり哲人であれ死の問題を解決しえた人はいません。そして最愛の伴侶を失う人の苦悩を解決できた人は一人もおりません。いろいろ悟ったことを説いてみてもそれはあくまでも理屈付けに過ぎず、実際の苦悩には役立つものではないと私はいつも自分勝手に決めています。私が且ってmawakoにも話したように死というものは誰にも訪れるのであり、死というものに失敗はありません。ですから私もまた、これまでに亡くなった人たちと同様、死に逝くのです。mawakoも同様です、最愛の夫を亡くした妻はすべてみな、mawakoと同じ苦しみを苦しみ抜いて今日も生活しています。生活の質はそれぞれでしょうけれど、とにかく日常を暮らしています。だから難しいことはありません。mawakoも苦しみ抜いたあげくきっと命をつないで日常生活を取り戻せるのです。そのように信じて生きてください。昼食後のちょっとした話のはずみからまた、mawakoが泣いてしまうような羽目になりました。可哀想なmawakoを慰めようがありません。「私も死にたい」などと口にしないでください。それぞれに与えられた命、めぐりあわせだと思って必死に現実を受け止めるようにしましょう。私も死が怖い、mawakoも一人残されるのが怖い、この怖さから逃れることはできません。二人の人生の集大成と思って乗り切っていきましょう。」今になって、当時の自分を思う時、「なんという甘ったれか」と思います。病人の夫を支えるどころか心配をかけ、夫の苦悩を深めてしまっていました。夫が病人であることを承知しながらも、狂いそうになる私が助けを求めるのは夫しかおりませんでした。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 12, 2017
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自宅療養の日々の記録が横道にそれてしまいました。今日からまた元に戻し、二人で過ごした最後の自宅での日々の記録を辿ることにします。7月11日月曜日 午前6時50分 妻から夫へ4時過ぎだったでしょうか、トイレから戻ったあなたが床の中で両腕をあちこち動かし始め間もなく掌を開いたり結んだり、私も一緒に結んで開いたりしました。しばらく休み、また両腕をあちこち動かしそしてまた開いたり結んだり・・、私もその都度一緒に結んで開いて・・・「あ~肩から腕が怠くてだるくてどうしようもなんだろうな辛いのだろうな~」哀しくあなたを見つめていました。しばらくの後、結んで開いては止み寝息に変わりました。私も少し眠りました。夜半出なかったということだったので、6時30分メガネ持参でトイレに行きました。排便の記録は白紙のまま、心配の種は尽きません。(中略)私がこれから来る寂しさに涙している場合ではない、あなたの辛さを一緒に生き、あなたの今に寄り添って生きたいと思いました。そして癌であることが地獄の日々だと言いましたが違うのではないかと。一緒にあなたの死への怖さに添いながら生きることを倖せに思いたいそんな気持ちになりました。二人の生を互いに慈しみ一緒に過ごす時間が残されている、それは地獄ではない、二人に残された至福の時間にしましょう。夫から妻mawakoへ 7月11日8時38分夜中、私が起きるたびに起こしてしまっているようだね。十分に睡眠をとって欲しいと思っているのでmawakoが床の中から頭をもたげて「どうお?」と問いかけてくると眠りを妨げてしまったようで残念に思います。私は昨夜はよく眠れたように思います。朝も爽やかに目覚めることができました。今日は天気もいいし元気な一日でありたいとそう願っています。mawakoの辛い毎日、本当に可哀想で私も共に狂いそうになります。このことはほとんど毎日と言って言い程、書き込み話し合ってきましたねそれほど胸底のどうしようもない恐れを慰めあってみてもそれを克服することはできません。病人本人よりもmawakoの方がよほど苦しいことだろうと理解しています。私の病気の心配と世話に追われながらいずれ一人遺される自らの行く末を視野に入れながら生きてゆかねばならないという二重の苦しみに耐えなければならないのですから狂って当然と思います。私には残念ながらmawakoを守ってあげられる包容力は今はありません。ただただオロオロと心悩ますことしかできません。しかし、考えてみれば私もmawakoも人間としてごく普通というか、誰しもが経験していることを私たち二人も辿っていることだと思います。この二人の苦しみは世の中のだれもが経験したことでありこれから経験することだと思います。だから臆することなく苦難の道を手を携えて歩きましょう。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 11, 2017
