全13件 (13件中 1-13件目)
1
何のために私たちは毎日生きているんだろう朝、起きて、朝食を摂って、職場に行って、仕事して家庭に戻って、寝て、朝、起きて毎日毎日繰り返す。一体何のために私は生きているんだろう。自分のために?う~ん、ちょっと危険過ぎはしないか?自分のために毎日生きている。だから自分さえ良ければ他人はどうだって良い。物事を考える基本は全て自分が中心だ。そうじゃないはずである。それでは自分は何のために生きているのか。家族のために?自分の家族を守るためによその家族を犠牲にすることはないか。家族のために生きているのだと自分に言い聞かせて自分のために生きていないか。無理をしてはいないか。どう考えれば宇宙の真理にかなった矛盾のない生き方ができるのだろうか・・・・
2006.11.10
コメント(0)
仕事中に遊んでいると風評のある同僚と二人っきりで話をした。悪い人間じゃない事は分かるのだが。自分は何のために働いているのか考えた事がないと答えた。ただその日一日を仕事があれば仕事をし、仕事が入っていない時には遊んでしまうという。自分に甘いと言った。私はあなたを客観的に見て注意しているのではありません。決して注意する側と注意される側と分離しているわけではありません。あなたの姿を通して私の中にも甘い自分がいる事を自分の中に見ているのです。私は仕事が入っていない時には遊んだりすることはありませんが、私の中にもあなたと同じ楽をしたい楽をして給料が欲しいという気持ちがあることに気付く事があります。根は同じなのです。話は2時間にわたった。最後には私の言いたい事を素直に聞いてくれたようだ。また私のこころがぶれるような事があったら話してください。そう言って部屋を出て行った。
2006.11.09
コメント(0)
仕事をしない社員がいる。信じられない事なのだが・・・・仕事中に携帯電話でゲームをしているという。彼には度々注意をしているのだが。目の届かないところにいることを良い事に未だ直っていない。仕事が入って自分が担当をする時は一生懸命にやるのだが、他人が担当をしていない時や仕事が入っていない時に遊んでいるのだ。周囲の者もあきれている。一人だけならまだしも二人も馬鹿者がいるらしい。いい年こいてゲームかよ。全く腹が立つ。要領が良いからお客さんの受けが良い。私たちがやっている事が本当にお客様の役に立っているのか毎日毎日考えて悩んで行く事が我が社が生き残る唯一の方法だというのに・・・・・・・私たちは会社のために働いているのじゃない。社長のために働いているのじゃない。いわんや自分のために働いているのじゃない。お客様のために働いているんだ。それなのにこの馬鹿者達は・・・・・・・・全く頭が痛い。このことをどう捉えるべきか。目の前の大嫌いな相手の人格は自分の中にもあるのだ。あぁ、そうなのか。そう言えば自分の中にも同じような人格がある・・・・確かにある。苦労をしたくない。楽をして生きたい。という人格が確かにある。この二人は私の醜い姿を教えるために私の目の前で演じてくれていたのだ。そう考えればこの二人を批判するだけではなく同じ病を持つ者同士ということで同病相憐れむという事で一緒に同じ病を治しませんかという立場に立てはしないか。
2006.11.03
コメント(0)
昔、妻の不倫が原因で離婚した事がある。最初私は離婚に反対をした。子供のためにもう一度出直すつもりだった。しかし私の許すという態度に問題があったので再び喧嘩となった。「子供を置いて出て行けるものなら出て行ってみろ」そう言うとあっさり出て行った。私は当時小学生と幼稚園だった二人の子供を引き取り、私の実家へ戻った。妻の事を”猿にも劣る女”だと思って絶対に許せなかった。母猿は子供が死んで体にウジが湧いてもずっと抱きしめているそうだ。愛情のない女だと思って軽蔑していた。ところが許すという事について考えてみた時許すとは決して”許してやるよ”と言う態度じゃないはずである。少なくとも”許してやるから俺に尽くせよ”という態度じゃないはずである。”あなたを許すという私をあなたは受け入れてくださいますか?”これが人を許すという事なのだと学んだ。あぁ、だからあのとき妻は子供を置いて出て行ったのだと気付いた時、嫌いだった妻の人格は私の中にもあるという事実を素直に受け入れる事ができた。そこで初めて元嫁を許す事ができ、自分の中の自分を許す事ができたのである。
2006.10.28
コメント(1)
