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別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司
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2024.12.29
●最前線の子育て論byはやし浩司(13)
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●要支援と幼稚園
少し前まで、幼稚園児とこんな会話ができた。
「君たちは、年中(児)。ぼくは、中年(児)!」と。
すると子どもたちは、「チューネンではなく、ネンチューだよ」と。
しかしその私も、さらに年をとった。中年の時代も、終わった。そこで今は、こんな会話をして
いる。相手は、年長児たち。
「君たちは、ヨーチエン(幼稚園)だってねエ。ぼくは、ヨーシエン(要支援)だよ」と。
すると子どもたちは、「先生、ヨーシエンではなく、ヨーチエンだよ」と。
私「あのね、自分でウンチをして、それをきちんと自分でふけなくなったら、要支援って、言うん
だよ」
子「ぼくは、ちゃんとふけるよ」
私「だったら、君は、要支援ではない」
子「要支援ではなく、幼稚園だってばア」
私「でも、ぼくも、もうそろそろ、要支援だよ」
子「幼稚園は、子どもが行くところだよ」
私「それがひどくなって、自分のウンチを食べるようになったら、要介護かな」
子「ゲーッ! ウンチを食べるの?」
私「要介護というのは、そういう人のことをいうよ」
子「ヨーカイゴではなくて、ヨーチエンって、言うんだよ」
私「要支援が終わったら、要介護。要介護1年生だよ」
子「幼稚園が終わったら、小学校だよ」
私「ぼくは、要介護になるの」
子「ぼくは、小学校だよ」
私「要介護は、5年生まで、あるの。知ってる?」
子「フ~ン。お兄ちゃんは、小学5年生だよ」
私「5年生かあ?」
子「6年生まであるよ」
私「要介護には、6年生はないの」
子「5年生のつぎは、何?」
私「あの世へ行くの」と。
こうしたジョークは、子ども向けというよりは、参観している、親向け。親たちが笑ってくれる
と、教室がなごむ。そのなごんだ雰囲気が、子どもたちの表情を、明るくする。しかし子どもた
ちは、真剣。
子どもたち「先生、ヨーシエンではなく、ヨウーチエンだってばア!」と。
●ダジャレ
コウモリが、子守り歌を歌った。
それをネコが、寝転んで聞いていた。
ウマが、「うまい」と、コウモリをほめた。
しかしサルは、その場を、去った。
カバが、カバンを買った。
シカは、帽子しか、買わなかった。
そこへネズミ色の服を着たネズミがやってきて、こう言った。
「パンダさんの食べたいのは、パンだ」と。
トラがトラックに乗って、旅に出た。
ラクダも乗せてもらって、「楽だ、楽だ」と言った。
そこへワシがやってきて、「わしは、ワシだ」と言った。
それを聞いたゾウが、「わしは、ゾウだぞう」と言った。
……意味のないダジャレで、ごめん! 幼稚園児たちと話していて、こんなダジャレを思いつい
た。何かの歌の歌詞になるそう(?)。
Hiroshi Hayashi++++++++++DEC. 05+++++++++++++はやし浩司
最前線の子育て論byはやし浩司(024)
【子どもの緊張感】
+++++++++++++++++
子どもに緊張感をもたせる。その緊張感
が、たとえば受験勉強などにおいて、よ
い方向に作用するという。
しかし本当にそうか? そう言いきって
よいのか?
今、あちこちで、その受験戦争が、火花
を飛ばしている。
その「緊張感」について、ここで、はっ
きりと、結論を出しておきたい。
+++++++++++++++++
●幼児に受験の自覚?
私のところへきて、1人の母親が、こう言った。「A進学教室(浜松市内)の幼児科では、『子ど
もに受験するという緊張感をもたせるために、毎日、合格しますと子どもに言わせているそうで
す』と。
5歳、6歳の子どもに、受験の自覚をもたせる? こういう例は、ほかにもある。浜松市内のX
幼稚園では、S小学校を受験する子どもたちだけを集めて、特訓教室を開いている。そしてそ
こでもやはり、「私は、合格します」と、子どもたちに、何度も復唱させているという。
模擬テストもしているというが、その緊張感のあまり、途中で、泣き出してしまう子どももいると
いう。
……これはとんでもない暴論と言ってよい。メチャメチャな指導と言ってもよい。
この時期、愚かな親たちは、(はっきりそう断言してよいが……)、自分の子どもが合格する
ことしか考えていない。またそのための努力しか、してしない。しかし万が一にも、子どもが受
験に失敗したときは、どうするのか。子どもは、どうなるのか?