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なにがなし、二人の気持ちが落ち込みがちになるのを何とか楽しく嬉しく先のことをすこしでも心待ちになれることの話題に気持ちを向けようとしました。ヘブンリーブルーの定植は毎日元気に大きく成長する様子を話題にすることができ、気分が楽しくなります。 既にタネ蒔きしたヘブンリーブルーの苗が育っていました。家の周りをヘブンリーブルーでいっぱいにしようとネットを張り、あちこちに準備しました。「台風対策」を夫のアドバイスをもらって手直しをし、今度はばっちりネットの裾をブロックで押さえ、結束バンドでしっかりネットを安定させました。家の片づけや夫との時間をできるだけ多く持ちたいので時間が限られ、中々作業に取り組めませんでしたが朝早く起きて植え込みを終え、ようやく定植できました。植える場所は3か所です。 表庭用のプランターは6個作り、ラテイスいっぱいにブルーが広がるのをイメージして、夫に喜んでもらいたいと心躍らせました。ヘブンリーブルーは夫が大好きな西洋朝顔、「天上の青」とも言われます。秋の空に美しく映えるヘブンリーブルーをふたりで見るのは最後になることを自分に言い聞かせ、めいいっぱい咲かせようとあちこちにネットを張り巡らせ苗を植えこみました。平成28年7月8日の記録です。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 7, 2017
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7月7日 退院してから2週間たちました。二人だけの生活なのに我が家には大きな冷凍庫がありました。大好きな紅サケは常に2,3尾を保存し、夫が解凍して切り身にしてくれました。いくらもすじこも箱買いで保管し、仕事を持つ私は半加工品の調理を保存するのに大型の冷凍庫は食生活の助っ人でした。ところがその霜取りもなかなか億劫で特に小柄な私は屈んできれいにお掃除するのは大変でした。見かねて夫がよくやってくれていました。「2階の冷凍庫がこんなにきれいになったことなどなかったね、霜取りいうより、氷をはがすのが大変だったでしょう。お疲れ様、とにかく一休みしなさいね。」といい、夫は階下へ行きました。私はひと眠りしようと思いました。最近はまた眠れない状況が続き少し疲れていました。夫の背中の痛みが強くなり排便も不調、夫の病気が進んでいるのではないかとの不安が膨らみその不安が私の睡眠を妨げていました。「2階でゆっくり休むことを強要してきたが、とにかく少しでも体を休めてほしい。私は今、二人の人生を思いながらレターを書いています。今日までmawakoと2人して築いてきた生活と強い絆があります。そんな二人にいつかは別れが来るということは頭では理解していたけれど、いざ実際にその局面に向かうと本当に理不尽な気がします。人間という生き物の宿命ということになるけれど、それなら結婚などしないで一人で生きてきた方が良かったかと問われればやはり、なんといってもmawakoと共に生きることが無上の倖せだったと応えざるを得ません。特に私たちが半世紀にわたって、長年月を生きてきた、生きさせてもらったということは考えるまでもなくこの上なく有難いことだったと思います。二人が倖せに連れ添った歓びと二人が絶対的に別れなければならない不幸、考えてみればその両者の倖せと不幸は同じ重さなのかもしれません。それで人間の一生というものはすべてプラス・マイナス、ゼロで終わるのかもしれません。別れることは耐えがたいけれど、これまでの倖せを思うことにしましょう。」私はその時に「一緒に暮らした倖せの方がず~っとたくさん」とレターを返しました。その時にはまだ別れた後の辛さ(不幸)を想像できなかったからです。本当に別れが来るなどとこの段階でもどうしても実感できなかったのですが、一人になった時に、夫のこの実感が私のものになりました。