2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全16件 (16件中 1-16件目)
1

■それは、ママゴンであった!の巻…σ(^◇^;)今年の7月のことです。仕事帰りのママゴンが チャリでコケて右ひざを割り 6週間の入院生活をすることになってしまいましたっ。ママゴンの これまでの不幸な経緯 【 ベスト5 】1昨年 会社をリストラされ なかなか仕事も見つからず…2なのに 12月には 金沢の父親 (私から見たらお爺ちゃん) が亡くなってしまい 死に目にも会えず…いまだ 墓参りも行けず…3そして 年明けには気管を弱らせ “急性気管支炎” にかかってしまい…4喘息のように 喉をヒューヒューならし 毎日 薬が手放せないのに…5極め付けに 右ひざの骨折までして!と ママゴンは 云う…。『まったく 最近 ロクなことがないょ。 仕事帰りだって言うのにさっ、労災も規定外だって言われるし。 どうすんのよっ(ーー;) ここのお金~ 入院の保証金で 3万円も要るんだって。 しばらく働けないし、支払いだってあるのに…。 あぁ~、爺ちゃんの墓参りにも行かないから 罰が当たったんだね。』とのこと。(~_~;)おまけに『そう言えば 細木さんの本に 大殺界だって書いてあったから それが当たったかねぇ~ どうせ当たるなら 宝くじにでも当たってくれればいいのにっ!』と言うありさま...。(ΘoΘ;)自分に起こる不幸は 爺ちゃんの罰が当たったと言い…はたまた 占いが 当たったと思ったり…ママゴンは 何かに 当たるのが お好きなよう ●~*(それじゃ~ 爺ちゃんも うかばれないなぁ~) と わたしは思ってしまいました。ママゴンに ひとこと 言える 許しが出たなら わたしは言いたぁ~い !!! (-_-;) 1: リストラされたのは仕方がないにしてもネ。 「あの仕事はダメ、これは遠いからムリ、給料が安いところは行かない。」 と、ダメになる 理由探しが 得意じゃ~…先には進めないわょ。 2: 爺ちゃんが亡くなった時だって 報せを受けた後の言葉ったら 「こんな状況じゃ~お金も無いし行けないもんっ!」 って 自分の親なのに お香典を気にするのも悲しいよ... 飛行機代くらいは何とかなるって言い寄っても 余計なお金が掛かるから そんなんじゃ足りないの!って駄々こねて… お金があったら 行く気はあったの? 3: 末娘が喘息で入院したとき…タバコを吸うのは換気扇の下にしようね…って話したら 「この家では、自由にタバコも吸えないのか!」 って言って タバコを投げ捨てて 「じゃぁ~やめるわょ!!!!」 って 凄い剣幕だったじゃない? でも タバコ今でも吸っている…。 急性気気管支炎さんに 吸わなくてもいい環境を与えられたんだと思うよ… 4: 薬に頼らなければ ゆっくり眠れないのは… 『今は 何かに頼らなければならないときなのよ…』 5: 右ひざの骨折は… “これから始まる 新しい自分への抵抗と恐れ… 自分自身のこれまでの振る舞いや意識など 少しずつ変化しなければならない時期… 今まで、十二分に自由でいたけどネ… そろそろ 変わる為の癒しが始まるよ♪” って ことだょ。 「骨を折る」 のは もうやめて 人生の 「骨(コツ)をつかむ」 時期ですよ ってこと なんだょ。 とくに 右側 は 男性的なエネルギーの現われ。争いや怒り 物質面の執着。夫や先祖。 ママゴンは独り身だから 今回は 暴力・争い・仕事に対するキャリアのない人への 批判など… それらのエネルギーが強すぎると 身体の右側にお知らせが来るの。けれど こんなお話は とてもじゃないけど ママゴンに言えない…退院して 何とか 仕事も行けるようになったママゴンですがその威力は たましいのサインを気にすることなく “スーパーママゴン” と化してくのです。(変わり方が違うっ!)やれやれ...。::::::::::::::::::::::::::::■ 追伸 ■::::::::::::::::::::::::::::進歩・向上・気づき は それぞれの 速度で良いと思っている はるはなですがそれに付き合わされる家族は ちょっと辛いものがあるかも…ρ(..、)ヾ(^-^;)と いつになく 弱気の文章で 締めくくりたいと思います。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::○o。. 今日も 最後まで 読んでくれて ありがとう~ .。o○また起こしくださいネ(*^^)v励みになります(*^_^*) >> 人気blogランキング へ
2006.09.30
コメント(4)

■好ましくないエネルギー好ましくないエネルギーとは わたしたち人間の進歩や向上の妨げになるエネルギーのこと。怒りや嫉妬、恨み、憎しみ、争いや戦い または 罪悪感や手放すことへの怖れ。幼いころに受けてしまったココロの傷 (インナーチャイルド)。または 自分を大切にすることを忘れてしまっている (自虐的行為) …など。これらは わたしたちの最善である道の大きな障害になってしまうこともあります。たましいは あらゆる方法で わたしたちのカラダに シグナルを送ってきます。例えば 不摂生な生活をしている人は、いずれ、身体の不調を訴えるでしょう…。 不摂生な生活が カラダを不安定な状態にしているのは もちろんですが これは『自分にも“愛”を与えなさい』 と言う たましいからのシグナルなのです。この人には 自分自身に愛を与える というメッセージを教えてくれる為の カラダの不快感だったのかもしれません。けれど どんなことが好ましくないエネルギーなのか 自分でも分からない人がいます。周囲から見れば それが一目瞭然だったとしても 長い間 好ましくないエネルギーを持ち続けていたことに慣れてしまっている人は 今まで自分が信じていた (しがみついていた)そのエネルギーを 手放さなければならないことに 大きな不安を抱く場合もあります。新しい考え 思考 未来像 本当の自分 愛…今の自分は 本当になりたかった自分なのでしょうか…?