Aさんが他人であるBさんに抱く印象は、実はAさんがAさん自身をどのように見ているかのバロメータなのです。つまり自分で自分をどのように見ているかということなのです。自分の事を馬鹿だと思っている人はどんなに尊敬できる人に出合っても馬鹿にしか見えないという事なのです。これまで自分と他人は別な人格だと思われてきたのです。それが科学的だと思われてきたのです。でも、それは間違いで、自分が他人を見ているようでいて実は自分で自分をみているような見方でしか他人を見ていないと言う現実の中で私たちは周りの人を見ているということが分かってきたのです。そう思うと私の間違いが見えてきました。もっともっと自分の事を知らなければ。
2006.10.22
コメント(0)
■人間性悪説(1)普通の人間は生来仕事が嫌いでなろうことなら仕事はしたくないと思っている(2)普通の人間はあまり野心も持たず責任を回避したがり自主的に仕事をするより命令に従う傾向が強い(3)普通の人間は生来自己本位で企業の要求には無関心である(4)普通の人間はそれまでの人生経験とは異なる新しい経験を一様に拒み積極的に取り組もうとはしない(5)普通の人間はそのままで放置しておくと一般的には利口とはほど遠く愚行も多く世間の山師や扇動家の良いカモになるのがオチである■人間性悪説に立つ他人の管理アメとムチの構造となり人間を企業の道具と考える価値観になります■人間性善説(1)心身を自主的に仕事に生かして酷使する事については普通の人間でも本能欲求として備えている(2)人間は自分の所属する組織の目標が判然とした場合自らすすんで自分に鞭打ってその達成に努めるものである(3)組織全体の目標に対して献身的に努力するかどうかはそれを達成する事によって得られる報酬次第である(4)普通の人間でも条件次第で責任を引き受けるばかりか自らすすんで責任を取ろうとするものである(5)企業内の問題を解決するために必要な能力はたいていの人に備わっているものであり決して一部の人のものではない■人間性善説に立つ自己の管理バリュー主義や自己組織主義になって人間個人の内発的動機により自己実現が遂げられます
2006.10.13
コメント(0)
周囲の人に良く思われたい、評価されたい、馬鹿にされたくないという仮面(ペルソナ)を着けた自分がいます。周囲の人に自分という存在を認知させたい自分は極めて打算的で周りの人から損害を受けないように立ち振る舞います。周囲の人から軽蔑されたり、けなされたりする事だけは絶対に許せない私。保身的な私。あいつは悪い人間や~俺は良い人間や~と、常に周囲の人を対立的に見てしまう自分。利己的な自分。どこまでも自己本位な醜い自分が私の自我の実態なのです。そんな自分でも一つだけ信じられる自分を見つける事ができました。醜い、汚い自分だからこそ有機体システム統合思考を確信して生きていく事が必要なのだと、こころから信じている私だけは信じられるのです。
2006.10.11
コメント(0)
私たちは人の話を聞く時に相手に対する先入観や固定観念によって先に縛り付けられてしまいます。自分のパラダイムにより相手の話を聞く前から自分勝手な解釈をしてしまいます。そして相手の伝えたい想いや真意を歪めてしまう結果になるのです。そしてほとんど間違った答を導く事になります。相手の気持ちや立場に立って相手の価値観を通して好意的に話を聞く・・・・・簡単のようであってなかなか困難なことなのだ。また、誤解してしまった。
2006.10.10
コメント(0)
普段私たちは目の前の相手に対して問題点を発見した時は、どうしてもその人を批判的に捉えてしまいます。私にはその様な問題点はなく、あなただけにその問題点があると捉えてしまいます。このような思考により相手の問題点を指摘すると相手はこちらの指摘を受け入れるはずはありません。お互いが自我にとらわれた状態では良好な関係性は保たれないでしょう。相手が自分の問題点について理解してくれたとしても相手が感謝まではしてくれないでしょう。共感性が大切ではないでしょうか。共感性とは相手が現在の問題点を抱える結果になった理由や背景に対する思いやりと優しさです。自分でも同様にその人と同じ環境であればその様にならざるを得ないと言う共感的確信です。そして自己の中にある相手と全く同質の問題点の気付きが求められるのではないでしょうか。
2006.10.09
コメント(0)
その人に感じてしまう憎悪の念は、何故起きてくるのか。それは、私の中にその人に抱く嫌な印象と同じものが私の中にもあるからだと思う。そうでなくては、その人の嫌な部分を私が気付くはずがない。もし、そうだとしたら私にも相手と同じ嫌な部分があることになる。そのことを確信すれば相手の人の嫌な部分と全く同じものが私の中にあるということになる。他人事とは思えないその人のこころの中には確かに嫌なこころもあるがその全部が悪いものとは限らない。むしろ他人に同情してあげたいこころもあるに違いない。そこで思い切って自分の方から積極的に好意と共感を持ってみよう。その前提で私がその人に抱く嫌な印象を文章化してみよう。そしてその文章化した内容を自分に置き換えて振り返ってみたい。その内容の中を読んで私の中にも同じ嫌なものがあると信じられたら私がその人を受け入れられることになる。その人を受け入れられたら、これまでの日々の私の対応がその人を深く傷つけていた具体的内容が分かってきた。これからひとつ一つ私の行動を具体的に変えていくため行動目標をつくろう。