幸せだった分が帳消しになるほどの喪失感、空虚感に支配されました。今もなお、その辛さは続いています。そして夫の言う通りだったとしみじみ思うのです。夫はXデーについて話し合ってからは、「死」「別れ」などのことばをよく書いたり話したりするようになりました。夫は別れなければならないつらさ(不幸)が身を切られる思いだと話し、「この辛さは地獄だね」といい「mawakoが可哀想だ、病気になったばっかりに辛い目に合わせてしまってね。」ともいい、「幸せだった分だけ辛いんだね」などと話したりするようになりました。私も夫の死やふたりの別れの現実から逃げずに夫と同じ次元に身を置き、互いの心をそのままに表現することにしました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。 、マイナス
June 6, 2017
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前回の日付と逆になってしまいましたが 7月4日(月曜日)S病院の外来に出向く。その日の夫のレターです。「前部分省略・・・帰宅してお茶しながらまたまたmawakoを泣かせてしまったね。私の病気が回復の見込みがない状態になっていることは二人とも十分承知しているわけだけれど私のXデーに対する考え方が二人の間では差があると感じます。それは二人それぞれにとって止むえない事かなと思っています。すなわち、病人の私はXデーが毎日毎日迫っていることを現実として受け止めざるを得ません。今動いている足がいつ上がらなくなるか、布団から立ち上がれることがいつできなくなるか、階段を上がったり下がったりいつできなくなるか、そんなことを日々考えながら今の状態を有難いと思い暮らしています。だけれども延命のために様々なサプリメントを取り入れようとは思っていません。自然に任せようと思っています。ですからついつい私の発言は生きるのをあきらめていると受け取られるのかもしれません。一方mawakoの方は一日でも長く生をつないでmawakoを一人ぼっちにすることを先延ばしにしてほしいという思いからもっともっと私にどん欲に生きる姿勢を言葉や行動で示してほしいと願っています。だから私がXデーを意識した話をするとmawakoの感情を激しく揺さぶってしまうことになります。私も今の状態を一日でも長く保ち、生活を続けたいと必至に願い体も動かそうとしています。mawakoも応援してね。」薬の処方箋を会計を待つ間にFAXで送信したにも関わらず、院外薬局では長い長い時間が経過しました。待っている間、薬局の内部をあちこち見ながら私は夫の病気に良いと売られているものを試してみようと提案したのですが夫は不機嫌になるばかりでした。夫は元気がありませんでした。体の不調もありましたが診察を終えてから一層、辛そうな夫の様子が気になっていました。実はこの日の外来診察はいつものようなレントゲン撮影の指示もありませんでした。更に触診もなく、薬の処方のみで簡単な言葉を交わしただけの診察で終わりました。私もこれだけのことなら何も来ることもなかったと思うほどでしたが、夫はそれ以上に心に闇を抱えてしまったようです。以前から外科的手立ては何もないと言われていたのですから、落ち込むことはなかったのかもしれません。前回の外来で余命を再度尋ね、良い気分になるご返事を得たのですからそれを信じていればいいことなのですが夫の様子は沈鬱でした。医師の態度、言葉はどのような妙薬よりも力があるものだという認識を医者は持っているのだろうか。そのような想いを抱きながら帰宅し、お茶をしてゆっくりのはずだったのですが、私の方が落ち込んでしまいました。夫の気持ちを思うとやりきれなく切なさが募り、自分の無力さを嘆き悲しみました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 4, 2017
