『とんとこひ・セクスアリテ』

September 30, 2005
XML


京都府 地形の概要

京都府 '上ル' '下ル' の検索結果

「上ン町」「下ン町」
(よみ:「かみんちょ」 「しもんちょ」)

 京都の落差ある地形の中で、「上ル」「下ル」の語は、京都御所を念頭におき、発生したとみられている。今日ではただ、北上することを「上ル」、南下することを「下ル」と言っている。

 京都の童遊のかけ合いにある「かみんちょ」は「上ン町」(上の町)、「しもんちょ」は「下ン町」(下の町)の意であるが、「下ン町」は、京都市内では最大規模の「同和」地区の代名詞としても使われていた。

 「下ン町」、「しものひと」という言葉は「同和」地区から北方へ転出して来ていた家族にも適用されており、家族の現住所が問題なのではなく、出身地が常に問題にされてきた状況がうかがわれる。

 もちろん、「上ン町」「下ン町」の語も発言されるときの状況、声音、調子、表情等によって侮蔑語と化すのであり、それ以外にごく普通に表現されるときは一種の地点表示であるにすぎない。

 参考『光あるうちに』(横井清, 阿吽社,1990年)




 中世の「職人たち」の画像を見たい人は コチラ (TOPページは 長谷川賢二のページ



シュク(宿)

 京都を例にとると、中心的な宿村は清水坂の下、鴨川の東岸の五条通(松原通)にあった坂と称された地域であった。



キヨメ(清目)

 清目は京都においてはとくに河原者とよばれた。



つるめそ(犬神人)

 祇園祭の警固に、坂つるめそが出仕することはよく知られている。



「非人」身分

 もと武士であった者が戦いに敗れて都市に流れ着き、そこで藩主に乞食の頭を命じられ、近世において「非人」集団を形成していったという多くの伝承があるが、京都においてはすこし事情が異なり、古代以来の貧民救済施設である悲田院にいた「非人」たちが、悲田院の衰微に伴って、岡崎村に移り住み、引き続き「非人」支配の役を命じられた。


「穢多」身分

 「エタ」を初めて登場させた文献は『塵袋』(1274~81)だが、ほぼ同時期に漢字の「穢多」を多く登場させた『天狗草紙』の物語の舞台は鴨川のほとり、四条河原で、のちの高瀬川(みそそぎ川)になると見られるくの字形に蛇行する小川が描かれている。
 さらに古い史料の『延喜式』(927)には、下鴨神社の南側に濫僧(ろうそう)、屠者(としゃ)などが住んではならないとある。




 いろいろな論証を重ねてきた結果、京都を震源地にして部落が全国に広がったと考えると説明のつく事実がたくさんある。平安中期、中世の初め頃、部落は京都周辺に最初に置かれたと考えられる。



『オール・ロマンス事件』

 一九五一年一〇月、「オールロマンス」という雑誌に京都市のある公務員が被差別部落の様子を書いた小説を発表しました。小説には、興味本位に、また差別的に、学校に行けない部落の子どもや、仕事がなく働けない部落の青年や大人たち、文字を読めない部落の大人たちのことが書かれていました。
 当時の京都市のT市長は、市の公務員がそのように被差別部落のことを書いたことは差別だと認めましたが、この小説を書いた公務員個人に責任をとらせ、事件を解決しようとしました。そこで、被差別部落の人たちは、京都市の地図を広げて、市の役所の人たちに次のような質問をしました。

 ・せまくて家の密集している所はどこか
 ・消防自動車の入れない所はどこか
 ・学校に行きたくても行けない子どもたちの多い所はどこか
 ・大雨が降ると危険な所はどこか

 それにあてはまる場所が地図の上に赤丸で印されていきました。その結果は、赤丸のしるしは京都市の被差別部落に集中していました・・・




 京都の山城地方には宿村という村があります。京都府の範囲は当時は山城一国ですが、当時は、穢多・非人、夙(宿)、隠亡、歴代の五つの賤民集団がいたと書き上げられています。
 戦前の部落史研究は、被差別部落を「えた」身分、「ひにん」身分の村々に限定しないものでしたが、戦後新しく登場した「近世政治起源説」などが研究の枠を狭めました。

 その後の京都の部落問題はどんなふうになったか。「穢多村の問題と自分たちとが一緒にされることを嫌う村がたうさんある。・・・ほかのことはともあれ、こと結婚のような問題になると穢多村と全く同じように差別を受けてしまう。それで実際のところ地元の方は、自分のところは部落とは違うんだと説明して結婚を進める」というふうに、一部ではなりました。




 近世社会に存在した被差別民の群れの中に、これまで部落史の中心として扱われてきた「穢多」「非人」をおいてみるとき、従来は差別と貧困の中であえいでいる貌(かお)のみが印象付けられていた彼らの、さまざまな表情が浮かんできます。




 (日本を代表する庭園は「穢多」の人たちが、能は「非人」の人たちがつくったことが分かり、部落差別と背中合わせに、このような高い文化が生まれてきたとしても)部落の文化をはじめとした多様な側面の見直しが、芸能・文化というような対語が示すような、既存の価値観の中でプラスのベクトルをもつ方向の枠内でのみ語られるとしたら、それは被差別民像の根本的な転換とは無縁のものといわざるをえないです。




 この課題にこたえるために、皮なめし・雪踏つくりといった部落の基本的な仕事と生活の文化史上での位置づけを問い直す試みを、やはり欠くことはできないのです。
 っつーことで、↓をこれからお勉強していくのら~。



あおや(青屋)


はるこま(春駒)


猿まわし



へい牛馬処理


草履づくり


こぼし(小法師)


けいり(刑吏)


参考文献

『近世の民衆と芸能』 京都部落史研究所 1989
『近代に生きる人びと』京都部落史研究所 1994
『おとぎの国の部落史話』   辻本正教 2001





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  October 3, 2005 11:37:40 AM
コメント(2) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


「古都」論も  
さまざまな人が、言っていいと思う。ワタシは京都には住んだことがないから、「同和」地区住人の京都論を探し中・・・ (October 2, 2005 11:11:49 PM)

まもなく  
紅葉が秋空に映える美しい季節を迎えますねー。南禅寺は紅葉狩りを楽しめるだけでなく、周辺に湯豆腐や精進料理のお店が軒を連ねていて、その両方に(目が)癒されるので、ワタシは大のお気に入りになりました。これから、昼と夜の気温の差が出てくるようになると、紅葉は鮮やかに色づくんですよね。待ち遠しいなあ。今年も混むだろうなあ(笑)。 (October 3, 2005 11:50:25 PM)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

himeda

himeda


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: