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2024.12.29
●最前線の子育て論byはやし浩司(16)
カテゴリ:
カテゴリ未分類
●男女共同参画社会(男女の平等社会)
+++++++++++++
女は家庭を守るべし(?)
+++++++++++++
いきなり「ぼくは、男女共同参画社会などには、反対だよ」と言った男性(60歳くらい)がい
た。公的な機関で、長い間、「長」の仕事を歴任してきた人物である。
「いいかね、林君、女が男のようになって、どうする? どうなる? 女が家庭から抜けたら、
家庭はバラバラになってしまうよ。女は、家庭を守らなければならない。それが女の役目だよ」
と。話のきっかけは、NHKの今度の、大河ドラマだった。
土佐藩の基礎を築いた戦国武将に、山内一豊がいた。その夫を支え、夫の出世をなしとげ
たのが、妻の千代。その千代の物語が、今度の大河ドラマのテーマになっている。『内助の功』
という言葉も、そこから生まれた。その男性は、その千代を懸命にたたえながら、「女はそうで
なくてはいけないよ、林君」と。
私は、「ハア~」と思っただけで、つぎの言葉が出てこなかった。その男性との間に、遠い距
離を感じた。どこからどう説明したらよいのかさえ、皆目、見当もつかなかった。
つぎに、その男性は、それなりの人物である。私の思想が私の思想であるように、その男性
の思想もまた、その男性の思想である。その上、この話は、相手がもち出した話題である。一
応の敬意は、払わなければならない。いきなり反論するというのも、その男性に対して、失敬な
こと。
そこで私は、こんなことをさぐってみた。
その男性が、どうしてそういう思想をもったかという、その背景である。つまり思想には、必
ず、それをもつに至った背景というものがある。生まれ育った環境や、教育など。しかし何より
も重要なのは、その男性が、どの程度の問題意識をもっているかということ。どんな本を読み、
どの程度の文章を書き、自分の思想を思想として、まとめあげたかということ。
方法は簡単。いくつかの専門用語を、ぶつけてみればよい。勉強している人は、それなりに、
即座に反応してくる。そうでない人は、そうでない。
私「ジェンダー(社会的性差別)の問題は、世界的な問題だよ」
男「それは知っているが、いくらがんばっても、女は男にはなれないよ、君!」
私「最近の研究によれば、男にも、女にも、両性性があることがわかってきた」
男「何だね、その両性性って、いうのは?」
私「男が男らしくなるのも、女が女らしくなるのも、3歳までの育て方の問題ということ。もともと
男と女を区別するほうが、おかしいということかな」
男「男は、子どもを産むことができない。大きなちがいだよ、これは!」と。
そこでこんな例を出して、説明してやった。
あるところに1人の女の子(?)がいた。5歳くらいまで、女の子として育てられた。その女の
子は、外性器も女の子のもので、見た感じも女の子だった。しかし6歳を過ぎるころから、卵巣
がないことがわかってきた。
そこで調べてみると、腹の中に、睾丸があることがわかった。その女の子(?)は、実は男の
子だった。この女の子(?)のケースは、さらに、染色体レベルまで調べられて、最終的には、
男の子と確定されたが、しかしそれで問題が解決したわけではなかった。
ここにも書いたように、男の子が男の子らしくなる、女の子が女の子らしくなるというのは、3
歳ごろまでに決まる。これを心理学の世界でも、「役割形成」と呼ぶ。しかしその女の子(?)の
ばあいは、6歳前後まで、女の子として育てられた。が、そこで、男の子と判定された。
その女の子にすれば、「私はどうすればいいのか?」ということになる。
やはり心理学の世界では、こうした混乱を、「役割混乱」と呼んでいる。たとえて言うなら、トラ
ックの運転手に、いきなり、リカちゃん人形のコスチュームを着せるようなもの。ばあいによって
は、自己嫌悪から自己否定につながるかもしれない。精神は、極度の緊張状態に置かれる。
「わかりました。では、私は、今日から、男の子になります」というわけには、いかない。
つまり私たちがもっている「男意識」「女意識」といったものは、その延長線上にあるにすぎな
い。もっと言えば、「ジェンダー」なるものは、生まれたあと、生まれ育った環境の中で、作りあ
げられたものにすぎない。つまりそういったもので、そもそも、人間を、「男」と「女」に区別する
ほうが、おかしい。まちがっている。
ついでだが、私が子どものころには、こんな話も残っていた。
江戸時代という封建時代が終わって150年もたっていたというのに、身分に応じて、着る服
の色が、ある程度決まっていたということ。商人は、茶系統、農家の人は、青系統……というよ
うに(この部分は、不確か)。今でも、その傾向がないとは言わない。しかし江戸時代には、着
物の色はもちろん、模様のあるなしまで、さらに厳格に決められていた。
だから子どもながらに、その人の物腰、話し方によって、私は、その人の職業が何であるか、
だいたいのことはわかった。つまりこうした「その人の様子」にしても、その人が生まれ育った
環境の中で、つくりあげられたものということになる。
さて、現在、男女の両性化は、ますます進んでいる。男が女性化し、女が男性化するというよ
りは、ともに、その両性性に、気づき始めている。今では、使う言葉にしても、男女の区別はな
い。意識や価値観にしても、男女の区別はない。「男だから……」「女だから……」と言うほう
が、おかしい。
しかし現実には、冒頭にあげたような男性のような考え方をしている人は、決して、少なくな
い。そういう環境で生まれ育っているから、そういった意識は、心の奥底に、しっかりと根づい
ている。加えて、そういう意識を、疑ってみたこともない。もちろん、それなりの勉強もしていな
い。言うなれば、思想が、サビついたまま硬直化してしまっている。
だから、議論してもムダ!
