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1949年1月1日前後より、足かけ2年にわたった「松本治一郎公職追放取消し請願行動」の歴史の年表を更新致します^^1940(昭和15)年12月10日 [[橿原神宮建国会館]]にて、[[全国水平社]]臨時常任委員会が開かれる。生活改善運動対策・[[大和報国運動]]講演会・[[全水解散]]等、協議される。[[中央融和事業協会]]を、[[「同和」奉公会]]と改める。1948(昭和23)年9月14日 [[松本治一郎]][[公職追放問題]](「[[大和報国運動]]」本部の役員であったとして、[[法務庁]]特別審査局が調査)で、特審局が[[民政局]]([[GS]])に「追放する理由が無い」と回答する。 1949(昭和22)年1月1日 [[吉田茂首相]]が、[[ホイットニー民生局長]]に、[[松本治一郎]][[公職追放]]を懇請する。1949(昭和22)年1月2日 [[米民生局]]が[[殖田俊吉]][[法務総裁]]を呼び、[[松本治一郎]]の[[公職追放]]を承認する。 1949(昭和24)年1月24日 [[吉田茂内閣]]の陰謀により、[[松本治一郎]]が「[[大和報告]]運動会役員」という名目で、[[公職追放]]される。 昭和二四年一月一日付で、ホイットニー米民生局長にあてた吉田茂の手紙が、私の公職追放を懇請したのである。それによると、 「一部では、日本政府に何らかの政治的な動きがあるのではないかと、政府を非難しそうな形勢にありますが、日本政府はすべての人を公正に、かつ法にはあくまでも忠実に行動しています。その結果、松本氏を追放者の中に入れることに決定しました。政府のこの措置は貴下が承認されるものと信じます--- ---」。 事実、その手紙を吉田が出した次の日の一月二日、殖田俊吉法務総裁はGSによばれて私の追放を承認すると言われた。 1949(昭和24)年2月4日 [[松本治一郎]]が[[参議院副議長]]の辞表は提出せず登院する。 私の信念と過去の経歴に対する、軍国主義者・超国家主義者としての烙印を捺されることは、死んでも死にきれない。今回も事実の黒白が明白になる時が来ると確信する。1949(昭和24)年2月9日 [[解放委緊急中央委員会]]が、[[松本治一郎]]不当追放反対を決議し、[[吉田茂首相]]に決議文を手交する。1949(昭和24)年2月16日 [[松本治一郎]][[不当追放反対民主団体協議会]]が結成される。1949(昭和24)年3月2日 臨時閣議の席上、[[樋貝国務省]]が「[[全水福岡支部]]が[[松本治一郎]]氏の追放に対する報復を企て--- ---」というデマの報告をする。 二四年三月二日の臨時閣議の席上、樋貝国務省が「[[全水の福岡支部]]では、[[松本]]氏の追放に対する報復を企て、大臣一人につき三名の刺客を送ったという情報が入ったので、国家警察本部に警戒を命じた」と報告をしている。悪事を企み、他人を故意に陥れようとする者は、得てしてこういう被害盲想にかかるものであろう。1949(昭和24)年3月11日 [[ソ連]]代表が[[松本治一郎]]氏の追放解除を、[[マッカーサー]]に要請する。1949(昭和24)年3月15日 [[東京]]で[[人民大会]]が[[松本治一郎]]追放取消しを要求する。1949(昭和24)年3月27日 [[参議院]]で、[[内村清次議員]](社会党)が、[[松本治一郎]][[公職追放]]資格審査の問題につき、緊急質問を行う。 ・[[第三国会]]で、「[[カニの横バイ]]が廃止される。1950(昭和25)年3月30日 [[松本治一郎]][[不当逮捕取消し請願行進]][[全九州人民大会]](福岡)が開催され、五万余名がデモ行進を行い、二六名の[[請願隊員]]が東京に向けて出発する。1950(昭和25)年4月8日 [[松本治一郎]][[不当追放反対]][[解放要求人民大会]]が東京で開催され、[[闘争宣言]]が発表される。1950(昭和25)年4月28日 [[松本治一郎]][[不当追放取消し]]で、[[闘争本部]]が[[ハンスト]]を決議する。1950(昭和25)年4月8日 [[松本治一郎]][[不当追放取消し]][[請願隊員]]六名が[[ハンスト]]を決行する。1950(昭和25)年10月13日 [[吉田内閣]]により、「[[大和報国運動会役員]]」という名目で、唯一、一万九十一名の解除者から[[公職追放]](一九四九.一.二四)を除外された[[松本治一郎]]を、追放解除から除外せよとの[[抗議]]の[[声明書]]を、[[部落解放全国委員会]]が発表する。 1950(昭和25)年11月25日 [[全国部落代表者会議]]([[東京]])において、[[松本治一郎公職追放]]解除除外につき、抗議方針を決定する。 一、[[吉田内閣]]への抗議の[[国会]]質問 二、各[[政党]]・[[民主団体]]への働きかけ 三、[[吉田首相]]への面接抗議1950(昭和25)年11月27日 [[米「ライフ」誌]] が、[[松本治一郎追放問題]]を掲載する。 1951(昭和26)年8月6日 [[吉田内閣]]により「[[大和報国運動]]会役員」という名目で[[公職追放]]された[[松本治一郎]]が、[[政界]]に復帰する。
2009.01.24