今日は 身近で起きた ≪骨折≫ のボディサイン について お話したいと思います (^^)/「今の自分は 本当になりたかった自分なのかなぁ」 って考え始めると“そうじゃない!” と思うと同時に“この (好ましくないエネルギーを持っていた) ままでも楽なのに…” と今まで 自分の持っていた エネルギーを手放す勇気が 持てずに 両者が ココロの中で葛藤し始めることがあります。すると たましい (無意識) のレベルで バランスを取ろうとするので カラダに変化が訪れます。そのサインが ≪骨折≫ です…「骨を折る」 や 「骨 (コツ) をつかむ」などの日本の言葉は スピリチュアルな意味でも よく出来ているなぁ~って思います。「骨」 は カラダの支えになっているので その支えが 折れてしまうと言うことは 新しい自分になることへの恐れだったりするわけです。手放すこと・新しい自分になることへの 恐れは 自分を攻撃するカタチで骨折という現れ方をするのだと思います。 本人にとっては カラダの自由が奪われるので とても厄介な事態です。おそらく 多くの人は 「自分の不注意よっ」 などと言って 降りかかった災難を 片付けてしまうかもしれません。けれど 骨折をすることで たましいの癒しが始まっているのです。まさに たましいレベルで 「骨を正す」 ということなのでしょう。本人は 自分に起きた事態が たましいからの癒しの合図...であることなど 知る由もないわけですが 『そろそろ変化の時期ですよ♪』 って 伝えられているということなのです。この ≪骨折≫ については 身近に良い例があるので今日中にお知ら出来ればいいなぁ~と思っています (^^)○o。. 今日も 最後まで 読んでくれて ありがとう~ .。o○励みになります(*^_^*) >> 人気blogランキング へ
2006.09.30
コメント(0)

はるはなブログへ ようこそっ ヾ(*'-'*)最近 少しずつだけど 家族のみんなが 自分に起こった ちょっとした “偶然” を 何か意味があるものかしら? と 気にするようになりました。それは とても嬉しいことですっ♪とくに その傾向が強くなったのは 主人と中2のお姉ちゃん。2人とも 「夢なんか 見ても覚えてないも~んっ」 と言う調子。けれど 今年になってから「ねぇ~お母さん これってどういう意味だったのかねぇ?」 と聞いてくるようになったのです。主人も ある出来事がキッカケとなり 珍しく (滅多に夢は覚えていない...) 夢を見た日はクローゼットの中を ガサガサとあさり「えっ~と…今日のキーワードは… ( ..) 」と ブツブツ言いながら 夢判断の本と睨めっこしていたりします。たぶん この1年に起きた 家族や知人の病気を始め 友人の不思議な体験話などから「そういうこともあるんだな~」 と 今まで身近な問題でなかったことが 視えない世界と繋がりを持つことに 気がつかされ 徐々に受け入れられるようになったのかなって思います。ココロやたましいのこと。人の発するエネルギーや それを受け取ることもある自分のこと。そして 自分に起こる出来事が 偶然に起こったことではなかったんだぁ~って言う気づき。いろいろ重なると 信じざるを得ないこともあったりします。だから スピリチュアルなことに 興味がある。ない。 の相違はあって当然のことで☆気づきも また それぞれの方法で☆…それで いいんです。その目が開くときのスピードも その瞬間も さまざまなタイミングが あるんだって はるはなは思っています。スピリチュアルな回路が 開くときは ちゃんと それなりの出来事が 自分にも用意されているもの。このブログに書いてあることは わたしが体験した出来事が ほぼ占めていますが その感じ方もそれぞれなので色々な受け取り方があってOKだと 思っています。スピリチュアルなことを感じていくと 少しずつだけど 願っていたこと ココロで思っていたことが 現実になる速度も 速くなっていきます。今度は 何が起こるかな~♪ って 楽しむことも出来ちゃったりするんですょ (^_-)-☆必要なときは ちゃんと (^.^) それにまつわる出来事が ゆっくり ゆっくり起こるから自分のペースで 確認しながら 受け入れる準備をしていくのがベストだとはるはなは思っていますです (*^_^*)○o。. 今日も 最後まで 読んでくれて ありがとう~ .。o○励みになります(*^_^*) >> 人気blogランキング へ
2006.09.29
コメント(2)

最近 わたしたち人間が発する “オーラ” という言葉を良く耳にするようになりました(*^^)スピリチュアルな世界が 身近に感じられつつあるのも 霊的なことを受け取る能力を持っている人が 勇気と信念を持って 様々なカタチで スピリチュアルな事柄を 発信してくれているお陰だと思います。よく 『霊の視える人』 と 『そうでない人』 という言い方をされますね。わたしの友人にも 霊的なものをカタチで捉える事が出来る人がいます。他の部屋で遊んでいたはずの子どもを 違う部屋で見かけたり道の真ん中で 老女が しゃがみ込んでいるのを見かけたり…そんな霊的現象を 度々 友人から聞かされる わたしは 「ほほぅ…」(*'o'*) と、うなずくばかり。 このように 視覚的に捉えられる人と 音や香り 気配やエネルギーとして受け取る人もいたりします。一般的に 視える人は 『霊的能力の優れた人』 と言われがちですが 感じるだけの人が『劣っている』 わけではないと思っています。それは だれもが 霊的な感覚を持って生まれているからです。「生まれる」 ということ自体が すでに 霊的でスピリチュアルなことなのですから♪ わたしは どちらかと言えば 視覚的に (視える) ではなく “感じる” 側の人間です。感じているだけなので もしかしたら 「勘違いかなぁ」 とか 「疲れているのかな…」 とか「気のせいね~」 って 自分の感覚を否定して信じることが出来ませんでした。それを 人に話すなんて もっと出来ませんでした…「それは 錯覚よ~」 と 変な顔をされるか 馬鹿にされるか のどちらかだわぁ~って思っていましたから…けれど わたしには 霊的な感覚に敏感な友人が多くいました。そのうち 決まった友人にだけは 感じていることを口に出来るようになりました。