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夫は自分の衣類の整理を始めました。少しでも遺る妻の負担を少なくしようとなぜか焦っているように感じました。相変わらずあちこちの痛みが続いているのに我慢しているのです。7月5日PM3時32分 夫のレター「田舎に送るためにスーツ10着を整え、ストッカーに収めることにしましたが、かなりの大仕事になる思っていたのに、1時間を要することなく仕上げることができました。しかもコンテナ1台に10着すべてを収容することができたので上出来でした。スーツを点検整理しながらmawakoが急に泣きだしたので私もつられて胸が熱くなりました。スーツを送って失うと言うことはまるで私を失なうと連想したのでしょうね。いつもmawakoを泣かせてしまうね。私のことを思って号泣するmawakoの傍らで見守るしかありません。こんなにも私のことを思ってくれて感謝です。私のためにいつもありがとう。mawakoが涙に明け暮れするのは当分続くことになるでしょうが涙を流すたびごとに少しずつ心を強く持ってください。涙の生活からだんだん穏やかな生活に切り替わることになることを願っています。涙に暮れているmawakoに何から何まで世話になって逝くことを思うと胸が張り裂ける思いがします。私たち凡人が悟りすますことなど到底できないことですができることならば諦観と言うか、心定めて穏やかな笑顔で介護してくれたら、こんな嬉しいことはありません。でもそれは無理な注文と言うものですね。ありのままで生きましょう。」妻から夫へ「スーツを手にして泣いてしまいなかなか収まりませんでした。だんだんあなたの存在が私の前から失われるように思えてスーツを抱きかかえて泣いてしまいました。一つ一つのスーツの思い出が浮かんできました。そしてもう二度とこのスーツを着たあなたと過ごすことができないのですから、たまらないほど切ない気持ちになりました。こんな切ない気持ちあなたはわかってくれるだろうか。(中略)あなたと共に生きた50余年間、どうして私だけ置いて逝ってしまうのですか。その日が必ず来るという、そんな残酷を生きよというあなた。きっとこれからも泣き続けるだろうと思います。泣いて泣いて泣き疲れてようやく眠る幼子のようなわたしであると思う、一緒に泣いて欲しい、一緒に涙を流してほしい。本当の私は強くはないのです、弱虫で寂しがり屋で、意気地なしなのです。穏やかな笑顔でお世話できるのは私にとっては難しすぎる課題です。」大きな借金を抱えて独立した夫の仕事も順調に展開し、他業種の方たちとの交流も広まり、そのお付き合いでスーツなども私達にとっては分不相応なオーダーものになっていきました。高価格の物でしたから大切に大切にしておりましたのでほとんど新品同様の状態でした。それらの洋服はもらって頂ける人に差し上げたりしましたがそれでもまだ手元に残りました。それらを私の田舎の親戚に送ることにしたのです。空っぽになっていくクローゼット、ワイシャツや下着を入れる衣装箱、夫の衣類があっという間に姿を消していきました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
June 1, 2017
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7月2日 午前10時8分「今朝、syuhey君から電話。Hさんから聞いたと言って私の病気を知り、心配して電話をくれた由、mawakoがそれを憤慨していたけれど、ま、そんなに気にすることはないと思う。人の話と言うのは「あなただけに話すのだけれど」と言ってどんど広がっていくものです。結構、私にもそのような経験があります。他人を責めても仕方がありません。自然に任せておくのが良いと思います。」退院し、自宅に「人影を感じたから」と、立ち寄ってくださる方たちがいらっしゃいました。そうした方々の多くは夫の病気を「ひと伝えに聞き、心配していた」という方達でした。私は夫が病気になり、入退院を繰り返すようになってからも、夫が病気であることをどうしても他の人に伝えることができずに拒み続けておりました。ですからわずかな方たちだけへの状況報告で日々を過ごしておりました。それなのに夫の病気情報は拡散していきました。電話をくださったり、直接お尋ねくださる方が「〇〇さんから聞いて・・・」という言葉の「〇〇さん」への不信が膨らみ、せっかく夫の病気を心配してくださる方への感謝の思いをきちんと伝えられなくて失礼な対応をしてしまいました。その頃は夫は電話での対応や直接会うことを避けたい思いで暮らしておりましたので、私がすべて対応しましたが、私の失礼な対応をしったなら残念に思ったことだろうと思います。