ここ1年 “病気”“事故”“ケガ” に悩まされている人が、わたしの周りには
大勢いました。
「そろそろ、あなたも気をつけなさい。」
「不都合と感じる根本的な原因に気がつきなさい。」
と、視えない誰かからの忠告のようでもありました。
それは、わたしたち家族を見守ってくれている、たましいの声なのかもしれません。
けれど、これらの不運とも言える出来事は、直接 自分の身に起きたことではないので、根本的な解釈ができたからと言って、相手に告げるべきかどうかの判断に困りました。
昨年の娘の喘息入院から始まり、急性気管支炎、大腸癌と続き、骨折や原因不明の腫瘍…等など。日常の生活が困難になるほどで それらは、カラダの自由が奪われる症状であり
医学的な病気の原因の他に何かあるのでは?と思わされるような症状ばかりが、身近で聞かされ続いたのです。
いつかのブログで書いたと思うのですが、こんな出来事が昨年末から重なり、わたしのブログ離れの原因にもなりました。
たましいのメッセージは、いろいろです。
その人それぞれに感じ方や捉え方があります。
夢で啓示を受ける人、エネルギーで読み取る人、自分以外の人からの言葉で感じ取る人。
こうして見ると、たましいのメッセージを感じられる人は 『時別な才能がある人』 のように思われがちですが、そうではありません。
わたしたちは、みな霊的な感覚を持って生まれてきています。
小さな出来事から、早めに察知できる人もいれば、あの手この手でサインを送っても なかなか気がつかないでいる人もいます。
それは、行く手に小石を置かれ、気がついて対処しながら通る人。
または、巨石を置かれても避けて何とか通る人…といった感じです。
さすがに自分の行く道に巨大な石を発見したら、気がつかないでいるには鈍感すぎます…
その巨石が、この世で言う 『病気』 なのではないか、とわたしは思っているのです。
たましいの気づきのための出来事 (方法) として、病気は、最終手段だと思っています。
決して、曖昧じゃない 一切の自由を奪う病気は、自分の内面的な何かに気がつかされる最大の気づきのプロセスなのです。
症状の軽いときに、それの意味する内側に気がつくことが出来れば幸いです。
けれど、人間のココロとは厄介なもので、自分に不都合なことは、外部からやってくると思いがちなのです。
本当に崖っぷちに立たされないと、なかなか意識が内面に向いていかないのも事実です。
この1年、わたしに関係深い大切な友人知人、そして家族によって
わたしは “たましいの(ボディ)サイン” をより深く確かなものとして感じられるようなりました。
また、ママゴンの大切な父親(祖父)が、遠い石川県の町で静かに息を引き取る7日前に わたしやママゴンが受け取った “報せ” も併せて、これからブログに書き記したいと思います。
時の浪費は お金の浪費っ☆ 2007.07.13
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