ひまわり号人生航海日記

ひまわり号人生航海日記

2018年04月07日
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ポツダム宣言は1945年7月26日に連合国から日本政府側に提出されました。日本は既に敗戦の色濃く、降伏は時間の問題でした。米国は当初、ポツダム宣言の中に天皇条項(天皇制は残す)を入れる予定で検討していました。それは日本の心情をよく知っていたグレー国務次官(元在日米国大使)の提言が反映されたそうです。すなわち天皇条項を入れないと日本は降伏せず本土決戦に持ち込む可能性が必定であると読んでいたのです。ところが、宣言案を作るためのポツダム会議が始まる7月17日の前日に米国の トリニティ実験場 で核実験が人類史上初めて成功したというニュースがトルーマン大統領の耳に入ります。しかも次に原爆を投下できるのは早くて8月3日以降であるという情報も一緒でした。この時のトルーマンの心の内に分け入ってみましょう。

「ヤッター!これで我が国は世界に国威を示すことが出来る。待てよ!このまま天皇条項を入れてポツダム宣言を日本に出せば日本はすぐに降伏するだろう。そうすると道義的には原爆を投下できないことになる。原爆を是非、実戦で使ってみたい。少なくとも原爆を投下できる8月3日以降まで時間かせぎをしよう。よし、天皇条項を除いて出すことにする。そうすれば日本はポツダム宣言を拒否するだろうから、原爆を投下する理由ができる。原爆投下した後に天皇条項を復活すれば無条件降伏をするだろう。それに今年の2月に開催したヤルタ会談でロシアに本土決戦に備えて北方から日本を攻撃するよう要請し、その見返りに南樺太、千島列島をロシアの領土にする了解をしていた。しかし、原爆さえあればロシアの参戦は必要ないかもしれない。これ以上ロシアの極東における利権を拡大させることは米国の国益に添わない。よし、ポツダム宣言の署名国からロシアを外してしまおう」

このトルーマンの選択は悪魔の選択と言ってもいいでしょう。これにより人類史上未曽有の大残虐が起きるのです。原爆投下により被爆直後で20万(5年以内で34万人)の犠牲者、さらにロシアの蛮行(詳細は後述)により52万人(戦死者5万人を除く)の犠牲者が出ました。この52万人という数字の詳細は後述します。

さて、7月26日にポツダム宣言を受け取った日本は天皇条項が入っていないため閣議は紛糾します。阿南陸軍大臣を中心した軍部は本土決戦による徹底抗戦を主張します。結論を出せぬまま悶々とした日々が続きました。米国もイライラしていました。日本側のポツダム宣言拒否の回答を心待ちしていたのです。ところが鈴木首相とマスコミが大チョンボを犯します。記者会見で鈴木首相は「まだ検討中で結論は出ていない」と言えばよいものを「黙視している」答えたのです。これを日本の新聞は黙殺と書いてしまい、さらに米国の新聞は無視と訳してしまったのです。つまり日本はポツダム宣言を拒否したという報道になってしまったのです。このことについて鈴木首相は後で猛反省していますが、後悔先に立たず!米国はポツダム宣言拒否を理由に原爆投下(後日、米国政府は記者会見で日本がポツダム宣言を拒否したので原爆を投下したと発表していますが、これは嘘です。日本はまだ拒否はしていなかったのです)さらにロシアも8月8日に日本に宣戦布告をして満洲、朝鮮、樺太、千島列島に怒涛のように攻め込んできました。そのロシアの宣戦布告書には「日本がポツダム宣言を拒否したので参戦する」と書いてあるのですが、これも嘘です。何と、米国とロシアは新聞報道だけで国の重要政策を決定したのです。しかも極悪非道な政策です。なんという愚かな国でしょうか。

さて、8月9日の御前会議でポツダム宣言受諾が決定されました。(実際決定されたのは10日午前2時半)その内容は米国に伝えられます。但し、それには国体維持すなわち天皇制を維持することを前提とするという条件を付したのです。これに対して米国は8月12日に「占領軍の制限下において天皇制を認める」と回答しました。この回答はバーンズ回答とも言われており、実質的にトルーマンを操っていたバーンズ国務長官が作成したものです。この「占領軍の制限下」という言葉で、又も閣議は紛糾します。阿南陸軍大臣はこれでは国体を維持できないとしてポツダム宣言拒否を主張。結局、日本政府は結論を出すことができず、最後は8月14日の御前会議で天皇陛下のご聖断により決定することになったのです。そして昭和天皇は次のよう述べられたそうです。(要約)