少しずつ 自分の感じていたものが 勘違いでも 錯覚でもなかったんだ~って思えるようになったのです。・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・先日 江原啓之さんと森公美子さんが スペシャル番組に出演されていました。ご覧になった方も 多いと思います。森久美子さんも霊的なものが感じられたり 視覚的に捉えることが出来るので 江原さんと一緒に 司会の中山秀行さんを霊視する場面になりました。同じ内容を ふたりとも違ったカタチで捉えているところは とっても興味深いものでした。イギリスのある霊媒者 (あちらではミディアムというようです) が言っていました。「おなじ事柄を 数人の霊媒者と霊視したとき 伝えられた内容が違うように思えても それは 霊媒者それぞれの霊視によって 視える角度が 異なっているだけにすぎない」 と。わたしたちは 曖昧な事柄には 意外と厳しい視点を持っていて 実験や検証によってだれが本物か… と比べようとしますが 捉え方、感じ方 視え方は 実に様々だということです。視える人でも どう解釈するかに迷うときだってあるし 感じるだけの人が 正確な捉え方をすることだってあるのですから。* オーラの視える人。* 透視の出来る人。* エネルギーを感じてリーディングする人。* 視えなくても地球の自然を感じることが出来る人。* 自分のエネルギーによって ある種のパワーを与えられる人。* これって偶然っ♪(*^_^*) が多い人。* 今 思ったことが 近い未来に現実化する人。* 悩んでいた答えを身近なところから見つけ出すことの出来る人。。。etcみぃ~んな みんな スピリチュアルな人♪本物か そうでないかを見極めるのも わたしたちの “感じるチカラ” に 頼るほかありませんね。(^_-)励みになります(*^_^*) >> 人気blogランキング へ
2006.09.28
コメント(0)

はるはなのブログを見つけてくれて ありがとう♪そして いつも 足を運んでくれる みなさまにも ココロから感謝します☆ !(^^)!こうして活字の世界で出逢えることも わたしは 決して偶然ではないと思っていますここは “感じること” をテーマにした はるはなのブログです☆☆☆ どうぞ ヨロシク ☆☆☆◎---------------------------------------------------------------◎朝起きて 天気の良い日は 空気がスッキリしていて気持ちが良いものですネ (^^)ふっと見上げると 真っ青な空に ポカンと浮いた白い雲「 何のカタチに見えるかなぁ~ 」って 幼いころは いろいろな想像をしたものです♪大人になると なんだか忙しくて空も見上げちゃいられない…せいぜい 今日は 雨が降らなくて良かった~って 仕事の行き帰りや 洗濯物を心配するくらい…空気の清々しささえも感じること忘れちゃってる…「 あっ そろそろ 雨が降りそうな匂い! 」空気の匂いで 感じていた 若いころ「 あっ 金木犀の香り~ 」って 秋の香りにワクワクしていた子どものころそれが 今ではあっ!コロッケの揚げた匂いっあっ!秋刀魚の匂い~って 夕飯のおかずを連想してる…はるはなは 思いますどんな場合でも感じることってとっても大切なんだぁってそして 感じたことを話したり 表現したり することもものすご~く 大切♪けれど もっともっと大切なことが あるそれはねココロで 感じたことを“ 認める ”“ 受け入れる ”ということちょっと 大変だって思う人が いるかもしれないけど慣れてくれば出来るはずっ(*^_^*)『 自分は 今 こんな感情なんだぁ~ 』っていちばん 残念なのは…感じているのに 気づかないふりを しちゃうこと... 悲しい ...... 辛い ...... 苦しい ...ココロの中に閉じ込めて知らん顔してもだめだめっ o(>> 人気blogランキング へ
2006.09.27
コメント(0)

おはようございます☆ 今日は頭の中が ボーっとしている はるはなです。10月の末娘の喘息入院のあと わたしは こんな本に出会いました。( 手許に本がなくてウル覚えですが…一文を紹介します ^^; )病気は 本人の内側にある不必要なエネルギーの表れであるこれは そのとき置かれていた わたしの環境が まさに この言葉 そのものでした。ココロの内側にある 好ましくない感情やエネルギーを手放すことにより そのエネルギーが開放され 症状が少しずつ変化していく… というものです。もうひとつはときには 愛を伝える為に病気を選択する たましいもありそれは 本人と関わる人々に向けられた“愛のメッセージ”わたしは この言葉を目にしたとき、末娘の入院は “愛のメッセージ” だったんだぁ~と確かな感覚で受け入れることができました。読んでいた本を閉じ、この数週間の自分や家族のことを思い返していました。末娘の入院によって、母の存在がとても有り難く感じたのは事実です。居てくれなかったら…を思うと わたしは家のことが心配で仕方がなかったと思います。けれど 母が仕事を辞めてからの数週間 正直 わたしは 母のエネルギーに とても疲れていました。 ゆっくり休みたいと思っていても せわしなく動く母を横目に 心を落ち着けることが出来ませんでした…本人も ゆっくり、のんびりとは していられない性分です。一日中、母と一緒だった わたしは、神経が疲れていました。そのため 夜は子どもたちより早い時間に眠っていました。眠っても、眠っても 精神の疲れは取れないのです。心と体を癒すために わたしは、大好きな温泉に行ったりもしました。ひとりで遠くへ行くわけにはいかないので、近所の温泉や銭湯を利用しました。末娘の入院で付き添うことになったわたしは、娘と同じベッドで添い寝をしまければならなかったのですが、娘と一緒のベットでも 精神的にかなり落ち着けたような気がしています。「チビが、ママをゆっくり休ませてくれたんだね♪」と主人にも言われて わたしは 本当に そうだ! と思いました。愛を伝える為に…娘は わたしたち家族に 愛を伝えるために 少しの間だけ病気になってくれたと、わたしは 思っています。