『とんとこひ・セクスアリテ』

October 14, 2005
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近世被差別民の芸能

近世被差別民の芸能(京都を中心に)

 戦後、部落史の研究の開始と同時に、被差別部落を「えた身分」の村々に限定した上での研究が始まっていったことと、部落の「近世政治起源説」が新しく登場したこととが、部落史の研究の枠を狭めたと、研究者の間でいわれている。


 京都では、中世後期には声聞師系の散所の人びとが、芸能民として様々な芸能を演じていたが、江戸時代初期には全くといってよいほど居なくなってしまった。
 代わって新しい芸能者の一番中心をなしたのが「祝福芸能者」だったが、これには、専業芸能者(非常に高度な技術を持っている専業の芸能者のこと。猿まわしなど。ごく少数だったと思われる)と季節的祝福芸能者(節季候、婆等、春駒、厄祓、鳥追いなど)の二通りの人たちがいた。

 それ以外に、季節とは関係なく門付けなどをする芸能者、物を売るための手段として芸能を演じる香具師(やし)といわれる人たち、下級宗教者といわれる人たち、専業の能役者や歌舞伎役者など、とにかくさまざまな芸能民がいた。

 猿まわしは、江戸時代の前期、京都では因幡薬師堂の近くに六人住んでいた。猿に芸を仕込み、それを飼い馴らすには相当の熟練と根気が必要であり、ある季節だけやるというわけにはいかないはずなので、専業の芸能者と思われた。

 鉢叩きは、冬季の寒行念仏などの特定の宗教行事以外は、ささらや茶筅を売り歩く職業を持っていた空也堂が掌握していた下級宗教者だった。

 季節的祝福芸能者は、祝福や厄祓ということに意味があるため、芸能そのものを見せるのが目的ではなく、異次元から現れたということが大切で、彼らの身分がその拠り所となったと思われる。
 京都では、五条坂の北側~現在の若宮八幡の裏に役者村があった。

 京都では「えた身分」的な芸能と「ひにん身分」的な芸能とが完全に分かれていたが、地方の小さい地域の被差別民は割合一緒のことをやっているところが多かった。声聞師村の人たちが千秋萬歳をやっていたり、舞々と呼ばれている人たちが、声聞師、陰陽師としての占いや暦の配りを地方では やっていた。
 声聞師がやる芸能は季節的祝福芸能であるから、芸能の専業者ではなく、彼らの大部分は田畑を持っていたと考えられる。

江戸では、歴史史料によれば、綾取り、猿若、江戸萬歳、辻放下、からくり、あやつり、浄瑠璃、説教、物真似、仕方能、物読み・講釈、辻勧進と一二種類の大道芸に関しては、(芸能民はだいたい非人頭車善七に支配されていたが)浅草で見世物芸などをやる貧民層の武士階級の町人乞胸(ごうむね)に支配が認められたことがあった。これら一二種類は全部、専業芸能よりも下級とみなされ、より賤視されていた芸能ばかりであった。
 つまり、乞胸は、稼業そのものは賤視されるけれども、身分そのものは賤視されない特殊な芸能者であった。非人頭車善七は、身分そのものは賤視されるけれども、稼業は乞胸のそれほど賤視されていなかった。
 そして、乞胸を非人頭車善七が支配し、非人頭車善七を穢多頭弾左衛門が支配していた。穢多頭弾左衛門は、武士の姿をしていた(羽織・袴を着、刀は二本差しで、丁髷を結っていた)が、身分としては賤視の対象である「えた身分」であった。

 賤民に対する賤視と 芸能というものに対する賤視と賤民的芸能への賤視を、「賤」という言葉でひとくくりにすることには問題があり、分けて考える必要がある。



 穢多頭弾左衛門のいなかった京都で、非人頭車善七にあたるものが悲田院であった。京都は近世初頭に、祝福芸能などの芸能と別に、歌舞伎などの芸能が既に成立しており、争いごとはあまりおこっていなかった。

 芸能が、田楽師や猿楽師という非常に限定された専業的芸能者がやっていた段階を越え、賤民が芸能に携わることによって、芸能に対する賤視が生まれていく(芸能に対する賤視はどんな社会にもある)という話が、細かな議論抜きに言われることが多い。
 たしかに、芸能者や宗教者が、ともに神にかかわる、それゆえに敬されもすれば、遠ざけられもするという現実はどんな社会にもみられる。
 賤視ではなくて芸能者・宗教者に対する「区別」(ほかの人と少し別に考える)は、どこの社会でも見られる。それがどういう形で賤視に変わっていくかについて、それぞれの社会の歴史的状況において細かな議論が必要である。

 祝福芸などは、まだまだ宗教と芸能が未分化の状態で、たとえば異次元から神の使いか何かわからない人たちが悪いものを祓いにくるという心意伝承が非常に古くからあり、その役を誰がやるかというと、当時は「清目」の人たちが「清目」という職能の一種と考えてやるようになる、その中で「清目」の職能として定着して行った、というふうに考えられる。

参考文献『近世の民衆と芸能 』 山本尚友 他 阿吽社 1989.04


 補足として、『中世の民衆と芸能 』(横井清 他 阿吽社 1986.06 )で、「中世賤民史研究者の固定観念には、差別、賤視、それに伴う職業という図式がまだ頑として残っていまして・・・」「近代的な価値基準で見ているために、こんな仕事は皆いやなはずだ、だからそれが賤視につながり、賤民の存在に関わったと言いだす。そうではなくて・・・」と、研究者の方たちが自戒しておられた。

 また、「打ち祓うべきけがれと認定される物体、あるいは目には見えないけれども、当時の人には確実にその実在が信じられていたもの、それを祓う人というのはやはり特定の人である。なぜかというと、その人たちはそれを全部吸収しうるが、それは一般の人にはできない。だから、ある社会が共通に打ち祓わなければいけないと思っているけがれを全部吸収し、なおかつ存立しうるという凄さ」という観点が、「単に職業とか、生きるための仕事というのを越えてあったのではないか」「中世のある時期を画期として、特定の階層、職業、集団に対する差別がしだいに明確になってくる。それ以前の段階では、清目といえども、死刑執行人といえども、極めて誇り高きものであって、その背後には神が存在するというプライドがあった」という点について、研究者が再度確認しあおうとの提起がなされていたので合わせご紹介。





「今様職人尽歌合」に描かれた「萬歳」「鳥追い」






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Last updated  October 15, 2005 11:32:35 PM
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