子どもによっては、それを大きな心のキズ(=トラウマ)としてしまう。子ども自身がキズとする
のではなく、親たちが、そういう状態に子どもを追いこんでしまう。子どもが受験に失敗したと
き、狂乱状態になる親も少なくない。そういう親の姿を見て、子どもは、それを(心のキズ)とし
てしまう。
●内的緊張感と外的緊張感
緊張感にも、2種類ある。その子ども(人)自身の中から、わきでてくる緊張感を、内的緊張
感という。たとえばその子ども自身がもつ、向上心、向学心、競争心、自尊心、好奇心が、そ
の子どもを緊張させる。わかりやすく言えば、これは「善玉緊張感」ということになる。
一方、外的緊張感というのもある、外部から、子どもを脅したり、子ども自身を絶壁のフチに
負いこんだりして与える、緊張感である。「こんな成績では、A中学に入れないわよ」「A中学へ
入れなかったら、あなたはダメになるのよ」と。わかりやすく言えば、これは「悪玉緊張感」とい
うことになる。
幼児にも、内的緊張感をもたせる方法はないわけではないが、しかし少なくとも幼児には、外
的緊張感を、自分の中で、自己処理する能力は、まだない。
理由は明白。自分の立場を、客観的に判断する能力が、まだ育っていないからである。そう
いう幼児に向って、受験の目的、受験の内容、ついでに受験がもつ制度としての社会的意義を
説明しても、意味はない。
子ども自身が、内的緊張感を理解し、その緊張感で、自発的に自分をコントロールするよう
になるのは、早くても小学校の高学年。ふつうは、中学生くらいになってからである。この時
期、内的緊張感をうまく引き出せば、子どもは、自ら伸びる力で、自分自身を前向きに引っぱ
っていく。
●心のキズ(トラウマ)
印象に残っている女の子に、Sさん(当時、中学生)がいた。
彼女はいつも、ここ一番というときになると、何ごとにつけ、自らしりごみしてしまった。私が、
「ここでふんばれ!」「へこたれるな!」と励ましても、彼女の心には届かなかった。理由を聞く
と……というより、いつも、Sさんは、こう言っていた。
「どうせ、私は、S小学校の入試に落ちたもんね」と。
つまりSさんは、もうとっくの昔に忘れていてもおかしくないようなことを、心のキズとしていた。
「だから、私は、ダメな人間だ」と。
親たちは、先にも書いたように、合格することしか考えていない。しかし受験に失敗した子ど
もたちが、いかにそのはざまで、もがき、苦しんでいることか。そういうことについては、親たち
は、ほとんど知らない。Sさんのように、それを心のキズとしてしまう子どもも、決して、少なくな
い。
ひょっとしたら、あなた自身もそうではないのか。
●落ちることを考えて準備する
子どもの受験勉強を考えたら、受験に落ちることを考えて準備する。子どもに準備させよ、と
いうのではない。親自身が、準備する。
万が一にも、不合格の通知が届いたら、あなたは、どうするか。どう対処するか。さらには、
どう子どもには、接するか。それを考えながら、準備する。
しかしここにも書いたように、5歳、6歳の幼児には、まだ(受験)を自己処理する能力はな
い。仮にあったとしても、この時期、合格して、おかしなエリート意識をもたせることは、長い目
で見て、その子どもにとっては、不幸なことである。
だから、子どもの受験勉強を考えたら、受験に落ちることを考えて準備する。
たとえば不合格の通知が届いても、親は、動揺しない。無視する。態度に表さない。平然とし
て、日常生活をつづける。そういう姿勢が、子どもの心を守る。
●情緒不安の原因にも……
よく誤解されることがある。
子どもの情緒が不安定になると、親たちは、それを問題として、それをなおそうとする。ぐず
る、いじける、引きこもる子どもをを、内閉型(マイナス型)とするなら、暴れる、怒りっぽくなる、
ピリピリする子どもは、外方型(プラス型)ということになる。
しかしそれはあくまでも症状。病気にたとえるなら、発熱や悪寒ということになる。
子どもにとって、(もちろんおとなにとってもそうだが)、情緒不安というのは、心の緊張感が取
れないことをいう。その緊張感の中に、不安や心配が入りこむと、心は、その不安や心配を解
消しようとして、一気に不安定になる。その状態を、情緒不安という。
こんなことは、心理学の世界でも、常識ではないか。
そこでこの時期、子どもに外的緊張感を与えれば、子どもの心は、そのまま緊張し、多少の
個人差はあるだろが、子どもの情緒は、不安定化する。何度も書くが、この時期、幼児には、
そうした緊張感を、自己処理する能力は、まだない。
が、それだけではない。
●抑圧は悪魔を生む
イギリスの教育格言に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。
抑圧された心理状態が、恒常的に長くつづくと、子どもの心が悪魔的になることをいう。「死」
「殺す」「地獄」などという言葉に敏感に反応するようになる。それについては、このあとに原稿
(中日新聞掲載済み)を1つ、添付しておく。
はっきり言えば、子どもの心はゆがむ。さらにそれが原因で、親子関係が、破壊されることも
ある。親がそうではなくても、子どものほうが、親から離れていく。
たとえば小学校の高学年児でも、進学塾へ入ったとたん、人間性そのものが変化するという
ことは、よくある。決して珍しくない。親は、「おかげで、緊張感が生まれました」と喜んでいる
が、とんでもない誤解。そうした緊張感の裏で、人間的な暖かい心が、いかに破壊されている
ことか!