これだけは、娘には 感謝せずにはいられない出来事でした。もし 自分のカラダに不調が現れてしまったら、これは自分へのサインなのか、それとも 自分と関わりのある誰かに 愛を伝えるためのサインなのかは、すぐには 判断できないかもしれません。 そういう場合は、どちらも考えてみると良いかと思います。不調になった 胃や腸、肩や腰、手や足の各部位も サインを知るための大切な判断材料です。それでも 納得できない場合は 具合が悪く (病気に) なったことで 周囲が どんな愛を与えてくれたか、また 自分自身が周囲に対して どう思い、何を与えたのだろう?などを 静かに感じてみると そこに たましいから自分へのメッセージが隠されていることに 気がつくでしょう。これからは ボディサインには どのようなものがあるのか、という詳しい内容も徐々に書いていきたいと思っています。 ( ..)φ励みになります(*^_^*) >> 人気blogランキング へ
2006.09.27
コメント(0)
■娘のケース...不運にも 『病気になる』 ということは、内面的 (精神的) な部分にも原因が 隠されている可能性が (も) あるょ… と、それをここでは “たましいのボディサイン” と表現してます。これは、誰が悪い、何がいけない、環境のせいだ、と…外部を責める 明白な材料を見つけるため の考え方ではありません。最近では、ストレスが及ぼす身体への影響が 数多く取り上げられていて 昔よりは、医学に頼り切りの考えでは なくなったかな?と感じています。けれど、ストレスというと 自分の内側…というよりも ストレスを与えた (与えられた) 外側 (誰か・何か) の方が、悪魔のような言われ方をしてしまいます。病気は、その病気に好かれてしまった自分の内面を見直すプロセスです。それは、わたしたち人間が たましいの進歩をしていくための経験だと思っています。ならば健康な人は、進歩できないか? と問われそうですが、そうではありません。また、病気なのに何が進歩だ! と怒る人もいるかもしれません。今までの自由を奪う病気 (災難・困難・苦痛) によって、より意識が自分の内側に 向くように仕向けられた たましいのシステムだと、わたしは思います。そうでもされないと 外部にばかり責任を求めてしまい、自分の進歩には繋がらないからです。それは、最初の段階では、本人の イチ番 カラダの弱い部分に出てきます。例えば、もともと、気管が弱い人は呼吸器系に…扁桃腺が腫れやすい人は、扁桃腺から熱を出したり、物を飲み込むのが困難になります。胃腸が弱かった人は、胃に何かしらのサインが表れるでしょう。病気は、場合によっては、病気になった本人の家族に対するサインのときもあります。本人も内面をもっと意識するように、と サインを送られている場合もありますが、その家庭は少なくとも 病気になった身内を見舞ったり、看病したり、それによって 協力し合ったりしなければなりません。放っておけない環境にある者にも サインは送られている場合があるのです。幼い子どもが 病気の場合は どうでしょうか?まだ いくつにもならない子どもに 自分の内面を見つめるため、メンタルな部分に意識を向ける… などとは、子どもは とても理解できないことです。我が家のように 3歳の娘が喘息の発作で入院したのは、娘が意識的にメンタルな部分(病気にならなければ気がつかないであろう部分) に気がつかせるため、また、その原因を家族に 知らせるために 病気になってくれたのではないかと思っています。その頃、色々な問題を抱えていた 『わたしたち家族への たましいのサイン』 だったと、捕らえた方が、自然のような気がしてなりません...。病気は厄介者に思われても当然ですが、病気にも伝えたいことがあるのだと思います。
2006.09.26
コメント(0)
■ママゴンに感謝...幼いながらにも3歳の娘も 今までとは少し様子の違う家の中を感じていたのかもしれません。もしかしたら、医者が言うように 涼しくなった秋風が喘息を誘発したのかもしれません。さらに外は、雨が激しくなってきています。こんな夜は、夜間だと言うのに病院内は 昼間のように騒がしいです。あちらこちらで、発作を起こしている子どもが 乾いた咳をしています。中には わたしくらいの大人も数人いました。 とても苦しそうで、今は発作の症状はない わたしでも 咳き込みたくなる雰囲気でした。わたしはソファー横たわる娘の横で 背中をさすりながら、自分が喘息で苦しかったときを思い出していました。 あの頃の環境から照らし合わせてみると、この発作が偶然に引き起こったとは思えませんでした。順番が来て、診察室へ入り 先生と、これまでの経過を話していると、やはり「こういう時期ですからね~発作も起こりやすくなっているんですよ。 今日は、しばらく喘息の発作が出なかったと言う人まで来院されてますから ちょっと待たせてしまって、すみませんね…」 と言われました。娘は処置室へ連れて行かれ、吸入と同時に点滴を受けました。これをすれば、苦しいのが治ると本人も分かっているようで、点滴針を刺すときは 看護士がビックリするくらい 静かにしていてくれました。それから、45分…点滴が効いてくれるのを待ちながらソファーで娘の様子を見守ることなりました。けれど、一向に良くなる気配は無く、「もう1本入れてみましょう」 と先生に言われ さらに45分待ちました。指には、体内の酸素レベルを示す 洗濯バサミのような機械が付けられました。数値は “91” です。このレベルは、階段を一気に 3階から4階くらいまで駆け上がった時の体内酸素レベルだと言うことが分かりました。ここへ着いてから、レベルの数値は変わりません。そして、2本目の点滴が終わった頃、その数値を見ると “95、6” になっていました。娘がウトウトと眠りだしたので、さっきより良くなっているのが わたしにも見て取れます。けれど、看護士は言います。「このレベルでは、まだ 100メートルを一気に走ったときの数値くらいなんですよ…。」(そっかぁ~、眠りながらリレーをしているようなもんか…) と、わたしは思いました。「3本目…やりましょう。