私「まあ、そうは言っても、今は、そういう時代でもないように思いますがね」
男「だから、今の時代は、おかしいのだよ。教育がまちがっている」
私「しかしつぎの時代を決めるのは、私たちではありませんから。こういう問題は、若い人たち
に任すしかないでしょう」
男「いやな時代になったものだよ。若い人は、もっと、NHKの大河ドラマでも見て、勉強したら
いい」と。
(はやし浩司 ジェンダー 男女論 男女の両性化 両性性 意識 はやし浩司 山内一豊 千
代 内助の功 内助の功論)
+++++++++++++++++++
数年前書いた原稿を添付します。
(中日新聞、発表済み)
+++++++++++++++++++
子どもに性教育を語るとき
●性の解放とは偏見からの解放
若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でもとくに印象に残っているの
が、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協会の会長をしていた。そのベ
ッテルグレン女史はこう言った。
「フリーセックスとは、自由にセックスをすることではない。フリーセックスとは、性にまつわる偏
見や誤解、差別から、男女を解放することだ」「とくに女性であるからという理由だけで、不利益
を受けてはならない」と。それからほぼ30年。日本もやっとベッテルグレン女史が言ったことを
理解できる国になった。
話は変わるが、先日、女房の友人(48歳)が私の家に来て、こう言った。「うちのダンナなん
か、冷蔵庫から牛乳を出して飲んでも、その牛乳をまた冷蔵庫にしまうことすらしないんだわ
サ。だから牛乳なんて、すぐ腐ってしまうんだわサ」と。
話を聞くと、そのダンナ様は結婚してこのかた、トイレ掃除はおろか、トイレットペーパーすら取
り替えたことがないという。私が、「ペーパーがないときはどうするのですか?」と聞くと、「何で
も『オーイ』で、すんでしまうわサ」と。
●家事をしない男たち
国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「家事は全然しない」という夫が、まだ50%
以上もいるという(2000年)(※)。年代別の調査ではないのでわからないが、50歳以上の男
性について言うなら、何か特別な事情のある人を除いて、そのほとんどが家事をしていないと
みてよい。
この年代の男性は、いまだに「男は仕事、女は家事」という偏見を根強くもっている。男ばかり
ではない。私も子どものころ台所に立っただけで、よく母から、「男はこんなところへ来るもんじ
ゃない」と叱られた。こうしたものの考え方は今でも残っていて、女性自らが、こうした偏見に手
を貸している。「夫が家事をすることには反対」という女性が、23%もいるという(同調査)!
が、その偏見も今、急速に音をたてて崩れ始めている。私が99年に浜松市内でした調査で
は、20代、30代の若い夫婦についてみれば、「家事をよく手伝う」「ときどき手伝う」という夫
が、65%にまでふえている。欧米並みになるのは、時間の問題と言ってもよい。
●男も昔はみんな、女だった?
実は私も、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は……、女は…
…」というものの考え方を日常的にしていた。高校を卒業するまで洗濯や料理など、したことが
ない。たとえば私が小学生のころは、男が女と一緒に遊ぶことすら考えられなかった。遊べば
遊んだで、「女たらし」とバカにされた。そのせいか私の記憶の中にも、女の子と遊んだ思い出
がまったく、ない。が、その後、いろいろな経験を通して、私がまちがっていたことを思い知らさ
れた。その中でも決定的に私を変えたのは、次のような事実を知ったときだ。
つまり人間は男も女も、母親の胎内では一度、皆、女だったという事実だ。このことは何人もの
ドクターに確かめたが、どのドクターも、「知らなかったのですか?」と笑った。正確には、「妊娠
後3か月くらいまでは胎児は皆、女で、それ以後、Y遺伝子をもった胎児は、Y遺伝子の刺激を
受けて、睾丸が形成され、女から分化する形で男になっていく。分化しなければ、胎児はその
まま成長し、女として生まれる」(浜松医科大学O氏)ということらしい。
このことを女房に話すと、女房は「あなたは単純ね」と笑ったが、以後、女性を見る目が、180
度変わった。「ああ、ぼくも昔は女だったのだ」と。と同時に、偏見も誤解も消えた。言いかえる
と、「男だから」「女だから」という考え方そのものが、まちがっている。「男らしく」「女らしく」とい
う考え方も、まちがっている。ベッテルグレン女史は、それを言った。
※……国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「掃除、洗濯、炊事の家事をまったくし
ない」と答えた夫は、いずれも50%以上であったという。
部屋の掃除をまったくしない夫 ……56・0%
洗濯をまったくしない夫 ……61・2%
炊事をまったくしない夫 ……53・5%
育児で子どもの食事の世話をまったくしない夫 ……30・2%
育児で子どもを寝かしつけない夫(まったくしない)……39・3%
育児で子どものおむつがえをまったくしない夫 ……34・0%
(全国の配偶者のいる女性約1万4000人について調査・98年)
●平等には反対?
