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2005年06月12日
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京都で丹後縮緬の製造販売を行っていた父親の出身が滋賀だった
らしい。幼少時には相当な事業規模になっていて、使用人も多く
恵まれた家庭環境とか。

あの今西錦司とか桑原武夫とは1922年頃に受験した旧制三高での
交流という。実は、旧制三高には二度受験で失敗している。入学した
時に、今西錦司が留年中で、同時に三高入りした桑原武夫と同級生と
なって、三者それぞれ京大のボス的存在になった。ボスになろうが、
なるまいが彼らの仕事はいずれもそれぞれ魅力的だ。


がのどかだったとはいえ冒険家の資質は備わっていたのだろう。聞けば
その二年後にあの白瀬中尉の講演会に参加して強い印象を受けたらしい。

中学時代、すでに今西錦司と昆虫採集に明け暮れて京都の山は無論の事
中央アルプスを足を向けた。あの手塚治虫も、養老孟司も昆虫採集が
趣味だというのは有名だ。昆虫オタクたちがこの国では一時代を画したと
いう印象がある。ファーブルの「昆虫記」がどこの小学校にも置いてある
理由が分かるような気がする。

知らなかったが西堀栄三郎の内儀は今西錦司の妹で美保子。閨閥の萌芽
と言えばそんな気もする。知の閨閥が血に誘導されるというのは戦後的に
顕著だ。ただ彼らの世代は、ナイーブにも内なる意欲に誘導されていたの
だろう。


いうストライキ闘争を指導して、その際バイクで構内を走りまわっていた
という逸話は自分達の69年を重ねあわせて笑える。学生の闘争などとは
所詮学校当局との駆け引きに端を発した無邪気なもので擱ければ楽しい
思い出に封じ込められることもが大抵である。






アメリカにはバードさんなどと一緒に南極に行ったことのある人がいますから、
その人たちに会ってみようと思ったのです。これがひとつの分かれ道といえますが
-----その人たちに会ってみると、とても親切で、いままで何年もつきあってきた
ようです。全く人種を越え、歴史を越えて、私たちは大変親しくなりました。
その中には、犬ひきがいる、コックさんがいる。そういう人たちは”偉い人”では
ありませんから、南極のことで訪ねられることもないのに、日本からわざわざ
訪ねて来てくれたというので、とても喜んでくれ、親しくすることができました。
                   西堀栄三郎「石橋を叩けば渡れない。」


西堀が、白瀬中尉とであったのは11歳だ。アメリカ留学は、1939年12月。西堀が

初代南極越冬隊長となったのは、1957年、西堀53歳の時代である。実は、この自分
と同年。この年齢にしてあの酷寒の南極へ出向くという感覚に震撼する。恐ろしい
オヤジがいたものだと思わずにいられない。







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最終更新日  2005年06月12日 09時43分38秒
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