それとも入院していきますか? この状態だと、3本目を入れても 帰宅後、また来ることになるかもしれませんし。」そう言われて、時計を見ると 12時を回っていました。わたしは、これが終わったら、帰れると期待している娘の顔を見て「どうする?お家に帰っても、また苦しくなったら また この針を入れなきゃならないね。 今日は、病院のベットで ネンネしていく?」すると、娘は、「治してから、かえるぅ…」 と、小声で言いました。「病室…空いていたら、入院させてください。」看護士は、入院の手続きに必要な書類を持ってきてくれて、「病室の準備が終わったら、呼びに来ますから」 と言って、点滴を替えて行きました。わたしは、娘を外から見える位置に移動させて、扉を出て 主人に電話をかけました。主人は、必要な荷物を持ってきてくれました。ここの小児病棟は 付き添いが必要で、わたしが娘に 付き添うことになりました。幸いにも 連休が重なる入院なので、わたしは、主人の仕事に影響がないのことに安心しました。家事の事も 「あぁ~母がいてくれて良かったなぁ。」 と、しみじみ感じました。付き添いには、食事が出ないということだったので、次の日から 母の差し入れが届くようになりました。娘の入院は、母がいてくれた有り難さを痛感せずにはいられない出来事でした。
2006.09.26
コメント(0)
■息子 -対- ママゴン何をしていてもママゴンに叱られてしまう小5の息子は、その日の気分によって 態度の違うママゴンに対して こんなことを言われただの、やってただのと ここぞとばかりに 逐一、報告してくれます。息子の気持ちも分からなくもありません…けれど、ここで息子に共感していたら、わたしと仲間意識みたいなものが(本人が勝手に思って...) 生まれてしまって、息子がママゴンを馬鹿にした態度を取るかもしれない…とわたしは感じ 「そのうち、ちゃんとママがお話しするからさっ。」と、言うしかありませんでした。そのような報告は、主人からも聞かされることがありました。主人は、自分の母親なら言えることでも わたしの母には言えないと言うことでした。(誰でもそうだと思います…)今、息子は 不公平さや不平等だと思う気持ちを 言葉や態度に表現します。表現するのとしないのと…と聞かれると、表現しておいた方が良いと、わたしは思っていたのですが、ママゴンに対しての不満には、立ち所がありません…学校での出来事も そう言った気持ちがあるためか、「誰々がこんなことをしていたのに先生は怒らなかった」 とか「お姉ちゃんは、こうなのに何故、自分は…?」 などと、常に不平不満を口にします。その対応に 頭を抱える わたしは、相手がママゴンだと ますます疲れてしまいます。機嫌を損ねると、「夕飯は食べない」 とか、「私は今、非常に機嫌が悪い!」と言わんばかりに 床をドンドン歩くなどと、正直、ママゴンの機嫌を損ねてしまうと、わたしだけではなく 仕事で疲れて帰ってきた主人までもが 緊張感に包まれてしまうのです。ある意味、恐怖感もあったりしました。ある人の話だと、今まで真面目に仕事をしてきた人だから、パワーが有り余っているのよ♪と、慰めてくれたりしましたが、ママゴンのそんな態度に、わたしが気が付かない振りをしていると、当時、中1の娘が機嫌の悪いママゴンの気分を変えようと 話かけた時、「あ~ちゃんは不機嫌なのっ!」 と怒鳴ったことがありました。これは、ただ有り余っているパワーがさせている言動とは、感じられるものではありません。そういった状況を避けるために、しばらくの間は 誰も何も ママゴンの機嫌を損ねるような頼み事は出来なかったのです。少しずつ、家庭の中に微弱な振動が生まれ始めていました。もう少し、わたしがしっかりしていたら…自分にのしかかる責任というのか重圧というのか…落ち着かない思いで これから ママゴンと同居になるのか、どうしようか…と、わたしは考えるようになったのです。そんなある日、3歳の娘が喘息の発作で病院へ行くことになったのです。
2006.09.26
コメント(0)
■主人の折り合い方起きているときのママゴンは、台所に置いてある古いディスクトップ型のパソコンで好きなテレビを見ています。性格的に翌週まで待たなければならない連ドラは、イライラすると言う事で 中1の娘は、見たいドラマを諦めることになりました。2時間のサスペンス物が放送される日は、台所のパソコンは母の専用になってしまいます。テレビを見ながら、タバコを吸ってコーヒーを飲むという光景がママゴンのくつろぎスタイルです。わたしたちは、子どもたちと一緒にテレビを見ることも少なくなりました。この時期は まだ、母との同居を決意していなかったので、一時のこと…と思っていたのです。わたしも主人も喫煙者なので、タバコを吸うときは 『換気扇の下』 の小さなスペースが唯一の喫煙席です。けれど、主人は、気が向いたときにしか そこでは吸いません。ママゴンがテレビを見ているとき、当時3歳だった娘が「ねぇ、ねぇ♪」 と言って、無邪気にママゴンの周りに まとわり付きます。その度、灰皿の上で燻されているタバコの煙を吸って、何度もむせ返したり、くわえタバコの火に触れそうになったり…それを見ていた主人が、自主的に換気扇の下で吸うようになりました。「こうしていれば、いつかは気が付いてやってくれるょ☆」 と言っていました。他人を変えることは出来ないけど、自分が変わることで気が付いてもらえる…主人は、そう思っていたのです。わたしは、ママゴンにも それとなく お願いをしたことがありました。けれど、子どもたちのいない時は、堂々たるもので、くわえタバコで家事を済ませるので、時々灰が床に落ちているのを見かけます。小学生の息子も「あ~ちゃんったら、部屋の中で タバコを吸いながら歩いてるょ~」と、いちいち わたしに教えてくれます。(分かってるっちゅうねん...)「そうね~でもママが言うからね。」と、余計な事は言ってくれるなょ…とヒヤヒヤものでした。ママゴンに どうやって伝えたら良いのか迷っていたわたしにとって、主人のその言葉にはココロが救われた思いでした。
2006.09.26
コメント(0)