これに対して、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、76・7%いるが、
その反面、「反対だ」と答えた女性も23・3%もいる。男性側の意識改革だけではなく、女性側
の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」
と答えた女性は、半数以上の52・3%もいる(同調査)。
こうした現状の中、夫に不満をもつ妻もふえている。厚生省の国立問題研究所が発表した
「第二回、全国家庭動向調査」(1998年)によると、「家事、育児で夫に満足している」と答え
た妻は、51・7%しかいない。この数値は、前回1993年のときよりも、約10ポイントも低くな
っている(93年度は、60・6%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と答えた妻
も、52・5%もいた。
(はやし浩司 男の家事 夫の家事 性教育 性の解放 男女意識 はやし浩司)
Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司
最前線の子育て論byはやし浩司(030)
【子どもとゲーム】
子どもがゲームづけになるとき
●ゲームづけの子どもたち
小学生の低学年は、「遊戯王」。高学年から中学生は、「マジック・ザ・ギャザリング(通称、マ
ジギャザ)」。遊戯王について言えば、小学3年生で、約25%以上の男児がハマっている(20
00年11月、小3児53名中13名、浜松市内)。
ある日、一人の子ども(小3男児)が、こう教えてくれた。「ブルーアイズを3枚集めて、融合させ
る。融合させるためには、融合カードを使う。そうすればアルティメットドラゴンをフィールドに出
せる。それに巨大化をつけると、攻撃力が9000になる」と。
子どもの言ったことをそのままここに書いたが、さっぱり意味がわからない。カードゲームという
のは、基本的にはカードどうしを戦わせるゲームだと思えばよい。戦いは、勝ったほうが相手
のカードを取る「カケ勝負」と、取らない「カケなし勝負」とがある。カードは、一パック5枚入り
で、150円から330円程度。「アルティメット入りのパックは、値段が高い」そうだ。
●ポケモンからマジギャザまで
あのポケモン世代が、小学校の高学年から中学1、2年になった。そこで当時ハマった子ども
たち何人かに、「その後」を聞くと、いろいろ話してくれた。M君(中2)いわく、「今はマジギャザ
だ。少し前までは、遊戯王だったけどね」と。
カード(15枚で500円。デパートやおもちゃ屋で販売。遊戯王は、5枚で200円)は、1000枚
近く集めたそうだ。
マジギャザというのは、基本的にはポケモンカードと同じような遊び方をするゲームのことだと
思えばよい。ただ内容は高度になっている。私も一時間ほど教えてもらったが、正直言ってよく
わからない。要するに、ポケモンカードから遊戯王、さらにその遊戯王からマジギャザへと、子
どもたちの遊びが移っているということ。カードを戦わせながら遊ぶという点では、共通してい
る。
●現実感を喪失する子どもたち
話はそれるが、以前、「たまごっち」というゲームが全盛期のころのこと。あのわけのわからな
い生き物が死んだだけで大泣きする子どもはいくらでもいた。東京には、死んだたまごっちを
供養する寺まで現れた。ウソや冗談でしているのではない。本気だ。
中には北海道からやってきて、涙をこぼしながら供養している、20歳代の女性までいた(NHK
「電脳の果て」97年12月28日放送)。そういうゲームにハマっている子どもに向かって、「これ
は生き物ではない。ただの電気の信号だ」と話しても、彼らには理解できない。
が、たかがゲームと笑ってはいけない。その少しあと、ミイラ化した死体を、「生きている」とが
んばったカルト教団が現れた。この教団の教祖はその後逮捕され、今も裁判は継続中だが(2
000年当時)、もともと生きていない「電子の生物」を死んだと思い込む子どもと、「ミイラ化した
死体」を生きていると思い込むその教団の信者は、どこがどうちがうのか。方向性こそ逆だ
が、その思考回路は同じとみる。あるいは同じ。ゲームには、そういう危険な面も隠されてい
る。
●思考回路はそのまま
で、さらに、浜松市内の中学1年生について調べたところ、男子の約半数がマジギャザと遊
戯王に、多かれ少なかれハマっているのがわかった。1人が平均約1000枚のカードを持って
いる。中には1万枚も持っている子どももいる。
マジギャザはもともとアメリカで生まれたゲームで、そのためアメリカバージョン、フランスバー
ジョン、さらに中国バージョンもある。カード数が多いのは、そのため。「フランス語版は質がよ
くて、プレミヤのついたカードは、4万円。印刷ミスのも、4万円の価値がある」と。
さらにこのカードをつかって、別のカケをしたり、大会で賞品集めをすることもあるという。「大会
で勝つと、新しいカードをたくさんもらえる」とのこと。「優勝するのは、たいてい20歳以上のお
となばかりだよ」とも。
わかりやすく言えばポケモン世代が、思考回路だけはそのままで、体だけが大きくなったとい
うこと。いや、「思考回路」と言えばまだ聞こえはよいが、その中身は中毒。カード中毒。この中
毒性がこわい。だから一万枚もカードを集めたりする。一枚のカードに4万円も払ったりする!