「私はどうなってもよい。国民の命が大切である。ポツダム宣言受諾により国民に未曽有の苦難が待ち受けているかもしれない。しかし日本民族は必ず復活する。私はそれを信じる」

それはバーンズ回答受諾の瞬間である。つまりどのような形であれ天皇制が維持されるという日本側に少し歩み寄ったバーンズ回答が決定打となったのです。

この後、阿南陸軍大臣は陸軍官邸において15日未明に切腹、自ら命を断ちました。その時の阿南陸軍大臣の心の内に分け入ってみましょう。

「このまま無条件降伏したら日本は精神的に死んでしまう。本土決戦で米軍に一矢を報い、条件降伏に持っていきたかった。既に軍部には無条件降伏を阻止するためクーデターを起こす動きがある。クーデターの計画書は既に私の元に届いており、賛同するよう部下から求められている。しかし陛下の(私はどうなってもよい。国民の命が大切である。)という言葉は私の胸の奥に深く突き刺さった。やはり陛下の御意思のとおりにするしかあるまい。だが私が軍部にクーデターを止めるように説得しても私を射殺して彼らは強行するだろう。しかし、もし私が切腹すれば私の意志が固いことを知ってクーデターをあきらめてくれる可能性はある。それによって陛下の御意思のとおりになるのであれば、わが命、露と消えても何の悔いがあろうか」

阿南陸軍大臣が切腹した頃には畑中少佐ら陸軍将校6人は森近衛歩兵第2師団長を射殺してクーデターを強行しようとしていた。宮城の一部占拠まではいきましたが、その後、軍部全体の賛同を得ることは出来ず挫折。畑中少佐と椎崎少佐は二重橋の前で自決しました。クーデターは未遂に終わったのです。軍部全体の賛同を得ることが出来なかった理由は定かではありませんが、阿南陸軍大臣の切腹が影響を与えたという説は否定できないでしょう。もしそうだとすれば阿南陸軍大臣の思惑どおりになったということになり、阿南陸軍大臣は乃木大将と並び称される忠義の大将として歴史に残ったことでしょう。

時計の針をポツダム宣言の日本側への提出日(7月26日)に戻します。ポツダム宣言署名国から除外されていることを知ったスターリンの心の内に分け入ってみましょう。

「あのヤンキー野郎め!ヤルタ会談で南樺太と千島列島を我が国の領土にする約束を反故にしようとしている。こうなったら、日本と戦争状態にあるという既成事実をつくり、戦利品として日本の領土を獲得するしかない。よし、今こそ日露戦争で負けた恨みを果たす時だ。日本とは中立条約を結んでいるが、そんな条約など糞食らえ!それに米国とは日本との本土決戦になってから参戦する約束になっていたが、そんな約束などどうでもよい!いざ出陣!」

ロシアは8月8日に佐藤尚武駐ロシア日本大使を官邸に呼び宣戦布告書を渡し、日本政府に打電させないようにして奇襲攻撃を行いました。この実に汚いやり口はロシアらしいと納得します。