毎日、毎晩、成績という点数だけで人間を評価しないような世界が、本当に正常な世界と言
えるのか。そしてその点数だけで、子どもを絶壁のフチに立たせることが、本当に正常な世界
と言えるのか。
どうして世の親たちよ、そんなことがわからないのか!
●無責任な受験塾
受験塾にもいろいろある……と書きたいが、ほんの少しだけ、冷静な目で、受験塾をながめ
てみたらよい。
どんな講師が、どういう教育的な理念をもって、子どもを指導しているか。それをほんの少し
でも、考えてみたらよい。
中には、熱血指導を売りものにしている進学塾もある。子どもたちの話を聞くと、「いつも先生
たちは、竹刀(しない)をもち歩いている」という。当然、親たちの了解を得て、そうしているのだ
ろうが、あまりにもバカげている。コメントする気にもならない。
が、親たちは、そういう進学塾ほど、よい塾だと考える。この愚かしさ。このバカ臭さ。
彼らこそ、子どもたちが合格することしか、考えていない。不合格になったとき、子どもの心の
ケアを考えている進学塾など、話に聞いたこともない。反対に、合格者は、翌年の生徒募集に
利用されるだけ。
その陰で、いかに多くの子どもたちが、キズつき、自らダメ人間のレッテルを張っていること
か!
●ゆがむ人生観
受験期をスイスイと渡り歩いたような人にも、問題がないわけではない。そういう例は、皮肉
なことに、60代、70代の、元エリートと呼ばれる人たちを見ればわかる。
彼らがもつ、一種独特の、あの鼻もちならないあのエリート意識は、いったい、どこから生ま
れるのか。以前、私にこう言った男(当時50歳くらい)がいた。私が、「幼稚園で講師をしてい
ます」と言ったときのことである。
「君は、学生運動か何かをしていて、どうせロクな仕事にはつけなかったんだろ」と。
仕事に、ロクな仕事もなければ、ロクでない仕事もない。
彼は当時、国の出先機関の公社の副長をしていたが、そういう意識をもつようになる。そして
そうしたゆがんだエリート意識が、その人の人生を、味気なく、つまらないものにする。わかり
やすく言えば、人間の価値そのものを、学歴や経歴でしか見なくなる。
●緊張感
適度な緊張感が、子どもを伸ばすということは、私も否定しない。ストレス学説の中でも、それ
は肯定されている。
しかしここでいう緊張感というのは、冒頭に書いた、内的緊張感(善玉緊張感)をいう。向上
心、向学心、競争心、自尊心、好奇心が、その子どもを伸ばす。
ある男児(当時、小6)は、夏期の合同合宿訓練の長に選ばれた。そのため、訓練の冒頭
で、あいさつをすることになった。
その男児は、そのため、その1週間ほど前から、毎晩、眠られない夜を経験した。そして当日
は、フラフラの状態で、あいさつに臨んだ。しかし結果的に、それがうまくできた。以後、その子
どもは、「長」という「長」を総なめにして、学業を終えた。
あるいは、その地域での演奏会に先立って、猛練習をした女児(当時、小5)がいた。そのた
め「演奏会の朝から、胃が痛いと苦しんでいました」(母親談)とのこと。しかし演奏会は、無
事、終わった。その子どもは、そのあと、見ちがえるほど、おとなっぽくなった。
こうした内的緊張感は、たしかに子どもを伸ばす。子どもを伸ばす原動力として作用する。
しかし外的緊張感は、どうか?
「この仕事をしないと殺すぞ」と、ナイフをのどにつきつけられたら、どうか。あなたは、それで
もその仕事をするだろうか。楽しくできるだろうか。自分の力を、じゅうぶん、発揮できるだろう
か。
●結論
幼児に、緊張感をもたせる? そのために、受験を自覚させる?