●子どもをダシに金儲け
子どもをダシにした金儲けは、この不況下でも、大盛況。カードの販売だけで、年間100億
円から200億円の市場になっているという(経済誌・00年前後)。しかしこれはあくまでも表の
数字。闇から闇へと動いているお金はその数倍はあるとみてよい。
たとえば今、「融合カード」は、発売中止になっている(注)。子どもたちがそのカードを手に入
れるためには、交換するか、友だちから買うしかない。希少価値がある分だけ、値段も高い。
しかも、だ。子どもたちは自分の意思というよりは、おとなたちの醜い商魂に操られるまま、そ
うしている。しかしこんなことが子どもの世界で、許されてよいのか。野放しになってよいのか。
(注)この原稿を書いた2001年はじめには発売中止になっていたが、2001年の終わりには
再び発売されているとのこと。
●はびこるカルト信仰
ある有名なロックバンドのHという男が自殺したとき、わかっているだけでも女性を中心に、3
~4名の若者が、そのあとを追い、自殺した。家族によって闇から闇へと隠された自殺者とな
ると、もっと多いはず。自殺をする人にはそれなりの人生観があり、また理由があってそうする
のだろうから、私のような部外者がとやかく言っても始まらない。しかしそれがもし、あなたの子
どもであるとしたら……。こんなこともあった。
1997年の3月、ヘールボップすい星が地球に近づいたとき、世にも不可解な事件がアメリカ
で起きた。「ハイアーソース」と名乗るカルト教団による、集団自殺事件である。
当時の新聞記事によると、この教団では、「ヘールボップすい星とともに現われる宇宙船とラン
デブーして、あの世に旅立つ」と、教えていたという。結果、39人の若者が犠牲になった。
この種の事件でよく知られている事件に、1978年にガイアナで起きた人民寺院信徒による集
団自殺事件がある。この事件では、何と914名もの信者が犠牲になっている。なぜこんな忌ま
わしい事件が起きたのか。また起きるのか。「日本ではこんな事件は起きない」と考えるのは
早計である。子どもたちの世界にも大きな異変が起きつつある。現実と空想の混濁が、それで
ある。
そのよく知られた事件に、あの『淳君殺害事件』がある。それについて書く前に、「右脳教育」
について、少しだけ、考えてみたい。
●左脳と右脳
左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(R・W・スペリー)。その右脳をきたえ
ると、たとえば次のようなことができるようになるという(七田眞氏)。
(1)インスピレーション、ひらめき、直感が鋭くなる(波動共振)、
(2)受け取った情報を映像に変えたり、思いどおりの映像を心に描くことができる(直観像
化)、
(3)見たものを映像的に、しかも瞬時に記憶することができる(フォトコピー化)、
(4)計算力が速くなり、高度な計算を瞬時にできる(高速自動処理)など。こうした事例は、現
場でもしばしば経験する。
●こだわりは能力ではない
たとえば暗算が得意な子どもがいる。頭の中に仮想のそろばんを思い浮かべ、そのそろばん
を使って、瞬時に複雑な計算をしてしまう。あるいは速読の得意な子どもがいる。読むというよ
りは、文字の上をななめに目を走らせているだけ。それだけで本の内容を理解してしまう。
しかし現場では、それがたとえ神業に近いものであっても、教育の世界では、「神童」というの
は認めない。もう少しわかりやすい例で言えば、100種類近い自動車の、その一部を見ただ
けでメーカーや車種を言い当てたとしても、それを能力とは認めない。「こだわり」とみる。
たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、ある特殊な分野に、ふつうでないこだ
わりを見せることが、よく知られている。全国の電車の発車時刻を暗記したり、音楽の最初の
一小節を聞いただけで、その音楽の題名を言い当てたりするなど。つまりこうしたこだわりが強
ければ強いほど、むしろ心のどこかに、別の問題が潜んでいるとみる。
●論理や分析をつかさどるのは左脳
そこで右脳教育を信奉する人たちは、有名な科学者や芸術家の名前を取りあげ、そうした成
果の陰には、発達した右脳があったと説く。しかしこうした科学者や芸術家ほど、一方で、変人
というイメージも強い。つまりふつうでないこだわりが、その人をして、並はずれた人物にしたと
考えられなくもない。
言いかえると、右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あるべ
き人間の理想像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら(=論理)、他
人の心を静かに思いやること(=分析)ができる子どものほうが、望ましい子どもということにな
る。その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である。
●右脳教育は慎重に
右脳教育が脳のシステムの完成したおとなには、有効な方法であることは、私も認める。し
かしだからといって、それを脳のシステムが未発達な子どもに応用するのは、慎重でなければ
ならない。脳にはその年齢に応じた発達段階があり、その段階を経て、論理や分析を学ぶ。右
脳ばかりを刺激すればどうなるか? 一つの例として、神戸でおきた『淳君殺害事件』をあげる
研究家がいる(福岡T氏ほか)。
●少年Aは直観像素質者