■ここ1年の我が家の事情 ≪2005年10月≫当時、ママゴンが会社からの不当な扱いを受けて、そろそろ我が家で同居を始めようかな~と、準備をしていた頃でした。ママゴンは、都内の自宅には帰らず、仕事が終わると まっすぐここへ帰ってきていました。そして、最後の仕事を終えた日から、数週間が過ぎていました。その間、チラシの求人欄を見ていたり、フリーペーパーを眺める毎日でした。わたしの心情としては、ゆくゆくは主人の母親との同居を考えていたので この時期に ママゴンと暮らす方が良いのか、どうなのか…とても悩んでいました。ママゴンは長い間、都内でひとり暮らしをしていました。わたしとママゴンの関係は、親子というより姉妹のようであり、友だちのようでもありました。そう言うと「母親とそんな関係になれるなんてステキじゃない♪」と言われるのですが、それは、思春期時代に母親と過ごしていないわたしの母親と親子になりきれない薄い壁のような感覚でした。常に 「自由がイチ番」 のママゴンです。家庭という枠を 煩わしいとさえも言っていたときがありました。(これは、誰かと折り合って過ごすことの出来ない 母の強がりかもしれません。)その自由奔放な生活は、ここへ来てからも続けられました。日を追う毎に、わたしのため息が増えていきます。時には、主人でさえ、我が家にいながらママゴンの行動に落ち着かず、遠慮がちな態度も見受けられました。自分自身の痛みや苦労には慣れているわたしですが、主人や子どもたちが 言いたくても言えない状況下にあるのは、申し訳ない気持ちがあり その頃は 何よりも心苦しい思いでした。そのママゴンと2DKのここでの “半同居” は、今後の予行練習のようでもありました。家族の誰もが 多少なりとも相手の立場になったり、譲り合ったりしなければならない生活です。 おそらく、どこの家庭にでもある光景だと思います。ママゴンは、二段ベットと二つの机がある子ども達の部屋に布団を敷いて、自分の僅かな荷物に埋もれながら床につきます。 決して、落ち着いて眠れる環境ではありません…ママゴンへ、ゆっくりと眠れるスペースも確保してあげられないことも わたしの悩みの種でもあったのです。
2006.09.26
コメント(0)
■娘の入院昨年10月に イチ度、近況報告としてブログに書いた内容と少しカブってしまいますが…(時間があるときにでも 以前のブログ も読んで見てください。)今日は、この1年間に わたしの身辺で起こった、友人・知人・家族の病から末娘の喘息入院とママゴンの急性気管支炎のお話をして見たいと思います。(※ママゴンの急性気管支炎のお話は、ちょっと あとになりますが…。)当時3歳だった娘の入院は、昨年10月のことです。娘が、息苦しさを訴えたので わたしは病院から処方されていた薬を飲ませました。けれど、効き目は一向に表れません。喘息の発作は、夜中に悪化しやすいのを自分の経験からも よく分かっていました。0時から3時あたりが、喘息患者のイチ番多い時間帯でもあります...。時計を見ると、まだ21時です。このまま様子を見ても、夜中に病院へ行くことになれば、季節の変わり目であるこの時期は、小さな子どもが大勢来ているはずです。診察や処置の順番待ちのために、長い間、病院のソファーで娘を待たせなければなりません。わたしは、早めに行って点滴をしてもらえば、今夜中に帰って来て、娘をゆっくり眠らせることが出来ると思っていました。けれど、病院へ着くと救急車が次々と急患を搬送してきます。待合室では、さっき診察を受けたであろう 娘より小さな子どもが点滴をしていました。まだ早い時間帯だと言うのに 予想以上に病院はバタバタしています。外は、小雨が降っています。季節の変わり目の秋の雨…喘息を持病に持つ人には、つらい夜です。どうやら、今夜は時間が掛かりそうだと わたしは思いました。娘の入院にまつわる お話の前に、当時の家庭事情を お話しておく必要があるかもしれません。 ( ..)φタイトル: 私的空間 □△※×○【1】 ■ここ1年の我が家の事情 ≪2005年10月≫タイトル: 私的空間 □△※×○【2】 ■主人の折り合い方 ≪2005年10月≫タイトル: 私的空間 □△※×○【3】 ■息子 ..対.. ママゴン ≪2005年10月≫タイトル: 私的空間 □△※×○【4】 ■ママゴンに感謝... ≪2005年10月≫
2006.09.25
コメント(0)
■身近な人物から…ここ1年 “病気”“事故”“ケガ” に悩まされている人が、わたしの周りには大勢いました。「そろそろ、あなたも気をつけなさい。」「不都合と感じる根本的な原因に気がつきなさい。」と、視えない誰かからの忠告のようでもありました。それは、わたしたち家族を見守ってくれている、たましいの声なのかもしれません。けれど、これらの不運とも言える出来事は、直接 自分の身に起きたことではないので、根本的な解釈ができたからと言って、相手に告げるべきかどうかの判断に困りました。昨年の娘の喘息入院から始まり、急性気管支炎、大腸癌と続き、骨折や原因不明の腫瘍…等など。日常の生活が困難になるほどで それらは、カラダの自由が奪われる症状であり医学的な病気の原因の他に何かあるのでは?と思わされるような症状ばかりが、身近で聞かされ続いたのです。いつかのブログで書いたと思うのですが、こんな出来事が昨年末から重なり、わたしのブログ離れの原因にもなりました。たましいのメッセージは、いろいろです。その人それぞれに感じ方や捉え方があります。夢で啓示を受ける人、エネルギーで読み取る人、自分以外の人からの言葉で感じ取る人。こうして見ると、たましいのメッセージを感じられる人は 『時別な才能がある人』 のように思われがちですが、そうではありません。わたしたちは、みな霊的な感覚を持って生まれてきています。小さな出来事から、早めに察知できる人もいれば、あの手この手でサインを送っても なかなか気がつかないでいる人もいます。それは、行く手に小石を置かれ、気がついて対処しながら通る人。または、巨石を置かれても避けて何とか通る人…といった感じです。さすがに自分の行く道に巨大な石を発見したら、気がつかないでいるには鈍感すぎます…その巨石が、この世で言う 『病気』 なのではないか、とわたしは思っているのです。たましいの気づきのための出来事 (方法) として、病気は、最終手段だと思っています。決して、曖昧じゃない 一切の自由を奪う病気は、自分の内面的な何かに気がつかされる最大の気づきのプロセスなのです。症状の軽いときに、それの意味する内側に気がつくことが出来れば幸いです。けれど、人間のココロとは厄介なもので、自分に不都合なことは、外部からやってくると思いがちなのです。本当に崖っぷちに立たされないと、なかなか意識が内面に向いていかないのも事実です。この1年、わたしに関係深い大切な友人知人、そして家族によってわたしは “たましいの(ボディ)サイン” をより深く確かなものとして感じられるようなりました。また、ママゴンの大切な父親(祖父)が、遠い石川県の町で静かに息を引き取る7日前に わたしやママゴンが受け取った “報せ” も併せて、これからブログに書き記したいと思います。