あまりにもバカバカしい。反論したり、こうして説明するのも、実のところ、バカバカしい。はっ
きり言えば、そこらのド素人の、とんでもない意見。幼児に関する心理学の本を、一冊でも読ん
だことのある人なら、私のこの気持ちが理解できるはず。
しかしそういうことを平気で口にして、幼児の受験指導とやらをしている進学塾もある。これが
現実かもしれない。
だからこそ、私は親たちに向かって、この原稿を書く。そしてもっともっと、親たちに、賢くなっ
てほしい。
+++++++++++++++
子どもの心が破壊されるとき
●バッタをトカゲのエサに
A小学校のA先生(小1担当女性)が、こんな話をしてくれた。「1年生のT君が、トカゲをつか
まえてきた。そしてビンの中で飼っていた。そこへH君が、生きているバッタをつかまえてきて、
トカゲにエサとして与えた。私はそれを見て、ぞっとした」と。
A先生が、なぜぞっとしたか、あなたはわかるだろうか。それを説明する前に、私にもこんな
経験がある。もう20年ほど前のことだが、1人の子ども(年長男児)の上着のポケットを見る
と、きれいに玉が並んでいた。私はてっきりビーズ玉か何かと思った。が、その直後、背筋が
凍りつくのを覚えた。よく見ると、それは虫の頭だった。
その子どもは虫をつかまえると、まず虫にポケットのフチを口でかませる。かんだところで、体
をひねって頭をちぎる。ビーズ玉だと思ったのは、その虫の頭だった。また別の日。小さなトカ
ゲを草の中に見つけた子ども(年長男児)がいた。まだ子どもの小さなトカゲだった。「あっ、ト
カゲ!」と叫んだところまではよかったが、その直後、その子どもはトカゲを足で踏んで、その
ままつぶしてしまった!
●心が壊れる子どもたち
原因はいろいろある。貧困(それにともなう家庭騒動)、家庭崩壊(それにともなう愛情不
足)、過干渉(子どもの意思を無視して、何でも親が決めてしまう)、過関心(子どもの側からみ
て息が抜けない家庭環境)など。威圧的(ガミガミと頭ごなしに言う)な家庭環境や、権威主義
的(「私は親だから」「あなたは子どもだから」式の問答無用の押しつけ)な子育てが、原因とな
ることもある。
もちろんその中には、受験競争も含まれる。
要するに、子どもの側から見て、「安らぎを得られない家庭環境」が、その背景にあるとみる。
さらに不平や不満、それに心配や不安が日常的に続くと、それが子どもの心を破壊することも
ある。
イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。抑圧的な環境が長く続くと、ものの
考え方が悪魔的になることを言ったものだが、このタイプの子どもは、心のバランス感覚をなく
すのが知られている。「バランス感覚」というのは、してよいことと悪いことを、静かに判断する
能力のことをいう。これがないと、ものの考え方が先鋭化したり、かたよったりするようになる。
昔、こう言った高校生がいた。「地球には人間が多すぎる。核兵器か何かで、人口を半分に減
らせばいい。そうすれば、ずっと住みやすくなる」と。そういうようなものの考え方をするが、言
いかえると、愛情豊かな家庭環境で、心静かに育った子どもは、ほっとするような温もりのある
子どもになる。心もやさしくなる。
●無関心、無感動は要注意
さて冒頭のA先生は、トカゲに驚いたのではない。トカゲを飼っていることに驚いたのでもな
い。A先生は、生きているバッタをエサとして与えたことに驚いた。A先生はこう言った。「そうい
う残酷なことが平気でできるということが、信じられませんでした」と。
このタイプの子どもは、総じて他人に無関心(自分のことにしか興味をもたない)で、無感動
(他人の苦しみや悲しみに鈍感)、感情の動き(喜怒哀楽の情)も平坦になる。よく誤解される
が、このタイプの子どもが非行に走りやすいのは、そもそもそういう「芽」があるからではない。
非行に対する抵抗力がないからである。悪友に誘われたりすると、そのままスーッと仲間に入
ってしまう。ぞっとするようなことをしながら、それにブレーキをかけることができない。だから結
果的に、「悪」に染まってしまう。
●心の修復は、4、5歳までに
そこで一度、あなたの子どもが、どんなものに興味をもち、関心を示すか、観察してみてほし
い。子どもらしい動物や乗り物、食べ物や飾りであればよし。しかしそれが、残酷なゲームや、