あの事件を引き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)画数
の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「百人一首を一晩で覚えたら、5000円
やると言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったこともあります」(「少年
A、この子を生んで」文藝春秋)と。
少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の区別
がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。
その少年Aについて、鑑定した専門家は、「(少年Aは)直観像素質者(一瞬見た映像をまるで
目の前にあるかのように、鮮明に思い出すことができる能力のある人)であって、(それがこの
非行の)一因子を構成している」(同書)という結論をくだしている。
要はバランスの問題。左脳教育であるにせよ右脳教育であるにせよ、バランスが大切。子ど
もに与える教育は、いつもそのバランスを考えながらする。
●才能とこだわり
ところでここにも書いたように、たとえば自閉症の子どもが、ふつうでない「こだわり」を見せる
ことは、よく知られている。たとえば、CDを何枚も集めたり、ゲームソフトを、何千個も集めたり
するなど。
先にも書いたように、そういった「こだわり」が、神業的なものになることもある。
が、こうした「こだわり」は、才能なのか。それとも才能ではないのか。一般論としては、教育
の世界では、繰りかえすが、たとえそれが並はずれた「力」であっても、こうした特異な「力」は、
才能とは認めない。たとえば瞬時に、難解な計算ができる。あるいは、20ケタの数字を暗記で
きるなど。あるいは一回、サーッと曲を聞いただけで、それをそっくりそのまま、ピアノで演奏で
きた子どももいた。まさに神業(わざ)的な「力」ということになるが、やはり「才能」とは認めな
い。「こだわり」とみる。
教育が教育となりうるためには、普遍性(だれにも応用しうるもの)や、再現性(同じことをす
れば、みながそうなる)、が必要である。そしてそういったものが、教育プロセスとして、確立さ
れなければならない。もっと言えば「だからどうなの?」という部分がない「力」は、教育の世界
では、「力」とは認めない。
ここで取りあげた、「少年A」については、精神鑑定の結果、「直観像素質者※」と鑑定されて
いる。直観像素質者というのは、瞬間見ただけで、見たものをそのまま脳裏に焼きつけてしま
うことができる子どもをいう。もっとわかりやすく言えば、空想の世界が、かぎりなくふくらんでし
まい、空想と現実の世界の区別がつかなくなってしまった子どもということになる。
「少年A」も、一晩で百人一首を暗記できるような力をもっていた。そういう特異な「力」が、あの
悲惨な事件を引き起こす遠因になったと、考えられなくもない。
●才能とは何か
と、なると、改めて才能とは何かということになる。ひとつの条件として、子ども自身が、その
「力」を、意識しているかどうかということがある。たとえば練習に練習を重ねて、サッカーの技
術をみがくというのは才能だが、列車の時刻表を見ただけで、それを暗記できてしまうというの
は、才能ではない。
つぎに、才能というのは、人格のほかの部分とバランスがとれていなければならない。まさに
それだけしかできないというのであれば、それは才能ではない。たとえば豊かな知性、感性、
理性、経験が背景にあって、その上ですばらしい曲を作曲できるのは、才能だが、まだそうし
た背景のない子どもが、一回曲を聞いただけで、その曲が演奏できるというのは、才能ではな
い。
脳というのは、ともすれば欠陥だらけの症状を示すが、同じように、ともすれば、並はずれ
た、「とんでもない力」を示すこともある。私も、こうした「とんでもない力」を、しばしば経験してい
る。印象に残っている子どもに、S君(中学生)がいた。
●一小節を聞いただけで、曲名を当てた、S君
ここに書いた、「クラッシック音楽の、最初の一小節を聞いただけで、曲名と作曲者を言い当て
た子ども」というのが、その子どもだが、一方で、金銭感覚がまったくなかった。ある程度の計
算はできたが、「得をした」「損をした」「増えた」「減った」ということが、まったく理解できなかっ
た。
1000円と2000円のどちらが多いかと聞いても、それがわからなかった。1000円程度のも
のを、200円くらいのものと交換しても、損をしたという意識そのものがなかった。母親は、S
君の特殊な能力(?)ばかりをほめ、「うちの子は、もっとできるはず」とがんばったが、しかしそ
れはS君の「力」ではなかった。
教育の世界で「才能」というときは、当然のことながら、教育とかみあわなければならない。
「かみあう」というのは、それ自体が、教育できるものでなければならないということ。「教育する
ことによって、伸ばすことができること」を、才能という。それが先に書いた、「教育プロセス」と
いうことになる。
が、それだけでは足りない。その方法が、ほかの子どもにも、同じように応用できなければなら
ない。またそれができるから、教育という。つまりその子どもしかできないような、特異な「力」
は、才能ではない。
要するに、「だからどうなの?」という部分がないのは、才能とは言えない。「瞬間に見ただけ
で、車の車種から型、メーカー名まで言える子どもがいたとする。しかしそれができたからとい
って、だから、どうだというのか?