よく巷で言われる「勝ち組」「負け組」という言葉、それに当てはめるなら私たちは「負け組」であり、「不幸な存在」として知人友人の中で語られているだろう、そのことが夫の誇りを傷つけられてしまっているようで耐えられない思いでした。他の人達と一緒に歩んできた道の途中で「もうだめ、一緒に歩けない・・・」といい、そのグループから外れて妻とふたりきりで他の道を歩み始める。その道はわずかな距離、そのわずかな道のりもいつの日か、ぽつりと前がふさがれ闇に閉ざされてしまう。その道を辿る二人の姿がイメージされ、夫の悲しみ、寂しさを思い、私は夫をかばいたい気持ちが強まり、夫の情報が無責任な形で拡散されることを嫌悪しました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
May 28, 2017
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6月30日PM5:09(夫の日記)きょうも元気な体を維持した状態で一日が暮れようとしています。腹痛は終日あったけれども我慢できる程度ですから痛み止めを飲んで副作用を悩むよりは大いにましだと思います。食事やおやつをた十分楽しむことができて幸せだと思いながらもつい食べ過ぎるのではないかと自らに問いかけています。夫は終日、トイレに頻繁に通い落ち着かない状態でした。出なくて心配するよりはいいと言いながら、おなかの痛みも我慢しました。薬の副作用で吐き気や食欲不振になるよりはましだと言いました。食べられないのは体重減が心配だけでなく、食べることの意欲は生きる意欲になり、夫の元気を促してくれるからです。薬を飲むと痛みも楽になると思うのですが、夫は食欲がなくなるのは一番困るのでおなかの苦しさが続くのを我慢していました。薬の副作用の辛さが強くなっていました。辛い状態にあってもいろいろ考えること、やらねばならない事に気をもんでいました。我が家の経済状態も心配しました。私は「病気なのですからお金がかかるのは当たり前、あまり気にしないようにしましょう」と言っていたのですが、お金の使い方に几帳面でしたから収支が気になるようでした。「夕方、今月の支出合計を概算でまとめてみました。86万円の支払いをしていることになります。もちろんこの中には公金一括払いもあるけれどね。私が把握していないお金もたくさんあってタクシー代、スーパーの買い物、ドラッグストアカード払いの医療費やmawakoの買い物など合計100万円は超えるだろうね。かなりの出費になるものだね。後で詳しく教えてください。それでも何とかたくわえを崩さないでやりくりできたからよかったと安心しています。公金の一括払い済で次からは楽になります。何よりmawakoが元気で助かります。」妻からの便り今日は何度もトイレに通っていたので心配でしたが、「今日は元気だよ」という言葉に私も元気が出ました。薬を飲むと痛みは楽になるのでしょうが、副作用もつらいですね。あなたの調子がいいと、私も緊張が少しほぐれます。長い期間の入院生活なのですから出費が多いのは当然です。それでも何とかやりくりできているのは有難いことです。年金暮らしになってからの病気、入院、療養生活は本当に大変ですね。我が家は何とかそれらに対応できるのですから有難いことです。病気になればとてもお金がかかります。我が家の場合は入院時の妻のタクシー代もかなりの出費でした。病院の医療費、薬代、家庭看護の費用、食費、お見舞いへの返礼等々、4,5人も相部屋にいると入院費用などの心配する家族の話が漏れ聞こえてきます。健康保険、高額医療費の補助などと言っても、やはり大変な費用が掛かります。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
May 24, 2017