2006.09.25
コメント(2)
■気のながぁ~い買い物もともと、わたしは、洋服や装飾品・化粧品などに金銭を掛ける方ではないので、おそらくあまり、お金のかからない女?だと、自分では 思っています。それらに 興味が沸かない…と言うわけではないのですが、それが自分にとって、今、本当に必要なのかどうなのか、考える時間が、わたしには必要だったりするのです。今年の夏休みのこと。中学生の娘が 洋服を買いたいと言うので、オープンしたばかりの大型ショッピングセンターへ行くことになりました。 入ってすぐのアクセサリーショップに 娘が走って行き、ヘアーピンやネックレスなどを手に取って、ルンルン♪ o(^-^o) (o^-^)o しています。そのすぐそばに、様々なデザインのピアスが ズラッ、と並んでいました。「わぁ~可愛い♪」思わず口に出てしまうくらい、女の子の買い物は、見ているだけでも楽しくなります。(男性には、うんざりする光景でしょうけど…^^;)その中に、ひときわ目立つ (多分わたしだけ) ピアスを発見!2センチほどの扇子を広げた形をしたピアスです (*^_^*)よく見ると、扇子の一枚一枚に薄っすらと 和風の彫り物が施してあり、実にリアルな感じが出ています。 わたしにしては珍しく 物に一目惚れっ♪ シルバーと、ゴールドの二種類があり、どっちが良いかしら~(^。^) って 手に取り、とうとう鏡の前で 自分の耳に当てたりしてしまいました。それに気がついた娘が、「お母さん、それ可愛いねっ♪買えばっ!」 と容易く言ってくれます。それが、わたしには悪魔の囁きに聞えるときがあるのです。(いいえ~そう簡単には買えないの。もう少し時間が必要なのょん☆)と思いながら、「うん…そうね~でも今日は、お姉ちゃんの洋服を買いに来たから、お母さんのは、あとで。 買い物が終わってからでも良いかなっ」と言って、その場を離れました。ここから、わたしの “必要な時間” が始まるのです。娘の洋服を選んでいると、当然、さっきの扇子のピアスが気になって「もし、あれを買ったら、どんな服に似合う?」 とか、「もし、買うならシルバーとゴールドのどちらが良い?」 とか「もし、買ったとしたら 今付けているピアスみたいに付けっ放しなんて、出来ないわね?」などと、ココロの中で “自問自答” が始まります。(しかもピアスに1800円もかけられない?) などと、諦めモードに入る準備までします。(娘の洋服一着分かぁ~) と思いながら、お昼を食べて、さりげなく アクセサリーショップの前を通り過ぎます。けれど、今日、欲しいと思った物を今日買わないのが わたしの性分(?)それは、一目惚れをした物なら、尚のこと 何日も考えたりしちゃうのです。とにかく、今日は、一時帰宅! と決めて、車に乗りました。娘が 「あっ!ピアス、買わなかったじゃん!」と、まるで自分の大切な買い物を忘れたかのような大声で叫びました。「いいょ♪今度で~(^。^) ここへ来る楽しみが増えたしね~♪」と、わたしが言うと、「だって、売れちゃっていたら、悲しいじゃん!可愛かったのにぃ~」と、今にも 「戻ろうよ!」 と言いそうな勢いで、わたしに訴えてきます。「売れていたら、そのピアスとは “縁” が無かったってことだから、いいの。 欲しくて、次に行ったときに残っていたら、その時は買うからっ♪」「ふぅ~ん…わたしは、待てないな。」なぜ、たかがピアスひとつ買うのに そんなに時間をかけるのかと家族にも言われます。ピアスだけに限らず、自分のもの 全てにおいて そうなのです。いいなぁ~と思っても、いったん売り場から離れて、その品物がいつまでも気になるようじゃないと 買おうっ!と思えないのです。買ったあとの失敗を避けるためだけではありません。かといって、1800円に渋っているわけでもないのです。どうやら、自分のものとなると、パッと買えない性分のようです~こればっかりは、仕方がない… (-_-;)この性分が、人様に ご迷惑をお掛けしようものなら、直す努力は当然のことですが、今のところ 被害者はいないようなので スタイルは続行中…「売れて、あとで後悔しても 知らないよ~」 と言われますが、幸いなことに 売れてしまって、ガッカリ後悔したことは、今までにイチ度もないのであります。「やっぱり…可愛かったから売れちゃうわね~♪(当然☆当然☆) 今度、同じのを見つけたら、その時は 物との “縁” を信じて、潔く買おう!」と、こんな具合になるのです。けれど、昔から そうだったわけではありません。買いたい!と思ったものは、パッと買ってしまう衝動的な部分がありました。けれど、ワンシーズン着て、そのままタンスの肥やしになっている洋服が、衣替えの季節になると、イヤと言うほど タンスや衣装ケースから出てきます。いつかまた、着られるだろうと思って、たたみ直して片付けても 結局、次のシーズンまで忘れ去られたまま…何年も たたんでは片付け、たたんではしまい込み…を続けてしまうのです。わたしは、100円ショップでも 「安いから~」 といって、買ってみたものの サイズが違っていたり、多く買いすぎたりして、あまったのは 「今度使おう~」 と思っても、あることさえ忘れて、別のものを買って 流し台の奥の方に追いやられてしまったスポンジや洗剤、排水溝のネット、金ダワシ、シンク補強テープなどが タンマリあったりします。