こう書くと、こだわりをもちつつ、懸命にがんばっている子どもを否定しているようにとらえられ
るかもしれないが、それは誤解である。多かれ少なかれ、私たちは、ものごとにこだわること
で、さらに自分の才能を伸ばすことができる。
現に今、私は電子マガジンを、ほとんど2日おきに出版している。毎日そのために、数時間。
土日には、4、5時間を費やしている。その原動力となっているのは、実は、ここでいう「こだわ
り」かもしれない。
時刻表を覚えたり、音楽の一小節を聞いただけで曲名を当てるというのは、あまり役にたたな
い「こだわり」ということになる。が、中には、そうした「こだわり」が花を咲かせ、みごとな才能と
なって、世界的に評価されるようになった人もいる。あるいはひょっとしたら、私たちが今、名前
を知っている多くの作曲家も、幼少年時代、そういう「こだわり」をもった子どもだったかもしれ
ない。そういう意味では、「こだわり」を、頭から否定することもできない。
しかしその「こだわり」には、いつも、一定の限度がある。「こだわり」が限度を超えたときに、
さまざまな問題が生ずる。
●カルト性をもつゲーム
ところで、最近のアニメやゲームの中には、カルト性をもったものも多い。今はまだ娯楽の範囲
だからよいようなものの、もしこれらのアニメやゲームが、思想性をもったらどうなるか。
仮にポケモンのサトシが、「子どもたちよ、未来は暗い。一緒に死のう」と言えば、それに従って
しまう子どもが続出するかもしれない。そうなれば、言論の自由だ、表現の自由だなどと、のん
きなことを言ってはおれない。あと追い自殺した若者たちは、その延長線上にいるにすぎな
い。
思いだしてみればよい。旧ソ連崩壊のときロシアで、旧東ドイツ崩壊のときドイツで、それぞ
れカルト教団が急速に勢力を伸ばした。社会情勢が不安定になり、人々が心のよりどころをな
くしたとき、こうしたカルト教団が急速に勢力を伸ばす。終戦直後の日本がそうだったが、最近
でも、経済危機や環境問題、食糧問題にかこつけて、急速に勢力を拡大しているカルト教団が
ある。
あやしげなパワーや念力、超能力を売りものにしている。「金持ちになれる」とか「地球が滅亡
するときには、天国へ入れる」とか教えるカルト教団もある。フランスやベルギーでは、国をあ
げてこうしたカルト教団への監視を強めているが、この日本ではまったくの野放し。果たしてこ
のままでよいのか。子どもたちの未来は、本当に安全なのか。あるいはあなた自身はだいじょ
うぶなのか。あなたの子どもが犠牲者になってからでは遅い。このあたりで一度、腰を落ちつ
けて、子どもの世界をじっくりとながめてみてほしい。
●ゲーム脳
さらに最近では、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。ゲームづけになった脳
ミソを「ゲーム脳」いう。このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。しかし、「ゲ
ーム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05年8月11
日)。
『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、感情、
集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分)
という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。
この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると働か
なくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。それを科学的に証明したのが、日
大大学院の森教授である』(以上、NEWS WEB JAPAN※)。
つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。この
ゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、省略する。
要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。
が、私がここで書きたいのは、そのことではない。
この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりすると、もの
すごい抗議が殺到するということ。上記の森教授のもとにも、「多くのいやがらせが、殺到して
いる」(同)という。
考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。どうし
てそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?
M教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心から、
そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!
●ポケモンカルト
実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本
を書いた。そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到した。名古屋市
にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両論の討論会をつづ
けたという。が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。そうした抗議をしてきた人のほとん
どが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たちであったということ。
どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてくるのか?
出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編集部の男性
からのもあった。
「子どもたちの夢を奪うのか!」
「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。
私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多かった。
「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポケモンを勉強し
てからものを書け」とか、など。
(誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。100%、誤字、脱字のない本などな
い。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)
反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。そんな低レベルの抗議である。で、そのと
きは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度に考えて、私はすませた。
で、今回も、森教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。
これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?