2006.10.08
コメント(0)
自分を深く認識し、その認識した自分の内容を自分自身に受け入れた人だけが出合う全ての相手と理想的な関係性を創造する。という考え方がある。私が目の前の嫌いな人との信頼関係をつくらなければ会社というコミュニティー全体にとって大きな迷惑をかけることは理解できる。例えば日々の業務においてその人に伝えるべき必要な事は沢山ある。でも、場合によっては意図的にその内容を伝えない事さえある。なぜならば、その人が困ったとしても私には関係のない事だから。何故そうなるか理由はいくつかある。ひとつは私はその人がどうしても好きになれない。むしろ、その人の顔を見るとこころの中に憎悪の念があることに気づく場合がある。その様な時には声を聞くのも嫌になる。つまりその人の事を受け入れる事が私にはできないのである。他にもその人に抱く悪い印象は沢山ある。その印象が私自身のこころの中を支配しその人の言葉や行動の全てを私自身の価値観で判断している傾向がある。しかし、このままの状態が良いとは思えない。毎日顔を合わせなければならない人とこれからも会社で仕事を一緒に続けていかなければならないからである。この状態が続けば私のストレスは更に膨らみ続けいつ爆発してしまうか自分でも分からない。その時はどちらも不幸になるだけではなく、会社で一緒に働いている人達に悪い影響を与える事になる。いや、私とその人との関係性の悪さは既に多くの問題を発生させているがそのことに誰も触れないだけである。この問題を私は解決しなければならない。そのためには一体どのように考えて行動すれば良いのか・・・・・
2006.10.05
コメント(0)
今、パラダイムという言葉が取り沙汰されています。思考の枠組みとか理論のモデルとか概念のフレームとか翻訳されています。そのパラダイムにはレベルがあります。低いレベルのパラダイムの人は自分本位なものの考え方で周囲の人と衝突ばかりしています。あぁ~そうかぁ~だからと言って自分のパラダイムで自分のパラダイムの欠点や間違いや歪みや偏っているところをいくら反省しようとしても特定はできません。むしろ自分のパラダイムは自分にとって正しく見えるのです。自分のパラダイムは間違っているはずはないと思いこんでいるのです。私たちは過去の人生でいろいろな出会いの体験を通じて知らず知らずのうちにパラダイムを身につけています。その低いパラダイムが自分の成長を妨げているのです。自分の中に自分の敵がいるのです。自分の人生を狂わせているのは自分自身なのです。私は過去にたくさんの過ちを犯しています。現象面として表れた失敗は一見、別々のものなのですがよくよく考えてみると失敗の原因は一つなのです。私のパラダイムが低かったということに尽きるのです。レベルの低い自己本位なパラダイムに起因するのです。価値観の学習を通して高いレベルのパラダイムから検証することを私は今、知らされています。
2006.10.04
コメント(0)
私たちは出合った相手に数々の印象を抱きます。その相手から受け止める良いイメージや悪いイメージといったあらゆる印象を感じるのは、自分の中に相手と全く同質な要素が存在しているからに他なりません。出合った相手と同じ内容のものが自分の中に存在している事実を表しています。このように私たちは出合った相手と一つの世界を共有している関係であり、出合った環境という現実を通して私たちの内面の実態を知らされているのです。その事実を裏付けるものとして、私たちは自分の中にある、自分にとって好ましい性格と同じ性格を持った他人に好意を抱きます。反対に自分の中にある嫌いな性格と同じ嫌な性格を持った他人に出合った時自分でも驚くほど憎悪の念を抱くのです。このように出合う他人を通して自分自身を見ているのです。職場の中で目の前に大嫌いな他人がいます。でもその大嫌いな他人は私自身なのです。私の嫌な人格がその目の前の他人を通して見せられているだけなのです。まるで目の前に鏡を置いているように。そのことに気づかない私たちは大嫌いな目の前の他人を無視したり伝えなければならない事を意図的に伝えようとしなかったりします。ストレスはふくらみ続けいつ爆発してしまうか自分でも判らない状態になります。もっともっと自己を振り返らなければ・・・・・・・・・・
2006.10.02
コメント(0)
全13件 (13件中 1-13件目)
1