銃や戦争、さらに日常的に乱暴な言葉や行動が目立つというのであれば、家庭教育のあり方
をかなり反省したらよい。子どものばあい、「好きな絵をかいてごらん」と言って紙とクレヨンを
渡すと、心の中が読める。子どもらしい楽しい絵がかければ、それでよし。しかし心が壊れてい
る子どもは、おとなが見ても、ぞっとするような絵をかく。
ただし、小学校に入学してからだと、子どもの心を修復するのはたいへん難しい。修復すると
しても、4、5歳くらいまで。穏やかで、静かな生活を大切にする。
(はやし浩司 受験 子供の受験 緊張 内的緊張感 外的緊張感 受験の心構え 子どもの
バランス感覚 バランス感覚 はやし浩司)
Hiroshi Hayashi++++++++++DEC. 05+++++++++++++はやし浩司※
最前線の子育て論byはやし浩司(025)
●12月27日、火曜日
この数日、掃除また掃除。そんな日々がつづいた。で、やっと今日、一段落。ほっとした。
その掃除をしながら、いろいろなことを発見した。その1。ものがない美しさ。その美しさを、
改めて確認した。このことについては、前にも書いた。多少の不便はあるかもしれないが、もの
がない部屋は、美しい。すっきりとしている。気持ちよい。もちろん掃除もしやすい。
実は、心の中も同じ。たとえば1つのウソをつくと、つぎからつぎへと、ウソをつかねばならな
い。相手が複数の人だと、そのウソを記憶しているだけでもたいへん。そういう意味では、ウソ
は、心のゴミということになる。
韓国のあの科学者も、そうだ。11個のES細(胞胚性幹細胞)のうち、9個までが捏造(ねつ
ぞう)とわかった。残りの2個も、どうやらニセモノと断定されたようだ。それに対して、当の科学
者は、「仲間のだれかが、本物とニセモノをすりかえた」と言い出した。きっとあの科学者の心
の中には、足の踏み場もないほど、ゴミがたまっているのだろう。かわいそうな人だ。
その2。掃除は、絵画に似ている。もの書きは、文章を書く。絵描きは、絵を描く。そのもの書
きと、絵描きとは、どこがどうちがうか? ふつう文章を書いていると、頭の中がクシャクシャし
てくる。しかし絵を描いていると、無我というか、無心の状態になる。何もかも忘れて、絵を描く
ことに没頭する。
掃除は、その、絵を描くことに似ている。掃除をしている間というのは、何も考えない。ただひ
たすら、あちこちをきれいにする。それを繰りかえしていると、やがて心の中が、すっきりとして
くる。
その3。掃除というのは、最初は人のためにする。心のどこかで、喜んでくれる人を、思い浮
かべる。そういうところから始まる。しかししばらくつづけていると、やがてそれが自分のためと
いうことがわかってくる。似たような心の変化は、ボランティア活動をしているときにも、経験す
る。もっとも何かのボランティア活動をしているときは、心のどこかで(他人のため)から、(自分
のため)にスイッチングをしないと、心がもたない。
ボランティア活動をしていると、報われることよりも、裏切られることのほうが、多い。はるか
に多い。いちいち裏切られることを気にしていたら、ボランティア活動など、できない。掃除もそ
うだ。
掃除をしても、すぐだれかによごされる。一番、露骨にそれをするのは、イヌのハナだ。昨日
も、窓ガラスをすべてふいた。その前に、洗剤をつけて、窓ガラスを洗った。が、夜になって、
ハナが、その窓ガラスを、足でこすって、ドロをつけてしまった。
あああ……!
とにかく、こうして我が家の大掃除は、終わった。一応、終わった。明日、28日、二男夫婦
が、孫と、嫁の妹を連れて我が家にやってくる。そのあとのことは、知らない。知ったことではな
い。さあて、どうなることやら? まあ、あまり考えないでおこう。無我、無心。それが何よりも重
要。今は、そんなふうに、考えている。
●熱帯魚
熱帯魚を飼うようになって、もう18年になる。どうして覚えているかって? 理由がある。
私たち夫婦も、何度か、離婚の危機を経験した。その中でも、一度だけ、今のワイフが本気
で家を飛び出してしまったことがある。
そのとき、私は近所の熱帯魚屋から、水槽と何匹かの熱帯魚を買ってきた。それが平成元
年になる少し前のこと。それで「18年」ということになる。来年は、2006年、平成18年!