●カルト的連帯感をもつゲーマーたち
一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりをもちつ
つ、カルト化しているのではないかということ。ゲームを批判されるということは、ゲームに夢中
になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらしい(?)。おかしな論
理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。
実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。自分たちが属する教団が批判され
たりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発したりする。
教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。
あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。私が、子どもたちの前で、ふと一言、「ピ
カチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言で、ヒステリー
状態になってしまった。ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声をあげる子どもさえい
た。
そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たちとの間に
は、共通点が多い。たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか狂信的。現実と
空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。たまごっちの中の生き物(?)が死んだ
だけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。
これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるようになるだ
ろう。これからも注意深く、監視していきたい。
ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死んでしまっ
た若者がいるそうだ。たかがゲームと、軽くみることはできない。
注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI(機能的磁
気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十人を測定した。
そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまったく発達させることはな
く、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼす」という実験結果をイギリ
スで発表した。
この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見識に
基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したという(NEWS
WEB JAPANの記事より)。
●M君、小3のケース
M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをしている!」
と。
M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。二段ベッドになっていて、上が、姉。下が、
M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。そのまま朝まで、しているこ
ともある」(姉の言葉)と。
M君には、特異な症状が見られた。
祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。M君は、たくさん集まった親類の人
たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。「まるで、パーティでもしているか
のようだった」(姉の言葉)と。
祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。その祖父がなくなったのだから、M君は、さみし
がっても、よいはず。しかし、「はしゃいでいた」と。
私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。しかし別
の事件が、そのすぐあとに起きた。
M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大けが
をしたというのだ。その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあったのです
が、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。
こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、言い切
れない。こんなことがあった。
M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲームを取り
あげてしまった。その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、自分の頭をガ
ラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。
もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをしたという。
そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のところに相談にやって
きた。
私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにした。その
ときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。
そのM君には、いくつかの特徴が見られた。
(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるしく変化し
た。時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。
(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャーと騒ぐ。
イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。
(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計算問題(割
り算)をすませてしまう。そして「終わったから、帰る」などと言って、あと片づけを始める。
(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。彼がそのとき夢中になっていたのは、N
社のGボーイというゲームである。そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能面のように無
表情になる。ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のようになる。
M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2~3時間はつづける
そうである。長いときは、5時間とか、6時間もしているという。(同じころ、12時間もゲームをし
ていたという中学生の話を聞いたことがある。)
以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。話は少しそれるが、
それをここに紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化し
ている。
●収拾がつかなくなる子ども
一方、学校という場でも、こんな珍現象が起きつつある。
「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ
う。動作も一貫性がない。騒々しい。
ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そしてそ
のままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目
が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。
多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。30年前には
このタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。小1児で、10人に2人
はいる。
今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、そ
れだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒
ぐ。そんな感じになる。
●崩壊する学級
こうした現象だけが原因とは言えないが、そのため、「学級指導の困難に直面した経験があ
るか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育
大学秋葉英則氏調査)。
「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名
以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子ども
については、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友
だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破った
り捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。
●ふえる学級崩壊
学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日教組と
全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されてい
る。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や
東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」
(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。
北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない ……19人
教師の指示を行動に移せない ……17人
何も言わず教室の外に出て行く ……9人、など(同大会)。
●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。
「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、
キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわ
からなくなった」とこぼす。
日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(1
4%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果
として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という
先生が、60%(同調査)もいるそうだ。
●心を病む教師たち
こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する
約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年210人から2
20人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていること
がわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。
この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年
度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。
この数字は全休職者の約52%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171人で、
精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ
状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係
のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。
●原因の一つはイメージ文化?
こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊
家庭は少なくなった。
むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発
的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きてい
る。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビ
やゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。
「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もし
ませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。
速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。
速すぎる。
●ゲームは右脳ばかり刺激する
こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その
証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ
ない。
浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、お
しっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的
で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさど
るのは、左脳である(R・W・スペリー)。
テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新し
い刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、こ
こにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。
学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。
●その対策
現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラスを1
クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている
(共同通信社まとめ)。
また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年について、
新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2人担任制に
し、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。
福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30~36人のばあいでも、もう1人教