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6月28日(火曜日)自宅療養が始まってから5日経ちました。夫の弟が何かにとサポートしてくれるのでとても助かります。その弟も夫の癌の進行を認めることができず、そのことをめぐっての会話もどこか他人事にような雰囲気で話したり聞いたりしています。それは仕方がないことです。当事者である私たちでさえ、時には現実を認め、時には否認し、複雑な気持ちで生きているのですから。兄弟でおしゃべりしていました。献体や死後のことについて話していました。私は会話には加わらず兄弟の話に耳を傾けるだけでしたが、特に弟は世間話のような感覚で話しているのが気になっていました。決して不真面目なわけではないのです。弟としてできるだけ深刻にならないようにとの夫や私への気遣いだったのだと思います。死後のセレモニーの事(世間一般の例ですが)を楽し気におしゃべりしたのです。そのことに私はとうとう苛立ちを抑えきれずに「そんな話やめて」と叫びました。その夜の妻の日記です。MTO君の対応であなたにいやな想いをかけてしまいました。ごめんなさい。でも私としては不愉快だったのです。笑いながら死んだ後のことまで今の時点で具体的に話をしなくともいいのにと思いながら聴いていたのですがイライラが言葉に現れてしまいました。私の中であなたは決して死なないのです。昨日と同じように一緒に生きている、生きていたいといつも思っているのです。だから死後のセレモニーのことなど少しも考えたことなどありません。たった一人で過ごしたい、昨日や一昨日と同じように過ごしたい、そんな想いでいます。そのことについての翌日の夫の日記(6月29日pm8:30) 昨夜の体重44.2kg昨日、私の葬式のことで少し感情的になっていましたが、すべてmawakoの思うように仕切ってください。私の方から死んだときのことについて弟に話したのです。弟もまだ他人事のように思っているらしく、真剣みが足りない話し方になってしまったようで、mawakoを苛立たせるような展開になってしまいました。そのことはふたりで話し合ったことをもとにしてmawakoの思う通りにしてください。二人の固い約束事で献体すること、葬儀などのセレモニーは今の時点では一切何もしないということ、そのことを淡々として話しましょう。献体による役割が終わった時にはふたりで決めたとおりにしてもいいし、mawakoの気持ちが落ち着くようにしたらよいと思います。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
May 20, 2017
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意気地なしの私はいくら頑張ってもドンと構えて夫を介護できず、私の不安な言動は夫をも動揺させました。特に夫は私の姿が見えないと不安がり、そして苛立ちをぶつけました。朝の一時、ゴミを出しに行き、ふと花たちのしおれ具合に気が付くと家に入るのを気にしながらも水やりに時間を取ってしまうことがしばしばです。夫はどうしたのかと外に様子を見に来ます。「何やっているんだ、どうして水やりしていると一言、いえないのだ」と怒ります。玄関を出ても姿が見えないと裏庭に行き、そこにいなければ隣の貸家まで足を延ばして見に行く。そして「mawakoがいなくなれば、倒れているんじゃないかと心配だ」というのです。そんなにまで心配するのにはわけがありました。「SAさんの奥さんが倒れ、救急車が来て大変だった」とご近所さんの話を聞いからです。私は「あの家のおばあちゃんは88才、おじいちゃんは90才、全然年が違うのだから問題ないわよ」と夫の心配を鎮めようとしました。90才の夫を介護する88歳の妻の老々介護は大変だったと思います。その奥さんが倒れてしまったというのです。時々、息子さんらしい方が見えていましたが、老婦人は朝夕、息せききって近くのコンビニに走っていき、パンらしきものを手にして戻ってくるのを時折目にしておりました。夫が入院以前からの事ですから家庭介護はず~っと前からだったと思います。その奥さんは他の人を避けているようでした。ご近所さんが道路で立ち話をしていると、我が家の裏の狭い通りを抜けて、原っぱを横切って戻っていくのです。声をかけるにもタイミングを逃してしまい、ご近所としては何も応援できていませんでした。このような身近な出来事を聞いたものですから夫は一層、不安だったのだと思います。このことがない以前から私の健康をことさら気にしてくれていました。「mawakoが痩せてきた、さっぱり食べなくなった、もっと栄養のある物を食べよ、血圧は正常か、鍼灸院へは行かなくていいのか、頭痛はないか」等々、夫は年明けに入院しましたが、前年の暮れから私は体がこわばり、どうしようもなく、知り合いの鍼灸院に通い始めました。すぐ治ると思っていた体のこわばりは相当重症だったようで、しばらく通院しました。