8月8日以降のロシアの蛮行には目に余るものがありました。略奪、レイプ、虐殺が横行したのです。何しろ満州戦に配属されたロシア部隊は陥落したナチスドイツで200万人のドイツ女性をレイプした(アントニー・ビーバー著「ベルリン陥落1945」から)という悪名高き部隊でした。囚人兵が多かったそうです。日本の女性は頭を坊主にして黒い墨を顔に塗り男装していましたが、胸に触り女性であることを確認してレイプ。抵抗する女性は容赦なく射殺。性奴隷として監禁していた宿舎では日本女性の青酸カリによる集団自殺がありました。舌を噛み切って自殺した女性もいたそうです。婦女子だけが避難していた葛根廟という集落では1200人のうち1080人が虐殺されたそうです。このような虐殺は満洲のいたるところで起きたのです。日本政府発表の数字では日本の民間人の犠牲者数の合計は25万人です。さらにシベリアに抑留された捕虜と民間人は強制労働の中で過労死、凍死、餓死で18万3千人が死亡、それ以外に収容所に移動途中で死亡したのが4万人(貨物車に乗せられて移動する際、列車に乗っていた全員が凍死したこともありました)、船で移動した際の死亡者は犬猫のように海に捨てられたそうです。労働できない病弱者の4万7千人は シベリアの極寒地に捨て置きにされ、凍死または狼の餌にして死亡させたそうです。この犠牲者数はシベリア抑留者支援・記録センター代表世話人の有光健 私氏のネットの情報です。この数字が必ずしも正確とは言えないかもしれませんが最近公表された機密文書の詳細な調査をした結果の情報ですから参考にすることは出来るでしょう。合計で52万人の日本人がロシアに虐殺されたのです。ロシアのジャーナリスト、 アルハンゲリスキー氏は 「シベリアの原爆」という題名の本を出版しました。その中で 国ロシアの蛮行を暴露しています。シベリアの原爆という名前は、まさにシベリアで広島や長崎の原爆以上の犠牲者があったからこそ名付けられたタイトルなのです。その著書の中でロシア政府は自らの蛮行(犠牲者数)を隠蔽するために、死んだ日本人の墓(しかも日本人が作った墓です)のほとんど(75ヵ所)をブルドーザーで潰してしまったことを証言しています。亡き者の魂をも凌辱する行為はとうてい許されません。

このような蛮行を直前まで中立条約を結んでいた国のやることでしょうか。日本はロシアに対して戦争行為は全くしていなかったのです。ノモンハン事件等の衝突はありましたが日本は中立条約を結んでいる関係上クソマジメに防衛に徹していたのです。しかもロシアが行った蛮行は終戦の1週間前からで、しかも終戦後(8月15日)以降も5年間も続いていたのです。ロシアの行った行為は火事場泥棒として昔から言われているのですが、それは真実であり、国際法上もっと厳しくロシアを追及する必要があると思いますが、多勢に無勢で戦争に負けた国は無力なのでしょう。何も言えず今日に至っています。最近の日本政府はまさに「お人よし外交」の愚の骨頂になっているようで、シベリア抑留の犠牲者数をロシア発表の数に合わせるようになってきました。最初は37万人の犠牲があったとして国連に提訴までしていたのですが、今は7万人として、ほぼロシア側に擦り寄っています。何となさけない!そんな妥協をしても北方領土問題は解決しません。大事なことはロシア政府を直接相手にするのではなく、ロシアの国民に歴史の真実を伝え(その前に日本人が理解しなければならないのでしょうが)ロシア人の良心の中に罪(恥?)意識を醸成し、ロシア政府を動かす力にすることが北方領土問題を前進させる秘訣であると私は思っています。それは最も遠いようで最も近い道であると信じています。我々日本人も「戦争に負けたんだから仕方ないじゃん」などと呑気なことを言っている場合ではありません。歴史の真実を知った上で北方領土問題を真剣に考えましょう。

後にトルーマン大統領は記者会見で「原爆を投下したことについて反省はしていないのか」という質問に対して「全く反省していない。あれはグッドタイミングだった」と言ってパチンと指を鳴らしたそうである。さらにキリスト教団体の原爆投下についての批判に対し「ケダモノに対してはケダモノの扱いをしなければならない」と答えたそうである。この発言はトルーマン自身がケダモノであることを証明したことになるだろう。私は戦争終了後も蛮行を続けたスターリンと日本人に対してケダモノ発言をしたトルーマンを生涯許すことは出来ません。但し、私が天国に行って彼らに会ったら次のように言うでしょう。「俺もアホだったけど、お前らもアホだったよなあー」すると彼らは頭を掻きながら下を向いて「いやー、本当にアホでした」と言うはずです。そのとき、私は彼らを赦すことでしょう。

最後に、この記事は私の推測ではなく、竹田恒泰著「アメリカの戦争責任」や長勢了活著「シベリア抑留」及びネット情報を基に、私流のアレンジを入れて書いたものであることを申し添えます。






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最終更新日  2018年04月07日 15時21分19秒 コメントを書く


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