きっとさみしかったのだろう。それで熱帯魚を飼うようになった。熱帯魚を見ながら、私は、心
を、まぎらわした。以来、18年。ずっと、熱帯魚を飼っている。
その水槽を、昨日、ピカピカにみがいた。下に敷いてあるジャリも洗った。当然、水もかえた。
あとは、カルキ抜きの中和剤を入れ、病気予防のための、いくつかの薬をまぜた。おかげで、
今は、その水槽が、夢の中の世界のように、美しい世界になった。すべてが、澄んだクリスタル
色に輝いている。
それをぼんやりと見つめていると、「大昔、人間も、魚だったんだなあ」と思う。本気で、そう思
う。深い森の中にいるときよりも、さらに大きな安堵感を覚える。本能的な安堵感というのであ
る。
私「人間のことだから、きっと、太古の昔には、熱帯地方の海に住んでいたと思うよ」
ワ「そうね」と。
仮に私が今、魚になったとしても、冷たい海の中には、住みたくない。風呂のような温水がよ
い。そういうことから、太古の昔、人間の祖先たちは、暖かい海の中に住んでいたと思う。勝手
な想像だが、私は、そう思う。
ところでその熱帯魚だが、人間の私たちが考えているより、はるかに頭がよい。どう頭がよい
かについては、もう何度も書いてきたので、ここには、書かない。しかし頭がよい。魚だから…
…と、決してバカにしてはいけない。
●電子出版に挑戦!
『まぐまぐ! POD』というサービスが始まった。「POD」といのは、は読者からの注文を受け
て、1冊、1冊、本を印刷・製本するというサービスをいう。「POD」というのは、「Publish on
demand」の略語だと思う。
「へえ~」と驚くやら、感心するやら……。
自費出版というのは、生涯においてしたことがない。どこかプライドが許さなかった。しかし今
度は、私自身が、出版社の立場になる。映画でいえば、監督と主演の、両方を、自分でするよ
うなもの。あのクリント・イーストウッドだって、何度か、そうしている。
とりあえず、「子育て一口メモ」を、本にしてみようと思う。売れるかどうかわからないが、何ご
とも、新しいことに挑戦してみるというのは、楽しい。この方式が軌道にのれば、ここにも書い
たように、私自身が、出版社を経営することができるようになる。
これからは、そういう時代かもしれない。おもしろいことだ。
●1月3日
原稿書き、再開!
この1週間、インフルエンザから、そのあと、扁桃腺炎、気管支炎などを併発し、病気の連
続。悪寒、発熱の繰りかえし。熱も38度を超えたと思ったら、翌日には、37度。しかしそのま
た翌日には、また38度!
やがて今度は、薬中毒。頭痛薬をのんでも、かえって、頭痛がひどくなるだけ。いやな気分だ
った。ときどき郷里の姉から電話があるが、そのたびに、「この前も風邪をひいていると言った
じゃない!」「まだ、風邪をひいているの?」と、なじられるしまつ。
1月1日から、そんなわけで、病院通い。おかげでそのあとは、急速に症状は、よくなった。
で、今日は、1月3日の朝。こうして原稿を書けるようになった。
しかしこの1週間、あれこれ考えた。「こんな原稿など、書いて、何の役にたつのだろうか?」
と。ホント! 絵にたとえるなら、トイレの落書きのようなもの。それとはちがうとは思いたいが、
しかしどこがどうちがうというのか。自分のしていることが、何か、まちがっているような気がし
てしてならない。
頭の中では、「多くの人が読んでくれているのだ」と思うようにしているが、それについても、最
近は、「?」と思うことが多い。私のワイフでさえ、このところ、忙しいこともあるが、私の原稿
を、ほとんど、読んでいない。
どこがまちがっているのだろうか?
だいたいにおいて、私の、ものを書く姿勢がまちがっている。ものの書き方が、どうも権威主
義的。上から下へと、「控えおろう!」というような感じで書いている。それに読者の意向など、
まったく無視。ひとりよがりも、よいところ。自己満足のために書いた文章など、だれが読みた
がるだろうか。
いつだったか、そう批評してきた女性が1人、いた。辛らつな批評だった。「ママ診断を読んだ
が、あんな長い診断なんか、だれも受けない。自己満足のためだけに、ああいうものを書くな」
と。
つぎにこういう(見返りのない原稿)を書いていると、どうしてもグチが多くなる。実際、05年度
は、賛助会への協力者はゼロ。絵も売ろうとしたが、買ってくれた人は、ゼロ。つまりHPとマガ
ジン関係での、収入は、ゼロ。
そのグチが、私が書く原稿を、暗く、重いものにする。だから読者もふえない。そのため、書く
意欲もわいてこない。水にたとえるなら、流れが止まった、水たまりのようなもの。(この原稿そ
のものが、水たまりのようなもの?)