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明後日、01.23は、狭山事件の第二次再審請求棄却に対する異議申立が棄却された日に当たります。糺弾!狭山事件第三次再審請求の更新年表です。(2002.01.23 東京高裁(第5刑事部)高橋省吾裁判長、第2次再審請求棄却に対する異議申立棄却。)(2002.01.29 最高裁(第一小法廷)に対し、特別抗告申立て。)2005.3.16 最高裁第一小法廷・島田仁郎裁判長特別抗告棄却決定。第二次再審請求に幕(18年7ヶ月) 。2005.9.1 再審を願い、狭山再審リボンキャンペーンはじまる。 2006.5.23 東京高裁に第三次再審請求。 2008.5.23 東京高裁に新証拠提出。再審を厳しくせまる。 2008.10.15 国連自由権規約委員へのブリーフィング(スイス・ジュネーブ)。石川一雄さん世界に無実を訴える。 2009.1.1 石川一雄さん、HPを通じて新年のメッセージを発信する。石川一雄さん新年のメッセージです。(メールマガジン 狭山の風 HPで知り、愚HPにも掲載させていただきました。いつもお世話になっています。遅ればせながら御礼申し上げます。)謹んで新春のご挨拶を申し上げます。 全国の支援者の皆様はどの様な計画を立てて新年をお迎えになられたでしょうか。 私は今年こそ冤罪を晴らせる年にしようという思いを強く強く心に秘めて二〇〇九年の第一歩を元気に踏み出しました。ただ返す返すも残念無念は、昨年中の勝利は兎も角、再審実現の目処も立てられなかったことであります。それ故、今年に臨む思いは強い訳ですが、司法当局は警察より逮捕状の要求があれば即座に拘束する機会を与えても、私が求める証拠開示の職権発動は未だしてくれません。しかし門野裁判長は、法と正義、良心に基づいて万人が納得出来る判断を出して下さると信じ、また希っています。 そうであれば、今までに弁護団より提出された新証拠、新鑑定書等を精査されている筈と思われ、殊の外重要なのは、時計、万年筆、カバンなど、警察が焦って私を犯人にデッチあげるために仕組んだ「証拠の偽造」「事件のストーリーのデッチあげ」「偽証の捏造」の実態を世に明らかにした識別鑑定や識字鑑定等の意義であります。「殺害現場」とされた場所で「悲鳴も聞かなかったし、人影も見ていない」というOさんの証言をはじめ、U証言について三次で深く踏み込んで、識別鑑定をしてもらったことは、無罪獲得に向けて大きく前進したものと思われます。 元より最高裁では「・・・脅迫状を届けに来た人がN家の所在を尋ねて立ち寄った人が石川・・・」という U証言に言及し、「・・・所論は同証人が暫く経ってはじめて右事実を警察に届け出たのは、不可解であるとのことであるが、事件との関わりを持つことが恐ろしく、届け出を躊躇したのであって、かかる真情が決して不自然でないことは確定判決の説示するとおりである」とし、U証言を擁護しておりますが、果たして「人を殺した」後で顔を見られたら不味い筈の犯人がのこのこN家を聞きに行くであろうか。仕組まれたU証言とはいえ、一応こういうことが存在するからには、これを裁判官に理解して貰う上で、私は徹底的に解明しておく必要があると思った次第です。 尤もある意味では、私の無実を示す証拠は検察庁に隠されている証拠かもしれません。 戦後の憲法、法では被疑者には黙秘権があり、無実の人が罪に落としこめられないように「疑わしきは罰せず」 と冤罪の恐ろしさを戒めると同時に、被疑者・被告人が本当に罪を犯しているか否か、誰の目にも解り、公正で公平な裁判が受けられるように全証拠を開示する義務が負わされているのが公的機関である検察官の筈ですが、大衆の声にも耳を傾けようとしない検察の態度に対し、憤りは禁じ得ないながらも、この方の取り組みも粘り強く交渉を断行して頂きたいし、私も全力で要請して参る所存です。 さて、昨年はジュネーブにある国連で無実と証拠開示を訴えることができました。10年前ごろ、パスポートは取れないというように言われておりましたが、今回パスポートを取り、国連・自由権規約委員会に於いて自分の置かれている実情や、日本の司法の実態を訴えると共に、ロビー活動を積極的に行った結果、同委員会から日本政府に対し、公正な裁判を受けられる様に証拠開示の必要性などを勧告され、私の訴えが反映されたとホッと一息したものでした。 何れにせよ、近年様々な冤罪事件が公に露見した事に因って市民感情として警察、検察、裁判所に対して、不信感がある中で、狭山再審闘争もいよいよ大詰めを迎えた感があり、なんとしても再審実現のためには皆さんの更なるご理解とご支援を賜らねばなりません。 私の狭山事件の例を見るまでもなく、裁判所の誤った判断ほど恐ろしいものはなく、其れを糺すためには誠心誠意の努力を傾けることが最も大切であり、当然になすべきものなので、私も裁判所に一切の幻想を抱くことなく、再審開始決定が出るまで、とことん真実を追究して参りますので何卒、皆さんも昨年以上のご協力下さいますよう心からお願い申し上げて、右年頭に当たり、私の決意の一端と致します。二〇〇九年一月一日 石川 一雄それでは、本年も(牛歩ですが)どうぞ宜しくお願いします。
2009.01.21
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