そのような経緯もあり夫は特に心配していました。実はこの救急搬送の事は私はあえて夫には話しておりませんでした。それが、花摘みをしている夫に家の前をいつも通るご婦人がおしゃべりしたそうです。この人は空気を読めないというか、相手かまわず自分本位になんでもおしゃべりする人なので私は嫌いなご婦人でした。この方が老婦人の救急搬送の話を夫に話したのです。おまけに「奥さんが倒れないように頑張ってくださいって励まされた」と夫は苦笑していました。この話を聞いてから一層、妻が看病疲れて倒れやしまいかと心配の度を増したのです。二人とも不安がいっぱいでした。不安の中身は様々に入り乱れそして膨らんでいました。妻(夫)が目の前にいないというだけで不安であり、二人でなら何とか持ちこたえることができる状態でした。余命短い老々介護の二人の不安は厳しかったなあと思い出します。入院していると体の不安だけは医療者に託することができますが、家庭看護ではすぐ対応してもらえない不安があります。そうでありながら ふたりで過ごす我が家はなんと安らぎをもたらすものだろうと思うことが多く幸せな日々でもありました。そのようなときはゆったりゆったり時間が流れてほしいと願いましたが、一方で、今のうちにやっておかなければ・・・・・・・そのような焦る気持ちを鎮めることができない思いもあり、心せわしい日々でもありました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
May 19, 2017
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しばらく「自宅療養、最後の45日間」から遠ざかっておりました。また、ぼちぼちと、苦しかった45日間の二人のありようを振り返りグリーフワークを辿ります。退院時に担当医から次のように申し渡されておりました。今後の病変に当たっては抗がん剤や他の治療を選択する意思がなければ外科的な癌治療は限界であること、すなわち外科としてはすべきことがないということでした。 夫は「言葉は優しいけれど、来てもらっても困るということだね」と呟きました。そのために自宅療養の日々は緊張と共に始まりました。腸閉塞にならないように、食事を気を付けること、作る方も食べる方も緊張しました。それと癌の進行が穏やかで欲しいと祈る日々でした。ストレスの少ない生活を心がけようと思いました。そのような心配はありましたが、自宅療養は私たちにとって嬉しい時間と空間でした。二人だけでくつろげる優しい時間、長年暮らしを営みすっかり慣れ親しんだ二人の空間でした。しかし、その優しい穏やかな時間と空間は、時折突然湧き出る恐怖とやりきれない寂しさ、孤独感を生み出す時間と空間に変質するのでした。特に私の心の動揺は大きく、相変わらず私は二人で過ごすことができる残りの時間を計算し、二人に残された時間が少なっていく、引き算してしまう毎日でした。この次に入院したら、この家でふたりで過ごすことができないのではないか、一緒に過ごせる時間はあとどれくらい残っているのだろう。この家で暮らせる時間がだんだん少なくなっていると思えてしまうのでした。夫がいなくなれば・・・・この家に一人在る「一人ぼっち」の私が見えてきてその寂しさに耐えられず、涙が流れてしまうのでした。園芸資材を譲り受けてくださる方を見つけては整理し、様々なものを運んでくださる方との対応で忙しく過ごしながら、だんだん片付いていく裏庭で「最後のヘブンリーブルー」を今までより一層美しいものにしようと気持ちを引き立たせ元気を出そうとしました。ネットを張り、準備を少しづつ始めた私の作業に夫はダメ出しをしました。全く相手にしてくれません。「台風が来たらどうするのだ」というばかり。例年、夫がやってくれたネット張りを十分理解せずに、安易な私のネット張りへの不満、それでありながら自分では手助けできない寂しさと苛立ちが伝わってきました。私は静かに「考えて工夫します。」と言うのが精一杯でした。その夜の妻の記録(レター)最近にはないのほど買い物で動いたので疲れましたね。今日はホームセンターで朝顔ネットを買うなど余計な買い物に時間がとられてしまいました。ごめんなさい。おかげさまであなたのアイデアで作業を補足します。やはり私のやり方では台風対策が不足なことがよくわかりました。昨年まではいつもあなた任せだったので、気が付きませんでした。明日からは手直し始めます。「台風が来たらどうするのだ」と突き放したのを気にして、買い物であちこち回る車の中で夫は台風対策のアイデアを出してくれました。ホームセンターに寄り道をして補足用の朝顔ネットと結束バンドを購入しました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