員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校で
は、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分
県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施している(01年度調べ)。
●失行
近年、さらに、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。96年に、ドイツのシュルツと
いう医師が使い始めた言葉だという。
失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。たとえば風呂から出たと
き、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。本人も、「風呂から出たら、パジャマに
着がえなければならない」と、理解している。しかし風呂から出ると、手当たり次第に、そこらに
ある衣服を身につけてしまう。
原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。
それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられると
いう。行動命令と抑制命令である。
たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命令の二
つが、同時に発せられる。
だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。行動命令だけだ
と、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。抑制命令が強すぎると、行動その
ものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。
精神状態も、同じように考えられないだろうか。
●抑制命令
たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。激怒した状態を思い浮かべ
ればよい。
そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。激怒するのを、精神の行動命令とするなら、
「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。
この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、それなり
に、よく理解できる。
たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それは、こ
れから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。
そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。が、母親の姿が見えなくなったとた
ん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。
それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。「どうして、食べたの! 食べてはだめと言った
でしょ!」と。
このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。しかし精神の抑
制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。だから子どもは、菓子を食
べてしまった。
●前頭連合野
……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。そして
この前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理できなくな
ってしまう。いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。
前述のWEB・NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミュニケ
ーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。
どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。一
説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になっているそ
うである。
言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。その適
齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、修正したり
するということができなくなる。
ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習能力と
いったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけることができる。
その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、異常に刺激され
ることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門外漢の私にさえ、容
易に推察できる。
それが「スカスカの脳」ということになる。
これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。
●子どもの人格の完成度
「ゲーム脳」になると、子どもは管理能力を喪失するという。しかしこの現象を、安易に考えて
はいけない。管理能力は、その子ども(人)の人格をも決定する、重要な要素だからである。
たとえば、子どもの人格の完成度は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。話を先
に進める前に、あなた自身の子どもの人格の完成度はどうか。参考までに、一度、立ち止まっ
て判断してみてほしい。テストの内容、項目は、子ども向けに私がアレンジしてみた。
(1)共感性
Q:友だちに、何か、手伝いを頼まれました。そのとき、あなたの子どもは……。
(1)いつも喜んでするようだ。
(2)ときとばあいによるようだ。
(3)いやがってしないことが多い。
(2)自己認知力
Q:親どうしが会話を始めました。大切な話をしています。そのとき、あなたの子どもは……
(1)雰囲気を察して、静かに待っている。(4点)
(2)しばらくすると、いつものように騒ぎだす。(2点)
(3)聞き分けガなく、「帰ろう」とか言って、親を困らせる。(0点)
(3)自己統制力
Q;冷蔵庫にあなたの子どものほしがりそうな食べ物があります。そのとき、あなたの子どもは
……。
○親が「いい」と言うまで、食べない。安心していることができる。(4点)
○ときどき、親の目を盗んで、食べてしまうことがある。(2点)
○まったくアテにならない。親がいないと、好き勝手なことをする。(0点)
(4)粘り強さ
Q:子どもが自ら進んで、何かを作り始めました。そのとき、あなたの子どもは……。
○最後まで、何だかんだと言いながらも、仕あげる。(4点)
○だいたいは、仕あげるが、途中で投げだすこともある。(2点)
○たいていいつも、途中で投げだす。あきっぽいところがある。(0点)
(5)楽観性
Q:あなたの子どもが、何かのことで、大きな失敗をしました。そのとき、あなたの子どもは…
…。
○割と早く、ケロッとして、忘れてしまうようだ。クヨクヨしない。(4点)
○ときどき思い悩むことはあるようだが、つぎの行動に移ることができる。(2点)
○いつまでもそれを苦にして、前に進めないときが多い。(0点)
(6)柔軟性
Q:あなたの子どもの日常生活を見たとき、あなたの子どもは……
○友だちも多く、多芸多才。いつも変わったことを楽しんでいる。(4点)
○友だちは少ないほう。趣味も、限られている。(2点)
○何かにこだわることがある。がんこ。融通がきかない。(0点)
***************************
( )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
( )自分の立場を、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
( )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
( )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
( )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
( )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
( )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。
これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の高い子
どもとみる(「EQ論」)。
***************************
●順に考えてみよう
(1)共感性
人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーターが、
「共感性」ということになる。
つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲し
み、悩みを、共感できるかどうかということ。
その反対側に位置するのが、自己中心性である。
乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、その
自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。
が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さらにこの
自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、権威主義、世
間体意識へと、変質することもある。
(2)自己認知力
ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私は何を
したいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。
この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているかわから
ない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっきりしない。優柔
不断。
反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っているこ
とを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示すことが多
い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。
(3)自己統制力
すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子どもの
ばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。
たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらにため
て、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。
が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけのた
めに使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわらず、お菓
子をみな、食べてしまうなど。
感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口にし
たり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統制力の弱い
子どもとみる。
ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制力に
分けて考える。
(4)粘り強さ
短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界を見て
いると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。
能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題のある
子どもでも、短気な子どもは多い。
集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気にな
る。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ子どもも
いる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。
この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。
(1)楽観性
まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向きに、も
のを考えていく。
それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしなところ
で、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、悩んだりすること
もある。
簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。
ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲気にも
よるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。
たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観的と言え
ば、楽観的。超・楽観的。
先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア~い」と。そこで
「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。さらに、「なおらなか
ったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、しかたないでしょう」と。
冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人
もいる。
(2)柔軟性
子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。
この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。
一般論として、(がんこ)は、子どもの心の発達には、好ましいことではない。かたくなになる、
かたまる、がんこになる。こうした行動を、固執行動という。広く、情緒に何らかの問題がある
子どもは、何らかの固執行動を見せることが多い。
朝、幼稚園の先生が、自宅まで迎えにくるのだが、3年間、ただの一度もあいさつをしなかっ
た子どもがいた。
いつも青いズボンでないと、幼稚園へ行かなかった子どもがいた。その子どもは、幼稚園で
も、決まった席でないと、絶対にすわろうとしなかった。
何かの問題を解いて、先生が、「やりなおしてみよう」と声をかけただけで、かたまってしまう
子どもがいた。
先生が、「今日はいい天気だね」と声をかけたとき、「雲があるから、いい天気ではない」と、
最後までがんばった子どもがいた。
症状は千差万別だが、子どもの柔軟性は、柔軟でない子どもと比較して知ることができる。
柔軟な子どもは、ごく自然な形で、集団の中で、行動できる。
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