さあて、心機一転! 今年も、再開。とにかく、前に進むしかない。グチグチ言っていても、し
かたない。2006年はやってきた。「今年こそは……」と信じて、前に進む。「今年こそは、何
か、いいことがあるだろう」と。
この文章を読んでくださった、読者の方へ、
今年も、よろしくお願いします。
●やはり孫は、かわいい?
+++++++++++++++++
1年ほど前、ある読者の女性から、
こんなメールをもらった。
「娘夫婦は、いつも私に孫を預けて、
遊びほけている。祖母だから、孫が
かわいいはず」と、決めてかかっている。
それでとうとう私がキレてしまった。
『祖母だからといって、孫がかわいいはず
と決めてかかってもらっては困る!』と。
私だって自由な時間がほしい。
子育てから解放されて、やっと一息ついて
いるのに、今度は、孫のめんどう?!
『もういいかげんにしてくれ!』と
叫びたいです」と。
この女性のメールは、当時、マガジンのほうで、
取りあげさせてもらった。
で、私も、今、その孫のめんどうをみるハメに……。
立場的には、その女性のメールにやっと返事を
書けるようになった。
++++++++++++++++++
孫は、かわいいのか。それとも、かわいくないのか。私も、孫の誠司を見ながら、ふと、そん
なことを考える。
一般的には、ジイ様、バア様だから、孫はかわいいはず、とだれしも考えるにちがいない。と
くに自分の子どもをもった若い父親や、母親は、そうであろう。
しかし孫に対する感覚は、自分の実の子に対する感覚とは、明らかにちがう。自分の実の子
のばあいは、無我夢中というか、すべてを投げ出して、育てる。しかし孫となると、そうはいかな
い。そこに息子が介在する。
(孫の誠司ではなく)、その息子のほうを見ていると、ふと心のどこかで、「子育ては、もうたく
さん」「こりごり」と思う。そういう思いが、心をふさぐ。子育ては、つまりは重労働。その子育て
からやっと解放されたと思ったとたん、また同じ思いをもてと言われても、困る。そうは簡単に、
心は動かない。
さらに私のばあい、何十人も、幼児を教えている。毎週、毎月、そういった子どもたちと会って
いる。そういう子どもたちと、どう区別したらよいのか。孫と、どう区別したらよいのか。実際に
は、できない。
みんなで買い物に出かけても、息子夫婦は、孫には、ハレ物かガラス箱に触れるかのよう
に、注意を払う。自分のワイフには、荷物を、いっさい、もたせない。(妊娠中ということもある
が……。)しかし重い荷物をもたされるのは、たいてい、私たち、夫婦。決して見返りを求めて
自分の子育てをしたわけではないが、そういう立場に立たされてみると、「子育てって、いった
い、何だったのか?」と考えさせられてしまう。
息子は、こう言う。「電池式のおもちゃは、創造性がない。だからぼくは、そういうおもちゃで
は、遊ばせない」とか、何とか。
まあ、言いたいことを言えばよいが、何千例も幼児教育をみてきた私に向って、そう言う。何
百回も、あちこちで講演を重ねてきた私に、そう言う。「そうだね」と一応返事をしつつ、「そうい
う単純なものでもないのだがなあ」とも思う。言いたいことは山ほどあるが、ここは、バカなジイ
様のフリをしているのが、一番。
そこで恐る恐る、ワイフに、昨夜、そのことを告白した。
私「息子のヤツね、どこか緒しつけがましいだろ。『孫はかわいいだろ』とね。で、お前さ、孫
を、かわいいと思うか?」
ワ「フ~ム。毎月とか、毎週とか、会っていれば、また別の感覚をもつかもしれないけど、私た
ちには、まだ、そういう感覚は、もてないわね」
私「そこなんだよな。昨日も、息子は、こう言った。『アンシュタインなんて、くだらない男さ。あん
な男には、学ぶべきものは、何もない』とね。ぼくは、それを聞いていて、『あんたのようなおや
じには、学ぶべきものは、何もない』と言われたように感じたよ」
ワ「それは考えすぎよ」
私「でも、田丸先生も、ぼくも、アインシュタインを尊敬している。ああまで頭から否定されてしま
うと、自分が否定されてしまうかのように感ずる」
ワ「息子といっても、もう別の人格をもった、別の人間よ。あなたには、まだ親意識が残ってい
るのよ。子離れが、まだできていないのよ。息子といっても、思い出のつながった、友人と思え
ばいいのよ」
いろいろな統計を見ても、「老後は、息子や娘と離れて暮らしたい」と望んでいる人がふえて
いるという。欧米化というか、オーストラリア化、アメリカ化というか、そういう傾向が、この日本
でも、急速に進んでいる。
で、その私は23歳のときには、すでに収入の半分を、実家へ仕送りし始めていた。ワイフと
結婚したときも、すでにそれが条件になっていた。だから、ワイフは、何も言わずに、それに従
ってくれた。が、それから、35年。いまだに年間、100~200万円単位の生活費や介護費用
が、のしかかってくる。
そういう「私」とくらべると、今の私の息子たちは、いったい、何かと思う。そして同時に、「そん
な息子や娘となら、同居はごめん」ということになる。老後のめんどうをみてもらうなどというの
は、夢のまた夢。反対に、息子たちのめんどうをみるのは、親の私たちということになる。知人
の中には、息子夫婦の新居の費用から、孫のおけいこ教室の費用まで、負担している人がい
る。
だから、その知人は、「同居は、ごめん」と。わかる、その気持ち!