May 17, 2017
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6月24日(退院2日目)朝7時59分昨夜の体重は43.2kg、これまでの最低だが仕方ない、3回もの手術を受けたのだからと思うものの、風呂に入る時に自らの裸を見て目をそむけたくなりました。そして自分が直視できない私をやはり友人知人の多くにさらしたくないという気持ちが働くのだなと自分で納得できた次第です。帰って来て見たマントルピースの上に飾られたふたりの写真、なんと健康的で楽しそうなことか、こういう時代の自分のイメージだけを残してこの世から退場したいというはなはだ情緒過剰の気持ちがあるのですね。現在の自分をさらしたくない気持ちが強く働きます。いずれにしてもお見舞いや用事の在る方でも電話さえ避けたいのであり、直接会うことはとても辛いことなのです。でもいつまでも隠し通せることではありませんので私の病気のことはある程度オープンにしても良いと思うようになりました。しかし誰であっても直接会うことは極力避けたいと思います。(中略)やはり自宅がいい、mawakoの傍が良い、食事美味しかった、昨夜はゆっくり休めました。ありがとう。退院した夜の体重測定はあまりも激しい減量であったので、ふたりの驚きは大きいものでした。私は夫の体重測定が辛いので退院する前に「壊れた」と言って処分してしまおうかとさえ思いましたが、夫はすぐ購入しようということになるだろうと思い処分せずに置きました。入浴時の体重測定は心臓が飛び出すのではないかと思うほど動機が激しくなるのでした。夫は私以上に体重減による自分の体のみじめな状態を嘆いて辛かったのです。他の人と会うことを避けました。我が家では妻に用事があっておいでになった方でも、その逆の場合であっても必ずと言い程、妻は夫を呼び、夫は妻を呼びふたりで対応しておりました。玄関先ですぐお帰りになられる方の場合でもそうでした。しかし、今回は「あなた、〇〇さんですよ」と、夫に声をかけるということは一切しませんでした。夜7時55分(妻の記録)昨夜は私もゆっくり休めました。今日のあなたはあまり体調が良くなかったようでしたね。あなたとの元気な写真を飾ったのを喜んでくれて嬉しい、実はたくさん飾りたかったのですが若い頃の写真ばかりなので、あなたが現実の自分を否定されていると思われるのではないかとふと考え込んじゃって一枚だけにしました。ふたりでとった笑顔の写真がまだあるのでフレームに入れて飾りますね。元気な頃のふたりの写真を見て元気をもらって耐病生活を少しでも朗らかなものにしていくことにしましょう。退院したのでまた、訪問看護を利用することにしました。そのことについて夫と話した内容です。訪問看護の件は何かを決めるときの判断基準から経済的な面を外した方がいいと思います。経済的には今は何も不自由しない状態なのですから生活の質を大切にしてお金を使うことがいいと思います。毎週でなくとも隔週ごとでいいのではないかという夫の提案でしたが、費用の問題ではなく、いざという時の安心料と思って毎週頼むことにしました。訪問看護料は思った以上にお金がかかるということが今回初めてわかりました。病院へ行くよりず~っとお金が必要です。緊急時や二四時間対応は使っても使わなくともお金が必要です。使わなかったからと言ってお金は戻りません。それにその月の契約金も必ずかかります。三割負担であっても家庭訪問看護料は年金生活をするようになってからの高齢者にはかなり負担になる費用だとびっくりしました。介護サービスとは異なり、訪問看護というのは簡単に利用できないものであることを初めて知りました。 日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。 」
May 4, 2017
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