結局、安物買いのなんとか…なのです。それならいっそのこと、面倒でも必要なときに必要な分だけ…を徹底すれば無駄が省けるかな?と、思ったのです。わたしたちの生活は、本当に必要な少量の物で賄えるのではないかなぁ~…と、はるはなは思ったりします。物が溢れすぎていて、自分にとって本当は何が必要なのか…物を見る眼も 物の多さに慣れてしまって、目に映るもの全て必要だと錯覚してしまっているのでは? と、はるはなは 思うのです。その後、ピアスはどうしたか?と言いますと。あれから何度か、扇子様の様子を見に行きましたが、まだ、飾られてありました。けれど 買ったつもりの “つもり貯金” に、1800円をチャリン~♪と入れて、わたしの許に扇子様を置いた気になって、来年まで お預けです。きっと、ご縁があったなら 来年の夏、また お目に掛かることができるでしょう☆わたし。決して、ケチなんかじゃ~ないのっょ.. (*^。^*)
2006.09.24
コメント(1)
■活字中毒おはようございます(*^_^*)ベランダの窓を開けると、近所の庭に咲いているキンモクセイの香りが、わたしを懐かしい思い出の場所へ連れて行ってくれそうで、何となく気持ちが ソワソワしている はるはなです☆ブログを放ったらかしにしていた11ヵ月。。。と言っても、ほとんど1年です。1年と言うのは、実にあっと言う間☆ あれよ、あれよ、と過ぎてしまったようであります…わたしは?と言うと、暇な時間は 近所の図書館へ行って 本を読み漁る毎日。たぶん、30~40冊以上は 軽く読んだかな~と言う感じです。まず、図書館へ行くと、必ず立ち寄るコーナーがあります。すべての背表紙が、眺められる位置に立ち、何も考えずに ザッと見渡します。すると、他の本とは少し様子が違う背表紙に目が留まります。タイトルが光っているとか、浮き上がっているとか、そんな特別な感じに 見えるのではなくただ、なんとなく気になるといった感じです。昨日は、ちっとも気にも留まらなかった本でも 次に行ったときは、手に取ってみたくなるまで惹かれてしまうのです。そんな感覚を楽しみながら 「これも何かのご縁♪」 と思いながら、他にも気になる数冊をカウンターへ出して、家まで続く一直線の道を ワクワクしながら自転車を走らせ帰宅です。さっさと家事を済ませ、午後から夜にかけて、わたしの読書タイムが始まります。以前は、図書館などには行かず、大型BOOK店に行き、インスピレーションで パッと買ってしまったものです。本に限ってだけは、この直感的な買い方 (衝動買いとも言う…) が大好きで いつのまにかクローゼットの中にあるBOXが たくさんの本でビッシリになってしまいました。仕方なく、処分するものとそうでないものに分けて、数ヶ月前、後ろ髪を惹かれる思いで、古本屋へ持って行きました。今年に入ってから、みんなが寝ている早朝の2、3時間だけパートに出るようになりましたが本を読む時間も そうそうないだろうと思っていたのに、自分の時間が少なければ少ないほど活字を眺めなければ落ち着かない自分を新たに発見。「そんなに眠いなら、本なんか読まずに 眠れば良いのに…」家族の誰もが思っていたことでしょう。自分でも 眠たいのに どうしてだか分かりませんが、本を読んでいる時間が大好きなのです。なんだか、翌日のエネルギー補給をしているような感じです。スピリチュアルな本やエッセイが多いので、先が気になって本を閉じられない…というわけではありませんが、どんなに眠くても数ページに目を通してからでないと 気になって仕方がないのです。活字の苦手な人には 「本でエネルギー補給?!余計疲れそうだわ~」と、理解に苦しむかも知れません…けれど、わたしにとって本は はなくてはならない存在のようであります。最近、本当に必要なものだけを手元に置くように心掛けています。部屋を見渡してみると、一年以上も触っていない (あったのも忘れている) 物が、結構あるものです。 本の整理をしているときも 「この本は、いつ買ったっけな?」 と、懐かしくページをめくると、ついつい先が気になって読み返してしまい、たかが数十冊の本の整理に 4,5日も費やす始末。再度読み終えた本を棚へ戻すとき、「この本が今度開かれる時は、また本棚を整理するときかしら?」そんなふうに考えてみると、何年先に開くか分からない本を、このまま残して新しい本を増やしても、窮屈な住宅事情は改善できない…これからは、本を買うのも少し考え、何度も読み返したいなぁと思う本だけを購入することにしよう!と心に決めました。そして、買った気持ちで 「○○したつもり~」 の “つもり貯金” を始めてみたのです。(☆☆ これが意外と貯まるのです ☆☆)パートを始めて家計を引き締めるようになったせいか、このチリのような働きが少しずつカタチになっていくのを眺めているのも楽しいものです。図書館へ行くのは、本当に手許に置きたい本の下見をする場でもあり、今、決め兼ねている問題のヒントを見つけるナビゲートでもあり、ココロの中の霧をスッキリする場所でもあり♪ (*^_^*)また “つもり貯金” が、少しずつ増える 別の楽しみもでもあるからっ♪やめられないのかもしれません。活字中毒のわたしと図書館のお付き合いは、当分 続きそうでありますっ ヾ(*'-'*)
2006.09.24
コメント(0)
久し振りにブログに向かっている、はるはなです。みなさん、元気でお過ごしでしょうかぁ(^.^)ほぼ1年振りですっ!なぁ~にをしていたの?って感じですが、今年に入ってから、仕事を始めたので時々、ブログの変なコメントを削除するくらいしか体力が持たず…夜は早い時間に お布団と仲良し~でした...σ(^◇^;)寝る子は育つと言いますが…わたしは、1歳年を重ねただけ...みたい●~*さて、1年経ってしまったので、ボチボチ、ブログのリニューアルをしようかなっと思っています。時間は掛かりそうだけど頑張ってみるっd(^O^)b年内には!を目標にしてっ☆(って長すぎ?)今まで、様子を見に来てくれていた方たちに感謝します♪ありがとっ
2006.09.15
コメント(1)
全16件 (16件中 1-16件目)
1