そこで若い夫婦のみなさんには、こんなアドバイスができる。
(1)ジイ様、バア様には、孫がかわいいはずと思いこむのは、やめたほうがよい。またそういう
前提で、押しつけがましく、ジイ様、バア様に孫を押しつけるのはよくない。とくにマザコンタイプ
の男性は、自分の母親を偶像化しやすい。そのため、自分の孫にも、マドンナ的な深い愛情を
期待しがちだが、愛情というのは、血のつながりだけでは、生まれない。
(2)孫のかわいさは、それまでの親子関係、それと息子の妻や、娘の夫との関係によって決ま
る。良好な親子関係であれば、ふつう程度に孫をかわいく思うようになる。そうでなければ、そ
うでない。
これは別の知人(男性)から聞いた話だが、こんなケースもある。その知人の息子が、ある女
性と結婚した。5歳年上の女性だった。子ども(孫)を妊娠したことをよいことに、その女性は、
強引に、息子との結婚を迫った。
知人は、結婚そのものに反対した。その女性の両親に何度か中絶を申しいれた。が、話にな
らなかった。さらに相手の両親に大金を積んで、婚約解消を申しいれたが、それでも、だめだ
ったという。が、そのうち、子どもは生まれてしまった。その知人にしてみれば、孫ということに
なるが、彼はこう言った。「一応、遊びにくれば、それなりの接し方はしますが、正直言って、
(孫の)顔など見たくもないです」「見たとたん、頭痛が始まります」と。
もちろん中には、孫を目の中に入れても痛くないと思うジイ様、バア様もいる。つまりそれくら
い孫をかわいいと思っている人もいる。しかしそうでない人のほうが、実際には、多い。たいは
んのジイ様、バア様は、よきジイ様、よきバア様でいようと、仮面をかぶろうとする。「息子夫婦
に嫌われるのもいやだから」と。いろいろな人の話を聞いてみると、どうやらそのあたりに、本
音があるのではないか。
そこで息子に聞いてみると、息子は、あっさりとこう言った。「パパ、アメリカの両親など、あっ
さりとしたものだよ。レストランなどでいっしょに食事をしても、みんな割り勘だよ」と。
ナルホド!
さて、私のばあいだが、今日(1月3日)は、市内のレストランで、昼食。それから新幹線で、
隣町まで行こうとしたが、駅は、Uターンラッシュで、たいへんな混雑。しかたないので、駅前の
アクトタワーの展望台へ。
孫の誠司を抱きながら、自分の心がどう変化していくのかを、静かに観察してみた。淡々とし
た気持ちは、それほど、変わらなかった。が、ちょうど帰りの道についたときのこと。孫の誠司
が、こう言った。
「You've got water? (水をもっている?)」と。どこか遠慮がちな、やさしい言い方だった。
それで「You want water? (お前は、水を飲みたいのか?)」と聞くと、「Yes!」と。そのとき瞬間
だが、誠司の中に、言いようのない愛くるしさを感じた。心を全幅に開いて、私に話しかけてくる
孫。私の顔を見たとたん、ニコニコと笑って、「ジイジ!」と声をかけてくれる孫。
とたん、それまでたがいをへだてていたカベが、パラパラと崩れたのを感じた。そしてそれま
でになかった、心の交流が、流れ出すのを感じだ。そういうものが積み重なって、はじめてそこ
に、別の新しい人間関係が生まれるのかもしれない。そしてそれが、たがいの絆(きずな)に変
わる。孫といっても、その新密度は、基本的には、人間関係で決まる。「祖父だから……」と
か、「孫だから……」という『ダカラ論』だけで、ものを考えてはいけない。
同居して、1週間目。やっと私にも、孫のかわいさが、わかるようになってきた! やはり、孫
っていうのは、かわいいですねエ~。
(原S)
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Last updated 2024.12.29 17:18:03
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